ハルマゲドンに於ける佛教者としての望ましき自己のあり方ー永続すること無き夢の場にあえて永続せんが為の価値を築きしムスリムの価値観ー
さて此の記事は10月の初め頃に書いたものですが投稿して居ませんでした。
と言うのも其の「ムスリムとしての価値観」に就き個人的にはあくまで理解が浅いと判断された為です。
但しイスラーム教に於ける価値観が必ずしも現世利益的な教えのものでは無いことを知り其れに就き是非書いてみる気になったものだった。
イスラム教 #現代のイスラム教を巡る諸問題- Wikipedia
其の「ムスリムとしての価値観」の問題とは其れ即ち前近代的な価値観と近代的な価値観との對立構造に還元し得るものと個人的には見て居る。
日本で言えば丁度今自民党の価値観としての前近代的な要素が近代先進國としての進歩的価値観とそぐわぬ為に生ずる矛盾其のものに或いは似た部分があるのではなからうか。
だけれども自分が自由民主党に於ける政治を否定的に見詰めるのはまた其れとは違う意味での非理性的側面がかの政党には色濃く付着して居るからなのだ。
要するに例えば「男尊女卑」にしたいのならばもっと理性的に其れを訴えねばならぬ訳だ。
また「國家」だの「政府」だのを兎に角強化したいのならばまずは國民の方を助けないともはや誰も物理的についていけなくなって仕舞う。
だから僕は自民党をバカ政党だとさう述べて居るのである。
でもって僕は精神的に極めて潔癖なので其のバカは嫌いなんだ。
もう其のバカの根絶こそが我が使命のやうなものでだからいっそのこともうバカは死んで呉れた方が良いのだ。
だがもしもお利口になって呉れたら僕は逆に自由民主党を支持し尚且つ尊敬すらすることだらう。
また👩などもまさにさうだよ。
お利口な👩にこそ僕は尽くすよ。
實際家事でも何でもやらせて頂きます。
なのでもうバカだけは辞めやう。
イスラーム教が正しいかどうかは個人的に今は言えないのだがとりあえず邪教以外は宗教を肯定的に見詰める自分ですのである意味では以下に於いても肯定的に其れを捉えつつ書いております。
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コレを是非視たい、だが、
Amazon.co.jp: 神秘の大宇宙 (吹替版)を観る | Prime Video
此の大宇宙の神秘のことをばまずは研究してみたい。
ですが、其の「アース」はBBCの制作番組でもってどうも眞面目過ぎた。
Amazon.co.jp: グレート・リバー 生命の旅路(吹替版)を観る | Prime Video
其処でむしろこちらを視てみたい。
だがコレもまたBBC制作の番組だった。
うーん、結局は其の「グレート・リヴァー」の方も至って眞面目な番組である。
ところで自然は常にかうして美しい。
其れもまるで💎の如きに美しい熱帯の川の眞實の様である。
人間の社會を論じたりするものは何でも基本的に鬱陶しいものばかりだがかうした自然界の様は視て居るだけでむしろ心が癒される。
但し自然界は自然界でまたある意味では人間界よりも弱肉強食なのでさうした部分を穿り出さぬ限りは其れがまるで💎の如き営為だと云うことに尽きて居る。
さてかうして記憶としての其の茶番としての流れに中に我我ホモ・サピエンスー現存在ーの行状はしかと記録され価値としてはあくまで両極端に分れれし日日をかうして成り立たせて行きます。
さうして全てはまさに諸行非常の理の中で創っては壊しまた壊しては創りを繰り返しつつ何らかの価値に向かい其の歩みを止めることが無い。
