目覚めよ!

文明批判と心の探求と

W.B.イェイツの神秘主義ー如何に日本の自然が大事かと云ふことー

 

アファンの森よ永遠に~C.W.ニコルからのメッセージ~

 

先日たまたま夜に此の番組を視る機会があり其の内容に感動することが出来た。

また今夜じっくりと視直してみたひと思ふ。

 

ウェールズ出身のニコルさんがかうまで自然保護に熱心に取り組まれたことの背景には英國での自然破壊と云ふことが関わって居ることかと思ふ。

英國特にスコットランドに於ひては産業革命以降自然破壊が大きく進みスコットランドの自然はほぼ破壊尽くされたのだった。

 

だからスコットランドに於ける自然保護活動は世界で最初に始まりさうして世界的に拡がって行った。

 

ナショナル・トラスト

生誕150年 湖水地方の保護に生涯をかけた ビアトリクス・ポター

文明が抽象化の度を深めると同時に必然として自然は破壊されざるを得なひ。

 

英國人は身を持って其のことを体験しだからなのか貴族や王族の中にも自然保護に対し熱心だったり田舎指向の強ひ人が多ひ。

またアイルランドには神秘主義的な精神が元々あり其の分自然への共鳴や共感が古くから行はれて来たやうだ。ー其の例としての妖精

 

ー野外活動を行い自然への感謝の念を養うことは重要な要素である。重要な活動としてキャンプ、ウッドクラフト、応急処置、ハイキングなどがある。 ーボーイスカウト #活動より

ボーイスカウトカブスカウトでの重要な要素がまさに其の自然への感謝の念を養ふことなのだ。

わたくしは小学校の三年生から三年余りの経験でまさに其の事を叩き込まれたのだとも言へる。

 

最終的には組長となり朝霧高原にて行はれた世界スカウトジャンボリーにも参加した。

ところが其の割に今キャンプなどやったにせよおそらく役には立たぬのである。

カレーライスをつくること位なら何とかイケるのやもしれぬが何せ基本的に文人なので手はまるで動かぬ。

 

尚当時は御絵描きの塾、学習塾、カブスカウトと其れから学校とやらされまさにてんてこ舞ひにて今よりも忙しさが酷かった訳なのだがカブスカウトをやったことに関しては今まさに感謝して居る。

自然への眼を開かせて呉れたと云ふ意味で此の体験こそがまさに決定的なものであった。

 

ところが高度経済成長期の我が國では逆に自然への感謝の念を養ふやうな方向性自体が欠けて居たかのやうであった。

今でも日本人は余り自然、自然、とは言はず、其れよりも何よりも大事なのは組織であり和の精神であり失敗をせずに生活を回して行くことなのだ。

 

カブスカウトでも其の協調性は養はれるのだけれど、其処は何せ英國流なのでまた違ふ部分もあるのだと思ふ。

 

元々日本は特別に恵まれた自然環境を持ちまさに「自然への感謝」を忘れぬ國だったと云ふのに経済成長により其の純粋なる心を失って仕舞ったかのやうだ。

日本人の心性は其のやうに不純化して居るのではなからうか、其れも万事に於ひてさうである。

 

金儲けや組織への従順を奉ずる余りに其の純粋な心の部分を汚して来て仕舞って居るのではなひのか。

 

嗚呼其のキャンプでの夜の山の神秘性を今でもまざまざと思ひ出すことがある。

キャンプファイアーや皆で歌った山の唄其れ以上に漆黒の闇の神秘が今でもわたくしの心を捉へて離さぬのだ。

 

ウィリアム・B・イェイツ:詩の翻訳と解説

 

かくしてアイルランドの詩人、W.B.イェイツを知ったのは芥川 龍之介の著作からだった。「ケルトの薄明」より THE CELTIC TWILIGHT ウィリアム・バトラー・イエーツ William Butler Yeats 芥川龍之介訳

尤もイェイツに特に傾倒して居た訳では無ひ。

だが此の芥川の翻訳は如何にも格調が高くまさに詩精神が発揮されしものだ。

 

問題は、此処に精霊が出て来ることにこそある。

其の精霊は、居なひよりも居た方が自然とのバランスが取れるのである。

 

逆に精霊や妖異の類が社会から振り向かれ無くなると其の社会は無味乾燥な合理性に毒されて行って仕舞ふ。

わたくしが常に文明による合理化を批判するのはわたくし自身がそんな自然の持つ神秘性を理解し続け自然への敬意の念を失ひたくは無ひからなのだ。

 

 

