昨年得た「理想の蒔絵萬年筆」に就いてーさうしてついに「SUN STAR FOUNTAIN PEN」を得しSirius氏-1ー
物はそも死なないので此の世に残る。
ところが人間や🐈や🐕はまた🐼や🐊や🐍は兎に角寿命なるものがあるので其の活動期間が「限定」されやう。
人間は🐵よりも少しだけ利口なのだけれど其れも本質的にはさう違いも無くつまるところは其の實は半分程動物其のものである。
人間は🐵よりもよりエロいのだしまた所有欲などが壱般に盛んである。
我もまた其の所有欲のみがむしろ突出して強いのですが反面精神的な能力の方もまたあるので此れ迄にも萬巻の書物を読みかうして知性を磨きましたのですがまた其れにも限界があり要するに人間は最終的にどんなに頑張っても御釈迦様やクリスト様並みの理性的存在になることはほぼ無理である。
そんなアナタはもしやエロジジイなのでは?
何せ其処迄所有欲や知的探求欲並びに社會的批判力が強くおありになれば其の實はエロの方もむしろ突き詰めてかっておやりになったのではなかったか?
いえまさか其れはやってませんのです。
自分は「生臭さ」を否定的に扱う宗教詩人でもありよって「生もの」よりは此の宇宙に遍く射し込む光かまたは物理的に不思議な現象つまりは美しい現象、嗚呼例えばオーロラやコロナやプリズムで分けた時の光の其の色合いのどぎつさなどにこそ興味がある。
そんなものにすでに身も心も浸して居りますが故に其れ以外のものに對し實は余り興味が無いのです。
…やっぱ詩人だなあ。
ええまさにわたくしはそんな詩人なんです。
ですが其ればかりでは無く人間其のものをボロクソに言うことなどもまた至極得意なのですけれども。
またとどのつまりは社會科詩人ですのでとりあえず「文明論」の方がやれますのです。
「文明論」の方はやれと言われれば何処までもやりますが例えば此処でもすでにやり終えても居りつまりはコレ以上申しても文明の推進者側にはほぼ伝わらないことでせうから壱応小休止状態となって居ります。
自分は元元そんな「文明批判」がやりたいのでは無くまた「政権批判」や「體制批判」がやりたい訳でも無く文學的な意味での「美の世界」を此処にて書いて行きたかったのですから。
文學的とは言え其れはフィクションのものでは無くノンフィクションでの物と實存との関わり合いの様をこそ書き描きたい訳です。
尤も其れもすでにかって「図書談話室」の主筆としてやり切りましたのですがすでにソコが終わって仕舞ったのでまたちょろちょろとヤフーブログの方でもってやってましたのですが其のヤフーがバカコイてヤフーブログの閉鎖となりでもって「はてな」に移り逆に強い社會批判の場を形成したのでありました。
もう文句タラタラでもってもうこれでもか、これでもか、と現代文明其のものを足蹴にし虐めたのでまるでかの信長公のやうにもいつしかなりつまりは独善的で且つ他人の無能を蔑み兎に角ガンガン、ガンガンと足で蹴るとのそんな尾張の伝統での惡い癖が實は出ましてね。
つまりはアノ「光秀」が何処かに居るかと思うと最近はもう生きた心地が致しません。
ですがそんな苦しい胸のうちを慰めて呉れるものがありまさに其れが万年筆と石です。
其れも酒と👩では無い?
左様酒と👩とギャンブルには非ず。
🐈や🐍でも無い?
左様🐕や🐼では無い。
だが🐱は好きだ。
さらに🐍が存外に好きである。
其れも大蛇などが特に。
もしや🐊は嫌いなのかい?
