目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

とある社會教育家の現状認識ー實践倫理宏正會 上廣 哲治氏による地球温暖化への認識に寄せてー

20.實践倫理宏正會 上廣 哲治氏による地球温暖化への認識に寄せて

 

 

 

 

現代社會が抱える問題とはむしろ其の文明自體の自己矛盾の様にこそある。

文明自體の自己矛盾の様を紐解いて行くと次第に其れは實存としての人間のあり方こそが其処に問われて来る。

 

故に最終的に其れは哲學的なまた宗教的な課題へと収斂して行く。

壱體何で?と皆様さうお思いになるのやもしれぬのだが結局はソコへと行き着いて仕舞う。

 

まさに其れは此の日日の我我の暮らしとはまた別次元での問題です。

 

元より我我の暮らしは大事ですが其れにばかり寄り掛かると其の種の實存的問いに対し疎かとなりがちである。

逆に哲學ばかりして居ると生活力の方が欠けて参ります。

 

左様に此の世の中でのことは須らく矛盾的に成り立つものである。

矛盾的に成り立つものをどう和らげ平衝を保って行くかと云うことこそが人間の課題でありまた社會の課題でもあった。

 

 

其れに対するひとつの解がまさに近代と云う合理化システムでした。

近代とはむしろ恣意的に理性的領域を組み上げ其れにより抽象的に環境ー地球及び宇宙ーを改変して行く試みのことだ。

 

但し近代以前にも文明は其の恣意的な改変を凡そ五千年にも亘り続けて来て居た。

其の具象的改変を抽象的改変へと進歩させたのが特にルネサンス期以降での文明の歩みです。

 

されど其の抽象的改変には具象性が伴わぬ故まさに其れが破壊を引き起こす訳だ。

其の破壊を引き起こす力こそが實は此の人間の生を成り立たせる力である。

 

生を成り立たせる力即ち生を大事にし前向きに生きやうとする力のことだ。

 

 

ですからまずは其の根本でのところを見て置かねばなるまい。

其の本能的な理性の暴発こそが其の破壊を招いて居るものであることを。

 

其のやうな理性は眞の意味での理性では無くウソの理性である。ー原始退行したケモノの理性ー

ほんたうの理性は其の場には居らず他の面をあえて向いて居る。

 

まさに其のことを教えて呉れるのが人文學としての人類の遺産である。

 

功利的な利己主義の蔓延は其の価値を見失うところよりまさに生じて居る。

故に實利的な世界に生きて居る人人に取り必要なのは其の場の利益などでは無く壱篇の詩であり壱冊の哲學書だ。

 

實利的なものは所謂情と結託し詩であり哲學であるものを顧みない。

逆に申せば詩であり哲學であるものは感性や悟性と結託し實利的なものを顧みない。

 

かくして此の世には完全なものなどあり得ない。

 

 

しかしながら、功利的、實利的な効率主義の価値観は結局最終的には破壊を生み出すことだらう。

企業、また政治家、さらに庶民が其の自己利益にばかり群がればまさに此の世は闇と化して行かざるを得ない。

 

まさに其のことが普通に生活して居るだけでは分からぬのだ。

例えばかの芥川 龍之介などはかって其の生活至上主義をこっぴどく批判して居たものだった。

 

まさに其れが人文理性としての最期の叫びだったのだとわたくしは思う。

 

 

さて本日はとある社會教育者の御意見に就き是非語らせて頂きます。

其の方とは實践倫理宏正會の上廣 哲治氏である。

 

ーそもそも「実践倫理」とは、「明るく幸せな生活」を実現するための、誰にでもたどることができる最も確実な「すじ道」のこと。実践倫理宏正会の目的は「生活の改善、道義の昂揚および文化の発展を図るため、生活倫理を実践することを宏めると共に、これを各人の生活に融合せしめ、人生の苦悶を解脱し、人と争わず、家庭を明朗化し、各々の業務に精励せしめ、人類永遠の平和を目標に、祖国の再建に資する」こととされる。また理念の特徴として、日本固有の文化と伝統を重視し、親・祖先を重んじながらも宗教を説かず、むしろ宗教以前の人間にとって不可欠の問題として倫理を考える。したがって、宗教団体ではなく、社会教育団体であることを強調する。ー実践倫理宏正会 - Wikipediaより

