いずれにせよ人間といふものはそのままでは所詮獣ですから社会を成り立たせる為には是非法秩序でもってして縛り上げて置く必要がある。
人間の、其れも人間の肉体といふものはそんな哀しいものなので精神即ち理性でもって縛り上げて置く必要がある。
だが何故肉体は哀しいのか?
肉体とは所謂自然の産物であるが、逆に自然に於ける肉体は謂わば皆美しく穢れたものなどは何処にもない。
ゆえに生殖なども其の美しさの中に埋没して居て其れをあえて穢いと云う方がむしろおかしい。
事実自然に於ける生殖は総じて美しい。
つまるところ、かのエログロの世界とは人間が勝手に創り上げたものであるに過ぎない。
だから自然に於いてはエロなど無いのであるし、かつ死んでグチャグチャになって居ても其の肉体が他の生物の役に立つ即ち自然の中に溶け込み全体へと回帰してゆく。
ということは其処にグロも無い。
かように自然は神のやうに美しく、そして理性的だ。
無駄が生じないといふ意味に於いても其れは実に合理的なシステムだ。
さて其のエロとは何かといふことであるが、矢張りわたくしは快楽を目的に行う生殖は結局エロであろうとそう思うのである。
対して自然に於ける生殖にエロもクソも無い。
其れはエロでは無く生き延びる為の必死の行為だ。
人間は生き延びる為の此の必死さをいつのまにか見失った分、まさに其の分のふしだらさをこれまたいつのまにか身につけて仕舞った。
でも我我は今まさに生き延びる為に必死である。
ただし其の必死さは、生命を維持する為の必至さなのではなく社会を維持する為の必至さなのである。
従って其の我我の必死さは基本的にエロい。
まさに淫蕩である。
ズバリふしだらだ。
そしてエロい奴等の生は哀しい。
何せ我我こそが其の哀しいエロ人間達なのじゃ。
嗚呼、哀しい、一体何故こんなにも哀しいのだ?
其れはどうも此の誤った社会に居る我我だけに感じられる哀しさではないのか。
自然は毎日こんなに淫蕩な性の修羅場を繰り広げて居るがちっとも哀しくはないのだぞよ。
グワー、ギャオーと毎日オスがメスを追いかけ滅茶苦茶して居るがちっとも哀しくはないのだぞよ。
おお、まさにまさに自然児、教師よ。
教師たるもの、かようにグワー、ギャオーと毎日メスを追いかけ其処で是非交尾しておかなければならぬ。
一発、其の一発こそが大事。
ではなく、教師たるもの、己が獣であることを制御し理性の枠内へ自己を誘導することなくしてどうする。
ところでおまへは理性があるのか、無いのか?
無い、つまり我慢が出来ない?
ならばもう教師であることを辞めよ。
其の懲戒免職処分を甘んじて受けよ。
そして刑務所の中で考えるのだ。
何故我我人間はこんなにもエロいのか?
何故我我人間の肉体はこんなにも哀しいのか。
以前とある修行者の方とメールでお話しした時に、肉体といふものはあくまで単なる魂の入れ物・皮袋であり悟りを得る為の道具であり、よって聖者は肉体のことにはルーズで、たとへば脚が腐っても座り続けた行者や禅者はたくさん居る、との仰せでした。
ところが肉体でなければ悟りを得られないとも、そして善悪の二元混在するこの地獄世界で己のカルマを果たし、修行するために肉体は与えられて居るとの仰せであった。
要するに肉体とは精神ー魂ーを具現化する為の道具である。
ただし其の精神とは虚の感覚に捉えられた虚の精神のことではない。
JKに触りたい、といふ其の欲は健全な男子ならば誰もが持って居る肉体的な欲だ。
然し其の欲こそは虚であり欲の成就も虚、さらに其の欲に捉えられ理性崩壊して居る教師自身もまた虚なのである。
ゆえに教師は理性を崩壊させてはならない。
むしろアンタこそが理性の何たるかを、理性とは何か、其の理性とはかのカントが展開せし超越論的批判により顕わになるもので…云々と生徒さん方に説明してあげなくちゃいけない。
其れをこともあろうに教え子に手を出し、揚句の果てに自分をコントロールできなかった、つひやっちまったな、だなんて、そんなふしだらな教育界にもう誰も子供など預けられないではないか。
いや、教育界だけではなく、宗教界、政界、芸能界、などにまさしく此の淫風が吹きすさんで居り、其の様やまさに神をも畏れぬ所業の数々。
其の悪の所業により人類は理性を失い獣性と総入れ替えし後はもうソドムの市、バビロンの大淫婦と化し其処に悪逆の限りを尽くすのだ。
嗚呼、何て恐ろしいこと。
人類は何故こんなにエロいのか?
