目覚めよ!

文明批判と心の探求と

こんな翡翠の観賞日和に其の翡翠を観賞す

こんな翡翠の観賞日和に其の翡翠を観賞す

 

 

 

 

さて本日は朝豪雨が降ったが其の後は快晴となりまさに石の観賞日和である。

 

其処で早速石を陽に翳し其れを愛でつつ同時に久し振りとなる日光浴にも興じてみた。

尚此処名古屋には文化的要素が屡無いとされるのだが無論のこと我みたくに文化の権化の如き人間もまた居るのであるから其れは壱概にはさうは言えぬ筈である。

 

其処には勿論プロとしての文化人も居れば我の如くにアマチュアにてカルトな追求が得意な人間などもまた居るのである。

 

其れでもって本日はまた奈良の蕎麦を食したのだがしかしながら其れでは如何にも質素過ぎるのでコノミヤで買って来た牛蒡天-魚肉の入った奴-を合わせて食ってみたところ其れが頗る美味い。

其のやうに我の場合は食い物はむしろ何でも良く只石だけは手を抜いてはならぬのである。

 

さて本日はかうして日光の具合も良くつまりは天が定めしところでの翡翠観賞の日である。

おまけに久し振りにほとんどやることの無い日なのでタップリ石と戯れることが出来やうぞ。

 

 

其処でまずは翡翠を全部引っ張り出しベランダの横に並べる。

 

次に順番に光に翳しつつ翡翠の具合を観察する。

其れを弐時間ばかりもして居たであらうか。

 

こんな翡翠馬鹿は自分以外に此処日本にはほとんど居ないことだらう。

ああああああー、其れにつけても美しいっ。

 

でもって其処にて分かったことが幾つかあった。

 

1.其れ等の中で最高の翡翠が矢張り其の金山谷産の翡翠であること

2.長年集めて来て居るので結構標本の数があること

3.だがさうして光に翳しずっと見て居たい石は限られること

 

との点である。

 

其れと實は確かめたいこともまたあった。

其れは、土曜日に求めた弐点の翡翠標本の結晶の具合である。

 

弐点とも荒磨きしてあることもあり結晶の具合がハッキリとは分からない。

 

結果、

 

4.金山谷産の翡翠には細かな結晶が沢山確認された

5.コレクターの放出品の方は分かり辛いが幾つか細かな結晶が確認された

 

 

尚其の翡翠の結晶の具合と云うことが實は翡翠に於ける謎の壱つである。

其の結晶が兎に角キラキラとして居て目視にて確認出来る石のタイプもあればかうして分かり辛いタイプもまたあるのだ。

 

でもって其の結晶が大きくてキラキラなのが観た目にはあくまで綺麗なのだ。

だが其の結晶は細かい方がむしろ石の質は良いとされたりもまたして居る。

 

だから翡翠の素人には至極分かり難い分野なのである。

 

ちなみにわたくしの場合は翡翠のプロと素人の中間辺りに居る者の筈である。

されどあくまでプロ程に翡翠のことが分かって居る訳では無い。

 

 

兎に角標本の数が多くイチイチ瓶から出して観賞するのは面倒で瓶ごと観賞す。

尚我の場合は其のほとんどがヤフオクにて求めた翡翠原石である。

 

其れが中クラスの其れも比較的デカい石がさうして瓶に入れてありロウカンタイプをも含める良い石は別のプラ製の標本ケースに入って居る。

然し其れ等は皆見栄えを意識してまるで城の石垣のやうに組んであるので石を出すと其の見た目の調和が崩れる故瓶毎か又はケース毎観賞するのである。ーそんな神経質な観賞の仕方をいつもして居る訳だー

 

さて件の金山谷産の翡翠だが何せ透け易い石なので光の強い日はまた特に素晴らしい。

透け易いとは言え結晶並に透ける訳では無いのだが其の岩石の癖に透けるところが何せ素晴らしい。

 

さう翡翠は結晶鉱物其のものでは無くあくまで岩石に分類されるものである。

翡翠の中にも結晶構造はあるが其れが見た目にはキラキラと表面に輝くまるで味の素のやうなものである。

 

だから其れは例えばエメラルドやサファイア、またルビーの結晶などとはまた別物なのである。

なのだけれどもエメラルドの結晶もまた岩石のカタマリとしての翡翠も甲乙付け難く美しいものだ。

 

 

うーむ、此のデカさでもって此の透け方は矢張り壱番だな。

尚其のロウカンと云うのはまさにヨウカンのやうなものなのである。

 

例えば富山にはヒスイ羊羹|大むら菓子舗 (oomurakashiho.com)なるものがまたあるが、其の緑の部分の透け方こそがロウカン翡翠其のものである。

 

尚不覚にも我はいまだ此の翡翠ヨウカンなるものを食したことが無い。

だから是非食ってみたいのだが矢張りと言うべきかアマゾンには無く此の店から取り寄せてみる他は無い。

 

さてでは今壱度金山谷産の翡翠を光に透かせてみやう。

うわあー、何やら午前中以上に透けて居るぞ。

 

