目覚めよ!

文明批判と心の探求と

地球が壊れる前に-Ⅲ-とこしえの神の怒りぞー


ところでレオナルド・ディカプリオ氏は少年の頃より此の絵を眺めつつ育ったのだと云う。


其れこそがヒエロニムス・ボスによる祭壇画『快楽の園』である。

祭壇画とは祭壇飾りとしてのキリスト教美術のことを云う。

当然ながら其の題材は宗教的な意味合いが色濃く含まれたものとならう。

レオナルド・ディカプリオ氏の父君は前衛藝術家でかのアンディ・ウォーホルとも交流があったのだと云う。

其れでもって彼の家には様々な絵が飾られて居りわけても此の絵には幼い頃より何故か特に惹きつけられて居たのだと云う。



さて絵はクリックすると拡大されやう。

其処で暫く此の絵を細かく見ていくこととしてみたひ。

尚わたくしも此の絵のことは全く知らず今回初めて目にすることが出来た絵である。



一見してまず奇妙な印象を受けた。


何故かと云うと、

1.描かれたものの時代が特定出来ない

2.人間に個性=意思が無いが妙に人間が多い

3.俯瞰視されたところでの人間の愚かさ=文明の愚かさを描き表したものであることは明らかだが余りにも人間がバカにされ描かれて居り其のことが当時の時代背景とそぐわない



と云うことである。

即ち祭壇画だとのことであるが其れにしては人間が全く大事にされて居ないやうに見える。

或いはコレこそが神の視座から見つめられし人間の愚かさ自体を描き出したものであるのやもしれぬ。



兎に角普通の絵ではない。

ある意味では人間=文明自体がバカにされて居ると考えても良いのであらう。

言うまでもなく人間=文明をバカにする為には余程に高い視点としての位置が必要だ。

だから彼ヒエロニムス・ボスはおそらくは何処かにそんな心の位置を持ち合わせて居たのであらう。


無論わたくしも往往にしてそんな位置をひけらかすことがあらうがそんな高尚ばかりではなく兎に角下品だと正直に告白しても居るのであるから是非其処はご容赦願ひたい。



1.に就いて

とは云え、左翼に描かれて居るのはまさしくエデンの園のことで其処には神乃至はキリストとアダムとイヴが描かれて居る。

尚此の園に於ける自然は多様でありしかも美しい。

まさしく此処は自然的秩序による美と安定感に支配されし世界だ。


然しアダムはイヴと云う配偶者を贈られることで同時に其処で神に背いた罪を即ち原罪を背負い込むこととなる。

原罪と云うのは肉の交わりにより遺伝するのであらうから其の後の人類が全部原罪を背負い込むことともならう。

尚個人的に罪と云ふ概念は素晴らしいものだと思ふ。



罪かまたは煩悩と云う人間への規定がなくばおそらくは人間は人間として此の世界に存立し得なかったことであらう。

人間が全部自由、恋愛も援助交際も全部自由、しかも海外旅行も自由、もうレンジでチンして御飯も作らなくて良い、24時に女が一人歩きして居てもまるで自由、では世界の秩序がそも成立せずそれどころか悪魔の世界そのものと化して仕舞ふ。

其のやうな何でも自由でもうやりたひ放題、しかも勉強もせず下らないインターネットばかりをして御座る。


左様なことでは人間にとっての健全な精神が育まれる余地がない。

其のやうなふしだらな世の中になることで文明はまさに精神の上から滅びる。


そしてまさしく其が罪の様じゃ。

或いは煩悩に深く深く捉へられし心の中での堕地獄の様じゃ。



従って現代人にとり今必要なものとはズバリ宗教だけである。

宗教其れも煩悩には厳しくまた原罪の解釈が厳しい宗教だけが正しき宗教であらう。


煩悩に厳しい宗教の中には浄土系の宗派はとりあえず入らぬが、最近家に来て下さる浄土真宗の僧侶と会話する機会を持ったので今後のことも考えとりあへずは真宗も赦しておかう。


尤もキリスト教のことは分からぬのでまたネット検索にて調べてみることにするが兎に角原罪、此の原罪の認否こそが文明の未来を握って居るのだとも言えやう。

即ち軟弱な宗教では無く厳しい仏教またはキリスト教に縁することこそが肝要である。



宗教は人間の精神即ち心を規定するものである。

人間はただ物質的に或は瞬間的に存在するものではなく伝統や公序良俗、治安の維持や罪刑法定と云った諸の縛りにて正しく機能するやうに組み立てられて御座る。

其のやうな時の流れの正しい解釈または雁字搦めの縄又は鞭、其のやうな規制または規定こそが人間にとっての健全な精神を育み共同体若しくは国家乃至は文明の秩序をつつがなく維持するものであることをしかと知るべき。



今我我はまさにやりたひ放題、言いたひ放題でもってして、しかも飲み放題食ひ放題で自らは決して食われることなどなく安穏として暮らして居るがそんなものは一時の妄想の実現であるに過ぎぬ。

ただ一時の夢物語、其の絵に描いた餅を無理やり食って居るのに過ぎぬ。



左様に人間はまさに邪な女の心と心が弱いばかりにつひ女に責任転嫁して仕舞った男との肉欲の合体に於いて生じせしめて居りまさにこの上なく汚らわしく心根の腐った者共のことじゃ。

