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文明批判と美と心の探求と

大好きなプラチナ万年筆の世界ー本質的な意味でのプラチナ#3776の出來の良さー

大好きなプラチナ万年筆の世界ー本質的な意味でのプラチナ#3776の出來の良さー

 

 

 

 

筆記具の世界は現存在に取り常に「夢」を与え続けて呉れるものだ。

また其のことは高級品であれまた例え廉価品であれ變わらぬことです。

 

だが世間には筆記具なんぞは何でも良い、其れも書ければ良い、位に思って居られる人の方が或は多いのやもしれない。

ですがズバリ教師や医師其れに學者などの所謂知的作業への従事者には筆記具ファンの方方が結構居られます。

 

自分もまたどちらかと申せば知的営為が兎に角多い方の人間です。

尤も其の知的営為を離れボーッとして居るかまたはのんびり日向ぼっこをするか其れとも🐈とじゃれ合い遊ぶかなどをして居る方が其の考え込んで居る時よりも個人的にはより好きなのですが…。

 

自分がかって弐拾年ばかりでしたか、そんな長きに亘り筆記具の取引をヤフオクにてして参り分かったことが其の筆記具ファンには教師と医師が圧倒的に多いと云うことであった。

だから基本的に所謂知的にハイエンドな趣味である訳です。

 

其れもまあ特殊な領域の世界でもあることなのでせう。

例えばもっともっとメジャーな趣味である「腕時計」の分野などでは別に教師と医師が圧倒的に多いと云う訳では無いのだと思われる。

 

「筆記具」の世界はさうして観念的営為とは切っても切れない世界のものであり正直申して壱種「高等」な趣味性の領域を標榜するものだらう。

 

 

ヤフオク! - 14k 大型ニブ(重量1グラム以上) インク止め式... (yahoo.co.jp)

 

さてつい先日はこんな物凄い物がヤフオクに出て居たが其れも他事をやって居るうちにオークションが終わって仕舞った。

どうも昔はあった「物欲への突進力」のやうなものが弱って仕舞い其処は喜んで良いのやら其れとも情けないのやら分からなくなりつつある。

 

但し壱つだけ言えるのは結局「縁のある物」だけが手元に残ると云うことである。

 

ヤフオク! - 旧型 プラチナ #3776 本漆塗 手描き 加賀蒔... (yahoo.co.jp)

 

ところで此の旧型のプラチナ#3776は現代の日本の万年筆の中でも屈指の物である。

 

1.14Kのペン先の出來が良い

2.蒔絵軸にもなって居る

3.プラチナ社を代表する製品が此の旧型のプラチナ#3776である

 

尚自分はプラチナ社の万年筆の愛好者でありコレクターである。

 

ところが拾年程前迄其のプラチナ社の万年筆は其れ程高く評価されて居なかった。

其の頃は関西のメーカーであるセーラーの万年筆が高く評価されて居りコレクターの間でも其の通りにセーラーの万年筆に人気が集まって居たものだった。

 

だが自分は其の頃むしろセーラーの万年筆の主に思想の部分を万年筆の某有名掲示板の主筆として批判して居たのである。

何がイケないのかと言えばつまるところ「万年筆のマニアの感覚に媚び過ぎて居る」からダメだとさう申して居たものだった。

 

要するに21金のペン先だのまた特殊なペンポイントだのを市場に投入する其の姿勢に大きく疑問を抱いて居たのである。

何故ならパイロットと云うメーカーがすでに14金のペン先の優位性を其れも大昔に証明して居たのである。

 

また当時自分は此処日本の万年筆マニアが何時の間にか陥った「書き味中心主義」なるものに對してもハッキリと批判して居た。

要するにそんなものは「万年筆其れ自體が斜陽化したことの証」であり立派なことでも何でもないとさうコキおろして居たのである。

 

 

要するに自分は兎に角そんな「批判」こそが得意なのだ。

何だか知らんがさうして所謂「社會的風潮」の如きものをボロクソに言うのが上手いのである。

 

