目覚めよ!

文明批判と心の探求と

人間の分際で…




「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。
努力でなしうることには限度があり、人間はその分際(身の程)を心得ない限り、決して幸せには暮らせないのだ。

第一章 人間には「分際」がある
・人間には変えられない運命がある
・生涯の勝ち負けは死ぬまでわからない
・そもそも人間は弱くて残酷で利己的である
・卑怯でない者はいない
・人生には祈るしかない時もある

第二章 人生のほんとうの意味は苦しみの中にある
・不幸のない家庭はない
・うまくいかない時は「別の道を行く運命だ」と考える
・人間は死の前日でも生き直せる
・生涯における幸福と不幸の量はたいてい同じ

第三章 人間関係の基本はぎくしゃくしたものである
・誤解されても堂々と生きる
・誰からも嫌われていない人は一人もいない
・他人を傷つけずに生きることはできない
・人脈を利用する人に、ほんとうの人脈はできない
・子供は「親しい他人」と思った方がいい
・弱みをさらせば楽になる

第四章 大事なのは「見捨てない」ということ
・「許す」という行為は生きる目的になりうる
・愛ほど腐りやすいものはない
・愛は憎しみの変形である

第五章 幸せは凡庸の中にある
・「もっとほしい」という欲望が不幸を招く
・不幸を知らないとしあわせの味も分からない
・諦めることもしあわせの必要条件
・感謝することが多い人ほど幸せになる

第六章 一度きりの人生をおもしろく生きる
・「人並み」を追い求めると不幸になる
・話のおもしろい人は、人より多くの苦労をしている
・報復すると人生が台無しになる
・「流される」ことも一つの美学

第七章 老年ほど勇気を必要とするときはない
・老いと死がなければ、人間は謙虚になれない
・誰でも人生の終盤は負け戦
・昨日できたことが今日できなくとも、静かに受け入れる
・人間の一生は苦しい孤独な戦いである







申すまでもなく人間とは限定である。
限定であればこそ分限が其処に生じよう。


だがあいにくのこと人間は馬鹿なので自分の馬鹿さ加減にはとんと気が付かぬものである。

だからー「もっとほしい」という欲望が不幸を招くーのだ。
しかしながら我ももっと欲しい。

生きて居る限りはもう少しだけ欲しい。

其の少しだけ欲しいのが百億分位積み重なるとほとんど際限なく欲しいのと同じことになる。



ゆえにかの老詩人は言って居たであろう。

「求めない」のであると。

過分なこと、余剰分を求めてはならないのである。


フリーセックスが、過剰な権利の成就が、また過剰に欲する自由が、全て其の求めて仕舞う病としての症例である。

左様に今人間は過分に膨満しつつある。

限りなく膨張しつつあるのである。



膨張し続けると果たしてどうなるのか?

やがてパーンといふ音がして人間自身が破裂するだろうことが必定である。

だから求めてはならない。

求め過ぎてはならない。




求める代わりに是非こんな本でも読んで置くことだ。


すると、心が鎮まる。

何だかいつも急かされて居るような内面が休まる。




勿論「人並み」を追い求めることは、近代が思い描きし幻想である。

幻想を追い求めると幸せにはなれない。

否、幸せを追い求めること自体が過分な期待であり思い上がりそのものである。


そうだ人間は今際限なく思い上がって居る。

矢張り一度位全滅しないと其の事が分からないのかもしれない。

思い上がるからこそ、アホである。


アホとは今路上でコンピューターゲームに、そしてフリーセックスに酔い痴れて居る人々のことをいう。其れからオリムピックに熱中したりリニヤなる過分に速い乗り物に熱中したりして居る様を云う。



