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そんな碧玉の夜ー濃いグリーンの「ジャスパー」と「メジロ」の死とー

そんな碧玉の夜ー濃いグリーンの「ジャスパー」と「メジロ」の死とー

 

 

 

 

都市部でカメムシ大量発生 背景は? 部屋に入った場合の対処法は? | NHK | ニュース深掘り

 

おお其のカメムシ

さうカメムシが大量発生しもしや文明を麻痺させるのだらうか。

 

だがわたくしは其のカメムシの独特に臭い匂いが好きですらある。

故にカメムシが嫌いでは無いのですが今年は余り🏔へ行かぬのでまだ見たことがありません。

 

嗚呼そんなカメムシの臭い匂いを出來ればたった今嗅いでもみたい。

 

アナタはヤッパリそんな變態チックなニンゲンなのですね。

うん、確かにさうだね。

 

其の自分のカルト度と現代文明のカルト度を比ぶれば其はまさにエエ勝負とならう。

でもみんなはワタシのことを「變態」だとは思わぬ方が良からう。

 

ナゼナラみんながむしろ「變態」なんだから。

 

 

昨日大阪より「石」が届いた。

其の石はジャスパー即ち碧玉となる。

 

其の美しさに早速心を奪われた。

こんな濃いグリーンの石其のものとなる。

 

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-5

 

だが其の石に就いて語る前にとある「事件」に就き語らねばなるまい。

其の「事件」とは「とある小鳥の死」に関するものだ。

 

本日午前中にまた「カレー饂飩」を作り食って居ると雄🐈が何かを咥えて來て其れと戯れて居る。

さう猫は獲物を主人に見せに來るのである。

 

其の雄🐈は弐歳の「タマー参歳ーの子」であり🐈としての知能は普通だが「狩猟本能」が強くあり兎に角何かと捕らえて來る。

 

其れも、

 

1.アゲハ蝶

2.ヤモリ

 

などが壱番多い。

 

ヤモリは昨日弐匹ばかり死骸を片付けた。

其の死骸の片付けはゴミ袋に入れるよりも庭に埋めてやる方が理に適って居る。

 

さう自然界とはまさにさう云うものだ。

だが現代人はまず其のことを知らずに居る。

 

だから現代人は僕から見て随分可哀想だ。

 

 

3.小鳥

 

むしろ其れは初めてのことである。

其の小鳥とはメジロ - Wikipediaである。

 

メジロは都會にも普通に居る美しい緑色ー所謂鶯色ーの鳥だ。

自分は其の「メジロ」が大好きで毎年参月壱杯位迄庭の木の枝に🍊などを挿し其のエサとなして居る。

 

ところが其の🍊をまたヒヨドリ - Wikipediaが横取りする。

其れもまるでニンゲンの金持ち連中のやうに根性が惡くちっこいメジロを全て追い払いさうエサを独り占めするのだ。

 

でも「ヒヨドリ」はあくまで金を持って居らず。

持って居るのはデカい體であり要するに「パワー」である。

 

しかしながらこちらとしては別にドチラが食っても良いのである。

さう鳥は結構美しくもある。

 

むしろ哺乳類よりも美しく第壱色鮮やかなのだ。

其の意味では爬虫類などはもっと色鮮やかで美しい。

 

なので儂は爬虫類や両生類を好む傾向が有る。

哺乳類は確かに可愛いが壱般により根性が惡くなるのだから。

 

其れと哺乳類は「臭い」ことが多い。

また其れはニンゲンも含めてさうなのだ。

 

だが野生の鳥や野生の両生類はまさかそんなに臭くは無い。

尤も鶏を飼う小屋程臭いものもまた無い。

 

おそらくは其の匂いを嗅いだことが無い現代人が多からうが此れ迄自分は様様なところで其の惡臭にまみれても來た。

 

尚🐈も左程臭みは無いが🐕の方はむしろ臭い。

だがそんな匂いの話などはどうでも良い。

 