でさう云う点からも所詮自分は「村八分」的な人なのですがでも眞理だとか眞實に對してだけは實は眞っ正直なのだ。

 

其れでもって五年位前から次第にプラチナ万年筆の落札相場が上がって來た。

其れは自分が掲示板にてプラチナ万年筆のことを褒めて居たこととはおそらく無関係なのだらう。

 

要するにわたくしの万年筆に對する評価が世間に對し大きく影響力がある訳では無い。

つまりは所謂「カルト的」な万年筆論評を13年程に亘り其処にて展開して居たばかりなのだ。

 

だが其れが「カルト的」だったことだけはまた確かなことでありよって中にはわたくしが述べることに對するコアなファンなどもまた居たことだったらう。

 

で、此の本漆塗りの旧型のプラチナの#3776ですが丁度拾年程前にヤフオクにて参本を得たのである。

値段の方はすでに正確に記憶して居ないが壱本が壱万円程ではなかったか。

 

其のうちの壱本を此処五年ばかり愛用して來て居る。

 

しかも其の使い方がまるで普通では無く言ってみれば「邪道」の使い方である。

では其れをどう使って居るのか?

 

實は軸の中に直接インクを入れる所謂「eye-dropper」=「点眼式」として使って居るのである。

 

ところが問題は其のことにより何か不具合が生じて居るかどうかと云う部分に尽きて居る。

結局現存在が「何かをやる」時に不具合が生じて居るのであれば其れは「惡い」ことである。

 

だが別に不具合が生じて居らず逆に快適にやれて居ることであるならばむしろ其れは「良い」ことである。

でもって現代社會は其れがやれて居ないので其れがまさに「惡い」ことである。

 

だから「良い」ことである方に是非やり方を移行して行かねばなりません。

 

 

では早速此の本漆塗りの旧型のプラチナの#3776を使ってみやう。

 

まず普及版の蒔絵として此の蒔絵の出來は決して惡くない。

だから万年筆として取りあえずは高級感がある。

 

でもって書いてみる。

其れもスッと書ける。

 

其れも壱ヵ月位使って居ないのにスッと書ける。

何故なら「eye-dropper」=「点眼式」として使って居るからである。

 

特筆すべきところがありさうして軸内が総インク状態になって居るにも関わらずインクが何処からも漏れて居ないことである。

しかしながら其のこともまたやってみて初めて分かったことである。

 

勿論首軸のネジの所には蜜蝋を練り込んで居る。

だけれどもむしろさうしてもインクが漏れる万年筆の方が實は多いのだ。

 

其れが漏れぬのは此の万年筆の出來がそも良いからなのだ。

 

次に此の個體はまるで新品の如くであり「中字」と云うシールも貼った侭となって居る。

要するに所謂「綺麗」に使って居る御品である。

 

でもって14金ペン先は軸に比して大き目で素晴らしい出來だ。

要するにプレスにて良く鍛えられたペン先であり筆圧をかけ書いても曲がらぬ素性の良い物である。

 

尚万年筆のペン先は概して古い物の方が良い。

 

此の旧型のプラチナの#3776はおそらく九〇年代前半製であらうが兎に角本質的に良いペン先である。

 

さうして金ペン先の出來が良いとどう書いたにせよ其のペン先が応えて呉れるのである。

ところが、だ。

 

ところが其の旧型のプラチナの#3776のペン先はかって其れ程評価されては居なかった。

 

 

4.兎に角インクの出が渋め

5.ペン先が平らでもって少し癖がある

6.ペンポイントも普通で「書き味」中心にはなって居らず

 

要するに21世紀の万年筆マニアが好む「ドロドロ」で「ヌレヌレ」の筆記感のものでは無いのである。

だが自分に限りむしろ此れこそがほんたうの万年筆の書き味だとさう論じて居たのである。

 

