目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

藝術に関する試論ー1 人文學の意義と天才科学者の伝記映画ー

ーさうマイナス領域を見詰めてこその人文學の意義ー

 

 

 

 

ところで自分は「若見え」の方となる。

 

「これで57歳?」…「67年生まれ」童顔男性が公開した10の生活習慣 (msn.com)

 

此の「作家」の男性などもまた自分とは8歳しか違わないのですがどう見ても参拾代迄である。

 

先日スギ薬局の駐車場でひょんなことから婆様と交流があり幾つに見えるかと聞いたら「52歳」だと言われた。

其れで婆さんの方は「80歳」だと云うと實際には「79歳」と可成に正確な判断であった。

 

自分は「人間観察」を可成にして來て居るのでまず見間違うやうなことはしない。

 

でもって何を言いたいのかと言えばまさにニンゲンは其れ其れで「定型的な常識」のやうなものにて全てを判断し得ぬことをこそ述べたい。

また自分はむしろ其の「若見え」の部分がイヤである。

 

何故なら内面がそもこんなにジジイつまりはまず人にはやれぬ程に様様な心的経験を積んで居るのでむしろそちらの方向をこそ人には見て貰いたいからなのだ。

つまり此の男性は「若く居られるやうに努力して」さうなって居る部分が有るが自分は単なる「自閉症スペクトラム障害」者なのでさうなって仕舞うのであらう。

 

また自分は「長生きがしたい」などともほとんど思って居ない。

其れもまあやれることだけはコレ迄にやり尽くして來ても居るのでもはや「悔い」は無いと云うそんな感じである。

 

さらに僕のやうに余りに物事が分かり過ぎると早う「御迎え」が來るやうな気もしないではない。

どだい精神的領域ー哲學や宗教的次元のことーにてほぼやり尽くして來ても居るからもう「彼岸」の方で哲人や宗教家の面面がすでに手招きしてなど居てつい其れにハイハイと引き寄せられる気になったりもまたするのである。

 

だからもう「全てを分かってる」からコレ以上は分かりやうが無い。

もう何も足せないし本質的には「御勉強」なども出來ない。

 

でもあえて「御勉強」をする。

其れは主に表面的知識に関する部分に限られるのだけれども。

 

「3つしかない」ノーベル賞科学者・山中伸弥が明らかにする、意外過ぎる「成功者」になるための裏ワザ (msn.com)

 

其の「天才」は案外世に居るのではないかと個人的には今考えつつある。

其れも「天才」其のものよりも「天才的」な人ともなればむしろ其の辺にでも居ることだらう。

 

だが別段自分は「天才」的能力を所謂崇めたりはして居ない。

何故なら自分にもまた其れが「半分位」あるのだから。

 

ならば無論のこと其の「天才」を毎日其れこそ24時間やれれば「自己實現」することにはおそらく近づくことであらう。

さすればもっともっと根本的に「人生を前向きに生きる」ことが可能となり要するにこんな變なわだかまりやら何やらに患わされずに済み要するにもっと精神的には樂になるのやもしれん。

 

ですがさう常に「變なわだかまりやら何やらに患わされ」つつ要するに限界を突破し得ずウジウジ、メソメソと未練がましく生きることこそが實は自分に取っての「理想の生き様」なのである。

逆にゲージツ家となりつまりは作家となり何かを世の中に對し発信し其れにて對価を得るなどするとわたくしの此の「美しき詩の世界」が穢れ行くやうな気がせんでも無い。

 

だからこんな半分ゲージツ家でもって丁度良い。

どだいなあにが五木 寛之だ、なあにが村上 春樹だ!

 

そんなもんはもうまるで読んどらん。

要するに作家なんぞはほとんど自分に取り役に立たぬ。

 

そんなアナタはアノ「岡本 太郎」氏ばりに独善的だ!!

いや同じ「對極主義者」ですのでさもありなん。

 

兎に角自分は其の「ゲージツ」だの「天才」だのには余り拘らず何故なら其れが「半分」しか無いからなのだ。

逆に申せばもしも自分がプロの大詩人として世に立つことは如何にも怖いこととなる。

 

つまりは其の役目、役割に嵌められて仕舞うことが何だかとても辛いことのやうに思うのだ。

またわたくしはプロだのアマだのそんなことにもほとんど拘っては居ない。

 

何故なら此処の読者の方方にはわたくしが世界に壱人だけの詩的感度の持ち主ー所謂「持ってる人」ーであること位は即分かるのであらうから。

だから其れダケでむしろ良い。

 

そんな大作家となり日日締め切りに追われヒーヒー言いつつ人生を過ごすなんて眞っ平御免なんだ。

だからわたくしの世界にさうあえて何かをくっつけやうとすること自體がどだい無理な話なのだ。

 

何故なら彼はそんな肩書きだの地位だの大金だのには縛られぬ「自由人」なので縛られることと言えばまさに「美の世界」位なもので御前等が其れを「社會」に縛り付けやうとしてもどだい無理な話なんだ。

 

 

でも彼は至って貧乏ですが…。

そりゃペンや石を常に買うから貧乏なのだ。

 

だから其れ等を買わなけりゃコンビニ🍱位はなんとか食える。

またCDを買い歌を聴いたり美術館へ行ったりしなければコンビニ🍱位はなんとか食える。

 

ですがもうすぐ名古屋市美術館東山動植物園の入場料が百円になります。ー市内在住の高齢者の優遇制度にてさうなるー

 

だが大問題が有り「名古屋市美術館」の場合は「常設展」が百円となるだけで観たくなるやうな「特別展」の場合はまるで割引きなど無い部分である。

但し「東山動植物園」の場合は「スカイタワー入場」込みで160円だからコレは如何にも安い。

 

其れもおそらく全國壱安い入園料となることじゃらう。

だからココへすき家の「特盛カルビ丼」を持って行き後は例の「伊右衛門」を自販機ににて買い「御🌸畑」のベンチに座り飲んで食えば宜しい。

 

すると入園料より「すき家の特盛カルビ丼」の方がずっと高いこととなる。

なので「すき家の特盛カルビ丼」の方もまた「高齢者割引き制度」なるものを是非設けて頂きたいものだ。

 

 

科学者についてのベスト映画 (starsinsider.com)

 

さてこんな科学者の伝記映画などを是非視てみたい。

 

テンプル・グランディン 自閉症とともに (2010) -

テスラ エジソンが恐れた天才 (2020) -

アレクサンドリア (2009) -

クリエイション (2009) -

ケロッグ博士(1994) -

'Radioactive' (2019) -

科学者の道 (1936) -

 

 

アンドロメダ (1971) -

地球に落ちて来た男 (1976) -

 

但し其の「アンドロメダ」と「地球に落ちて来た男」はSF作品なのですでに視て居ます。

視てみたいのはむしろ上での科学者の伝記映画の方となる。

 

尚「科学」もまたまさに其の「天才的」能力が創り上げる価値のことだらう。

ですが近代的な「科学技術」には所謂「罪深い」ものがまた多い。

 

何故さうなるのかと言えばおそらくは「人文學的な発想」が失われて仕舞うからなのではないか。

 

自然科学⇔人文科学

 

無論のこと其れは對極的価値でありまた其れも等価であることこそがむしろ望ましい訳だ。

ところが近代以降特に戦後世界では其のバランスが崩れ「自然科学」の方が優勢となりつつある。

 

ですが其のバランスが崩れると實はエライこととなりませう。

「自然科学」は「有」としての「現實」をのみ對象とする世界観のことですので認識上「片手落ち」となり易い。

 

つまるところは「無」としての人文學的な解釈やまた宗教に於ける人間理解が無くば現存在の認識は常に「壱方通行」に陥ることであらう。

尚わたくしがむしろ「有」だと述べるのはあくまで人文學的な解釈やまた宗教に於ける人間理解の上での「有」の範囲のこととなる。

 

つまりは「無」としての「有」のことをさう述べて居るのです。

いま少し平たく申しますと、

 

人文學的な解釈やまた宗教に於ける人間理解はむしろ好んで此の世に於ける「マイナス面」をこそ見詰めて行く。

さらに「文學」などでは小説でもって主人公の悲劇的生涯が描かれたり詩や哲學により實存的不安の様が語られたりもまたする。

 

「人文學」はさう金儲けにも進歩にも与せぬが「ニンゲンをマイナス面より」さう見届けて來て居る。

ですが所謂数理的解釈にて「唯物的」に世界を解釈するだらう「自然科学」の世界ではそんな「不幸」と申すか「苦悩」と申すか其のやうには世界を捉えはしない。

 

 

個人的にはむしろ其れが「大間違い」なのだと思います。

現存在はむしろそんな「不幸」と申すか「苦悩」と申すか其のやうなマイナス領域をこそ生き続ける者でありまさか「小さな神様」などではあり得ぬ。

 

またニンゲンに限らず動植物の世界であれむしろ其の全てが「不幸」と申すか「苦悩」と申すか其のやうなマイナス領域の所持者である。

また其のことをあえて文學的に表現すれば生命其のものにそんな「悲劇性」が宿されて居るのである。

 

ところが近現代文明はむしろそんな「生命の持つ悲劇性」のところにあえて蓋をし實際俺等は何でもやれるからやっちゃえ、てなもので兎に角なんでもやっちまいます。

要するに其処に「歯止め」が効かぬ訳だ。

 

問題は其の生の「悲劇性」に對する感度が現代人は大幅に鈍って居る可能性が高くあることでせう。

ですからむしろ彼等ホモ・サピエンスは「人文學」をこそ學ぶべきなのです。

 

ところがたとえ「人文學」をやったにせよ其れこそ金にもまた進歩にもならぬので次第に文明社會は「人文離れ」を助長させて行くこととなる。

だがまずは其れが「間違い」です。

 

また「自然科学」をどんなに深く學んだにせよ「ニンゲン」其れ自體の解明にはまるで繋がらない。

其れは「自然科学」が「ニンゲン」其れ自體を探求するものでは無く「物的現實」の世界を数理的に規定するものであるからに過ぎないからだ。

 

 

人文詩人さん、ではニンゲンはあえて「不幸」や「苦悩」をこそ見詰めて行かねばならんのか。

そんな戦前の「文學」みたいな認識世界は余りにも大時代的なものでこんな合理化社會にはまるでそぐわぬものでせう?

 

いやさうでは無い。

合理化社會にもまた「不幸」や「苦悩」が澤山ある。

 

いやむしろ「不幸」や「苦悩」のみなんだ。

 

どだい「岡田 有希子」や「藤 圭子」などもあんな🏢から飛び降りて死んだのだし。

また其れはしかしながら怖いぞー。

 

もう宇宙壱怖い話である。

さう言えば芸能人で自殺する人は結構多いぞよ。

 

人文詩人さん、ではニンゲンはあえて「不幸」や「苦悩」をこそ見詰め最終的には「自然科学」への崇拝を止め「神」か又は「佛」への帰依により是非心を救われるべきなのでせうか?

