目覚めよ!

文明批判と心の探求と

あくがれとしての西行の歌と慈照寺銀閣

 

政府のGoTo対応「呑気な感じがして腹立たしい」山路氏が怒り「恩恵はほんの一部の人」とも

 

政府による其のGOTO地獄の様はまさに今始まったばかりである。

 

東京で最多534人、新型コロナ「急速な感染拡大局面」 全国2200人超

 

でも問題は其の感染地獄では無く人間の認識のあり方其のものにそも存して居る。

わたくしが一貫して問うて来て居るものとは其の認識の低級さ=馬鹿さ加減、なのだ。

 

さてわたくしは今年一杯にてパート仕事からは退くつもりである。

と言ってもすぐに隠居出来る訳では實は無く年老ひた親の面倒をみることや家の抱へる様々な問題をまさに来年から解決して行かねばならなひ。

 

 

が、少なくとも現在よりはマイペースでもってやって行けるのやもしれぬ。

實は其処のところが問題で、労働は其の個としての時間を何より奪ひ去るものでもある訳だ。

 

労働とはつまりは社会による人間其れ自体の搾取としての全体主義なのだ。

其れと価値観としての多様性を奪ひ去ることなのでもある。

 

即ち其処に洗脳が行はれて居ることはまず疑ひ得ぬことだらう。

其処でもって社会の奉ずる価値観に染め上げられて仕舞ふ訳だ。

 

 

で、文人系の人々はどちらかと言へば其の縛られるのが何より嫌ひで逆に社会に対し文句を垂れることこそが或は人と美を語ることこそが仕事なのでハッキリ言って社会的な意味での労働はむしろ初めからしたくは無ひ訳だ。

 

ま、わたくしの場合も何せこれだけ吠へる人なのでハッキリ言って社会的な意味での労働はまるで向ひて居なひ。

 

だが日銭稼ぎの為に仕方なくやって来たが此処のところ社会情勢が変はって来ても居る。

 

無論のこと都市圏ではコロナ感染が大爆発する可能性もまたあらう。

 

 

だが現役世代は仕方が無ひので何せ其の社会をやる他は無ひ。

さうしてコロナまみれになりつつ日銭稼ぎに精を出す他は無ひ。

 

其れも如何にも可哀想だがまた其れも仕方が無ひ。

 

だがどうしても此の社会が嫌な人は、たとへば其の嫌な人同士でもってパートナーシップを結び山奥の森などを購入し其処でもって原始の生活などをすることを夢見て生きて行くべきだらう。

 

但し其れが上手く行くものかどうかはまるで知りません。

また其れが實現するかどうかも知りません。

 

ですが其れを希望となし生きて行く手は常にあらう。

 

わたくしも出来得れば其れがしたひ。

でも今はまだ其の時では無ひ。

 

 

無論のこと独居と云ふ手もあらうが其れは出来ぬ訳ではなからうがおそらくハードルが高くならう。

要するにルンペンさん方並に精神力が要るので大変な訳だ。

 

だがわたくしの捉へ方とはさうしたリタイアすることを悪くは捉へて居なひ認識だと云ふことなのだ。

 

まさに其処が子宮思考によるより快適な現世利益を求める思考法とは逆方向となる訳だ。

 

勿論女性でもさうした思考法の人々は居られさうした方々に限り腐った👩にはなって居なひことかと思ふ。

 

👩でもほんたうにつひ飛び付きたくなるやうな眞面目な良ひ女性がごくたまに居るのである。

でも大抵は悪の価値ヒエラルキーを世に撒き散らして御座るパンドーラ―ばかりなのさ。

 

 

わたくしも飛び付かうと思ってる年下の👩が實は今も二人ばかり居るなのだけれどもこんなにハゲジジヒでは其れを妊娠させることなどはまさか出来ぬのでキッカケの方がそもつくれぬ訳だ。ー歯科衛生士と介護士の女共だー

 

昨夜わたくしはつくづく思ったが人間は兎に角群れたがる。

 

わたくしは昨夜かの野村 萬斎の狂言を職場のカメラにて見て居た。

 

さうして十一時まで働かされ家に帰ると喉と頭が痛くまさに死にそうになって床へ倒れ込んだ。

 

と言ってももはやたまにしか行って居なひのでさう大袈裟なものでは無ひ。

 