 

其の家庭の明朗化や人類の永遠の平和に就きそも今のわたくしは懐疑的である。

其の理由は家庭其のものがまずは利己的な血縁関係に於いて形成されるものであることとさらに人類の永遠平和に関しては其れが無理であることを以前此処にて書かせて頂いて居る。-カントの永遠平和論が誤りであったことを指摘したつもりである-

 

だが「明るく幸せな生活」を少なくとも個として目指すことに関してはまさに其の通りでのことなのだらうと思う。

然し本質的な意味での「明るく幸せな生活」はある程度人と人の社會から距離を置くことで初めて達成されるのではないか。

 

 

本質的な意味で「明るく幸せな生活」をするのであればむしろ「明るく幸せな生活」を放棄するしか無いのではないか。

との結局禅問答のやうな結論となるのですが要するに我の場合は「放棄」の部分に全てを寄り掛からせつつある。

 

つまりは逆ヒエラルキーの形成なので壱種の脱俗的価値の形成でありおそらくは多くの人人の支持はまさか得られぬ精神的方向性のことだ。

わたくしの場合は人文學への傾斜がかうして甚だしくあり其れを半世紀余りも続けた挙句に此のやうな世界観の持ち主となるに及んだ訳だ。

 

最終的には其れは佛陀の価値観ー認識ーを眞正面から見据えたものだ。

其れも在家の壱佛教徒としてはほぼ目壱杯に見詰めたものだと言えることだらう。

 

なので其の世界観、価値観の違いからわたくしは實践倫理宏正會に入って居るのでも何でも無くまた其の活動により「人生の苦悶が解脱」されるとはほぼ思って居ない。

まずは其のことを明記して置きたい。

 

但しわたくしはもう五年程も實践倫理宏正會の会報である「倫風」を読ませて頂いて居る。

何故其れを読んで居るかと云うにとても為になるからお願いして其れを届けて貰って居るのだ。

 

 

さて宗教団体や社會教育団体は様々な機関誌などを出して居り其れこそエホバの証人から立正佼成会や八事興正寺などの眞言宗系のものまで我は様々に目を通して来ても居る。

但し其のほとんど全てが内部論理にて記し描かれた謂わば内部規範である。

 

だが文學や哲學などの理性領域ではむしろ外側から見詰めたところでの眼、所謂外部規範としての人間存在への見通しが求められて居るのである。

其れこそ詩人の中原 中也や谷川先生の如き視界の広さと視座の移動が是非欲しい訳なのだ。

 

其れこそかのプラトーンからカントやショーペンハウアー、またキルケゴールウィトゲンシュタイン、さらにレヴィ・ストロースだのと云った移動した視座の論理こそが是非欲しい。

現代文明が今陥るであらう内部破壊の様、要するに自らが仕出かしたことによる必然としての破壊の様をしかと見届ける為に必要なのが其の移動した視座の論理の確保である。

 

でもって結論を述べれば「倫風」誌の令和四年度参月号に其の移動した視座の論理が垣間見えたが故に今我は其のことに就き論じて居るのだ。

其処にはまず倫風宏話として「自然の警告にどう応えていくか」と云う上廣 哲治氏による記事が載って居る。

 

 

其処ではまず地球温暖化の大問題にも関連するだらう宮澤 賢治の『グスコーブドリの伝記』のあらすじが語られ、其のブドリの自己犠牲の精神の是非は別として地球の「温暖化」の問題に焦点を絞るともされて居る。

其の後50年以上前にスウェーデンの科学者アレニウスが温暖化を予言したことや昨年ノーベル賞を受賞した眞鍋 淑郎氏のことなどが語られる。ノーベル賞 真鍋淑郎さん 50年以上前に“温暖化”影響を予測 | ノーベル賞2021 | NHKニュース

 

尚、科学と云うものはかうして「すでにー眞相をー知って居る」ものなのだ。

わたくしはかって大きな研究所に拾参年間勤めても居たので其のことが良く分かる。

 

此の世の大抵の物理的原理に関してはすでに分かって居る。

なのに地球温暖化を逆に推進させつつあるのは謂わば生活の方が眞理を圧迫するー實利性が眞理を圧迫するーが為にさうして分かって居ても何も変えられぬからなのだ。

 

