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文明批判と美と心の探求と

生涯の伴侶としてのより古いプラチナ#3776のブライアーモデルに就いてー新旧の#3776ブライアーモデルの使用感の違い等ー

生涯の伴侶としてのより古いプラチナ#3776のブライアーモデルに就いてー新旧の#3776ブライアーモデルの使用感の違い等ー

 

 

 

 

日本的美しさを持つ木軸万年筆!プラチナ #3776 センチュリー ブライヤー (薄) 【ペン先比較と木軸比較】 | ホシイモノガ=アリス・ギル (shigawakibara.com)

 

何か此処は写眞の方が神経質な迄に綺麗でそいでもって逆につい批判したくもなるんですね。

 

でもって其の現行のプラチナの金ペン先ですが其れが概ね「駄目」です。

何故ならワタシは新型ー新型でもおそらく二千年代物ーのプラチナのブライアー(何故かブライヤーでは無くブライアーとさう言いたい)モデルを日頃から使いますが其の14金ペン先は旧型のプラチナのペン先の方がずっと良いのです。

 

要するに旧型のプラチナの大型14金ペン先の方が柔軟なのでもあり且つ本質的に強い金ペン先に仕上がって居る。

と申しましても其のことを「理論的」に証明する手立ては無くつまりは感覚的な次元での御話となります。

 

ですが概ね万年筆の金ペン先はむしろ「ダメ」となりつつある。

ではドコがダメなのかとさう言われてもダメなものはダメですので其の通りにダメだとさう申す他は無し。

 

でも「ダメ」なら「ダメ」でむしろ其の枠内で「褒め合う」との左様な「仲良きことは美しき哉」的な感じでもって「イイ」だの「エエ」だのさう思って居るうちはまだ罪が無く壱種可哀想ではあるが其れを認めないでも無い。

 

 

實際新型ーおそらく二千年代物ーのプラチナのブライアーモデルもまるで使えぬ訳では無い。

ですが強いて言えば其れの軸にもまたペン先にも「苦悩」=「屈折」の跡がまるで見当たらぬ。

 

ですのでまずは其の「苦悩」=「屈折」があってこその人生であり文化なのだ。

人生であり文化とはもうとんでもなく「苦悩」であり「屈折」でありつまりは何ひとつ思い通りにならん「地獄絵巻」のやうなものに他ならん。

 

だから21世紀以降の文物にはそも其れが欠けて居らうからこそドコにも深みが出ぬのだ、其の文物としての深みが!!

また人間の方までもそんな深みの無い「まるで表面ダケ繕ったつまりは眞剣味に欠ける」人間へと化して來ちまってる。

 

さうでは無くまずは戦え!

其れもあらゆるものと闘い此の世を根底より「革命」せずしてどうする?

 

 

ああー、それにつけても長い長い戦いの日日であったことよ。

自分はもうボロボロになるまでさうして闘いの中に身を投じて來た。

 

なのでもう爺ちゃんにでもなりたい。

實際もう爺ちゃんなんだし。

 

いや君の欲望はむしろ永遠に参拾代なのだから其の「爺ちゃん」にはならうとしてもまさかなれやせん。

ヤッパリさうでしたか、どうも自分に限り違うとさう深く思い悩んで居りましたのですが結局さうしたことだったのですね。

 

しかしながら君の欲望は今現行品の全てをまた21世紀の文明の全てを否定しにかかって居らう。

ですから其れは何度も申しますやうに「エエものは良く」さらに「ダメなものは駄目」との其の区別ーケジメーのことをこそさう申して居るのです。

 

でもって結局は何が言いたいのだ?

結局は廿世紀物の方が上だとさう言いたいのだよ。

 

では何故廿世紀物の方が上なのだ?

其れはズバリ申して「苦悩」であり「屈折」がしかと其処に練り込まれて居るからです。

 

そんなややこしい論理がこんなアホな現代人にそも通用するのか?

いえ通用しないでせう、僕が述べることなんぞはもはや現代人には分からない。

 

だったらもう黙って孫の頭でも撫でて置け。

そんな孫の代わりにこんな万年筆しかありませんが…。

 

 

ドレドレ、嗚呼此れは確かに古いプラチナのブライアーモデルですね、さても何時頃の物でせう?

さうですね、1980年代の物でせうが前半製なのか其れとも後半製なのか其れもまたよーく調べてみないと分からないです。

 

もしや君は其れを当時より使い続けて來たのかい?