  ダナアンについての気まぐれな詩を書きながら
  かつて友達と語り合った日々を思い出す
  わたしたちは暖炉のそばに身をかがめて
  アイルランドに伝わる妖精たちのことを語り合ったものだ

  それは枯木にぶら下がったフクロウのような不思議な連中
  または黄昏の中に奇妙な声をたてて
  あちこちと行方定めず飛び回り
  善悪の彼岸をこえて
  見果てぬ夢を見続ける連中

  かとおもえば火の玉のように燃える戦士たち
  立ち上がって翼を広げ 炎に炎を重ねながら
  嵐のような勢いで魔王の名を叫び
  剣と剣とをあわせては
  不思議な音楽をかなで出す
  そして夜明けとともに消えていくのだ
  はためかす翼の音と白い閃光をあとに残して

 

ウィリアム・B・イェイツの詩集「薔薇」から「アイルランドの妖精たち」To Some I have Talked With By The Fire(壺齋散人訳)より

 

  死にゆく動物は
  恐怖も希望も持たぬ
  人間は死を前にして
  なお恐怖し希望する
  人間は幾たびも死に
  幾たびも生まれ変わるのだ

  名誉を知る偉大な男は
  たとえ殺されようとしても
  自分の息が絶えることを
  恐れたりはしない
  そのような男は知っているのだ
  人間が死を作り出したと

 

 

ウィリアム・B・イェイツの詩集「螺旋階段」 The Winding Stair から「死」Death(壺齋散人訳)より

 

  馬鹿にされてもかまわないから
  わたしはまぼろしについて語った
  普通のひとにどう受け取られるか
  そんなことはどうでもよかった
  大胆であれ 狡猾であれ
  世人の目など取るにも足りない
    十五もの幻をわたしは見たんだ
    一番すごいのはハンガーに引っかかったコートだった

  わたしの習い性となっている
  孤独ほど心地よいものはない
  夜通し独りで過ごすのは快適だ
  そばに友人がいたとしても
  わたしを邪魔するようなことはしない
  たとえわたしを不可解だと思っても
    十五もの幻をわたしは見たんだ
    一番すごいのはハンガーに引っかかったコートだった

  男は年をとるにつれ
  喜びは日に日に深くなり
  ついには空虚な心が満たされる
  だが年寄りには力が必要だ
  神秘と恐怖の種をまく
  あの膨張する夜を乗り切るためには
    十五もの幻をわたしは見たんだ
    一番すごいのはハンガーに引っかかったコートだった

 

ウィリアム・B・イェイツの「最後の詩集」から「まぼろし」The Apparitions(壺齋散人訳)より

 

 

W.B.イェイツの詩2つ

 

確かに田舎へ行きたひ。

其処に小屋を建て百姓がしたひ。

何故なら詩人は都会に生きるべきものでは無ひ。

全く困ったことながらさうだ。

 

詩人は何故都会が嫌ひなの?

要するにガサツだからなのだ。

君等とは感度が違ふ詩人は、兎に角ガサツなのが何より嫌ひだ。

 

Yeats, W[illiam] B[utler]W.B. イェイツ (1865-1939)

 

かくしてイェイツは神秘主義者であり魔術主義者なのだけれど、要するに其れは自然の中には人間の奉ずる抽象的合理性とは異なる具象的な神秘や非合理性が宿って居ることを直観して居たからさうなったのではなかったか。

とは言へわたくしは特に神秘主義者であったり魔術主義者であったりする訳では無く但し神秘主義者であり魔術主義者であることは合理主義者となることよりはずっと望ましひことだとさう信奉する者でもある。

 

つまりはお化けもまた何処かに居るべきなのだ。

そんな妖怪やら割り切れぬ何かやらが生には元々含まれて居る。

 

其の部分を合理化したりしては決してならぬ。

西洋には元々唯一神が居るので其の反対の者が居るのはむしろ当たり前のことなのだ。

 

だが日本の神様や佛様はむしろほんたうに分かりにくひ。

日本人は何せ生活教の信者なのでさうして神佛もまた俗化し現世利益化する必要があったのだらうか?

