目覚めよ!

文明批判と心の探求と

実は前向きな思想程破壊的です


さてこのところ少々涼しくなりましたので、いかにも頭を使うお勉強の方がし易くなって参りました。

其処で是非哲學の方をやろうかと思い、其れも前々からやりたかったハイデッガーの考えの方をやってみようかと思うのです。

ところが其の前に気に入らない哲學者が一人居るのでこの際此の人の思想をボロクソに批判してやろうかとも思いますのです。





近代哲學の完成者とも目されて居る事であろうヘーゲル先生です。


わたくしはまず此の人の顔が嫌いです。

其れも何だか生理的に嫌いなだけなの。


其れからヘーゲルの思想で人類は滅ぶことになるのではないかなどとも考えて居ります。


尤もヘーゲル以前に、かのデカルトの考えなども大嫌いでしかも彼の顔も大嫌いです。

逆にショーペンハウアーとかカントの顔などは可成に好きな方です♡。




不思議なもので人間は相性と云いますか人間同士で合う、合わないと云った部分がまずあります。

むしろ其の合う、合わない、の部分こそが実は大きい訳です。

ー直感的に其の人間の本質が読めて仕舞うのかもしれないー



で、デカルトヘーゲルは兎に角わたくしには金輪際合わぬ。



むしろ彼等こそが近代をつくり上げ人類を破滅の淵へと追い込んでいく輩であろう筈だ。

事実彼等のお蔭で寿命が延びた割にはこんなに幸福度が低い社会が形作られた。

彼等のお蔭で近代化が普遍性と抽象性を永遠に獲得し人類はまるでバイキンみたく地球上を覆うに至った。



挙句の果てにカネ、モノ、ギジュツとやらを信奉するまさにまさに悪い子ちゃん達の為の楽園をば現世に生み出しおった。

悪い奴等、即ち酒と女とギャンブルにすぐに走りたがるロクでもない世界、ロクでもない人間共の巣窟としての世界が其処に完成された。



此の馬鹿共、哲學の上での錯誤の思考が大衆のバカと共鳴しおお、とんでもない破壊を、嗚呼、もはや二度と修復することのかなわぬ破壊を、まさに全的な破壊を社会及び地球の上に齎しあと三十年程で人類滅亡か?と云われるまでに情けない現状を現出させて来て居る。




第一デカルト、コイツはもうまるで数学魔でもってしてつまりはタダの数学ヲタクの変質者である。

数学など出来る奴は元々頭がおかしいから当然に其の考えの方もおかしい。



其の合理論がおかしい、変だ、どう見ても間違って居る。

第一我思うゆえに我あり、と云う考えこそがまさに低級かつ陳腐である。


なんとなれば我は思わずともすでに我であるのだし、此のタイプの近代的変質的自我などなくとも何千年もの間人間は人間としてちゃんと生きて来たのだし少なくとも君のやうに頭が狂っては居ない。


どだい釈迦やキリストは其の変な自我をこそ捨てよ、煩悩を断ち切れ、姦淫を撲滅せよとあれほど厳しくお説きになって居られたではないか。



なのに、君、其の君の変質振りが逆に煩悩を招き入れそればかりか姦淫を蔓延させ滅茶苦茶な、おお、まさに滅茶苦茶にふしだらな世界を地球上に現出せしめて居る。


だから兎に角君等の考え方自体が間違いなのだ。


理性とは元々そんな意味のことではないのに此の数学馬鹿一人がえらいことをやってしもうた。




しかもヘーゲル、コイツの言って居ることも我にはまるで理解が出来ない。

いや、確かにコイツは馬鹿では無い。

確かに利口なことは利口だ。


でもコイツは元々中等教育に長年携わったタダの教師だから元々そう大した奴でもないのだ。

では何を云って居るのだろうか、此のいやらしい顔をした変な男が。





     

「世界史とは、自由の意識の進歩以外のなにものでもない。」


何?自由の意識?

