目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ついに万年筆の「寒山拾得」となりし我ーそんな「限定万年筆」での樂しかった思い出と僕の片割れの性格の惡さに就いてー

ついに万年筆の「寒山拾得」となりし我ーそんな「限定万年筆」での樂しかった思い出と僕の片割れの性格の惡さに就いてー

 

 

 

 

前回述べたヤフオクに出されて居る巨大な萬年筆はナミキブランドでは無くパイロット製となって居る訳です。

まずは当時其れが有ったのかどうかと云うことですがおそらくは有ったことでせう。

 

いずれにせよ古い萬年筆の鑑別は可成に難しい訳です。

 

 

マルイ商店|上野アメ横商店街公式サイト (ameyoko.net)

 

さてこちらは兎に角とても懐かしい御店です。

かって自分は此処マルイ商店さんの常連客でありつまりは御得意様でもありました。

 

こちらからは主にレアーな御品ーなかなか入手が難しい限定品ーなどを取り寄せて居た。

例えばペリカン社の限定品で「オーストリア1000」なる知る人ぞ知る御品などを。Pelikan limited edition Austria 1000 (ameyokonet.jp)

 

其の「オーストリア1000」は今でもペリカン社の限定品で最高傑作なのだと思って居る。

尚わたくしは其のペリカンの🖋のコレクターでもかってはあった。

 

故に壱通リはペリカンの🖋でやり切れることはやり切って居ます。

其れもそれこそ90年代の限定品から現行品、さらに60、70年代のオールド物や50年代のヴィンテージ物、また戦前のペリカンにまで及ぶ知識と経験とを備える愛好家です。

 

またモンブランに関しましても90年代の限定品やNo.149等に就いては壱通リやり切って居ります。

但し50年代のヴィンテージ物、また戦前のモンブランに對してはあえて手を出しませんでした。

 

何故なら自分はあくまで「ペリカン派」であったからなのです。

また特に強いのがペリカンの限定品に関する知識と経験でせう。

 

兎に角壱五年前位迄はそんなペリカンモンブランの其れも高額な限定品を多く持つコレクターでしたのです。

でもって当時から地元の愛好家との交流が屡ありまた万年筆の展示の催しやコレクターが集まる飲み會などにも出席し其の折には必ず数本の限定品を携え其処に参加して居たものでした。

ですが周りには結果其のやうな高額な限定品を多く持つコレクターは居なかったのでした。

 

まあ其れは確かに普通は出來ないことなのです。

ですが私の場合に限りさうして腹を据えた上で其のことを貫き通しました。

 

当時其のことを貫き通したからこそ並みの愛好家には出來ない経験を多く積むことが出來たのだった。

ですが次第次第にわたくしはついに本性が出たのか「限定万年筆」其のものに批判的となって行った。

 

でもって丁度15年程前に結構な数の「限定万年筆」をヤフオクにて売っても居たのでした。

其れ等は概して高価でしかも愛好家の垂涎の的である御品などがまた多く含まれて居た。

 

ですが「求めて居るものの違い」にやがて気付いたわたくしは其れ等苦勞して得た限定品の数数をまさに惜しげもなく手放して行った。

其の頃に「オーストリア1000」やOmasの「香港返還記念」などはすでに手放して居るのだと思う。

 

Omas limited edition 香港返還記念限定万年筆 (ameyokonet.jp)ー参本目に登場ー

 

と同時に60、70年代のペリカンのオールド物や50年代のヴィンテージ物、また戦前のペリカンへと壱挙に踏み込んで行く訳です。

要するに新しい万年筆其れも高額な限定万年筆の世界から逆方向ー時間の巻き戻しの方向ーへの品へと進んで行った訳だ。

 

ー其れでもマルイ商店には兎に角感謝して居ります。マルイ商店が無ければおそらく現在の私は居なかったことでしょう。ー

 

 

するとまずは兎に角金銭的に樂になりました。

60、70年代のペリカンのオールド物や50年代のヴィンテージ物、また戦前のペリカンは何せ概してさう高い🖊では無いのだから。

 