其のやうな肉欲の象徴であるのか、何故か此の絵に描かれし塔の如き建物は皆ピンク色をして居り其処が何処か此の絵を教会にはそぐわぬ嫌らしいものともして居やう。




2.に就いて


此の絵の中では其のアダムとイヴと神乃至はキリスト以外の人間は単なる人間型の人形である。

動物とも違うが動物的に意識が冥落して居り其処に理性の輝きは微塵も感ぜられない。

そして兎に角其の個体数が多い。


と云う事はまさにコレは俯瞰視されし人間なのである。

其はまさに意志も人権もクソも無い普遍的でかつ裸にされた素のままの下品な人間の本性そのものじゃ。

此の絵では事実皆裸である。


人間は裸になるとあらゆる理性が取り払われ皆同じやうにケモノ染みた何かになるものだがコレは実は獣そのものでもない。

其処であらゆる権利が剥奪されまるで操り人形の如くに感情の無い、さうしてただ肉欲と食欲即ち自己保存欲と利己主義のみの究極のロボットと化して其処に描かれて居るのだ。



個体数が多い=人口爆発の様?ところからしてもどうもコレは飼育される人間、其れも現代文明に洗脳され飼育される人間の其のロボットとしての様を此処に写し取ったものではないのか。


事実真ん中の絵では塔の中に金属質の球体が描かれ明らかにコレは現代文明による機械力の象徴であらう。

つまるところコレこそが合理的機械文明の象徴である。


そして其の時代には人間共が皆滅茶苦茶をやって御座る。

第一皆バラバラに好き勝手をやり秩序と云うか楽園での美なり序列なりの様が崩壊して御座らう。


しかもフリーな恋愛となって居りまさにのべつまくなしに至る所で男女が戯れて御座る。

そして家畜の群れが登場して居る。

其の家畜の群れを大きく描かれた鳥や魚などが何故か見詰めて居る。

どうもコレは自然の人間に対する恨みの象徴であらう。

此の文明の乱痴気騒ぎを自然は無言で見詰めおそらくは心の底から諌めて居るのであらう。



此処は兎に角無秩序だ。

多分社会的に自由で或は民主制などが奉ぜられて居るのやもしれぬ。

そして無表情でもって無個性な人間の群ればかり。


結局は美しくはない=汚れた世界のことだ。

楽園と比せばもう明らかに汚れて居り節操が無くしかも猥雑である。


然しコレはどうも正しひ見方或は正確な描写ではないかとわたくしには思われる。

ではそんな中世の画家が何故そんな未来のことを描けるのか?



だから藝術家と云うものは常にさういうものなのさ。

藝術家には過去もまた未来さへもが見える。

つまりは人の見ないものを見詰めることこそが藝術家としての役割なのさ。



3.に就いて


右翼には地獄の様が描かれて居やう。

キリスト教にも無論のこと地獄がある。


そして地獄が前提となる宗教こそは正しひ。

人間は常に地獄の責め苦をしかと其の身に引き受けなければならぬ。

現代でのやうに地獄の責め苦を忘れ物質欲やシンポとやらに浮かれて居るやうでは人間は人間として健全に立つことが出来ぬやうにならう。



人間は宗教や共同体、また指導部や怖い父ちゃん乃至は怖いオジサンなどからの指導があってこそ初めて此の地の上にしかと立つことが出来やう。

其れを全部反故にしてまさにやりたひ放題、ありとある人間としての縛りから逃げ去り、いや、逃げ去ったのではなくして社会が其のやうに変へて来たことこそが誤り。


其のやうに根本的に伝統的価値観を変へるに至った社会革新思想の蔓延による精神の破壊こそが脅威。


人間にとっての大切な貞操観念や家族の絆、さうして父ちゃんの、其の一家の大黒柱としての父ちゃんの正当な地位や名誉や給料の額を奪い、あまっさへ新自由主義だか何だか知らぬが米国流のキチ外合理主義思想にうつつを抜かし、揚句の果てに女子学生による売春を容認すると云ったまさにおぞましい、おおまさにコレ以上なくおぞましい社会を現出せしめ、のみならず日本人から規範意識を徹底的に排除するに至った悪い社会としての責任を日本の管理職全員で今すぐに取れ。


日本の管理職は即刻全員辞職せよ。



何やら結論が予定とは違ったものとなりましたが地獄の様とは其のやうに時と場所に寄らずして常に同じことなのであります。=普遍的


兎に角何処の地獄でも巨釜で茹でられたり業火に焼かれたりして人間の肉体は骨まで砕かれもはや跡形も無い。

其のやうな地獄があることにこそむしろ感謝して居なければならぬ。



然し其処では家と共に塔やら工場やらも燃やされて居るやうだ。

おおまさにコレぞ神の怒りなのだらうか?

今まさに神はお怒りになり人間を焼き滅ぼされたのだった!


其れは人間が好き勝手に生き自然を破壊しまさに自由にSEXばかりして居たからのことだ。

其のやうな放縦な様にこそ神の裁きは下されるのだ。

即ち快楽の園への罰は下された!



滅びよ!

そして悔い改めよ!


まさしく何時の世でも神の怒りこそは必ずや下されやうぞ。