傷だらけの大都会ー東宝の吸血映画シリーズと『傷だらけの天使』とー
懲りずにまた出て来て仕舞ひました。
もはやかうして書くのが中毒状態なんでせう。
いやー、まさに素晴らしひ。
コレぞ超マニアックな70年代吸血映画シリーズだ!
1.吸血鬼が活躍する舞台が山の中の洋館であること
2.岸田 森が吸血鬼役で出て来ること
3.兎に角辺りが暗くて怖ひこと
が、實は家事があり時間が無ひので飛ばし飛ばししつつ視てみた。
よって細かな筋の部分が良く分らなひ。
またじっくりと鑑賞してみねばなるまひ。
だが吸血鬼役の岸田 森が階段から落ちて尖った木に串刺しとなり悶絶死する演技こそはまさに迫真其のものだった!
ー1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズ[注釈 1]は代表作となった[注釈 2]。ー岸田 森より
かうして岸田 森氏は何故か若死にをした。ー43歳没ー
人間は還暦前に死ねば矢張り若死にである。
だが還暦以降に死ぬるのは若死にでは無ひ。
かうして還暦以降の生は余計な生なので皆もういつ死んでもおかしくは無ひ。
とさう覚悟しておくべきだ。
どだひ40歳まで生きられなひ人も世の中には居るのである。
よって還暦まで生き延びた奴はとりあえずはもう終わった奴だ。
だから後はもうすぐ死のうが90歳まで生き延びやうが同じことなのだ。
が、現在日本国では65歳以上が高齢者扱ひされることとなって居り年金の支給開始、公共交通機関の敬老パス、また名古屋市内の文化、娯楽施設などの料金割引なども皆其処からになって居るのである。
だからたとへば63で死ぬと物凄く不利益なのだ。
いや60でもって死んだ奴も居るから其れでは年金なども何も貰わず文化、娯楽施設も何も使はずそればかりか只病院のベッドに縛り付けられ癌細胞と闘ひ不味ひ病院食を食はされいや其れさへをも喉に通らなくなりそんな状態で訳の分からぬ抗癌剤や訳の分からぬ免疫療法を受けそんな苦痛に対し果たして君は耐へられるのだらうか?
だからそんなことをする位ならもう早う引退して自由になるんだよ。
第一人間は皆それぞれに寿命が違ふのだよ。
其の岸田 森は伝説のTVドラマ傷だらけの天使 1974-1975に出演し其処で特に濃ひキャラを演じ切って居たのだと言へる。
また其処に同じく岸田一族の岸田 今日子も出演して居り其処でとんでもなく味わひ深ひキャラを演じ切り我我中学生の憧れの大人の女性であった。
傷だらけの天使と言へばアノショーケンによるまさにアナーキーかつアウトローな世界観の象徴でもあった。
其れぞまさしく東京其のものだった。
大都会の片隅にて繰り広げられる虚の生活の悲しみが何より其処には描かれて居た。
其れは地元名古屋の価値観とはまるで違ふものだった。
名古屋人は堅実でもって地に足を付けた生活をすることを好む。
但し余り文化的には悩まぬ。
文化のあり方がむしろ「阿呆の健全さ」的なのであり余り深く文化を追求したり其処で浪費したりせぬのである。
ところがわたくしに限れば元々文化人なので普通の名古屋人とはかけ離れて居る。
其れも文學フェチなので自然と東京人の創った文化に結び付けられて仕舞ふのだった。
わたくしに限ればそんな風に地に足は付ひて居らず東京の道玄坂だったか、兎に角其処にモデルガンを売って居るショップがあり其処から通販でアノ昔の黒ひ仕様のモデルガン、其れもアノルパン三世が使って居るワルサーP-38、コレを何丁求めたかもう分からぬ程に追求しておったのだった。
当時は其の黒ひガンブルー仕上げのモデルガンが中学生の間で流行って居り、友達の家へ行くとルガーP08やモーゼルミリタリーなどが出て来て其れを羨ましそうに眺めて居たことをいまだに覚えて居る。
しかも皆其れは規制前の銃口が開ひて居るモデルであった!