肝心なのは其の美しい「メジロ」の死骸に就いてである。

おそらくは「タマの子ー横着坊主ー」が捕獲したものでは無く庭で死んで居たのを持って來たのであらう。

 

ワタシは奴から其の獲物を奪い其れを良く眺めてみた。

おおまさに其れは「神神しい」迄に美しい死骸である。

 

其れもどう表現すれば良いのか、ソレがまるで分からなくなる程に綺麗な死骸である。

其れが「美しく」見えることの本質部にはおそらく「自然的な意味での實存」と云うことのかけがえの無さこそが有ることだらう。

 

但し其れを其のやうに捉えることが可能な感度はおそらく特殊なものであるのかもしれぬ。

幸か不幸か自分は其の感度の持ち主なので其のことがまさにストレートに見えて仕舞う。

 

 

そんな「神神しい」迄に美しい死骸。

さうだ、其の「美しい自然界での死」に對しニンゲンであるわたくしはどんな力をも持ち合わせて居らぬ。

 

タダ其のことをじっと見つめさうして頭を垂れつつ其れを庭へと埋葬してやることしか出來ぬ。

だが其れをやる自分は結果としてそんな「美」の世界を知るニンゲンとなる。

 

さう美の世界を知るニンゲンだからほんに詩人なのであり他の何者でも無い。

まさにそんな「美の世界」であり「命の世界」のことだ。

 

現代人はまずは其のことを忘れ去って居やう。

 

あれ久久にまた文學的なことを述べて居ますね。

いや其の位のことは僕に取り日常茶飯事なのですがついさう学校での「国語」の授業の時間のやうになって仕舞う、つまりは眞面目になり過ぎるきらいがあるので實はワザと話を崩して居ます。

 

さてそんな「美しい死骸」を弄ぶ♂🐈のことをバカだと蔑む訳には行かぬ。

ナゼナラ♂🐈は♂🐈であくまで「本能」に従い其れを弄び喜ぶのだから。

 

ではニンゲンの感度と云うか見方が正しいとは言えぬのだと?

其れがおそらくは「正しい」とは言えぬことだらうが確かに「理性的」な見方ではあらう。

 

だが単なる小鳥の死骸に「美」を見て取り且つ其の小さな命に敬意を込めて丁重に其れを埋葬するのはおそらくニンゲンの中でも特殊な部類の人がすることなのではないか。

もしやアナタがそんな特殊なニンゲンなのか?

 

例えば其の辺の主婦ですと「ぎゃあー、死骸だー」だとか叫びつつティッシュにて其れを包みナゴヤ市の赤いゴミ袋の中へポイッでせう。

確かにソレと比べるとアナタの行いは如何にも理性的で且つまるで何処かの教祖様のやうに精神的な趣が有る。

 

いや別に教祖なのでは無い。

教祖なのでは無いが単にそんな實存的感度が高く有るばかりなのであらう。

 

兎に角こんな「事件」がすでに本日午前中に有った訳だ。

またそんな「事件」は毎日世界中で繰り広げられるニンゲン社會に於ける「事件」などよりもむしろより大事なことなのだ。

 

…確かにさうも言える。

其れもニンゲン界で引き起こされることは何だかバカバカしいことばかりだし。

 

いやおそらく其れは余計な「欲望」が絡むとさうなるのであらう。

でもアンタの其の石への欲の方がずっとしつこいものなのでは?

 

いいやさうでは無い。

どだいワシの欲望は単なる「石」に對するものだ。

 

単なる「石」でも数千万も、また壱億位する石がまた有りますが…。

何せワシの石は桁が違い数百円、また数千円単位の石でありたまに萬が付く位での御話となる。

 

ならさう云うのは「罪」や「煩悩」にはならないの?