但し其の歩み其れ自體の正邪即ち事の善悪はまさに神のみぞまた佛のみぞ知るところでのものであり實は我我現存在自身が判断すべきものなのではまるで無い。
ですが其の多少いかがわしいと思しき大乗各宗派であれまた釈尊御自身の法やさらに禅としての其の目的ひいてはジャイナ教の如くに苦行を主體とする印度系の解脱思想に於いてはあくまで其れは我我現存在自身が最終的には此の世での諸価値を放棄するに至ると云うまさに其の「捨て去る」こと、忘れて仕舞うこと否其処に拘らぬこと、どんな♀にも飛び付かぬことええい、汚らわしいわとさう蹴飛ばすこと、うわあ凄い万年筆だ其れにスーパーカーだとは決して其れに飛び付かぬこと。
おおまさに其れのみを目指し我我は生きて行くべきだとさう彼等は仰る。
他方で本日高校講座世界史をEテレにて視て居ると丁度イスラームの世界観のことをやって居り樂しく其れを視て居りました。
其の彼ムハンマドの教えは当初邪教であったさうですがいつしか其の教えは世界宗教の壱つとしてかうして広まることとなる。
ムハンマド|イスラム教の開祖,アッラー,メッカ,コーラン | Hitopedia
ー彼は贅沢や浪費をせず、質素な暮らしをしました。彼は現世的な暮らしに背を向け、それを捨て去ったのです。彼は現世というものは牢獄であり、楽園などではないと見なしていました。彼がもしそう望めば、欲しいものを何でも手にすることが出来ましたが、それを拒否しました。彼は自身の暮らしを現世的な暮らしでもって交換したりはしなかったのです。彼は現世が単なる回廊であり、永住の場ではないことを知っていました。彼はそれが通過点であり、目的地ではないことを完全に心得ていたのです。彼はその価値を理解していた。それが儚い夢のようなものであるということを。ー預言者ムハンマド - イスラームという宗教 (islamreligion.com)より
其の現世は牢獄か其れとも樂園なのかと其の根本での認識に就きでは以下に述べてみます。
まず多くの宗教では此のやうに現世の諸価値をむしろ牢獄であるとさう捉えます。
ですので其れは此のイスラーム教に於ける基礎認識であるに留まらずキリスト教やさらに印度の解脱宗教にせよほぼ同じことです。
むしろ其れに対置されるものが所謂大衆的認識でせう。
其の大衆的認識には現世利益に対する強いバイアスが生まれながらにかかって仕舞って居ます。
であるからまさに其の状態が認識の曇りのある状態であり要するに眞理に対する無知であり無明としての状態です。
其れでもって例えば「僕は此れ程に何宗を深く學んだのでほぼ菩薩である」などと何か勘違いして居る人人が結構多く居ることかと存ずるがさう云うのはアナタ方自身が宗教に目覚めた訳では無く只伝統的慣習的佛教やキリスト教にさうして壱時的に縁して其処での教義なり何なりを理解したと云うことに過ぎません。
対して例えば交通事故にて小学生の子を亡くしたとか今目の前で愛する🐈や🐕がトラックに轢かれただとかもうそんなもんは見るに耐えぬ状態でもはや内臓とかがぐちゃぐちゃに出て居りますがアナタは然し其れをすぐさま片付けねばなりません。
だからむしろ後者の方が宗教的な意味での實感と云うことです。
つまりは世俗的な生活の苦労と宗教の意味や意義とはまた別のものでまた宗教を部分的に學べば其れでもって現存在が抱え持つ苦悩が其処に解消されると云うものでもまた無い。
むしろ我が實感ではまた其れとはまた別に自立的、自律的な意味での其の大衆的認識や感覚への遮断こそがまずは宗教へと己が心を向けることへの眞の意味での契機たり得ることだ。
では其れは何でか?