特に近代以降人間は理性的になり前近代的な獣性、つまりは獣のやうなSEXを封印して来たのではなかったか?
いや、其れは確かにそうだ。
然し獣のSEX自体は汚れて居ない。
まさに獣のやうなSEXこそが汚れて居るのである。
其れから母ちゃんー配偶者ーを手籠めにすることは犯罪でもなんでもない。
然しJKを手籠めにすることはもうそれはイケない、絶対にしてはならぬことの筈。
だが、学校や塾では教師には常に大きなストレスがかかる。
学校は何やら行事も色々とあるので大変らしい。
だったらもう教師を辞め自決せよ。
JKを手籠めにする位ならば宗教団体にでも入り是非集団自決でもして来い。
嗚呼、然し、此の肉体とは何だ?
肉体は所詮は虚の現象だというのに、
こうしてつねれば反応するし、
おまけに皆それぞれに違う躰だし、
ましてや女などはまたトンデモなく罪深い体でもってして即ち子の生産工場である。
此の肉体を超えたい。
此の肉愛を超越して、純粋に、極めて純粋に魂の世界へだけ行きたい。
ところが魂はあくまで此の腐った肉体にこそ宿る。
其処がそもそもの矛盾だ。
世界の本質は矛盾なので、さうして矛盾としての受肉を経験せねばならない。
其処での獣性が織り交ざる、肉のよろこび。
其処に深く深く捉えられ、悶え、そして苦しみ、魔が潜むであろう悶絶と陶酔の其の館で、まさに目をひんむいて、或は汚物まみれになりながらも、其の腐った肉の悦びに、其の永劫の罪の瞬間へと愚かにもコミットする。
左様に人間界に於ける獣性はもはや制御出来ぬところへまで来て居る。
其の獣を生んだのは誰あろう、近代思想が生み落とした合理主義によるものだ。
合理主義は教師を狂わせJKをば手籠めにしてやまぬ。
合理主義は地球を壊し人間を壊しついでに人間の性をより獣に近づける。
でも獣の性は清いとさっきそう言うて居たのじゃないの?
いやそうではない、獣の性を真似た人間の性こそが醜くそして汚れて居るのじゃ。
ドロドロに醜く、しかもグチャグチャに汚れて居るのじゃ。
其れというのも須らくは此の社会が悪い、社会の合理思想が全てをブチ壊しふしだらにし教師をして懲戒免職にして仕舞うのじゃ。
といふ訳で一見何の関係も無い、何ら因果関係が無いと見られたところでの合理主義と今の社会のふしだらさがピッタリと一致し、即ちエロをエロとして成り立たせて居るのは、即ち人間の生殖以外のエロの罪を成り立たせて居るのは誰あろう、此の理性を掲げ持つ近代の考えそのものなのだった。
実際エロが重層化し健全な性の領域を浸食しはじめて居る。
嗚呼、まさに世も末じゃ。
恐ろしや、まさに恐ろしや。
今まさに世は断末魔の叫びを、其のエロの叫びを辺り一面に撒き散らして居よう。
あー、恐い、恐い。
恐いからもうお家に帰りたい。
お家に帰って早く中性化したい。
または植物にでもなりたい。
さすればエロの犯罪者になどならなくて済む。
ちなみに其の行者様が述べられたところによると、性欲即ち性のエネルギーはルートを変えることで回避し得るのだそうで、其の結果其のエネルギーは微細化されて脳に変容を与えるとのこと。
即ち瞑想や行法でいわゆるチャクラの開発をすることが必須となるということ。
要するに欲望の昇華の仕方について述べて居られるのでしょうがコレも現実的にはなかなか難しいことです。
ということは、逆に現実にカンタンに行えて仕舞うのが我我にとってはエロなことである。
エロは我我にとり非常にやり易い。
エログロは我我にとり非常にやり易い。
聖なるものは或は穢れなきものは我我にとり得難いが一度位ならばJKを手籠めにしたいといふ欲はエロい男ならもう誰しも持ち合わせて居るものです。
然し其処を、其処をこそ踏ん張って抑えよ。
汝の理性の力でこそ抑えよ。
合理主義の信奉する獣の理性ではなく汝が内なる魂の理性でこそ抑えよ。