目覚めよ!

文明批判と心の探求と

かって行われし天才的知性同士の対話ーアインスタイン博士の戦争回避への問いに対しフロイト博士が答えしことー

39.アインスタイン博士の戦争回避への問いに対しフロイト博士が答えしことー

 

 

 

 

さて何でまたかうして戦争となりませうや?

また何でまた地球はかうして温暖化し次第に灼熱の地へと化して行くのでせう?

 

僕は今其の答えを人間の獣性に還元し考えて来て居る。

要するに其れは人間が理性的なものではあり得ぬ故にさうなるのである。

 

故に還元主義的に科学的理性を何処までも使ったにせよ逆に其の獣性が暴れ出すことだらう。

さうして人間は何故常に理性的なものではあり得ぬのか?

 

 

尤も其のことは過去数千年にも及び人間が本質的に抱える大問題でありだからこそ哲學や宗教、さらに藝術がまさに其れを理性的にー其れも文化的にー打ち消そうとして世に問うて来た命題なのだった。

其処にて多くの藝術家は其の人間と云う社會の価値観の餌食となり自決するか又は発狂して行くのだった。

 

其れも哲學者や宗教家は藝術家よりも図太いのか生き残るのだが次第に哲學は社會への影響力を失いさらに宗教は堕落し且つ宗教的に齎される戦争や紛争の種ともまたなって来て居る。

 

 

僕はそんなかって死んだ藝術家への鎮魂歌のやうなものを實は書きたいのだ。

少なくとも類稀なる理性の所持者であったことだらう彼等の其の世界との闘いの様、おお丁度我の如くに世界の不毛と愛の不在に対し闘いを挑みやがて其れに疲れ果て病を得て死んで行く彼等へのひとつの共感力を我は持って居る。

 

其れは誰もが出来ることでは無い。

或は我にしか出来ぬことなのかもしれない。

 

だが基本的に人間嫌いな我は其の藝術への愛はあるにせよ藝術家への愛には欠けて居るのである。

 

むしろかの「もののけ姫」のやうに自然の側からの人間への批判などをしてみれば其れが案外上手く行くのやもしれぬ。

要するにわたくしの心は元元人間界のみには縛り付けられては居ない。

 

つまりはさうして心理的に離れた位置から常に人間界を俯瞰視して居る訳だ。

尚わたくしは「もののけ姫」のテーマソングを昔カラオケにて良く歌って居たものだった。

 

もののけ姫 - YouTube

MDB971 もののけ姫① 米良美一 (1997)160805 vL HD - YouTube

 

 

 

ー「僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。帰るところを失った僕を貫け。突き放された世界の僕を貫け」(『鎮魂歌』より)

原民喜 - Wikipediaより

 

 

さうして詩人が被爆したのは其れは勿論詩人自身のせいでは無い。

あくまで其れは社會のせいだ。

 

何故なら個が原爆を此の世に生み出したのでは無い。

社會の欲得が其れを常に成立させて居る。

 

かうして詩人原 民喜の生は過酷なものであった。

だが藝術家にのみ生が過酷なものと化し襲いかかるのでは無い。

 

事實今露西亜ウクライナの國民の生は過酷なものとなりつつある。

また壱見平和さうに見える我が國は逆に自然災害への危機、特に大地震へのリスクを大きく抱え込んで居ることだらう。

 

 

にも関わらずみんなは此の文明の御遊戯を決して止めやうとはせぬ。

何故なら社會が常にさう洗脳するからなのだ。

 

其の洗脳を解かぬ限りはさうして詩人のやうに自決するか又はニーチェゴッホの如くに発狂して行くより他は無い。

でも僕は此のところもう壱つのやり方を皆様に対し訴えて来て居た筈だ。

 

まさに其れが「逃げ」である。

逃げて逃げて逃げまくり逆に自決や発狂を避けよとさう鼓舞して置いた筈だ。

 

尚わたくしがまさに文豪連中から學んだこととはまさに其の「逃げ」である。

其れも究極的には「人間其れ自體」から逃げ切れれば最終的には佛陀となれる、即ち成佛する。

 