だから今のモデルガンより本物に近ひ訳だ。
其れでもって銃口からドリルを入れ中の棒状の部品を取り除くと何と実弾を発射し得る改造拳銃ともなる。
と友達からさう聞ひただけで勿論改造などはして居なひ。
兎に角70年代も前半位まではまだそんな野蛮さが其処かしこに残る時代であった。
そんな訳で傷だらけの天使が我我名古屋の中学生に示すアウトローの世界観は地元の価値とはまるで別物だった。
大都会の持つ毒。
一言で評せば其の毒其のものを其れが体現して居たのだ。
尤も東京にも江戸文化があり現代の大都会としての毒ばかりでもまた無ひのだらうが兎に角東京には文明としての毒があるとさう知らしめられたのがまさに此のTVドラマからなのだった。
ー修と同じく綾部情報社の調査員。年齢は22歳(ただし劇中、修のセリフで「俺より3つ年下」とある)。修を兄のように慕い、修に張り付いて身の回りの面倒を見ている。修よりも純情かつ手堅い気質で、将来はお金を貯めて、修と健太と3人で暮らすことを夢見ている。親の顔を知る前に孤児院に捨てられ家族の顔も知らずに育ち、最終学歴は自称小卒(中学校中退)だが、自動車修理工として働いている時もある。
- 劇中、頻繁に修を「兄貴ぃー!」と呼んで登場し、ある時は連呼する。
- 最終回で自動車修理工を辞め、あるクラブでボーイとして働き客のチップのため真冬の噴水で水浴びさせられたことで肺炎にかかり、高飛びしようとする修に捨てられ、多くのエロ本のヌードグラビアをペントハウス中にばら撒いて孤独死。ー
まさに俳優として駆け出しの頃の水谷 豊が演じた乾 亨の孤独な生と死こそが虚無としての大都会の死であった。
其処にはまさに其のアウトローが徹底して描かれて居たのだと言っても良ひことだらう。傷だらけの天使#放送リスト
ゴキブリシヌシヌ、ゴキブリシヌシヌ。-確か其の乾 亨がエロ看板と共にドラム缶風呂に入った折のセリフー
70年代も後半となるとかうした虚無的な視点が影を潜めたとへば中村 雅俊による学園ドラマのやうにある種の健全さー悩まぬ自我ーが流行って行ったやうに思ふ。
然し価値観の屈折と云ふ意味では矢張りと言ふべきか此の傷だらけの天使でなければならなかった。
さうしてほぼ人間扱ひされずに使ひ捨てられて行く孤独な若者達の虚無感をこそ其処に描き切って居たのだと思ふ。
まさにさうした虚無感が田舎には無ひ。
だから田舎は何かと鬱陶しひことだらうが其処には人間味がある。
大都会東京の片隅にはさうした人間味の存続を許さぬドライさがどうしても残って仕舞ふのであらう。
だから逆にわたくしは東京には憧れたりはして居なかった。
其処での生活はわたくしには無理だとさう思ったからである。
だが良ひ大學を二校程受けて其れでもし受かったら東京へ行かうとさうも思って居た。
事實地方入試で受けて見たが全部落ちたので行かずに済んだ。
また関西の良ひ大學も一校受けたのだったが結局英語が出来ずでみな落ちて仕舞った。
だがわたくしは結局信長詩人として此の地に生きねばならなかったのであらう。
其の岸田 今日子の文化的演技はまた独特のもので今思へば矢張り上流階級の人だったのだらう、兎に角其の人なりとしての存在其れ自体が何か際立って居るかのやうだった。
ー父は劇作家で文学座創設者の岸田國士[1]、母は翻訳家の岸田秋子[2][3]。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、従弟に俳優の岸田森がいる。俳優の仲谷昇は元夫。
吉行和子、冨士眞奈美と親友であった[4]。ー岸田 今日子より
要するに岸田 今日子の従弟が其の岸田 森である。
岸田 衿子は個人的に其の雰囲気が好きな詩人である。「いろんな おとの あめ」 岸田衿子さん
南の絵本 岸田衿子
いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の 一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑はつきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい
現代社会は急げ、急げといつもまくし立てて御座るがかうして詩人は常に別のところを見詰めて居る。
全くのところ急ぐ必要など何処にもありはしなひ。
其れを急ぐ必要のあるやうにして仕舞って居る社会其れ自体がオカシヒのだ。
現代社会は何故いつもそんなに急いで居るのか?
虚の利益に捉へられて仕舞って居るからだ。
其れも不必要なものを求め過ぎて来て居る。
「葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい」
さうさ、歩ひて届けたって其れは届くのだ。
「ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつく」
のだ。
「種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい」
のだ。
結局、
「いそがなくてもいいんだよ」と。
むしろ急ぐから、壊れる。
急がなひなら壊れなひ。
でも大都会は急ひで仕舞ふ。
大阪でも名古屋でも今は急ひで居る。
だから感染の方もかうして爆発して仕舞ふ。
結局全ては其の価値観の持ち方の問題なのだ。
今は誰もが急ひで居る。
急がぬととても食っては行けなひので。
其れは分かる。
誰もが急がぬととても食っては行けなひ。
だが余分に急ぎ過ぎても體を壊すぞ。
だから心の余裕を忘れるな。
心は合理化出来ず数的還元もまるで効かぬものだ。
そんな大都会の毒をもかうして詩人は静かに見詰めて居たのだった。歴史が眠る 多磨霊園 岸田衿子
蛇足ながらコレもまた面白さうです。
尚文化も行き過ぎると余分なものー虚ーとなるのだと思ふ。
過剰な文化による刺激の是非を論ずること自体が實は難しひことだ。
だが個人的には70年代前半までの文化的退廃の様が嫌ひでは無ひ。
安保闘争にせよ三島 由紀夫の自決にせよまた大都会の毒にせよ其れはまともに何かと向き合ふ其のあり方だった筈だ。
まともに何かと向き合ふことを止めたからむしろ苦悩が消へウソの心の窓が開くのだ。
まさにさうして人間の心の中の眞の虚無が拡がり出すのだらう。
尚傷だらけの天使 1974-1975はむしろ今20~30代の若い人々に視て頂きたくも思ふ。