目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

生涯の伴侶としてのより古いプラチナ#3776のブライアーモデルに就いてー新旧の#3776ブライアーモデルの使用感の違い等ー

生涯の伴侶としてのより古いプラチナ#3776のブライアーモデルに就いてー新旧の#3776ブライアーモデルの使用感の違い等ー

 

 

 

 

日本的美しさを持つ木軸万年筆!プラチナ #3776 センチュリー ブライヤー (薄) 【ペン先比較と木軸比較】 | ホシイモノガ=アリス・ギル (shigawakibara.com)

 

何か此処は写眞の方が神経質な迄に綺麗でそいでもって逆につい批判したくもなるんですね。

 

でもって其の現行のプラチナの金ペン先ですが其れが概ね「駄目」です。

何故ならワタシは新型ー新型でもおそらく二千年代物ーのプラチナのブライアー(何故かブライヤーでは無くブライアーとさう言いたい)モデルを日頃から使いますが其の14金ペン先は旧型のプラチナのペン先の方がずっと良いのです。

 

要するに旧型のプラチナの大型14金ペン先の方が柔軟なのでもあり且つ本質的に強い金ペン先に仕上がって居る。

と申しましても其のことを「理論的」に証明する手立ては無くつまりは感覚的な次元での御話となります。

 

ですが概ね万年筆の金ペン先はむしろ「ダメ」となりつつある。

ではドコがダメなのかとさう言われてもダメなものはダメですので其の通りにダメだとさう申す他は無し。

 

でも「ダメ」なら「ダメ」でむしろ其の枠内で「褒め合う」との左様な「仲良きことは美しき哉」的な感じでもって「イイ」だの「エエ」だのさう思って居るうちはまだ罪が無く壱種可哀想ではあるが其れを認めないでも無い。

 

 

實際新型ーおそらく二千年代物ーのプラチナのブライアーモデルもまるで使えぬ訳では無い。

ですが強いて言えば其れの軸にもまたペン先にも「苦悩」=「屈折」の跡がまるで見当たらぬ。

 

ですのでまずは其の「苦悩」=「屈折」があってこその人生であり文化なのだ。

人生であり文化とはもうとんでもなく「苦悩」であり「屈折」でありつまりは何ひとつ思い通りにならん「地獄絵巻」のやうなものに他ならん。

 

だから21世紀以降の文物にはそも其れが欠けて居らうからこそドコにも深みが出ぬのだ、其の文物としての深みが!!

また人間の方までもそんな深みの無い「まるで表面ダケ繕ったつまりは眞剣味に欠ける」人間へと化して來ちまってる。

 

さうでは無くまずは戦え!

其れもあらゆるものと闘い此の世を根底より「革命」せずしてどうする?

 

 

ああー、それにつけても長い長い戦いの日日であったことよ。

自分はもうボロボロになるまでさうして闘いの中に身を投じて來た。

 

なのでもう爺ちゃんにでもなりたい。

實際もう爺ちゃんなんだし。

 

いや君の欲望はむしろ永遠に参拾代なのだから其の「爺ちゃん」にはならうとしてもまさかなれやせん。

ヤッパリさうでしたか、どうも自分に限り違うとさう深く思い悩んで居りましたのですが結局さうしたことだったのですね。

 

しかしながら君の欲望は今現行品の全てをまた21世紀の文明の全てを否定しにかかって居らう。

ですから其れは何度も申しますやうに「エエものは良く」さらに「ダメなものは駄目」との其の区別ーケジメーのことをこそさう申して居るのです。

 

でもって結局は何が言いたいのだ?

結局は廿世紀物の方が上だとさう言いたいのだよ。

 

では何故廿世紀物の方が上なのだ?

其れはズバリ申して「苦悩」であり「屈折」がしかと其処に練り込まれて居るからです。

 

そんなややこしい論理がこんなアホな現代人にそも通用するのか?

いえ通用しないでせう、僕が述べることなんぞはもはや現代人には分からない。

 

だったらもう黙って孫の頭でも撫でて置け。

そんな孫の代わりにこんな万年筆しかありませんが…。

 

 

ドレドレ、嗚呼此れは確かに古いプラチナのブライアーモデルですね、さても何時頃の物でせう?

さうですね、1980年代の物でせうが前半製なのか其れとも後半製なのか其れもまたよーく調べてみないと分からないです。

 

もしや君は其れを当時より使い続けて來たのかい?

いいえさうでは無く1990年代のとある日に瑞穂グラウンドの横のナントカ小学校前にある文房具店にイキナリ押し入り手に入れしものなのです。

 

さうしてもしや盗んで來たのか?

まさか、ちゃんと弐万円程を払い買ったものだ。

 

實は其処に弐本の古いプラチナのブライアーモデルがさうして売られて居た。

自分は1980年代の後半から1990年代の前半頃にかうして市内の文房具店をしらみつぶしに訪れ主に古いプラチナの万年筆を発掘して居たのだった。

 

であるから其の文房具店に弐本の古いプラチナのブライアーモデルがあることをしかと把握して居たのである。

其れも其のことを知りつつも五年位はついぞソコへ行けなんだのである。

 

はあー、其れはまた壱種感動的な御話ですね。

するとアナタは御小遣いを貯めてまさに小学生のやうに五年振りに其処を訪れた訳だ。

 

では無く、實は当時クソ高い限定万年筆をしこたま買い求めて居たので単に其の弐万程の古いプラチナのブライアーモデルを購入する金銭的な余裕が無かったダケなんだ。

へえーさうすると例えば飯代を減らすとか🚬の方を我慢するとか兎に角そんなことで其の費用を捻り出しソコへと勇んで駆け付けた訳なのですね?

 

 

…仰る通りです。

わたくしは文具屋のオバちゃんに其の黑い方を見せて呉れとさう言った。

 

黑?

でもプラチナのブライアーモデルに其の「黑」は確か無い筈でせう?

 

いや昔は其れがしかとあった。

では早速に1987年度版のプラチナ総合型録を調べてみやう。

 

アンタ何故そんな古いモノ迄持って居るのだ?

だって何せ儂はプラチナ万年筆の愛好家だからな、わっはっは。

 

「PTB-25000

製品仕様ーブライヤーボディにサンドブラスト黒色仕上げー定価25000円」

 

あった、まさにコレだ。

 

尚当時はモノの「定価」なるものがしかとあり大体万年筆の値段などもさう決まって居た。

但し文房具店側の裁量により其の値段が例えば「壱割引き」だの「弐割引き」などとされて居たものだった。

 

ところが2010年頃からか其の「定価」なるものが所謂「オープン価格」などと云う訳の分からぬものへと移り變わり兎に角酷く分かり辛くなって行く。

其れにはおそらく所謂「グローバル資本主義」なるものが深く関与して居るのであらうが何でさうなるのかが壱消費者としてはまるで解せぬところである。

 

でもって21世紀にはケータイだのスマフォだのが蔓延することによりアナログ人間に取り逆に妙に住みにくい世の中へと移り變わって行く。

全くのところ變な世の中よ。

 

もはや爺ちゃんはまるでついてイケないよ。

正直まー捨てたりたいなこんな社會はー。

 

 

ところでアンタイチイチそんなプラチナの製品型録を其れも年度別に持って居るの?

確かに持って居ますよ、其れも2005年分位迄は。

 

でもってソレ以降は興味がそも無いのでまるで持って居ません。

 

さてまさに其の黑いブライアーモデルこそが所謂「通のプラチナ万年筆フリーク」の方方が愛好して止まぬモデルなのだ。

 

其れもワシなどは以降此のペンをトコトン使ったのだ。

すると拾五年程の使用で黑色の塗料が取れ次第に薄茶色となって來る。ーさうしてブライアー材の地色が現れたー

 

さらに其の後は其の侭に使いでも何だか色が斑になり汚いのでパイロットのブラックインクに壱ヵ月程浸し其れを黑い軸へと戻した。

ちなみにパイロットのブラックインクは史上最強のインクであり例えばエボナイト軸の染色などにもガンガン使える所謂浸透性が高くあるインクなのだ。

 

でもってさらに拾年位使い込むとまた其のパイロットのブラックインクによる黑い染色が剥げて來た。

 

我は今其れを左手に握りまさに其れを眺めつつ此のレヴューを書いて居る。

嗚呼美しい、其れもおおまさに幾多の苦難を乗り越え星霜を重ねしサイコーの筆よ。

 

即ち御前等若年コレクターがまんだ生まれる前にワシが使い始めた🖊なのだぞよ。

 

ああありがたや、ありがたやー。

さうだ、まさに其のやうに君等若輩の者共は「過去」と云う権威に是非ひれ臥さねばなるまい。

 

さう其の年月の重みこそがおお其の偉大なる黑い壱本のプラチナこそが現行品の全てをけちらし眞の意味での愛好家をこそ其処に育むのだ。

此のニセモノ愛好家共等めが!!

 

おまえたちはたった今心苦しくはないのか?

其れもよりにより左様なニセモノのプラチナをナデナデしつつなあにが21世紀の愛好家なのだ?

 

 

…でも明らかに書き過ぎでもってしかも言い過ぎです。

其れは認めます、どうもほんたうに御免なさい。

 

ですが何せ言ってることの癖が強くて面白いでせう?

いいえおそらくは万人に取り不快なだけでせう。

 

兎に角もっと普通に其れを語れないのか?

はいさう語ります、どうもお騒がせしすみませんでした。

 

ついつい「文學」をやり過ぎましたゴメンね皆様。

 

 

即ちどうも其れに對し「愛」が深くあるのです。

ですのでついつい其の「愛」に就き語って仕舞う。

 

でもそんな「愛」では無くて「罵倒」でせう。

其れも21世紀のメーカーと愛好家に對する明らかな「罵倒」です。

 

ですからちゃんと謝って居るではありませんか。

さうしてわざと書き過ぎたつまりはわざと言い過ぎたことに對してさう謝罪をしたのですから。

 

 

兎に角此の黑ハゲの♯3776こそが儂に取っての寶の筆なのだ。

だが使用歴が凡そ参拾年となる今年になり心機壱転し其のペン先と首軸とを替えた。

 

其れにプラチナでサイコーのペン先を付けてみたのである。

さう我がプラチナでもってサイコーの金ペン先と首軸とを付けてみたのだ。

 

其れもまた80年代製の黑軸ー樹脂製の黑軸ーからの転用である。

其の細字サイズの14金ペン先はエボナイト製ペン芯と組み合わされる個體的に最も柔軟で且つ大きく見える品となる。

 

では理屈抜きに其れでもって書いてみやう。

 

ガシガシ…。

うわっいってゃあーそもドコのもんじゃおみゃーは?

 

いえ単にかって文房具屋で売られて居た古い黑軸の万年筆ですが…。

さうか、ではまさに其れが参拾年も付き合った軸其のものなのだな。

 

さて万年筆には左様な意味での所謂「糟糠の妻」のやうな関係が生ずるものなのだ。

万年筆とは基本的に至極パーソナルな道具でありむしろ其れを長年に亘り「使い倒す」ことでこそ醸成される価値と云うものが確かに存する。

 

よってだから万年筆はまた「金額」や「評価」ばかりでも無いのである。

むしろ最も大事なのは使い手に取っての「思い入れ」であり「愛着」の方なのだ。

 

なので幾ら金額が高くてもまた幾ら評価の高い万年筆であれ其れが自分に合わなければ其処にはまるで価値など無いのである。

逆に「思い入れ」であり「愛着」の部分をかうして長年に亘り保ち続けられる物こそが其の人に取っての本物の筆ともまたなるのである。

 

 

…また今日はそんな美談であり教訓のやうなことを述べてつまりは人が感動する綺麗な形でもって万年筆論を終わろうとして居ますね?

アレソコもまたバレて居ましたか?

 

ほんたうのほんたうは万年筆は金額が全てでもってまた評価こそが全てなんだとさう言いたかったのでせう?

いいえ其れは違います。

 

ほんたうのほんたうは万年筆には「苦悩」=「屈折」こそが大事なのです。

うーん確かに此のブライアーの黑軸はむしろ思い切りに苦悩し且つ屈折して居ますね。ー苦悩=さう黑化しておりさらに屈折した=剥げたー

 

さうでせう?

だから其れがまんま「文學」の世界での出來事なのだ。

 

うーん、さうか、ではアナタがこれから此のペンを使い文学賞でも総ナメにしていくとのそんな薔薇色の未來がもしや待ち受けて居るのですね!!

そもこんなもんを書いとっては其れはまさか無いです。

 

でもこんなもんを書いとるのでむしろわたくしは仕合わせなのです。

さうそんな黑いプラチナのブライアーモデルこそがそんな壱文人に取り得難い生涯のパートナーなのさ。

 

 

Yahoo!オークション - 【希少・新品・未使用】プラチナ万年筆 ブライ...