 

つまりはさうして逃げ切れる範囲で逃げて置く方がより平和である。

別に地位や名誉や金や女や子孫には縁が無くともさうして理性的な意味で至極平和である。

 

むしろ地位や名誉や金や女や子孫を欲する気持ちが最終的には価値観の対立を生み出し争いを引き起こす訳だ。

其の社會的対立を遮断する最右翼の方法こそがそんな社會的価値を次第に放棄して行くことだ。

 

つまりは其れが社會からの「逃げ」である。

其処からは逃げてむしろ自分の抱える問題に専念し其れをひとつづつ解決して行くべきだ。

 

さう云うのは自己本位ではあれ利己主義では無いのである。

 

 

ーさて、数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。しかし、その真撃な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。とすれば、こう考えざるを得ません。

人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。

そうした悪しき力のなかには、誰もが知っているものもあります。

第一に、権力欲。いつの時代でも、国家の指導的な地位にいる者たちは、自分たちの権限が制限されることに強く反対します。ーなぜロシアは戦争を始めたのか? 「アインシュタインの手紙」が示唆するもの(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(1/2) (ismedia.jp)より

 

其のアインスタイン博士もまた廿世紀を代表する知性ですのでかうして社會的に齎される大問題に対し特に晩年はむしろかかり切りになられて居たさうです。

事實若い頃の博士は野心家でもありまさに嫌らしいやうな目付きをされていたものですが其れが晩年になるとまるで宗教家の如くに穏やかな目の持ち主となって行かれます。

 

権力欲と其の権力に群がり利権を得やうとする世間の働きはおそらくは弥生時代から変わらぬ人間の本性なのだらう。

問題は其の種の人間とはならずにむしろそんな汚れた世を厭い捨てたりまた闘いに負け自決したり発狂するかして居ればむしろ己としての「心の平和」は達成され社會の価値観に踊らされいつの間にか悪人となって行かずとも良いと云うことです。

 

ですから其の種の社會的な罪を犯す前に是非ソチラの世界へ逃げませうと云う御話をして居ります。

藝術や宗教、また文學、哲學などの人文學は其の逃げのうち方を人間に教えて呉れるものなのだと思う。

 

 

ー破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。

これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。この問題が重要なのです。人間の衝動に精通している専門家の手を借り、問題を解き明かさねばならないのです。なぜロシアは戦争を始めたのか? 「アインシュタインの手紙」が示唆するもの(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(1/2) (ismedia.jp)より

 

そも人間は弐元分裂的に物事を認識するので基本的に聖なる理性的建設=神佛の世界とケモノとしての破壊衝動を同時に持って居ざるを得ない。

哲學にせよまた宗教にせよ其の理性的建設を目指したものであり謂わば獣性を社會的にやっつけて行かうと云うものだ。

 

其の多くの人人が破壊的な衝動にたやすく身を委ねて仕舞うこととは大衆は常に全体主義に逆らえないと云うことを指し示す事實です。

他方で先に述べた如くに精神の貴族達は世を否定するか世を去るかまた精神病院へ入るかと云う其の参種のやり方に於いて選択を行う訳で其れも我の場合は今のところ概ね世の価値観を否定的に見詰めて居ます。

 

問題は其の精神の貴族でも無い限り人間は「自らが社會に洗脳されて居る」と云う感覚を持ち得ぬものなのだ。

其の破壊衝動をあえて社會の側が顕在化するのが戦争や紛争、また宇宙開発などのことであり其れに突き動かされて居るやうではほぼアナタ方は洗脳され悪行の片棒を担がされて居ませう。

 

だからほんたうに理性的な人は其の種の社會的な価値に対しむしろとても慎重であり熱狂だの宣揚だのさうした社會的価値を醒めた目にて眺めまずは否定して置くものだ。

 

ー人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?