いや🐊は大好きだ、だが老🐊のアソーに限り大嫌いなんだ。
さて下らんことを言ってないで物のことを語ります。
兎に角自分に取り「癒しのアイテム」こそが「万年筆」と「石」なのだ。
よって共に兎に角熱心に其れを追求して來た。
其れも「石」の方はおそらく大したことは無いのだらうが「万年筆」の方ではほぼやり切っても來た。
實際に自分は地元でもある程度は名が知られる愛好家なのだ。
だが活躍の舞台が主にネット上だったので結構全國的にも其のハンドルネームだけは知られて居る筈です。
つまりは其の「Sirius」さんです。
※予備知識として
1959年七月生まれのもうすぐ高齢者
まずは宗教藝術文學哲學に強く其れを語らせればまず誰にも負けぬ。
しかも物コレクターでありモノに就き何でも良く知って居る。
特に筆記具に関しては他の追随を許さない。
しかも独善的に「筆記具論」をすでに構築して居り其れを外れた惡い意味での筆記具の追求を壱切許さない。
2003年頃より13年間に亘り伝説の筆記具掲示板である「万年筆談話室」の分室「図書談話室」にて幾多の万年筆物語を連載す。ーと同時に其処での主筆を務めるー
其れも「万年筆物語」だけでは無く文學や繪画などの藝術に関し論ずる場をさう形成せしめた。
其れは彼Sirius氏が持ってる「教養」が自然とさうなさしめたところでのものであり其れ以外のなにものでも無い。
コイツは實際「教養」があり過ぎることに對しむしろ困って居てつまりは考えて居ることが高尚過ぎ世間の認識レヴェルとは常にかけ離れて御座る。
只コイツは元塾の社會の先生なのでキチ外やバカの類では無くむしろ眞面目なでも👩嫌いの變わった人であるに過ぎん。
要するに所謂知能指数が高過ぎて困ってる。
多分其れが弐百位はあるのじゃないか。
いやほんたうは昔調べたところ百位しか無かった。
でもってあくがれの早稲田大學へも行けずでも地元の大學では勿論トップレヴェルで其の成績はハッキリ申して體育以外は全優だった。
其の「女嫌い」と云うのも實はほんたうのところは分からず其のやうな振りをしつつコソコソとラヴ・レターなどを書いて居る可能性などがまた存外に高くある。
さらに🐱が好きで其れも数匹の🐈と毎日壱緒に寝て御座る。
潔癖症であると同時に案外だらしがなくまるで哲學者のやうなことを屡述べるが案外幼稚で露店の🍓飴などにすぐに飛びついたりもする。
其の癖カントやショーペンハウアーなどの独逸の哲學に就いては其れもほぼ學者並みに詳しい。
宗教にも強く坊様とはサシで對話ー法論でも〇ーが可能でまた少し前迄は市内の神社佛閣、教會巡りなどが主な趣味であった。
また繪画が好きで良く美術館へも行くが最近は其れも面倒臭くなり要するに「世捨て人」化しつつもある。
また以前電力會社の研究所に勤めて居たが故に「自然科学」などにも實は強い。
とのことでほとんど上級人間ですが其れはあくまで頭の中の御話のことで現實にはタダの汚ねえ下級民のジジイである。
そんなSirius氏の文房具での得意分野
1.高級高額限定万年筆ー主に九拾年代物に限るー
2.アンティーク萬年筆ー特にL.E.WatermanとSwanやOnoto等ー
3.アーム筆入れー其れも当時物のー
他にも「芯ホルダー」などには詳しい。
さらに「ナイフ」の分野にもある程度は詳しい。
4.ナイフ
「ナイフ」はデカいランボーナイフまで持って居り其れは非常に危険ながら彼の理性が其れを街中に持ち出すことを許可して居ない。
且つデカいランボーナイフを部屋の中で振り回すことなどは無く主に文房具としてのポケットナイフを愛好し其のハンドル材として用いられし銘木だの動物の骨だのまたアワビの殻だのそんな美しいものを光に翳したり爪を立ててみたりして常に愛でることにして居る。
だがそんなデカいランボーナイフを山の中で振り回すことが若い頃にはあった。
其の折にヤクザが山の中に居たことがあり我が愛車ーパルサーX1-Rーの隣に🚙を止め其の中でナイフをチラつかせたのでバカ野郎と思いランボーナイフを抜き身にて🚙の中で振り回してやったところ即奴は退散したのだった。ー暴對法か何かで当時(四半世紀程前)は本当にヤクザが屡山の中に來て居たものだったー
兎に角彼Sirius氏は所謂「普通」の万年筆愛好家には非ず。
ま、兎に角やり過ぎて「壊れてる」とさう言えなくもないが其れは「希求が激しい」=「追求の仕方が徹底されて居る」が故にさうなって居るのでありだから理解し難いことなども有らうが其れは「藝術」や「哲學」が余人になかなか理解されぬことと同じでありよって其れが彼自身のせいでは無いのである。
奴に関する「※予備知識」が長過ぎるぞ!!!