尚当時から其のプラチナの万年筆が好きなつまりは「偏屈」な愛好家は居たのだったが彼等は総じて小さい声で「こんなプラチナのファンだ」とさう言って居たものだった。

要するに世の趨勢より離れ「村八分」になるのが怖くてとてもデカい声で「こんなプラチナのファンだよー!」とはまさか言えなんだのだった。

 

逆に「セーラーのクロスポイントニブのファンですよー!」だとか「アノ長原御大のファンですよー!」だとか言って置けばおおまさに其の人は「万年筆が良く分かった」偉い愛好家として世間に受け入れられるのだった。

 

だが自分は当時セーラー万年筆と逆に喧嘩して居り即ち「21金の高品位ペン先付きの万年筆を売るやうではオタクはダメだ!!」とさう述べて憚らなんだのだった。

だから兎に角わたくしは当時から其の🗾の万年筆界のマニアック性の部分をバカにし切って居り其れでもっておおまさに其の部分ー書き味中心主義ーにこそ食いついて離れなんだのだ。

 

…まるで今と變わらんな。

…壱體其れはどう云うことですか?

 

今とまるで變わらん元元の「村八分」人間だな君は。

まあでも良いではないですか。

 

其れもかうして樂しく万年筆が使えるのであれば…。

 

 

正直なところ此の旧型のプラチナの#3776は現代の國産万年筆として最高の御品である。

 

7.書き易い

8.姿が美しい

9.ガシガシと書ける

 

だが「eye-dropper」=「点眼式」としてからより書き易くなったことだけは確かである。

 

10.エボナイトペン芯であること

 

さて其の「エボナイトペン芯」は國産の現代の万年筆では珍しいのである。

ところが「eye-dropper」=「点眼式」と其の「エボナイトペン芯」の相性がまずは良い。

 

旧型のプラチナの#3776の「エボナイトペン芯」は総じてインクの出方が渋めであるので逆にドバっとインクが出易くなる「eye-dropper」=「点眼式」との相性が頗る良いのである。

 

11.でもあくまでメーカー側からすれば完全に「邪道」としての使い方となる

 

のである。

 

また#3776に限らずプラチナの其れも90年代物位迄の万年筆は総じて「eye-dropper」=「点眼式」との相性が頗る良い。

だけれどもまたセーラーの万年筆などでも「eye-dropper」=「点眼式」として使えぬ訳では無い。

 

但し其れをする必要が基本的には無い。ーセーラーの万年筆は総じてインクの出が良いのでー

 

 

さて蒔絵の柄はオークションの物は「紅白梅」であるが私の物は「アヤメかカキツバタ」である。

其れも古いカタログを調べれば判明する筈ですが最近はもはや其のことが面倒臭い。

 

だがいずれにせよまさに此れが最高の國産万年筆なのだ。

 

其の「蒔絵物」に限らず普通の#3776や#3776のギャザードモデルなども其の全てを「eye-dropper」=「点眼式」化することが可能である。

 

12.イザ「eye-dropper」=「点眼式」化した場合は机上限定で使いしかも常にペンを立てた状態で置くこと

 

此のことさえ守れば實に快適に30年前のそんな#3776が使えるのである。

 

尚新しいプラチナを基本的に自分は使わないが所謂「ブライヤー」モデルの弐千年台の物だけは使っても居る。

されど其れは銘木軸なので「eye-dropper」=「点眼式」化することは不可能である。

 

其れとペン芯も90年代の物とは異なりプラ製である。

だがこちらもまた其れなりに良い万年筆である。

 

但し非常に細かいことを述べればプラ製のペン芯とエボ製のペン芯でインクの出方がまるで異なるやうに思われてならない。

 

13.つい壱週間程前にモリソンのセルロイド軸ー「ギャラクシー」の意匠の物ーに#3776の18金ペン先を付けてみた

 

其の18金ペン先もまた90年代の物だと思われるが其れは90年代の14金ペン先よりも明らかに出來が惡い。

 

即ち万年筆の金ペン先は14金が最も適して居る。

だけれども18金ペン先の場合よりマイルドな筆記感が味わえるのである。

 

其のペン先の金品位の高品位化のこともかって我はしつこくメーカー側を批判して居たものだった。

要するにもしや24金のペン先が壱番良いのではないか?