この点についてご注意申し上げておきたいことがあります。私は何も、いわゆる「教養のない人」の心を導けばそれでよいと主張しているのではありません。私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。

「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。なぜロシアは戦争を始めたのか? 「アインシュタインの手紙」が示唆するもの(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(1/2) (ismedia.jp)より

 

創造⇔破壊

愛⇔憎悪

知恵⇔知識

 

アインスタイン博士は知識の不毛のやうなことをかうして屡述べて居られたやうだ。


むしろ「知識人」こそ、大衆化し易いのだともまた言える。

ですが屈折した知性はむしろ知恵にも繋がる訳だ。

 

今僕は共に自決の道を選んだ太宰と芥川は其の知恵を持って死んだのだとさう思う。

逆にどんなに知識があっても破壊者ーマッドなサイエンティスト共ーは所詮は破壊者であり最終的に其の行いは倫理や宗教的な価値に完全に背くものとなることだらう。

 


マッドなサイエンティストはさうして科学浪漫に浸り切って仕舞って居て言わば現實がまるで見えて居ない。

其の空想的科学世界をさうして何処までも生きて最後は火星への移住を夢見つつ地球上で死ぬのだが其の死は科学浪漫もクソも無いタダの死であるより他は無い。

 

ーあなたがいろいろな著作のなかで、この焦眉の問題に対してさまざまな答え(直接的な答えや間接的な答え)を呈示なさっているのは、十分知っております。しかしながら、あなたの最新の知見に照らして、世界の平和という問題に、あらためて集中的に取り組んでいただければ、これほど有り難いことはありません。あなたの言葉がきっかけになり、新しい実り豊かな行動が起こるに違いないのですから。ー

心からの友愛の念を込めて

アルバート・アインシュタインなぜロシアは戦争を始めたのか? 「アインシュタインの手紙」が示唆するもの(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(1/2) (ismedia.jp)より

 

アインスタイン博士が眞の意味で偉大だったのは所謂相対性理論の発見だけに留まらずかうして「人間の社會」=文明に対し危惧を抱き常に其の問題に対し知性としての答えを出さうと努力されて居たことでした。

 

 

ー心(人間の衝動)を生涯問い続けたフロイトの答えは決して楽観的なものではありません。

人間の心にある2つの傾向、「エロス的欲動」と「死の欲動」を見据えてフロイトはこう答えます。
──破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします。エロス的欲動が「生への欲動」をあらわすのなら、破壊欲動は「死の欲動」と呼ぶことができます。「死の欲動」が外の対象に向けられると、「破壊欲動」になるのです。──

この2つの欲動は決して「善」と「悪」というようなものではありません。「どちらの欲動も人間にはなくてはならないもの」なのですから。
──どちらの欲動にしても、ある程度はもう一方の欲動と結びついている(混ぜ合わされている)ものなのです。一方の欲動の矛先がもう一方の欲動によって、ある程度変わってしまうこともあります。それどころか、一方の欲動が満たされるには、もう一方の欲動が必要不可欠な時すらあるのです。──

破壊欲動とエロス的欲動が結びつくことがあるのです。
──理想への欲動やエロス的なものへの欲動が結びつけば、当然破壊欲動を満たしやすくなります。(略)理想や理念を求めるという動機が意識の全面に出ているのは間違いないが、破壊欲動が無意識のレベルに依存し、それが理念的な動機を後押ししているのだ。──

フロイトはひとまずこう結論づけます。
「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」ー【往復書簡】アインシュタインの悩みにフロイトが答えた「エロス」とは?|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)より

 

其のアインスタイン博士の根源的な人間への問いに答えたのが老フロイト博士でした。

人間の心理の大家であるフロイトは、まさにプラスの側面とマイナスの側面が根源的に人間心理の中に潜むことを見抜いて居りまずは基本的に人間社會が戦争を放逐し得ぬものであることをかうして理論的に述べられた。

 

理想⇔現在

生産欲⇔破壊欲

創造⇔破壊

 

と云うやうなものでプラスの側面とマイナスの側面は常に相剋し且つ相即する関係性の上に成り立って居る。

逆に申せば「前向き」であること即ちやる気があることとは其の裏側に破壊衝動=攻撃的性質を隠し持って居ることとなる。

 

