目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

尾張の神社・仏閣巡りー壱 八事神社→塩竈神社→八事山興正寺ー

文學とは左様にとても観念的な世界でもってして一種苦しひものなのです。

ですがわたくしのやうに文學に捉へられて仕舞って居る人もまた居ます。

 

其れに捉へられて居なひ人々はおそらくはガサツでもって鈍感なのでせう。

其れはさうした心の性質に生まれつひて仕舞って居るが故にです。

 

また音樂をやらざるを得ぬ人々や繪画でもって表現をして行かざるを得ぬ人々がまた居る。

ベートーヴェンゴッホやルドンがまさにさうした人々であった訳だ。

 

でも世間の人々はさう云ふのが本質的には分かって居なひ。

さう云ふのは藝術の世界の話なのでみんなが居る世界とは本質的には場違ひなものでしか無ひ。

 

 

みんなはさうしてむしろ👩が好きでせう。

其れと何かを食ってウンコ垂れて寝て其の👩を触って其れでもって人生は終はりだ。

 

ああー、羨ましひ。

そんな鈍感さがまさに羨ましひ。

其処まで動物だと観念もクソも無くまたデリカシヒもクソもまるで無ひですね。

 

 

でも此処の読者の方々に限ればもう少しだけ高等動物でせう。

何故なら獣にはわたくしの書ひてることの意味など分かる筈が無ひからです。

 

つまり獣共には決して分からぬことだらう人間の智慧の部分につきわたくしは常に述べて居るのです。

だから獣共は此処の何処かをたとへ読んだにせよ常に嫌な気分が生じもう此処へは来なくもなりませう。

 

故に此処でわたくしは人間の理性にのみ語りかけて居るのだ。

 

其れは獣=馬鹿とは話をしたくは無ひと云ふことなのだ。

 

じゃあ鳥や🐗や🐅や🐻や🐊やオオサンショウウオなどは馬鹿ですか?

 

いやわたくしは彼等とはいつもお話をして居ります。

逆に心の醜ひ獣=悪ひ人間にだけかうして言葉での攻撃を仕掛けて居ります。

 

 

即ち馬鹿とは人間の持つ特性なのです。

 

中でも馬鹿田大學を出て居るやうな馬鹿はまさに一番救はれぬ馬鹿です。

 

ところで貴方も馬鹿田大學を出て居るやうですが?

 

 

此の馬鹿者めが!

たとへ馬鹿田大學を出て居やうが何だらうがかうして作家は作家で詩人は詩人ぞ。

 

作家様、詩人様はたとへ死んでも其の名と作品を遺すのだ。

だから作家様、詩人様はな、おまへらなどよりはずっと偉ひのだ。

 

其れも精神の貴族だ、精神の貴族。

だからおまへ如きアンポンタンがどうのかうのと言ふべきことでは無ひ。

 

 

では何故文學者は自決するに及ぶのでせうか?

 

其処はまあ感受性の問題でもあることでせう。

文學者にせよ画家にせよ音樂家にせよ皆其の感性の権化、高く聳へ立つ感受性の樹冠でもって震へて居る葉っぱのやうなものなので自ら舞ひ落ちることさへもが其処では屡あり得るのです。

 

対してみんなは感性の雑草なのでみんなが風にも雨にも打たれ強ひ訳だ。

みんなはさうして感性の馬鹿なので常に強く逞しく生きていかれる。

 

あ、馬鹿と言ひましたね、今日本のみんなのことを。

事實さうじゃあーりませんか。

 

 

でも何だか気分が悪ひなあ。

知性が動物並だの馬鹿だの阿呆だの、其処まで大衆を攻撃する文人は世界中を探してもおそらく見当たらぬことでせう。

其れもアナタ以外にはね。

 

貴方はプロの作家じゃなく此処で金を稼ごうとは思って居なひのでさうして意地悪なことばかりをみんなに対して言ひ放つのですね。

 

其の通りです。

むしろみんなをイジメることこそが此のブログでの最大の目的です。

さうして人間其のものを批判する場がまさに此処なのだ。

 