 

さてこちらですがまさに其の「サンドブラスト仕様」での其れも新型の方での#3776ブライヤーです。

 

新型=天冠部が丸い

旧型=天冠部が平たい

 

さて其の#3776の新型と旧型の違いは結構大きく現れて居ます。

新型では軸が細くなりさらにより長くもなって居る。

 

ペン先が大きく異なる訳ではないが私の場合は書き心地が異なるやうにどうも感ぜられる。

故に自分に限りむしろ旧型の方が良いとさう判断する訳です。

 

實際に今書き比べてみても旧型の方が軸が太いので作家好みのする所謂「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向く感じがある。

對して新型の方は例えば「原稿」などを書くには少少もの足りずせいぜい手紙位に合うかと云った感じがする。

 

でもってわたくし自身はすでに長くー拾年程か?ー旧型でもって太字以上のブライアーモデルを探し求めて居ました。

要するに其の「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向くであらう所謂文人仕様としての#3776ブライアーが是非欲しかった。

 

また其れは其の「サンドブラスト仕様」であれまるで同じことなのです。

要するに旧型の方により筆記上の「本格性」の部分が感ぜられる。

 

元元プラチナ#3776は作家の梅田 晴夫先生がしかと監修された万年筆であり要は所謂「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向くタイプでのモデルでした。

さうまさに梅田 晴夫先生による筆記思想にて形作られた「本格性」のあるモデルでしたのです。

 

ですがあえて穿った見方をすれば新型の#3776には其の設計思想の部分がしかと感ぜられません。

確かに其れもまた#3776なのではあれでは梅田 晴夫先生御自身がもしも御存命であるならば左様な改變を許したとは個人的に思われないのである。

 

要するに變な風に變えちゃったとさう申せなくもありません。

ですので個人的にはプラチナ#3776の新型の方を基本的に認められないのです。

 

認めては居ないですが無論のこと惡い万年筆では無いのでかうして使ってもまた居るのですが。

ですがハッキリ申せば昨年末に東京の店に売りに出しました。

 

でも軸に割れが認められ売れなんだのです。

そんな訳で兎に角自分に取りプラチナ#3776とはもはや旧型の物でしかあり得ません。

 

其れも旧型の#3776でもって最もdeepなモデルこそがまさに其の「サンドブラスト仕様」のブライアーモデルだとのことです。

ちなみに昔ー弐、参拾年前ーより「サンドブラスト仕様」のブライアーモデルが売りに出されて居ることは極めて稀でしたものです。

 

 

でもって是非画像をとも思いますがさて出て來るものかどうか。

されど以上のオークションには「サンドブラスト仕様」に就いての説明があります。

 

まさに其れを読み初めて分かりました。

要するに「サンドブラスト仕様」とはブライアーの軸をより堅固にするが為の手間のかかる仕事だった訳です。

 

またそんなものつまりは「手間暇がかかった素晴らしい🖋」が昔は只の文房具屋にさうして置いてあったのでした。

でもそんなもんをまさか小学生が買う筈は無い。

 

だからわたくしの為に其れが置いてあったのですね、おそらくは拾年以上も其処に。

ああ、さうか、おおまさに儂の為に文房具屋が其れを置いて呉れて居たんだ、へっへっへーのへー。

 

なのでまずは其の「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルこそが自分に取っての御寶万年筆なのです。

どうです、流石に年季の入った嗚呼まさに惚れ惚れするやうな御話ではありませんですか。

 

もう僕は筆記具ライターとしては壱流ですね、まさに其の壱流だぞー、うふふふふふふふふ。

 

 

さても其の「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルを今夜盗みに來る人が此処に壱人居ますよ。

…もう止めとけって其れは。

 

君がさう言えば僕もまたすぐに反応してこんな闇の中庭に其れを埋めて仕舞うではないか!

埋めろ埋めろさう埋めて仕舞え、君の其の「生涯の伴侶」を失わせることダケが儂の望みなのだからして…。

 

もしや御前は👿か!!

良くぞ我が正體を見破ったな!

 

因みに「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルの使用感は兎に角もうサイコーです。ー軸が良く金ペン先も良いと云う意味でのサイコーさのことー

 

もしやサイコーですか?

アナタはたった今そんなにサイコーなんですか?

 

…もうたった今がサイコーです。

でも此の万年筆がかうして仕上がる迄に凡そ半世紀もの年月がかかっています。

 

さうわたくしがプラチナ万年筆の愛好家となって以降すでに五拾年の時が経ちましたのです。

プラチナの「70周年記念」モデルに就いてープラチナの「70周年記念」モデルの眞の意味での価値とは?+また出たダンヒル・ナミキが!!ー

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麻生太郎、万事休す…ブチ切れて「派閥破壊」岸田文雄がついに「無敵の総理」になってしまった (msn.com)

 

面白い。

尚キシダは理性無き「馬鹿」の多いジミントーの中では比較的理性が有る方だらう。

 

流石は早稲田大學卒だ。ーズバリわたくしが昔行きたかった大學であるー

早稲田位はちょろいとさう思って居りしがカスリもせなんだのでした。

 

ひょっとして、ひょっとすれば彼キシダはもしや広島産のヤクザではなかったか。

其れも嗚呼アノ文太兄いのやうな「まんだタマは残っとる」タイプでの怖い怖い御人ではなかったのか。

 

ああああああー、怖い!

兎に角其の追い詰められたキシダが怖い。

 

ひょっとして、ひょっとすれば彼キシダはやるぞ!

何をやるかって其の「新しい資本主義」を。

 

ひょっとして、ひょっとすれば彼キシダは此処🗾國の資本主義を「革命」にこそ導くぞ!!

 

さう彼キシダは此れ迄奴アソー爺の御機嫌を取り続けて來たのだ。

だが其の🐊に壱発喰らわせてやった。

 

御前なんぞ動物園に帰れ兎に角早う引退せい此の老害猛獣めが!!!

さうもはや彼キシダには怖いものなどは無い。

 

嗚呼もはや彼キシダにはどんな抑制も効かぬ。

 

「ダダダダダダダダダダダーン!!!!!!!」

何だ何の音だ其れもイキナリに?

 

其れはキシダ総理がさう機関銃を乱射する音です。

其れをたった今國政にて乱射して居るのです。

 

自分はそんなキシダの反逆をとりあえず支持して置きたい。

 

 

太くて美味 幻のゴボウ「はたごんぼ」 農家の尽力で復活 和歌山 (msn.com)

 

そんな「ごんぼ」が兎に角好きだ。

 

 

Yahoo!オークション - 文房具 SILVER 銀製 プラチナ 万年筆 ペン先 ALL...

 

如何にも柄が珍しくさうして美しいプラチナの銀製軸です。ーレアーモデルだー

 

Yahoo!オークション - 27511 PLATINUMプラチナ 万年筆 ペン先18K グリ...

 

此れがアマゾナスの緑軸です。

しかもクロコ革では無くアマゾンの密林に潜む両生類ピパピパの皮貼りです。

 

そんなピパピパの皮貼りの万年筆を使う人は勿論相当にカルトな御仁です。

さう其れはほぼ異常者並みにカルトな選択なのだ。

 

ピパピパ!!

…ピパピパ。

 

ピパピパ?

…ピパピーパ。

 

Yahoo!オークション - PLATINUM プラチナ 万年筆 70周年記念 エメラル...

 

さて昨年末より此のペンを使用中です。

まさに其の70周年記念モデルは金ペン先の出來が良い。

 

其れも詳しくは言えないが鍛金の仕方が違うとかってネット上で情報を得た覚えがある。

とは言え此の万年筆の14金ペン先のサイズはむしろ小さい。

 

ですが穂先の長いS・M刻印のニブで其のタッチは所謂柔らかさのある方であらう。

但し實感として柔軟と云うよりは本質的に強いペン先であり「線描表記」にも耐えられる物となって居る。

 

つまりは可成に貴重な現代の限定万年筆となる。

其の軸はセルロイドエボナイトが有ったがエボナイト軸の方が遥かに得難い。

 

プラチナ萬年筆 型録70周年記念万年筆

 

セルロイド素材はおそらく🗾製で日本の気候には適合して居るのかまず崩壊することは無い。

だが場合により素材が痩せたり曲がったりすることはある。

 

例えばわたくしの個體は胴軸が痩せ尻軸へキャップが被せられぬ故キャップ内に金属製のスペーサーを入れて使う。

其処からもエボナイト軸の方がより良いかとさう思われるが其れは個體数が少ないのか兎に角得難い物となる。

 

其れでもエメラルド・グリーンの軸はおそらく此処🗾で最も美しい軸なのだと言える。

尚プラチナには#3776の方にも定番品としてグリーンの軸の物が有るが其れよりもずっと本格性が感じられるのが此のプラチナ70なのである。

 

其の小振りの14金ペン先は兎に角強く要するに戦前の万年筆や兜木金ペン先さらに石川金ペン先などにほとんど引けを取らない物となる。

故にか兎に角非常に人気のある限定万年筆となる。

 

私が使う個體はS・M刻印のニブですがこんなFニブなどもまたあったやうである。

またS・Mなどの所謂SOFTタイプにのみ鍛金が為されて居た可能性などがまた有らう。

 

兎に角個人的には其のS・Mサイズが是非御勧めである。

 

 

しかも吸入方式がプラチナには珍しいピストン・フィラーとなって居る。

其処は良いのだが自分は現在「付けペン」の状態で其れを使う。

 

其れと天冠部と首軸はエボナイト製となり且つペン芯の方もエボナイト製である。

其の昔セルロイド素材は信用されて居らずよって万年筆のメーカーは🖋に取り重要な部品をエボナイト製として居たものだった。

 

其れが何故セルロイド軸が全盛となったかと言えばひとえに其れは「色合い」の美しさの為にである。

さうしてまさに其の「色合い」の美しさ故に万年筆は軸の素材を變えて行くのである。

 

ところが綺麗な物には大抵の場合は「毒」がある。

まあ其れでも綺麗な石に皆「毒」がある訳では無いのだけれども。

 

詳細ページ | 万年筆 ボールペンなど高級筆記具の販売・買取|キングダムノート (kingdomnote.com)

 

こんなキングダムノートの方での解説が何よりも参考となる。

尚こちらでのモデルのやうに尻及び頭の部分がエボナイト製では無くセルロイド製のモデルがまた有った訳だ。

 

個人的には廿年程前にこちらのタイプも得やうとして居たのだが結果縁が無く得られなんだ覚えがある。

其れもこんなプラチナの70周年記念モデルに限れば何本あっても良く結果的にむしろ「資産」としても通用するのであらうから。

 

だがとりあえずはセルロイドモデルは壱本しか無くしかも弐拾年程経ちようやく使ったのでー正確には2010年頃に弐年程使って居たがーコレはもはや売り物にはならない。

プラチナ70周年記念セルロイド

 

では此のペンをわたくしは何処で求めたのか?

其れは名古屋三越の万年筆売り場で求めたのだった。

 

其れは大體90年代の中頃であった。

当時わたくしは百貨店にも頻繁に顔を出す🖋の蒐集家だった。

 

兎に角90年代迄はさうして色んなところへ出向き万年筆を探し求めて居たのだった。

 

当時の名古屋三越には万年筆のオーソリティとされる老店員さんが壱人居られた。

また其の方は名倉さんー丸栄百貨店の万年筆売り場を仕切って居た方ーの師匠とされて居る御仁である。

 

其の名古屋三越の万年筆売り場には当時弐本のプラチナ70が置かれて居た。

つまりは其れがグリーンと石垣模様のセルロイド軸のモデルである。

 

何せ緑色が大好きなわたくしは壱年間位ソコへ通いまずは色んな御話を其の老店員とするのである。

さうして案外カンタンには買わないのがまさにわたくしの性格が屈折して居るところなのだ。

 

でもって最終的にはモノの値段をまけさせて仕舞う訳ですが確か名古屋三越はほとんどまけなんだやうに覚えて居る。

ですが別にホームグラウンドの丸栄であれ当時はプラチナ70を取り寄せる位のことは可能でありしかも優待割引にて弐割、また参割引きにてプラチナ70をGETすることもまた出來た筈である。

 

 

ではわたくしが何をして居たのかと言えばまさに其の老店員さんと話がしたかっただけなのだった。

 

其れもまあ今思えば当時はまだ人間に失望して居らず要するに今程人間嫌いでは無くむしろ御話好きな若者だったのだ。ー其の頃はまだ参拾代の中頃だったー

そんな老店員さんは兎に角「万年筆は人に貸すな」と云うやうなことをいつも言って居られまた他のことも何か仰ったのであらうがそんなことは全て忘れ其の言葉だけがいまだに耳に残って居る。

 

でもって自分は意を決して其の緑のプラチナ70を求めた。

でも其の頃は毎月のやうに高い限定万年筆を求めて居たのでさう悩まずに實は其れを求めたのだった。

 

以來其の「緑のプラチナ70」は自分に取り大事な限定万年筆として保管されることとなる。

 

 

因みにプラチナの70周年には他にも優れた銀製軸や金製軸のオーヴァーサイズモデルが有った。

プラチナ萬年筆 創業70周年記念 銀製装飾軸

 

かうして大變美しい万年筆となる。

要するに戦前のプラチナの金銀の萬年筆をほぼ本気でもって復刻した「奇跡的」な御品となる。

 

わたくしは此の銀製軸のモデルを壱本持ち現在も大切に保管して居る。

但し金製軸の方はついに得られずしかも売られて居るのを当時以降は見たことが無い。

 

でもってこちらの御品を求めたのは百貨店では無く文房具問屋の方であったかと思う。

其の文房具問屋の方にもまた当時は知り合いの課長さんが居てそちらの方へも毎月のやうに通って居たのである。

 

では何でそんな課長さんを知って居るのかと申せば其れは教材販売の會社でもってバイトをして居た30歳位の頃に其の人と知り合ったのだった。

要するに其の會社へ定期的に其の人が回って來られて居たのだった。

 

 

兎に角今思い返せば物質としての万年筆もまた所詮はそんな人との繋がりであり所謂「人間関係」の部分より膨らむ世界でもまたある訳なのだ。

尤もたった今儂はむしろ其れには浸り過ぎぬ方が良いなどと壱風變わったことを述べて居るのですが無論のこと生涯に亘りさうして來たのでは無くかってはむしろさうした部分を大事にしつつ日日を生きて居たのである。

 

尚さうして90年代を疾走して居たー万年筆集めに熱中して居たーわたくしは其の90年代の後半に当時の丸栄百貨店にて限定🖋の展示を確か弐度程行ったことがあった。

また其の折に實は「中華万年筆」の展示をしたこともあったのだった。

 

そんな「中華万年筆」は實際バカにならず特に当時の英雄や金星の限定万年筆などはむしろ今の物よりも明らかに凄かったのだと言える。

まさに其のプラチナの70周年モデルが発売されたのが1989年であり以降はモンブランペリカンがまたパイロットやセーラーがはたまたオマスだのアウロラだのさらにパーカーやシェーファーなどが次次と限定万年筆を発売するとのおおまさに「群雄割拠」の時代が🖋の世界に到來した。

 

其れをイチイチ集める馬鹿もまた居てまさにわたくしはそんなバカの筆頭でありつまりは「ボクは万年筆が良く分かった偉いコレクターさんなんだもんねー」などといつもさう信じ込んで居たのである。

さうメーカー側が売らんとする戦略にてそんなバカな靑年に大金をはたかせ無壱文にするとの嗚呼其のやうな根性の惡い策略にまんまと引っ掛かりしおバカなわたくしなのでした。

 

ではあれど別にヤクザの👩に手を出し百万を毟り取られる訳でも無い。

さらに競輪競馬競艇パチンコにのめり込み凡そ弐千萬をやられる訳でも無い。

 

なのでまた後日に其れが売れる訳です。

何せ物はソコにちゃんと残るので逆に儲かることなどもまた屡でしたのです。

 

其れと腕時計などはもっともっと売り易いことでせう。

だから腕時計や万年筆を集める趣味は酒や👩やギャンブルなどに凝るよりはずっと良い趣味であり要するにより安全で且つ健全な趣味となる。

 

 

Yahoo!オークション - PILOT パイロット 万年筆 ペン先 14K REGISTERED...