よってほんたうの知性=全き理性は其の双方を放棄して行きます。=お釈迦様の智慧

ですが其れが出来ぬ凡人を救おうとなされたのがイエス様で其の弐元的価値対立を神の次元へと止揚して行く訳だ。

 

さて其の攻撃的衝動こそが「ケモノ」の所業です。

だから理性は理想もエロも捨てて其処でどうしたら己の中のケモノをやっつけられるのかと云うことだけを考える。

 

勿論宗教は其の壱つの回答であり得る。

ですが宗教は戦争や紛争と云った破壊活動を止めさせることが出来ない。

むしろ宗教の違いが基となり紛争が起こったりもまたするものです。

 

 

──私たちが戦争に憤りを覚えるのはなぜか。私の考えるところでは、心と体が反対せざるを得ないからです。私たち平和主義者は体と心の奥底から戦争への憤りを覚えるのです──

この戦争に反対し憤りを感じる「心と体」は「文化」がもたらせたものです。このフロイトの論述には激しい思いが込められています。
──心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方──これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。だからこそ、私たちは戦争に憤りを覚え、戦争に我慢がならないのではないでしょうか。──

戦争への拒絶は、「単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否」ではありません。「体と心の奥底」からわき上がってくる人間の文化的存在そのものから発するものなのだとフロイトは結論づけています。ですからフロイトはこう未来へ望みを託します。
──文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!──ー【往復書簡】アインシュタインの悩みにフロイトが答えた「エロス」とは?|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)より

 

 

確かにさうして理性とは欲動をコントロールし其れを内向きに向かわせることでせう。

さすれば自己本位ともまたなるが平和主義へと必然的に至ることだらう。

 

例えば文豪連中はああして其の攻撃本能を自分に向けて自決して行ったが故に其の作品はむしろ永遠に平和です。

 

また詩人原 民喜はああして死んだがどう考えても其の死後に遺された作品は平和主義です。

 

其のー「体と心の奥底」からわき上がってくる人間の文化的存在そのものから発するー破壊への拒絶こそが文化の意味であり存在意義だ。

故に我もまた其の社會的に齎される破壊を食い止めるものとは個としての文化的實存的認識に他ならないとさう捉える。

 

 

──金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄るグループです。(略)彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。──


社会的な不平等を一顧だにすることなく猛進する(権力)行動こそが反文化的であり、戦争という破壊欲動を野放しにするものなのです。では、私たちは本当に「文化」の中に生き、その発展(非戦)を願っているのでしょうか……。【往復書簡】アインシュタインの悩みにフロイトが答えた「エロス」とは?|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)より

 

其の利益の追求だの所有だのと云う概念其れ自體がある意味では所謂盗みであり収奪です。

資本主義社會とはさうした悪行をあえて行って行くが為の経済體制です。

 

さて問題は戦争とはケモノであり理性とは平和であると云うことなのだ。

其れも本物の理性のみが其の平和を實現するのである。

 

尤も眞の意味での平和とは発展だの進歩だの結婚だの知識欲だのそんなものとはもはや決別した心に於いて咲くまさに枯れない御🌸のやうなものだ。

少なくとも欲得に目が眩み正のヒエラルキーに雁字搦めとされたそんな社會構造に於いて其れが成就されるとはまさか思えない。

 

故に此処でもってフロイト博士が述べられて居ることは基本的に正しいことだらう。

即ちプーチン氏やゼレンスキー氏には其の理性の力=文化力=教養の力こそが欠けて居るのです。

 

 

 

「人はなぜ戦争をするのか」アインシュタインとフロイトが話し合った「壮大な問題」(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (ismedia.jp)

 

 

ー人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?