勿論中には評価が高く可成に高価なモデルがあることでせうがわたくしが当時イーベイなどで集めた古いペリカンは此処🗾程高値で取引きされるやうな物では無かった。

穿った見方をすれば此処🗾特に関東圏の万年筆趣味はほぼ「独逸物壱辺倒」となる訳です。

 

ですのでわたくしはむしろ其れがまずは違うのではないか?とさう感じても居たのだった。

でも「独逸物信仰」をして居ない人が其れを言っても説得力が出ないのです。

 

幸い自分はさうしてペリカンの万年筆を壱通りはやり切った訳ですので別に其の位は言っても罰は当たりません。

兎に角もう誰もやって居ない高額な限定品とかを兎に角仕事をしっからかしてー必死こいて働きー自分の金で買って居たのですからもう誰も文句は言えません。

 

でもって自分は今でもペリカンの万年筆が嫌いでは無くまたモンブランメディチ限定万年筆などを常用して居ります。

ですが現在独逸物はさうして弐、参本使うばかりです。

 

と云うことは使う万年筆がスッカリ變わって仕舞ったと云うことでもまたありませう。

 

で何を今使うかと言えば、

 

例えばJinhaoだとか、

またプラチナだとか、

さらに戦前の日本の萬年筆などを主に使う。

 

要するにメディチ万年筆以外は「限定万年筆」がほぼ壊滅状態となって居ります。

故に自分は其処で「限定万年筆」其のものをまさに哲學的に掘り下げ考えることをしてみたのだった。

 

すると「限定万年筆」其のものが正統的な意味での万年筆の歴史に於いてむしろ「傍流」でありさらに言えば「不要」な流れのものであることが分かっても來た。

即ち所謂付加価値ー其の多くがイメージ戦略ーを付け高額な「限定万年筆」を売らんとしてあの手この手で万年筆メーカーは儲けやうとするのであり故に「限定万年筆」に払う金額の半分位はむしろ其の万年筆メーカーの搾取分であるに過ぎぬ。

 

ああさうか、確かに自分はさうして万年筆の凡そ百本分位を搾取されて來たのだった。

でも其処には夢もありまた樂しさも有った。

 

さう其れは別に惡いことではなかった。

 

特に出來の良い90年代初頭の限定品はどのメーカーの物であれ兎に角素晴らしい物だった。

ですがさうして「限定万年筆」其のものが時を経るに従い当初の「志」を失い「陳腐化」して行ったのです。

 

だからモンブランの限定万年筆の初代物であるメディチ万年筆はいまだに世界壱の限定万年筆ですが其の後に出された物で其れと匹敵するか若しくは其れを凌ぐやうな御品は決して出なかったのだった。

 

「選択」

まさに此のことが「限定万年筆」の世界では次第に難しいものとなって行った。

 

メディチ万年筆やヘミングウェイ万年筆やアガサ・クリスティ万年筆などが欲しくてももはや其れ等の入手が不可能に近い時代へと次第に化して行く。

またペリカンの「月光」や「旭光」などと云うまさに良く出來た蒔絵螺鈿軸の限定万年筆などもかってありました。

 

わたくしも其の両方をかって持ちましたが無論のことすでに手元には無い。

兎に角90年代のモンブランペリカンの限定万年筆を其れも複数本ずつ持って居たが現在は数本を残すのみとなって居る。

 

 

其れは要するに万年筆が「高級」か否かと云うことは「自己評価」こそが壱番大事だとのことなのです。

「自己評価」でもって例えばJnhaoが壱流品だとなればまさに其の通りに其れが世界の壱流品なのだからして。

 

ですが上にも書いたやうに何より「限定万年筆」は夢を与えて呉れる貴重な存在ではあったことだらう。

だが以降は古典の萬年筆の愛好家となった自分に限りむしろそんな夢を与えて呉れるのが「過去の萬年筆」へと移り變わっていっただけなのでした。

 