現世は牢獄=釈迦、キリスト、ムハンマド、マハーヴィーラに於ける認識⇔現世は樂園=みんなの認識
なのだからなのだ。
つまり、大衆とはさうして只ヒタスラに欲望を貪ろうとする其の心根としての謂いである。
さうして常にみんなでもって欲望を貪ろうとするんですね。
でも聖なる方方はまた其れとは丁度反対の認識にて元元お生まれになって来て居る。
だから僕は其れに近いなどはまさか言ってません。
あくまで僕は下品な其の大衆の壱人でよってすぐに食い物や👩、さらに金や諸の物質に飛び付き其れを何時までもさすったり舐めたりして居るのです。
あああー、さうして兎に角食べたい。
最終的にはさうして地球を全部食いたい。
おおまさに其が下品で且つ無知蒙昧なる凡夫としての素の心根です。
なのですが、かうして今は仕事柄文人でもありよってより正確には其の両者の価値観なり論理の丁度中間辺りを生きる者なのでもまたある。
ですのでおこがましい言い方をあえてしますれば今の僕には其の両方の価値観がしかと見えて居るのです。
但しあくまで僕は其の下賤なる俗人ですので只其の聖なる心の世界の匂いとでも申しますか其の色や形が仄見えるばかりでのことで勿論我自身は聖なる存在などでは無論のこと無い訳だ。
さていずれにせよまずは其の聖と俗とに於ける認識上の違いと云う事がまずは根本対立として今我に感ぜられて居ることです。
ークリスチャンとムスリムは最終戦争のために同盟国となる。ー最後の審判 #イスラム教- Wikipediaより
個人的にはイスラームの世界観には其れこそ男尊女卑的な昔ながらの考え方や断食の行などがあり其処は悪くは無い考え方なのだと思う。
但し全體的には現世利益的な教えである感が逆にし其処はキリスト教や解脱思想などよりはより現實的であらう。
- 時間の進みが速くなる。
- 良い仕事が減る。
- 人々は悲惨になる。
- 殺人が増える。
- 権限は、間違った人に与えられる。
- 誠実さは失われる。
- 知識と無知の廃止。
- 金の山はユーフラテスから封印され、誰もそれから何も取らない。
- 30の偽預言者が到着する。
- 同じ宗教の2つの大きな宗教団体がお互いに戦い、数多くの戦争を引き起こす。
- 地震が活発になる。
- 富の豊富さは、恩赦のような人々を見つけることが困難になるほど大きく増加し、チャリティーを与えるのは難しい。
- 人々がお互いのために競争を創造するとき、彼らはお互いに競争する。
- 誰も墓の横を歩いて、そこにとどまることができないと願っていない。うつ病や自殺が増える。
- イスラム教徒がコンスタンティノープルを占領する。
- 樹木と石は、イスラム教徒がユダヤ人と戦うのを助ける。
- 薬物乱用が広く拡散する。
- 姦淫と違法な性行為は簡単になる。
- 男性に比べて女性の数が増える。
- 人々は建築モスクで競争する
- 良い人はだまされる。
- 恩赦の支払いはすべて負担を感じると悲惨さが増加する。
- 指導者はアッラーの法則に従って支配しない。
- 金持ちだけが配当を得る、貧しい人々は取得しない。
- 興味が増す。
- 天気は極端になる。
- 最悪の人々は人類のリーダーをなる。
- 偏見とエリート主義が増す。
- 月は半分に分割されるが、人類は信じない。
- イスラム教徒は世界の国々に嫌われる。
- シリアは戦争で破壊される。
- エルサレムはイスラム教徒に征服される。
- 無神論は増加する。
- クリスチャンとムスリムは最終戦争のために同盟国となる。
- メッカは攻撃され、 カアバは破壊される。
- コーランは地球から失われる。
- 良い人は死んでしまい、悪い人だけが生きる。
- 宇宙は破壊される。
ー人々は悲惨になる。
権限は、間違った人に与えられる。
誠実さは失われる。
同じ宗教の2つの大きな宗教団体がお互いに戦い、数多くの戦争を引き起こす。
薬物乱用が広く拡散する。
姦淫と違法な性行為は簡単になる。
良い人はだまされる。
金持ちだけが配当を得る、貧しい人々は取得しない。
興味が増す。
天気は極端になる。
イスラム教徒は世界の国々に嫌われる。
無神論は増加する。