さうなのだ、實は午後参時位の斜めから射す光が壱番石を透かすのである。

例えば我は今でも屡地元の山へ石英の採集に出向くのだが天気の良い日に其の午後参時~五時位の頃に採集すると普段は分からぬ石の本性が顕わとなり良い石が拾えることなどもまたある。

 

 

さて實は今ベランダの横に置いた金山谷産の翡翠を横目で観つつキーボードを叩いて居る。

うーむ、まるでヨウカンの如くに見えるぞよ。

 

尤も石の全體がさうして翡翠ヨウカンの如くに透けて居るのでは無く石の周辺部のほとんどが其の翡翠ヨウカンの如くに透けて居るのである。

 

いずれにせよほんに綺麗な石だわや。

 

其の魅力は例えば銀座のクラブの綺麗どころなどと比しどちらがより強く感ぜられるものなのでせう?

個人的には其の銀座のクラブの綺麗どころには壱切興味が御座りませんのであくまで此の翡翠原石の方ですね。

 

だからかの香川氏などもどうせカマキリ先生をやる位なら是非糸魚川翡翠でも集めるべきだったのだ。

さうして銀座のクラブなどで吠えて居るより鉱物ショーの方でこそ是非吠えて居るべきだったのだ。

 

なんですがまさにオスカーワイルドではないのだが持って生まれた癖、其の性癖と云うものは変え難いものがまたあるのじゃらう。

ああっ、熱っ!

 

何だ、壱體何が起こった?

 

いやね其の金山谷産の翡翠を仕舞おうと思い今手に取ったところ至極熱いではないか。

つまりは其れが陽光のパワー、太陽のパワーと云うことである。

 

あああー、翡翠ちゃん、此の糸魚川ヨウカンの翡翠ちゃんー。

 

 

君、君、もう止めやう、其れは。

其の自己満足的な石への耽溺だけはもう終わりにしやう。

 

イヤだ、もう僕は今日此の石と共に寝るのだ!

 

さうか、では其の石を食ってみよ。

ヘッ、今何と仰いましたか?

 

食えるものなら食ってみよ、其のヨウカン翡翠を。

ハイ、ガリッ。

 

ほんに固ーい。

バカ、ほんたうに石に歯を立てるな。

大事な翡翠に傷が付くぞよ。

 

 

まあそんな訳で僕は今樂しいひと時をかうして過ごして居りますのです。

 

 

蜻蛉玉 京都 永井 久義氏作

永井久義さんの日本翡翠ペンダント | ザ・ストーンズ日記 SHRI (lolipop.jp)

永井久義さんの日本産天然石勾玉 | ザ・ストーンズ日記 SHRI (lolipop.jp)

 

ところで此の金山谷産の翡翠を買ったのは京都のアクセサリー職人の永井 久義さんからである。

かうして翡翠のアクセサリーなども創って居られる訳だ。

 

当初は富山か新潟の爺さんかと思って居たのだが京都の比較的高名なアクセサリー作家さんであった。

いずれにせよかうした石の上での縁もまた縁の壱つなのでまたいつか御會いすることなどもあるのではないか。

 

 

さて其の白鳥山のことが気になり調べてみると以下のやうに出て来た。

 

富山と新潟の県境「白鳥山」へ坂田峠から - 3PEAKS (3peaks.work)

西頸・糸魚川ヒスイのはなし | アスターク同人(Ⅱ) (ameblo.jp)ー場所が分かるー

 

 

ー山の東斜面には、かつて黄金を採掘した橋立金山やヒスイの採掘跡が残されており、白鳥山が”宝の山”として重要な位置を示していたことがうかがえる。橋立金山は、藩政時代より明治30年代までが最盛期で、白鳥山腹の金山に1000人もの人々がかかわっていた。現在は、採鉱元山と精錬所跡が残っている。ー

白鳥山 (apple2004.fem.jp)より

 

其のやうに白鳥山では金と翡翠の採掘がなされて居たやうだ。

また化石なども色色と出るやうなので地學方面が好きな人にとってはまさに聖地のやうな処なのだらう。

 

ちなみに我は中学時代に地学クラブへ入って居た。

要するに其の頃より石には興味があったのだが其の後文學人間と化しまた理系は全く出来なくなり今に至る訳である。

 

尚石はまた美術系の人などもまた好きなやうである。

要するに藝術系の分野と石の分野はリンクして居易いのだと言える。

 

 

 

新潟県青海町橋立金山跡の自然金 (mineralhunters.jp)

 

ー橋立金山は、越後の戦国大名上杉謙信が採掘していたと伝えられる金山であり、産金量が約1.2トンでした。そのうち、1898(明治31)年~1905(明治38)年の最盛期には、846kgの金を生産し、約1,000人の鉱山関係者が働いていました。ー

8.橋立金山エリア | 糸魚川ユネスコ世界ジオパーク (geo-itoigawa.com)より

 

