鬼畜系の詩人が鬼畜系の作家をあえて語るー芥川賞作家西村 賢太氏の生と死ー
まあさうですがアナタに多分総理は無理でせう、河村さん。
でも大臣位にはなれるのやもしれん、ソレも党勢を拡大した暁には。
このご時世にエンジンだけで900馬力!! リアカウルがF40そのまんま!!? フェラーリ最強スペチアーレ「F80」突如発表
コノ不穏なる御時世をアホな大金持ち共はむしろなんも考えて無いですからかうして八億円の🚙がすぐに売れるのだ。
でもって本日は文學の世界にドップリ浸かる。
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さてワタシが今読みたい作家とはズバリコノ人です。
まあですがソレは安部 公房→養老 孟司→朝比奈 秋との流れでのことだ。
特に安部 公房氏と養老 孟司氏による現代社會への向き合い方に関し常に學ばさせて頂いて來た。
まあ医者は何せ利口ですので考えて居ることの内容の質がそも違う。
でも放蕩詩人のボクにもそんな利口さが少しは有りよって主に御勉強する積もりで両氏の御意見などを拝見させて参りましたものです。
現役医師が書くことで気づいた「人間の生」 作家として植物状態の母持つ少女の物語を紡ぐ | AERA dot. (アエラドット)
でも彼の作品はまだ読んで居ないので現状ではまだ何とも申せません。
ETV特集 魂を継ぐもの~破滅の無頼派・西村賢太~ - 動画配信
さて問題は彼西村 賢太氏ソノ人です。
勿論ワタシはそんな作家を知らなんだのだがコノ番組でコノ人を知りソノ壮絶な生き様に大きく感銘を受けた。
でもって彼西村氏は無頼派と云うよりもまさに破滅派であり所謂「鬼畜系」での作家なのではなかったか。
彼の生涯はソノ作家として評価されたことを除けばほぼ地獄の様のやうだ。
つまり無頼派の例えば太宰 治や坂口 安吾などはあくまで當時の流行作家でありまた今では國語の教科書に作品が載るやうな大文學者です。
そんな恵まれた境遇の中であえて滅茶苦茶をやったとのことでありでも西村氏は別に流行作家となれた訳では無くむしろ壱部のファンの間でカルト的な人気が有ったと云うダケのことだ。
ですがコノ番組を繰り返し視るにつけ彼が担わねばならなかった文學の上での重要な領域のことを思わずには居られなくなる。
1.「正直」な作家
2.より「純粋」な作家
3.常に死と隣り合わせだった作家
尚ワタシは彼の作品を読んでは居ない。
でもかうして番組を観てソノ中で彼が書き遺した文章を拝見するダケで彼が此の世に對し何を伝えたかったのかと云うことが何となく分かる気がする。
でもって彼は時に怒りを露わにし世の不条理な様を罵倒する。
要するにクソったれめが!とさう思う此の世の様に對しストレートに怒り狂う。
だから所謂普通の大人しい人が彼の作品を読めばまずソノ気分が害されることであらう。
ですが番組中に登場するやうにそんな「毒」にこそ共感出來る人人が結構居られるものだ。
自分はそんな「毒」や何ともし難い「絶望」の部分をソノ侭ストレートに書き記すことは文學の重要な側面であり大切な仕事の筈だと常にさう考える。
ですが例えば宗教の分野はまたソレとは違う。
宗教はそんなルサンチマンだのまた恨みや辛みの部分を如何に「善き」方向へと向かわせるかと云うそんな御話なのでありつまりはさう惡態をついたり世を恨んだりまた貶したりは普通しない。
宗教はさうして常に自己に對する建設の部分と「惡」は世の中のせいでは無く自らの心のうちに潜むものだとさう教えて居る。
ですが文學はまたソレとは違う。
例えば彼太宰 治は世の中に對する恨みや辛みの部分をむしろ隠さずストレートに書き綴って居る。
また自分の「弱さ」に就いてもドコ迄も書き綴って居る。
挙句に酒や👩にだらしなくなりさうかと言ってもはや共産主義の闘士にもなれずただグズグズと生きおまけにアノ志賀 直哉にさえ噛み付く。
ですが彼大宰のそんな正直な部分での文學に戦後多くの人人が惹き付けられても來た。
即ち結果として自分が文學より得た部分とはそんなニンゲンとして抱え込んだ行き場の無い怒りややるせなさの部分に寄り添うことだらう「優しさ」の部分だったのだと思う。
確かにより大きなところでは宗教もまたニンゲンの罪を赦しつまりは惡人もまた正機し得る。
ですがより身近なところでの「バカヤロウ!」や「コンチクショウ!」の部分を實は誰も受け持っては呉れぬものなのだ。
よっていまだ読めずには居るが彼西村氏の文學とはそんな「言葉にすらならない現實世界への怒りとやるせなさ」のやうな部分をむしろソノ侭に描き切ることだらう最も純度の高い「ドキュメンタリー」作品のやうなものなのだらう。
即ち其れは「虚構」の物語なのでは無く存在が存在をソコに懸けるかのやうな命の呻きでありタマシイの叫びである。
尚個人的に言えば宗教のみでは人は救われないとさう考える。
また文學や他の藝術のみでもまたニンゲンを救うことなどは出來ぬ。
ナゼナラニンゲンを救わんが為にはむしろ「毒」や「怨嗟」の部分が是非必要となるのだから。