ー『ひとはなぜ戦争をするのか』より

 

ー権利(法)と暴力、いまの人たちなら、この二つは正反対のもの、対立するものと見なすのではないでしょうか。けれども、権利と暴力は密接に結びついているのです。権利(法)からはすぐに暴力が出てきて、暴力からはすぐに権利(法)が出てくるのです。

ー『ひとはなぜ戦争をするのか』より

 

 

ー人類の歴史を見れば、人間にとって暴力がどれほど根源的なものであるかがわかる。こうしてフロイトは、人間の攻撃性を完全に取り除くことはできそうもないという結論を出す。それなら、どうすれば戦争を避けることができるのだろうか。

そこで彼が取り上げるのが、精神分析の欲動理論だ。

人間の欲動には2種類あるという。1つは、保持し統一しようとする欲動。もう1つは、破壊し殺害しようとする欲動だ。「人間がすぐに戦火を交えてしまうのが破壊欲動のなせる業(わざ)だとしたら、その反対の欲動、つまりエロスを呼び覚ませばよい」というのだ。「戦争を避けるにはどうすればよいのか」アインシュタインに対するフロイトの答え(講談社学術文庫) | 現代ビジネス | 講談社(3/3) (ismedia.jp)より

 

しかしながらエロスとは言っても本能丸出しでもって此の世界が纏まって行くものとは考えにくい。

故に反知性と感情優位でもって體制を形作るのではあくまで無くあくまで知性的に且つ文化的に欲動其のものを抑えることが闘争世界ーケモノの論理ーの暴発を食い止めんが為の唯一の指標となる筈なのだ。

 

尚暴力即ち権力とは所謂「愛」の側面に支えられたものなのでもまたある。

 


ー『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?ータモリさんの「戦争が無くならない理由」が衝撃的だった | SOLO MARKETING BLOG (factdeal.co.jp)より


尚其の、

愛⇔平和

とは対立概念でありむしろイコールにならぬ訳だ。

其の愛がアガペーの段階にまで高められぬ限り其れはさうならざるを得ない。

 

逆に愛が無くば平和は訪れ、愛があれば本質的には世界が平和では無くなる訳だ。

また愛國心ー防衛ーがあるから戦争が引き起こされ対してアナキストならば愛國心も無いから案外平和である。

 

と云うことは所謂👪主義には概念的、哲學的に限界がすぐに生じる。

でも其の👪への愛を完遂させる為にはみんなは喜んで戦う筈ではないか。

また愛する國を守るが為にみんなは喜んで戦う筈ではないか。

 

だがさう云うのは哲學では無くむしろ本能の所業なのだ。

理性的にはあくまで「愛」の側面にて全ての価値を包んではならない。

 

 

されどイエス・キリストの説く神の愛の次元はまた其れとは別次元のものである。

尚佛教が其の👪愛を所謂渇愛の範疇に入れ例えば出家者には基本的に認めて居ないのは其れはそんな道理より語られて居ることである。

 

世間の人人は概ね其の本能的な価値構築を為し或は社會の価値観から大きく洗脳を受けて居る可能性が高くある。

わたくしが述べて居るのはむしろ其の本能による価値観の理性的解体であり且つ自らに刷り込まれた社會的価値観の理性的解体である。

 

でもって其れが成れば無論のこと心の中の平和はある程度達成されやう。

何故ならもはや本能ともまた社會とも関係無い自分としての価値をこそ生きて居るからなのだ。

 

されどリンクのところにもあるやうに自己として構築した世界はまた守るべきものが多くもなる訳だ。

つまりは其処に自分の城ー価値観ーを堅固に築いて仕舞うので其れを守る為に孤軍奮闘しなければならぬ訳だ。

 

だが概ね其れは自己にとっては安全を齎し平和主義なのである。

其の代わりに傍から見れば少少冷たく身勝手でつまらぬ人間にも見えるのであるが。

ー僧が解脱へと近づく場合むしろ人間では無くなって行くのだからおそらくはつまらぬ人間にも見えることだらうがまさにさうしたことなのだらう

 

つまりは人間にとってのつまらぬ価値を目指すことこそが戦争から離れて行く壱番の方法であり逆に大事だと思う👪や國の為に戦う価値論理こそがむしろ此の世の諍いを増幅させて行くのである。