此処日本の場合はさうしてあちこちより金や銀が産出される。

金や銀やまたプラチナなどの貴金属は今後値上がりして行く可能性が高いことであらう。

 

なので下らぬグローバル金融資本主義などに血道を上げずともむしろ其の日本列島に埋蔵されし貴金属を含む鉱石を大大的に探し掘り込んで行けばカネになる可能性は高い。

されど日本の金鉱脈や銀鉱脈は海外に比しおそらくは小規模なものとなるのであらう。

 

いずれにせよ翡翠などもまたさうなのだが何せ掘って居ないので澤山の石が出ては来ない。

だが逆に掘れば掘ったで自然破壊は進むので其処がまさに矛盾点であり難しいところではある。

 

 

さて後はネット上で見つけた欲しいと思わせる翡翠原石のことに就き是非語って置きます。

 

【楽天市場】糸魚川翡翠原石 G00127 37mm*33mm*24mm:糸魚川ヒスイの店 (rakuten.co.jp)

【楽天市場】糸魚川翡翠原石 G00300 120mm*94mm*41mm:糸魚川ヒスイの店 (rakuten.co.jp)

 

共に色合いが少し地味ですが悪くは無い翡翠原石です。

 

石ころゲット 糸魚川ヒスイの宝石 (fc2.com)

 

素晴らしい原石です。

尤も私なら磨いたりはしないと思う。

 

糸魚川 翡翠 ヒスイ 472 緑塊 365 g 原石 鉱物(原石)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)

 

オークションにもまた凄い翡翠原石は出て来ます。

此の翡翠原石がまさに御宝級の標本でせう。

 

 

TOP INTENSE green Jadeit-Jade A-Jade Fei Cui YÜ - Etsy 日本

凹凸翡翠原石賭石 帝王綠集天地之精華鑄造人間極品高貨鑑賞 - 每日頭條 (kknews.cc)

 

ミャンマー産の翡翠原石にはこんなまさに💎級の石がたまに出るやうです。

特に下側の石は完全に💎級でありひょっとすれば何千萬単位でのものであるのかもしれない。

 

 

糸魚川ヒスイ - Bing images

#糸魚川ヒスイ - Twitter検索 / Twitter

 

糸魚川産でもまたあるところにはかうして凄い石があるものです。

 

糸魚川翡翠の魅力とは? | ひみこの庭 (localinfo.jp)

 

此の双子勾玉に使われた翡翠などもまた凄い石だ。

 

但し翡翠の魅力とは實は💎質であることばかりでも無い。

勿論翡翠が💎質であることはほぼ決定的な要件ですが事實上まず其れは手には入りません。

 

逆に申せば翡翠はあくまで岩石ですのでむしろピンからキリまでの其の幅が個人的には結晶鉱物以上に大きくあるやうに感ぜられる。

要するに石の個性として選べる範囲がより大きくあると云うことである。

 

だから同じ💎質の石でも個性がありまさに部分的にはロウカン翡翠だとは言えぬ今回私が得た標本のやうな物から其れこそ完璧な石まで幅がある訳です。

また💎質だとは呼べぬ翡翠原石の方が實は多く流通して居る。

 

 

私が今持って居る糸魚川原石の中で💎質だとからうじて言えるのは此の金山谷産の翡翠を除いて弐、参の個数しか無い。

また其れ等も其の💎質の石の中では下位の物とならざるを得ない。

 

左様に石の世界はまさにヒエラルキー構造となって居り其処が少少我には引っ掛かる点である。

何故なら社會構造其のものが其のヒエラルキー構造ですので其れでは人間界の価値観に同化されて仕舞います。

 

其処であえて反抗したるのであれば、むしろ其処で石の個性を評価し愛して行く方向性がまたあるのだと思う。

要するにヒエラルキーの上での完全性を「求め無い」形での翡翠への愛を追及して行くやり方です。

 

また其れは翡翠に限らず他の結晶鉱物にせよ同じことなのだと思う。

さらに万年筆の方の趣味にせよ全く同じことです。

 

値段だとか評価だとかには捉われず最終的には自分に出来る範囲でまた自分に縁のあった石なり万年筆なりを大事にして行けば良いのではなからうか。

つまるところは其の物を大事に思う心持ちこそがむしろほんたうの意味での心の💎なのであらうから。

 

 

屑石集め<💎級の原石集め

安い万年筆の蒐集<高価な万年筆の蒐集

 

確かにさうなり易くはありますがと云うことには必ずしもならない筈です。

 

屑は屑で立派な石である。

また安い中華と印度の万年筆も立派な万年筆である。

 

と考えた途端に其の人間界のヒエラルキー地獄からようやく脱し心の上での平等性を獲得し得る。

 

なのでレクサスにて百米道路を突っ走るのでは無くパブリカか又は自転車にてゆっくり進みませう。

パブリカ?

 

そんなもん何処にも無いよ。

大昔にしかと家にあっただよ。

 

家のオヤジが最初に買った🚙が其のパブリカだっただよ。

其れはまさに我が丁度幼稚園へ入った頃位のことであった。