このアホでしかもバカな人間を治す術などは無い。

何故なら元々人間とはそうしたまさにサイテーの生き物でしかないのだから。


人間の尊厳などと屡言われるが其れは嘘である。

人間以外の全てには尊厳が存するが人間にだけは其の尊厳が与えられて居ないのである。



だから人間は其のアホでバカでサイテーで尊厳の無いところからこそ再出発すべきなのだ。

我々が近代に於いて価値を構築したところのものの全てを疑い否定すべきは否定していかねばなるまい。



我々は自由なのではなく多くを縛られて居る。

縛られたものであることこそが真実で、其の事実に気付くことこそが分際を知るということである。



無論のこと努力をすれば何かが手に入る。

金も物も女もお望み次第だ。

然し其の金と女と物の本質が虚である。


虚なので其れ等を得ても本質的には満足出来ない。


本質的な満足はむしろ捨て去ることでこそ得られる。

ならば全部捨て去って仕舞え。



さすれば一番満足した形で死を迎えることが出来よう。



たしかに老いと死がなければ、人間は謙虚になれないのだが、老いと死がなくならないだけの強欲を背負いし人間は結局どこまで行っても謙虚にはなれない。

つまりは老いと死にまみえつつ生きて居るにせよ結局謙虚にはなれない。


謙虚でない人間共が騒ぎ立てて居るので結局どこまで行っても文明は思い上がる。

ならばまず文明が猫になるか犬になるか位のことをしてみよ。

或は蟻になるかダンゴムシになるか位のことをしてみよ。



悲しいかな人間は、誰も諌めて呉れる者が無い。

人間を諌めるものは大自然ばかりなのであり、其の大自然とていまや病躯を抱えて居る始末だ。

其の病は、結局人間が齎した。


人間は自然をして病ませて仕舞ったのだ。

人間は自分の病を失くす代わりに自然を病にして仕舞った。



自然に対する不遜な行いこそがアダとなり人間を皆殺しにしかつ地獄へおとす。

人間が拵えし文化も伝統も近代の価値もやがて全てが無に帰すことだろう。

人間が人間として生きて居る限り其の業からは逃れられない。



ゆえに人間を辞めよ。
今すぐに人間であることを自ら捨て去るのだ。

人間であることは其の生涯に於いて苦しい孤独な戦いを強いられることである。

だからいつまでも人間で居てはならない。

SEXを止めご飯を食べるのを止めあらゆることをもう止めて仕舞うのだ。


すると、人は死に至る。


然し果たして、死んで花実が咲くものだろうか。

いや、花実は咲かぬ。

当たり前のことだ、お前はもう死んで居るのだからな。






いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん
孔子論語



最初の呼吸が死の始めである。
フラー




花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ
井伏鱒二




死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
太宰治




人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。
坂口安吾




     

あらゆる生あるものの目指すところは死である。
フロイト





私達は生まれたとたん死にはじめている。
マリニウス

   




生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。
ウェーバー





命とは、セックスで感染した病気である。
ガイ・べラミイ







嗚呼、そうだ、さよならだけが人生だ。

そして生きることは病であり、まさに命とは、セックスで感染した病気である。


が、かの太宰氏はたまたま貰った着物が夏物だった為、夏までは生きて居ようとそう決意したのであった。


そうか。其れはなかなか偉いではないか、かの修治君は。



人生とはそういうものだ。


そうして生あるものの目指すところは死であり、死ねば全てなくなるのである。



ゆえに呼吸こそが生で、かつ死なのでもある。




其の生死の上での病を治すにはコンピューターゲームとフリーセックスを今すぐに止めたとえば「人間の分際 」を読む。

其れで決まりである。

勿論今すぐに読む必要がある。

強欲資本主義から足を洗い生老病死の齎す諸の苦にまみえ、尚且つ腐り易い愛の本質を理解した上で是非作家の意見に耳を傾けるのだ。



すると、己の分際が知れる。


己がどんなにアホでバカだったかといふことがもうこれ以上も無く克明に分かっても来よう。



人間が自らの分際を知るとはかように大事なことなのである。