我と同ひ年のかの俳優がパパになるのださうだ。吉田鋼太郎 22歳下の妻が妊娠6カ月 来春出産
が、彼は一月生まれなので現在は一歳上だ。
でも来年の七月には我も其の六拾弐歳となる。吉田鋼太郎、62歳パパに!22歳年下夫人が来春出産予定「長生きしたいね」
さてもこんなコロナでも長生きがしたひのか?
逆に世から消へ去りたひとは思はぬのか?
其れにそんな娘みたひな齢の👩を妊娠させることなどは何より罪だぞ。
もしやおまへは馬鹿か?
さうだ、此の煩悩にまみれし俗世間を無視しまずは自転車を買ひに行かう。
何故自転車を買ふのか?
其れは🚙が無ひからだ。
其れも最盛期には我が家には🚙が四台もあった。
だが車庫には二台しか入らぬので後は駐車場を借りて居たのだった。
🚙に乗ると人間にとっての具象的感覚が麻痺し兎に角制限を受ける。
人間はいつも五拾キロ、百キロで🚙を走らせるがでも其れはキチガヒのやることだ。
わたくしも35年間🚙には乗ったがもはや突如として其れがバカバカしくなり五年程前に止めた。
そんな文明のキチガヒがやることにはもはや付き合ひたくは無ひ。
そんなキチガヒをやると生と死が交錯する此の世でのドラマツルギーに対し鈍感になって仕舞ふ。
わたくしはむしろ五十歳を過ぎてからかうして詩的なたましひを再生させた。
わたくしがようやく其の幼き頃に感じて居た詩を見詰められるやうになったのはさうしてごく最近のことなのだ。
さうだわたくしの文學、其の愛と死のドラマツルギーを何とか復活させるのだ。
第一其のことには還暦も何も無ひではなひか。
むしろ還暦だからこそかうして詩人として復活することが可能となったのだった。
文明のやることには総じてそんなデリカシヒには欠けて御座る。
其のデリカシヒをこそ是非取り戻さう。
わたくしが憎むのはまさにそんな生への鈍感さなのだ。
また其れは文明に限らずあらゆる人の心の中に潜む鈍感さであり無頼ー暴力ーなのだ。
今まさに政府が其の暴力です。
子宮思考がまさに其の暴力です。
嗚呼、實際わたくしは何て敏感なのだ?
普通は年を重ねると鈍感となり其れこそ人前でもって鼻クソを穿ったりもする筈なのであらうに。
其れがもう此の乙女のやうな感受性は一体何処より来たりしものなりや?
さうかうするうちにイオンの新瑞店に到着した。
嗚呼、まさにコレが良ひことだらう。
こんな一万七千円の安物の割には軽めでしかも買ひ物駕籠まで付ひて居るぞ。
其れにカラーがわたくしの好きなブラック●だ。
ー何せわたくしはアナーキストなので元々ブラックが好きなのだー
服などもブラック系ー其れもブラックのチェックのシャツと黑ズボンとが好きー
つまりはまるでかの中原 中也のやうに黑づくめなのだな。
特に最近はパソコンも万年筆も何もかもブラックが好きだ。
實は部屋もオールブラックに塗り替へたひ程だ。
で、髪型はいつもオールバックだ。
其処も流石は黑詩人だな。
但し頭頂部から後頭部へのハゲが酷く大きくなって仕舞った。
だから黑づくめのハゲオヤジにしか見へぬ。
つまりは吉田 鋼太郎のやうにはモテなひ。
其れにいつも陰鬱な顔をして居る。
其れも善人顔でもって實は仏像系の優しひ顔をして居るのだが案外陰鬱なのでもある。
おお、こんな顔にもほど近ひことだらう。阿修羅像(八部衆のうち)奈良時代
実際似て居る部分もあるが或はコレに少しだけ齢を加へた感じであらうか。
ちなみにわたくしは両性具有的なので元々お肌が綺麗でもって色が白ひのだ。
但し足は可成に臭ひ。
足が水虫とかでもって要するに病気なので靴が皆すぐに臭くなる。
だから靴はいつも水洗して居る。
つまりは洗濯機にかけて御座る。
嗚呼、其の美しひ詩人のお顔。
其の自転車をカードにて買ふ時に何やら情報を登録するやうにタブレット端末を差し出されたがまるで其れを操作することが出来ず若ひ女店員さんに全部やって貰った。
尤も其れ以降は爺扱ひをされて仕舞った。
サア、此の自転車でもって老後をハッピーに過ごさう。
おお意外と軽くて良ひではなひか。
なんだメイドインチャイナ、か。
最近は中国製の物も相当に良くなって居り此の間アマゾンにて買ったツールナイフーー限定割引販売されたーなどは安ひ割に凄ひ奴で瑞西生のツールナイフにもひけを取らぬ程のシロモノだった。
無論のことこれまで長く乗ったブリジストンのクロスタイプ自転車には感謝の念を捧げつつお別れの挨拶をして置ひた。
其れも前輪のスポークが四本取れ走らせるとタイヤがうねうねとまるで🐍のやうに動ひて見へるのだった。
さらに漕ぐ度にぎーこぎーこと音がして何処までもウルサヒ。
然しやう頑張ったのお。
おまへ程頑張った自転車は此れまで他には無かった。
アアありがたや、ありがたや、ありがたや。
なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ。
サア、では折角此処まで来たのでお寺巡りでもして帰らうか。
でもってまずはこちらへ行ってみた。
この寺は新瑞のイオンの裏手の山の天辺にあり南区にしてはまさかと思ふやうな良ひ環境にある浄土宗の寺だ。
わたくしは四年前までこんな寺があらうとはまるで知らなかった。
では何故此の寺を知ったのか?
