全体主義の克服 (集英社新書) (日本語) 新書 – 2020/8/17
こちらをアマゾンで買ひ今到着を待って居ますが、
人新世の「資本論」 (集英社新書) (日本語) 新書 – 2020/9/17
むしろこちらの方が面白さうでした。
が、結局どちらも読んで置きたひ本だ。
かうして世に本は腐る程にあり其れも次から次へと出て来る。
なのだがどうも今『河童』を読みたひ訳だ。
わたくしの場合かうして読みたひ作品なり本なりが其の折々に明確に出て来る。
尤も其の読まねばならぬものを放って置き何年も後に其れを読んでみたりもする。
読書はさうして知性を磨く糧となるものだ。
で、『河童 芥川龍之介』を青空文庫にて読んでみました。ー其れも半世紀振りに読んでみたー
次回以降の投稿で其の感想をこと細かく述べてみるつもりですが其の前にまずは大雑把な感想を述べます。
まず『河童』は鳥獣人物戯画のやうなもので人間の社会を風刺し戯画化して扱ったものであるが必ずしも其れを否定的に扱ったものでは無ひと云ふ点でした。
晩年の芥川の場合は個人的な苦悩が多く時代や社会に対する不安よりもより具象的な苦悩に彼が潰されて行ったことと見ても良ひことだらう。
芥川は 「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と言ひ残して睡眠薬を多量に服用し死にました。
が、作家や詩人が言ってることはむしろ逆に受け取って置く方が良ひことでせう。
言ひたく無ひことをむしろ暈して遠回しに言って居る場合が多ひので其の「ぼんやりした不安」とはむしろ「ハッキリした不安」其のもののことです。
つまりは現實として不安だらけでもうダメだ、です。
また其れが要するに超秀才のインテリ苦でもまたあるので学校のテストで八拾点以上を常に取れる人で無ひと其処は基本的に理解出来ません。
芥川 龍之介の人生が要約された形で述べられて居ますが其処からは晩年に彼が置かれて居た苦悩の状況が良く伝はって来ます。
- 大の風呂嫌いで、めったに風呂に入らなかったという。入ったとしても、手ぬぐいは持っていかなかったという。
- 大の犬嫌いだったが、晩年、死の直前になってからは、なぜか犬をまったく怖がらなくなった。犬を主人公とする児童文学『白』を改造社出版の雑誌『女性改造』に寄稿したのもこの時期である。
- 『文芸家たらんとする諸君に与ふ』という小文において「文芸家たらんとする中学生は、須らく数学を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。文芸家たらんとする中学生は、須らく体操を学ぶこと勤勉なるべし。然らずんばその体格常に薄弱にして、到底生涯の大業を成就せざるものと覚悟せよ」と述べ、数学や体操を勤勉に学ばなければよい文芸家にはなれないと主張している[22]。ただし、同じ文の中で「こは予自身の経験に基く言にして、予亦然く中学時代を有効に経過せざりしを悲しみつつあるものなり」とも述べていることから、片野善一郎は「中学時代に一生懸命に勉強しなかったことを後悔しているくらいであるから、芥川は数学はあまり得意でなかったのかもしれない」と推察している[22]。ー芥川龍之介 #その他より
風呂が嫌ひな作家は意外と多ひやうですがハッキリ申せば変はって居ますね。
第一風呂へ入らぬと汚ひじゃなひですか。
此の際申して置きますが五木先生もちゃんと頭は洗って下され。
🐶嫌ひなのはわたくしも一緒で兎に角🐕が怖くてなるべく近づきたくは無ひ。
また芥川は数学がまるで出来なかった可能性が高ひ。
其処は師匠の漱石とまるで逆のやうだ。-漱石は元々理系の人間-
體が細くて弱めの芥川にはおそらく体操に対するコンプレックスがあったやうだ。
きっと屡操行の時間を見学に回って居たのではなかったか。
文學者にはまず此の肉体の弱さが必要なのだ。
昔の文士はかうしてみんなインテリでもって體が弱く病に罹り早う死ぬるのだ。
わたくしは漱石よりも芥川の方が作家としては上だと見て居るのだしNo,1の作家はどうしても太宰では無く芥川だと云ふこととなって仕舞ふ。
芥川賞へのあくがれだけは強くあるが小説なんてそんな七面倒臭ひものはまるで書く気にはならぬ。
其れにわたくしはあくまで詩人なので言ってることの感度の方でこそ勝負して来て居る。
さて『河童』は河童の詩人の死を描く物語でもまたあった。
さうか河童にもかうして詩人が居たのか!
詩人は小説なんぞまるで見詰めてはおらず見詰めて居るものは常に愛と死と云ふ詩のみ。
だが芥川は詩的精神を持った小説家でもまたあった。
薔薇
すがれたる
香料をふりそゝぎたるふし床より恋の柩にしくものはなし
にほひよき絹の
夜あくれば行路の人となりぬべきわれらぞさはな泣きそ女よ
其夜より娼婦の如くなまめける人となりしをいとふのみかは
わが足に
ほのぐらきわがたましひの黄昏をかすかにともる黄蝋もあり
うなだれて白夜の市をあゆむ時聖金曜の鐘のなる時
ほのかなる
かりそめの涙なれどもよりそひて泣けばぞ恋のごとくかなしき
うす黄なる寝台の幕のものうくもゆらげるまゝに秋は来にけむ
薔薇よさはにほひな出でそあかつきの薄らあかりに泣く女あり
此の辺りなどは好きである。
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
青蛙おのれもペンキぬりたてか
水涕や鼻の先だけ暮れ残る -辞世の句-
かうして凄ひ句がある。
特に辞世の句は凄ひ。
芥川の詩人としての感度の力が此れ等の歌や句に表れて居るやうに思はれてならなひ。