目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

『森の思想が人類を救う』を読んでの梅原 猛論ー+近代的合理性を遡行する地元への旅のことー

『森の思想が人類を救う』を読んでの梅原 猛論ー+近代的合理性を遡行する地元への旅のことー

 

 

 

 

「見えすぎる社会」のおかしさと生きにくさを改めて問う『過剰可視化社会』 (msn.com)

 

まさに其の「見え過ぎるスケスケ社會」にしたのはおそらくは「合理性」でせう。

其の合理化にも色色とある訳ながら其処にまず考えられるのが「経済的合理性」でせう。

 

變な喩えながら所謂「整形美女、美男」の類は虚榮心の満足と共に其の「経済的合理性」が何よりもまず追及されて居る。

其れは価値観其れ自體を「外部化」して居るつまりは「人からどう見えるか」と云うことばかりを価値として置くからそんな壱種の惡い合理主義に陥る訳だ。

 

なんですが其れもちゃんと分かって居られる方方は逆に實存的価値としての内面をこそより重視する。

であるからこそ其の内面を磨くことの為に日日「御勉強」の方を欠かすことが無い。

 

つまりは人間が「アホ化」するとスケスケの価値としての「外面的価値」にばかり拘るやうに必然としてなる。

全くバカバカしい御話ながらまさに其れこそが現實の様なのだ。

 

 

日本の医者は信じないほうがいい…精神科医・和田秀樹が「医師の助言を鵜呑みにするな」と警告する理由 (msn.com)

 

仰るやうに日本の医者は可成にヤバいです。

だから和田先生やまた養老先生などは医者にはなるべくかかるなとさう仰るのでせう。

 

でも其れ以上に日本の製薬會社は今オカシイです。

日本の製薬會社はぼろ儲けし過ぎて頭がオカシクなって居る可能性が可成に高くありませう。ー自分は参拾代の始め頃に其の製薬會社にも居たことがあった。ー

 

 

日本人はなぜ科学より感情で動くのか - 里の家ファーム (goo.ne.jp)

 

其の「日本人は感情で動く」ことはまた確かなことであり其れが何故なのかと思い此処を覗いたところ其の疑問とはまた全然違う所謂「環境保全全體主義」の御話となって居りむしろ其のことに就き様様に考えさせられました。

 

尚個人的には其れでも生物多様性保全自然エネルギーの促進などは是非やらねばならぬことなのだと思います。

尤ももっともっと手っ取り早いのは「文明を止める」=「百年位前の暮らしに戻す」ことなのですが。

 

要するに「近代による破壊」を時間的に逆行すれば良いと云うだけでの御話です。

尚其のことを妨げて居るのは単なる「高等な霊長類としてのプライド」ダケなのであり故にむしろ其れをこそぶち壊す必要がありませう。

 

 

[新版]森の思想が人類を救う | 梅原猛著 | 書籍 | PHP研究所

 

さて昨日は此の本の初版本の半分程ー後半部ーを再読致しました。

勿論何度も何度も読み返して居りますが90年代に読んだ折の感想と今の感想とでは勿論全然異なります。

 

1.梅原先生は環境破壊の問題こそが文明を追い詰める最大の原因だと考えられて居た点

2.けれども梅原先生にもまたところどころ「正常性バイアス」が働いて居たとさう思わせられる点があったこと

 

まずは其の1.の視点は流石と云う他は無い。

なんとなれば現存在に取り自然の破壊はまさに「自己破壊」に他ならずたとえ其処に幾ら科学的合理性を積み上げたにせよまるで言い訳にはならぬ大問題であるのだから。

 

尚其の「科学的合理性」はむしろ根本のところで間違って居る可能性が可成に高くあります。

ではあれいまや其の「科学的合理性」の追求の部分より「自己破壊」に至る道より救って行く他は無いのである。

 

2.に就いては少しばかり言いたいことなどもまたあるのですが今はあえて其のことは述べません。

 

 

梅原猛|人物|NHKアーカイブス

 

尚わたくしは壱時期所謂「梅原流の近代哲學批判」の方に心酔して居りました。

また講演会の方なども弐度聴講して居ります。

 

何故さうなったかと言えば所謂「近代合理主義」批判を梅原先生が積極的に展開なされて居たからでした。

さて自分はまた自分で90年代の初頭よりすでに近現代文明に對し懐疑的な思想的立場を持って居た。

 