兎に角かうして彼はまた戻って参りました。
何せ彼は理屈に優れますので其の彼に勝たうなどと思ってはまさかならん。
彼は其のやうに元元天上界に輝く万年筆界の壱等☆なのだから。
其の壱等☆と屑の☆とを壱諸くたになど金輪際して頂きたくはないものだ。
そんな屑の☆なんぞはバンアレン帯の辺りに漂うタダのゴミぞ。
だがな壱等☆のSirius氏は宇宙壱強く光り輝くことだらうおおいぬ座の大恒星ぞ!
ハッブル宇宙望遠鏡で撮影したシリウスA(中央)とシリウスB(左下)
Sirius_A_and_B_Hubble_photo.jpg (369×403) (wikimedia.org)
ところがな、此のSiriusには實はAとBとが有る。
Aは良い人格のSiriusさんでBの方は惡い人格のSiriusさんなのだ。
其の惡い人格のSiriusさんが我が心中にもしかと生きて居りイザ彼が暴れ出せば其れこそヤクザの👩にも手を出すわ、また弱者をいびるわ、さらに金は盗むわ大酒は飲むわ。
左様な恐ろしい人格にまさか支配されぬやうにむしろ皆で彼を温かく見守り且つ経済的にも是非援助してあげねばならん。
故に此処での作文の購読料が壱回に就き凡そ壱万円ポッキリだ。
ほんたうは拾萬であるが其処は廣い心でもってしてたったの壱万円にまけてあげておる。
だから読者の皆様には是非有り難く御布施をして頂きたいものですな。
…何時迄バカをやってるのだ、もうエエ加減にせい!!
つい出來心でやりました、どうも御免なさい。
だが御前Siriusの中に惡人が潜むことはコレでスッカリ分かった。
以降は其のSiriusのBの方をまさか出さんやうによーく監督しておきや。
さて話は變わるが個人的に東京又は関東圏には常に御世話になって居る。
だが別に東京を崇拝するのでも無くどだい東京壱極集中などはダメだとさう考えてもおる。
しかしながらこと「物の集中」と云う意味では東京は流石だとさう述べるしかない。
例えば昨年自分は万年筆コレクターとしての「最後の蒐集」を行って居る。
其の折に古い萬年筆を五本程東京ならびに関東圏より引っ張って來たが其のうちの壱本が「理想の萬年筆」である。
其れは戦後の品ではあるが戦前物と言っても差し支えないことだらう古典的なインク止め式でもって巨大な筆である。
だがダンヒル・ナミキであるとかさうした特殊な部類の品では無く言わば「普通に大きい」御品である。
筆記全長180mm
筆記重量34g
重心位置7對3
であり意外と高重心モデルながら何せ軸が太いのでむしろ重心の具合などは余り関係が無い。ー胴軸部で17mm、キャップ部で18mm。ー
其の大きさは例えばモンブランのNo.149などと並べると其れが小型の🖊に見える程である。
でもって此のペンは「蒔繪萬年筆」である。
此のやうに蒔絵が施されるが所謂「繪」が其処に描かれる訳では無く模様乃至は紋様ー文様ーの如きものが胴軸及びキャップに全面的に描かれることとなる。
まずは「繪」よりもむしろ其の方が筆記者に取って扱い易いと云うことを考えて置かねばなるまい。
要するに凝った蒔繪の意匠なんぞはむしろ筆記に取り邪魔である。
筆記とは己が思索を表現することであり従って其れが「精神の格闘」の様でなくて何であらう?