 

でも其処でもって感じたのは人間は結局「変はれぬ」と云ふことであった。

 

変はれずにさうして常に何かに群がりたがる。

 

其の群がった後にはまさにコロナウヒルス菌だらけだ。

 

 

だが其処へ行き色々しなくちゃイケナヒ。

 

結局労働とはさうしたことなのだ。

 

即ち労働とは其の群がりたがるおバカな人間としての性質に奉仕することなのだった。

 

 

あー、ばからし

でもようやく引退出来て良かったな。

 

 

でも靑ウナギをもう食へなくなるぞ。

たまには食へぬものでもなからう。

また労働する機会が今後無ひとも限らぬことだらう。

 

 

だが今はコロナ大感染の前に引退する、兎に角是が肝要なことだ。

でもまだ一箇月以上もある。

 

困ったな。

もしやもう感染してるのではなひかな?

 

其れもまあ熱が出ぬ限りは大丈夫だらうが。

 

 

折角だから此の際野村 萬斎氏のことを書けよ。

いや、其れは来年以降に此処を文化化して以降に詳しく書ひて行くつもりだ。

 

だが来年の春まで社会が持つかどうかがまるで分からなひ。

 

さうか、因果なものですね。

まさに因果なものよのう。

 

政府によるGOTO地獄は此の先どうなるんですかね?

まあおそらく其れはGOTO地獄其のものであることだらう。

 

 

でももう其の馬鹿共には付き合ひたくは無ひのでまさに自ら一線を引きわたくしは此処にて一作家となる。

其れも宗教、哲學、さうして藝術までをも語る純なる文人としての力を其処に指し示す。

 

では社会科作家はもう止めるのですか?

 

ーたとえ日本が亡びてもあっけらかんとわが道を行こうー

まさに内藤 朝雄の此の言葉が此のところ脳裏を離れぬのだ。

 

或は日本は滅びるのやもしれぬ、でもかうして作家さんは生き残るのだ。

 

日本の社会の馬鹿は死んでも治らんのでせうか?

 

 

然り、社会の馬鹿はたとへ死んでも治らん。

 

いや、日本だけでは無ひ。

 

近現代の社会其れ自体がたとへ死んでも治らん。

 

其れ即ち人間其れ自体がたとへ死んでも治らん。

 

 

もっとちゃんとみんなに対し希望を述べて下され。

 

其れでも文人か?

 

まるでもって文人じゃ。

其れも可成にくどひ文人だぞ。

 

くどひ?

 

では恋愛の仕方などもくどひ?

 

至極くどひ。

 

どの位くどひかと云ふともう其の👩のハイヒールとかを舐め回す程にクドヒ。

 

どだひゲージツ家の恋愛と云ふか愛のあり方は一般のあり方とはまるで違ひ深くて激しひものだぞ。

 

 

たとへばベートーヴェンの愛、コレなどはまさに其のゲージツとしての愛である。

 

ベートーヴェンはまさか👩のハイヒールを舐め回すことなどなかったかと思はれますが。

 

いや、人が見て居なひところでは何をして居たものやらまるで分からなひものだ。

 

ゲージツ家は多かれ少なかれ変態チックなので其処で何が行はれて居るものやら分からぬところが元々あらう。

 

 

ところで人間は何故権威権力だの金だのに群がりたがるのですか?

 

結局其の権威権力だの金だのが「快適さ」を齎す社会をまさに築ひて居るからなのだ。

 

其の「快適さ」とはしかしながら虚の価値である。

 

事實としてイザ具象的な限定がかうして始まれば其の「快適さ」への便益は脆くも崩れ去ることだらう。

 

だが馬鹿程其の「快適さ」に対する信仰を根強く持って御座る。

 

故に其のままにして置けば社会関係は必然としておバカ化して行かざるを得ぬ。

 

 

でもおまへもまさに其の「快適さ」を追求して来て居る筈だ。

 

其の部分に就ひてはむしろ言ひ逃れすることなど出来ぬ筈ではなひか。

其れはでも「快適さ」の範囲がごく小さひ。

 

でもさうして社会全体で「快適さ」を過度に追求すれば必然として社会は壊れて行かざるを得ぬ。

人間の欲する「快適さ」は抽象的に過ぎるのでまさに其れは虚の価値なのだ。

 

 

だが人間にはもはや其のことが分からなひ。

 

全てはかうして人間が求むる虚の価値ー抽象的に過ぎる価値ーが生じせしめる幻想であり幻影なのだ。

 

幻想であり幻影?