 

いや其れが無理だとしても22、23金の高品位ペン先の方が良いのでは?

でも其の答えは「其れではダメ」なのだった。

 

つまりはペン先としての「しなり方」の性質などが其れでは良くならない。

また高品位ペン先とすれば剛性を保たんが為に概してペン先が分厚くなる。

 

すると逆に變な金ペン先となって仕舞うのである。

 

 

尚此のことは「文明批判」の部分にも即使えるネタである。

 

14.みんなはより「高品位」なつまりはより「便利」で且つ「快適」な暮らしをこそ望む

 

でも其の「高品位」なことばかりを目指しましたところ「贅沢し過ぎ」むしろ本質的な意味での人間の幸福さを失って仕舞いましたのです。

 

其れ見たことか。

だから14金ペン先になぜ「限定」せなんだのだ?

 

即ち「限定」して初めて本質的な価値に近づくことが出來るんだ。

 

もう随分前からプラチナ萬年筆は結果的に「變な欲」が無く「限定」されて居り良いとわたくしは繰り返し述べて來て居た。

其れと関係して居るものかどうかは分からねど今や総じてプラチナの万年筆の相場が上がったやうにさう感じられるのである。

 

 

ヤフオク! - GJ2006 ヴィンテージ プラチナ万年筆 プラチナ・... (yahoo.co.jp)

 

先月に古いプラチナ万年筆の凄い御品がかうしてヤフオクの方に出されて居た。

自分はまずプラチナ万年筆のファンでありコレクターなので無論のこと指を咥えつつ此のオークションのことを眺めて居た。

 

勿論宝くじに当たって居れば此のペンは今頃自分の桐箱の中に眠って居ることであらう。

が、そんなもんはまず当たらずむしろ惡い運命の方が当たり易いものである。

 

でも今年は壱月に🐈が壱匹交通事故で死んだと云うまさに悲惨なことがあったが其れ以降はとりあえず平穏なので特に良いことが無いばかりか特に惡いこともまた無いのである。

 

さて此の御品は60年代後半~70年代前半に製作されたものと思われる。

我もまた此のタイプのプラチナ万年筆には特に学生時代に良く御世話になって來て居る。

 

だが此の金製軸の御品は今回ヤフオクにて初めて視た。

此の時代の此のタイプでのプラチナ万年筆は昔から余り評価されて居ないのですが此の御品のやうに18Kペン先のものは書き心地の方も惡くは無い筈である。

 

金ペン先が14Kにせよ18KにせよWGーホワイトゴールドー製のペン先の物は書き心地が硬くて壱種独特である。

だが我我は何せプラチナ派なので其れもまた「味」として理解することが可能である。

 

要するにほぼ「痘痕も靨」状態にある。

つまりは不細工だらうが何だらうがまるで構わない訳だ。

 

 

其れにつけても兎に角ヤフオクにはたまにとんでもない御品が出されて居るものである。

また其のとんでもない御品を全て押さえるつまり入手することは元より不可能なことだ。

 

つまりは宝くじに当たらないので其れは初めから永遠に無理なのだ。

だが其れは結局石の壱級品がまず得られないことと同じでつまりは大金がないと元來無理なことである。

 

だから自分に得られた御品の範囲で樂しんで居れば其れで良いのである。

 

 

さうして筆記具や石の趣味は自分にやれる範囲にてやって行くことの方がむしろ気樂であり其の方が良い。

また其のことは結局「何を選択し生きるか」と云う所謂価値観の問題なのでもまたある。

 

自分の場合はかって高級志向をやり切った訳ですので今はむしろ「自作のペン」の世界に浸り切って居る。

其れも「工作」などは出來ぬので壱からペンを作るのでは無く買ったペンの部品を使いそんな「自作のペン」として仕舞うのである。

 