まあさうなりませうが其の前に「自然科学」による「洗脳」を是非解くべきです。

 

但し「自然科学」はまた頗る面白い。

面白いが其れが現存在としての認識上の「バランスを欠く」が故に危ういこととなる。

 

でも實際「オウム教」の方がずっと怖いじゃないか。

まあ同程度に危ないことでせう、其の宗教もまた科学も。

 

 

「人文詩人」としてまずは言いたいのがまさに其の「不幸」や「苦悩」、また「不安」と云った「マイナス面」を忌避してはならないと云うことです。

何故ならそんな「マイナス面」の凝視こそが生の實相を見詰めるに足る認識であり要するに「精神的眞理」へと至る道程となるからのことなのです。

 

唯物的眞理⇔精神的眞理

 

まずは此のことがさう分かれます。

またつまるところ「眞理」は壱つでは無い、むしろ弐極が有る。

 

其の両方を出來得れば見詰めて下され。

さすれば「唯物的眞理」は半分の価値でしか無いことがしかと分からう。

「Montegrappa」の金銀製八角軸の限定万年筆に就き語る 2ー「あくがれ」でありまた「理想」としての八角軸の万年筆ー

「Montegrappa」の金銀製八角軸の限定万年筆に就き語る 2ー「あくがれ」でありまた「理想」としての八角軸の万年筆ー

 

 

 

 

モンテグラッパ Montegrappa (ilduomo.jp)

 

でもどうも今の「Montegrappa」の🖋は至極普通と申しますか「牙を抜かれた」感が致します。

つまり其の「角軸」が多かったのはかってのことであり今やさうしたモデルが出されては居ないやうだ。

 

「Montegrappa」は「Montblanc」と同じ系列のグループの傘下に入りある意味では「高級路線化」された筈なのですが何かつまらん🖊ばかりにかうして結果的になって居る。

またおそらく今の「Montegrappa」の万年筆は壊れることが無いのでせう。

 

對して90年代の「Montegrappa」の万年筆で其れもピストンフィラーの物などは怖ろしく壊れ易く要するに未使用でもピストンが固着したり致しましたものです。

でも其の分其れ等は藝術的であり且つあくまで美しい。

 

要するに🗾や独逸さらに米國英國の🖋には決して出せぬ雰囲気と形態とを其の身に纏って居たのだと言える。

 

モンテグラッパ 限定生産品 デヴィッド・ボウイ ★(ブラックスター) 万年筆 Montegrappa David Bowie Blackstar Fountain Pen (ilduomo.jp)

モンテグラッパ 限定生産品 ミロのビーナス 万年筆 Montegrappa Venus De Milo Limited Edition 《送料無料》 (ilduomo.jp)

 

其の「ボウイ」の方はいっそのことアノ「Stella」のやうに星形の軸にでもすると面白かったのですが…。ー自分は亡くなったデヴィッド・ボウイ氏の壱ファンですー

「ミロのヴィーナス」の方はまた「大理石軸」ですか。

 

しっかしまあ藝術的と言えば確かに藝術的なのか。

其れに共に重量が重く且つ値段がバカバカしい程に高い。

 

アノ壱流メーカーの「Montblanc」社などもまたさうですが上級愛好家は「筆記思想」が堕落したとさう思っても居る訳です。

だから「變」な高級路線を敷く前の「Montblanc」や「Montegrappa」の方がずっと良かった。

 

但し今でも「Montblanc」の限定品には見るべきものがあるやうだ。

其のやうだ、と言うのは21世紀に入り限定万年筆には手を出して居ない自分には分からないからなのです、其の本質部が如何に變化したのかと云うことが。

 

 

尚以上に登場した🖋で何が欲しいかと言えば其れはズバリ、

Yahoo!オークション - 【美品】モンテグラッパ スターリングシルバー9...

のみです。

 

要するに此れの弐本目が欲しいのですがでも此のペンを長く使ったのでもう要らないか。

 

Yahoo!オークション - Montegrappa 限定万年筆 The Dragon 1995 Silver

 

でもって是非タダで貰いたいのはこちらとなります。

かうした「伝説の限定品」の類の品はなかなか魅力が有る。

 

Montegrappa Luxor Blue Nile Limited Edition 18K Solid Yellow Gold Pen LE 188 | eBay

 

こちらが初代の「伝説の限定品」となる。

90年代に丸榮百貨店の万年筆売り場で数本売れたとの話を聞きました。ーコレの銀製トリム版の方ですー

 

MONTEGRAPPA ETERNAL BIRD LIMITED EDITION FOUNTAIN PEN - USED ONCE TO TEST | eBay

 

其の「龍」と共に「鳳凰」の方がまずは「伝説の限定品」だらう。

此の種の高額で「變」な🖋は現在でもかうして高額にて売られ決して価値が無い訳ではありません。

 

特に外國人は此の種のペンを好むやうだ。ー尤もあくまで自分も好きですがー

また初代物の価値と申しますか此の種のゴテゴテの🖊であれ90年代製の物は概して評価が高いのです。

 

對して21世紀の限定万年筆に余り良い物は無いが其処は「Montblanc」が復刻版でのヴィンテージやアンティークのペンを限定🖋として出して居るやうに評価に値する動きなどがまた有りませう。

ですが問題なのはペンメーカーが惰性で出して居るやうな普通のモデルが拾萬もまた廿萬もして居ることです。

 

此のやうに万年筆の価値は壱律では無く正直申して「良い物と惡い物」とが混在するのです。

ところが21世紀の限定万年筆は何処の物でもまずは壊れないことでせう。

 

だから其れで良いのだとも言えやうがタダわたくしのやうに廿世紀末に「限定万年筆」を壱応やり切った者とすれば其の部分が何やら寂しくも思えます。

即ちあくまで自分の場合には「たとえ壊れても良いから藝術的で且つ個性的」な万年筆をこそ欲して來たのですから。

 

 

Montegrappa Limited Edition 1000 Chaos Ag925 Sterling Silver 18K Fountain Pen | eBay

 

こちらが例のシルヴェスター・スタローンが監修したゴテゴテ限定🖋です。

然し良く見るとむしろ此れが良いやうに見えて來る。

 

其れもシルヴェスター・スタローンと云う伊太利亜漢のエネルギーが感じられて惡くは無い。

伊太利亜は左様に「惡趣味」と「美的洗練」の様が同居するであらうまさに「カオス」の國なのでもまたあることでせう。

 

ちなみに1997年製の「アフロディテ」なる限定万年筆をかってわたくしは弐本持って居た。

Montegrappa Aphrodite Limited Edition Silver Fountain Pen -#469/1912 | eBay

 

かうして極めて美しく且つ極めて重い限定万年筆となる。

其のうち壱本は21世紀初頭の頃にナゴヤ市内の医師の方に御譲りしました。

 

其の方はとても喜んで居られた。

ですが此の🖋は吸入の方がピストン・フィラーでもって其れが壊れるのです。

 

が、其れもあくまでピストン・フィラーが壊れるのであり首軸さえ回れば所謂アイ・ドロッパー化することが可能となる。

イザさうしてアイ・ドロッパー化することが出來れば「万年筆」として使えます。

 

其れと此の🖊は其の素材がエボナイト軸と銀製のフィリグリー部(銀装飾)となる。

さうエボナイト軸と銀製のフィリグリー装飾軸はまたエボナイト軸と金製のフィリグリー装飾軸は万年筆の中では最も価値ある組み合わせとなるのです。

 

其れも「張り」では無く「無垢」なんです。

伊太利亜の金銀工芸の細工は其の意味で最も価値の有るものとなる。

 

尤も其れは🗾の工芸細工のやうに精緻なものでは無く「無骨」です。

ですがアメリカンの物よりはまだしもマシと言うべきなのか。

 

いずれにせよ其れ等には「夢」が壱杯に詰まって居りましたものです。

また其の「夢」は「西欧近代」に於けるものであり東洋の智慧や繊細さとはまた違うものでありました。

 

であるからこそ其れこそ明治時代以降此処🗾國は「西洋カブレ」化しても行ったのでせう。

されど其の「西洋カブレ」は「モノの世界」ダケに是非留めて置くべきことです。

 

個人的に自分もまたそんな「西洋カブレ」ですが「思想」に於いて自分はむしろ「西欧近代」に對する強硬な批判者ですので。

 

 

Montegrappa Queen of Heatrs Limited Edition Fountain Pen, 18K Broad Nib-Mint | eBay

Montegrappa Limited Edition Solid Gold Cigar Fountain Pen #0092/100 | eBay

 

こちらもまた「持って居る」限定品となるが「シガー(銀製トリム)」の方はとっくに壊れ現在は付けペン化して居ります。

但し「クイーン・オブ・ハーツ」の方は明らかに高級な限定万年筆です。

 

其れも「Montegrappa」ではおそらく五本の指に入る御品です。

余計な付属品が付いて居りますが其れとはまた別に限定万年筆として極めて出來が良い。

 

さらにピストン・フィラーも壊れずまたセルロイド素材を用いて居ないので軸も腐らない。

其の銀製の軸は素晴らしく且つモンブランの「メディチ」万年筆よりも若干大柄となる。

 

 

右端ークイーン・オブ・ハーツー 左端ーメディチ限定万年筆ー

 

此の画像で右端に「クイーン・オブ・ハーツ」が有り左端にモンブランの「メディチ」万年筆が有る。

メディチ」万年筆と「クイーン・オブ・ハーツ」はまた別物ながら其の代役位は務められさうな素晴らしい御品となる。

 

MONTEGRAPPA LA SIRENA MERMAID LIMITED EDITION FOUNTAIN PEN M 18K NEW IN BOX | eBay

 

こちらなども以前は持って居たが結構重くて余り持ち易くも無いので早早に手放しましたがかうして現在は値段が高騰して居るやうだ。

 

MONTEGRAPPA Reminiscence 80th Anniversary (1912 – 1992) Limited Edition Silver | eBay

 

90年代当時は此の80周年記念モデルこそが欲しかったがペン先の方が小さいので「Special Reserve」限定🖋の方を集めて行くことになる。

其の銀製軸の「Special Reserve」を多い時は参本も持って居た。

 

ですが現在は使って居らずまたピストン・フィラーはいずれも壊れ万年筆から吸入関連での部品を抜いてある。

 

MONTEGRAPPA Marostica Limited Edition of 1912 Pcs, The Game of Chess-Mint | eBay

 

個性的な□軸の限定品です。

今思えば此れも惡くは無く買っては居ないが今手元に有れば使うことでせう。

 

 

Montegrappa Limited Edition 888 Extra Otto Lapis 18K Fountain Pen | eBay

 

比較的最近の「Montegrappa」ではまさにコレこそが良い。

しかもかうして確りと角軸です。

 

金ペン先の方は「大型」の方でかって其れを自分も使って居りましたが惡くは無い物で例えばペリカンM1000などよりも好きな書き心地がして居たものだった。

ですが何故か時の流れと共に其れも手放して行った。

 

かうして万年筆はまことに分からぬものなのです。

其の時時により自らの評価も變われば好きなモデルもまた異なって來る。

 

但し個人的に決して變わらないのが、

 

10.大き目の🖊ーオーヴァーサイズの万年筆ーが好きであること

11.角軸の万年筆が好きであること

12.伊太利亜物が特に好きな万年筆であること

 

位なものでせうか。

 

ちなみに昨夜夜中にイーベイの方でL.E.Watermanの角軸を探して居りましたが何と弐本其れらしき物が出て來た。

ですが当時の萬年筆の角軸は女性向きの携帯用の如き物がほとんどで要するに大きな物がなかなか出ては來ない。

 

だが昔自分は「世界まるごとハウマッチ」と云う番組にて「理想的な八角軸」の大柄な萬年筆を視たことがある。世界まるごとHOWマッチ - Wikipedia

 

其の番組はまさに昔の番組で其れを見たのはおそらく80年代後半のことでせう。

其の折に欧羅巴ー其れも伊太利亜だったか?ーのとある骨董店でレポーターが金張りでもって八角軸の大きな萬年筆を見せて貰うのです。

 

其れが「Montblanc」製であったことなどもまた覚えて居る。

其のアンティークの「Montblanc」は「メディチ限定万年筆」以上に魅力的に視えた。

 

ですが当時はまだ「メディチ限定万年筆」など出ては居らずよって暫くはそんな古い萬年筆こそが「理想の八角軸」でこそあった。

其の後「メディチ限定万年筆」や「Montegrappaの八角軸の万年筆」と出合うこととなる。

 

「理想の八角軸」での万年筆はさうして次第に頭の中より抜き出され現實化して行ったのです。

「Montegrappa」の金銀製八角軸の限定万年筆に就き語る 1ー「あくがれ」でありまた「理想」としての八角軸の万年筆ー

「Montegrappa」の金銀製八角軸の限定万年筆に就き語る 1ー「あくがれ」でありまた「理想」としての八角軸の万年筆ー

 

 

 

 

さて使い始めたばかりの「Novelli Augusta」はどうも個體的に調子の良い物のやうで其の使用感が素晴らしい。

🖋は其の「個體的に調子の良い物」を得ることがなかなかに難しい。

 

尤も所謂「手作り万年筆」ではペン先部が「調整」されることでむしろ初めから書き易くしてあったりもする。

無論のことソコには所謂「職人技」が発揮されるのだが個人的にはむしろそんな「人為的な加工」のやうなものをまずは嫌う。

 

要するに自分は万年筆のコレクターとしてもまた其の「気難しさ」が壱級品なのでみんなが良いと思うことがダメなことでまた自分が頑固に自己流にてやることがむしろ良いこととなる。

おまけに彼が高知能者である可能性が高まって來たのでもう何を言うか分からん程だ。

 

そんな危ない筆記詩人はしかしながらあくまで万年筆に「美」をこそ見詰めて御座る。

彼筆記詩人は兎に角何でも感度高く事象を見詰めるので全然「普通」の見方をして居ない。

 