ところで本日またエライー凄いーもんー物ーを壱本ヤフオクに発見致しました。

其の「発見」するか否かと云うことが實は「蒐集家」と「壱般人」を分ける重要な要件となるのです。

 

「蒐集家」はかうして概して鼻がきくのです。

要するに其の種での優れた嗅覚や視覚、さらに第六感の部分を充分に兼ね備えて居りよって自然と其の良いモノが彼の周りにかうして集まって來るのである。

 

また同時に其れは彼が「物欲」と云う奈落の底へと落ちて行く其の様を如實に物語るであらう彼の現實其のものなのです。

ですが彼はさうして何せ「限定」して居るので間違っても「酒池肉林」の方には向かず只只筆記具の方へとまた美しい石の世界へとおおまるで壱匹の蝶のやうにひらひらと舞い飛びながら其れも最終的には其のどちらかへと着地致しますのです。

 

 

此のペンはしかしほんたうに凄いぞ。

何故こんなもんが今よりにより出て來るのか?

 

兎に角かうして東京と大阪、此の東西の大都市からはまさに何でもが出て参ります。

が、其れに限らず此処ナゴヤから出る物もまたあればはたまた九州やら四國やら北海道より凄いモノが出る場合なども可能性は低くなるが確かにある。

 

また意外と穴場なのが東北ですね。

わたくしはかって靑森だのまた岩手だったかそんなところから凄いー超弩級のー戦前の萬年筆を引っ張っても來ても事實居ります。

 

ですがとりあえずは東京と大阪、此の東西の大都市からはおそらく何でもが出て参りませう。

 

兎に角上の御品こそがまさに正真正銘の戦前のダンヒル・ナミキです。

其れも其の程度が可成に宜しいやうで。

 

いや確かに欲しいと言えば欲しいが現在そんな余裕は何処にも御座りません。

と申すのもまた古いプラチナを壱本買ったばかりなのですし…。

 

でもってあえて穿った見方をしますれば此のペンを落として置きセカイモンに頼んで海外オークションでもって売ればひょっとすれば百萬でも売れるやうな気が致しますのですが其れですともはや投資の世界の御話であり要するに儲け話其のものです。

 

いやあでもほんたうに綺麗なダンヒル・ナミキです。

おそらくは本物でせうが万が壱軸の方がニセモノであれ其の50号の金ペン先ダケでもおそらく廿萬程はすることだらう。

 

 

さて此の1~3月はまた特に万年筆が良く動くシーズンとなる。

故に休めない訳です、かう寒いからと言って休めずむしろ飛んでもない御品がかうしてポコッと出て來たりもする。

 

またわたくしなどはすでに此の睦月に弐度もヤフオクにて死闘を演じて來ておる。

共に「どうしても其の品が欲しい万年筆馬鹿」に負けつまりは次点でした。

 

故に「どうしても其の品が欲しい万年筆馬鹿」の類の人はハッキリ申して此の世から是非消えて頂きたいです。

尚そんな「どうしても其の品が欲しい万年筆馬鹿」と競い合いますと例えば普通に行けば四万位で何とか落とせさうな品がすぐに五萬となりまたふと気付けば六萬となりバカ野郎、こんなもんに六萬も出すのはもはや正気の沙汰では無いわ、ならば其処迄上げた御前に煮え湯を飲ませたるわ、ハイ、即其の六萬を払え。

 

てなもので最近はどちらかと申しますと實に意地糞が惡くいやらしいタイプでの次点者となりつつあり要するに上げるだけ値段を上げソイツに落とさせるとの戦略を主にとって居るので御座ります。

また其のことは主に「評価が高いか若しくはスーパーレアーな御品」の場合に引き起こされる戦闘である場合が多く其の逆に「評価が低いか若しくはありふれた御品」である場合にはそも「どうしても其の品が欲しい万年筆馬鹿」は登場して來ないのでそんなに苦しまずとも例えば数百円、また数千円の単位で値を上げれば大抵の場合は落札することが可能となる。

 

ですので今回落としたプラチナなどがまさにそんなもんです。

 

そんな訳で🖋の蒐集の世界は兎に角大變なものなのです。

要するに腹を括った上で行う「闘争世界」であり「戦闘」のことですので眞面目に向き合えば兎に角疲弊が甚だしくなることだらう厳しい世界のものなのだからして。

萬佳(WANCHER)さんのドリーム・ペンこそがまさにほんたうの「夢の🖋」だった御話ー「最後の筆記具蒐集」としての第壱話ー

萬佳(WANCHER)さんのドリーム・ペンこそがまさにほんたうの「夢の🖋」だった御話ー「最後の筆記具蒐集」としての第壱話ー

 

 

 

 

さて私は6月17日より筆記具の集中的な蒐集を再開した。

其れをするのはほぼ五年振りだったやうに思う。

 

何故其れをしたのかと言えばずっと寝かせてあった限定🖋を売ることで資金を得其れにて当初は海外ブランドのペンを購入しやうとして居たのである。

例えば「LOTUSブランド」のペンを狙って居た訳である。Products (lotuspens.com)

 

其れは印度万年筆なのだが個性が強くあり其れ其れに非常に魅力的なペンとなる。

また其の値段は印度製の🖋としては高価な部類である。

 

其れでも2、3万で買えるのはペン先が金ペン先では無くステンレス合金製となるからなのだ。

 

 

いずれにせよ兎に角「LOTUS」の蒐集をする予定だったが結果的に其の目論見はまるで外れ最終的には古い🗾の其れもインク止め式のタイプの萬年筆を得て行くこととなる。

「LOTUS」もまた現代のペンとすれば最もdeepな領域での万年筆の蒐集となるが🗾の其れもインク止め式のタイプの萬年筆の蒐集は實に其れ以上にdeepな世界での蒐集上の闘いであることが正直多かった。

 

故に自分はまさに其処にて疲労困憊したのである。

勿論ヤフオクにて金額が上がるのがまずは心臓に惡くしかも取った!と思った御品のオークションの壱分前に応札して來る根性の惡い人などが世の中にはまた居るものなのだ。

 

ちなみに私はきっかり6分前に応札し5分を切るとほぼ応札はしない。

5分を切り応札すれば時間が延長されまた10分になって仕舞うが故に其れを何度もすれば20分も30分も時間が延長されて仕舞う。

 

故に長丁場の闘いとなり其れだけでも疲労感が大きく残ることとなる。

 

ところが無論のことどうしても欲しい🖋の場合はどうであれ何でもやり切る。

其れもオークションの場合は次点では意味が無く欲しい🖋の場合は限界以上の金額を入れて仕舞う場合などもまた多い。ーとりあえずさうして限度額は勿論毎回設定するのだがー

 

だが今回は「やり切る」とのことだったので兎に角やってみた。

ですが「価値の無い筆記具」に手を出す余裕などは何処にも無い。

 

兎に角資金を使い終われば其れでもって此の自分に取って最後となるかもしれない集中的なペンの蒐集は終わりを遂げる。

 

 

さて其のペンの蒐集を再開した初日に自分は萬佳(WANCHER)さんのエボナイト軸の夢万年筆ードリーム・ペンーをヤフオクにて落札した。

其のドリーム・ペンは萬佳さんが開発した大型の🖊となる。

 

では何故其れは大型なのか?

其れを蒔絵万年筆化せんが為に大型なのであらう。

 

また其の蒔絵万年筆は主に海外市場にて売られて居り其の価格は拾萬、弐拾萬もする高額なものが多い。

 

【楽天市場】万年筆 > 夢万年筆 > ドリーム・誠漆:WANCHER official shop (rakuten.co.jp)

 

勿論🗾市場でもまた其れ等は売られるがいずれにせよ其れが高額なものとなることは否めない。

故に其れは常にエンゲル係数が高くある筆記詩人が狙うところのものではまさか無い。

 

さてさうして萬佳さんは主に海外市場にて勝負して居りつまりは其処での売り上げ額が八割程もある訳です。

故にか社員はほぼ英語の出來る外国人のスタッフばかりとなる。

 

尤も其の英語ばかりでは無く日本語での會話が出來るスタッフなどもまた居るやうではありますが。

 

 

『ガイアの夜明け』令和の“開国”に迫る 外国人労働者と日本企業の新たな取り組みを取材 | ORICON NEWS

【株式会社ワンチャー】7/21(金)放送予定 テレビ東京系列「ガイアの夜明け」にて取り上げられます!番組内に登場する金箔蒔絵万年筆をご紹介:時事ドットコム (jiji.com)

【株式会社ワンチャー】7/21(金)放送予定 テレビ東京系列「ガイアの夜明け」にて取り上げられます!番組内に登場する金箔蒔絵万年筆をご紹介|【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp)

 

さて昨日の夜たまたま母から教えられ其の萬佳さんの🖋ビジネスの部分が「ガイアの夜明け」に登場することを知り早速其れを視てみた。

結局WANCHERさんはさうして外國人労働者を雇うことで海外へと販路を拡げとりあえずは成功を収めたのである。

 

其れはさうだ、何故なら此処🗾國に於いてそんな高価な蒔絵万年筆が多く売れることなどは現在極めて考えにくい。

今日本人は政策の上での規制緩和ー合理化の波ーに雁字搦めとされとどのつまりは30年前よりもむしろずっと貧乏となって居る。

 

だったらもはや市場を海外へ持ち込む他は無い。

 

 

ちなみに自分は20年程前に屡萬佳の代表の岡垣氏とメールにて筆記具談義をして居たものだった。

其の折に「海外にて高額な蒔絵万年筆を売る」ことこそがビジネス・チャンスであると確かさう述べて置いた筈だった。

 

だからと言って其の助言が現在のWANCHERさんをつくったと迄は言い切れぬことだらう。

だが其の頃自分は丸榮百貨店の筆記具売り場のNAKURAさんにも其のことを奨めて居たものだった。

 

ですがやがて丸榮百貨店の閉店が決まり何時頃だったのかすでに2010年辺りでタテ株式會社は筆記具売り場を撤退して居たのではなかったか。丸栄 - Wikipedia

わたくしもすでに其の頃には百貨店の筆記具売り場には出入りして居らずたまに行くのが当時丸榮百貨店内に間借りをする形で入って居た名古屋丸善の筆記具売り場のみだった。

 

尤も其の後タテ株式會社は「ウェブショップタテ」なるネット店舗を立ち上げ其処が弐割引きでの筆記具の販売にて結構賑わって居たが其の後はどうなったものか分からずしかも現在はすでにやって居ない感じである。

 

確か2005~2010年頃にパイロットの大型蒔絵の🖋を栃木のSUGIYAMAさんー「図書談話室で御一緒させて頂いた文學の研究者の方」ーに購入を頼まれ其れでもって自分の分と共に四割引にて其処より其れを購入したのが最後のことであったやうに思う。

すでに其の頃自分は限定万年筆への興味を失いつつありよってヤフオクでも屡高額な限定万年筆を整理して居たものだった。

 

また其の資金でもって「世界オークション」の方へと乗り込んで行った訳だ。

但しかってのやうに伊太利亜や独逸の限定万年筆を得る為にでは無くつまりは古いペンー其れも主に戦前の🖋ーをさうして世界中から蒐集して居たのである。

 

尚現在NAKURAさんがeBayにて高額な現行の蒔絵万年筆を売って居ないと云う保証は何処にも無い。

むしろばりばりに売りしこたまに儲けて居たりする可能性が20パーセント程はある。

 

だが其のNAKURA氏もおそらく八拾歳以上だらうからすでに引退された可能性などもまた高くあらう。

 

 

(中古)SAILOR セーラー 万年筆 ウェブショップタテオリジナル プロフェッショナルギア 赤軸万年筆 紅 中字(商品ID:3717014693117)詳細ページ | 万年筆 ボールペンなど高級筆記具の販売・買取|キングダムノート (kingdomnote.com)

 

こんなもの迄もがかうして出るところには出されて居る。

 

其のタテ株式會社でつまりは丸榮百貨店の筆記具売り場で屡🖋を買ったのは90年代の終わり頃より21世紀初頭のことだった。

定価で35万位だったかの限定万年筆ーモンテグラッパ アフロディーテーを買ったことさえあった。

 

