目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「dip pen」とは何か?ー西洋に於ける硬筆筆記の伝統を支える筆記具とは?ー

dip pen」とは何か?ー西洋に於ける硬筆筆記の伝統を支える筆記具とは?ー

 

 

 

 

さて西洋に於ける硬筆筆記の伝統は所謂「羽根ペン」に兆すものであるがこと近代的な意味でのソレを成り立たせて來しのが付けペン=「dip pen」とのこととなる。

dip pen」とは金属ー主に貴金属ーや木や貝などで出來た細身の軸に所謂「スチールペン先」を付けた物となる。

 

だが我が國は漢字文化圏の國であるのでソノやうな西欧世界に於ける近代的な意味での筆記の伝統の部分に疎いところがある。

ソレ即ち我が國では戦前まで主に毛筆が文字の書写に於いて用いられて居た。

 

また昭和40年代頃迄は結構日常的にも毛筆が使われて居たものだった。ー我我還暦世代が小学生の頃迄はー

だがソノ頃主に使われて居たのが万年筆とボールペンだった。

 

ところが當時のボールペンの性能は惡くよって當然のことながら今のボールペンの如くにスラスラ書ける訳では無くつまりは存外に力を込め強く書かないとなかなかインクの出方が重かったものだ。

だが今のボールペン類はむしろ万年筆並みに書き心地の良い物が多い。

 

無論のことソノコトは文明が進歩しボールペンを作るソノ技術力が上がったが故にさうなって居る。

尚個人的には小中学生の頃よりむしろボールペンが好きであった。

 

でもって万年筆の方の愛好家となったのはむしろソノ後であった。

つまりは高校へ行く時分に初めて自分が万年筆の愛好家であることをしかと認識する。

 

 

以來万年筆の愛好家をすでに半世紀に亘り続けて來たこととなる。

ところが五拾歳位迄は西洋の「dip pen」など使ってみたことがなかった。

 

さう要するに我我🗾の筆記者に取り最もかけ離れたー縁遠いー筆記具こそがソノ「dip pen」なのだ。

 

だが良く良く思い起こせばワタシは中学生の時分に中学校の前の「松陰堂」なる文具店で所謂ペン軸を購入し其れにて文字やイラストを色インクを用い書き描いて居た。

従ってヤッパリ「付けペン」こそがペンの基本なのだった。

 

また「付けペン」はさう文字も書ければ絵を描くことが出來る。

よってマンガ家の人人が常日頃使うのがまさにソノ「付けペン」となる。

 

ところで「付けペン」には「スチールペン先」が付いて居る。

ソノ「スチールペン先」には様様な種別と用途が有る。

 

また基本的に普通の「スチールペン先」でも運筆圧の加減により描く線に強弱を付けることが可能だ。

ソレとは原理的に違うのだが例えばB以上の軟らかい芯の鉛筆でもって運筆圧の加減により描く線に強弱を付けることなども可能である。

 

ソノやうに「硬筆筆記具」であれより古いタイプの筆記具の場合は壱般に表現の範囲が広く豊かにもなる。

とのことで「硬筆筆記具」のルーツを探るのであればまずは歴史を遡らねばならずならばと云うことで早速我は「dip pen」の蒐集を始めた。

 

大體ソレが五拾歳位でのことだった。

尚當時「dip pen」などと云う代物はココ🗾にはまず無かった。

 

即ち普通ペンの愛好家は🖋の方をやりソレも壱部のコアな愛好家が古い独逸の萬年筆に浸り切る位のものでソレ以前の部分と云うものがまるで追求されては居らなんだ。

ですがワタシはあいにく普通の人では無いので人がやって居ない分野をこそまずはやっちまいます。

 

まあ當時は色んな品をebayにて引っ張って來て居りましたものです。

 

銀製ディップペン-6

銀製ディップペン-2

 

かうして古い「dip pen」の品は兎に角美しい。

ですがソレは所謂西洋カブレ趣味なのでは無い。

 

むしろ東洋文明による古い文房四寶の品品と同じ位に其れ等は繊細で有り且つ美しい。

さう筆や硯にせよ作りの良い物は良く其れ等はほぼ工芸品の域に達して居る。

 

ですので最終的には洋の東西に優劣などは無い。

dip pen」を蒐集しまず思ったのがソノ品としての「格調」の高さのことでした。

 

 

ソノ筆記具の「格調」と云うことがまさに洋の東西を問わずして時代が下るにつれむしろ消え去って行く。

ソレは例えば戦前の独逸人や🗾人に気骨のやうなものがあったことと似た話なのではないか。

 

また要するに例の米國流の大量生産であり大量消費主義、まずはコノことが物の質をむしろ低めて行くのであらう。

さう米國の思想を壱応批判致しますが自分が集めたのはほぼみんな米國の「dip pen」であり万年筆なんだ!