要するに此の日日感じて居るモヤモヤの部分は自分が惡いのでは無く「社會」のせいだとさう思うやうにさえなって居た。

なのだけれどもあくまで立場的に其の頃はむしろ保守派でした。

 

「梅原日本學」もまた明らかに其の保守派としての思想です。

 

だけれども梅原先生は其れこそ、

 

3.戦争や原発は反對

4.自然派

 

ですので其れこそ左翼的にも見えぬ訳ではないがあくまで其れも國土愛、また郷土愛としての右の立場でせう。

でもって梅原先生は「マルクス主義」への辛辣な批判者だった。

 

例えばかのマルクスには人間らしい感情が欠けて居る、位のことを迄述べられて居る。

其れはさうなんでせうがでもあんまり搾取が酷くなり生存権さえ危うくなるやうではむしろ「社會主義革命」もまた視野に入れねばやがて日本國は崩壊の途を辿るばかりとなるのやもしれません。

 

尤も其れ以前に梅原先生は「近代合理主義文明」其れ自體に對する稀有なる批判者であり實は自分の思想的立場などもまた其れに近いものがあります。

要するにどーのかうのでは無く兎に角「現行型の文明反對!」論者なのだ。

 

 

つまり其の「反對!」する領域がまるで壱般的では無く文明其のものなんだ。

まあ其れもかっては我が國を代表する哲學者であらせられた梅原先生であれば其の御立場もまた分かりますが何でまたよりによりわたくし自身がさうなって仕舞ったのか其の理由がまるで分かりませんのです。

 

ですが兎に角「反對!」なものはまたどうしても「反對!」なので矢張りと云うべきか其れから参拾年経ってもいまだにさうして「反對!」して居るのであります。

 

尚厳密には「近代合理主義文明」の中に資本主義経済體制もまた社會主義経済體制も全てが組み込まれて居る訳です。

ですのでつまりは其れが「文明反對!」となる。

 

さて其の資本主義経済體制を極限まで突き詰めて行った米國の體制と社會主義経済體制をやらうとしたところでのソヴィエトや中國の體制は共に極度に合理化された體制なのです。

つまりは方向性が違うだけで似た者同士での革新的體制であったと云うことです。

 

其の全部にむしろ「反對!」するのが「反近代合理主義文明」主義者なのでありまさに其の点では梅原先生と自分の立場は非常に近いとも言えるのです。

 

でもアンタそんなに「反對!」ばかりでどうするの?

そもそんな「反對!」ばかりでどうやって飯を食うの?

 

いやだから其れに就き自分もまたあれこれとクルシミはしましたのです。

ですが僕の理性がそも「反對!」なのであくまで全部が「反對!」なのです。

 

でも困った奴だな…。

確かに困った奴だぞ。

 

 

梅原猛さん、お別れの会 「誰もが認める破格の人」:朝日新聞デジタル (asahi.com)

梅原猛の世界 真実と快楽の両立、信念貫く|好書好日 (asahi.com)

 

まさに其の奇人であり變人であり其の代わりに「人類哲學」を説く「生の哲學者」であると云う部分こそが梅原先生による御仕事としての本質部であったことでせう。

ちなみに所謂「梅原日本學」に関して個人的に其れを細かく読み込み勉強した訳ではありません。

 

自分の場合にはあくまで哲學者としての梅原先生による「近代合理主義批判」の部分にかって共鳴して居たのでありますから。

 

さて文明の問題の核心部とは近代以降文明が自己矛盾しむしろ自らに刃を向けることとなる部分です。

では何故さうなるのかと云う部分こそが所謂哲學的な「問い」としての最大の部分でせう。

 

まさに其のことを明らかにされて行かれたのが梅原先生の御仕事としての全内容だったのでせう。

しかしながら問題は其の問題の範囲がそも大き過ぎ個としての思考の範囲を常に超越して仕舞うことなのでせう。

 

故に本質的に其の問題の解決を観念的に為し得ることが人間に取り不可能なこととなって仕舞う。

まあ其れでも其の文明論に関しては様様な人がすでに色んなことを述べて参りました。

 

其の中では梅原先生の御意見は至極御尤もであり所謂日本の文明また文化として伝え得る最大限での方向性ではなかったかと個人的には思う。

 

 

1418夜 『日本の深層』 梅原猛 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

 

こちらにも其の方向性のことがまさにこと細かに述べられて居ます。

 

1.所謂アニミズムとしての日本人の価値観

2.合理性によるアニミズムの破壊

3.進化は正しいが進歩主義は果たして正しいのか?