また其れもつまりは4割引きとなるのです、何せ自分が御得意様なので。

つまりは金額が高いもの程其の値引き額がデカくもなるのです。

 

また当時此処は東海地方の🖋コレクターの溜まり場のやうにもまたなって居た。

其の🖋コレクターの會合へも弐度程参加して居る。

 

其れもちゃんとした料理の出て來るおそらく料理屋のやうなところだったのだらう。

其のメンバーは其れこそAICHI大学の教授であるとかまた飲食店の経営者であるとか結局は自分などよりも明らかに金持ちの人が多かったやうに覚えて居る。

 

今思うと相当にバカバカしいことをして居たと思いますが其れも所詮はそんな人間関係のことなのであり筆記具コレクターとは結構其の人間関係の範囲が狭くてしかも濃密にあるものなのだ。

 

其れ即ち万年筆の蒐集とはほぼ半分位が其の「人間関係」によるものなのであり壱面では其れがまた煩わしいものでもある。

 

 

さてこちらが今年の6月に求めた萬佳さんの夢🖋だ。

 

WANCHERワンチャー クリップ付モデル ドリームペン 夢万年筆 誠エボナイト シルクブラックGT-1

WANCHERワンチャー クリップ付モデル ドリームペン 夢万年筆 誠エボナイト シルクブラックGT-2

WANCHERワンチャー クリップ付モデル ドリームペン 夢万年筆 誠エボナイト シルクブラックGT-3



此の御品は黑エボナイト軸ー誠エボナイト製ーで大型の🖋となる。

エボナイト軸のドリーム・ペンが是非欲しいと壱年程さう思って居たところ丁度蒐集のタイミングと合い其れがオークションに出されて居た。

 

其のヤフオクでのドリーム・ペンはアウトレット物がほとんどでありよって壱万円台で手に入ることが多くなる。

どうせ使う為のペンなのであれば見た目などはほぼ関係が無くつまりは多少漆が剥げて居やうがムラがあらうがまるで関係無いのだと言える。

 

どうも人間はかうした意味での「割り切り」が出来ぬ人の方が多いやうな気がしてならない。

だがわたくしはむしろ其処を徹底して居るのでどうであらうがペンは安い方が良く何故なら安くないと手が出せないからなのだ。

 

また我は生命の「外見」には余り捉われない。

だから家の中でパンツ壱丁で屁をコクのが無上の自由の満喫としての時間となる。

 

結局其のことは事の本質のみを常に見極めて生きる人間だからなのだ。

尤も現代人は其のやうな価値観をすでに見失いがちなのだらう。

 

 

ドリーム・ペンの黑軸は思ったよりも重量がありつまりはエボナイトの軸が分厚く作られて居た。

書いてみるとまさに感激させられる良い書き心地を持って居る。

 

其れもステンレス・ペン先であると云うのに金ペン先への交換を必要としない特にインクの流れ方の良い個體である。

 

喜んだのも束の間で其のペンは自分に取り致命的な問題を抱えて居た。

即ちキャップが尻軸へと付かないのだ。

 

しかも何遍捻じ込んでも固定されない。

 

さてそも🖋には、

 

1.キャップを尻側に被せられるタイプ

2.キャップを尻側に被せられないタイプ

 

とのタイプの区別があり其のことを表記し売られることなどもまた多い。

 

ところが自分の場合には「長い軸の🖋の使い手」であり2.のタイプの万年筆にはホトホト困って仕舞うのである。

故に其のやうなペンの場合は勝手に改造し1.へと變えて仕舞うのだ。

 

尚欧米人の場合はキャップを尻側に被せない人の方がむしろ多いさうである。

だが筆文化に馴染みがある人などは其のことにむしろ我慢がならない。

 

左様に毛筆は例外無く其の竹の軸が長く拵えてある。

 

尚自分の場合はあくまでどんなに重くならうがまた長くならうが兎に角キャップを尻側に被せて使う。

其処でまずは、

 

3.尻軸の摩擦係数を増す為に紙鑢にてこすった

 

すると鏡面仕上げが部分的に壊され醜くなる。

では醜くなるのと使い易くなるのとでどちらを選ぶのか?

 

だから其れが自分に取り使い易くなれば良いだけの話である。

尤も使わないペンは逆に徹底的にオリジナルの状態を保存しにかかる。

 

要するに自分はさうしてペンに於いて弐元的思考を常にして居るのである。

 

 

4.兎に角頑丈な黑エボナイトの軸であり机から落としてもまた踏みつけるやうなことがあっても決して割れたりはしない

 

即ち自分が此れ迄に得たエボナイト軸のペンの中で最も頑丈なタイプである。

なので其れは常に使用するに足る何かをすでに持ち合わせて居る。

 

だが惜しいことにキャップが尻側に嵌まらない。

 

しかもさうして摩擦係数を高めてもまだキャップが尻に嵌まらない。

…やっちゃったか?

 

また要らんペンをよりにより買っちゃったのか?

 

だが其処にてよーく考えてみたところ壱年前に金色のドリーム・ペンをすでに入手して居りしかも其れもキャップが尻に嵌まらないー嵌まりにくいーので萬佳の箱の中に其の侭仕舞ってあったのだった。

 

【WANCHER】Dream Penドリームペン 夢万年筆 漆 会津塗 メタリック 梨子地 -1

【WANCHER】Dream Penドリームペン 夢万年筆 漆 会津塗 メタリック 梨子地 -2

【WANCHER】Dream Penドリームペン 夢万年筆 漆 会津塗 メタリック 梨子地 -3

 

其処に気付けば後はもうシメタものよ。

でもって早速黑エボナイトの胴軸の尻側に其の金のキャップを被せてみた。

 

…矢張りちゃんと付いた。

 

でもって若干収納状態でキャップの締りが惡くキャップが浮くが兎に角ちゃんと使えるやうになったのだった。

其れも此れも「完全」では無いが充分に使えるやうになったのだった。

 

故に6月以降其の金のキャップの黑エボナイトのドリーム・ペンを自分が使用するメインのペンとなし使うこととなった。

其れでもキャップは相当に押し込んで嵌めぬとまた取れ易いものと來てる。

 

だがそんなペンを使ううちに何かかう實存的な意味での愛着のやうなものがまた涌いて來る。

其れは丁度不細工な女房や出來の惡い子のやうなもので其の出來、不出來には関係の無いむしろ唯壱での實存的価値である。

 

即ち現象の価値とはまさにさうしたものなのだ。

其の能力の多寡や出來の良し惡しなどでは無くさうした意味での自分にとってのたった壱つの価値であり今であることをこそ言うのである。

 

さうした意味でのたった壱つの価値を能力の多寡や出來の良し惡しやまた金の有る無しでの価値でもって汚してなどしては決してならない。

嗚呼まさに金額でも無く完璧さでも無くだが此のペンは自分に取りかけがえの無い何かへとたった今なりつつある。

 

 

まさに哲學的に申せば現存在はむしろ其のやうな「己の中の物語性」にこそ是非生きて居て然るべきなのではないか。

其れも常に現代社會が求める能力や見た目の良さや財力などとはまるで関係の無い部分にこそさうして眞の意味での価値が宿って御座る。

 

うーん、其れと此のペンを使うとどうも信長公と秀吉公がくっついて居るかのやうに感ぜられてならぬ。

其の重くて黑くて強面の信長公と若干軽くしかも金ピカの秀吉公とがくっつきさうして何時の間にか自分に取ってのメインのペンとなって仕舞ったのだ。

 

まさに其のことをこんな尾張の眞夏の夜の「怪談」と云わずして他に何と申せば良いのか。

さうして取りあえず大分の萬佳さんには是非感謝して置きませう。

 

兎に角「文句」では無く其れも心よりの「感謝」である。

其れもこんなに不可思議な🖋を与えて下さりしかの岡垣氏に對しまずは心より礼を言おう。

 

ちなみにキャップを交換しただけのことであるから「夢万年筆」は現在弐本ある訳だ。だがもう壱本の方は余り具合が宜しくは無い。故に弐本を買いようやく「使える壱本」がかうして出來上がったのだ。

 

左様に此の世の出來事(現象)とは複雑であり且つ怪奇な所謂因縁により常に結ばれるものだ。よって此の筆記具蒐集に於ける「物語り」こそが其の現象の不可思議な様をむしろ其の侭に語るものなのだ。

 

 

※我が夢🖋の仕様諸元

 

銘ー「眞夏の夜の尾張の怪談」

ー胴軸が織田信長公でキャップが羽柴秀吉公ー

 

筆記全長ー183ミリ

重心位置ー5.5對4.5

重量ー33グラム

 

となる。

 

ちなみに個人的には低重心のペンー5對5~4.5對5.5位の重量バランスのペンが好きですがまずもってそんなのは無い。通常は6對4位の重量バランスでの🖋が殆どである。

 

また大型の🖋故33グラムはむしろ適正値となる。🖋は重過ぎると長時間筆記が難しくなりがちだ。だがコレクターの中には100グラム以上の所謂「文鎮🖋」の類を好む人などもまた居られるのである。

そんなJinHao100にやられまくる日日ー「墨流しのJinHao100」+「フィリグリー軸のJinHao100」ー

そんなJinHao100にやられまくる日日ー「墨流しのJinHao100」+「フィリグリー軸のJinHao100」ー

 

 

 

 

其の筆記具マニアによる筆記生活とはおそらくは壱般の方方には及びもつかぬ世界のことなのやもしれぬ。

されど結局其のことはまさに此の世にありつまりはよもやウソには非ずでのこと。

 

さてわたくしは大體日に弐時間程は机上にて何かを紙に書きつつ過ごすことが多い。

尤も其れどころでは無い日などもたまにはあるがむしろ其れが日課でありつまりは常態である。

 

だがおそらく皆様は「またそんな面倒なことを…」とさう思われるのではなからうか。

だから其れは彼等筆記マニアに取りまるで面倒なことなのでは無くむしろ喜びの世界のこと其のものなのだ。

 

だが別に🚞マニアでもまた🏰マニアでも無いのでそんなもんを穿ったり訪れたりして居る奴はバカなんじゃないかとさう思う。

なんで結局其の「書く」との行為其れ自體があくまで彼に取っての無常の悦びなのだ。

 

 

でも其れはあくまで壱般の方方には分からんので「壱體何をやってんだアイツ?」とさう思われて居るダケなんだ。

 

また「書く」と云うことはまさに理性的行為である。

文字やまた絵のやうなものにせよ其のやうに「書き描く」ことこそが現存在にしか出來ぬ行為である。

 

アア僕はどうも持ってる理性が強過ぎるやうで其れでもってこんなに毎日書いてばっかり居るんだらうな。

 

…困った御仁だ。

確かに困った御仁だ…。

 

 

其れはさうとまた何かを手に入れたな。

壱體何を?

 

ズバリ「筆記具」をだ。

 

はい、白状しますと本日また中國から🖋が届いて居ます。

 

其れも實はこんなものが届いて居ます。

 

JinHao100 ーまるで墨流しのやうな軸景色のタイプのー1

JinHao100 ーまるで墨流しのやうな軸景色のタイプのー2

 

さて其のJinHao100なんですが現在とりあえずは蒐集での第弐段階へと突入して居ます。

其れも簡単に申せば「地味系のJinHao100」への蒐集へと進んで居るのです。

 

まさに其の「地味系のJinHao100」の蒐集の第壱弾が此の「墨流しのJinHao100」なのだ。

 

でもってどうですか、其の筆記の上での調子や軸の具合は?

 

…壱言で申せば最高です。

 

よって今回は金ペン化などはせずオリジナルの状態でもって此れを使うこととした。

 

でもってどう最高なのですか?

 

壱言で申せばインクの出が良い個體だったと云う訳です。

ところが其のインクの出の良し悪しで我我🖋マニアと壱般の方方では認識上違う部分が出て來る筈です。

 

其れでは此の個體を「筆おろし」してみます。ー其れも壱時間前にさうしたばかりでのことだがー

 

まずは所謂コンバーターに注射器ー針先となって居ないタイプの物ーにてインクを入れます。

我もかっては「スポイト」を常に使ったが精密にインクを注入出來るのはむしろそんな注射器です。

 

ですが針が無いので薬物使用などはやらうとしてもやれません。

あくまで其のやうに犯罪とは関係の無い善なる注射器なのだ。

 

でもってインクが満タンとなったコンバーターを首軸に差し込みます。

 

では早速に書いてみませう。

 

ありゃ書けんわい。

ではもう壱度書いてみませう。

 

…書けん。

 

するとソコで壱般人の方方はすぐに頭に來る訳です。

全く此のクソダワケめが!

 

では其れに比して筆記詩人はどう考えるのでせう?

 

ヤッター、コレは当たりの可能性が九〇パーセント程もある得難い御品ぞ!!

 

と其のやうにまずは考える。

 

でもってむしろ落ち着き払った所作にて其の書けぬペンのペン先をインク壺に突っ込みます。

勿論さうすればすぐに書けます。

 

 

ならそんなもんまさか🖋と言えんではないか!

また素人がすぐにさう怒る。

 

ですが筆記詩人はお構い無しに其の侭紙に文字を書き連ねて行く。

するとアラアラ不思議、其れもちゃんとインクが出て居るではありませんか!!