いいえさうでは無く1990年代のとある日に瑞穂グラウンドの横のナントカ小学校前にある文房具店にイキナリ押し入り手に入れしものなのです。

 

さうしてもしや盗んで來たのか?

まさか、ちゃんと弐万円程を払い買ったものだ。

 

實は其処に弐本の古いプラチナのブライアーモデルがさうして売られて居た。

自分は1980年代の後半から1990年代の前半頃にかうして市内の文房具店をしらみつぶしに訪れ主に古いプラチナの万年筆を発掘して居たのだった。

 

であるから其の文房具店に弐本の古いプラチナのブライアーモデルがあることをしかと把握して居たのである。

其れも其のことを知りつつも五年位はついぞソコへ行けなんだのである。

 

はあー、其れはまた壱種感動的な御話ですね。

するとアナタは御小遣いを貯めてまさに小学生のやうに五年振りに其処を訪れた訳だ。

 

では無く、實は当時クソ高い限定万年筆をしこたま買い求めて居たので単に其の弐万程の古いプラチナのブライアーモデルを購入する金銭的な余裕が無かったダケなんだ。

へえーさうすると例えば飯代を減らすとか🚬の方を我慢するとか兎に角そんなことで其の費用を捻り出しソコへと勇んで駆け付けた訳なのですね?

 

 

…仰る通りです。

わたくしは文具屋のオバちゃんに其の黑い方を見せて呉れとさう言った。

 

黑?

でもプラチナのブライアーモデルに其の「黑」は確か無い筈でせう?

 

いや昔は其れがしかとあった。

では早速に1987年度版のプラチナ総合型録を調べてみやう。

 

アンタ何故そんな古いモノ迄持って居るのだ?

だって何せ儂はプラチナ万年筆の愛好家だからな、わっはっは。

 

「PTB-25000

製品仕様ーブライヤーボディにサンドブラスト黒色仕上げー定価25000円」

 

あった、まさにコレだ。

 

尚当時はモノの「定価」なるものがしかとあり大体万年筆の値段などもさう決まって居た。

但し文房具店側の裁量により其の値段が例えば「壱割引き」だの「弐割引き」などとされて居たものだった。

 

ところが2010年頃からか其の「定価」なるものが所謂「オープン価格」などと云う訳の分からぬものへと移り變わり兎に角酷く分かり辛くなって行く。

其れにはおそらく所謂「グローバル資本主義」なるものが深く関与して居るのであらうが何でさうなるのかが壱消費者としてはまるで解せぬところである。

 

でもって21世紀にはケータイだのスマフォだのが蔓延することによりアナログ人間に取り逆に妙に住みにくい世の中へと移り變わって行く。

全くのところ變な世の中よ。

 

もはや爺ちゃんはまるでついてイケないよ。

正直まー捨てたりたいなこんな社會はー。

 

 

ところでアンタイチイチそんなプラチナの製品型録を其れも年度別に持って居るの?

確かに持って居ますよ、其れも2005年分位迄は。

 

でもってソレ以降は興味がそも無いのでまるで持って居ません。

 

さてまさに其の黑いブライアーモデルこそが所謂「通のプラチナ万年筆フリーク」の方方が愛好して止まぬモデルなのだ。

 

其れもワシなどは以降此のペンをトコトン使ったのだ。

すると拾五年程の使用で黑色の塗料が取れ次第に薄茶色となって來る。ーさうしてブライアー材の地色が現れたー

 

さらに其の後は其の侭に使いでも何だか色が斑になり汚いのでパイロットのブラックインクに壱ヵ月程浸し其れを黑い軸へと戻した。

ちなみにパイロットのブラックインクは史上最強のインクであり例えばエボナイト軸の染色などにもガンガン使える所謂浸透性が高くあるインクなのだ。

 

でもってさらに拾年位使い込むとまた其のパイロットのブラックインクによる黑い染色が剥げて來た。

 

我は今其れを左手に握りまさに其れを眺めつつ此のレヴューを書いて居る。

嗚呼美しい、其れもおおまさに幾多の苦難を乗り越え星霜を重ねしサイコーの筆よ。

 

即ち御前等若年コレクターがまんだ生まれる前にワシが使い始めた🖊なのだぞよ。

 

ああありがたや、ありがたやー。

さうだ、まさに其のやうに君等若輩の者共は「過去」と云う権威に是非ひれ臥さねばなるまい。

 

さう其の年月の重みこそがおお其の偉大なる黑い壱本のプラチナこそが現行品の全てをけちらし眞の意味での愛好家をこそ其処に育むのだ。

此のニセモノ愛好家共等めが!!