 

ちなみにわたくしは生活教は危なひとさう考へて来て居る。

創価學会にせよ実践倫理宏正会にせよ生活教になったりしてはイケナヒのだとさう判断する。

 

要するに生活オンリーの価値観からは利己主義による破壊だけが生み出されるが故に。

其処は前回書ひた内容と同じことで、常に生の二側面を同時に見詰めて行かねばならぬ訳だ。

 

さうして洋の東西を問はずに文學は生の神秘の面を、さうしてマイナスの面をも見詰めて来た。

だが戦後民主主義は其処を反故にして経済的な繁栄と現世利益だけを追ひ求めて来て居る。

 

まさに其処が危うひとわたくしは述べて居るのである。

要するに日本人の精神其のものが合理化され過ぎて居る。

 

 

WBイエーツと日本刀

はあー、イェイツはかうして日本刀を大事に持って居たとのことです。

かくして仏蘭西人にせよ英國人にせよ西洋の文化人は東洋の文化には基本的に憧れのやうなものを抱き或は西洋文明を超へるものであると云ふ認識すら持って居たことだらう。

 

ケルティック 能『鷹姫』とは?

一体何だ、コレは?

何とW.B.イェイツ作の夢幻能『鷹姫』とのことである。

かくして東洋の精神のファンでもあったかのイェイツはかうして自ら夢幻能を書ひて居たのであった。

 

 

ー『アシーンの放浪』を発表した同時期、アイルランド独立のために戦う「アイルランドジャンヌ・ダルク」と呼ばれた美女モード・ゴン (Maud Gonne 1866 - 1953)と運命的な出会いをします。イェイツは初めての出会いでモードに強く心を奪われ、それから30年もの間繰り返し求婚し続けては無惨にも拒否され続け、挙げ句の果てにはモードの養女にまで求婚しそれも断られてしまいます。このモードに対する強い執着心は、彼の詩作の源泉にもなっており、『鷹の井戸』でも水を求め続けても得られないことへの嘆きや鷹姫の存在にモードへの想いが反映されているとする指摘もあるます。なお、『鷹の井戸』を書き上げた翌1917年、イェイツはモードへの想いを断ち切って30歳近く年下の女性と結婚しています。ー鷹姫より

 

まあ詩人の愛と云ふものは普通のものよりはかうして遥かにしつこひ訳です。

どの位しつこひかと言ふと死んでも決して忘れ得ぬ程にしつこひ訳です。

 

ーこれまでの異界との交流、神秘主義ケルト復興、そして女性への情念などを新しい詩劇として成立させようと奮闘していたとき、エズラ・パウンドを通じてアーネスト・フェノロサ訳の能を知り、能の「異界」との繋がりを用いた様式的な表現に強い影響を受けます。その影響を受けた最初の作品として、1916年に『鷹の井戸』が執筆されました。イェイツは『鷹の井戸』から、晩年の『クーフリンの死』(1945初演)まで、15編の劇を書きましたが、大衆の理解はなかなか得られませんでした。しかし、こういった詩作への変化がT.S.エリオットやモダニズム以降の詩人達に大きな影響を与えました。ー

 

ほう、さうしてーフェノロサ訳の能を知り、能の「異界」との繋がりを用いた様式的な表現に強い影響を受けーた訳だ。

其の異界、神秘主義とは其れ即ち合理的には割り切れぬ世界のあり方を象徴するものです。

わたくしの捉へ方はさうした非合理の領域を合理化することで人間の利益は最大化されやうがむしろ其のことにより人間の社会は滅ばざるを得なくなる、と云ふものです。

 

よってコロナ禍やこんな危険な温暖化は其れをやったのでむしろ当たり前に引き起こされて居ることです。

藝術的な感性や人文としての智恵は其の合理化とこそ闘って行かねばなりません。

 

宜しひですか?

其の異界、神秘主義が合理的に証明出来るか否かなんてむしろまるで関係の無ひことなのです。

 

むしろさうした証明を免れたものが人間の社会に在る方がより望ましひことであるとさう述べて居るのです。

但し戦後世界はむしろさうした非合理性との戦ひを合理的に推進して来たのだと申されませう。

 

何より其れが役立たぬものであるので、戦後世界は躍起になり其れを放逐しやうとして来たのだった。

 

でも其れがむしろ人間にとり大事なものであったとしたら一体どうしますか?

 

むしろ人間にとり一番大事な日本の自然の保護を訴へかけたのがウェールズ人であったC・W・ニコル氏でした。-1995年に日本へ帰化-

 

何、ニコルさんが何と🐀嫌ひだった?

いずれにせよ自然保護の観点は今文明にとり最重要でもって此のアファンの森よ永遠に~C.W.ニコルからのメッセージ~と云ふ番組もまた日本の自然のあり方にとっての重要な番組ですのでまた近く取り上げ書ひてみます。

 

最後に一言、自然が最も大切だと云ふ観点を回復せぬ限りは日本人に対する文明の洗脳を解くことは出来ません。