 

では其の現象を以下で説明させて頂きます。

 

1.使い始めや書き始めにインクが出ないペン先ーペン先+ペン芯のマッチングーの場合むしろインクが流れ易い性質を持つことが多い

2.むしろインクが多く流れるから使い始めや書き始めにインクが出にくい。

3.だからむしろそんな🖋に出くわしたら逆に「ヤッター」とさう叫ぶべき。

 

「ヤッター!!!」

 

ほいほい、かうしてもう何処までも書けて行けますねー。

ほーいほーいのーほーいほい。

 

では其れでもって文字を書いてみませう。

 

尾瀬

マティス

 

地球温暖化

文明批判の梅原 猛

 

教育委員會

文部科学省

 

 

うーん、此のJinHao100のスチールペン先は本当に良い。

しなやかだし何よりデカいし其れに書き心地の方も優れて居る。

 

さてJinHaoの廉価万年筆の其の多くに此の傾向が見られます。

ですが何も中華🖋に限ったことでは無く日本製や欧米製の🖋でも其のことはたまにですが見受けられる。

 

ところがJinHaoの廉価万年筆の場合は其のやうにすぐに問題は解決される。

但し今回の場合は参度コンバーターを差し替えてもインクが出なかった訳です。

 

 

ですがと云うことはむしろ最大限にインクの出が良い可能性が高くなる。

でもって事實としてさうなり今此のやうにして快適な筆記が可能となった。

 

また最悪の場合インクが全く出ない🖋なども何処製を問わずにあります。

ですので其れはペン先の方を調整したり或いは「付けペン」として使うだけのことでせう。

 

なんですがそんな「知識」が無いと此の「墨流しのJinHao100」はすでにゴミとして捨てられて居る可能性すらもがある。

こんな御寶をアノ壱般人等はさうして捨てて御座る…。

 

 

嗚呼悲しいね。

なので「知らぬが佛」とは言えんのではないか矢張り。

 

「知らぬが佛知るは地獄」

もしや筆記詩人はソコにこそ堕ちたのだったか!

 

 

また軸の方の景色が良い。

だが此の個體は滅茶苦茶に個性的な軸景色だった。

 

即ち胴の壱部に變な墨色の模様が浮き出て居り其れがまるで龍の如くにのたくっておる。

 

うわーまさかハズレを引いたか。

と当初さう思いしがいやコレは物凄く個性的な軸景色でありむしろ得難い個性だ、其の個性其のもの。

 

と其のやうに次第に思えて來た。

うーん、もうコレは壱緒に墓に入っても良い個體なのではないか。

 

 

だから故にコノペンと自分は所謂因縁によりさうして固く結ばれて居り其の縁起関係に於いてすでに何人も立ち入れぬ絆で持ってしてしかと結ばれておる。

故にもはや其の實存的関係性は國家ですらまたどんな権力ですら奪い去れぬものと化して居らう。

 

そんなややこしいことを言って居ないで早う先へ進め!

 

さて其の「墨流し調」の軸であるが明らかに其れは欧米の価値観には無い意匠である。

其のやうな「墨流し調」の軸を欧米の筆記具メーカーは決して作りはしない。

 

だがアノ水墨画としての文化的伝統を有する中國はあえて其れを世に出した訳だ。

個人的に其のことにいたく感じ入った。

 

また其のやうな文化的伝統に関し🗾人もまた同調することが出來る。

どだい其の「龍」こそが欧米の世界観には決して出て來ぬであらう価値としての象徴なのだ。

 

 

「龍」

其れも昇り龍。

だがドラゴンズはでも相變わらず弱い。

 

またアノ松田 龍平よりも松田 翔太の方がより好みである。

彼松田 翔太命。

 

 

Jinhao 100 Fountain Pen F Nib 0.5mm Resin&Skeleton Writing Pen with Converter | eBay

 

くぅわぁーなんじゃーこりゃあーーー!!

 

其のモノへの耽溺は左様に限りなく続くであらう悲劇であり喜劇である。

だがあえてソコにて「わっはっはっはー」とさう笑い飛ばし逆に何処までをもソコにこそ耽溺してみるがエエ。

 

兎に角そんな中華共産主義🖋群は思いのほか出來が良くよって決してバカにしたりは出來ぬむしろ上質とも言い得る筆記具群である。

されど自分の場合は高くとも参千円位迄での中華産の硬筆筆等が良いかとさう考えて來て居る。

 

即ち廉価な🖋こそがむしろ良いのである。

ちなみに今回の「墨流しのJinHao100」の御値段は大體弐千円弱である。

 

きゃあ今しがた軸の「龍」が自分のことを睨んだ!!

いや其れは君がさう思った迄の御話で別に其の「墨流し」の意匠が君をどうかうしやうとして居るのではないだらう。

 

さうかなあ。

何だかさうでは無いやうな気がどうしてもするんですが。

 

其れはな、君が所謂「考え過ぎ」なのだ。

曰く「過ぎたるは及ばざるが如し」。

 

 

でも老荘思想に精通した思想詩人さん、むしろアンタの場合はほんたうに睨まれたのやもしれませんぞ。

別に精通などはして居ませんのですが只昔そんな「老荘思想」に凝って居た時期がありましたと云う御話です。

 

またお前は思想ならば何でも凝るのだな!

さう思想ならば👿主義の思想でもブラック陰謀論でも何でも壱通りはやって來て居ります。

 

其れはさうとさうして毎日のやうに筆記具が増え大變さうだね?

いやもう最近は毎日何をやってるのやら分からん位に筆記具ダケに没入して居りました。

 

さう言えば石には余り手を出して居ないやうだな。

でもちょこちょこと買っては居ますが。

 

ではいっそのこと其の筆記具と石とを合體などさせてみてはどうか?

ああでもイザ其れをやると凄く難しくなるんです。

 

何故なら石は重いので基本的に筆記具の軸には向いて居りません。

もう面倒臭いから全部を合體させて御仕舞い!

 

ついでのこと君其のものも其の筆記具や石と合體して仕舞え!

…でも其れは無理でせう。

 

また何で?

だって自分は少し變だとは云えかうして生命なのですし筆記具や石は単なるモノでせう。

 

其の限界は是非突破すべきぞ!

いや自分はあくまで「限定」的思想の文人なんで其の御勧めには断じて従えない。

 

でも今お前は筆記具に於いてむしろ「限定の解除」をしてさうして毎日樂しんで居るではないか。

いえ全然樂しんでは居ません。

 

何故なら其れでもって「御勉強」して居るだけのことであり「御勉強」とは基本的にとても苦しいことなのですから。

また急に利口振りやがって。

 

 

こんな利口だから利口なことを言った迄のことで貴方に批判されかうして心を傷つけられるいわれなどは何処にも無い。

 

其れはさうとこんなものをまたよりによりココの読者に読ませる気なのか?

こんなもんはもう誰が見ても變な作文だぞ。

 

全然變では無くあくまで「筆記具に於ける本質論」を語った迄のことだ。

さうか確かに君は偉い!君は確かに偉大なる筆記具ライターだ!

 

そんな当たり前のことを言われてもまるで嬉しくは無い。

…さうかうするうちに今日もまた日が暮れて参りました。

 

 

いずれにせよ其の「JinHao100」のフィリグリー軸版の物はまた凄い🖋でせう。

結局かって自分が🖋を追求し最終的に辿り着きましたのがまさに其のフィリグリー軸での古典的萬年筆群の世界だった。

 

美しいものが此の世には溢れるにつけ結局其のフィリグリー軸での古典的萬年筆群程に美しい物は他にありません。

 

JinHao100 Resin&Skeleton Writing Pen-1

JinHao100 Resin&Skeleton Writing Pen-2

 

まずはシルヴァートリムかゴールドトリムかですが其れもどちらかと言えば自分はシルヴァートリムを好む傾向がある。

 

シルヴァートリムに是非黑軸が欲しいが無いやうですのでむしろ透明軸でせう。

 

 

もしゴールドトリムの方でしたら、

 

黑軸か

 

JinHao100 Resin&Skeleton Writing Pen-黑金軸

 

又は靑軸が良いかと思われる。

 

JinHao100 Resin&Skeleton Writing Pen-靑金軸

 

何故なら御高い限定🖋の方でもかっては「プリンス・リージェント」なる「靑金」のフィリグリー軸があった。ーモンブランパトロン・シリーズの壱本としてー

またペリカンにも「ガウディ」なる限定🖋がありそちらは今でも持って居りますが其れは「黑銀」のフィリグリー軸となる。

 

其の「プリンス・リージェント」の方もかっては持って居たが何ぞ気に入らぬところがあったのか2010年以前に手放して居ます。

 

フィリグリー軸を含む高級限定万年筆群ー弐拾年程前に撮影ー

 

さて「JinHao100」のフィリグリー軸版はあくまでチープなフィリグリー軸ですので少し玩具っぽくなるのやもしれんが其れは得て見ないとまた分かりません。

また其の値段はいつもの如くに大體弐千円位のものなのです。

 

 

尚「フィリグリー軸での古典的萬年筆群」を自分は今まるで使って居りません。

 

WATERMAN 416

 

以前は数本使って居たこともありしが今や現代の伊太利亜のスティピュラ🖋に自分でもってヴィスコンティ製の銀色のフィリグリー部を被せた🖋を壱本使う限りのことです。

 

「フィリグリー軸での古典的萬年筆群」は左様に観賞するが為の御品であり日頃使って其れが扱い易いと云う物でもまた無い。

故に日頃使わんが為に「JinHao100」のフィリグリー軸版を求めるのもまた惡くはないのやもしれません。

 

兎に角「JinHao100」にはかうして常にやられっ放しです。

此処数年はそんな中華🖋にやられっ放しでもうヘトヘトの状態ですが左様に毎月のやうに落札し得るのですからまあほんたうの意味でのプチ贅沢の範疇であり別に資本家共のやうに大枚をはたき贅沢な消費を重ねて居る訳なのでは断じて無い。

 

つまりは其れが左翼主義的な消費でもあることでせう。

でも自分は厳密には其の左翼ではないんですがね。

そんな愛♡のプラチナーこんなプラチナ万年筆への愛♡とセーラー万年筆への軽い批判とー

そんな愛♡のプラチナーこんなプラチナ万年筆への愛♡とセーラー万年筆への軽い批判とー

 

 

 

所謂ボーナスシーズンとなる梅雨時や師走にはヤフオクなどでも凄い🖋が多く出される傾向が以前よりある。ー尤も自分には其のボーナスが出ないがー

また自分などもまたかってヤフオクで百本位の🖋を売った覚えがある。

 

其れも以前ヤフオクではanimistでは無くsiriusの方のIDでありまたかの「図書談話室」ー🖋と藝術を語る掲示板ーでのハンドルネームの方もSiriusとして書いて居たわたくしです。

つまりはそんなシリウス星人ですが其れも地球環境がボロボロに壊れつつ今はむしろ壱「アニミスト」として此処地球上でもって活動して居る。

 

ヤフオク! - 最後の1本【万年筆道楽】セーラー ブライヤー 90... (yahoo.co.jp)

 

さて此の限定🖋なのですが、果たしてこんな値が付いて良いのだらうかと個人的には思う。

其のセーラーの限定🖋と申すか普通のセーラーの🖋でも確かに其れ等は作りが良く信頼出來る物となることでせう。

 

ですがそも何故此処にばかり人気が過度に集まるのだらう?

其れも其の『長原』御大作との銘が入るともう🗾の🖋マニアはまるで「神様の🖋」の如くに其れを崇め奉る訳です。

 

 

ですが自分に限れば所謂『長原』物の🖋はとっくに全て手放して來て居ます。

勿論其の「万年筆道楽」なども当時買い揃えて居たが其れも早早に手放して居る。

 

其れは個人的に見て胴軸の長さが長過ぎることからさうなった。

 

ヤフオク! - セーラー 創業80周年記念 ブライヤー 万年筆 レア (yahoo.co.jp)

ヤフオク! - セーラー 万年筆 創業80周年記念 プロフィット80... (yahoo.co.jp)

 

こちらのプロフィット80などもかってはしかと持って居たが矢張り胴軸の細さに違和感を感じ其の後手放しました。

 

其のブライヤー軸の万年筆は自分の場合#3776の方つまりはプラチナの初代の物が最も良いのだと思う。

 

PLATINUM プラチナ 万年筆 #3776 ブライヤー 中字 (旧型/エボナイトペン芯) - Bing video

 

こちらは私が屡🖋を売る東京のショップの動画ですが此の旧型モデルが兎に角良い訳です。

第壱此のデカい金ペン先を視て下さい。

 

でもって当時ー1970年代ーは弐万位だったか確かそんな価格で今のヤフオクでもおそらくはそんな値段で手に入る筈です。

 

とは言えそんなプラチナ萬年筆のコアなファンであるわたくしにせよ實は此の旧型モデルは使って居らず使って居るのは樹脂軸の旧型モデルでありまた#3776ギャザードの旧型モデルの方です。

 

其の旧型のブライヤーモデルこそは高校生の頃にペンショップ・オリンピアと云う名古屋榮の中日🏢のショップにて求めた物だ。

だから勿體無くてもう使えやしない。

 

 

なんでもうかれこれ半世紀近く前に求めた御品である。ーおそらくは1975年位にー

そんなもんはもう完全に寶だらう、其の御寶ぞ。

 

そんなもんはもう完全に靑春の思い出が詰まった写眞だらう、其の写眞。

しかもまるで卒業写眞の歌みたいなもんだらう、其の卒業写眞其のものぞ。

 

だからまさに其れが御寶なんでありそんな「プロフィット80」だの「万年筆道楽」なんぞはむしろどーでもエエんだわ。

もしやまたぞろセーラー万年筆を貶して居られるのか?