 

おまえたちはたった今心苦しくはないのか?

其れもよりにより左様なニセモノのプラチナをナデナデしつつなあにが21世紀の愛好家なのだ?

 

 

…でも明らかに書き過ぎでもってしかも言い過ぎです。

其れは認めます、どうもほんたうに御免なさい。

 

ですが何せ言ってることの癖が強くて面白いでせう?

いいえおそらくは万人に取り不快なだけでせう。

 

兎に角もっと普通に其れを語れないのか?

はいさう語ります、どうもお騒がせしすみませんでした。

 

ついつい「文學」をやり過ぎましたゴメンね皆様。

 

 

即ちどうも其れに對し「愛」が深くあるのです。

ですのでついつい其の「愛」に就き語って仕舞う。

 

でもそんな「愛」では無くて「罵倒」でせう。

其れも21世紀のメーカーと愛好家に對する明らかな「罵倒」です。

 

ですからちゃんと謝って居るではありませんか。

さうしてわざと書き過ぎたつまりはわざと言い過ぎたことに對してさう謝罪をしたのですから。

 

 

兎に角此の黑ハゲの♯3776こそが儂に取っての寶の筆なのだ。

だが使用歴が凡そ参拾年となる今年になり心機壱転し其のペン先と首軸とを替えた。

 

其れにプラチナでサイコーのペン先を付けてみたのである。

さう我がプラチナでもってサイコーの金ペン先と首軸とを付けてみたのだ。

 

其れもまた80年代製の黑軸ー樹脂製の黑軸ーからの転用である。

其の細字サイズの14金ペン先はエボナイト製ペン芯と組み合わされる個體的に最も柔軟で且つ大きく見える品となる。

 

では理屈抜きに其れでもって書いてみやう。

 

ガシガシ…。

うわっいってゃあーそもドコのもんじゃおみゃーは?

 

いえ単にかって文房具屋で売られて居た古い黑軸の万年筆ですが…。

さうか、ではまさに其れが参拾年も付き合った軸其のものなのだな。

 

さて万年筆には左様な意味での所謂「糟糠の妻」のやうな関係が生ずるものなのだ。

万年筆とは基本的に至極パーソナルな道具でありむしろ其れを長年に亘り「使い倒す」ことでこそ醸成される価値と云うものが確かに存する。

 

よってだから万年筆はまた「金額」や「評価」ばかりでも無いのである。

むしろ最も大事なのは使い手に取っての「思い入れ」であり「愛着」の方なのだ。

 

なので幾ら金額が高くてもまた幾ら評価の高い万年筆であれ其れが自分に合わなければ其処にはまるで価値など無いのである。

逆に「思い入れ」であり「愛着」の部分をかうして長年に亘り保ち続けられる物こそが其の人に取っての本物の筆ともまたなるのである。

 

 

…また今日はそんな美談であり教訓のやうなことを述べてつまりは人が感動する綺麗な形でもって万年筆論を終わろうとして居ますね?

アレソコもまたバレて居ましたか?

 

ほんたうのほんたうは万年筆は金額が全てでもってまた評価こそが全てなんだとさう言いたかったのでせう?

いいえ其れは違います。

 

ほんたうのほんたうは万年筆には「苦悩」=「屈折」こそが大事なのです。

うーん確かに此のブライアーの黑軸はむしろ思い切りに苦悩し且つ屈折して居ますね。ー苦悩=さう黑化しておりさらに屈折した=剥げたー

 

さうでせう?

だから其れがまんま「文學」の世界での出來事なのだ。

 

うーん、さうか、ではアナタがこれから此のペンを使い文学賞でも総ナメにしていくとのそんな薔薇色の未來がもしや待ち受けて居るのですね!!

そもこんなもんを書いとっては其れはまさか無いです。

 

でもこんなもんを書いとるのでむしろわたくしは仕合わせなのです。

さうそんな黑いプラチナのブライアーモデルこそがそんな壱文人に取り得難い生涯のパートナーなのさ。

 

 

Yahoo!オークション - 【希少・新品・未使用】プラチナ万年筆 ブライ...