また成果主義と云う實利性もまた科学者の理性を麻痺させ科学論文の盗作だの捏造だのを許して仕舞う。

だがまあ今は其の部分を論じず、只壱つだけ科学もまた思い切りに矛盾するものであることを此の際是非學んで置くべきだらう。

 

 

さて上廣氏は地球温暖化と云う文明の仕出かした大問題に対しタカを括って居る現代社會の態度は實践倫理の観点から言えば反省しなければならないと述べられて居る。

さうして「大自然の摂理」から導き出されたものこそが人間の實践の課題であり人間と云うものは此の摂理に照らし合わせつつ自らが正しい道を歩む者であるかどうかに就き検証して行かねばならぬ旨を引き続き述べられる。

 

さらに地球の温暖化は人間が大自然の摂理から外れた行動を取って来たことへの厳しい警告だとも述べられて居る。

まさに其の通りで、「大自然の摂理」又は神の摂理また佛の道理から外れた功利性、實利性の蔓延から即ち合理主義の暴走からまさに此のことは引き起こされて居る。

 

またかうした姿勢が他者の仕合せがあってこそ自らの仕合せがあると云う「共生」の思想に合致しないのは明らかだとも述べられて居る。

其の利己的発想の殻を破り広い意味での他者との共生、自然との共生を追及すべきだとさう結ばれて居る。

 

 

さてどうであらうか。

かうした社會教育の類などはおこがましいと言うか要らぬお世話なのであらうか?

 

いやまさかさうでは無く、教育者にせよ宗教家にせよかやうにしかともの申さねばならぬのである。

むしろ其れを言わないで放置して行くことこそが罪であり謗法であらう。

 

其れがまた教団がデカくなったり権威的になって居たりすると事の眞相を語れなくなっても仕舞うものなのだ。

何で偉い俺がそんなイヤなことを言わねばならんのだ?

 

と其のやうに坊主共も聖職者も皆偉くなって仕舞う訳だ。

だが其れではダメだ。

 

むしろ自分から進んで社會の風潮と闘わねば宗教者とは言えずまた教育者なのでも無い。

むしろ自分を低め世に眞實を訴えた上で眞理を追及する、まさに其こそが人文理性を生きる者の生きる上での精神の嗜みであり基本であらう。

 

 

さてわたくしは其の實践倫理宏正會による教育方針、目指すところが正しいなどとはまるで述べては居ない。

何故なら正邪の別などは人間の立場により容易に逆転する。

 

またキリスト教では正しいとされることが佛教に於いては虚妄分別となることなども往往にして存する。

では壱體何が正しいと言えるのか?

 

上廣 哲治氏の其の外部からの視座こそが正しい。

また谷川先生のさらに眞鍋先生の其の外部からの視座こそは正しい。

 

 

但し實践倫理宏正會による教育方針、目指すところに就き我は全面的に同調して居る訳では無い。

例えば倫風誌では屡「愛和」や「共生」の思想が語られるのだがまさに其れはかの日本共産党が述べて居るところでの理想的革命論と変わるところの無い壱種の理想論であらう。

 

只其れが右的に👪主義、復古的価値観でもって伝統文化や伝統的生活への回帰主義となって居る訳だ。

でも其れ等が悪いのでも無く共に良いことが述べられて居る。

 

むしろ壱番悪いのが欲に目の眩んだ産業界や生活至上主義での庶民感覚なのだらう。

要するに其処では實利性に深く捉えられ大きく思考することが出来ないで居る。

 

 

最近僕が最も危惧して居ることとは其の本質的問題をもはや考えられなくなったであらう世に蔓延する現實主義だ。

其の現實主義に対し風穴を開けたと云う意味で社會教育家としての上廣 哲治氏の真摯な御意見を個人的には是非尊重して置きたいものだ。

 

さて其の参月号にはさらに上廣 哲治氏による「年頭之辞」が載せられて居り其の長文の挨拶を壱読するに其処にはペストの流行やルネサンスなどに及ぶ歴史的解釈が盛り込まれて居て大いに参考となった。

即ちペストの流行こそがルネサンスを生むに至ったとさう仰るのだが其れは全く其の通りなのではないか。

 

 