なんとなればニンゲンの欲望も「限度」付きにてまた見逃されるものとなるが故に…。

 

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-2

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-3

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-4

 

さう深い緑色ー所謂碧玉色ーの石ージャスパーーは別に贅沢な物には非ず。

されど何処までも其れはさう「緑」でもって美しい。

 

もしや其の美しさは「神神しい」迄に美しい「メジロ」の死骸と同じやうなものなのですか?

まあ「メジロ」の死骸とは違うのだらうが其れもまたこと美しさの点で似たやうなものなのか。

 

では「美」とは生死に関係無くさう此の世にしかと有るものなのか。

ありゃ君もまたたまには良いことを言うね。

 

「美」とは最終的にはそんな「感度」の有無の方の問題だらう。

でも現代人は主に文明病にて其の感度が曇らされて居ることだらう。

 

なる程、するとアナター美の求道者としての詩人ーにはたった今「生死」に関わらずそんな「美しい世界」が垣間見えて居るのですね。

はい、其れも幸か不幸かさう見え過ぎておるのです。

 

みーえすぎちゃってーこまるのー♪マスプロ アンテナCM 1974 藤ミツ子 (youtube.com)

 

 

そんな「死んだ小鳥」と元元「死んで居るジャスパー」との共通項は「静けさ」でせう。

そんな「静けさ」に包まれる時に我はソコに「美」を感じざるを得ない。

 

さう「美」は何処にでも有りまた何時でも其れが見える。

逆に申せばそんな「美」を「美」として感ぜられぬのは「鏡」としての心の機能が弱って居るからに他ならぬ。

 

嗚呼そんな美しい緑の石。

 

でも昨日石詩人が大阪の出品者と話して居たことはそんなことでは無くネット上に蔓延する石の画像の加工に就いての話でした。

石の画像の加工をすることで例えば屑石の値が高騰したりもまたする。

 

其れもまた万年筆の世界にはまず無いことながら石の世界では特に最近其れが問題とされて居るやうなのです。

かく言うわたくしもすでに今年に入り其れをやられて居る。

 

そんな石を売る立場の方には明らかに「善人」と「惡人」とが居る。

「惡人」とは普通「良心の呵責」を感ずること無く石の画像に色を付けたりする人のことなのだ。

 

でもって「惡人」はあくまで宗教的には救われるものなのですがこと石を売る立場に限り其れは許されない。

惡意に充ち石を売るそんな「惡人」は最終的に「無間地獄」へと堕ち其処にて永遠に苦しむのです。

 

そんな訳で石の世界には有り人間界には無いものがまずは其の「静けさ」の有無であり其の「静けさ」の部分こそが例えば「詩」であり「美」の世界と分かち難く連なって居る。

するとかやうにウルサイ人間界の喧騒の中にはそんな「詩」であり「美」なるものは本質的に存在しないのだと?

 

おそらくはさうでせう。

さうウルサイ人間界の喧騒がまるでウルサイ蠅のやうなものなのでありソコから離れんが為には壱歩退いて其の様を眺める必要が生ずる。

 

其れも何故か「碧玉」は翡翠原石よりもより静かな感じを与えられより人間界の喧騒より離れて居る感じすらもがまたある。

また翡翠原石とは触感がまるで違う。

 

翡翠原石は「スベスベ」して居て何処か温かみなどもまた感ぜられるが「碧玉」はより石らしい冷たい感触がしさらに石の辺縁部が鋭利な刃物のやうにさえなって居る。

ーさうして刃物としても實は使うことが可能であるー

 

尚何せジャスパーなのでさほど透光性は無いが其れでも翡翠原石程度には透ける。ーまだしも石英の方がより透けるー

さうライトで照らしてみると翡翠原石とはまた違う美しい世界を演出する。

 

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-7

グリーン・ジャスパー(緑玉髄)中型-6

そんなより石らしい「ジャスパー」との邂逅は果たして今後我が認識に何を齎すのであらう。

ー「碧玉」標本として大きな石を得たのは今回が初めてのこととなるー