然し筆記詩人はついこないだ弐束参文にてタグ・ホイヤーの限定腕時計を売って仕舞った。

だから正直ヘコんでも居る。

 

なら「角型ー正方形ー」の腕時計でしかも緑色の奴はないものかとアマゾンにて探すもそんなもんが出て來る筈も無い。

ところが、だよ、ところが其れが「TEMU」の方には有るではないか。

 

だから其れを買おうとして居るところだ、値段は大體参千円程。

兎に角腕時計ではロクなことがない。

 

其れは自分と腕時計との相性が惡いのである。

どだい「時間」を勝手に決めて其の通りに動くのはまさに文明による暴挙であらう。

 

「時間」なんぞ本質的には「分解」でありそんな等速直線運動みたいなものではまさか非ず。

「時間」なんぞ「時計」とはまるで関係の無い働きで要するに其はかのアインスタイン博士がかって述べた如くに「相對的」なものだ。

 

だから「ブラックホール」に落ちると落ちたアナタには其れが壱瞬であれ我我地球人には永遠にアナタがソコへ落ちないやうにさえ見ゆる。

腕時計はだから何やらウザい。

 

だが嫌いでは無い。

例えばコレなんぞは素晴らしいな、實のところ欲しいなとは正直思います。

 

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「ロレックス ディープシー」24年新作腕時計、初の18ctイエローゴールドケースにブルーダイアル (msn.com)

 

また此の種の腕時計の記事なども見ないではない。

が、あくまで個人的に高級な腕時計には縁が薄い。

 

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さて此れ等は所謂「チプカシ」ですが此の靑文字盤と黑文字盤の同じモデルを弐つ同時に自分は使います。

 

1.安くて確か

2.百米防水付き

3.拾年電池付き

 

とのことで惚れ込んだ「チプカシ」でありすでに共に弐代目です。

何故なら我は腕時計を失くすことがあるのでさうなる。

 

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こちらを買おうかとも思ったがどうも面白くは無い。

 

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嗚呼、コレだ!

とさう思うのですが何せ値段が高い。

 

どだい腕時計は参千円位迄です。

何故なら壱萬も出せば良い🖋が壱本買えるので。

 

 

さて🖋の角軸は「洒落筋」での🖋趣味となる。

そんな🖋の角軸をあえて集めるやうな人はまず世間に居ない。

 

ですが今思えばまさに其のことを自分はして來ても居た。

また現在欲しい万年筆もほぼ其の全てが「角軸」となる。

 

どだい腕時計でもさう正方形や六角形の意匠の物こそが好きなのだ。

またインク瓶にせよ筆筒にせよ何でも其の「角型」こそが好きなのだ。

 

自分のパーソナリティ其のものにもしや其の「カド」が多いのだらうか?

まあさうかもしれぬ。

 

「コノ文明はそもダメ、アカン」などと云う人に穏やかな心の人=〇の人が居る筈が無い。

 

さて本日は昨夜から引き続いて🖋の整備を行って居たところである。

 

4.「角軸」の🖋の間で金ペン先を交換した

5.其れは「ファーバーカステル」と「モンテグラッパ」となる。

6.金ペン先は「Omas」及び「L.E.Watermanの7号ニブ」となる。

 

「Omas」の18金ペン先は現代の物となるが壱般に「上級マニア」の間で好まれるものとなる。

「Omas」の18金ペン先は細長く筆記感が「軽快」であり現代の万年筆の金ペン先とは向いて居る方向性がそも違う。ー其のやうにも感ぜられるー

 

其の「Omas」の18金ペン先を「ファーバーカステル」の方に半年程付けて居たがどうも上手く固定されない。

「モンテグラッパ」の方も「L.E.Watermanの7号ニブ」が今ひとつ合わない。

 

そんな場合にはペン先を交換すると良くなる場合がまたある。

 

また万年筆のペン芯は「エボナイト製」の方がより好ましいので現代の万年筆の場合はペン芯もまた交換する方が良い場合がある。

だがペン芯や金ペン先の變更は難しいので中級以下の愛好家は手を出すべきではないことだらう。

 

自分などもまた完璧に其れがやれる訳では無く但し時の流れと共に曲りなりにも其れがやれるやうになっただけのこと。

 

 

さて金ペン先の交換自體は上手くいった。

だが「モンテグラッパ」の方のペン芯が何と折れて仕舞った。

 

が、折れてもどのみち其の侭では「Omas」の18金ペン先の固定がやれぬのでペン芯は替えて置かねばならん。

とりあえずは何とかサイズが合うペン芯を部品の中より選び出しソコへ「Omas」の18金ペン先を宛がうと上手い具合に固定された。

 

ところがペン芯と18金ペン先の間に隙間が生じて仕舞った。

其のことは「万年筆」としては致命的なことながら「付けペン」として使用出來ぬ訳でもまた無いのである。

 

熱湯に浸けるなどしてペン芯を變形させ「万年筆」化する作業はまたいずれやれば良いことなのだ。

 

ではとりあえず「付けペン」にて書いてみやう。

 

…サリサリ。

うーん、とても良く合って居る。

 

其れがMサイズであり何故かヴィンテージ・テイストの感じられる書き心地に仕上がった。

 

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其の「モンテグラッパ」とはこちらのモデルとなる。

おそらく90年代に入手した物だらう。

 

故にすでに四半世紀程も使い込んで居る筈なのだ。

だが其の「銀製軸」はヘタるどころか益益美しく黑ずんで來て居る。

 

さう「銀製軸」の🖋はさう経年變化にて黑ずむ。

だが其れを磨いたりしてはならない。

 

むしろ其の「黑ずみ」の様が味となるのだ。

勿論磨けば磨いたで新品の如くにピカピカとならう。

 

故に経年變化が樂しめる「銀製軸」の🖋こそが「素晴らしい🖋」と言えるのである。

また其の「銀製軸」の🖋は伊太利亜に多く有り特にかっての「Montegrappa」には多く有った。

 

 

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此のモデルは「レミニッセンス」と呼ばれるモデルで其れを90年代の初頭だったかに初めて入手した時の感動をいまだ忘れられぬ。

此れは小振りの銀製🖋だが八面體であり何より御洒落である。

 

また「グリーク・キー」と云う文様が其の軸には刻み込まれて居る。ギリシア雷文 - Wikipedia

其のギリシア⚡文が中華🍜の中華模様と同じかどうか迄は我も分からねど。

 

「レミニッセンス」のペン先は小振りながらかっての🖋の強い金ペン先の筆記感を残すものとなる。

故に書いてみて現代の万年筆のまったりした感じの書き味では無くシャカシャカッと云う感じにて書くことが常に可能となる。

 

だが「レミニッセンス」は小振りの🖊なのでやがて好みには合わなくなり手放して仕舞う。

 

其処で手に入れたのがプレーンの銀製軸である先のモデルとなる。

さて此の「Montegrappa」の銀製軸をもうどんだけ使って來しことか。

 

されどいまだ現役でありいや其ればかりか現在最も大事な🖋ともなりつつある。

尚當時は確か弐、参萬で入手出來たと思いますが正確には調べてみないと其れも分からず。

 

ところが、である。

ところが此の🖋は「重め」なのだった。

 

さう「Montegrappa」の銀製軸は此のモデルに限らず「重め」なのだ。

だが自分に限り「軽め」の🖋が好きな訳です。

 

ではどうしたか?

首軸其の物を替えたのだった。

 

其れも同じ伊太利亜の「スティピュラ」の🖋の首軸に替えた。

すると其処から全てが良くなった。

 

ではついでに金ペン先も替えて仕舞え。

とのことでヴィンテージの「L.E.Watermanの7号ニブ」を付けて居たが其れが本日の作業にて「Omas」の18金Mペン先へと交換された訳でした。

 

 

尚通常タイプの「Montegrappa」の18金ペン先は「Omas」の18金Mペン先のやうにヴィンテージ・テイストがある訳では無くむしろ思い切りに現代の万年筆らしい書き心地がするものとなる。

無論のこと其れもまた惡くはないのでありますが此のオールド・スタイルでの「八角銀製軸」の場合は書き心地の方も出來得ればヴィンテージ・テイストへと統壱してみたいところである。

 

ではいま壱度其れでもって書いてみやう。

ううむコレは凄いぞ。

 

もうコレは「たまらない」書き心地がして居るぞ。

しかもプラチナでもパイロットでもまたセーラーでも無い書き心地だ。ー當然のことながらー

 

またモンブランでもペリカンでもゾネッケンでも無い書き心地だぞよ。ー當然のことながらー

其れはでも所詮アンタの改造🖋の話ではないか!

 

いいやさうでは無い。

さうでは無く紛れも無くむしろコレこそが「Montegrappa」の書き心地ぞ。ーさう彼はすでに「Montegrappa」との付き合いが長く凡そ参拾年にもなるー

 

當時より「Montegrappa」は自分に取り「あくがれの欧羅巴」其のものであり且つ「藝術の都伊太利亜」其のものなのだった。

そんなアナタが何故伊太利亜を訪れて居ないのか?

 

何故なら自由になる金を全部伊太利亜の🖋に注ぎ込んで居たからなんだ。

ひゃあ、其れは凄い。

 

どだい伊太利亜観光の旅へ出れば其処にて弐、参拾萬はまずかからう。

ならば其れをこそ伊太利亜の万年筆に注ぎ込まずしてどうする?

 

もしやアナタは🗾壱の伊太利亜🖋フリークなので?

まあさうかもしれんのう。

 

だからイタリアンの🖊との付き合い方ならばまずはワシに聞いてちょ。

聞いてちょ?

 

うん、聞いてちょう、とも言いますまさに其れが名古屋弁だわ。

 

7.個人的にさう「万年筆の完成期」にすでに入った

8.なのでか万年筆のことで何をやっても何故か上手く行く

9.「角軸」のことは何せまだ半分位しか書けて居ないので「長期休暇」が終わったら必ずやまた書かせて頂く

 

ではもう壱本の「ファーバーカステル」の方もまた其の折に語るのですね。

いやたった今語って置かう。

 

まずコレは凄いぞ。

さてもどう凄いのでせう?

 

コレこそは「究極の角軸万年筆」だ。

でも毎回そんなのばかりですよ。

 

だから毎回間違い無く「究極の角軸万年筆」なのだ。

 

 

ちなみに昨日「敬老手帳」が名古屋市より届きました。

うわあー、ジジ臭い話で。

 

馬鹿者!

まずは御年寄りを敬いつつ「万年筆道」に邁進せずしてどうする?

 

だから「寄付」こそが万年筆愛好家の壱大事となる。

そんな御年寄りの万年筆愛好家に對しまずは「寄付」をこそ其れも熱心に行うべき。

 

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かうして「Montegrappa」は何かと角軸が好きなやうだ。

角軸と言えばかのOMASなども明らかにまたさうである。

 

さうして意匠に拘り「美的感覚」に優れる面こそが伊太利亜の🖋の眞骨頂での部分となる。

 

 

Yahoo!オークション - Montegrappa 限定万年筆 The Dragon 1995 Silver

 

が、「Montegrappa」の🖋はそんな角軸ばかりなのでは無くかうして「變」な物などもまた有る。ーしかも「變」なのに頗る高価でありますー

其の種の「Montegrappa」の變な万年筆に自分などはもうどんだけ悩まされて來しことだらう。

 

其れも大抵はセルロイドが腐るので万年筆としては命を終えることとなるがでも銀製や木製軸の場合には腐らぬので結果として生き残ることとなるのである。

其れもまた銀製の八角軸などは🖋としての「ハイ・エンド」な御品となることはまず間違い無からう。

 

尚銀製軸はピカピカにも出來逆に硫黄などを利用し硫化させるー黑化させるーことが常に可能となる。

其れも「湯の花」なるものを使えば銀軸を黑軸にすることなどもまた出來るのだった。ーかって南米製の「L.E.Waterman」のEDをさうして黑化したことがあるー

 

ではとって置きの画像を貼り付けて置きます。

此処での赤い首軸の金銀製軸モデルが「Montegrappa」の「Special Reserve」限定🖋です。

 

美しい金銀製八角軸の限定万年筆

個人的に最後の現代の万年筆となりさうな「Novelli Augusta」ー伊太利亜製の万年筆の尽きせぬ魅力と其の危うさとー

個人的に最後の現代の万年筆となりさうな「Novelli Augusta」ー伊太利亜製の万年筆の尽きせぬ魅力と其の危うさと 2ー

 

 

 

 

さて其の「Novelli Augusta」は壱本を拾年程使い挙句に軸が腐り壱本のみが残った。

其の最後の壱本を本日ー四月十一日ーより使い始めた。

 

10.筆記全長175mm、筆記重量41g、重心位置7對3ー高重心ー

11.軟らかい18金ペン先付きーBサイズー

12.眞空吸入によりカンタンにインクの補給が可

 

さうしてまずは大柄の🖊となりまずはソコが自分に合う。

但し自分には若干重い。

 

ペン先は新型の方のヴィスコンティ・ニブながら相變わらず「書き心地」の方は優れて居る。

例えば🗾の万年筆や独逸の🖋よりも筆記感がソフトである。

 

またオマス・ニブにもコアなファンの方方が其れも世界的に居られるが其のオマス・ニブの「書き心地」の方もまた優れて居る。

但し本質的には「戦前の鍛金ペン先」の方が其れもずっと優れて居るだらうことは否めない。

 

現代の万年筆の金ペン先はほぼ「牙を抜かれた紛い物」の如きものなので万年筆の上級レヴェルの方方には???ともまたなり易い。

だが自分に限り「両方」行くのでむしろ余り気にならない。

 

が、21世紀製の万年筆の書き心地はむしろ其の全てが嫌いなのだ。

其れに21世紀製の文明の方もまた其れと同様に嫌いなんだ!