今思い返せば神戸の方の古典的萬年筆の師匠(オノトさん)が当時の限定万年筆の高価格に辟易されて居たことなどを屡思い出す。

戦前の萬年筆もまた場合により高額とはなるが實用の品に限れば其れが当時は大體弐、参萬で済む物でしたものです。

 

要するに其処には「搾取」分が無いので兎に角蒐集が概して樂になる訳です。

但し現在すでに1920、1930年代の所謂萬年筆黄金期の御品がどうやら枯渇気味のやうです。

 

よってわたくしや東京の方の師匠(らすとるむさん)などはまさに最後の最後に其れを為した愛好家だったのやもしれません。

兎に角其れが出來自分は仕合わせでした。

 

尚東京の方の師匠の場合はわたくしなどは足元にも及ばぬ程の本数をお持ちでひょっとすれば🗾随壱のコレクターである可能性もまたあります。

ですがわたくしの場合はあくまで「理論面」を交えた上での「万年筆論」であり「万年筆観」です。

 

まあわたくしはこんなどーしやうもなく文系人間だものですからまたどうしてもさう考え込んで仕舞う訳ですね。

なのでわたくしがかって万年筆談話室の分室である「図書談話室」にて展開して居たのは其れも今思えばまさにインテリ風の「万年筆論」でしたのです。

 

要するにレヴェルが高くてでもって大學の先生方が良く御覧になって頂いたりもして居たやうでした。

ヤフオクなどで万年筆を売る時などにもしやアノ「Sirius」さんですか?などと何遍か問われたことがあり「實はそーなんです。」などといつもさう答えて居たものでした。ー

 

其れに登場人物も其のほとんどが教職経験者でした、其れもほんたうのことを言いますと。ーもう昔のこととなりましたので此の際言いますー

まあ兎に角其処は「伝説の掲示板」其のものだった訳です。

 

 

尚当時より万年筆愛好家の中に「限定万年筆」への懐疑的な眼差しのやうなものが無かった訳ではありませんでした。

特により頑固か内至はよりコアな愛好家の場合はすでに万年筆への「意識が高くあり過ぎ」て「限定万年筆」をロクでも無い物として壱刀両断する向きなどもまた見られたものでした。

 

ですが当時より個人的にそんな向きもまた極端な考えなのではないか?との思いがありましたことも確かなことでした。

「限定万年筆」は屑の品ばかりか中には其れこそ「古典的要素」を見詰める部分迄に踏み込んだ素晴らしい作品が有る。

 

そんな素晴らしい御品迄をも全否定するに及べば其れこそ万年筆の世界は末法の世界ー眞っ暗闇の世界ーに留まって仕舞う。

故にたとえ現代の「限定万年筆」であれ其れを全否定することなどは出來ない。

 

当時に限り確かにさう思って居ましたのですが其れもまた何だか次第に怪しくなり結果かうして古い萬年筆の世界にばかり耽溺して行く羽目となりつつある。

また文明論の方でもまた復古主義とでも申すか近代的な合理性への不信感が強くなりつつあり要するに「今風のもの」が皆嫌いになりましたのです。

 

まあ其の様や確かに価値に於ける過激な變遷であり転換だったのだと思われる。

でもって現在自分は何を見詰めて居るのかと申しますと其処にほぼ万年筆の全體の様を見通し謂わば先入観無く其れに相對することがまずは可能となった。

 

 

其れぞまるで「万年筆の神」にでもなったやうな感じですか。

…ばか、言い過ぎだソレは!!

 

はい、すみませんつい言い過ぎて仕舞いました。

其れは「万年筆の神」では無く「万年筆の佛」の方でしたね。

 

…ばか、言い過ぎだソレも!!

 

ハイハイ、確かにわたくしめが惡う御座りました。

では「万年筆の天使か又は菩薩」級の認識と云うことで如何で御座りませう?