然し其の自由って一体何なのだ。


つまるところ自由意志とかそう云うことなのだろうか。

だがそも何で自由に拘るの?

アナタが批判した筈のかのカント先生は、人間にとっての本質的自由とは道徳律であるとさえ述べて居た筈だ。



つまるところ自由とは限定である。

人間とは須らく限定なのであるから、逆に本質としての自由とは限定なのである。



其れから其のシンポとは何なの?

では逆に問うが、シンポすることはほんたうに進歩することなの?


逆に退化ではないのか。



まさに近代は退化しつつ今此処に至って来て居るよ。

よしんば科学技術がシンポしたとしてもだ、現代人の心の中身はむしろ明らかに退化して来て居るよ。



そればかりか空虚だよ、搾取され尽くし、疎外され尽くしでもうヘロヘロだよ。


おまけに地球がアップアップだ。

嗚呼此の母なる星がもうじきに死んじゃうよ。


だから動物たちの居場所がなくなり、最近はイノシシやらクマやらが里に、いや町にも出て御座るよ。




それと云うのも君が其の弁証法的歴史過程を発明いやひねくり出したお蔭ではないのかね。

其のシンポ史観、其れこそが近代の大枠を規定し諸の破壊を生むまさに元凶の思想となったのではないのかね。



第一アウフヘーベン、其の止揚とは何だ、一体何なのだ?

いや、確かに此の考えにも一理ある。

コレは確かに優れた矛盾の昇華法だ。



ただし、二元的対立の解決法におそらくは其の合理的方法はそぐわないことだろう。

矛盾は理屈でもってして乗り越えるのではなく、心のあり方を変えることでこそ乗り越えるべきだと思うのであるがどうであろうか。




「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。」


理性的なものは普遍性を帯び抽象化して仕舞う。

合理主義が其のやうな拡張主義を生み逆に非現実的かつ制御出来かねる現在を形作る。

即ち内外の破壊に至らざるを得ない観念の牢獄、恐ろしい数的還元としての現在を現出せしめて仕舞う。



ただし人文科学系の知に於いては其の命題は常に成り立つ。

其処に於いて初めて理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的、なのである。






「矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲル弁証法では、有限なものが内在する諸矛盾のもとに対立・葛藤を生み出し、限界性を「止揚」することでより高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動法則の論理が提示されている。諸要素の矛盾の闘争が全体の発展の源泉であり、発展は、量的変化に止まらず質的向上によっておこなわれるとする弁証法によって、不動のものとされた思惟と概念に有機体のような力動的発展性が持ち込まれ、世界はあらたな論理的生命を与えられた[98]ヘーゲルは「矛盾はあらゆる運動と生命性の根源である。あるものはそのうちに矛盾をもつかぎりにおいてのみ運動し、そのかぎりにおいてのみものを突き動かし、また活動しようとする性質をもっている」と指摘する[99]

ここに、世界の本質は矛盾を内在させつつも、それを克服しようとして自己運動する躍動的生命とされることで、これまでの静止的な世界観はヘーゲル弁証法によって力動的なものに変えられていく。世界は弁証法的運動過程、すなわち、諸要素の矛盾や対立を抱えながら、これを発展・解消させていく自己発展であると捉えられ、「精神」が理念としてみずからの自己実現を図る、精神の自己啓示に向けての運動過程、理念の歴史的な実現のプロセスとされるようになったのである[99]

こうして、ヘーゲルの思想は精神が実体世界に具体的に顕現させる自己実現の過程として、これを跡付ける歴史主義的な世界観に至った。ここに「理性そのものが、自らを自らに対して啓示する」真理へと到達するとした彼の哲学は完成される。」