 

そんなアナタはもしや「隠れ」伊太利亜人なのでは?

まさか、どだい最近はカレー饂飩ばかりを食ってますし其れもピッツアなどはもう半年位食えて居ない。ー何せ値段が高くなかなか買えぬー

 

ではスパゲッティは?

 

其のスパゲティは好きですが調理が面倒ですのでカレー饂飩の方がカンタンだし其れに腹持ちの方も良い。

でもカレースパゲッティなどが矢張りと言うべきかむしろ壱番好きである。

 

 

13.伊太利亜産の「セルロイド軸」は此処🗾の「高温で多湿」な環境に馴染まない

14.故に「セルロイド軸」の伊太利亜の🖋は基本的に避けるべき

15.だがさう言いつつもあえて我は其の伊太利亜製の「セルロイド軸」の万年筆を現在頻繁に使うー最も良く使うー

 

伊太利亜産の「セルロイド軸」は水分と反応し「分解」するのでやがては軸がボロボロと化す。

さらに腐食瓦斯を発生させ其れが他の金張りや銀張りの🖊をも腐食させるに至る。

 

故に細心の注意を払いつつ其れを使わなければならない。

ー通気の良い処に置き兎に角なるべく乾燥した状況にて使い且つ保存することー

 

高級さ⇔低級さ

藝術的価値⇔サイテーの価値

 

まずは其の価値上の弐元分裂のことを特に🗾人は知って置くべきことだらう。

我我🗾人の顔や考え方にはそも幅が無い。

 

要するに価値観が多様では無くむしろ同壱牲ー同質性ーの中にこそ生きて御座る。

對して欧米流の認識は明らかに両義的であり且つ弐項對立ー闘争ー的なのだ。

 

また其のことは欧米の生んだ所謂「藝術」の世界にもまた見られることではないか。

高校時代以降「マラルメ」に代表される象徴主義文學の世界に傾倒せし自分はむしろ其の「弐項對立」の世界を頭の中のみで泳ぎ切って來たのだと言える。

 

と申すのも伊太利亜にもまた仏蘭西や独逸にも行ったことなどは無い。

だが存外に其の欧羅巴の「精神」をかうして独自に理解して來ても居る。

 

 

よって伊太利亜の万年筆がブッ壊れるのは不思議でも何でも無くまさに「アア、さうか。」との感じである。

だから壊れれば壊れたでまた部品が取れるではないですか。

 

ちなみに多い時は参本も有った「Uffizi」はすでに全滅して居るが「Novelli Augusta」の壱本はかうして「未使用」の侭で生き残った。

尚其の後Viscontiからは八角軸の万年筆が其れも多く出て居るやうだ。

 

ビスコンティ メディチ ゴールドトリム 万年筆 Visconti Medici Radica Fountain Pen (ilduomo.jp)

ビスコンティ メディチ ルテニウムトリム 万年筆 Visconti Medici Radica Fountain Pen (ilduomo.jp)

 

其の角軸の「メディチ」と言えば普通はかのモンブランの「メディチ限定万年筆」のことながら實はかうしてヴィスコンティからも最近出て居るのです。

しかも「藝術的意匠」に凝りまくるアノヴィスコンティのことですので其の拘りの程がそも半端では無い。

 

かうして「メディチ限定万年筆」はむしろ現在のヴィスコンティ製の方が「其れらしく」も見えるとのこととなる。

また實はもう壱つ話のオチがあり其れは昔ー廿年程前ーに「ラグライム・メディチ」と云う素晴らしく藝術的な意匠のヴィスコンティ製の🖊が有ったのです。

 

無論のこと其れを自分は持って居りますがおそらくは其れこそが史上最高での小振りの限定万年筆です。

 

 

ビスコンティ 限定生産品 イル・マニフィコ エジプシャンマーブル 万年筆 Visconti Il Magnifico Egyptian Marble Fountainpen (ilduomo.jp)

 

コレなどもまた凄いねえ。

其れも何と「大理石」軸ではないか!!

 

ビスコンティ ディヴィーナ エレガンス ウェイヴ 万年筆 Visconti Divina Elegance Wave Fountain Pen (ilduomo.jp)

 

コレに五年程前につい引っ掛かりさうになったことがある。

つまりは半分位欲しいと思ったことがある。

 

ビスコンティ ミラージュ ミュトス アテナ ターコイズ 万年筆 Visconti Mythos Athena Fountain pen (ilduomo.jp)

 

コレなどもまた角軸か?

また「女神」様がさうして出て來る。

 

其れ即ち希臘の神神は西洋文明の基本とならう。

 

Visconti Medici Dynasty Edition Maxi Oversized Black Basilica Fountain Pen | eBay

 

此の黑の「メディチ」などにも實は興味がありました。

ところが現行の🖋は世界的に値上がりして居り其のドレもがバカバカしいやうな値段が付けられて居る。

 

ソコはむしろ九拾年代の方がまだしも「まとも」だった。

当時はかのモンブランの「メディチ限定万年筆」でさえ問屋で買えば此れ等より安く手に入ったものだった。

 

Visconti Medici Black Au-pl-trim O/S Fountain pen 23kt Med nib MIB | eBay

 

かう安くてもまだ高い。

万年筆は廿、参拾年前の方がむしろ価格的に安かった。

 

と云うことは「万年筆」其のものが壱部の富裕層の為の物となった感が強くする。

また日本人の手取り所得はむしろ90年代より額が下がって居る。

 

なのでまた余計にこんな万年筆の値段の高さが気になる訳だ。

いずれにせよ其の万年筆界の凋落振りとはまた別に伊太利亜ヴィスコンティ社の「美への拘り」振りダケは大したものです。

 

またヴィスコンティはむしろ昔からさうでしたのです。

ヴィスコンティは🗾や独逸のメーカーのやうに「實用」だの「確實」だのと云うことをそも考えては居ない。

 

だからまずは「美的価値」こそが第壱なのだ。

 

でもって個人的に此の参拾年余りに亘る🖋遍歴の結果とりあえずは現代の万年筆を捨て去りましたのですが逆に近年「伊太利亜物」としての「ヴィスコンティ」と「オマス」

が復活するに及び其のことはもはや明らかに「伊太利亜🖋の逆襲」とさう言い換えても良いやうに思うのだ。

 

ヴィスコンティ 日本公式サイト (europassion.co.jp)

 

先にも述べたやうに、「美」を基準とするか其れとも「實用性」や「確實性」を基準とするかで現れる物のあり方はまるで變わります。

特にヴィスコンティのやうな「万年筆のコレクター」が設立した會社は90年代當時其の「美」の追求に関し素晴らしかったが「万年筆を製作する能力」の点でむしろ劣っても居たのだらう。

 

ですがあくまで個人的に現在のヴィスコンティよりも90年代~21世紀初頭の頃の品の方が「夢」が感ぜられて良い。

さらに言えば其のヴィスコンティ製の「Novelli Augusta」のセルロイドカラーなどはヴィンテージ・ウォーターマンーパトリシアン・モデルーに於ける靑と茶のマーブル色を模したものである。

 

また「Novelli Augusta」の弐連キャップバンドは何と金製となる。

 

尚「スターリングシルバーにロジウムメッキ」の軸の「Novelli Augusta」ー4本限定ーと云うモデルのことは今回初めて知りましたのです。

伊太利亜の🖋はむしろ木製や銀軸の物が良い。

 

ですので其の銀製軸の「Novelli Augusta」が例えば自分に取り「史上最高の限定万年筆」となった可能性などもまた大いにあります。

うーん、ソレ、まだ有る?

 

まだ有るの?マルコさん。

でもうーん、どうもイカンな。

 

何が?

いや其の「銀製のNovelli Augusta」が。

 

もしやソレをアノ羅馬のマルコ氏に探させやうとして居ますね。

何故其れが分かりましたか。

 

 

そんな訳で伊太利亜物の🖋はほぼ「感性」の方でもって樂しむものなのです。

よって壊れやうが部品にならうがまさに其れが壱つの「個性」の範囲なんだ。

 

すると伊太利亜物の🖊の世界こそがもしや最もdeepな万年筆愛好の趣味となるのでは?

勿論其の通りでのこととなる。

 

だから伊太利亜物の🖊を金輪際バカになどして居てはならない。

いやあまた凄い「肚の座り方」でもって…。

 

ちなみにこちらは地元の伊太利亜物万年筆の専門店です。ー恵那市の店ー

 

Il Duomoについて Il Duomo イル・ドゥオモ | イタリア万年筆や高級筆記具の販売  

 

こちらはかうして現地伊太利亜にバイヤーを置くなどして明らかに「根性」が入って居ます。

まあわたくしも廿年前ならば此処などを利用したかもしれません。

 

伊太利亜物の🖊も今の物は自分が述べました程に壊れはしないと思われるが兎に角概して高価となる。

また概して面白みの方が薄くもなって居る。ー例えば「STELLA」みたいなゲージツ的🖊はもはや出やうが無いことでせうー

 

 

Visconti STELLA

 

タグ・ホイヤー24年新作、“スクエア型”の軽量防水腕時計「モナコ スプリットセコンド クロノグラフ」 (msn.com)

 

ありゃこんな物がまた出て…。

まあですがもう時計は要らんので自分は筆記具ダケで良いのです。

 

兎に角「Novelli Augusta」は美しく書き易い🖊です。

ですが部分的に交換するとすれば金ペン先とペン芯でせう。

 

其れを戦前の金ペン先とエボナイトペン芯にでもすれば「究極の八角軸」が或は誕生するのやもしれません。

個人的に最後の現代の万年筆となりさうな「Novelli Augusta」ー伊太利亜製の万年筆の尽きせぬ魅力と其の危うさとー

個人的に最後の現代の万年筆となりさうな「Novelli Augusta」ー伊太利亜製の万年筆の尽きせぬ魅力と其の危うさと 1ー

 

 

 

 

さて長期休暇に入る前に🖋のことを壱本だけ是非述べて置かう。

特に最近は「文明嫌い」なのがより酷くなり自分の中での所謂「加工品」に對する評価がまた壱段階位下がったので其の分石の話が多くもなって居る。

 

「Sirius氏に取っての最後の現代の万年筆」

 

其れはさう述べても良いことだらう御品となる。

 

彼Sirius氏はそんな「現代の万年筆」に於いてもありとあらゆることをすでにし尽くして來た。

彼はあらゆる限定🖋を此れ迄に手にしさうして使い込んでもまた來た。

 

特に九拾年代の限定万年筆に於いて豊富な知識と経験を持って御座る。

要するに九拾年代の限定万年筆に於いて彼の右に出る人はまず居ない。

 

そんなSirius氏は21世紀に入ると「筆記思想」を転向し右翼から左翼になった。

いやさうではなかった。

 

Sirius氏は21世紀に入ると「筆記思想」を転向しそんな「限定万年筆マニア」から「古典の萬年筆マニア」へと華麗なる転身を遂げたのだった。

つまりは戦前~廿世紀初頭位迄の所謂ヴィンテージやアンティークの萬年筆のマニアとなった。

 

 

まずは其のことが「普通の愛好家」にはやれぬことである。

「普通の愛好家」は其れ其れに皆泳ぐ「場」を持って居り其の範囲の中でコレだアレだとさう万年筆を批評するものなので其れ即ち了見が狭い。

 

でも彼Sirius氏に限りそも變わってる。

要するに常識的な人では無いので何をやるか分からぬ。

 

何をやるか分からぬので怖いのだとも言えやうが反面何でもやれるので観て居る方は頗る面白い。

でもって彼Sirius氏は結局万年筆を「哲學」した。

 

ソコはまあ彼のことだから最終的に🖋は彼の哲學的思考の俎上に乗せられソコにて何でも切り刻まれつまりは「裸」にされて仕舞う。

もしや彼はそんな「裸」フェチなので?