實は四年前に不祥事をしでかし🏥を去った大學の先輩が住むアパートを探すうちに此の寺へと辿り着ひたのだった。
わたくしは其の時大學の先輩に求人情報を知らせる為に此の呼続の辺りのアパートを探して居たのだった。
大學の先輩とはかって職場にて様々なことを話し合って居たものだった。
先輩は風采の上がらぬ👨でしかも頭も広範囲に禿げて居た。
さうして当時彼は離婚を経験ししかも娘からも無視されるに至って居たのだ。
そんな先輩ながらわたくしの話を眞剣な表情でもっていつも聞ひて下さったのだ。
一体どんな話を?
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長年に亘り付き合ったー13年に亘りー👩と別れたわたくしは四十過ぎからさうして人生の意義を問うて行かざるを得なくなった。
まさに其のことがわたくしに対し人間を探求する機会を齎して呉れたのだった。
わたくしは今でも其の事が得難ひ機会だったとさう思って居る。
人生が順風満帆であればある程人間は其のことへの感謝の念をむしろ忘れて行って仕舞ひがちだ。
だから人間はむしろどんな時にも苦しみを忘れて居るべきでは無ひのだ。
さうして人間の苦しみの多くはむしろ社会的な事象より発生して居るものだ。
フランクルの体験も、また我我の体験も然り。
しかも一番身近な社会とは母親であり配偶者である。
さう其れは一見父親や兄弟のやうに見へて實はさうでは無ひのだ。
父親や兄弟は本質的には社会を欲してなどは居なひ。
故にこそ釈迦とキリストが二大宗教を此の世に築き上げたのだった。
女性が欲するもの、實は其れこそが社会を常にさう規定して居る。
でも女性は常に平和主義であり命の母としての役割を担って居るものなのでせう?
果たしてさうなのだらうか?
むしろ其れが偽善の名を借りた利己主義なのだと言へぬものだらうか?
まさに其の部分こそが離婚しさらに娘とも音信不通となった先輩にも通じた部分ではなかったらうか?
ーこのところ少し女性批判が過ぎて居るかのやうですがー
まーエエよ、此の際言ったるは。
其れもズバリ言ふよ。
甲斐性が無ひからと言って女共は何故さうして父ちゃんを平気で捨てるのだ?
第一父ちゃんは世界で独りだけの偉ひ人だよ。
何で女共はさうして経済的な尺度や社会的な地位やら成功度でのみ男性のことを判断して仕舞ふの?
わたくしにはまずはソコが理解不能だ。
そんな下らぬ価値の遥か以前に父ちゃんは世界で独りだけの偉ひ人だよ。
で、佛教と言ったって、そんなものはおまへらのそんな生臭さをむしろ消して行く為にこそあるのだよ。
もしや腐ってなひか、そんな👩共の訳の分からぬ欲望こそが。
だから甲斐性なんぞまるで無くてもエエんだよ。
甲斐性の無ひ奴の方が眞に優しひ🚹なのだ。
ワアー、お寺だあー。
とか言ひつつ中年女だのババアだのがさうして寺に群がるが果たして佛法の本質が其処に分かって居るのか。
分かってる訳が無ひはな、そんなもん。
其の安泰寺は小山の天辺にある故名古屋の南区や瑞穂区の辺りが一望出来る。
のみならずこんな晴天の元一体何の大木なのか、黄葉がまさに眩ひばかりに光り輝ひて居る。
さうしてあくまで寺は静かである。
だが女共が持つ欲望はあくまで何処までも根深く罪深ひ。
ー大學の先輩がかってさうなったことは創作では無く全て事實であるー
人間の苦しみとはかように深く嫌らしく存し且つ救はれぬ部分をも内包するものだ。
フランクルはナチスの収容所での極限の体験から希望を抱くことの大切さをまさに教訓として導き出して居る。
だがわたくしの場合安易には希望などを抱きたくは無ひ。
👩の欲望まみれでもってして絶望的な此の世界に一筋の光明を見詰めつつかうして還暦詩人は歩を進めて行くのだった。
お次に訪れた法泉寺はまさにこんなところにて寺が小さひ。
が、此の寺にも大きく美しひ木が数本纏まって立って居た。
尚わたくしは寺にて手を合はせ本堂なり仏像なりを拝んだりはしなひ。
わたくしが拝むのは二月の節分会の時とかの日泰寺にて釈尊の御眞骨に対し拝むばかりなのだ。
わたくしはかうして動き回りつつまさに禅をやって居るのであるから其処にそも拝むやうなものは何一つ無ひのだとも言へやう。
釈尊の御眞骨に対し奉り拝むことはまさに笑止千万のことながら正直なところ現場へ出向くとつひ其れをやって仕舞ふ。
なのでみんなはまた読者の方々はまだまだ修行が足らぬ、即ち佛教のことなどまだ何一つ分かっては居らぬのだ。
其れも佛教のことが分かると云ふのは、お経を読んだり意味を理解したりすることでは無く此の世での矛盾の様に悩み傷つきまた絶望し、其れでも猶其の人間の苦悩に寄り沿ひ生きて行くことを決意するところにこそ生じ得る理解でありつまるところは其の共感としての慈悲の心なのだ。
其れ即ち衆生の持つ苦しみへの共感としての慈悲の思ひにこそ其れは存して居やう筈だらう。