だからこそ「太宰 治」がいまだ我我には必要なのだ。
だからこそ三島 由紀夫や川端 康成はかって自決の道を選んだのだ。
元より文學に「善惡」の区別はむしろ無い。
さう文學は善きものばかりを観ることが無い。
なんとなれば文學の本質とは「表現」でありソレは「忖度」でもまた「同調」でも無くタダの垂れ流しである。
さう己をタダ垂れ流すだけのことなのだから。
ETV特集 「芥川賞を読む。~“正しさの時代”の向こうへ~」 - 動画配信
さて「ETV特集」には以上のやうに文學系の番組が多く見られる。
いずれも珠玉の番組なので文學のことを少しでも御勉強したい場合には此れ等の番組こそが是非御勧めとなる。
「石原知事に逆襲」芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18)
さてコノ田中慎弥 - Wikipedia氏ですが明らかに變わって居ます。
しかしながら、
主な受賞歴 | 新潮新人賞(2005年) 川端康成文学賞(2008年) 三島由紀夫賞(2008年) 芥川龍之介賞(2012年) 泉鏡花文学賞(2019年) |
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と出て居ますので實はとんでも無い作家でもある。
つまりは文学賞をほぼ総ナメなのです。
またコノ人は働いたことが無いやうです。
嗚呼だから「社會性」の部分に欠けて居るのか。
ですがソノ「社會性」の部分の有無は作家としての評価の部分にはほとんど影響が無い。
例えば西村氏の文學にも「社會性」が有ったとはまず言えないことだらう。
「社會性」が無いと例えば宗教などはなかなかやれませんが常に「個」としての個性が大事となる文學の世界ではソノことはほぼ問題とはならない。
また養老 孟司先生などは人付き合いがキライだとさう公言されても居られですので別に人と合わせずとも作家にはなれる、いやむしろ人とは合わせられぬ特異なキャラクターの持ち主の方が文學だの絵描きだのさうした表現の世界には向いても居らう。
芥川賞作家・西村賢太さんの墓が… 七尾の西光寺、山門やお堂など倒壊:北陸中日新聞Web
西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」石川県七尾市(写真で見る文学周遊) - 日本経済新聞
ソノ西村氏は現代人には珍しく中卒ですが芥川賞作家となられた。
文學系の人はコダワリの強い人が多いやうで彼の場合は戦前の作家の藤澤清造 - Wikipedia氏を師匠と仰ぎ自分の墓をソノ藤澤氏の墓の際に建てたのだった。
ところが西村氏は早う死んじまった。ー或は👩遊びのやり過ぎか?ー
でもって墓はちゃんと機能して居たが能登の地震で壊れて仕舞う。
が、ソレも九月には修復されたのださうな。
うーん、まさに凄い人生です。
無論のことワタシにはまるで眞似が出来ない。
ですがワタシはワタシでコノ「社會」とずっとやり合って來た感じですか。
ワタシは左様に基本的にコノ社會のあり方がどうにも許せない。
コノ社會は「惡」だと常にさう思いそのくせ境遇は意外に恵まれて居てだから別に共産主義者にならずとも良かったのですがでもどうしても社會が許せず次第にアナーキーな世界に引き込まれて行かざるを得なんだ。
だから君のはソレは文學では無くアノ三島 由紀夫や石原 慎太郎と同じくしてまさに政治的闘争の世界のことだらう?
いいえ自分のはあくまでそんな社會との闘争では無く単なるウラミ、ツラミです。
さうか君はそんなウラミ、ツラミ詩人なのか。
さうだ単なるそんなウラミ、ツラミ詩人だ、ソレに對し何ぞ文句が有るのか?
いえまるで有りません。
どだいアナタはワタシでワタシはアナタです。
ソノ藤澤なる戦前の作家ですがコレもまた相當に情けない作家でまさにそんなウラミ、ツラミを延々と書き記し最終的には公園で野垂れ死んで御座る。
ですが自分に限りソノ野垂れ死ぬ作家がハッキリ言えば好きだ。
またかのトルストイなども明らかにソノ垂れ死んだ大文豪ですぜ。
他には柳 美里氏の作品を読んでみたい気もして居る。ークリスト教徒でもってドコか優しさうー
が、次から次へと御勉強する為の本が出て來ますのでまたなかなかソレも…。
さて文學作品を読むことはほぼ自らの内面世界のあり方を變えることには繋がらない。
と申しますのも文學系のニンゲンはほぼ自らの内宇宙をすでに築き上げた上で本を読むものですからアアアナタの場合はさうでしたか、でもボクの場合はかうでしたよ、てなもので別にソコに釘付けにされると云うものでもありますまい。
ですがあくまで「共感」を抱くことの出來る作家の壱人として自分の場合は彼西村氏の名を挙げることが出來る。
するとアナタの場合も所詮はそんな「鬼畜系」の詩人であることを目指しておいでになる?
はいナゼナラそんな「鬼畜系」であることが壱番文人として正直であるつまりは最も純度の高い文學表現であることのやうに思えてならないからだ。