 

其の梅原先生が見詰めて居られたのはまず近代的合理性の対極に位置するであらう東洋的なアニミズムとしての世界観です。

但しアニミズムは文明以前での普遍的価値観のことであり太古の昔にはむしろ世界中がさうなって居た訳です。

 

尚自分のハンドルネームの「animist」とは勿論其のアニミズムの信奉者としての面を言葉にて表したものです。

さて其のアニミズム - Wikipediaとは所謂祖霊信仰であり自然崇拝としての側面を多分に持ちます。

 

また思想的には必然的に「前近代」的な価値観としての特徴を持つ訳です。

では何故わたくし自身が其の「animist」となったのかと云えば其処には幾つか理由があるのです。

 

4.自身が共感覚者であり生まれながらに感度が高くあること

5.若き頃より文明のあり方に悩み抜き所謂ポスト・モダンの思想を主に勉強したこと

6.自身が元カブスカウトの組長であり山や森が大好きだったこと

 

つまりは所謂「思いつき」的にさうなったのでは無くむしろ複合的な理由が時系列的に存しまさにさうならざるを得なかったのだと言える。

 

7.但し自分は別に「先祖供養」などはほぼ致しません。

 

 

また「霊」と申しましても別に「霊が此の世を動かして居る」などと考えて居る訳ではまるで御座りません。

逆に自分は自分で言うのも何ですが至極「理性的」な人間でありまた其の理性的な様は現存在の中ではおそらくは突出して居ることでせう。

 

であるからこそ非常に精神的に苦しみつつ生きて來た人間であることはほぼ間違い無い。

などと「恨み節」と申すか「弱音を吐く」と申すかそんなことをむしろ最近は構わずにぶちまけることと致して居ります。

 

嗚呼でもまさしく其のやり方こそがかの太宰流の「泣き縋り」でのやり方でつまりはかの三島 由紀夫先生が此の世で壱番嫌いであった文學的手法です。

 

つまりソコにピーピーと泣く赤子の如き弱きされど純なる魂があれば無論のこと其れは皆に足蹴にされたりはせず逆に抱き上げられ可愛いがって頂けるとさう思うのですが其処は果たしてどうなのでせう?

いやそんなもんはむしろ此の現代社會では即足蹴にされまた其れが大型トラックとかに何度も惹かれもう其の骨さえもが原型をとどめぬものだ。

 

怖い…。

…さう云うアンタこそが怖い。

 

 

さて其の『日本の深層』なる本を自分は読んで居りません。

またさらに言えば梅原先生が御書きになった本を網羅的に読めて居る訳でもありません。

 

但し其の代わりに講演會へ出向き中日新聞での連載記事の方は網羅的にスクラップし読めぬ分は図書館へ通いコピーして來ても居ます。

ー眞の意味での御勉強とは其のやうに手間暇をかけコツコツとやるべきものですー

 

 

『老耄と哲学 思うままに』梅原猛 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)ー其の連載記事を纏めた本ー

 

つまるところわたくしは学校の御勉強以上に其の独学での御勉強の方をむしろ長年に亘り頑張って來、其れでもって何だか良くは分からないが自分の考えを何処までも述べて行けるやうになったのでした。

ですので己が理性を磨き込むこととはまさにさうしたことなのであります。

 

ところで梅原先生流の文明解釈こそがまさに文明の逆方向への開拓の道だったことでせう。

 

結局、

 

8.辺境の開拓

9.縄文文化への遡行

10.アニミズムへの近接

 

とのことだったことでせう。

 

其れこそかの岡本 太郎氏ではないが此処日本が「高度経済成長!」だ「所得倍増!」だとさう浮かれて居る時にこそあえて藝術家や哲學者は逆方向を向きまさにソコだけを掘り下げて行くのである。

 

よってまずは其の「逆方向への視点であり精神の方向性」こそがまさに壱般には持ち得ぬものなのです。

でもそりゃあさうです、何しろみんなはすでに其の種の「全體主義」に洗脳され踊り狂って居るのですから「逆を見よ!」とさう幾ら述べてもそんなもんが見えて來る筈がないのです。

 

きゃああああーこんな便利で快適な文明生活万歳!進歩万歳!

