此の番組では巨大杉捜索隊が前人未到の原生林へと分け入り奇跡の超巨大杉と巡り会う一部始終が収録されて居ります。大捜索!伝説の超巨大杉
ただただ超巨大杉を発見したいが為に頑張る人間の欲が其の邂逅を成さしめたのでありましょうが其の結果見つけた原生林の神樹はあくまで神々しくそして寡黙に其の人間共の欲を高みより見下ろして居たのでした。
と云う訳で樹高45メートルもの此の天空杉が現在屋久島で最も高い杉の巨木だと云うことになります。
屋久島で語り継がれる巨大木伝説を拠り所として島を上空からスキャンしたところでの最新の航空調査の結果を踏まえ若者達が秘境を踏破して其れをようやく見つけたのです。
然し、人間の欲望はとどまるところを知らずもっとデカい杉が何処かにありそうだがとりあえずはここまで、みたいなことを捜索隊の隊長さん?が言って居られた。
まあ女遊びや他の諸の犯罪行為に手を染めるよりはまだしもこんな探検欲、神様に出遭いたい欲のデカい方が救われて居ります。
従って夏休みにはぜひとも自然と触れ合い性欲だの他の危険な欲だのに走らないことが肝心です。
たとへば屋久島へでも移住します。
すると巨大杉の探索を毎日することとなり心身の鍛錬にはまさにもってこいである。
くれぐれも飲み屋や競艇やピンサロやキャバレーなど、そうしたいやらしいところへ行かぬやうどうか此の夏の終わりを健全にお過ごし下さい。
わたくしはもう歳でカラダが動きませんのでせいぜい其の辺の森かゴルフの練習場に出没して居る位のものですが勿論数千万あれば今すぐにでも屋久島へ移住いたします。
なぜならば其の天空杉が是非見たいから。
でもNHKは場所を教えないことにしたのだそうです。
確かにそれこそ正解です。
人間は場所が分かるとヒマな奴が全国から訪れ決まって自然を汚し何かを持ち去っていくのです。
事実そうして多くの鉱物産地は枯渇しかつ荒らされもう滅茶苦茶にされて仕舞いました。
だからもう今は鉱物ショーで石を買って来る方が早いのですよ。
新潟か富山の海岸で糸魚川ヒスイを採るのがわたくしの夢でしたが、宿泊料込みで二万程も使って行き半日程ヒスイを探しても何も採れないことさえあるそうですので結局まだやって居ない。
其れでもって此の26日に鉱物ショーでヒスイを買って来て仕舞いました。
ただし其の折に松原 聰博士によるヒスイの講義を聴講する機会にも恵まれた。
鉱物學者の講義を初めて聴講しましたが流石に専門的でかつ詳しく大変為になりました。
もうこれで夏休みは終わりますが実はわたくしの夏休みはまだまだこれからです。
「尚本日はミネラルショーへ行き半日程も過して来ました。
まず地元の石である田口鉱山の標本や棚山のオパールは年々寂しくなりつつあり、ほとんど良い物が出回らなくなったもようです。
代わりに閉山した宝坂のノーブルを香川の業者が出していましたので値切りはしましたがなかなかの値で求めました。
それに今年は海外産の標本もちらほらと良い物が出されて居ました。
でも一番目立っていたのは何と言っても糸魚川ヒスイです。
昨年国石の指定を受けた事情もあり三店舗程専門店が出ていました。
マニアさんの店から小さくても質の高い緑ヒスイをひとつと、他の所で大きくて手触りの良いものをひとつ購入しこれらも結局なかなかの値となり全部をまとめると鉱物ショーではこれまでの最高額を散財してして仕舞うこととなりました。
また松原 聰博士による『日本の国石 ひすいの話』という講義も一時間半に亘り聴講して来ました。ーしかも無料でしたー特に糸魚川翡翠の発色の分析についての部分が非常に為になりました。
いずれにせよ物凄い熱気で、大盛況のもようでした。
あるいは人間が自然の良さと云うか尊さと云うか少なくともその美しさにようやく気付き始め見たりし買ったりし始めたからなのだと思われます。
そこでは鉱物マニア並の審美眼とまではいかないことでしょうが、たとえ非マニアの大衆的な石のレヴェルでもそうしたことの素晴らしさが文明の利器による恩恵などよりは余程に癒され価値のあることであることが薄々分かって来ているのかもしれません。
そして何より私自身が今日は本当に楽しい時間を過ごして参りました。 」
人間は自然があってこそまともな状態で居られるのではないか。
だから年中有休を取りまくり是非自然と親しんでおくべきです。
此の世の中で真に価値があるものとは、自然が齎す其処からの恵みだけです。
人為的なものに価値などはない。
其れに何より人為的なものは壊れるのが早いですから。
人間関係も、会社での地位や社会的な名誉、愛、友情、親と子の絆、師弟関係、などは実は脆いものばかりだ。
対して自然は壊れなかったのです。
一応これまでは。
でも次第に壊れて来ます。
同じ壊れるものならわたくしは自然の方が性に合います。
だから究極的には自然を見詰めながら余生を送っていくつもりである。
くれぐれも女の為には生きない。
だが自然が好きな女ならば両方いけそうである。
そうはうまいこと問屋が卸して呉れそうもないのだけれど。