 

いえセーラーに関してはむしろ何も言ってません。

只プラチナの万年筆に對する不当な評価が昔から気に入りませんのです。

 

どだい此処🗾の🖋愛好家の方方は其のセーラーこそが神様の🖋其のものであり他方でプラチナの万年筆の方は「万年筆がどだい分からぬアホかタワケ」の持ち物だとさう断じて御座るが其れは大きな間違いだ。

 

より正しくはそんな「洗脳」こそがむしろ壱番タチの惡い現象である。

其の「洗脳」とはズバリ「全體主義」とのことであり左様に🗾國民は兎に角其の「全體主義」に陥り易い。

 

かって自分が有名掲示板であるかの「万年筆談話室」の分室としての「図書談話室」でさうして屡セーラーと云うメーカーの万年筆観を批判して居たのはまさにさうしたことである。

 

事實其の後セーラー万年筆は訳の分からん物造りにまで手を広げ其れ即ち訳の分からん万年筆メーカーへと化して行った。

 

セーラー万年筆 | 公式ウェブサイト (sailor.co.jp)

 

其れももう最近はまともに戻ったのか?

 

だがよーく視てみたら「ロボット機器事業部」と云う処でロボットを造っておった。

だから其れはどう考えても思想が變だ。

 

其れも何より筆記具メーカーとしての思想が變だぞ。

尚海外にもまた筆記具メーカーとしての思想が變となった企業がありまさに其れがかのモンブラン社だ。

 

其の多角経営と云うか儲け主義と云うかそんなもんは所詮「非本質主義」である。

そんな「非本質主義」にはあくまで思想的正当性が欠けて居るが其れでも結局資本主義の枠内では是とされることとなって仕舞う。

 

なんとなればそんな資本主義の枠内ではあくまで常に「儲けた奴が勝ち」なのだ。

だけれども其処でもってむしろよーく考えてみやう。

 

 

即ちたとえ貧乏でも「本質のある🖋」をこそ作るべきなのではないか。

いやでも現代のセーラー万年筆にまるで本質が欠けて居ると言うのでは無い。

 

但し以前に其の現代のセーラー万年筆に於いて弐度程イヤな思いをさせられた経験を自分に限り持つ。

 

1.プロフィットモデルの21金ペン先が書いた時に曲がったこと

2.弐万円の銘木モデルが何処かチャチな万年筆に思われたこと

 

其の1.はしかしながら大問題である。

なんとなれば自分はプラチナ社やパイロット社の万年筆に於いて其れをした経験がそも無い。

 

つまりは其れがペン先の高品位化→ペン先の脆弱化、へと繋がり易い訳だ。

ところが当時からむしろセーラー万年筆は威張って御座った。

 

其れも万年筆の神様としての『長原』御大作の万年筆がもう飛ぶやうに高価でもって売れ兎に角其の全ては「偉い万年筆観」であるとさう愛好家間で語られて居たものだった。

 

だが果たして其れの何処が偉いのだ?

 

そんなもんが果たしてホンモノの🖋だと言えるのか?

ま、自分はかうして疑り深い人間でありしかもかうして何でも掘り下げて追及するつまりは「眞理探究者」の如き人文者でありよって其処に誤魔化しなどは効きませんのです。

 

また社會の分野のこと、さらに文明の分野のことでもまさに掘り下げて問題点を追及し「お前等はダメだ」とさうハッキリ言うであらう所謂イヤな奴です。

 

さてしかしながら其の「本質主義」は此の世では通用しないと申しますかむしろ滅びる可能性が高くなり易い。

例えばかの伊太利亜にはOmasと云う有名な🖋メーカーがあったが其れもすでに廃業するに及んで居る。

 

故にOmasの🖋などは海外市場では今壱般に高騰して居るやうですが其れもあくまで此処日本ではむしろ値が下がって居るやうな感じすらする。

まさにソコんトコは今の🖋界に於ける七不思議の壱つだとも申せませう。

 

故に其のOmasこそが其れも意外と「本質主義」だったのではなかったかと最近わたくしなどは考えて來て居ます。

 

 

でもって結局何が言いたいのかと申せば🗾人の意思決定は常に「全體主義」へと走り易く要するに周りが認めた価値にのみ「ワアッ」と群がると云うことだ。

ですが其の後そんなわたくしの🖋観や🖋論とは関わりなくプラチナ万年筆への評価が明らかに上がって行ったやうに見える。

 

其れ即ち主にヤフオクでのプラチナ#3776への評価額が上がり其の旧型などは特に昔ー弐拾年程前ー程樂には得られなくなった。

 

自分は15年程前にプラチナの万年筆はなかなか理解し難い謂わば「玄人筋」が好むペンであるとさう掲示板にて述べて居た。

だとすればセーラーの現代の🖋こそがまさに「大衆向け」でのものと必然としてならう。

 

つまるところは「分かりにくい」物や人の方が逆に「本質を衝く=本質的価値」のものである可能性が逆に高い。

また其の逆にみんなに分かる「分かり易い」物や人は「底が浅い=表面的価値」のものである可能性が常に高い。

 

所謂「哲學」と云う分野はまさに其の部分にこそ踏み込み此の世での諸価値を捉えて行かんとするものである。

さうしてハッキリ申せば自分はまさに其の「哲學」的思考の部分にこそ長けて御座る。

 

 

だからこそかってセーラーの万年筆への批判をあえて行いましたのです。

 

ですがね、正直申しましてセーラーの万年筆の作りはむしろ🗾の🖋の中では壱番です。

なんですが其の思想其のものがチョット變だぞとさう申しました迄のことだ。

 

ちなみに我が愛して止まぬプラチナ万年筆は要するに「變わり者」でありつまりは個性的です。

其れがまた旧型のプラチナなどは結構癖が強くて實は其の部分にも若干の問題があった。

 

3.ペン芯の出來が惡く概ねインクの出が惡かった

4.60年代の諸モデルは金ペン先がちっこくしかも硬めだった

 

つまりはそんな癖の強い🗾の🖋なのでした。

 

さてパイロットの🖋の場合は最も「本質主義」なのだと個人的にはさう思われる。

つまりは🖋に對し常に眞面目なメーカーであり製品の方の質も常に高いものがある。

 

なんですがヴィンテージ物のパイロットなどに比ぶれば現代の物は個性の出方が薄いやうにもまた個人的に感じられる。

だから結局のところ「個性的」であり且つ壱面では「藝術的」でもあるそんな「變わり者」のプラチナ万年筆にまさに自分は心を奪われて仕舞ったのである。

 

つまりはほぼ「恋愛」のやうなものか。

つまりはそんな不細工な奴と「添い遂げる」と云うことか。

 

 

だから常に我はプラチナ万年筆命ーーー!!!なのだ。

 

 

【昭和CMソング/マイ・プラチナ】ザ・ハプニングス・フォー1966年#Shorts - YouTube

 

愛のてがみープラチナー♪

 

そんな愛ですよ、まさに愛♡!

 

誰にもー言えないことーばーひみつにー書いてーみーたー

ボクだけーのともだちーだーよーマアーイプラチナー♪

 

兎にも角にもボクだけの友達ですよ、其のボクだけの。

 

しっかし古い歌ですね。

だけれどもそんな古い歌には決まって良い歌が多いものだ。

 

其の1966年と言えば自分はまだ7歳でした。

尤も小学校へ行って居たのかどうかはすでに覚えがありません。

 

其の頃小学校壱年生だったとすると担任がアノSHIMIZU先生ですね。

其のSHIMIZU先生には良く怒られた記憶だけがある。

 

また何故かネジが好きで其れを寶物の如くにいつも持っておった。

さらに教室で独り物凄く變な妄想をして居たことがあったが其の内容迄はまるで覚えて居りません。

 

今宵はそんなまるで嘘の如きプラチナ🖋への時間旅行でした。

 

 

ところで今夜の飯は?

 

ああ、冷めたピザをこれから食うところです。

其れも珍しく出前館が持って來しアオキーズのピザです。

 

其れは何味ですか?

カルビ物つまりは焼肉味だ。

 

だからあくまで焼肉が食いたいんだ。

だがピザでもって焼肉を食うのは如何にも變だらう。

 

さうですか、其れはそんなに變なのですか?

まるで變だとは思わないが。

 

相變わらず君は如何にも心の有り様が屈折して居るな。

もうほっといてお呉れ!

 

俺は此れからまさに其の焼肉ピザを食うんだから。

其の焼肉ピザとプラチナ🖋の相性はむしろベスト・マッチの筈だ。

 

常にさうしてプラチナ🖋はそんな變な奴の御友達なのだ。

我が大好きなイタリアンの🖋ー+将來はヤバくなることだらう此処🗾の食料事情ー

我が大好きなイタリアンの🖋ー+将來はヤバくなることだらう此処🗾の食料事情ー

 

 

 

 

ヒグマ情報 #ヒグマ | NHK北海道

 

そんな羆は兎に角怖いですよ。

そんな🐻はむしろ永遠に怖いですよ、其の🐻は!

 

🐻はアナタ方人類よりも常に強い。

そんな🐻に勝てるのはもう👽ダケでせう。

 

どだい🐻は🐼とは違い肉食の方もバリバリにやります。

アナタ方人類はもう🐻のエサにでも是非おなりなされ。

 

…バリバリバリバリッ。

オッ果たして何だ今の音は?

 

其れはたった今アンタが🐻に食われた音だぞよ。

 

 

東大大学院教授が警鐘「日本で7200万人が餓死する!」(1)「真の食料自給率」は10%以下 (msn.com)

東大大学院教授が警鐘「日本で7200万人が餓死する!」(2)「買う力」では中国に負ける! (msn.com)

東大大学院教授が警鐘「日本で7200万人が餓死する!」(3)和食文化推進が“圧力”で抹消された (msn.com)

 

まさにあり得ますね、其の御話は。

此処🗾の政治は此処参拾年程に亘りむしろ「なってない」です。

 

其れも何がイカンかと申せば國家としての自立性であり自律性を欠いて行った部分こそが大失敗です。

要するに革新的實験國家である米國の🐶に成り果てて行った。

 

ですが此処🗾は元元👨‍👦主義國家であり其れも立憲君主制國家ですのでむしろ英國などに近い體制の筈です。

だけれども頭の出來の悪い自民党並びに公明党の奴等が全然ソコ迄考えませんので此処🗾は次第にむしろ世界壱ヤバい國となりつつある。

 

其れもまあ公明党の宗教力を批判するのではないが其の政治力はまた如何にも御粗末なものです。

だからもう全部が其の自民党公明党による「ワンコ政治」の責任です!

 

其のワンコはワンワンと常に尻尾を振り振り自立性であり自律性のかけらも無いと來てる。

ワンワン!ワンワン!ワァーンワンッ!

 

そんな🐕共にはまず🐈をけしかけてみるべきだ!!

おい、🐱!

 

はい、何で御座りませう?

おい🐈、働け!

 

とまさに其の🐱の手を借りやうとしたらすぐに逃げられましたのです。

其のやうに🐈は人間の為に決して働かうとはしない。

 

左様に🐱は元元可成に厄介で利己的な生き物だ。

 

 

さても其の🗾の政治家及び官僚の無能振りと観念的倒錯の度はまさに酷いものでせう。

だから幼稚園児が考えても分かるが金儲けのことなどよりもまずは飯の確保をすることこそが此処🗾國の持続可能性を高めることとなる。

 

逆に金儲けに目が眩み日本の第壱次産業と自然環境の保全をないがしろにして來たからこそたった今🗾のみんなは其の食の上での危機を迎えて御座る。

だけれどもとりあえずあと拾年位は其れもなんとかなることでせう。

 

ですが其れこそ2050年以降はまるで其の限りでは無い。

 

 

ところで自分が物欲や食欲に走って居る分はとりあえず「元気」だとさう思って頂きたい。

其の物欲と食欲がゼロとなったらもはや危ないとさう見て置いて頂きたい。

 

 

ペリカン ハンティング 限定万年筆 - Pelikan Hunting L.E. - ユーロボックス - Euro Box (euro-box.com)

 

さて先日御話をした刈谷のコレクターさんのペンと交換したと云うペンはまさにこちらのものだ。

其れはペリカンの限定🖋の中でも特に品が宜しくつまりはシンプルな佇まいの高級限定🖋です。

 

されどこんな素敵な御品もまた最終的に自分が目指す🖋の方向性とは違って居た訳だ。

其の最終的に目指す我が🖋の方向性とは矢張りと云うべきか「過去」にこそあった。

 

ところで其の交換した刈谷のコレクターさんのペンはDUOFOLDではなかったかもしれない。

左様にすでに記憶が混濁して居り定かでは無い。

 

ただ壱つだけ言えることとは自分は其の「高価且つ高級な限定🖋」の世界をやり切った上で其の「過去」にこそ向かったのです。

「過去」へ向かうと云うことはまさに壱種の「時間旅行」です。

 

「時間旅行」即ち「タイムトラベル」です。

そんな「タイムトラベル」もまた壱面では面倒臭いものであったが其れもあくまで自分に取っては此の世でもってやらねばならんこと其のものだった。

 

 

そんな「タイムトラベル」とはつまるところ🖋の本質をしかと探るが為の道であった。

だからわたくしはあえて自らの愛好家魂に鞭打ち其の「時間旅行」へと飛び込んで行く。

 

其れがおそらく拾弐、参年前のことであったことだらう。

其れで以降は世界オークションのeBayの方に場を移しやるだけのことをさせて頂きました。

 

其れも当初は英語にからきし弱いことから地元三好町のアンティーク・ショップ(個人店)の方に取引を依頼しつまりは落札額に応じ手数料を払い世界から🖋を集めて居たのでした。

ですがとりあえず英検参級にだけはもう学生の頃に合格していてしかもeBayの方では實は英検参級程度の英語しか出て來ないことが分かり、其れでもってなあんだこんなもんなら独りで出來るわい、などと思いよって其れ以降はさうして全部を独りでやりましたのです。

 

しかしながら其れ以降何度もおおまさに武勇伝のやうなヤバい状況に陥り正直どうするお前?どうするアキちゃんー幼い頃よりの私の愛称ー?とのもうとんでもない始末になりましたものでした。

ですが其のトラブルの内容などもまたほとんど忘れて仕舞いました。

 

壱つだけしかと覚えて居るのはROMAのNOBELLIショップの若き店主ー当時懇意にして居たショップーが其れもイキナリ拾五萬位の高額限定万年筆を我が家に送り付けて來たのです。

そんなもん落札もまた注文もして居ないのに何でまたココへ送って來るのだらう?