 

さうなの、さうして何でも彼に正體を見破られて仕舞うの。

だから何でも「お見通し」になって仕舞うの。

 

なので文明も万年筆も全部がスッ裸とされ彼の高度な理性の力の前に引き摺り出され最後には必ずやバカにされて仕舞う。

…全くイヤな奴だ。

 

まあさうですね、其のイヤな奴とのことこそがSirius氏が持つ本性の部分でせう。

 

 

さて「Sirius氏に取っての最後の現代の万年筆」とは何か?

其れはメディチ限定万年筆でも無くペリカンM1000でも無くまたPILOTの大型漆モデルでも無くまたプラチナ70やプラチナ80でも無い。

 

では其れは何ですか?

其れがズバリ「Novelli Augusta」です。

 

でもそんなもん誰も知りませんよ。

当然でせう。

 

其れは世界限定参百本の「特別な限定品」なのだから。

其れもおそらくは此処🗾に五本も無いことだらう。

 

いや🗾に有るのがコレ壱本である可能性が77パーセント程も有らう。

 

1.セルロイド製の八角

2.伊太利亜ROMAのショップNovelliの限定万年筆ーノヴェッリ・ペン&パイプの創業50周年記念万年筆ー

3.プランジャーフィラー

 

其れは美しいセルロイド軸の限定万年筆となる。

しかも八角軸の万年筆となる。

 

するとレアーな角軸モデルとのことなのですね?

さう筆記具の世界で最も得難いのが其の角軸の御品となる。

 

ところが鉛筆や芯ホルダーではむしろ其れが普通の意匠となる。

また事務用のボールペンなどもむしろ其れが普通の意匠となる。

 

だが万年筆や銘木ボールペンでは「面取り軸」である「角軸」が常に最もレアーなタイプとなる。

なる程、故にアナタは其の「角軸」を好んで集められて居た訳ですか。

 

いやより正確には徹底して其れを集める迄には至らなんだ。

特に万年筆や銘木ボールペンの「角軸」はまずモノが出ないのだし出たにせよいつも其れが得られるとは限らない。

 

要するに入手する機會其のものが少ない故に最も難しい蒐集分野なのだともまた言えやう。

昨年は其れでも何とか壱本だけ日本の古い八角萬年筆を得て居るが他の弐本は逃して居る。

 

また中屋萬年筆などにもそんな「角軸」が有る。商品一覧・中屋万年筆 (nakaya.org)

其れが「拾角」モデルだがすでに売られて居るかどうか分からない。

 

物は急に販売が打ち切られたりもまたする訳なので欲しいと思う時にすぐに動かないと得られぬこととなる。

まさに其の点では石でもまた筆記具でも同じであり得られるかどうかは「縁」次第となる。

 

 

Visconti Novelli Augusta 50 Anni for today! : r/fountainpens (reddit.com)

Visconti Limited Edition Augusta Novelli 50th Fountain Pen - Chatterley (chatterleyluxuries.com)

 

「Novelli Augusta」は極めてレアーな限定万年筆となるがいまだかうしてネット上に情報が出て來る。

其れは此の🖊に惹かれた人が當時壱定数居たからなのかもしれない。

 

當時Novelliショップの常連客だったわたくしもまた其の壱人である。

 

4.2005年迄に「Novelli Augusta」を弐本求めた

5.其れはある意味で「究極」の限定万年筆だった

6.但し其れはVisconti製となる

 

In 2000, Marco and his dad, Augusto, started the planning of a pen to celebrate the 50th anniversary of the thier store, Novelli Pen & Pipe.  The resulting pen, the Augusta had two main influences. Marco liked a pen Montegrappa had created, the Reminiscence, with a eight-side faceted body. Augusto liked a blue and bronze celluloid that was once used in one of the original Waterman Patrician pens released in the 1920s.

Together, they worked with the Italian pen manufacturer, Visconti, to create the Augusta fountain pen. Up to this point, Viscount had not produced an faceted pen, and this would be their first.

Karen and I first met Augusto in 1997. He wrote with a great offer: come to Rome and he would take Karen and I out to lunch. Why not! We enjoyed meeting him and he showed us the extensive collection of pens at the Novelli store. At that time, the store was actually located across the street from its present location. It was smaller, and I remember Augusto bringing tray after tray of pens from the back room. Of all the pens we say, we ended leaving the store with the Waterman Etoile Man 100 in sterling silver. We may have seen his son Marco, was working in the office upstairs accessed by a ladder from the store.

We returned to Rome in 2001 and received the sad news that Augusto had passed away. Marco, showed us many pens, including the Visconti Novelli Augusta pen. A Limited Edition, 300 fountain pens. I did not select the pen at that time, and I ways regretted that decision. Over the following years I would see one become available from time to time on e-bay, but I was never able to get the pen with the nib I wanted.

On our 2015 visit to Rome, Marco showed me a new release of the pen. Visconti had asked if he wanted to use of the remaining stock of celluloid they had. I quickly made the decision to acquire the Augusta pens. The pen produced in the original stunning celluloid was produced in two versions. One version had 24K gold trim. There were 300 pens produced. Some of this run were made available to pen stores outside of Italy. A second version was produced with sterling silver rhodium plated trim, and only four were created. Sterling silver and celluloid is a draw to me, and I have pen IV or IV.

How is the pen? Light to hold as the body and cap are made of celluloid. It is a large pen in size - 5 1/2 inches when capped and 6 3/4 inches when posted. It fills with a power piston filler mechanism and there is a clear ink view window to show the status of ink in the chamber. There is a double reserve ink chamber so ink can transfer to a second chamber for flights.

The pen has an incredibly smooth 23kt gold palladium nib. My pen has a Broad width, and it lays a solid line of ink on the paper.

Novelli Augusta - Glenn's Pens - Pens of Note (glennspens.com)より

2000年、マルコと父親のアウグストは、ノヴェッリ・ペン&パイプの創業50周年を記念してペンの企画を始めた。 その結果、アウグスタというペンが誕生した。マルコは、モンテグラッパが作った8面体のボディを持つペン、レミニセンスが好きだった。アウグストは、1920年代に発売されたウォーターマン・パトリシアンのオリジナル・ペンに使われていたブルーとブロンズのセルロイドが好きだった。
二人はイタリアのペンメーカー、ヴィスコンティと共同でアウグスタ万年筆を作り上げた。それまでビスコンティは切子の万年筆を製造しておらず、これが彼らの最初の万年筆となる。
カレンと私は1997年に初めてアウグストに会った。ローマに来れば、カレンと私をランチに誘ってくれるというのだ。どうして?私たちは彼に会うのを楽しみ、彼はノヴェッリの店にある豊富なペンのコレクションを見せてくれた。当時、ノヴェッリの店舗は現在の場所から通りを挟んだ向かい側にあった。その店はもっと小さくて、アウグストが奥の部屋からペンをトレイに次から次へと運んできたのを覚えている。私たちが言ったすべてのペンの中で、私たちはスターリングシルバーウォーターマンエトワールマン100を持って店を後にした。息子のマルコは、店から梯子で上がれる2階の事務所で働いていた。
私たちは2001年にローマに戻り、アウグストが亡くなったという悲しい知らせを受けた。マルコは、ヴィスコンティ・ノヴェッリ・アウグスタのペンを含む多くのペンを見せてくれた。限定300本の万年筆だ。その時、私はそのペンを選ばなかった。その後数年間、e-bayで時々入手できるのを見かけたが、私が欲しかったペン先のペンを手に入れることはできなかった。
2015年にローマを訪れた際、マルコはこのペンの新発売を私に見せてくれた。ヴィスコンティは、残っているセルロイドの在庫を使いたいかと尋ねてきたのだ。私はすぐにオーガスタのペンを手に入れる決断をした。オリジナルの見事なセルロイドで製造されたペンは、2つのバージョンで製造されました。1つのバージョンは24Kゴールドのトリムが付いていた。300本生産されました。そのうちのいくつかは、イタリア国外の筆記具店でも販売されました。もう1つのバージョンは、スターリングシルバーにロジウムメッキを施したもので、わずか4本しか作られなかった。スターリングシルバーセルロイドは私にとっては魅力的で、ペンIVかIVを持っています。
ペンはどうですか?ボディとキャップがセルロイドでできているので、軽い。サイズはキャップ時で5.5インチ、ポスト時で6.3/4インチと大きめです。インクの充填はパワーピストン式で、インクの残量が一目でわかるように、インクの残量表示窓が付いています。ダブル・リザーブ・インク・チャンバーがあり、フライト用にインクをセカンド・チャンバーに移すことができる。
ペン先は驚くほど滑らかな23金パラジウム。私のペンはブロード幅で、紙の上にしっかりとしたインクの線を描くことができる。

ーDeepL.com(無料版)で翻訳しました。

 

 

其のマルコ氏と當時自分は懇意になって居た。

のみならずNovelliショップから多くのペンを買い入れても居た。

 

特に凄かったのが「Uffizi」と云うViscontiの限定万年筆であり其れはまさに「夢のさ中」の如き御品であった。

「Uffizi」とはかのウフィツィ美術館 - WikipediaのことをモチーフにしたViscontiの限定万年筆作品だった。

 

さうして万年筆が「作品」化するのである。

「Uffizi」は90年代初頭の紛れも無きViscontiによる「工芸作品」なのだった。

 

伊太利亜の🖋メーカーは兎に角そんな「作品」化を万年筆に於いてしたがる。

つまりはさうして藝術的感度と言うか感性に優れる國なので何でもゲージツ方面へと持って行きたがるらしい。

 

だが本日はあくまで「Uffizi」では無く「Novelli Augusta」のことを述べるに留めて置きたし。

 

 

Novelli is one of the most important and well-renowed pen shops in Italy.

It is known and appreciated worldwide ever since its founder Augusto Novelli started to travel to attend the most important US and European pen shows.

Augusto Novelli and his wife were able to boost their family business far beyond the city of Rome. Their son Marco confirmed the family tradition as he was one of the first Italian shop owners to go online and have a great success at international level.

Over the years Novelli commissioned a number of limited editions to the major Italian pen makers and they all were widely appreciated by the public.

In 2001 Novelli celebrated it first 50 years of activity and they commissioned Visconti with the creation of a special pen, called Augusta, to honor Augusto Novelli's activity.

The pen was manufactured in one of the most precious and desirable celluloid colors: blue and bronze, to recreate the contrast typical of lapis lazuli stones.

The celluloid used for the Augusta is the same as the one Visconti used for the Titanic and the Didgeridoo.

https://www.tenpen.it/product/visconti-didgeridoo-prototype

This Novelli Augusta is unused and it is fitted with an M nib.

It is an assertive pen, equipped with the famous Visconti filling mechanism which guarantees a very large ink capacity.

The pen is pre-owned but in pristine condition.