 

つまりネチネチとさう米國の思想を批判致しますが米國の「dip pen」と万年筆ばかりは決して否定し切れぬ、いやむしろサイコーの御品ですらある。

つまりはさうして憎しみながらも愛してやまぬとのそんな壱種アンビバレントな思いを引き摺りつつわたくしは此れ迄筆記具趣味をやって参った。

 

Leroy W. Fairchilddip pen

白蝶貝の軸のdip pen

 

さうですまさにこんな格調のことだ。

格調即ち文化の薫りのことであらうや?

 

 

だが最初わたくしは「スチールペン先」の方にこそ凝った。

ソレでもって主に英國より様様な物を集めたものであったが其れ等は今でもさうだが別に高価なものでも何でも無い。

 

筆記感の繊細なスチールニブ二種

 

例えばこちらが御気に入りの弐種の「スチールペン先」となる。

共に穂先の長い所謂「ステノグラファー」タイプでの筆記感が繊細なペン先となる。

 

ちなみに🗾の文具店にも「スチールペン先」ならば結構売って居りソレは主に所謂「Gペン」となる。

Gペンのおすすめ7選!種類と選び方を初心者にも分かりやすく解説 | thisismedia (thisisgallery.com)

 

ソノ「Gペン」は線の強弱が付け易くマンガやイラストを描く用途に使われるが元來はむしろ西洋の文字を書き描く為に有るのであらう。

 

ですのであくまで自分の場合はソレを絵を描く為に使うのでは無くむしろ「美しい文字」を認めんが為に使うのだ。

まずは左様に洋の東西を問わず文化とは美を對象とするもので尚且つソレを表現するのはニンゲンの理性であることをしかと心に留め置いて頂きたし。

 

なので文化とは万年筆の書き心地の良さバカリを追求するやうなまた万年筆のペン先を弄り回しイイ書き味バカリを追求するやうなそんな下司な趣味のものでは無くかうしてちゃーんとした文化的趣味のことなんだ。

 

また難しいことを言う。

兎に角気難しい。ーまさにソレが惡いクセだー

 

いやこんな気難しいのは生まれつきでもってもはや決して直らない。

もはや直らないのでむしろソレを是非伸ばしてあげるべきだ。

 

いえ誰も其れには賛成しないことでせう。

でもさうやってナゼこんな精神の貴族を虐めるのだ?

 

いやなんか虐め甲斐が有るんだな。

ああさうですか、では左様なら、ボクはこれから滝の上より飛び降りる。

 

そも「滝」なんてドコにも無いじゃないか、君のソノ机上には。

さう言えばさうですね。

 

そんな「滝」迄行くだけの根気と體力にすでに欠けて居ますのでむしろソレは止めて置きます。

 

 

所謂硬筆筆記でのソノ根本の部分、飾られて居ないソノ筆記文化としての原初の形をこそ求め我が筆記上の魂は飛翔し続けた。

西洋の「dip pen」もソノ原初の営みに遡れば遡る程にシンプルで且つ静謐でありつまりは過剰では無くまた安易さー簡便さーに陥らぬ物となる。

 

 

華奢物。

さう華奢物なのだ、かっての良い筆記具はむしろ須らく華奢物だった。

 

華奢物。

さう華奢物なのだ、かっての良い毛筆はむしろ須らく華奢物だった。

 

 

故にソノ「華奢」で且つ「上等な」物としての何かが戦後世界に於いて失われて行くのである。

かっての筆記具は知性を磨き込むが為の上流階級の嗜みの壱つでありつまりはまるでもって庶民のものでは無かった。

 

當時ー18~19世紀ーむしろ庶民には所謂文盲が多く居てペンによる筆記どころではなかったことだらう。

さう文字の表記とはそもそんな貴族趣味でのものであった。

 

 

やがて我はイーベイにて金ペン先の付いた「dip pen」が売られて居るのを発見する。

 

Aikin Lambert Dip Pen

 

嗚呼何て美しい筆なのだらう。

コレなどはおそらく1880年代辺りでの御品とならうがまさに見事な細工で且つ意匠である。

 

Vintage Pen News: Waterman and Aikin Lambert (vintagepensblog.blogspot.com)

 

ソノAikin Lambert社はかってL.E.Waterman社の下請けメーカーだった。

L.E.Waterman社とはズバリ世界初として米國にて万年筆を創ったメーカーとなる。

 

コノ「dip pen」はソノAikin Lambert社製の御品となる。

 

 

尚洋の東西を問わず良い筆記具は基本的に「華奢」となる。

「華奢」即ちブクブクと太ったりはせずに必要最小限の部分をこそ身に纏うものなのだ。

 

 

そんな「華奢」であることこそがある種の「格調」を生む。

ソノ「格調」とは物の格調であると同時に何より文化の格調となり最終的にソレはニンゲンの持つ「理性」としての力が齎すものとならう。

 

嗚呼そんな「理性」が今ドコに有る?