 

では実際には無ひものなのでコロナなんて怖くは無ひ?

 

 

馬鹿者!

 

たとへ幻想であり幻影ではあっても地獄だけはしかとあるんだよ。

 

エッ?地獄だけが實現する?

 

其れではまるで地獄教ですが其れもいつの間にか邪教の域へと入って居ませんか?

 

其の宗教詩人さんの頭其のものが邪教化して居るのでは?

 

 

いいや、さうでは無ひ。

 

おまへたち人間の其の邪なる心、實は其れだけが問題なのだ。

 

じゃあ私たちは一体どうすれば良ひのですか?

 

まずは行動を慎み活動を控へよ。

 

まあこれだけ感染が増へて来れば事實上控へて行かざるを得なくもならうが。

 

では行動を慎み活動を控へパートナーを妊娠させることは可なのでせうか?

 

 

おおまさに三流週刊誌並の質問だな。

先にも述べた如くにもう此の世に自らのタネを撒くことなどは止めよ。

 

尤も其の分さみしひので何ぞ趣味をやり其処にて気を紛らはさう。

くれぐれも子宮の欲する願望に煩はされたりしてはならぬ。

 

 

其処にて家族愛♡を全否定なさるのですか?

其の愛を必ずしも否定する訳では無く、但し愛の持ち方の次元を上げて行くべきだと云ふ考へ方なのだ。

 

人間は理性的になるとようやくものが分かっても来る。

理性的になれば行動を自ら律せられるやうにもならう。

 

御勉強が役に立たぬと云ふのは其れは嘘で、其の御勉強により理性としての自我を目覚めさせて行くことさへもが可能だらう。

 

但しむしろ實利的な御勉強などはさうした目覚めへの役にはまるで立たぬものだ。

 

さうしてむしろ役立たぬ知恵を其の種の眞の意味での智慧を磨くことなくば精神を救ふことなどは叶はぬ筈だ。

 

 

だが無論のこと理性では解決出来ぬ問題もまたあらう。

 

まさに其の折にこそ宗教的次元が其れこそ発動されるのだ。

 

しかしながら世間での認識はまるでこんな風になど思っては居らぬ。

 

さう其れはほとんど獣の認識なので兎に角低次元な段階に全てが留まって居やう。

 

 

権威権力だの金だのに群がりたがる其の人間の性質こそがズバリ其の母の腹より生まれしものの定めであり宿業なのだ。

 

さうして此の世の中を眞面目に見詰めれば見詰める程にむしろ其のバカバカしさがクッキリと見へても参りませう。

 

だがわたくしはむしろそんな厭世の気分を大事に思ふ文人です。

 

其んな厭世の気分でこそ其処に詩が書けまた絵が成立するとさうもまた思ふのだ。

 

尤も厭世の気分其のものが一種の精神の高等遊民の為のもので庶民のものでは無ひとさうもまた思って居る。

 

 

其れではわたくしの好きな西行の歌につき少しく考へてみませう。

考へる?

 

歌は考へるものには非ずで、むしろ感ずるものでせう?

 

さうでせうが別に考へても宜しゅう御座りませう。

 

 

 

なにごとも 変はりのみゆく世の中に おなじかげにてすめる月かな

 

 

 

釈尊が示された眞理とはまずは諸行が非常であることである。

 

諸行が非常である為にまた価値はかうして移り変はって行く。

 

謂はば変はらざるを得ぬ非常で非情な世界であることが此の世での實相なのだ。

 

変はらぬのはいつもさうして自然の様ばかりなり。

 

でも其の自然も所詮また変はりゆくものなのだ。

 

但し人間や人間の社会とは其の劣化の速度が違ふ。

 

月はさうして相変らず秋の空に澄みつつ浮かんで居る。

 

其れもコロナには罹らぬのでさうしていつも同じやうにして居られるのだ。ー生きては居なひが故にさうなるのだー

 

 

世の中を 思へばなべて散る花の 我が身をさてもいづちかもせむ

 

 

 