NOVELLI AUGUSTA - LIMITED EDITION | Tenpen - By Letizia Iacopiniより

ノヴェッリは、イタリアで最も重要で定評のある筆記具店のひとつである。

創業者のアウグスト・ノヴェッリがアメリカやヨーロッパで開催される最も重要なペン・ショーに出席するために旅するようになって以来、ノヴェッリは世界的に知られ、高く評価されている。

アウグスト・ノヴェッリと彼の妻は、家業をローマ市内だけでなく、遠く離れた場所にも広げることができた。息子のマルコは、イタリアで初めてオンラインショップを立ち上げ、国際的に大成功を収めた。

長年にわたり、ノヴェッリはイタリアの主要な筆記具メーカーに数多くの限定版を依頼し、そのすべてが広く一般に評価された。

2001年、ノヴェッリは創業50周年を迎え、アウグスト・ノヴェッリの功績を称え、「アウグスタ」と呼ばれる特別なペンの製作をヴィスコンティに依頼した。

このペンは、ラピスラズリに見られるコントラストを再現するため、セルロイドの中でも最も貴重で望ましい色のひとつであるブルーとブロンズで製作されました。

アウグスタに使用されたセルロイドは、ヴィスコンティタイタニックディジュリドゥに使用したものと同じです。

https://www.tenpen.it/product/visconti-didgeridoo-prototype

このノヴェリ・アウグスタは未使用で、ペン先はM。

主張の強いペンで、非常に大きなインク容量を保証する有名なビスコンティの充填機構を備えています。

このペンは中古ですが、きれいな状態です。

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。ー

 

 

7.伊太利亜の🖋は常にブッ飛んで居るーさう藝術的だー

8.さうして常に美しくも脆い物となる

9.伊太利亜と云う國其のものがむしろそんなものなので

 

さて言うまでも無く我が感性に伊太利亜の🖋が合うのはむしろ当然のことである。

即ちゲージツこそがむしろ日常であり逆に「常識」なんぞは見下しだとさう言って憚らぬ御仁がそんな伊太利亜の🖊に嵌まらぬ筈が無い。

 

が、常に認識上の両義者である我は當時独逸の🖊にも同様に嵌まって居りましたのです。

ですので實は其処にて理性の面が独逸の🖊をこそ追い求め同時に感性の面が伊太利亜の🖊をこそ追い求めてやまなんだのです。

 

でもって當時求めし伊太利亜の🖊の多くはほぼ死に絶えましたのです。

では独逸の🖊のみが残ったのか?

 

いえ独逸の🖊は結局東京の店にほぼ売り払い後は僅かな物を残すのみ。

ところが、です。

 

が、残った伊太利亜の🖊は売るのが難しい。

何故なら時間が経つとあれこれとありつまりは壊れるのだから。

 

すると結果的に伊太利亜の🖊がバラバラになりつつも部品として使われ生き残ることとなる。

なので現代の万年筆で使って居るのはむしろ伊太利亜のモノばっかりともなる。

 

其れもヴィスコンティ製の限定万年筆は壱番壊れ易い。

但し九拾年代物に限れば。

 

ところが其の九拾年代物のヴィスコンティ製の限定万年筆に限りまさに「藝術的にレヴェルが高く」有るのです。

 

 

藝術⇔實用

工芸品⇔実用品

 

つまり其処での對立項目が「平準化」されると實は對立其れ自體がうやむやとなり「常識的」なでも魅力の無い物と化して行きがちです。

例えば🗾製の🚙や筆記具はどちらかと言えば「穏やか」に過ぎデザイン的に面白くは無いとさう言われがちでしたものです。

 

其の中ではかってのセーラー万年筆やプラチナ萬年筆が結構個性的ではあったが今や其れもどうなのだらう?

また概して評価の高いパイロット製の万年筆にせよ何せ根が眞面目ですので其れは伊太利亜物のやうにはまさか成り得ない。

 

故にモノはまた「實用」壱本槍でも余り面白くは無い。

だから先の中屋万年筆や笑暮屋、さらに万年筆博士などの所謂手作り万年筆の世界が台頭して來るのである。

 

但し其の「手作り万年筆」の世界もまた価格が高騰し九拾年代迄の感覚ではおしはかれぬものとなって居やう。

 

藝術⇔實用

工芸品⇔実用品

 

其のことは結局のところ現行の万年筆の世界に於いて實現されることの無い對立的価値となる。

ならば其のことがむしろ高いレヴェルにて成し遂げられて居たのは百年以上前の萬年筆の世界でしか有り得ない。

 

とまあ「理想論」として万年筆を論ずればさうならざるを得ぬ。

 

ですがヴィスコンティ製の限定万年筆は壱番壊れ易いが壱種ブッ飛んで居りつまりは藝術的なのだ。

ヴィスコンティと双璧なのがOMAS社の🖋ですがココはすでに會社其のものが潰れて久しくよってオマスの🖊は現在最もカルトな🖊ともなりつつある。

 

個人的には好んで此のOMAS社のセルロイド軸の物を愛好して居る。

其れも現在使うだけでも拾本近く有る。ー銘木軸をも含めるとー

画像詩1 西八幡社の楠の「巨樹」と名市大の「薬草園」とーそんな「植物の季節」の到來に就いてー

画像詩1 西八幡社の楠の「巨樹」と名市大の「薬草園」とーそんな「植物の季節」の到來に就いてー

 

 

 

 

個を具象化する「場の論理」こそが幸せを齎すことーかって「薬草園」にて感ぜられたニンゲンが生きる上での「幸せ」とは?ー

 

 

 

【渾身インタビュー】森永卓郎の ″魂の叫び″「まだ死ねません!日本株はすぐに暴落します!!」 (msn.com)

 

基本的に其の経済だの何だのの話はまさに「物」を観て居ないし「抽象的理念」のやうなものにしがみ付くであらうほぼ「倒錯」でのものの見方でせう。

要するに「資本主義」其れ自體がむしろ「倒錯的理念」其のものなのだ。

 

ですが「資本主義」以前での「物」とニンゲンの関係がダメだったのだとはまさか言えないことだらう。

「物」とニンゲンの関係をブチ壊しにかかったのがむしろ「資本主義」に代表される近代以降の唯物的抽象主義です。

 

其の唯物的抽象主義には具體性がそも無いのでニンゲンの価値やニンゲンの幸福が壱律に抽象化されて仕舞う。

ですが本來ならばニンゲンの価値やニンゲンの幸福はまさに具象的且つ具體的に其の「場」でこそ語られて行くものだらう。

 

其の「場」での實存的価値は「資本の論理」が其の価値を奪い取れるやうなものにはそも非ずして。

いずれにせよ此の文明に於ける「社會的要求」こそがほぼ間違って居ます。

 

また其のことはあくまで我我の「生活」が間違いなのでは無くそんな「社會の理念」の方こそが間違いなのだらう。

其れもま、株だらうが何だらうがそんなものは所詮長続きせぬものでせうから文明が崩壊し🗾が沈没する前に手放し止めることの方がおそらくは得策でせう。

 

よって、

 

唯物的抽象主義→精神的具象主義

 

へとシフトすることこそがより望ましい。

 

但し其の森永氏とは年齢的にも近いので「御病気に對し是非頑張られて下さい」とさう申す他はありません。

だが寿命を縮めるやうなややこしい社會をやって居るべきではないことでせう。ーおそらく平均寿命は今後大幅に縮まることであらうー

 

我が家の庭の利休梅

利休梅 - 検索 画像 (bing.com)

 

さて家の庭でもまた曹洞宗寶蔵寺の庭でもこんな「利休梅」が咲いて居りますが結局其れが🌸では壱番美しい。

わたくしは所謂大衆的な「桜」の🌸よりもむしろ「木蓮」や「利休梅」などの白い🌸を好む。

 

我が家の庭の小手毬

我が家の庭の大葉ギボウシ

 

だが折角なので拾五年程前の山崎川の桜の画像を此処に貼り付けて置きませう。

 

山崎川のオオシマザクラ

山嵜川の桜

 

山崎川ー桜2009-1

山崎川ー桜2009-2

大根(おおね)池へ向かう街路のサクラ

 

また我は百合の🌸が好きである。

さらに白蓮華の🌸なども好きだ。

 

競技場横のモクレン

 

ーコレがまさに「名古屋市が伐った」かっての木蓮並木の壱本だ!ー

 

其れと靑い🌸などがまた好きでつまりは靑い薔薇やヒマラヤの靑芥子などが好みである。

 

ヒマラヤの青いケシってどんな花?家で育てられる?特徴もご紹介 | BOTANICA (botanica-media.jp)

大池高原 ヒマラヤの青いケシ・長野県内の青いケシが見られる場所 – とっておき信州 (shinshu.net)

 

幻の花“ヒマラヤの青いケシ Blue Poppy ” 2013.6 長野県大鹿村 (youtube.com)

皿ヶ嶺に咲くヒマラヤの青い芥子 (youtube.com)

 

何せ我が家は華道をする家なので元元「🌸」とは縁が深く其れこそ花はイヤと云う程に観て來た。

だが花は野に咲くやうなものが結局最も美しい。

 

画像作品『叢の小宇宙』

 

画像作品『叢の小宇宙』ー家の近くの畑に叢が生じ其の様が如何にも美しく写眞に撮ったものー

 

 

例えば上で「皿ヶ嶺」と云う山中に咲く靑い芥子なんぞは第壱級にカルトな🌸なのであらう。

 

庭に咲く夜のブルースター

 

🌸は美しく其のことはひとまず良いが其れは「生命」なのでやがて「失われゆく」部分が辛く哀しい。

故に其れに大きく興味は無い。

 

 

興味が有るのは「石」と「🐈」の方だ。

尤も「🐈」の方は罪深い生物なのでやるべきではなかった。

 

だが妻子が居ないのでつい飼って仕舞った。

また🐱は何故か作家御用達なのでこんな詩人ともまた實に相性が良い。

 

對して「石」は永遠に「静謐」なのが何より良い。

 

さて其の「靑芥子」を観に行くのと日本海翡翠を拾うのとどちらかを選びなさいと美の女神様に言われたならば僕は常に後者をこそ選ぶ。

つまりは生きては居ないモノの方が自分よりは長生きだからなのか何故か好きである。

 

では🌸よりも寿命が長い木などはどうかと云うと矢張りと言うべきか其の短命な🌸以上に好きなのだ。

つまりは巨樹、巨木の類の世界が大好きなのだ。

 

だが本日は其の巨樹、巨木の類の世界を語る訳なのでは無い。

本日はあくまで「地元瑞穂区」を語る為に出て來たからなのだ。

 

さう言いつつあえて西八幡社の楠の巨樹の画像を貼らう。

 

西八幡社の楠の緑

西八幡社の楠の凄い緑

西八幡社の思い出の楠

 

さて此の場こそが我が子供の頃より親しんだ巨樹の杜となる。

されど画像は拾年程前のものだから現在はもう少し樹が大きくなるのやもしれん。

 

兎に角こんな美しい楠の杜となる。

 

 

子供の頃は此処に良く「ウバタマムシ - Wikipedia」を捕りに行ったものだった。

此の杜には其の「ウバタマムシ」が何故か多い。

 

だが其れこそ美しい「タマムシ - Wikipedia」などもまた出ない訳では無く数年に壱度程は其れが出る。

 

尚今の若い人達には分からないのかもしれないのだがニンゲンの経験の上で最も価値が高くあるものは此の種の「自然體験」なのである。

其れは豪邸に住んだりスーパーカーを所有し其れを乗り回すことなどよりも余程に上等な體験なのだと言える。

 

故に其れが著しく制限された現在は当時ー昭和40年代ーよりも遥かに「貧しい」のだともまた言えやう。

まずは其のやうな認識に置いて文明による「洗脳」を解いて行く他は無いことだらう。

 

 

自分などは兎に角還暦以降思い出すことは其の「ウバタマムシ」ともっと以前に寶蔵寺ー西八幡社の横のーの大木で父と捕った「カブトムシ」の思い出ばかりである。

還暦以降思い出すことはさう「バブル」でも「👩」でも「🚙」でも無くまさにそんな「自然體験」ばかりなのだった。

 

でもって最終的にニンゲンは「👩」や「🚙」には縁が切れまた酒にも煙草にもギャンブルにも縁が切れ「死の世界」へと飛び込んで行かざるを得ぬ。

だが其れは煩い社會から縁が切れることでもあるので案外惡くはないことなのではないか。

 

我がまだ小学生の低学年の頃夏休みの朝五時位に父と寶蔵寺の大木へ出向くと大木の上の方に何か大きなものがブーンブーンと飛んで居るのである。

だからまさに其れが「カブトムシ」の群れなんだ。

 

また夏休みに自宅より西へ百五拾米のところにある小さな池へと良く遊びに行ったものだ。

其の池の中にはヤゴやらオタマジャクシやらが澤山居たのだった。

 

さうしたところから「ギンヤンマ」やら「オニヤンマ」が生まれ出で其れが我が家の前の道を行ったり來たりもする。

嗚呼其のギンヤンマやオニヤンマの美しさと言ったら!!