良い人は死んでしまい、悪い人だけが生きる。ーー最後の審判 #イスラム教- Wikipediaより
かうして結構現實の様と合って来て居るのが至極不気味な部分ではある。
尚此処からも最終戦争即ちハルマゲドンと云うことはむしろ今其の可能性が高くもなりつつあることだらう。
わたくしの場合はまず其れが起こり得るとすればさうしてむしろクリスチャンとムスリムによりさう為されて行くものではないかとさうも思う。
要するにまずはさうして其れを信じる人間の数の論理にてさうなって行く。
但し理論的には其れは其の理性と獣性乃至は聖なる価値観と俗なる価値観との対立の場となることだらう。
また其れが大脳新皮質 - Wikipediaと大脳旧皮質 - Wikipediaとの根本的対立の場ともまたなることだらう。
つまりは其れが、
理性⇔本能
の対立の場へと還元されやう。
そんな訳で日本の壱佛教徒と致しましてはまさに其処をもないがしろにはせぬ形にて宗教の場乃至は信仰の場を捉えて置かねばならぬものとさう考える。
かうしてすでに話が最大限にデカくなって来て仕舞って居りよって其れは何宗が正しいだの自分はかうして佛法を正しく信仰してるので大丈夫だなどと云う狭い御話なのでは断じて無い。
其れこそ人類滅亡をも視野に入れた上で其の宗教としての御話の方も是非捉えて置くべきなのだ。
だけれども我が邪教の教祖とまた違うところとは、要するに其れは社會規模、文化文明レヴェルでの御話なのであり要するにさう云うのはまた個に於ける生活上の實感とはまた乖離する観念的場であるに過ぎぬと云う部分である。
さうした社會的課題又は社會的状況は確かに個に対し根本的規定を行い苦を増すものではあるにせよ反面精神的には自由度もまた与えられて居るものなのだ。
其れもまた民主的に自由であるだとか逆に共産主義を選び取る自由であるとかそんなことでは無しに其の民主制もまた共産主義も全否定して自分は自分の信ずる思想しか信じて居ませんとさう断ずることの出来る自由のことである。
つまりはむしろ社會、お前などは根本として出来が悪いからオレはもう壱際信じてはやらない、ザマアみやがれ。
てな形での精神の自由のあり方なのでありインテリジェンスとしての闘い方のことなのだ。
大體わたくしは以上のやうな形で此の社會のことなどはほぼ放棄するに至って居る。
だから其れが此の後どうならうが知ったことか。
さうして社會の価値を其れこそ宇宙大の巨大なる肥溜めにブチ込んで仕舞って居るので此の文明がどうならうが知ったことか。
ただ飯だけは食わせてお呉れ。
さらにハイライトもしかと吸わせてお呉れ。
其の代わりに悪い遊びの類は壱際致しませんので。
またさうした観点より述べると世間の多くの人はまずは自分を安全な立場に囲い込みーつまりは自分は正しい行いをやって居るとさう断じー其処から色んなものを眺めて居るがまさしく其れこそが慢心と云うものであらう。
詩人もまたかうして常に慢心の域での言葉を振り撒いてはおるが但し其れはあくまで文學の上での御話なのであり君等の如き低級な趣味的認識ではまさか無いのであり事實として詩人は明日世界が終わっても良いやうに頭の中身をかうしてしかと全部練り上げて置いた。
もしや明日世界は滅ぶのですか?
もしや世の終わりが来るのですか?
いえ其れはあくまでアナタの考え方次第のことです。
たとえ明日世界が滅ぶのだにせよあくまで内面的には其処にむしろ様様な可能性が拓けて居ると云うことだ。
でもクリスチャンとムスリム以外はもはや助からぬのでせう?
まあでも其のクリスチャンにもまた近いことであらう日本の大乗佛教徒もまた地獄へは堕ちなくて済むかもしれません。
では禅宗の信者及び原始佛教徒は皆地獄行きですか?
いやそも其の地獄と云うのは禅宗の信徒及び原始佛教徒以外の宗教の信者に対しての教えなんです。
だから禅宗の信徒及び原始佛教徒は意外と助かると申しますかおそらく其の地獄と天國即ち地獄と極樂以前のところでそも信仰が成立して居るので實は其処には地獄も極樂もまた無い訳だ。
エエッ、そんな人間では無いやうな考え方でもって果たしてさうして人間の恰好でもってして生きて居ても良いのですか?