 

 

ですが其の折にもちゃんと英語で会話をししかも其れは自分とは違うとある県の日本人が注文したものであることが分かった。

わたくしは親切にも「直接ソイツに送ったろか?」とさう申し入れたが結局は店へと返送することとなりました。

 

まあそんな訳で伊太利亜人は兎に角やることがそも粗忽でありつまりはテキトーなんだ。

だけれども伊太利亜物には兎に角藝術性がとても高くある。

 

藝術とは其のやうに常に信用ならぬものだ。

ー事實米國の出品物には伊太利亜との取引はしませんとさう書いてある場合などが多いー

 

 

Best Luxury fountain pens (novelli.it)

 

お久し振りです、マルコさん。

其の店主のマルコさんと云うのはかのマルコ・ポーロのマルコと同じである。

 

Aurora Internazionale Ebonite Cumberland fountain pen: details and price (novelli.it)

 

あれチョット待った!

早速にえらいもんを発見せり!!

 

うはあーなんじゃーこりゃー。

其のAuroraのペンはイタリアンのペンの中では最も信頼出來ると來てる。

 

しかも素晴らしい復古調だ。

 

イタリアンのペンはまたちょっとした装飾の部分などの出來が素敵である。

つまりは其れが藝術的な意匠に強いとのことである。

 

其の代わりにアノ独逸製の万年筆の如くにキッチリとは作られて居ない。

だから其の部分が日本人の完璧主義にはそぐわぬ場合などもまたある。

 

従ってそんな完璧主義の🗾人には当然ながら独逸製の🖋の方が基本的には向く。

だけれどもイタリアンの方がより面白いと言えば面白い。

 

 

尚自分は元來むしろとても完璧主義である。

其れも完璧主義過ぎてモロに神経症になる程に完璧主義なのだ。

 

なんだけれども其のイタリアンの🖋の藝術性の部分にはむしろ其れ以上の魅力を感じる。

尚其の藝術性は日本の🖋にも無いと申すか薄くしか出ぬ部分である。

 

でもって此処🗾國の🖋愛好家の間では壱般に独逸の🖋の愛好家こそが「🖋が良く分かった方方」なのであり其れに對しイタリアンの🖋の愛好家は「ほぼアホに等しい奴等」とされがちなのだ。

じゃあ我などは果たしてどうなるのだ?

 

こんなオレなんぞは独逸も伊太利亜もまた大日本帝國の🖋も全てを知り尽くした其れも嗚呼まるで信長公の如き🖋愛好家ではないか。

だから其のヒエラルキー🖋観其のものが嫌いなのだ、つまりはウザい。

 

そんな訳で自分の🖋観こそがそんな天才型のものであることはほぼ間違い無いことです。

 

 

でも本日は其のGETしたヴィンテージ・セーラーの解説をする予定ではありませんのでしたか?

確かにさうでした。

 

ですが天才に限り何時何をやるかと云うことなどまるで決められません。

そんな天才はつまりは子供と同じで其の日其の時の気分でもって何をやるのかと云うことが決まります。

 

其のやうに常に自由であり破格なんだ。

…アンタは然し扱い辛い。

 

だからまさに其の扱い辛いところこそがこんな信長マニアとしての素の部分でせう。

 

🖋の世界はまさに此のやうに壱種のドロ沼の如きものだ。

即ち何本買ってもまたすぐに欲しい万年筆が出て御座る。

 

ですがまさに其のイタリアンの🖋から此れ迄に自分はもうどんだけ學んで來しことか。

そんなイタリアンの🖋よ萬才!!!

 

 

其れはさうと貴方の今夜の飯は確かイタリアンのスパゲッティでしたね。

またそんなつまらぬことを良く御存じで…。

 

だけれども本当にイタリアンのスパゲッティをつい先程食ったところです。

そんなイタリアンのスパゲッティやピッツァが矢張りと云うべきかもう物凄く好きだ♡。

 

至極眞面目な話、🖋の中で自分が壱番好きなのはまさにそんなイタリアンのペンなのだからして。

大好きなプラチナ万年筆の世界ー本質的な意味でのプラチナ#3776の出來の良さー

大好きなプラチナ万年筆の世界ー本質的な意味でのプラチナ#3776の出來の良さー

 

 

 

 

筆記具の世界は現存在に取り常に「夢」を与え続けて呉れるものだ。

また其のことは高級品であれまた例え廉価品であれ變わらぬことです。

 

だが世間には筆記具なんぞは何でも良い、其れも書ければ良い、位に思って居られる人の方が或は多いのやもしれない。

ですがズバリ教師や医師其れに學者などの所謂知的作業への従事者には筆記具ファンの方方が結構居られます。

 

自分もまたどちらかと申せば知的営為が兎に角多い方の人間です。

尤も其の知的営為を離れボーッとして居るかまたはのんびり日向ぼっこをするか其れとも🐈とじゃれ合い遊ぶかなどをして居る方が其の考え込んで居る時よりも個人的にはより好きなのですが…。

 

自分がかって弐拾年ばかりでしたか、そんな長きに亘り筆記具の取引をヤフオクにてして参り分かったことが其の筆記具ファンには教師と医師が圧倒的に多いと云うことであった。

だから基本的に所謂知的にハイエンドな趣味である訳です。

 

其れもまあ特殊な領域の世界でもあることなのでせう。

例えばもっともっとメジャーな趣味である「腕時計」の分野などでは別に教師と医師が圧倒的に多いと云う訳では無いのだと思われる。

 

「筆記具」の世界はさうして観念的営為とは切っても切れない世界のものであり正直申して壱種「高等」な趣味性の領域を標榜するものだらう。

 

 

ヤフオク! - 14k 大型ニブ(重量1グラム以上) インク止め式... (yahoo.co.jp)

 

さてつい先日はこんな物凄い物がヤフオクに出て居たが其れも他事をやって居るうちにオークションが終わって仕舞った。

どうも昔はあった「物欲への突進力」のやうなものが弱って仕舞い其処は喜んで良いのやら其れとも情けないのやら分からなくなりつつある。

 

但し壱つだけ言えるのは結局「縁のある物」だけが手元に残ると云うことである。

 

ヤフオク! - 旧型 プラチナ #3776 本漆塗 手描き 加賀蒔... (yahoo.co.jp)

 

ところで此の旧型のプラチナ#3776は現代の日本の万年筆の中でも屈指の物である。

 

1.14Kのペン先の出來が良い

2.蒔絵軸にもなって居る

3.プラチナ社を代表する製品が此の旧型のプラチナ#3776である

 

尚自分はプラチナ社の万年筆の愛好者でありコレクターである。

 

ところが拾年程前迄其のプラチナ社の万年筆は其れ程高く評価されて居なかった。

其の頃は関西のメーカーであるセーラーの万年筆が高く評価されて居りコレクターの間でも其の通りにセーラーの万年筆に人気が集まって居たものだった。

 

だが自分は其の頃むしろセーラーの万年筆の主に思想の部分を万年筆の某有名掲示板の主筆として批判して居たのである。

何がイケないのかと言えばつまるところ「万年筆のマニアの感覚に媚び過ぎて居る」からダメだとさう申して居たものだった。

 

要するに21金のペン先だのまた特殊なペンポイントだのを市場に投入する其の姿勢に大きく疑問を抱いて居たのである。

何故ならパイロットと云うメーカーがすでに14金のペン先の優位性を其れも大昔に証明して居たのである。

 

また当時自分は此処日本の万年筆マニアが何時の間にか陥った「書き味中心主義」なるものに對してもハッキリと批判して居た。

要するにそんなものは「万年筆其れ自體が斜陽化したことの証」であり立派なことでも何でもないとさうコキおろして居たのである。

 

 

要するに自分は兎に角そんな「批判」こそが得意なのだ。

何だか知らんがさうして所謂「社會的風潮」の如きものをボロクソに言うのが上手いのである。

 

でさう云う点からも所詮自分は「村八分」的な人なのですがでも眞理だとか眞實に對してだけは實は眞っ正直なのだ。

 

其れでもって五年位前から次第にプラチナ万年筆の落札相場が上がって來た。

其れは自分が掲示板にてプラチナ万年筆のことを褒めて居たこととはおそらく無関係なのだらう。

 

要するにわたくしの万年筆に對する評価が世間に對し大きく影響力がある訳では無い。

つまりは所謂「カルト的」な万年筆論評を13年程に亘り其処にて展開して居たばかりなのだ。

 

だが其れが「カルト的」だったことだけはまた確かなことでありよって中にはわたくしが述べることに對するコアなファンなどもまた居たことだったらう。

 

で、此の本漆塗りの旧型のプラチナの#3776ですが丁度拾年程前にヤフオクにて参本を得たのである。

値段の方はすでに正確に記憶して居ないが壱本が壱万円程ではなかったか。

 

其のうちの壱本を此処五年ばかり愛用して來て居る。

 

しかも其の使い方がまるで普通では無く言ってみれば「邪道」の使い方である。

では其れをどう使って居るのか?

 

實は軸の中に直接インクを入れる所謂「eye-dropper」=「点眼式」として使って居るのである。

 

ところが問題は其のことにより何か不具合が生じて居るかどうかと云う部分に尽きて居る。

結局現存在が「何かをやる」時に不具合が生じて居るのであれば其れは「惡い」ことである。

 

だが別に不具合が生じて居らず逆に快適にやれて居ることであるならばむしろ其れは「良い」ことである。

でもって現代社會は其れがやれて居ないので其れがまさに「惡い」ことである。

 

だから「良い」ことである方に是非やり方を移行して行かねばなりません。

 

 

では早速此の本漆塗りの旧型のプラチナの#3776を使ってみやう。

 

まず普及版の蒔絵として此の蒔絵の出來は決して惡くない。

だから万年筆として取りあえずは高級感がある。

 

でもって書いてみる。

其れもスッと書ける。

 

其れも壱ヵ月位使って居ないのにスッと書ける。

何故なら「eye-dropper」=「点眼式」として使って居るからである。

 

特筆すべきところがありさうして軸内が総インク状態になって居るにも関わらずインクが何処からも漏れて居ないことである。

しかしながら其のこともまたやってみて初めて分かったことである。

 

勿論首軸のネジの所には蜜蝋を練り込んで居る。

だけれどもむしろさうしてもインクが漏れる万年筆の方が實は多いのだ。

 

其れが漏れぬのは此の万年筆の出來がそも良いからなのだ。

 

次に此の個體はまるで新品の如くであり「中字」と云うシールも貼った侭となって居る。

要するに所謂「綺麗」に使って居る御品である。

 

でもって14金ペン先は軸に比して大き目で素晴らしい出來だ。

要するにプレスにて良く鍛えられたペン先であり筆圧をかけ書いても曲がらぬ素性の良い物である。

 

尚万年筆のペン先は概して古い物の方が良い。

 

此の旧型のプラチナの#3776はおそらく九〇年代前半製であらうが兎に角本質的に良いペン先である。

 

さうして金ペン先の出來が良いとどう書いたにせよ其のペン先が応えて呉れるのである。

ところが、だ。

 

ところが其の旧型のプラチナの#3776のペン先はかって其れ程評価されては居なかった。

 

 

4.兎に角インクの出が渋め

5.ペン先が平らでもって少し癖がある

6.ペンポイントも普通で「書き味」中心にはなって居らず

 

要するに21世紀の万年筆マニアが好む「ドロドロ」で「ヌレヌレ」の筆記感のものでは無いのである。

だが自分に限りむしろ此れこそがほんたうの万年筆の書き味だとさう論じて居たのである。

 

尚当時から其のプラチナの万年筆が好きなつまりは「偏屈」な愛好家は居たのだったが彼等は総じて小さい声で「こんなプラチナのファンだ」とさう言って居たものだった。

要するに世の趨勢より離れ「村八分」になるのが怖くてとてもデカい声で「こんなプラチナのファンだよー!」とはまさか言えなんだのだった。

 

逆に「セーラーのクロスポイントニブのファンですよー!」だとか「アノ長原御大のファンですよー!」だとか言って置けばおおまさに其の人は「万年筆が良く分かった」偉い愛好家として世間に受け入れられるのだった。

 

だが自分は当時セーラー万年筆と逆に喧嘩して居り即ち「21金の高品位ペン先付きの万年筆を売るやうではオタクはダメだ!!」とさう述べて憚らなんだのだった。

だから兎に角わたくしは当時から其の🗾の万年筆界のマニアック性の部分をバカにし切って居り其れでもっておおまさに其の部分ー書き味中心主義ーにこそ食いついて離れなんだのだ。

 

…まるで今と變わらんな。

…壱體其れはどう云うことですか?

