宮澤 賢治の宗教観及び藝術観とまた自分の食欲とー其の「銀河を包む透明な意志」とは?ー
寒い。
さうして「うどん」や「そば」が兎に角美味い。
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安い。ースギ薬局では共に98円となるー
さうしてツユの方も兎に角美味い。
だがソコに是非「小松菜」を入れてみやう。
「小松菜」弐束を料理挟にて切り刻み其れを具として其の侭にぶちまける。
ソコへ熱湯を注ぐ。
五分程待つ間に小便と🐈のエサやりとを済まして置く。
そろそろ頃合いか?
おおとても良く出來ておる。
だがインスタント物は兎に角壱度湯がくべし。
さうすると丁度美味い具合に小松菜が茹で上がりやわらかくなる。
では食してみやう。
うまい!!
うまいうまいうまいうまいうまい!!!
無論のこと「七味唐辛子」もすでにかけてある。
兎に角寒いので突如本を読む。
其れも丁度先日の続きで「宮澤 賢治」のところを読んでみた。
其の「宮澤 賢治」は矢張りと云うべきかまた相当な「自閉症スペクトラム障害」者であらう。
だが無論のこと農学校の先生なので頗る頭が良い。
其の彼「宮澤 賢治」のことはかって参拾代の頃に熱心に研究した。
其れもほぼ學者並みに作品を読み込み兎に角あらゆる論評などもまた読んでみた。
其の結果彼が相当な變わり者であったことが明白となった。
だが其の「變」なのは常識的な尺度からすればさうならざるを得ぬとのことでしかない。
「宮澤 賢治」は所謂「自閉症スペクトラム障害」者の中でもまた自分のタイプに近いのではないかとさう感じられても居る。
「自閉症スペクトラム障害」者には「性的な放逸さ」と「性的な潔癖さ」の部分が同居するのださうですが賢治や我はあくまで後者のタイプである。
だが我は「中性的」な人間であるつまりは両性具有的だとさう述べて居るのですが賢治の場合は必ずしもさうではなかったのやもしれぬ。
其れと彼賢治にはあり他方で自分には無い経験となるのが所謂「幻視や幻聴」の類のことだ。
兎に角ワタシは別に變なモノは見ないしまた金輪際聞こえても來ぬ。
變なモノを見てたった今宇宙人に攫われ人體實験にかけられたなどとさう云うことを思うことはあってもまず其れが無い。
また宝籤はほぼ絶對に当たらぬことなども良く良く分かって居る。
ワタシは案外「現實派」なのであり別に「妄想」の中を常に生きて居るタイプのニンゲンには非ず。
だが現實として彼賢治にはさうしたものが常に見えて居たのださうだ。
またつまりは其処が彼の「天才」としての証拠の部分だったことだらう。
ワタシはむしろ其の部分が弱いから其の「天才性」の部分もまた弱くしか出せずつまりは其れが半分位しかないのであらう。
さて本を読んで居て可成に気になる部分がまたあった。
其れは「宮澤 賢治」が「理想」=「思想」に生きた人であった部分である。
さう彼「宮澤 賢治」はむしろ大層「思想的」なニンゲンだった。
特に「宗教的自我」の部分や「社會主義思想」などにも大きく影響を受けた人である。
彼はかって「羅須地人協會羅須地人協会 - Wikipedia」なるものを設立し其処にて「農民」としての樂園を築かうとしたがすぐに其の試みは頓挫した。
其れも教師を辞めてからそちらの方向へと進んで行くのである。
其れは教師を続けて居ても「此の世の中が根本的には何も變わらぬ」ことにおそらくは嫌気がさしむしろ行動の方へと走ったからのことではなかったか。
此の「社會」こそがむしろ壱番厄介で要するに其の侭にして置けば「搾取」にて腐って行くのであるしさりとて「革命」するにしても此処🗾では其の實はずっと「封建體制」なので「革命」も何も無く「革命」其のものがまるで犯罪のことでもあるかのやうに扱われる始末である。
其れも何時何処で爆弾が炸裂するものか分からぬので其れは怖いでせう。
「絶望」
うん、確かにそんな「絶望」的状況にも陥る。
もう滝の上からでも飛び降りたい。
おい待て、ココに美味しい素うどんが有るよ。
えっ?
今なんと仰りましたか?
だから小松菜入りの美味い饂飩が有るよ。
さうかでは其れを食ってから飛び降りやう。
ところが饂飩を食った後には食後のデザートなどもまた是非食いたくなるものなのだ。
左様にニンゲンに取り自決を踏み止めさせるものとは畢竟其の「欲望」のことなのだ。
其のデザートとは何か?