「自作のペン」の世界は価値ヒエラルキーとは余り関係が無く要するに庭の枝などを使いまた何でも出來て仕舞う訳だ。

其のやうにして出來たペンはメーカーから見ればまさに「屑」のやうなものながら逆に自分から見れば「實存としての価値」其のものを有する「オンリーワン」での御品となる。

 

だが黄苺の茎は流石に筆記具の軸にはならなんだ。

まあ木と云うよりも草のやうなものなので其処はヤッパリ無理だった訳です。

 

ところでそんな「自作のペン」の世界を突き詰める形でやって行く人などもまた居られますね?

はい結構居られます。

 

ですが其れをやるとおそらくは「御勉強」の方が疎かになりませう。

自分の場合あくまで筆記具は其の「御勉強」の友なんです。

 

だから最終的には其の「御勉強」が大事なんです。

でも「御勉強」しながら其の「御勉強」のことを忘れられるのがまた「筆記具」としての最大の魅力の部分なのだらう。

 

なのでほんたうに「御勉強」する人は別に「筆記具」などには凝らない筈です。

どだい「筆記具」に凝る作家などはそも参流作家が多いものとさう相場は決まって居る。

 

其れもかの開高 健とかがアノモンブラン149などを使って居たやうですが彼の作品などは高校生の頃に壱度読んだ切りで其の後はまるで読んで居りません。

すると開高 健氏は参流作家ですか?

 

さうは言って居ないでせう。

嗚呼其れと梅田 晴夫氏などはかってプラチナ万年筆ー#3776ーの専属作家でした。

 

 

主要モデル プラチナ万年筆編:万年筆まっぷ (mannenhitsu.info)

 

プラチナ#3776にギャザードなるモデルがあり此れはWATERMANのハンドレッド・イヤーペン(百年ペン)の軸の意匠を眞似た物である。

梅田 晴夫氏は古い萬年筆のコレクターでもありよってプラチナ#3776の監修をする段となり其のコレクターとしての知識を基に主に#3776の開発に勤しんだのだった。

 

設計思想1:軸は太くなければならない

直径13ミリの太軸。キャップを外して軸にはめた使用時の全長160ミリ弱。 ペン先の長さ22ミリ前後。重心点はやや後方の56~57%のところにおきました。 万年筆の黄金律がここにあります。

設計思想2:ペン先は大きくなければならない

ヘビーライター向きに、耐久力の高い大型14金ペンを採用。 ペンポイントは超極細・極細・細・細軟・中・太・極太・超極太からミュージックまでの9種。 まさに作家好みの万年筆です。

設計思想3:愛蔵に耐えなければならない

一本一本がすべて手作り。工芸品とよぶにふさわしい飽きのこないデザイン。 愛蔵に応える格調高い万年筆です。

設計思想4:手にフィットしなければならない

手にしっくりなじむよう------- 日本の万年筆史上初めて、軸全体にすべり止めの深いギャザーを入れました。 このギャザーが軸を握った場合の手の熱を外へ逃がすラジエーターの役目を果たし、 軸内部の空気の膨張を防ぎインクの流出を一定に保ちます。 手ざわりの独特の味わいがあるギャザード・ホルダーの万年筆です。ー

 

中屋百科事典・中屋万年筆 (nakaya.org)より

 

其の#3776の設計思想は全て梅田 晴夫氏の提言によるものです。

特に「ペン先の大きさ」が#3776の場合は際立って居ます。

 

つまりはパイロットやセーラーなどの同価格帯の万年筆に比し概して金ペン先がデカいんです。

さうしてまた其のデカ目の金ペン先が筆記するには良いのです。

 

とは言え表面が平らであり少し個性的な金ペン先なのだが其れでも兎に角其のデカいこと自體が良い訳だ。

でもって其の梅田 晴夫氏の万年筆に對する「思想」を蔵した90年代の#3776はとても良い万年筆に仕上がって居る。

 

 