 

いや其れもまたダメだ。

御前はズバリ「万年筆の声聞であり縁覚」止まりだらう。

 

またつまりは「万年筆の寒山拾得」なのだらう。

「万年筆の寒山拾得」?

 

さうか、アノ「寒山拾得 - Wikipedia」についになれたのだ。

でも「寒山拾得」は何を考えて生きているのやらまるで分かりません。

 

果たして生きているのやら其れともすでに死んで居るのやらまるで分からない。

さう君もまた万年筆の世界では果たして生きているのやら其れともすでに死んで居るのやらまるで分からない。

 

…確かに。

確かに仰る通りだ。

 

ま、いずれにせよまさに其の万年筆の世界は基本的に「自由」なものである。

けだし其の「自由」さとは「限定」するからこそさうしてまさに「自由」となれるのだ。

 

よって「自由」さとは本質的にはむしろ「不自由」さのこととなる。

さう「不自由」でもって常に「限定」されるが故に逆に「自由」で居られるのだ。

 

故に宝くじが当たり世界中の万年筆を五億円分位買い漁ったにせよ其れが「自由」な蒐集だとはまさか言えない。

故に自由な「選択」肢が醸成されることこそが「万年筆を其れも高いレヴェルにて突き詰めた」と言えることなのだ。

 

 

また其の選択肢はむしろ次第に變わって行く。

さう變化しつつも前の価値観=以前の万年筆観が切り捨てられる訳では無くむしろ其れが積み重なって行くのである。

 

でもって其の其れ其れをやり切ったと自分でもってさう思えば實際にすでに其れをやり切っても居るのである。

全てをさうしてやり切っても居るとさう思えたのであれば後はすでに万年筆に於ける「寒山拾得」の世界が其処に拡がるばかりである。

 

ところでそんな万年筆界の「寒山拾得」さんは今日どんな万年筆でもってして文字を書かれるのでせう?

…ピパピーパ。ープラチナのアマゾナスモデルのことー

 

と云うのはウソでほんたうはプラチナの「ブライアー万年筆」でもって文字を書いて居ります。

何せ其れが今日届いたので。

 

もしや其れはアナタに取り「得難い筆」なのでは?

そも何故そんなことまで知って居る?

 

さう洗い浚いに人の生活の細部を其れも周りに暴露しないで頂きたいものだ。

だってワタシは所詮アナタの片割れなのでかうして何でも知って居るのはむしろ自然なことでせう?

 

…確かに仰る通りです。

でも君の其の露出趣味的な傾向は要するに「マゾヒズム」的な傾向なのではないか。

 

…仰る通りです。

兎に角どうもすみませんでした、こんなワタシが惡う御座りました、今後は気をつけますのでどうかどうかお許し下され。

 

うん、まあそんなに謝って居るのであれば今回ばかりは許してやらぬでも無いが…。

されど毎回毎回こんなことが続くともう元塾の社會の先生は許してあげないよ。

 

元社會の先生!

そんなアナタの大事な筆であるプラチナの「ブライアー万年筆」を今夜盗みに來る輩が壱名居ります。

 

エエッ?まさか其れは誰だ?

其れぞまさにオレのことだ。

 

兎に角儂がな、是非今夜件の「ブライアー万年筆」に火を点けてやらうとさう目論んで居るところよ。

うーん、さうだねえ、此の「ブライアー万年筆」は何となく良く燃えさうですよね。

 

イカン、其れではすぐさま此れより庭に穴を掘り此の筆を隠さう。

 

翌朝目覚めた筆記詩人は庭にて「ブライアー万年筆」を懸命に探したがもはや何処へ埋めたものかとんと分かりはしない。

かうして彼はついに得難いプラチナの壱本を失ったのだった。

 

また其のことは「寒山」の仕業によるものか其れとも「拾得」の仕業によるものなのかもはや永遠に分かりはしない。

少なくとも其れは僕の中の片割れがむしろ其のことを願ったつまりは「ブライアー万年筆」への愛に嫉妬した挙句に引き起こされし壱つの悲劇の様なのだ。