スギ薬局のチョコバナナロール。
うわあまた贅沢な…。
まさに其れが半年に壱度位しか買わぬモノだ。
はい、コレが其のチョコバナナロールだ。
では早速其れを食ってみやう。
うん、美味かったが最近はもう何でも良くなって來たぞ。
例えばローソンのレジの横に置いてある「どら焼き」やファミリーマートのレジの横に置いてある「ヨモギ饅頭」でもう充分ともなりつつもある。
さうか甘味はもう何でも良くなったんだ、其れはまた目出度い話ですな。
さうして彼「宮沢賢治 - Wikipedia」は「国柱会 - Wikipedia」に入り右翼的な「純正日蓮主義」の活動家となる。
つまりは其れが法華系での原理主義団體であり故に賢治の作品に込められるのがまず其の「法華的世界観」の成就でありまたつまりは其れの「広宣流布」のことであった。
尚本の方にはまるでそんなことは書かれて居ない。
左様にまずは彼「宮澤 賢治」がむしろ非常に「宗教的」なニンゲンであったことこそが彼の文學を根本より解く鍵となる。
ところが文藝評論家や大學の先生は壱般に其の「宗教」のことには疎くよってわたくしはむしろ其の点からこそ「宮澤 賢治」の文學世界を語って行きたいのである。ー何せかうして宗教には元元強いのでー
さて「宮澤 賢治」の家の方はあくまで「浄土眞宗」の家で彼賢治もまたそちらの方での壱佛教徒であった訳である。
宮沢賢治(みやざわけんじ) | 田中智学先生に影響を受けた人々 | 宗教法人 国柱会 (kokuchukai.or.jp)
賢治と仏教|花巻市 (city.hanamaki.iwate.jp)
ところが其の「田中 智学」なる人物の宗教思想に心酔し其の日蓮系の原理主義団體の方に入ることとなる。
また實はわたくしもまたさうなのである。
わたくしもかっては宗教団體は違えど其の「法華経」をこそ信じて居たのであった。
だが今はどちらかと言えば「法華経」はヤバいとさう考えつつもある。
また左翼の部分がぶり返し「法華経」どころか「革命」だ、其れも何革命でも良いから兎に角今此の國に壱番大事なのはむしろ「自立的反抗」だとさう思い込むに及ぶのだった。
さう賢治さんと似たやうなもので「思想」の方が案外過激だ。
何故ならワタシはたとえ「邪教」でもニンゲンが幸せとなれる可能性は常に有るとさう考える故に。
「邪教」と言えば其れこそ厳密に言えば釈迦の直接の教え以外はみな「外道」であり同時に「邪教」となる。
但し「禅宗」ダケは御釈迦様の教えを重視するので「邪教」とはなりにくい。
でも「邪教」となる可能性がまた無いでも無い。
宗教なんぞそもまあそんなもんだ。
ところが、である。
ところが彼賢治は同時に「社會主義的」な世界観の持ち主でもまたあった訳です。
ソレ即ち此れ等の社會主義者に大きく影響を受けて居たやうだ。
またわたくしなども特に其のモリスの方が大好き♡です。
其のモリスの美的センスが此の世界を覆えばニンゲンのケモノ性の部分が放逐され其れこそゲージツ的な価値観が其処に醸成され少なくともより上品で且つ平和な世界が實現する筈だ、などとも此処拾年ばかりはまた時折思う。
では其の賢治に於ける「右」と「左」の思想の分裂とは壱體何なのか?との御話とならう。
またわたくしの場合などもかうして「愛」を説きますのに「佛教徒です」とさう申して憚らぬ訳だ。
だから何ですか、そも其の概念に於ける分裂は。
でもって其の答えは「宮澤 賢治」もまた「わたくし」も基本的に「分裂気質者」だとのことではないか。
さて「宮澤 賢治」の場合病跡学の方では「躁鬱気質」だなどともされて居りますが其の變なモノが見える部分やさうした意味での思想的な意味での整合性の無さと云う観点から鑑みれば彼は明らかに「分裂気質者」でせう。
でありますので其れは多分頭が良過ぎてさうなるのでせう。
いや心の底より困ったな、またそんなに頭が良く生まれて仕舞い。
「天才とキチ外は紙壱重」
ソコに其の紙を是非挟んで置きたいものです。
また出來得れば紙を弐重にして挟み込む。
そんなキチ外の方へとまさか心が落ちて行かないやうに。
ところで今日は気候がまさに其のキチ外の如くに荒れ狂って居る。
つまりは暴風が吹きすさぶそんな壱日である。
尚彼「宮澤 賢治」は大天才ですのでたったの37歳で死んで居ります。
自分はどんなに良く見積もっても半天才ですのでもうすぐ65歳にもなる。
そんな長生きのゲージツ家はそも居ないことでせう。
だから自分には「ウソゲージツ」をやる位がむしろ見合って居るのです。
また宗教の方にせよワタシが説く説はなんかウソっぽい。
ですが其の「食い気」ばかりは本物です。
つまりは「思想」よりもまた「宗教」よりもより「具體的」な話なのです。
其れもまた全てがさう。
彼「宮澤 賢治」には「教師」であることが合って居たものと思われます。