 

さて本日は御日柄も良く且つ晴天に恵まれましたので神社仏閣巡りをまたして参りました。

 

其れにつけても本日はなかなか暑かった。

此の暑さ寒さが極端化、不安定化して居る部分が今地球が抱へる気候変動の証拠の部分なのだらう。

 

 

八事神社→塩竈神社八事山興正寺

 

とのいつもの定番ルートにて行って参りました。

 

一言で申しますれば其れはずっと高級住宅街を移動して行くルートとなります。

 

つまりは非常に環境が良く杜の中にあり、また高台にあり眺望が効くところが多ひ訳だ。

 

 

八事神社

 

此処は小学生の頃わたくしが夏にカブトムシを捕りに行った其の森の際にあります。

猶此処は天白区となりますが瑞穂区昭和区との境にあるところで今では中の上から上の中位までの住宅街のひとつだと考へても良ひことでせう。

 

八事神社の良ひところは都市部の神社としての穴場としての雰囲気が濃厚に漂ふ部分にあります。

要するに参拝者がごく少なく此の辺りの近辺の人だけに限られるが故に何時訪れてもまさに杜の中の静寂を感ずることが出来る。

 

ズバリ言へばまさに此処こそがサヒコーの神社でありませう。

此処ではもう思ふ存分お参りが出来ませう。

 

ですが、現世利益を得る為にお参りするよりは其の杜の中の静寂をこそ感じて頂きたひ。

 

わたくしも神社に祀られて居る神に祈る場合がたまにありますがたとへば縁結びだの学業の成就などを祈った試しなどは無く只上手く泳ぎ切れますやうに、此の濁世を此の先一箇月位は何とか乗り切らせて下されとさう願ふばかりですが實は其れもまた立派な現世利益主義のことだらう。

 

 

ちなみに五拾年前此の辺りはまさに山林ばかりで其処へ小学生のわたくし共が探検に入りますと何やら変な虫は居るは、また野犬がイキナリ飛び出て来て我我の足に噛み付かうとするのです。

其れも真夏のことにて必死に走って逃げつつまさにホウホウの体にて山から逃げ帰りますと此処から家へ帰るにはまた参拾分以上歩かねばなりません。-其の時はまだ小学弐年生位で自転車には乗っては居なかった-

 

其れでもって暑さで死にさうになりながら丘にさしかかりますと一軒の立派な邸宅が見へました。

 

其処へ駈け込んでジュースを貰おう!とさう判断したわたくしはピンポーンと其の家の呼び鈴を押したのです。

すると優しさうな奥様が出て来られ、其処で間髪を入れずに「喉が渇ひて死にさうです。」とさう申しましたのです。

 

すると其れから出て来るは、出て来るは。

 

其れもジュースやら麦茶やら二種か又は三種の冷たひ飲料がデカひ盆に用意されわたくしの目の前に突き出されました。

 

其の時にわたくしは人間界での極楽世界と云ふものを初めて体験したのでした。

 

 

かうして金持ちの方々にもまた良ひ方々は居るのです。

また貧乏人にも根性の悪ひ奴等が居ます。

 

かうして八事神社はわたくしが訪れる名古屋市の神社の中ではサヒコーの環境にあります。

ある意味ではまさに其処が伊勢神宮熱田神宮などよりもずっと好ましく感ぜられる。

 

わたくしは兎に角こんな静けさに満ちた神社こそが一番好きなのだ。

 

 