 

 

そんな訳で其の「眞」の意味で美しいものとは「自然」以外には無い。

例えば「万年筆」其れも「蒔繪万年筆」などは極めて美しいが其れは「加工物」として美しいとのことのみ。

 

「加工物」として美しい物は還暦迄はむしろ其れが良いのだがイザ高齢者ともなるとさうしてより「自然體験」の方での価値比率が高まって來る。

 

さて西八幡社は我が家から東へ百五拾米程のところで其処ではかって中根銅鐸が発掘された。中根遺跡 | 名古屋遺跡マップ (iseki.nagoya)

 

中根学区地内で発見された「中根銅鐸」について | 「洋ちゃん」のひとりごと (ameblo.jp)

 

尤も其の「中根銅鐸」は辰馬考古資料館 - Wikipediaに売り払われて居り現在社殿で年始に飾られるのは「レプリカ」となる。

 

そんな訳で家の近辺は遺跡や遺構が出るところなのだ。

また其れが庭を掘ると出て來る。

 

故に新築しやうとして地面を掘ると其処に遺跡が出て工事が中断されることなどが多いとも聞く。

さらに庭を掘ると「石英」などもまた出る。

 

其れが💎級の物である可能性などもまた常に有る。

ですからワザワザ観光地へ出向かずとも庭でもってさう遊んで居られるのである。

 

さう利休梅を愛でつつ庭でもって🍙でも食えばもはや其れでもって立派な観光體験が成立する。

だがもうギンヤンマやオニヤンマの池は消えて仕舞った。

 

 

また寶蔵寺の大木にカブトムシは居ない。

だがであるからこそ其れが「永遠化」される體験でもあり得やう。

 

其のやうに常に實存は「永遠化」される體験の所有者なのだ。

つまりは其の個に於ける體験を他で置き換えることが出來ぬ。

 

ならば其れは唯壱の個性的體験である。

本日哲學詩人が述べて居るのはまさに其の「唯壱の個性的體験」の様のことである。

 

 

瑞穂プール横のお花畑

 

さてこちらは瑞穂プールーパロマ瑞穂屋内プール(温水) | パロマ瑞穂スポーツパーク公式PAGEー横の御花畑である。

こんなしょぼい御花畑であるが決して侮れぬ。

 

何故なら此の奥は林となって居り其処には様様な🌸が咲き實が成ったりもまたする。

また例えば秋にはキンモクセイが満開となる。

 

さらに良く分からん實などが兎に角落ちて來る。

 

御花畑にはラベンダーなどのハーブ類が多く植えられて居る。

故に此処でコンビニ🍱を食うとまるで観光地で遊んで居るやうな気にもなる。

 

だが此の辺りは周りが高級住宅地なのでそんなルンペンみたくココで🍱を食うのが可成に恥ずかしい。

尚ハーブ類は必ず「しごく」ことにして居る。

 

すると色んな香りが混ざり最終的には何が何だか分からぬ良い香りとなる。

 

また此の辺は至って清潔でありだから汚い身なりをしたボロの中華🚲に乗るオッサンが其処に居ること自體が何だか景観にそぐわない。

だが我は「人の目」を気にしない方なので時折此処にて休むことにして居る。

 

さうサイクリングをしつつ休む訳だ。

 

 

瑞穂陸上競技場の裏手

瑞穂陸上競技場横の森の散策道

ゴヤグランパスのかっての本拠地の横は林となって居たが其れがスタジアムの建て替え工事により伐られて仕舞う。

此れ等の画像は其れ以前の様を写したまさに貴重なものとなる。

 

瑞穂陸上競技場横の森

 

また此の林は小学生の頃自分が「カブスカウト」にて活躍して居た処となる。

まさに此処にて名古屋31団の集會が行われ自分は當時組長として其れに参加して居た。

 

だが中学生となり「文學」に目覚めし我は「ボーイスカウト」にはならず主に太宰や芥川の研究に勤しんで行くこととなる。

カブスカウト」や「ボーイスカウト」の良いところとはまさに其の「自然」と親しむところにこそある。

 

「自然」はさう親しむことが無ければ本質的に分からないものとなる。

「自然」とさう親しむことが無い還暦世代以降の世代のことを正直自分はほぼ分からない。

 

でも「カブスカウト」や「ボーイスカウト」をやって居たりまた💎ハンターの方方などは別に還暦世代以降なのであれなかなか立派な人が多いものだとさう感じたりもする。

 

山崎川の桜並木

山崎川の散策道

 

瑞穂プールにほど近い山崎川は桜の名所であり丁度今頃は混み合って居ることだらう。

幼い頃はもっと大きな桜の木が植えられて居たが山崎川の護岸工事の折りに部分的に其れが伐られまた其の後廿年程が経ちようやく木が大きくなった感じである。

 

當時は多くの露店や「お化け屋敷」が其の🌸見の頃に出て其れに入ってとても怖かった覚えなどがいまだある。

そんな「お化け屋敷」が何故消えたかと言えば高級住宅街の人人が「ウルサイ!」と怒って止めになったのだった。

 

さて其の山崎川のサイクリングコースー以前は🚙の通行も可だったが現在は歩行者と🚲専用道となったーの際には名古屋市立大學の薬學部がある。

また名古屋市立大學の厩舎もあり其処で馬を眺めることもまた可能である。名古屋市立大学馬術部(@meishidai_uma)さん / X (twitter.com)

 

此れ迄に弐度程サイクリング中に道を🐎が歩いて居たのに出くわしたことがあった。

其の🐎はカッポカッポと蹄鉄の音を響かせつつ山崎川のサイクリングコースを移動して居たのだった。

 

尚🐎は上流階級の人が何故か好きで例えば名古屋の出の舘 ひろしー医者壱族ーなどはまさに其の🐎が大好きなのだ。

 

 

尚自分の趣味の壱つに「薬草園の観賞」と云うものが有る。

つまりは其の名古屋市立大學の薬學部の薬草園が山崎川のサイクリングコースの際に有る。

 

まさにソコを参度程訪れて居る。

 

薬用植物園市民公開1

薬用植物園市民公開2

 

但し応募して当選しないと其の「薬草園巡り」は出來ない。

しかも其れはちゃんと名古屋市立大學の薬學部での「講義」付きである。

 

其れも準教授位の人が大ホールにて壱時間程だったか講義して下さる。

個人的にはそんな薬學の世界には縁が深くかっては製薬會社でもって薬の配達や営業をして居たことが都合参年程はあった。

 

だが此処にて講義される其の内容はむしろ漢方系のつまりは植物由來での薬のこととなる。

 

コロナ禍以降は其の「薬草園巡り」も途絶えて居たが現在は復活して居るやうで昨年の秋サイクリング中に其の模様を観た覚えなどがある。

また名古屋市立大學の薬學部の学食は壱般にも開放されて居り其処にて何かを食うことが常に可能となる。

 

また其処にて例えばカツカレーライスなどを食って居ると自分がまた学生に戻ったかのやうな錯覚が味わえるものだ。

 

 

名古屋市立大学大学院薬学研究科薬草園案内 (nagoya-cu.ac.jp)

名古屋市立大学大学院薬学研究科薬草園案内 (nagoya-cu.ac.jp)

 

山椒ー29.jpg (6131×8678) (nagoya-cu.ac.jp)

薄荷ー40.jpg (1750×2480) (nagoya-cu.ac.jp)

 

個人的にどちらも好きな芳香のものとなる。

 

ドクダミー37.jpg (2188×3099) (nagoya-cu.ac.jp)

ヨモギー51.jpg (1120×1587) (nagoya-cu.ac.jp)

 

こちらの香りなどもまた好きである。

其のドクダミは家の庭にまたヨモギ天白川の土手などに澤山生えて居る。

 

我が家の庭のドクダミ

 

當帰ー35.jpg (2777×3761) (nagoya-cu.ac.jp)

 

こちらは五年程前に薬草園で匂いを嗅いでみたが確か相当に臭かった覚えがある。

 

柚木ー50.jpg (1097×1562) (nagoya-cu.ac.jp)

 

また柑橘系の香りが實は壱番好きだ。

 

さて其の「香り」を樂しむことは洋の東西を問わずして「上級」の趣味と言えることとなる。

わたくしは何せ感覚の方が鋭敏なので所謂「エッセンシャル・オイル」などの類のものが好きである。

 

ところが案外本人はむしろ歯が惡いしまた水虫の方も有りつまりは「臭い」方なのでまあ分裂して居ると云えば確かに分裂して居ります。

ですが香りの「本質」とはつまりはさうしたことなのだ。

 

惡臭⇔芳香

 

「匂い」とは結局そんな弐元分離でのこととなる。

またつまりは両方有るのが此の世界での「實相」となる。

 

またドラッグストアにある「ハッカ油 - Wikipedia」などもまた御勧めです。

 

ミントオイルとは?成分や効果から使い方(活用方法)まで紹介! | BOTANICA (botanica-media.jp)

 

其れも色んな物があらうがややこしくは無い「ハッカ油」こそが壱番良い。

我は気温が上がるとまずはコレを求め主に其の香りを嗅ぐことで心を落ち着かせたりもして居る。

 

尚此の4~5月はやりたいことをせんが為に週壱程のペースにて「画像詩」のみの投稿を行う予定です。

とは言え現状ではほぼ大掃除をやらねばならん可能性が高くある。

 

其れに梅雨前迄に其の大掃除をやらんとまた計画がグズグズになって仕舞う。

無論のこと新緑の季節には是非東山や相生山へも出向かねばならず兎に角忙しい限りである。

 

だがそんな忙しい日常の中にもまた必ずや「美」の世界が有る。

さう其れは無いのでは無くあくまで有る。

 

其の「美」を見続けんとさう欲するニンゲンの心向きこそが「愛」なのだ。

「愛」はさうして普遍的に此の世を覆っても居やう。

 

また其のことは抽象的に成立するのではむしろ無くして常に具象的に作用するものなのだ。

即ちたった今我我ニンゲンが感受する其の内容こそが「美」の秩序をこそ指し示すものなのだ。

 

さう其れが、

「美しい」

とさう感じられる今を生きることの大事さのことなのだ。

 

けれど其の「美しい」今は心のあり方が濁って居るとついぞ見られぬこととなって仕舞う。

さう穢れた社會的欲望を離れ「美」其のものと対峙する時ニンゲンは眞の意味での幸福感を其処に味わうことであらう。

 

さうしてたった今僕は「過去の自然體験」と自らの「観念的道程」に對し心より感謝を捧げて居る。

何せ心理的な屈折度がまた高くあるが故にまあ憎たらしいことも確かに言いますがソレだけは言って置かなイカンとさう思いつつ本日此の作文を書いて居りましたのです。

糸魚川翡翠としての「前向き」な価値ー本日さう「日光浴」しつつ「糸魚川翡翠原石」の数数と戯れて居た我ー

糸魚川翡翠としての「前向き」な価値ー本日さう「日光浴」しつつ「糸魚川翡翠原石」の数数と戯れて居た我ー

 

 

 

 

さて愛知県産の環境詩人は本日今年初となるバルコニーでの「日光浴」を慣行致しました。

其の「日光浴」こそがまさに我が趣味の筆頭のものでまた其の折には必ずや「鉱物」達が登場致します。

 

さうして「鉱物」を太陽光に翳しつつ眺め地球や文明の未來のことなどを全て忘れ言わば其の時のみの時間を過ごすことこそがまさに自分に取っての「癒しの時」となる。

また「筆記」の方でも癒されぬ訳では無いが「筆記」の方では「観念」が必然として入るが故に必然として「社會性」の如きものが其処には含まれ完全に解放される訳には行かぬ。

 

さて本日は光の具合が如何にも良く「鉱物」達がまさにキラキラと輝いて居る。

ところで何故世間の人人の多くは其の「キラキラ」に余り反応しないのだらう?