ルネサンスとは「再生」の意でありまさに其れは壱度ペストにやられた欧羅巴が「新しい人間」に生まれ変わる為の再生であった。-わたくしの纏め-

死を身近に感じた人人は「神が守って呉れぬのであれば現世を生きる喜び」へと向いた方が良いと考え来世での幸福よりも現世を生きる喜びに目覚めた。-わたくしの纏め-

即ち現世の肯定、個性の重視、感性の解放などへと向かうこととなるが逆に其れが人間中心主義を生んで行くこととなる。-わたくしの纏め-

 

で、今回のパンデミックはまさに其の人間中心主義の限界を示したものだと上廣 哲治氏は仰る。

其の御意見には是非同調させて頂きたい。

 

其れも神佛ー摂理ーの方を向かずにやりたい放題に藝術だ恋愛だ美味いものを食うんだと其ればかりでは地球が壊れるのはむしろ当たり前のことだぞよ。

いや藝術は無論のこと悪くはありませんのですが他の酒池肉林の部分が如何にもやり過ぎでせう。

 

 

でもってウイルスは人間がむしろ人間社會に招き入れたものである旨や自然災害などもまた人間自身が原因として引き起こしたことであることが語られる。

さらに「人新世」と云う新たな地質年代の概念に就いても言及がある。「人新世」ー人間が化石燃料を用い文明を築き其の結果として人類の活動が地球に対し大きく影響を及ぼす時代ー

 

人工物は弐拾年後に弐倍となるとされ、生物量は減少の途を辿り其ればかりか種の絶滅が加速し進んで居る。-わたくしの纏め-

人間が行動を改めることが無ければ人類の存続すら危ういものとなる。-わたくしの纏め-

「世界は人間なしに始まり人間なしに終わる」レヴィ・ストロース-わたくしの纏め-

 

ついにはかのレヴィ・ストロースまで登場して、其処は流石に社會教育家の方は御勉強の仕方が違う。

 

其の生物圏、生命圏は其れこそ常に関連し合い生きて居るのです。

では何故人間達には其の大切なことが見えなくなるのでせうか?

 

 

わたくしの解釈とはかうです。

其れは社會的な意味での価値観ー欲望ーの暴走に集約されて来るものだ。

つまりはあらうことか社會全体が狂って居たと云うことである。

 

しかも恐ろしいことに小さな社會の単位である家庭もまた否応無く大きな社會ー自治體や國などーの価値観に洗脳されて行かざるを得ぬ。

よって其処でもって社會から壱度身を引いてみるべきなのではなからうか。

 

 

恐竜の絶滅などから鑑みるに人類は絶滅しないと云う保証など何処にも無い。-わたくしの纏め-

 

大自然の摂理に沿って、より善く生きよ」ー先師の教えとのことー

人間が「自然の摂理」に背いて人類だけの幸福と繁栄を追及して行けばやがて不都合なことが起こる。-わたくしの纏め-

 

コロナ後の生き方は人間中心主義では無く「自然」との調和を図りながら生きて行くことが大切。-わたくしの纏め-

例えば江戸時代は社會其のものが自然と折り合って暮らして居た。-わたくしの纏め-

モノに溢れた便利な暮らしは幸福の土台には非ず。-わたくしの纏め-

本当の豊かさ、心の豊かさを求め生きることこそが幸せと言うものだ。-わたくしの纏め-

 

 

かくしてまさに御尤もな御意見です。

 

人類が大自然との調和を図ることが出来れば人類は此の困難を乗り越えてきっと明るい未来を築くことが出来る。-わたくしの纏め-

私は我が會の未来を信じると共に人類の未来を信じて居る。-わたくしの纏め-

 

但し此の点で我は悲観主義で、正直文明には暗い未来しか用意されて居らず見通しは至極危ういとさう思って居ます。

 

ですが其の暗い未来の中に是非あえて発芽させたいのがまさに人文的な世界観なのだ。

人文理性による世界解釈こそが、壱面では其の悲観的世界解釈こそが人類を救う筈だ。

 

尚宗教による教えの世界観の方も勿論歓迎致します。

文學、哲學と其れに宗教が手を携えて進めば人間はまた治ります、まさにまともだった頃としての元へと戻りませう。

 

 

おお何故か前向きな発言だな。

いや其の頃には我はすでに宇宙的自我と融け合いつまりは其処で谷川先生と壱緒にスノードームなるもので遊んで居ることでせう、其れも永遠に。

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