でも縄文文化がどーのかうので…。

 

さても君は頭がオカシイのか?

君などは早う🏥へ行き檻の中にでも入れ!

 

仰せの通りにスッカリ入りました。

さうか、良かった良かった万事はコレで目出度し、だな。

 

ー勿論其れで良い筈は無く事實として文明は今ボロボロとなりつつあるー

ーでも眞理の探究と云うか眞實の追求はむしろ其の位に精神的に辛いことだと云うことをこそ自分は今此処で述べて置きたいー

ー眞理の探究と云うか眞實の追求は所謂「負の領域」へも理性的に踏み込まねばならず其れは普通誰もが為し得ることでは無く壱部の特殊な理性の為の領域のことなのだからしてー

 

「逆向き思考」であり「逆向き志向」とは左様に常に茨の道なのだ。

其の「茨の道」を辿る者のみが「思考の苑」へと死後に再生されやう。

 

とさう思って置きつつ日日観念への道へと是非精進されたし。

 

 

さて以降は「地元としての視点」を交え梅原先生の思想的解釈を是非行ってみたい。

 

11.尾張としての哲學的気質

12.尾張としての精神のアンビバレント性の部分

 

此処尾張にはどうも其の「哲學的気質」に優れる部分が元元ある。

おそらくはまた自分も其の種の思考力を受け継ぐ者としての壱人である。

 

例えば尾張人である哲學者の谷川 哲三氏が父君である谷川 俊太郎氏の詩の作品は常に哲學的なものとなる。

また梅原 猛先生の父君はかってのTOYOTAの技術者であり尾張人である。

 

尾張は概念的にそも複雑でありつまりは単純では無い。ーさうして常に両義的であるー

保守⇔革新

 

どだい其の政治的立場に関しても常に弐極化乃至は弐面化して居る。

 

例えば愛知は物凄く御寺の数などが多く其の面では保守的ながら左翼の方もまた結構強い。ー其れも今は弱い可能性もまたあるのだがー

さうしてとどのつまりは弐面性の部分が或は強くあるのではなからうか。ー其れもまるでかの信長公の如くにー

 

また基本的に豊かな土地ながら實は東京などよりも賃金に於いて低く設定が為されて居る。

さらにかって愛知県人がさうして天下を取って居るのに常に都などとはまるで縁が無い。

 

其れにナゴヤは日本第参位の大都市であるのに「横浜」よりも人口が少ない。

ちなみにアノ五木 寛之先生は今横浜に住んで居られるさうです。ー結局はさうして洋物がお好きなのかもー

 

名古屋の住人に取ってもナゴヤは「大都會」であるのか其れとも「都會風の田舎」であるのかと云う区別が難しくてなかなか出来ない。

特に名古屋東南部をテリトリーとして生きる自分の場合はさうなって仕舞い易い。

 

 

おおまさに其のやうな「アンビバレント」な土地の気質乃至は「場の気質」が尾張人の頭の中へ「逆方向性への親和性」を容易に生み出し其れでもって結局谷川 俊太郎氏や梅原 猛先生の如き傑出した知性を生み出す訳だ。

 

其れにまた僕のやうに傑出した知性を生むんだね…。

 

さても今誰かが何かを申したのか?

いいえ、まさか誰も何も言っては居りません。

 

 

梅原猛の息子と孫たち。京都の自宅。左翼を超えた思想、仏教の授業とは | アスネタ – 芸能ニュースメディア (asuneta.com)

 

こんな部分もまた是非読んで置くと梅原 猛先生の思想的立場を眞の意味で理解することの壱助となることかと思う。

梅原 猛先生は無論のこと其の京都がお好きだったのでせうし其の意味では勿論保守的な方です。

 

ですが其の京都にはむしろ革新的思想の方も根付いて居るかのやうに感ぜられます。

また其のことは京都が長い間日本の都會中の都會であったこととおそらくは無関係では無い筈だ。

 

であればむしろ眞に「アンビバレント」な土地柄とはズバリ「京都」の方なのでせう。

いや関西はむしろ全體が満遍無く其の「アンビバレント性」を有して居るのやもしれません。

 