ー八事(やごと)の地名の由来について津田正生は『尾張国地名考』の中で、「岩之田(やがた)」が鎌倉から室町時代にかけて変化したものと書いている。南北朝時代土岐氏の記録に八事村が出てくることからすると、その頃すでに八事村と称していたようだ。
 石田里(いしだのさと)ともいったというから、石や岩の多い土地だったのだろう。
「やがた」の「や」は岩を指し、「ごと」は古語で凝り固まっているという意味の「こごし」から転じたもので、岩のごつごつしている土地のことという説もある。
 御幸山一帯は今でこそすっかり住宅地となっているけれど、江戸時代は尾張を代表する景勝地で、明治から昭和にかけては一大観光地だった。名古屋の人が「山」といえば「八事山」のことで、「山へ行く」といったらそれは八事の山に行楽に行くことを意味した。
 1686年に八事山興正寺web)が建ち、お参りもしつつ、山に登って景色を眺めるということを江戸時代の人々はしていたのだろう。熱田宿の向こうはすぐ海だったから、実際ここからよく海が見えたはずだ。
 明治になると八事に馬車鉄道が開通し、やがて路面電車になった。
 山には遊園地ができたり、野球場が建てられたりもした。
 かつての八事はものすごい賑わいだったようだけど、今の八事を知っているとその頃の様子を想像するのは難しい。歓楽地の面影はなく、今は大学などの学校が集まる文教地区というイメージが強い。ー
八事神社より

 

御幸山一帯は今でこそすっかり住宅地となっているけれど、江戸時代は尾張を代表する景勝地で、明治から昭和にかけては一大観光地だった。名古屋の人が「山」といえば「八事山」のことで、「山へ行く」といったらそれは八事の山に行楽に行くことを意味した。ー八事神社より


なる程、当時山と云ふのは相生山では無く八事山だったのですね。


で、金持ちは何故か山に住みたがるので自然に其処が高級住宅街化して行く訳だ。

但し此の八事神社の辺りは完全に住宅地であり一キロ程は行きませんと店などはまずありません。


逆に言へば同じ高級住宅街でも南山や覚王山また石川橋近辺の便利さとはまるで異なるものでせう。

兎に角昔は低山其のものでしたので此の周りには何もありませんでした。



塩竈社(御幸山)

 

其の八事神社のすぐ東隣の山の上に其の塩竈神社がある。

此処はまさに眺望が素晴らしひところで、天白区から緑区、また猿投山の辺りまでが見渡せる凄ひところだ。

 

ですが安産祈願専門とのことですのでむしろわたくしには一番縁の無ひ神社なのだが兎に角其のロケーションの素晴らしさに惹かれつひ訪れて仕舞ふ神社である。

だが無論のことお参りはしなひ。

 

ちなみに此の御幸山の辺りは可成にハヒクラスな邸宅があり一番凄ひのは家の門のところに防犯カメラが拾台程設置されて居て森の中に多分家があるのではあらうがなかなか良くは見えずでも確かにデカひ家は其処にあるのだ。

さうして此の家には昔から参って居たものだった。

 

御幸山も矢張りと言ふべきか昔からハヒクラスであることで有名であり、ところが塩竈神社にも程近ひ御幸山中から出て中日ドラゴンズの抑へとして大活躍したのがかの田島 慎二であった。

 

田島 慎二 年俸・年収データ

 

だが今はこんなにダメだ。

 

何故か?

結局其れは田島がエエトコの子だからなのだ。

 

結局エエトコの子は生涯に亘りエエトコの子だ。

だからエエトコの子はすぐ腹も出るしまるで城のやうな家に住んで御座るので何でもお手伝いさんにやって貰ひじぶんでは手が動かぬものだ。ー田島がさうであったかどうかは知らぬのだがー

 

 

此の塩竈神社は散歩するだけでもまさにサヒコーなのだ。

 

まさに此処なども熱田神宮よりも環境は上だとわたくしは見て居る。

 

で、塩竈神社だけでは無く其の周りも散歩するには最適だ。

 

一箇所素晴らしひ景色の坂がありわたくしは其処で道の真ん中にて五分位景色を見て居たが誰も道を通らなかった。

 

高級な住宅街は、其れも眞に閑静な住宅街はかうして極めて人通りが少なひものだ。

 

 

何故なら金持ちは皆外車にてお買ひ物に出向くからなのだ。

自転車でもってさうして山登りして居る馬鹿などはわたくし一人位なもので、普通はお金持ちの方々は自転車には乗らぬものだぞよ。

 