いやだから禅宗の信徒及び原始佛教徒は何かかう例えば大きな名札でも首から下げ世間の皆様に対し良く分かるやうにして置く方がより良いと言えば良いことだらう。
だったらお前自身がたった今から其れをやれよ。
やりますよ、はい、では此の便箋に「僕は禅宗及び原始佛教の信者です。」とさう今しかと書きました。
勿論其れを書いたのは中華の怪獣万年筆でもってのことだ。
でもって出た腹の辺りに其れをセロテープでもって今留めた。
では其れでもって今から外を歩け。
そんなこっぱずかしいことはまさか出来ますまい。
第壱アナタそんなこと言うともはや言葉の暴力であり傷害罪ですよ!
さうでしたか、其処は如何にも言い過ぎました。
赦して下され、さうしてどうかどうか我に御恵みをつまりは御説法を…。
果たして汝は今何を御所望か?
かうして世界の平和と宗教の繁栄をこそ請い願って居ります。
さうか、其れはまた偉い!
だが汝は地獄行きを免れんが為にもしやさうしては居らぬか?
だって誰しもがさうでせう。
誰しも地獄へは堕ちたく無い。
ウソこけ。
だから其の君の頭の中の地獄と云う概念こそがむしろ地獄の元なのだ。
よって其の地獄と云う観念其れ自體を是非抹消せねばならぬ。
エエッ、ボクの其の地獄から逃げる気持ち其のものにこそ地獄行きとしての其の因があったのか!
良くぞ気付いたな。
其れに気付けばもはや君は地獄へは堕ちぬ心の中身をしかと築けたと云うことだぞ。
其の所謂分別地獄=相対分別ー認識ーにより価値分別の迷いの世界へと堕ちることを避けることこそが禅宗並びに原始佛教に於ける基礎認識である。
エエッ、では此の認識其れ自體が迷いの産物であり全ての間違いの元なので?
まあさうしたことである。
だから感覚にもまた概念にもさらにあらゆる美にもまた執着してはならぬ。
だが其のことはまた人間にとっては無理な話である。
だから壱休禅師などは其の理を分かった上でああして👩に触りまくり揚句の果てにあんなエロ日記のやうなものさえをも書き遺して居る。
なので其れはまた御釈迦様の佛法とも違う形での「風狂の禅」としての法の形であらう。
では貴方ももしや其の「風狂の禅者」なので?
其れもさうして日日なんぞ食ったりモノと戯れることばかりを追及なされて居られるやうですが?
まあ其れにも近いものじゃらう…。
サア、明日は愈愈美術館へと出向くぞよ。
さうして風狂の禅者はあくまでかうして美に触りまくり舐めまくるのよ。
ー彼は贅沢や浪費をせず、質素な暮らしをしました。彼は現世的な暮らしに背を向け、それを捨て去ったのです。彼は現世というものは牢獄であり、楽園などではないと見なしていました。彼がもしそう望めば、欲しいものを何でも手にすることが出来ましたが、それを拒否しました。彼は自身の暮らしを現世的な暮らしでもって交換したりはしなかったのです。彼は現世が単なる回廊であり、永住の場ではないことを知っていました。彼はそれが通過点であり、目的地ではないことを完全に心得ていたのです。彼はその価値を理解していた。それが儚い夢のようなものであるということを。ー預言者ムハンマド - イスラームという宗教 (islamreligion.com)より
つまりは質素で且つ倹約に努める形にて此の現世と関わり合うことこそが宗教者としての勤めである。
また其れは出家者であれ在家であれさうでなければならずさらに宗教の違い、宗派の違いに関わらずさうでなくてはならない。
其の根本のところでの認識を反故にして何教や何宗が正しいだのとさう概念的に捉われて居ること自體が誤りであり反宗教性其のものでもまたある。
さうだ、さうして現世のなべては単なる儚い夢であるに過ぎぬ。
まさに壱時の夢であり幻の如き其れもあらゆる本質を欠く虚としての場其のものだ。
…諸行非常。
まさに其の事はかうしてムハンマドにもまたキリストにもしかと認識されて居りしことだった。
其の永続すること無き夢の場にあえて永続せんが為の価値を築きし宗教的立場こそがまさに其の壱神教による永続的な世界観である。
また其の立場は其の幻想性及び倒錯性に於いて「風狂の禅」としての法の形と何処か似て居らぬでも無いのである。