従ってあくまで自分の場合には梅原 猛先生の思想に於ける所謂「弐項對立」の如きものを形成するのは血としての「尾張の哲學的気質」と場としての「京都の弐面性」が合わさったものではないかとさう考えます。

 

ですのでむしろ其の部分が「精神に於ける逆方向性」を生み出し其れこそ東北の縄文文化だのまたアニミズムだのそんな部分へと向かわせて居るのだと思う。

ちなみに梅原 猛先生は日本の佛教ー所謂大乗佛教各派ーが大好きであり且つ思想的にも其れを支持されて居ます。ー其の面でもまさに保守派です。ー

 

であるが自分の場合にはむしろ大乗佛教各派に對し懐疑的であり従って其の部分を修正するのに實は拾年以上を要して來て居ります。

逆に申せば梅原 猛先生が御釈迦様御本人の佛法を容認されて居ない部分に関しては常に批判的です。

 

其れと大乗佛教其のものを「多神教化」した佛法だとさう述べて居られますが自分の場合はむしろ大乗佛教が「壱神教化」した佛法ではないかとさう捉えて來て居ります。

『森の思想が人類を救う』よりー

 

其れに『森の思想が人類を救う』の中で梅原先生は日本の自然が素晴らしい旨を強調し述べられて居ますが其のことはまさに其の通りのことであるにせよ日本の里山ではむしろ森林破壊が推進され要するにスギ林ー有用林ーばかりにして仕舞って居り所謂原生林はほんの僅かが残るばかりとなって居るのが實状です。

 

 

梅原邸- ジャパンナビ・知多半島ナビ (japannavi.co.jp)

 

さて今回梅原 猛先生に就き検索して居て此のやうな重要な資料の発見がありました。

梅原先生はまさに其のやうに「内海」にて養子として育てられた訳であり其の生まれ育った家とはそんな立派な邸宅だった訳です。

 

まさに其の梅原先生に取っての故郷としての地である海水浴場のある内海町 (愛知県) - Wikipediaが名古屋からは比較的近くにあるところでわたくしなども子供の頃は都合拾度程は此処を訪れ海水浴をした覚えなどがあります。

 

ちなみに其の「内海」のもっと南方に野間大坊 - Wikipediaがありまさに当地が源 頼朝の父である源 義朝が殺されたところです。源義朝 #最期- Wikipedia

尚源 頼朝の母である由良御前はそも尾張人なのです。

 

ー娘の由良御前は源義朝と結婚し、頼朝希義坊門姫一条能保室)らを生んだことで有名である。さらに、養女となった孫娘(実父は範忠)は足利義康と結婚して義兼を生み、後世の足利将軍家にも季範の血統を伝えている[7]。また由良御前が産んだ孫の坊門姫の血筋は鎌倉幕府将軍の藤原頼経頼嗣の他、後嵯峨亀山天皇にも伝わっている。ー藤原季範 - Wikipediaより

 

さて其の血統で辿る「日本史」と云うことを考えるとまさに♀的な意味での人間の血統への興味の部分からは物凄く面白くなる訳です。

所詮人間の歴史は其の「生まれとしての歴史」なのでもまたありつまりはドコから生まれどうして死んだかと云うまさに動物的な面でのところが極めて重要な部分を歴史的に形成して居る。

 

でもって其の梅原先生もまた母方の血の流れとしての「東北」と云うことを考えられて行ったことでせう。

左様に現存在もまた要するに🐒に毛の生えたやうなものなのでもありつまりは其の「血としてのルーツ」の部分が個に於ける思想形成に大きく寄与して居ることなどもまた決して否めぬことです。

 

尚自分の場合もまた何故か「宮澤 賢治」だの「太宰 治」だのと云う東北が生んだ知性であり文學者とは縁が深くあり其処からしてもまさに梅原先生流での所謂「知性としての逆流現象」を何処かでして居る可能性が高くある訳です。

 

要するに「中心」では無く「辺境」にこそ惹かれて行く感度をまた持ち合わせて仕舞って居る。

さうかと言って東北もまた北海道でさえ行ったことは無いのです。

 

其れもまあ現地へは行かない方がかうして想像力が駆使出来て余計に好ましいことなどもまたあるのやもしれません。