世を捨て去る詩人の心のうちにはまさに其の世を疎ましく思ふ心持ちがしかと御座りませう。

 

もしも世が即浄土であり即天國であるのならばしかしながら其の文人も世を疎ましく思ふ心持ちを持たずに済んだ訳です。

 

なのですが、何故か此の世は其のなべてが散る🌸なのです。

 

🌸は綺麗でつまりは美しひものですが其の逆側にはむしろ醜さが隠れて居ります。

 

さうして美しひものまた同時に醜ひものは滅びる運命を担って居る。

 

 

ー権威権力だの金だのに群がりたがる其の人間の性質こそがズバリ其の母の腹より生まれしものの定めであり宿業ー

 

母の腹より生まれしものはさうして須らく宿業を背負って居る。

 

文人はまずは何よりも其の宿業の哀しみを知って居ります。

 

 

其のやうな世界にかうして生まれ、さてもじぶんはどうして行けば良ひものか?

 

其の世の欲望に上手く合はせて生きれば或はイチローのやうにもなれませう。

 

ですが、イチローは金を持ち過ぎることで結果的にみんなの金を奪っても居ます。

 

其れにイチローには子孫が居なかった筈です。

 

さてもイチローよ、此の際世捨てと同時に金のバラ撒きをやってみなひか?

 

世捨てのやり方を教へますから是非わたくしに一億円を御恵み下され。

 

 

まあ有名人攻撃は此れ位にしてもっと眞面目に述べますね。

 

其処では西行がさうして世捨ての歌人として生きたことこそが大事な部分です。

 

世捨ての歌人は一般的な人では無く永遠の文人です。

 

永遠の文人の作品はかうして世を超え時を超へ後世へと伝へられて行く。

 

其れ即ち其の作品こそが文人の精神の子孫なのだった。

 

 

だが一般的な人は現實的に子供を此の世にのこさうとする。

 

でも此の世は常に非常で且つ非情な世界なのだ。

 

其の非常で且つ非情な世界に遺される子の苦労もまずは其処で考へてみろよ。

 

嗚呼、まさに其れは悲哀であり悲嘆の様なのだ。

 

 

さうか、では我はむしろ世を捨て文の世界に生きやう。

 

文の世界は老ひず、死なず、さらに澄んだ月の如くにいつも光り輝くー滅びぬー。

 

まあさうした願望が世捨ての文人をさう規定して行くのです。

 

即ち西行西行で、其れはまさに半分死にながら見詰めた歌の世界其のものだったのです。

 

また世を捨て歌を詠まねば其の西行は無かったと云ふことだ。

 

なので文を志すとはまさに精神の創造なのです。

 

其れは誰にでも出来ることでは無くかうして世捨ての🌸として結實されしものだらう。

 

 

もろともに 我をも具して散りね花 うき世をいとふ心ある身ぞ

 

 

嗚呼、花よ、さうして鳥よ獣よ岩山よ。

花が散ると云ふのなら我の心も共に散らせてお呉れ。

 

かうして心ある身なのだからこそ。

 

一般人→むしろ🌸としてじぶんが咲きたひ

厭世の文人→一刻も早う🌸と共にじぶんも散りたひ

 

 

との違ひがまずは御座りますが故に其処をどうかご注意あれ。

 

まあ、一般人に壱番理解されぬものが此の厭世的文人指向であり仙人指向であることだらう。

 

實際どう言っても即ちどう伝へても其処は分からぬことでせう。

 

と申しますか文人にもまた色々とあり或は前向きな文人などもまた居られるのやもしれません。

 

其れもやる気一杯のムキムキマンでの文人が。ーまるで室伏長官のやうな?ー

 

 

でもわたくしに限れば何せやる気などゼロだ。

いや下手をすると超マイナス、マイナス273.15度程のやる気の無さとまさになって居りませう。ー極低温絶対零度(セ氏零下273.15度)に近い、極めて低い温度ー

 

文人とは左様にムキムキマンとは正反対の人間で体育の授業を屡見学に回って居た人々のことを言ふ。

 

 

西行の歌はそんなわたくしの心理としての本質の部分にまさにピッタリ来るのであります。

故にもう三十年程ですか、其れも折あらば其の歌に親しみ慰められても来ました。

 

さうですね、文學の解釈として研究した訳では無く兎に角慰められて来ました。

 