 

今とまるで變わらん元元の「村八分」人間だな君は。

まあでも良いではないですか。

 

其れもかうして樂しく万年筆が使えるのであれば…。

 

 

正直なところ此の旧型のプラチナの#3776は現代の國産万年筆として最高の御品である。

 

7.書き易い

8.姿が美しい

9.ガシガシと書ける

 

だが「eye-dropper」=「点眼式」としてからより書き易くなったことだけは確かである。

 

10.エボナイトペン芯であること

 

さて其の「エボナイトペン芯」は國産の現代の万年筆では珍しいのである。

ところが「eye-dropper」=「点眼式」と其の「エボナイトペン芯」の相性がまずは良い。

 

旧型のプラチナの#3776の「エボナイトペン芯」は総じてインクの出方が渋めであるので逆にドバっとインクが出易くなる「eye-dropper」=「点眼式」との相性が頗る良いのである。

 

11.でもあくまでメーカー側からすれば完全に「邪道」としての使い方となる

 

のである。

 

また#3776に限らずプラチナの其れも90年代物位迄の万年筆は総じて「eye-dropper」=「点眼式」との相性が頗る良い。

だけれどもまたセーラーの万年筆などでも「eye-dropper」=「点眼式」として使えぬ訳では無い。

 

但し其れをする必要が基本的には無い。ーセーラーの万年筆は総じてインクの出が良いのでー

 

 

さて蒔絵の柄はオークションの物は「紅白梅」であるが私の物は「アヤメかカキツバタ」である。

其れも古いカタログを調べれば判明する筈ですが最近はもはや其のことが面倒臭い。

 

だがいずれにせよまさに此れが最高の國産万年筆なのだ。

 

其の「蒔絵物」に限らず普通の#3776や#3776のギャザードモデルなども其の全てを「eye-dropper」=「点眼式」化することが可能である。

 

12.イザ「eye-dropper」=「点眼式」化した場合は机上限定で使いしかも常にペンを立てた状態で置くこと

 

此のことさえ守れば實に快適に30年前のそんな#3776が使えるのである。

 

尚新しいプラチナを基本的に自分は使わないが所謂「ブライヤー」モデルの弐千年台の物だけは使っても居る。

されど其れは銘木軸なので「eye-dropper」=「点眼式」化することは不可能である。

 

其れとペン芯も90年代の物とは異なりプラ製である。

だがこちらもまた其れなりに良い万年筆である。

 

但し非常に細かいことを述べればプラ製のペン芯とエボ製のペン芯でインクの出方がまるで異なるやうに思われてならない。

 

13.つい壱週間程前にモリソンのセルロイド軸ー「ギャラクシー」の意匠の物ーに#3776の18金ペン先を付けてみた

 

其の18金ペン先もまた90年代の物だと思われるが其れは90年代の14金ペン先よりも明らかに出來が惡い。

 

即ち万年筆の金ペン先は14金が最も適して居る。

だけれども18金ペン先の場合よりマイルドな筆記感が味わえるのである。

 

其のペン先の金品位の高品位化のこともかって我はしつこくメーカー側を批判して居たものだった。

要するにもしや24金のペン先が壱番良いのではないか?

 

いや其れが無理だとしても22、23金の高品位ペン先の方が良いのでは?

でも其の答えは「其れではダメ」なのだった。

 

つまりはペン先としての「しなり方」の性質などが其れでは良くならない。

また高品位ペン先とすれば剛性を保たんが為に概してペン先が分厚くなる。

 

すると逆に變な金ペン先となって仕舞うのである。

 

 

尚此のことは「文明批判」の部分にも即使えるネタである。

 

14.みんなはより「高品位」なつまりはより「便利」で且つ「快適」な暮らしをこそ望む

 

でも其の「高品位」なことばかりを目指しましたところ「贅沢し過ぎ」むしろ本質的な意味での人間の幸福さを失って仕舞いましたのです。

 

其れ見たことか。

だから14金ペン先になぜ「限定」せなんだのだ?

 

即ち「限定」して初めて本質的な価値に近づくことが出來るんだ。

 

もう随分前からプラチナ萬年筆は結果的に「變な欲」が無く「限定」されて居り良いとわたくしは繰り返し述べて來て居た。

其れと関係して居るものかどうかは分からねど今や総じてプラチナの万年筆の相場が上がったやうにさう感じられるのである。

 

 

ヤフオク! - GJ2006 ヴィンテージ プラチナ万年筆 プラチナ・... (yahoo.co.jp)

 

先月に古いプラチナ万年筆の凄い御品がかうしてヤフオクの方に出されて居た。

自分はまずプラチナ万年筆のファンでありコレクターなので無論のこと指を咥えつつ此のオークションのことを眺めて居た。

 

勿論宝くじに当たって居れば此のペンは今頃自分の桐箱の中に眠って居ることであらう。

が、そんなもんはまず当たらずむしろ惡い運命の方が当たり易いものである。

 

でも今年は壱月に🐈が壱匹交通事故で死んだと云うまさに悲惨なことがあったが其れ以降はとりあえず平穏なので特に良いことが無いばかりか特に惡いこともまた無いのである。

 

さて此の御品は60年代後半~70年代前半に製作されたものと思われる。

我もまた此のタイプのプラチナ万年筆には特に学生時代に良く御世話になって來て居る。

 

だが此の金製軸の御品は今回ヤフオクにて初めて視た。

此の時代の此のタイプでのプラチナ万年筆は昔から余り評価されて居ないのですが此の御品のやうに18Kペン先のものは書き心地の方も惡くは無い筈である。

 

金ペン先が14Kにせよ18KにせよWGーホワイトゴールドー製のペン先の物は書き心地が硬くて壱種独特である。

だが我我は何せプラチナ派なので其れもまた「味」として理解することが可能である。

 

要するにほぼ「痘痕も靨」状態にある。

つまりは不細工だらうが何だらうがまるで構わない訳だ。

 

 

其れにつけても兎に角ヤフオクにはたまにとんでもない御品が出されて居るものである。

また其のとんでもない御品を全て押さえるつまり入手することは元より不可能なことだ。

 

つまりは宝くじに当たらないので其れは初めから永遠に無理なのだ。

だが其れは結局石の壱級品がまず得られないことと同じでつまりは大金がないと元來無理なことである。

 

だから自分に得られた御品の範囲で樂しんで居れば其れで良いのである。

 

 

さうして筆記具や石の趣味は自分にやれる範囲にてやって行くことの方がむしろ気樂であり其の方が良い。

また其のことは結局「何を選択し生きるか」と云う所謂価値観の問題なのでもまたある。

 

自分の場合はかって高級志向をやり切った訳ですので今はむしろ「自作のペン」の世界に浸り切って居る。

其れも「工作」などは出來ぬので壱からペンを作るのでは無く買ったペンの部品を使いそんな「自作のペン」として仕舞うのである。

 

「自作のペン」の世界は価値ヒエラルキーとは余り関係が無く要するに庭の枝などを使いまた何でも出來て仕舞う訳だ。

其のやうにして出來たペンはメーカーから見ればまさに「屑」のやうなものながら逆に自分から見れば「實存としての価値」其のものを有する「オンリーワン」での御品となる。

 

だが黄苺の茎は流石に筆記具の軸にはならなんだ。

まあ木と云うよりも草のやうなものなので其処はヤッパリ無理だった訳です。

 

ところでそんな「自作のペン」の世界を突き詰める形でやって行く人などもまた居られますね?

はい結構居られます。

 

ですが其れをやるとおそらくは「御勉強」の方が疎かになりませう。

自分の場合あくまで筆記具は其の「御勉強」の友なんです。

 

だから最終的には其の「御勉強」が大事なんです。

でも「御勉強」しながら其の「御勉強」のことを忘れられるのがまた「筆記具」としての最大の魅力の部分なのだらう。

 

なのでほんたうに「御勉強」する人は別に「筆記具」などには凝らない筈です。

どだい「筆記具」に凝る作家などはそも参流作家が多いものとさう相場は決まって居る。

 

其れもかの開高 健とかがアノモンブラン149などを使って居たやうですが彼の作品などは高校生の頃に壱度読んだ切りで其の後はまるで読んで居りません。

すると開高 健氏は参流作家ですか?

 

さうは言って居ないでせう。

嗚呼其れと梅田 晴夫氏などはかってプラチナ万年筆ー#3776ーの専属作家でした。

 

 

主要モデル プラチナ万年筆編:万年筆まっぷ (mannenhitsu.info)

 

プラチナ#3776にギャザードなるモデルがあり此れはWATERMANのハンドレッド・イヤーペン(百年ペン)の軸の意匠を眞似た物である。

梅田 晴夫氏は古い萬年筆のコレクターでもありよってプラチナ#3776の監修をする段となり其のコレクターとしての知識を基に主に#3776の開発に勤しんだのだった。

 

設計思想1:軸は太くなければならない

直径13ミリの太軸。キャップを外して軸にはめた使用時の全長160ミリ弱。 ペン先の長さ22ミリ前後。重心点はやや後方の56~57%のところにおきました。 万年筆の黄金律がここにあります。

設計思想2:ペン先は大きくなければならない

ヘビーライター向きに、耐久力の高い大型14金ペンを採用。 ペンポイントは超極細・極細・細・細軟・中・太・極太・超極太からミュージックまでの9種。 まさに作家好みの万年筆です。

設計思想3:愛蔵に耐えなければならない

一本一本がすべて手作り。工芸品とよぶにふさわしい飽きのこないデザイン。 愛蔵に応える格調高い万年筆です。

設計思想4:手にフィットしなければならない

手にしっくりなじむよう------- 日本の万年筆史上初めて、軸全体にすべり止めの深いギャザーを入れました。 このギャザーが軸を握った場合の手の熱を外へ逃がすラジエーターの役目を果たし、 軸内部の空気の膨張を防ぎインクの流出を一定に保ちます。 手ざわりの独特の味わいがあるギャザード・ホルダーの万年筆です。ー

 

中屋百科事典・中屋万年筆 (nakaya.org)より

 

其の#3776の設計思想は全て梅田 晴夫氏の提言によるものです。

特に「ペン先の大きさ」が#3776の場合は際立って居ます。

 

つまりはパイロットやセーラーなどの同価格帯の万年筆に比し概して金ペン先がデカいんです。

さうしてまた其のデカ目の金ペン先が筆記するには良いのです。

 

とは言え表面が平らであり少し個性的な金ペン先なのだが其れでも兎に角其のデカいこと自體が良い訳だ。

でもって其の梅田 晴夫氏の万年筆に對する「思想」を蔵した90年代の#3776はとても良い万年筆に仕上がって居る。

 

 

ところが#3776の場合もまたペン芯の方に少しく難があり個體によりインクの出がイマイチでした。

従って2010年頃迄は其れ程大きく評価されては居ませんでした。

 

ですが丁度其の頃自分はプラチナの#3776の方が良くてセーラーの21金ペン付きの万年筆は特にダメだともう其ればっかりを掲示板にて力説して居たのでした。

尤も当時はまだ手持ちの#3776を「eye-dropper」=「点眼式」化などして居らずよって時折どうも書きにくいなあ此の#3776は、などと思いつつ其のココロとは裏腹に#3776のことばかりを褒め称え書いて居たのです。

 

また丁度其の頃に参本の蒔絵版の#3776ー90年代前半製ーを得る機會があったのでした。

尚当時其の梅田 晴夫氏のことはまたプラチナ万年筆のこととは別に研究させて頂いたものでした。

 

即ち図書館へ行き其の著作を全頁に亘りコピーして來たりもまた致しましたのです。

でも良く考えてみますればネットの古本屋でもって其の本を探し出し其れを買えば良いダケでの御話でした。

 

また實は其の当時のコピーの束がいまだ自分の部屋に保管してあるのです。

其れも壱冊分では無く参冊分もあるのです。

 

そんな訳でわたくしの万年筆熱は当時より明らかに度を越したものでした。

つまりはコレクターの中でも可成に熱が熱くある方であり要するにまともでは無かったのです。

 

そもそんな状態で21世紀となり石の趣味の方もまた始めたのですよ。

だから自分の人生はほぼコレクター人生の貫徹其のものとしてあった。

 

なので色んなタイプのコレクターの方方もまた知って居りますが彼等にはまず負けやしません。

 

 

尚本日の最後に壱言述べて置きますがプラチナ万年筆を「eye-dropper」=「点眼式」化して使うことは完全なる邪道です。

ですのでよもや其の眞似などをしてはイケません。

 

其のやうな芸当は四拾年位まずはプラチナの万年筆を使い込んでからしてみるべきことです。

實際に自分はプラチナの万年筆を使い込んですでに半世紀です。

 

おや、こんなところに父のプラチナ万年筆が…。

当時13歳だったわたくしは応接間内の父の机の上に其のプラチナ万年筆を発見した。

 

さうして其の侭に其れを譲り受けたのである。

ところが其の後母のプラチナ万年筆もまた家の何処かで発見したのであった。

 

そんな訳で丁度半世紀前我が家には其のプラチナ万年筆しか無かったのである。

其れがパイロットでもまたセーラーでも無かったので結局生涯に亘り其のプラチナ万年筆と付き合う羽目となった。

 

だが其のことは結局万年筆愛好家としての己が運命なのだった。

以降もうどんだけプラチナ万年筆に振り回されて來しことか。

 

そんなプラチナ万年筆にアナタはもしや自らの全てを捧げたのですか?

別に全てを捧げてなどは居ません。

 

どだい万年筆なんぞは他にも澤山ブランドがあるでせう?

でもふと気付くとプラチナ万年筆ばかりを使う自分しかもう此処には居ない。

 

…プラチナ万年筆命。

…太宰 治命。

 

もしや宮澤 賢治命ではなかったので?

さう言えばさうでした。

 

さても其の宮澤 賢治自身はどんな万年筆を使って居たのでせう?

其のプラチナ万年筆は今後良くなる、即ち榮えることであらうと自分は拾年前に掲示板にて力説して居りましたものです。

 

で事實さうなりつつあります。

プラチナ万年筆よ其の予測が当たりどうもおめでたう!

 

 

ところで今アナタの机上には其のプラチナ万年筆が出て居ますか?

しかと出て居ます。

 

其れは伝説の限定万年筆である「プラチナ70周年記念万年筆」の緑軸の物だ。

其れを壱ヵ月前より再度使い始めたが此れぞまさにグレートな御品である。

 

だが話が長くなるので其の万年筆の評価などはまた次の機會にでも。