其れもな、🚙が違ふぞ其の🚙が。

 

ジャガーアストンマーチンマセラティなどみんなが聞ひたことも無ひやうな高級車ばかりだぞ。

 

みんなはそんなもの見たことも無ひ筈だらう、はーはっはっはーのはー。

 

 

で、最終的にはまた興正寺へ行った。八事山 興正寺

 

興正寺をめぐる問題[編集]

2013年平成25年)2月5日2012年平成24年)に通夜などの弔事ハローワークなどで募った見習いに行わせていた事が発覚。「だまされた」と憤りを表す家族側に対し、興正寺側は、僧籍がない者に任せたことについて「修行の一環で問題ない」と反論している。寺では修行期間が2年未満の見習い3人に、1人だけで通夜をさせていた[1]朝日新聞社が入手した内部資料では、元・見習い経験者は2012年(平成24年)1月から9月にかけて少なくとも計11回の通夜を任され、「わからない作法は省略した」「興正寺から、見習いと言うなと釘を刺された。遺体の枕元で経をあげる枕経(まくらぎょう)や通夜を1人で担当した」と打ち明けている[4]

2014年平成26年1月高野山真言宗総本山・金剛峯寺が当寺の住職を罷免したことが発覚。宗派内の懲罰などを決める審査委員会が開かれ、住職の罷免を決定した。金剛峯寺総務課は「住職は興正寺の財産である土地を勝手に売却し、宗規や宗教法人法に違反した」と説明している。両寺院は、興正寺が所有していた土地の売却をめぐり関係が悪化していた。それに伴い、興正寺は2013年(平成25年)12月2日、「本山からいわれのない事に対して処分を下されることと、非常に多額の礼録と呼ばれる金員を納めなければいけないとの通告を受けた」ことを理由に、「包括団体である高野山との関係を解消する」との公告を境内に掲示していた[5]。しかし、同17日に一転して宗派離脱を撤回し、礼録を支払うとの「特免願い」を本山に提出したものの、同年2月18日には、「宗派離脱の撤回の撤回」を高野山真言宗に対して通知するなど、その方針をめぐって寺内の混乱が伺える。なお、罷免処分を受けたにも関わらず元住職は未だ住職だと名乗っており、それに対して、「八事山興正寺の浄化を求める有志の会」「尾張高野を守る檀信徒の会」など4団体は新住職の速やかな任命を求める4千人超の署名を本山に提出しており、寺院と檀家の確執も伺える。[6]興正寺より

 

うはあ、かうして何やらどろどろの寺だ。

 

だが其のイザコザなどは我我拝観者にはまるで関係が無ひ訳だ。

 

むしろ興正寺は我我にとりサヒコーに素晴らしひ寺なのだ。

其れは何故か?

 

何故なら興正寺は遊べる寺なのだからこそ。

 

つまるところまるでテーマパーク並に見どころが沢山ある寺なのだ。

 

だから此の寺ではまず弐時間は楽しく過ごせることだらう。

 

 

本日はまず晴天が素晴らしかった。

 

其処でエスカレーターにて境内の上の方へ登るとー實はエスカレーターが寺の境内にあるーかの五重の塔や本堂を俯瞰して観ることが出来る。

しかも其の周りは紅葉の山の景色となって居る。

 

あれ、まるで京都のお寺のやうではなひか。

 

でも京都へ行くには金と時間がかからう。

だが興正寺ならば自転車でもって20分で来られる。

 

 

八事山 興正寺 境内案内

 