ところが#3776の場合もまたペン芯の方に少しく難があり個體によりインクの出がイマイチでした。

従って2010年頃迄は其れ程大きく評価されては居ませんでした。

 

ですが丁度其の頃自分はプラチナの#3776の方が良くてセーラーの21金ペン付きの万年筆は特にダメだともう其ればっかりを掲示板にて力説して居たのでした。

尤も当時はまだ手持ちの#3776を「eye-dropper」=「点眼式」化などして居らずよって時折どうも書きにくいなあ此の#3776は、などと思いつつ其のココロとは裏腹に#3776のことばかりを褒め称え書いて居たのです。

 

また丁度其の頃に参本の蒔絵版の#3776ー90年代前半製ーを得る機會があったのでした。

尚当時其の梅田 晴夫氏のことはまたプラチナ万年筆のこととは別に研究させて頂いたものでした。

 

即ち図書館へ行き其の著作を全頁に亘りコピーして來たりもまた致しましたのです。

でも良く考えてみますればネットの古本屋でもって其の本を探し出し其れを買えば良いダケでの御話でした。

 

また實は其の当時のコピーの束がいまだ自分の部屋に保管してあるのです。

其れも壱冊分では無く参冊分もあるのです。

 

そんな訳でわたくしの万年筆熱は当時より明らかに度を越したものでした。

つまりはコレクターの中でも可成に熱が熱くある方であり要するにまともでは無かったのです。

 

そもそんな状態で21世紀となり石の趣味の方もまた始めたのですよ。

だから自分の人生はほぼコレクター人生の貫徹其のものとしてあった。

 

なので色んなタイプのコレクターの方方もまた知って居りますが彼等にはまず負けやしません。

 

 

尚本日の最後に壱言述べて置きますがプラチナ万年筆を「eye-dropper」=「点眼式」化して使うことは完全なる邪道です。

ですのでよもや其の眞似などをしてはイケません。

 

其のやうな芸当は四拾年位まずはプラチナの万年筆を使い込んでからしてみるべきことです。

實際に自分はプラチナの万年筆を使い込んですでに半世紀です。

 

おや、こんなところに父のプラチナ万年筆が…。

当時13歳だったわたくしは応接間内の父の机の上に其のプラチナ万年筆を発見した。

 

さうして其の侭に其れを譲り受けたのである。

ところが其の後母のプラチナ万年筆もまた家の何処かで発見したのであった。

 

そんな訳で丁度半世紀前我が家には其のプラチナ万年筆しか無かったのである。

其れがパイロットでもまたセーラーでも無かったので結局生涯に亘り其のプラチナ万年筆と付き合う羽目となった。

 

だが其のことは結局万年筆愛好家としての己が運命なのだった。

以降もうどんだけプラチナ万年筆に振り回されて來しことか。

 

そんなプラチナ万年筆にアナタはもしや自らの全てを捧げたのですか?

別に全てを捧げてなどは居ません。

 

どだい万年筆なんぞは他にも澤山ブランドがあるでせう?

でもふと気付くとプラチナ万年筆ばかりを使う自分しかもう此処には居ない。

 

…プラチナ万年筆命。

…太宰 治命。

 

もしや宮澤 賢治命ではなかったので?

さう言えばさうでした。

 

さても其の宮澤 賢治自身はどんな万年筆を使って居たのでせう?

其のプラチナ万年筆は今後良くなる、即ち榮えることであらうと自分は拾年前に掲示板にて力説して居りましたものです。

 

で事實さうなりつつあります。

プラチナ万年筆よ其の予測が当たりどうもおめでたう!

 

 

ところで今アナタの机上には其のプラチナ万年筆が出て居ますか?

しかと出て居ます。

 

其れは伝説の限定万年筆である「プラチナ70周年記念万年筆」の緑軸の物だ。

其れを壱ヵ月前より再度使い始めたが此れぞまさにグレートな御品である。

 

だが話が長くなるので其の万年筆の評価などはまた次の機會にでも。