現存在の精神は常にさう格闘するものだ。
さうして精神が闘うからこそ人間なのである。
故に人間が常にヘラヘラと嗤いつつ國家や體制に従って居るのみではダメだ。
時には野獣の如くに怒り世間に噛み付く位でないと此の世の中の様はとても變えられやせぬ。
まあ良い、兎に角此の品こそがそんな究極での「蒔繪萬年筆」である。
1.萬年筆は大きいと存在感が増す
2.金ペン先が大きいと書き心地が概して良くなる
3.大きな萬年筆は「作家」的な使用にも耐える
其の「作家」は矢張りと云うべきか其れなりの万年筆を使って居たものだった。ー昔の作家は特にー
文人の人は考えていること自體や述べることの質と量が庶民とは異なり故にハードに筆記具を使い倒して行かねばならん。
だから其れはダイソーの百円万年筆ではそも荷が重い作業である。
なので文人の人人は常により「本格性」のある筆記具を携え其れにて小説なり詩なりをものして行く訳だ。
確か坂口 安吾の遺品に「蒔繪萬年筆」があったやうに思うのだが其れも調べてみないと正確には言えない。
いずれにせよ「蒔繪萬年筆」の「蒔繪」の部分は其れも存外に創作の邪魔をするものなのでむしろなるべく簡素な意匠の方が良いのである。
ほらこんなに簡素だ。
でもって此の萬年筆は室内では海老茶に見えるのだが天気の良い日はより鮮やかな赤っぽい🖋にも見える。ー晴れた今日などはまさにさう見えるー
でもって其の14金のペン先の方が兎に角巨大である。
さて此の萬年筆を得たのが昨年の11月で其の時以來すでに弐ヵ月程は使い込んで來て居る。
即ち此れは「使う🖊」なのであり「保管して置く🖊」では無いのである。
また其のことは自分が感じた侭にさう選択すべきことなのだ。
だから別にメディチ万年筆であれ何であれ自分が使いたいと思えばさう使えば良いのだから。
4.巨大な14金ペン先の書き心地はほぼ最良の部類
5.付けペンにて使用す
6.首軸は取れず
大きなペン先は総合的な筆記感の向上の上で兎に角有利である。
されどガッシリ、ドッシリとした固い感じになり易くよって柔軟な金ペン先を好む壱部の愛好家には敬遠される向きさえもがあらう。
ところが凡そ弐ヵ月使用してみて気付いたことは其れが意外と柔軟性のある金ペン先で書き方によっては「線描筆記」さえ可能となることであった。
よって細字なのだが時に太字の線迄出すことが可能となる。
また中字の線でずっと書き続けることなども可能である。ー尤も其れは万年筆で筆記する上での最難度での技術であるがー
尚自分は字を綺麗にもまた下手糞にも書け兎に角どんな風にでも書ける筆記者なのだ。
但し英文でのカリグラフィーだけは出來ない。
さうして英語や仏蘭西語などはそも不得意で逆に漢字やら中國語などの方が性に合う。
尚「付けペン」で使用するのは其の方が使用し易くなるが故でのことである。
万年筆は軸内にインクを入れて置くと漏れ出すことが屡ありーインク止め式やレヴァーフィラーなどの古い吸入方式の場合に限りーよってむしろ軸内にインクを入れず「dip pen」として使う方が手間がかからなくなる。
でもって首軸の固着は確かに致命傷ではあれ實は其れにより万年筆として使わぬ訳なのでは無い。
万年筆にする場合は中芯を抜き尻側の穴よりインクを注入すれば所謂アイ・ドロッパーとして使うことは可能となる。
だがまだ其の必要を感じないのでさうして「付けペン」にて使用するばかりなのだ。
尚首軸の固着は古い萬年筆では最も多いトラブルとなる。
我は壱年前にもそんな古い萬年筆を得て居て其の折は是では詐欺に近いから落札値を半分に負けよと出品者にさう言うてやったが決して負けやせんので其の侭に引き取った。
厳密には此の「理想の萬年筆」の場合も本来ならば不具合箇所の告知義務がある筈ながらまあ御品自體が得難い物でさらに当初七萬で出されて居た物が秋まで売れず結局弐萬近く安く落とせたのでまさか文句は無い。
其れに此の御品の出品者が東京の爺ちゃんコレクターさんなのでもあり。
まあ自分もまた其の爺ちゃんながらおそらくはより先輩のコレクターさんでしかもコレが其の方よりの4本目の御品であり昨年は其の方からこそ多くの萬年筆を譲り受けてもまた居るのだし。
兎に角得難い御品である。
またかう云う品は売りには出せずおそらくは墓へと共に入ることとなるのではないか。
7.収納時は146mm程しかない
8.「SUN STAR FOUNTAIN PEN」との刻印が胴軸に有り
さてコレをあえて「理想の萬年筆」と言うからにはまだまだ良いところがある。
例えば万年筆を長年に亘り使い気付いたことがあり其れは収納時に小さく筆記時にデカくなる万年筆こそが良いとのことである。
此の萬年筆は収納時に146mm程しかないのに筆記時は180mmと即大型萬年筆に化けるのである。
また其の名称が「SUN STAR」即ち太陽と☆、つまりは大日如來と☆、なのでありわたくし自身は主に其の☆の方なのだ。
其の☆、つまりは壱等星で要するに「Sirius」さんなのだ。
だから此の🖋は來るべくしてわたくしのところへ來たと云うまさにそんな運命に導かれたかのやうな御品であらう。