今や使い捨ての腐れた物ばかりが幅を利かせる腐れた世となり申した。

 

はいはい、そろそろまた言い過ぎて居ますよ。

うんでもワザとさう言いましたのですがもしや僕は毒舌が酷過ぎるのでせうか?

 

はい君は何せ感度が高いから何でも御見通しなのだらうが言い方に結構毒がありますね、主にソノ言い方の方に。

まあ要するにアンティークの御品におそらくは共通することでせうが其れ等が基本的に静かでありワイワイ騒がないので御品ソノものがドコか上品なのです。

 

確かにさうですね、今の物はなんか煩くて諄いと言いますか臭い!

別に臭くは無いでせう、臭いのはむしろ君の方だろ。

 

 

かうして最終的に多くの金ペン付きの「dip pen」を求めた。

 

 

dip pen」の金ペン先の基本形状は皆「ステノグラファー」となる。

つまりは尖ったペン先でありさうした物は基本的に柔軟であり線の強弱を付けるのに向いて居る。

 

ではソノ「線の強弱」とは何の為に必要なのか?

 

 

Rob Morrison氏による線描表記

 

例えばこちらは米國の有名出品者が萬年筆(L.E.Waterman)でもって描いた線描の場面の画像となる。

さうソノ「線描」とはつまるところ「カリグラフィー」による書写技術のことを言う。

 

ところがココ🗾ではそも寄って立つ文化圏が違いつまりは所謂「漢字文化圏」の國なので「カリグラフィー」のことなどには基本的に疎くもなる。

よってココ🗾の万年筆愛好家の中でまさか19世紀迄遡り硬筆筆記を論ずるなんてことは普通無く要するに變な僕しかソレをやらずつまりはみんながソレを知る由も無い。

 

dip penの金ペン先の比較

 

さて蒐集當時は壱番左の「Leroy W.Fairchild」の6号金ペン先ー巨大な金ペン先ーの物を得るのに可成に難儀をした覚えが有る。

確か値段の方では無く兎に角モノが出ないのである。

 

ソレを辛抱強く待ちやがて己が物とするのである。

 

Vintage Pen News: Leroy W. Fairchild: miscellaneous notes (vintagepensblog.blogspot.com)

 

さらに言えば西洋に於ける骨董趣味、所謂アンティークの筆記具に對する姿勢と知識の程は當然のことながら我が國の比には非ず。

 

當然のことながら彼等は母國の文化としての硬筆筆記の歴史を最大限に尊重し且つ継続的に保存してさえ居る。

でもって米國は所謂プロテスタントの國家で何でも新しく発明しまさにソレにより文明を變革する=合理化し進歩する、とさう思いがちであるがこと自分が米國のアンティーク筆記具を集め感じたこととはむしろソレとは眞逆のことだった。

 

さう彼等は兎に角古い物を大事に扱い且つ其れ等の文化にこそ「誇り」を持つ。

ところが戦後民主主義に於いてまた高度経済成長至上主義に於いて我が國の筆記大衆はむしろ毛筆による書写を軽んじるにさえ至る。

 

まさにソノことが反面教師のやうなものとしてわたくしには感ぜられ故にかの國の筆記観を變化させる必要性をまずは感じたのである。

ゆえにこそ我は我が國の文化的伝統として息づく「書」の世界をもっともっと注目し且つ重視して行かねばならぬとさう述べて居たのだった。

 

なのでそもソレは君等筆記大衆のアイデンティティの問題なのだぜ。

まずはソコんトコをしかと見詰めるべきでありよってそんなヌラヌラな書き味だのイイ紙だのキレイな色のインクだのそんなことではまるで無いんだ。

 

全くのところ御尤もな正論でもってして…。

でせう?

 

さういつも正しいことを言って居るでせう、アノSiriusさんは。

いえ正し過ぎてもはや誰も付いてはイケません。

 

 

さうかあ、すると石破さんもそのうちにまた「ボッチ」かあ。

もしもさうなったらアナタが御味方となるのですね?

 

はいワタシはむしろ永遠にヲタクの味方ですわ。

 

ところでソノ「Leroy W.Fairchild」の6号金ペン先ー巨大な金ペン先ーはまだ現役で使われて居る?

うんまだ現役ですよ、でもハッキリ言えば🗾の古い萬年筆の方に付けられて居ます。

 

アンタソノクセを今すぐ止めよ。

さう國籍だとか時代を超越し何でもくっつけちゃうのは是非止めて下され。

 

でもソノ改造萬年筆って果たしてどうなんですかね?

