目覚めよ!

文明批判と心の探求と

内面と闘うー善人だったキアヌ・リーヴスー


さてかのキアヌ・リーヴスがとても好きだ。キアヌ・リーヴス


ちなみに仏教徒である彼は普通の西洋人とは少し価値観が違う。


そしてどうも善人でありさうして良い人だ。




どうも其処が自分に似て居るのである。


そしてキアヌ・リーヴスは兎に角ラーメンが好きだ。


特に味噌ラーメンが好きだそうだが其れもわたくしと全く同じだ。



どだい彼は大金持ちの世界的スタアだと云うのにどうもそれ程金には執着がないやうだ。



キアヌリーブスは変人で良い人!【2018年最新版】身長や結婚、壮絶な生い立ちについて

           


無論のことハリウッドスタアらしく慈善活動も行うが其れにとどまらず自らの稼ぎを裏方にも分配して仕舞ふらしい。


またホームレスの方々とも仲良くなれ一面では孤独を好むやうだ。



即ち彼は藝術家気質でありしかも仏教の価値観にもしかと気付いて居られる。


そして人間と云うものは最終的に此の気質または価値観の持ち方により大きく差が生じる。


其処に心のあり方の差が否応なく生じて仕舞ふ。



誰しも善が分かり易い人は分かり易く分かりにくい人は永遠に分からないのだ。


昔からわたくしは美形の変人の男性が好きなので兎に角キアヌ・リーヴスが好きなのだ。


其れに何と言っても同年代でもあるのだし。




キアヌ・リーヴスはまだ独身のやうだし出来ればこのまま変な女など寄り付かぬやう是非お願ひしたいところだ。




彼が好きなので「47RONIN」と云う極めて出来が悪ひ=駄作とされて居る映画のDVDを視てみたところ意外と泣ける映画で久し振りに沢山涙が出て気持ち良かった。


わたくしは心理的に半分位女なので泣ける映画が実は一番好きなのである。


論理的でもってかつ非人間的で物凄く冷たい人間かと思いきや意外とさうではなくまさにピイピイと泣くのが趣味なので半年に一度位は大泣きしなひと実は心の方が持たぬ。



『47RONIN』は“忠臣蔵”をモチーフにした映画ですが実際の忠臣蔵とはまるで異なり日本と中国と韓国とモンゴル帝国が合わさって其れを四で割ったかのやうなまさに訳の分からん光景の展開する映画でした。


が、海外の人々には受けるであらう切腹のシーンが意外と確りと撮られて居り其処に限れば悪くはなかった。


さうして「武士道」なるものも描かれて居り其れも大筋で間違ひではないものであった。



さらに言えばキアヌ・リーヴス切腹シーンはなかなかのものです。


其れもすぐに終わるところが寂しひと云うかそもそも根本的に似合ってなど居なひ。



かやうに善人でもってしてしかも変わって居るが所謂「良い人」であることが今わたくしが人を評価する際の大きな価値であり尚且つ惹き付けられる点なのです。


其れも人によっては、所謂「善い人」を毛嫌ひする場合が御座います。


逆に「善い人」はバカにされたりもし易い。


其れが現実でありコノ悪ひ世の中の特徴とでも申しますか癖のやうなものだ。



「善い人」は多分に正直でありたとへば多くの女に手を付け手籠めにしてやらうなどとは間違っても思ってなど居りませぬ。


其の「善き人」の一番ハッキリと出た例がまさに釈迦とキリストなのであり釈迦とキリストを信じて御座る人もまた明らかに良い人なのです。



逆に悪魔とは釈迦とキリストには決まって縁が無く金や権力や悪事の世界に染まり易い心の持ち主のことです。


悪魔が実は其の辺に大勢潜んで居りしかも其れはまさに善人面をしつつ堂々と生き抜いて居るのであります。



悪魔はまず人に対して思いやりの気持ちがなく自分と自分の家族のことばかりを考へて居ります。


さうして人の迷惑をかえりみないところがあります。


さらに人の苦しみに関して決まって不感症なのです。



ですから、宗教をやって居れば悪魔ではないとは勿論申せません。


むしろ宗教をやって居るからこそ悪魔のやうな人間に成り下がって居る部分さへもが御座います。

宗教をやっているかどうかに関わらずまずは善人になることこそが大事です。


ところが善人であるかどうかはむしろ運命なのです。
謂わば生まれつひての善人の人は善人で生まれつき悪人の人は所詮悪人なのです。



生まれつひての悪人は大抵の場合まず人を攻撃し自分の方ばかりを持ち上げやうとする。


でも其れは社会を攻撃することとは違ひまさにしてはならぬことだ。


さうして決まって善人をいたぶりまさに宗教のやうに精神を規定していくことが大嫌ひだ。


其れも自らの心が邪なので宗教のやうに勧善懲悪の世界観のことを初めからバカにして居るのです。

でも自分がそんなに立派かと云えば勿論さうではなく其処で善の研究を行ふ訳では無くそんなものは何か別の世界のことであくまで自分と自分の家族のことだけを中心に考え即ち其処で自己戯画化されし価値ヒエラルキーに深く捉へられて仕舞って御座る。


其れに決まって自分が偉ひとさう信じて居りませう。


でも其れはわたくしがかうしていつも威張って居る其の罪の無い赤子の如き威張り方とは違ひまさに社会化されし救ひやうの無い威張り方で其の本質やまさに罪深くして淫蕩だ。



かうして善人はまさに人が良ささうに見え弱く見られがちなので悪人共の餌食にされて仕舞ひ易い。


ですが其の善人こそが宗教の世界を支えて参ったのであります。


だから宗教は邪な眼で女を見てはならぬ、カネの亡者になってはならぬとさう教へを説いて回って居るのであります。


であるのに悪魔は何時の世にも必ず居て善なるたましひを悪しき方向へと、其の貪りと嘲りの心性へと全てを巻き込みつつ汚していくのです。


ところが表面的にはなかなか正体が悪魔であることを見破られぬ。


逆に善人が誤解され嘲りを受けたりして仕舞ふのが世の常だ。



即ち悪人は世に蔓延り善人は往往にして早々と天に召されるのであります。


其れは何故かと云えば其れ即ち世の中そのものが悪ひからなのです。


すると其処で個人的な意味での心的領域での闘ひなどは意味なきものと化して仕舞ふ。


即ち悪に頭を押さへつけられ身動きが取れぬやうになって仕舞ふ。



さうした真の意味での悪の蔓延はむしろ此の世に於ける実相なのだと申せませう。
第一今信じて居るものが良いものであると一体何を根拠にして皆様はお考えなのでせう?