此処で逆に、世界の本質は矛盾を内在させつつも、それを克服しようとして自己運動する躍動的生命とされる必要などはないとわたくしは考える。

矛盾を矛盾として耐え逆に運動を抑え自己深化することにより生命は鎮静化し得まさに其れこそが釈迦でありキリストの教えの要点である。

要するにそんな能動的にあえて躍動せずとも人類は普通に歴史過程を歩んで来たのであったし其処でもって自己実現さえ成って居た筈である。

精神の自己啓示に向けての運動過程として「理性そのものが、自らを自らに対して啓示する」真理へと到達すると云うことはいずれは人間自身が其のシンポの帰結として神の領域へ至ると云う事ではないか。


すると、其の止揚概念とはあくまで人間を持ち上げる為の仕組みであり其処に寄りかかることで人間中心の世界観を必然として形作る。

そして事実近代はまさに人間中心に進歩を積み重ね今に至ったのだ。



ところがそうした試みには何か重大な点が欠けて居る、其れは何だ、何なのだ。

端的に云えば其れは他者に対する思いやりであり生に対する謙虚な姿勢である。

然しいざ人間中心の世界観に陥るとそうした当たり前のこと、まさに幼稚園児でも分かるやうな当然のことがまるで見えなくなって仕舞う。


他者とは他人のことなのではなく言うまでも無く自然のことであり宇宙のことである。

近代に於ける合理的理性はいつのまにか原始的退行化しもうまるで幼稚園児以下の心に成り下がった。

此れを退化と呼ばずして何と呼べばよいのだろうか。

其の合理的精神の枠組みをつくったのが他ならぬデカルトヘーゲルである。



まさにこの二人が地球を破壊し教師の気を狂わせふしだらなことこの上ないバビロンの都の連なり、此の近代的世界観に毒された世界の連なりを生んだのであった。


だからわたくしはデカルトヘーゲルが最高に嫌いだ。

ちなみにヘーゲルの講義は人気がありそしてヘーゲルの哲学自体もまさに近代哲学の完成者として名を轟かせて居るのであるが、ショーペンハウアーの方の講義は人気が無くおまけに偏屈な哲學なので誰にも知られず近代以降も大衆にはほとんど顧みられることがなくその辺に打ち捨ててあった。

が、ショーペンハウアーの哲學の方こそがまさに心の哲學を述べたものだったことだろう。

   
ニーチェにせよショーペンハウアーにせよはたまたハイデッガーにせよ、こうした哲學者達はむしろほとんど人間を信じて居なかったのではないか。   

わたくしはハナから人間なんて信じて居ないのでそうした嫌らしいタイプの謂わば猫型の哲學者の方が好みであり近代の大矛盾を組み上げるに至ったかのお二方は兎に角大嫌いである。



が、逆に云えば近代以降の進歩史観、合理的精神でもってして自然を超克する、そしてまさにそのことにより人間存在にとっての豊かさを築き上げたのはかの近代合理主義こそが其れを可能としたのであった。

事実我我の生活は近代そのものであり、其の豊かさや自由、或は平等な様と合理的精神は不可分に組み合わさって居る。

つまるところは此の合理的精神こそが我我の現在と未来を規定して居るのである。


でもたとへば動物は、そんなややこしい歴史過程など無くても皆普通に生き抜いて来て居りますがな。

植物だってまさにそうですがな。

わたくしに分からんのは何故人間だけがこうも欲深くしかも複雑でありかつウザいのかと云う事だけなので御座います。

そしてひとつだけ云えることとは、ヘーゲルの思想はあくまで観念的には前向きだと云う事です。

前向きだから近代そのものが前向きなものにされて仕舞った。

然し前向きなものほど何かを壊すのです。

元より人間には無限の可能性など無い。



其れを弁証法とやらでもってして無理やりに無限としてこじ開けていったのが近代の思想の根本にはあり、わたくしに言わせれば其れこそが大間違いであり謗法である。

そは仏法及び大宇宙の理法に対する反逆であり何よりかのキリストの嫌うレイプである。

嗚呼もう自分自身で母なる地球をレイプした大犯罪者であるゆえ人類は即刻無間地獄へ堕ちよ!

なのでヘーゲルデカルトは決して天国へは行けなかったことでせう。