「教師」として生きれば彼はおそらくもっとずっと長生きが出來たことでせう。
多分還暦位まではイケたのではなかったか。
ですが🗾の封建的な「農村社會」に絶望した彼はさう法華的な世界観の方をこそ選んだ。
なのではあれまさに其のことにより「宮澤 賢治」の文學世界は🌸開いたのです。
ところで晩年病を得て其れと闘った彼はむしろ其れ迄の生き方を悔いて居ましたものです。
つまりは「教師」以降でのそんな生き方を悔いて居たのだった。
まあワタシも「コレクター」をやったのは果たしてどうだったか?とさう思わないでもありません。
そんな「コレクター」などやらずにもっとマジメに「塾の先生」をやって居れば今頃は有名講師としてTVにも出てガッポリと稼いで居たのではないか。ー其れもアノ林みたいになってー
でも其の御陰で石とペンの「コレクション」がかうして曲りなりにも完成致しましたのです。
さて参拾代の頃自分は新修版の「宮澤 賢治全集」を手に入れ其れを読み込むと共に主に其の文語詩編の方を独自に研究して居りましたものでした。
ですが何故か最近はこちらの方ばかりを繰り返し読むやうになった。
農民芸術の産者
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 (aozora.gr.jp)より
若き日の賢治は「農民」の生活と「藝術」とを融合させたかったことでせう。
ところが現實の農民は「藝術」どころでは無く米の不作や東北の寒冷な気候との現實的な闘いの場にこそ立って居た。
そんな水吞み百姓に「藝術」をやる余裕などはそも無い。
また結局賢治の實家は裕福ですので結果として賢治は教師として得た給料をレコードや浮世絵などのコレクションに充てて居たとされる。ーつまりはそんなコレクターだったらしいー
でありますから兎に角彼は「恵まれた立場」に立つ御坊っちゃんでしか無かった。
御坊っちゃんだからそんな「コレクター」がまたやれるのであり其のことはむしろ「社會主義思想」とは矛盾することでもまたある。
其の「御坊っちゃん」の戯言がまさに其の「農民藝術概要」ですが其れを読むと其処には物凄い「理想論」としての痕跡こそが読み解ける。
其の「灰色の勞働」から農民を開放したいとのそんな利他の精神の航跡が其処にこそありありと見える。
例え其の「理想論」が「教師」としての自分の延長線上のものであるにせよさうして彼賢治は其れを語って憚らぬ。
其の「若さゆえの改革のエネルギーの奔流」の如きものをたった今自分は此処に読み込まずには居られない。
また「幾億の天才」も併び立てとさう述べて居ります。
まあ今ならさしずめ「自閉症スペクトラム障害者」としての「天才」よ並び立て!とのことでせうか。
はい、さう仰る通りに立ちまーす。
しっかし此の世の中は變わらないものでせう?
其の大正~昭和初期の時代の苦しみがたった今どんだけ良くなったのか?
相變わらず政治は汚ねえのですしつまりはそんな惡代官が壱杯でしかもソイツらの首を切ることが極めて難しいことと來てる。
農民芸術の綜合
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 (aozora.gr.jp)より
おお友よジミントーを早う潰して其のゲージツをこそたった今やらうではないか!
いやまずは其の前にエッセンシャル・ワークに於ける賃上げこそが必要なのだ。
嗚呼まさしく此処は銀河の太陽🗾、陸続きでの野原である。
其の美しい國土に潜む惡の組織ジミントー。
まずもろともに輝く宇宙の微塵となりて無方の空に散らばるのだ!
でもってまずはみんながさうして此の地球上に散らばるのだ!
するとソコに我等に理解ある観衆が有り我等に壱人の戀人が有る。
故に巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の藝術を為す。
結論
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 (aozora.gr.jp)より
確かに我等の前途はキビシい。
我等の前途はすでに眞っ暗暗の暗だ。
其れもまたジミントーが築き上げし暗ーい未來の様となる。
だが詩人は「苦痛」をも「享樂」する。
なんだソレもしや變態か?
いえおそらくは「両面」をイケるとのことでせう。
永久の未完成コレ完成でアル。
うわああー、また凄い御言葉で…。
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 (aozora.gr.jp)より
…なる程。
嗚呼まさにそんな巨きな力と熱、なのか。
確かにさうだ、我我🗾國民はアノジミントーの御陰で不幸のドン底に居ざるを得ぬ。
其のジミントーを粉砕したった今我我をしてゲージツへと導くのは誰あらう、おおまさに其の「銀河を包む透明な意志」でなくて何であらう?