特に素晴らしひのが能満堂から竹翠亭、さらに奥へと歩を進め大日堂、不動護摩堂へと至るまさに高台でのロケーションだらう。


竹翠亭は文化施設にて此処にて屡茶華道の催しなどが開かれて居るやうなのだが詳しくは其の内容を知らなひ。


尚今回初めて知ったのだが此の竹翠亭の中に吐月宮なるものがあり其れは吐月大権現を祀る小さな社である。


吐月峯の神社より分社されたものだと云ふことだが要するに何か月に関連したところでの社なのであらう。


わたくしはかうしたものが何よりも好きなのでまさに此処にこそ感動して仕舞った。


但し月は👩に関連するものでもまたあるので或はまた安産だとか縁結びだとかに関連したものであるとすればそんな詩的な感慨も全てがブチ壊しだ。


また此の竹翠亭の裏手の竹林は大層美しひものだった。


竹林も美しひものとさうでは無ひものがまたあるものだが此の竹林の場合は或は手入れが行き届いて居るのか兎に角其の竹自体が生き生きと美しく見へる。



大日堂もまたわたくしが手を合はせ祈って来る数少なひ御堂のうちの一つである。


此の大日堂の下の広場の大護摩壇にて護摩が焚かれ毎年十月に千燈供養会が挙行される。


が、今年は中止だったのではなかったらうか?


ほとんどの寺でもさうだったのでおそらくさうだったこととは思ふのですが…。



尚本日興正寺は大層混み合って居た。


最近身近なところに人が集まる傾向が強くなりみんなの地元のスーパーや寺や神社が大賑わひなのだ。


コロナはかうしてむしろ人の流れを縮小させて居る。


其れは其れで良ひことだとは思ふのだが、實はわたくしにとってはやりにくくもなって居る。


要するに何処でも人が多くなり鬱陶しひ訳だ。


これまで孤高の行脚で行けたものが、全部が俗調を帯びウルサクてかなはぬ。


要するにこれまで来て居なかったところへ人が来るやうになりハッキリ申せば大迷惑だ。


何せわたくしは人が居ると其れだけでイヤなのだ。


が、動物や植物に限れば其れが其処に居るだけで大層楽しくもなる。



さても石をまた盗んで来たのか?


如何にも嫌らしひ言ひ方だな。



お借りして来たものが無ひでは無ひ。

實はとても不思議な石があった。


真黒なまさに那智黑のやうな石が沢山落ちて居たのだ。


何処に?


境内内だが奥の方の道のところに。


一般人や中京大學の學生が通る普通の未舗装の道のところに。


其れがまるで宇宙のやうな漆黑の石なのだ。



さうか、其れは不思議だな。


では其れを盗んで来たのか?


いやだからお借りして来ては居る。


でも其れはほんたうにタダの石だよ。


只不思議なのは其の石が磨かれてまるで碁の黑ひ方の石のやうに丸く平べったくしかも艶があるのだ。


或は道路なのでみんなに踏まれてまた🚙などにも轢かれさうなって仕舞ったのやもしれぬ。



ところが、たまたま竹翠亭の裏手の駐車場に撒かれた砂利を調べてみたら何と砂利の下に其の黑ひ石が沢山埋まって居るではなひか。


おまへは一体何処まで石を調べて居るのだ?



おまへはズバリ石の変質者か?


まあさうでせう。


だから兎に角其の黑ひ石はね、天然のものでしかも興正寺の境内に大量に埋まって居るものなのだ。


うーむ、流石は密教だね。

つまりは宇宙的だね。



さう吐月宮ー但しこちらは神社ーにせよ宇宙の黑石にせよまるで曼荼羅の世界だな。


曼荼羅と言へば大日堂は胎蔵界を表して居ると大日堂の幟にさう書ひてあった。


すると其れは👩の腹の中のことだね?


いや其のものずばりなのかどうかは知らぬのだが👩の腹の中と胎蔵界が関連し合って居ることもまた確かなのではなからうか。


つまるところ今回の興正寺では月の光と宇宙の黑をイヤと云ふ程に感じさせられた訳だ。


なのでコレはもうほぼ詩の世界だね。



と云ふかみんなにはまるでそんな詩などは見へぬことだらう。

詩人のみが其の詩に気付きかうして自己満足して居るのだよ。


其れも道に撒かれた黑ひ石と誰も行かぬやうな小さな社にかうして宇宙の大浪漫を発見して仕舞ったのだった。