 

さてこちらですがまさに其の「サンドブラスト仕様」での其れも新型の方での#3776ブライヤーです。

 

新型=天冠部が丸い

旧型=天冠部が平たい

 

さて其の#3776の新型と旧型の違いは結構大きく現れて居ます。

新型では軸が細くなりさらにより長くもなって居る。

 

ペン先が大きく異なる訳ではないが私の場合は書き心地が異なるやうにどうも感ぜられる。

故に自分に限りむしろ旧型の方が良いとさう判断する訳です。

 

實際に今書き比べてみても旧型の方が軸が太いので作家好みのする所謂「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向く感じがある。

對して新型の方は例えば「原稿」などを書くには少少もの足りずせいぜい手紙位に合うかと云った感じがする。

 

でもってわたくし自身はすでに長くー拾年程か?ー旧型でもって太字以上のブライアーモデルを探し求めて居ました。

要するに其の「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向くであらう所謂文人仕様としての#3776ブライアーが是非欲しかった。

 

また其れは其の「サンドブラスト仕様」であれまるで同じことなのです。

要するに旧型の方により筆記上の「本格性」の部分が感ぜられる。

 

元元プラチナ#3776は作家の梅田 晴夫先生がしかと監修された万年筆であり要は所謂「GT筆記」=「長時間に亘る筆記」に向くタイプでのモデルでした。

さうまさに梅田 晴夫先生による筆記思想にて形作られた「本格性」のあるモデルでしたのです。

 

ですがあえて穿った見方をすれば新型の#3776には其の設計思想の部分がしかと感ぜられません。

確かに其れもまた#3776なのではあれでは梅田 晴夫先生御自身がもしも御存命であるならば左様な改變を許したとは個人的に思われないのである。

 

要するに變な風に變えちゃったとさう申せなくもありません。

ですので個人的にはプラチナ#3776の新型の方を基本的に認められないのです。

 

認めては居ないですが無論のこと惡い万年筆では無いのでかうして使ってもまた居るのですが。

ですがハッキリ申せば昨年末に東京の店に売りに出しました。

 

でも軸に割れが認められ売れなんだのです。

そんな訳で兎に角自分に取りプラチナ#3776とはもはや旧型の物でしかあり得ません。

 

其れも旧型の#3776でもって最もdeepなモデルこそがまさに其の「サンドブラスト仕様」のブライアーモデルだとのことです。

ちなみに昔ー弐、参拾年前ーより「サンドブラスト仕様」のブライアーモデルが売りに出されて居ることは極めて稀でしたものです。

 

 

でもって是非画像をとも思いますがさて出て來るものかどうか。

されど以上のオークションには「サンドブラスト仕様」に就いての説明があります。

 

まさに其れを読み初めて分かりました。

要するに「サンドブラスト仕様」とはブライアーの軸をより堅固にするが為の手間のかかる仕事だった訳です。

 

またそんなものつまりは「手間暇がかかった素晴らしい🖋」が昔は只の文房具屋にさうして置いてあったのでした。

でもそんなもんをまさか小学生が買う筈は無い。

 

だからわたくしの為に其れが置いてあったのですね、おそらくは拾年以上も其処に。

ああ、さうか、おおまさに儂の為に文房具屋が其れを置いて呉れて居たんだ、へっへっへーのへー。

 

なのでまずは其の「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルこそが自分に取っての御寶万年筆なのです。

どうです、流石に年季の入った嗚呼まさに惚れ惚れするやうな御話ではありませんですか。

 

もう僕は筆記具ライターとしては壱流ですね、まさに其の壱流だぞー、うふふふふふふふふ。

 

 

さても其の「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルを今夜盗みに來る人が此処に壱人居ますよ。

…もう止めとけって其れは。

 

君がさう言えば僕もまたすぐに反応してこんな闇の中庭に其れを埋めて仕舞うではないか!

埋めろ埋めろさう埋めて仕舞え、君の其の「生涯の伴侶」を失わせることダケが儂の望みなのだからして…。

 

もしや御前は👿か!!

良くぞ我が正體を見破ったな!

 

因みに「サンドブラスト仕様の黑軸のブライアー」旧型モデルの使用感は兎に角もうサイコーです。ー軸が良く金ペン先も良いと云う意味でのサイコーさのことー

 

もしやサイコーですか?

アナタはたった今そんなにサイコーなんですか?

 

…もうたった今がサイコーです。

でも此の万年筆がかうして仕上がる迄に凡そ半世紀もの年月がかかっています。

 

さうわたくしがプラチナ万年筆の愛好家となって以降すでに五拾年の時が経ちましたのです。