どうなんですかねって🗾にまた世界に壱本の凄い筆ですよ。

 

實は余りに凄いのでココ参年程は使って居りません。

うーんでも確かにそんな異常な🖊は米國にもまた英國にも無いことだらう。

 

ことだらう、では無くズバリソレは無い。

アンタでもほんたうに色色とやり過ぎて來てますねことソノペン趣味に関しては。

 

さうですね、ほぼやり尽くして來ても居ります。

でもってちゃんと書けますかソノ改造萬年筆でもって?

 

はいちゃんと「線描筆記」が可能となる。

 

dip penによる御習字風の筆跡(by Sirius)

 

まさにこんな感じにね。

 

 

ちなみに西洋に限らずココ🗾にも良い「dip pen」がかって作られて居た。

例えばコレはソノモノが良い銀製軸の「dip pen」となる。

 

岩橋寶飾店製の銀製ペン軸-1

 

製作年代は戦前のものともまた戦後のものとも判然としないがおそらく70年以上は前の物だらう。

さうしてコレは大阪心斎橋に有る岩橋寶飾店の御品となる。

 

ソノ岩橋寶飾店であるとか或は東京銀座の和光であるとか、兎に角そんな壱流店から出される筆記具もまた壱流の品となる。

故に志の高くあるコレクターはむしろそちらの方をヤフオクなどで探して居たりもするものなのだ。

 

でもってコレがようやく手元へ引き寄せた凄い銀製軸の「dip pen」だ。

もうコレ以上の品はドコにも無い。

 

しかも御気に入りでの英國マクギャバン&キャメロン社の尖ったスチール・ニブ付きとなる。

兎に角もうとんでも無い貴族趣味での御品だ。

 

こんなものはアンタ、アノチャールズ國王でもおそらくは持って居られまい。

 

岩橋寶飾店製の銀製ペン軸-2

 

ところで壱、弐ヵ月程前だったかどうもソノ岩橋寶飾店らしき店に強盗が押し入り高級腕時計を盗まれ店員壱人が殺されて居る。

どうもイヤな符号の壱致ながらソノことでもってまさにコノ「dip pen」を思い出した次第である。

 

勿論今でも現役で使うが以前のやうに頻繁には使わないので瓶に入れ常に出番を待って居る。

まあ兎に角ソノやうにわたくしの筆記趣味はさうソノ辺には転がって居ないものとなる。

 

要するに彼の筆記具への追求の度が深く濃くつまりは諄い。

 

でもって本日わたくしが左手に握るのが先日語った萬佳の黄金色の🖋となる。

コレは矢張り大きくて良い。

 

筆記具が大きいと「本格性」のやうなものがまた出る。

でも「華奢物」の方が筆記具としての作りが良いのでせう?

 

まあソノこともまた言えますが何せ自分は両刀派ですので兎に角ドチラもイキます。

さらに言えば「dip pen」と万年筆の区別すら明確に感じて居らず。

 

ああだから「dip pen」の金ペン先を萬年筆に移植したりもするのか。

さう「dip pen」の金ペン先を萬年筆に移植しますとまさに究極でのフレキシブルなペン先の萬年筆が誕生することとなる。

 

でもさう書き易くも無いので結果として萬年筆の軸を持つダケの「dip pen」化することが多い。

さうですかまさに訳の分からぬ話ですね結果としては「dip pen」にまた戻るとの…。

 

 

ですので自分がソコに學んだこととは萬年筆としての機能の部分に固執する必要などはむしろ無い。

ナゼナラあくまで「dip pen」が進歩し萬年筆となったのですから。

 

だから今でもワタシは🖋を「付けペン状態」にて使ったりもまたする。

よって🖋はむしろ「dip pen」としても使えるのだ。

 

ああでもソレを言うと🗾の愛好家は「バカ」だとソコをさう思うコトでせう。

でせうね、あんな「バカ」のSiriusの言うことを金輪際聞くべきでは無い。

 

でもイイんだもん、何せこんな個性的な筆記観の持ち主なので。

さうだなどだい君の筆記観はゴタゴタ続きでもって結構読んで居て面白い。

 

さうでしたか其れはまた嬉しい限りだ…。

でもってソノ岩橋寶飾店製の銀の「dip pen」でもって屹度アナタはさぞや美しい文字を御書きになることだらう。

 

いえいつも美しい文字を書いてる訳では御座らぬ。

いつもは〇とか□とかまた✖だとか△、さらに🐵や🐱や🐶の顔だとかほぼそんなものしか書いて居ない。

 

はあーでも書かうと思えば何でも書けるとのことでせう?

仰る通りでソノ筆跡の美しさはまさに「三筆」級なのじゃらう。

 

美しいdip penの世界-1

美しいdip penの世界-2

美しいdip penの世界-3