ー憂き世を厭ふー

 

此の部分は此処の読者には或は通ずる気持ちかとも思はれますが、まず世の中には通用しなひ思ひです。

 

さう云ふ感覚がそも俗人の間には無ひんですね。

 

哀しひ限りですね、そも其のことは。

 

なので、わたくしは其の「憂き世を厭ふ」詩人として今此の世を生きて居る訳だ。

 

 

もろともに 我をも具して散りね花

 

いやなかなか此処までは言へぬものですよ。

 

そんなじぶんに拘って居るとじぶんが何より咲きたひ訳でせう。

 

だからまさに其処が俗なんですよ。

 

其れも所謂俗臭芬々たる俗人のことですね。

 

 

でも詩人さんはかうして高ーひところから常にお話をしているのですよ。

 

なので詩人さんの心は常に西行の歌と一心同体なのですよ。

 

ヘンシーン、サイギョウ詩人壱号推参!

 

こんな最後にまたぞろオヤジギャグにつひ走って仕舞ひましたがね。

 

 

もろともに 我をも具して散りね花 うき世をいとふ心ある身ぞ

嗚呼西行と言へばさう云へば百人一首の札として其れは常に出ても来ませう。

 

 

いとといかに山を出てしとおもふらん心の月を独すまして

 

ちなみに個人的には西行がかうして詠ふ月の様が兎に角好きなのです。

月と云ふものはまた不思議なものでかの慈照寺銀閣では無ひですが月が似合ふお寺と云ふものが兎に角ある訳だ。

 

さう云ふのをまさに風流と申しますが兎に角慈照寺銀閣は夜訪れるべきでせう。

月夜の晩に訪れてこその東山文化ですよ。

 

詩人さんは北山文化よりも東山文化の方がお好きなやうですね?

 

まあさうですねへ、慈照寺の周りは實はハイキングすることが出来るのです。

其れでもって山道を歩きつつ銀閣を眺めることも可能だ。

 

おおっ、妙に京都通だなー。

いやね、昔ー廿年前位までーは屡訪れて居ました。

 

母が茶華道の関係で始終訪れて居りましたので其れにお供する形で訪れて居たりも致しました。

 

特に大徳寺を何度も訪れて居ます。

 

東山文化は文人趣味と申しますか足利 義政の隠遁気質其のものでせう。足利 義政#晩年

 

ー文化面では功績を残している。庭師の善阿弥狩野派の絵師狩野正信土佐派土佐光信宗湛能楽者の音阿弥横川景三らを召抱え、東山の地に東山殿を築いた(後に慈照寺となり、銀閣、東求堂が現在に残る)。この時代の文化は、金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」と呼ばれる。初花九十九髪茄子など現在に残る茶器も作られた。ー足利義政#人物・評価より

 

金閣の周りにはさほど自然が感じられず金閣自体も人工美の極致と云ふ感じが致しますが片や銀閣はまさに自然の中に溶け込むかのやうな感じで其処が素晴らしひのだと思ふ。

 

小学校の修学旅行でも此の銀閣を訪れましたがむしろ其の当時から好きでしたね。

 

ちなみに今や京都も観光どころでは無ひのでせうが今のわたくしの上司の方などは12月の上旬に祇園の辺りに宿を取られて居るやうです。

其れも祇園には可成に詳しひとのことだ。

 

祇園と言へば勿論舞妓さんで、其の舞妓さんなどはわたくしにはまるで縁の無ひ世界なんですね。

 

まあわたくしにはそんな花柳界よりも銀閣寺の方がずっと性に合って居りまさに夜中にでも行き月光に照らし出された銀閣の写真でも撮って来たひ程です。銀沙灘

 

 

 

ー京の都が焼け、政治も上手くいかない義政は、現実逃避するように隠居先として東山山荘を建てました。都に背を向けた銀閣の姿は、義政の「もう京の都を見たくない」という気持ちの表れではないでしょうか。ー東山慈照寺「銀閣寺」の魅力と歴史、わび・さびの世界観をわかりやすく解説より

 

室町幕府八代将軍足利 義政はかうしてまさに社会から逃げました。

でもコレぞ素晴らしひ逃げでしたね。

 

都などもうイヤだ。

人間共の社会なんぞ金輪際もうイヤだ。

 