 

逆にみんなは「和」だの👪主義だのまたスタア性などに群がるものですがわたくしに限り其れ等にはほぼ興味が無いのでかうして我が部屋とベランダとに閉じ籠りつつそんな石の「美」をこそ愛で続けて居る。

またまさに其の「美」こそが我が生に於ける追求のテーマなのだ。

 

わたくしはすでに観念が齎す「虚構性」にもさらに社會が蔓延させる「資本の論理」にも飽き飽きして居る。

さうした意味での常識的な「幸福」の様からはあえて離れ自分にとっての「ほんたうの幸福」の時をかうしてしかと見詰めつつも半分泣いて居るのだ。

 

謂わば泣きながら其の「虚」としての感覚的現在をさうして生き続ける。

「破顔微笑」

 

其れもまさにそんな感じにて石の「美」に酔い痴れ独りほくそ笑む感じであらうか。

 

さて本日は主に「翡翠原石」を観賞した。

今年になり何故か其れが増えでもって過去に得た石をも引っ張り出し本日纏めて観てみたところ其のコレクションの域もすでに完成の域に近づいて居ることにまずは気付かされた。

 

兎に角石の数ばかりは多い。

其れが硝子製の大瓶でもって4つ程にもなるのでおそらく百以上は有るのだらう。

 

 

でもって昔得た大振りの糸魚川原石を眺めて居たところ、其の中に所謂「靑翡翠」と云っても良い物があることに気付いた。

尤も其れは231gある重い石でうっすらと黑も混じる透過せず余り質の良くない石である。

 

当初から「灰色翡翠」に見えるので適当に転がして居た翡翠ながら良く観るとコレは今値が高騰して居る「靑翡翠」と言ってもオカシクは無い。

此の「靑翡翠」はしかしながら光に翳しても其の色がハッキリする位のもので「結晶」は煌めかぬ。

 

でも翡翠なので「結晶」が無い訳でも無いが余り目立たないのである。

ところが今年得た参標本を光に翳すと特に弐標本が細かく「結晶」が煌めきまさに其れダケで💎級の石に見える。

 

つまりは「翡翠」の上質な標本は左様にまず「キラキラ」なのだ。

其の「キラキラ」な標本を何故か今年は立て続けに弐つ得て居る。

 

1.レモン翡翠

 

糸魚川 翡翠118 海焼け 86g-4

2.ピンク翡翠

 

極上品!糸魚川翡翠 天然石4

 

また此れ等は色合いの方もまたぶっ飛んだほぼ「奇跡の糸魚川翡翠」と言えるものなのだ。

 

3.緑の大振りの翡翠

 

 

糸魚川翡翠 139 鮮緑 245g-6

 

こちらは其の緑の部分に大振りの結晶がチカチカと輝く。

此の石は243g有り大きくなかなか見榮えの良い標本となる。

 

 

だが握り石として昔集めた標本には其の「結晶がキラキラのタイプ」が壱個しか無い。

其れは以前ー矢張り拾年程前かー新潟の其れも夫婦でたまに翡翠原石を出される人から得た物で結局其れも光の透過の方が良く上質の翡翠だと言えるが色の方は付いて居ない。ーさう摺り硝子のやうな感じの翡翠となるー

 

翡翠の結晶は細かくなり過ぎるとさうチカチカとは輝かぬさうですので其処は品質の見極めがまた極めて難しくもなる。

だが概ねヤフオクなどで売られる翡翠原石の場合はそんな「結晶がキラキラのタイプ」こそが最も品質の高いものと言えるのではないか。

 

どだい石の中でも「翡翠原石」は其の全てが「難しい」石なのだと言えることだらう。

自分もまた「翡翠原石」との付き合いは15年位にはなるのだらうが其れでもイマイチ良く理解出來ずに居る。

 

其の15年位の間に百位の標本を集めた訳であり實は其れ程金をかけて集めた訳でも無いのである。

大體高くても弐萬円程の物迄でより多いのが五千円以下の翡翠原石であり其れも拾年程前迄にヤフオクにて集めたものが多い。

 

だが近年は鉱物展の方で次次と糸魚川産の翡翠原石の標本を購入して來ても居るので決して惡くはない参万円位迄の石も含まれて居る。

其れでも其れ等は「結晶がキラキラのタイプ」なのでは無い。

 

だから「翡翠原石」はそも多様なのでありつまりは石として可成にややこしい物とならざるを得ない。

 

例えば全然光の透過度は無くとも凄い緑でもって極めて美しい石などもまたある。

故に「結晶がキラキラのタイプ」が絶對的に良い訳でもまた無いのであらう。

 

だから「翡翠原石」の蒐集はむしろ石の「上級者」向けの趣味とならざるを得ぬことだらう。

 

 

即ち、

 

1.石の質がそも多様で分かりにくい

2.良い石に限れば当然に値が張る

3.西洋人よりも東洋人が好む石

 

なのだ。

 

個人的に其れこそ15年程前はもっとハッキリと結晶化する鉱物標本の方が好きでしたが特に還暦を過ぎた辺りからほぼ「翡翠」が壱番手になりつつある。

でもって翡翠特に糸魚川翡翠は、

 

4.標本の形が多角形になり易い

5.基本的に緑や靑などの寒色系の石となる

 

ことがまずは自分に合って居る。

何故なら個人的に「丸い物」よりも「カドカドの物」の方が好きなのだ。

 

また「論」の方でも「丸い物」よりも「カドカドの物」の方が好きなのだ。

さうか、其の「カド」が好きか。

 

さうカドに頬を擦り付け喜ぶタイプの人なのか。

 

尚「翡翠原石」は國石指定をされて以降結構値上がりをして居るやうである。

だが並以下の質の石に限り案外さうでも無いやうだ。

 

翡翠原石」はまさにピンキリなので「結晶がキラキラのタイプ」でありしかも懐中電灯の光でもって全透するやうな質の石を得ることはかってもまた今でも難しいのだと言えやう。

またヤバい石などもまた有るには有る。

 

其れも昔は壱度現地の人が「透輝石」を「翡翠」だと言ってヤフオクにて売って居て其れをワタシが得てよーく見ると違う石であった。

また五年程前地元のSHIBATAさんが糸魚川産の「赤翡翠」だと言ってヤフオクにて売って居て其れをワタシが得てよーく見るとどうも違う石であるやうな気がしてならぬ。

ーしかも其れがまだ瓶に入ってるー

 

さらに大阪から六、七年前に落札したミャンマー産の緑翡翠原石は参割程騙されて居る。

でも此の石は可成に質が良くライトの光がスッと通る。

 

AAAAA級【★天然物★】【★原石販売★】翡翠原石146U3-166U258-6

 

だから全然ウソの石なのでは無く緑の部分ももっと画像よりは薄くなるがちゃんと緑色にはなってる。

だから此の石などは案外得難い翡翠原石なのだ。

 

AAAAA級【★天然物★】【★原石販売★】翡翠原石146U3-166U258-7

 

でも画像程緑色では無く其の緑色の部分が「ちっこい」のである。

 

AAAAA級【★天然物★】【★原石販売★】翡翠原石146U3-166U258-8

 

さらに拾年以上前にまた其れも関西圏だったか、ヤバい石を六萬も出して買いコレなどはほぼ七割方騙されて居る。

ソイツを知り合いの💎屋に磨かせたところほぼウソの石でほとんどが灰色~白ででも壱面だけ緑の石が其れも薄くへばり付いて居る。

 

なので其れもまた全部がウソだったとは言えぬものなのだ。

でも💎屋の感覚からすれば其れはあくまでニセモノ翡翠なのだ。

 

また此のヤバい石などもこと画像では百萬~弐百萬程の標本に見える。

でも其の画像を探し出すのはすでに億劫である。

 

 

そんな訳で「翡翠原石」の蒐集は其れも良質の「翡翠原石」の蒐集は相當に難しいものと見て置くべきである。

尤も「翡翠原石」を採取したことが無いわたくしはさう「現金採集」の範囲にて其れを追求する他は無くであるからこそそんな失敗談と申すか武勇伝と申すかそんなものを幾つも潜り抜けつつようやく現在の翡翠運の良さに至って居る訳だ。

 

ちなみに今年になり得た翡翠原石は弐つが神奈川県よりまた壱つが兵庫県より來て居る。

また最近はいつも御世話になって居る石川県のKAWAIさんなどもまた翡翠原石を出されて居るが彼からはほとんど赤瀬産のオパール標本を求めて居りよって其の翡翠原石を買う気には何故かなれぬ。

 

尚其のオパール標本にせよ翡翠原石にせよ数が増えると要らん石が次第に増えて來てむしろ其れ等を売り標本を整理したくもなって來るものだ。

だが此処五年程出品者の方はやって居ないのでもはや其のことも次第に面倒臭くなりつつある。

 

翡翠原石」の蒐集やまた「筆記具」の蒐集は基本的にそんな個の範囲での「思い入れ」の部分に拘ることであり其れは基本的に「高尚」なことでも何でも無くされど其れが「卑しい」ことかと言えば決してさうでは無いやうに個人的には思われてならない。

また石にもまた「ヒエラルキー序列」が常に生じるがむしろやれる範囲の中で其れに向き合いくれぐれも「上位ヒエラルキー」にのみ耽溺すること無きやうにして行かねばなるまい。

 

また上で述べた個人的な失敗などもまた其の「上位ヒエラルキー」に属する翡翠原石をまさに得んとした我が欲望に於ける失敗であり過失である。

さう兎に角何にでも「限定的」に向き合う位で事象の塩梅が丁度良くなるものとさう捉えて置かう。

 

 

【翡翠】春休みのヒスイ探し!あきらめかけているとまさかの結果に…【宝石】 (youtube.com)

 

いやあー、また如何にも「引きの強い」御方で…。

ですが結局デカ目の翡翠原石はもはや採れぬのか。

 

個人的には近年デカい翡翠原石に限り興味があり例えば庭石になりさうな位の物が欲しいともさう思われるが其のデカい翡翠原石に限り高価となるものと何故か相場が決まって居るやうです。

 

 

翡翠原石 (kiyoshop.jp)

 

例えばココでは時に面白い石が売られて居るやうだ。

 

糸魚川産 青翡翠 ヒスイのお店 Kiyo shop

糸魚川産 翡翠原石 青 ヒスイのお店 Kiyo shop

 

此れ等の靑翡翠などはまさに凄い。

 

翡翠製万年筆(ボールペン・シャープペン) (kiyoshop.jp)

 

また此の店にはこんな翡翠軸の筆記具迄ある。

尚軟玉翡翠ネフライト)製の軸ー軟玉翡翠貼りーの限定品などはかってカラン・ダッシュの物にもあった。

 

いや其れはもしやファーバー・カステルの方だったか?

いずれにせよ石は重いので基本的に筆記具には向かず翡翠を用いてもまず良い筆記具にはならないものです。

 

ですがもしもタダで呉れると云うのであればこちらなどが欲しい。

糸魚川産 高級 万年筆 ヒスイのお店 Kiyo shop

 

 

原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

 

さてココは大きな翡翠原石が多いので最近注目しつつ視て居るが予算的にはまるで手が出ない。

 

【淡緑色・親不知産・1,230g】(高品質淡緑色ヒスイ)糸魚川天然翡翠原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

 

先に述べた自分が七割方騙されて買ったミャンマー産の翡翠原石にソックリな石が何故か此処に有る。

其のミャンマー産の翡翠原石の場合は所謂皮付きとなり其れを知り合いの💎屋が磨いたところまさにこんな風になったのだった。

 

【プレミアム・机上用・市振産・上品淡緑・ロウカン有・450g】(プレミアム淡緑色ヒスイ)糸魚川天然翡翠原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

【海石・親不知産・濃グリーン模様・透明感良し・582g】(高品質濃緑色ヒスイ)糸魚川天然翡翠原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

 

個人的にはあくまで大きな石でもって緑の石が好みです。

 

【プレミアム・入コン沢・床の間用・至高の青・透明感良し・2.9kg】(プレミアム青色ヒスイ)糸魚川天然翡翠原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

【プレミアム・床の間用・海石・親不知産・1.0kg】(プレミアム青色ヒスイ)糸魚川天然翡翠原石 | 糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)

 

例えば此れ等は凄い。

こんな翡翠原石を視て居るだけで心が躍り面白い。

 

面白い、つまりは言わば建設的に時を過ごすことが可能となる。

いずれにせよ大きな翡翠原石も要らないと云えば要らないがこんなのを玄関や床の間などに置くと結構面白いのではなからうか。

 

かうして翡翠原石は岩石標本としてのみでは無く所謂「観賞石」の方面に迄興味がのびて行くからこそ多様で幅広い石の趣味なのだとも同時に言えやう。

 

 

國石 翡翠

 

嗚呼こんな翡翠原石が手に入らぬものか?ー特に緑の奴がー

ですが其のことはどうあがいても無理である。

 

でもこんな写眞を視て居るだけでも至極良い気分になれるではないか!

またであるからこその糸魚川翡翠としての価値なのだ。