其のお気持ちは今のわたくしにも痛ひほどに分かります。

つまりはサヒコーの逃げの山荘こそが其の東山山荘です。

 

義政公は然し可哀想でしたね。

元々体育の授業が嫌ひな文化人なのに将軍職を押し付けられ其れもやりたくなひ仕事を延々とやらされて居たのではなかったらうか。

 

ー上層の「潮音閣」は禅宗様仏殿で、花頭窓(かとうまど)が特徴的です。

金箔が贅沢に貼られている派手な金閣に対して、銀閣は豪華さという点では欠けているように思えるかもしれません。室町時代後期に栄え、東山文化を代表する建造物である銀閣の魅力は、子供にはなかな理解しがたいのですが、齢を重ねるにつれ実感できるといわれています。ー東山慈照寺「銀閣寺」の魅力と歴史、わび・さびの世界観をわかりやすく解説より

 

 

銀閣はどうも禅ですね。

禅は元々哲學ですので、矢張りと云ふべきか相当に観念的なものです。

 

ー月の光を反射させるように白砂で波紋や灘を表現したといわれる平面的でシャープな砂盛りは「銀沙灘(ぎんしゃだん)」。歴史ある寺院でありながら、一般的な枯山水とは一線を画した現代アートのような向月台や銀沙灘があるのも、銀閣寺の魅力のひとつですね。ー東山慈照寺「銀閣寺」の魅力と歴史、わび・さびの世界観をわかりやすく解説より

 

 

其れですね、其れ。

其れの写真を夜に撮りたひ訳だ。

其れもまるでベートーヴェンの「月光ソナタ」の世界でせうね。

 

ー散歩がてら少し上るだけで、銀閣や庭園など慈照寺全体を見渡せます。京都市街地も一部は見えますが、手前の吉田山が屏風のように都の景観を遮る役目を買っているのも興味深いところ。ロケーションにこだわって銀閣寺を造営した義政の思いを、ここでも伺い知ることができますね。

秋の紅葉シーズンには周りの山々が色づき、冬なら雪化粧して心が洗われるような凛とした景色を見ることができます。どの季節でも眺望がとても素晴らしいので、銀閣寺を訪れるなら足を延ばす価値アリです。ー東山慈照寺「銀閣寺」の魅力と歴史、わび・さびの世界観をわかりやすく解説より

 

 

さうです、まさに此れだ!

此の写真でのやうに山から銀閣や庭園など慈照寺全体を見渡せるのです。

まさに此れこそが高雅なる文人趣味の体現では無くて何でせうか!

 

そんな腐ったやうな👩共の着物姿にうつつを抜かすよりはよっぽど其の方が美しひ光景ですよ。

其れに弁当なども其処で食へると思ひますよ。

 

其れに京都の弁当などは流石に美味ひことかと思はれますよ。

 

3. 下鴨茶寮 「おやさい京弁当」

7. 伏見稲荷 千本いなり 「京風いなり寿司」

15. ジェイアール東海パッセンジャーズ 「京のおばんざい」

 

京都駅の駅弁ならコレ!京都駅でおすすめの人気駅弁15選 よりー

 

わたくしが此処から選ぶとすると此の三品です。

其れも京野菜が入って居るものなのか分かりませんが兎に角京都の野菜が好きなのです。

 

わたくしは案外女性的な感性の持ち主ーでもオカマには非ずーですのでかうした優し気な選択となるのです。

 

また此処では意外と牛肉系が多ひやうです。

 

俗に関西は牛肉で関東は豚肉だとも言はれたりして居るやうですがまさにさうしたことなのでせうか。

豚肉も然し下手な牛肉よりも美味ひものが實は幾らでも御座ります。

 

尚金持ちが良く食ふ霜降りのA5等級の牛肉、アレなどはまるでイタダケません。

あんなものを食ってる奴は要するに馬鹿ですね。

 

まさにアレは病気にした牛の患部を食ってるに過ぎぬのでそればっかをやりますと皆すぐに病気になり死にさへ至りませう。

 

まあ兎に角わたくしはかうして酷く文化人ですので京都のお野菜の弁当などを是非食ってみたひところなのだ。

要するにもうまるでみんなとは違ひ文化レヴェルが常に高ひのだ、いや其れも現實的には實に困ったことなのですがね。