目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

暴走する文明を止めるブレーキとしての身體性、感覚性ー養老 孟司先生の感覚的ブレーキ説に寄せてー

38.暴走する文明を止めるブレーキとしての身體性、感覚性ー養老 孟司先生の感覚的ブレーキ説に寄せてー

 

 

 

ー都市に住む私は、ほとんど誰かの「脳で考えた」「意味を持った」人工物に浸りきった日々を送っています。それが快適なので、わざわざ海や山に行こうと思わない。ただ、「このままでいいのかな」という気持ちはなんとなくありました。その違和感が、養老さんによって言語化されたような気持ちになりました。

養老さんの定義では私自身も自然物のはずですが、どんどん自分自身が都市化され、自分の中から「意味のないもの」がなくなりつつある気がする。つまり、「自分の中での自然破壊」が起こっている......そのことに対する違和感なのだとわかったのです。

このとき、違和感が危機感に変わりました。自然破壊を、初めて自分ごととして感じられた気がしました。それは、自分もまた「自然」の一部であること、そしてそれを失いつつあることに気づいたからなのだと思います。ー「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

其の人工物だらけの生活を然しクソ田舎の人人は屡憧れて居たりもまたする訳です。

僕自身もかうまで其の人工物だらけの生活がイヤになったのは四拾歳位のことで其れ迄はずっと都會生活の方が偉いとさう洗脳されて居たものでした。

實は其れが完全なる洗脳なのですが情けないことに其の洗脳されて居る当の本人には其れが洗脳であるなどと云うことはまず分からぬ訳だ。

 

其の人間の内外に於ける「自然の破壊」こそが近現代社會が行う犯罪行為其のものでせう。

ズバリ申せば其こそが大罪であり要するに地獄へ堕ちてもまるで仕方が無い程の悪行でせう。

 

文明世界は何故さうして現に今罪を犯しつつあるのか?

其れはおそらくそも間違って居るのです、其れも価値構築、価値認識上の誤謬が其れを仕出かして居る可能性がまた高くある訳だ。

 

 

ーひとつは、全体的な自然離れだと思います。それは一次産業従事者の数を統計で見たらよくわかりますよ。1950年段階では半分くらいいたのに、どんどん減って今ひとけた台でしょう。非常に強い情報化社会になっていったんですね。「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

人間は何でさうして自然から離れなければならないのだらうか?

其れは自然其のものが大きく金を生み出すことが無いシステムだからでせう。

 

誰しも生まれ育った緑豊かな土地や可愛い動植物が沢山居る故郷のお山や海をあえて捨てたりはしない筈です。

ところが人間の生活には最低でも月に廿萬程の金が必要です。

 

現實的には其の生活としての抽象的価値の獲得の為に人間は自然から離れて行かざるを得ません。

 

が、其れこそ其れを批判的に見詰める畑 正憲氏や倉本 聰氏やまた養老先生のやうな文人の方方はかうして外側から現代社會を見詰めあれこれ言って居れば其れで良い訳だ。

なんですがそんな文人様でも無くしかもゲージツには縁が無いわ、また宗教だの哲學だのは面倒臭いし兎に角厄介だから近づかぬやうにして置かう。

 

などとも思う其の良い子ー頭の出来の悪い子ーのみんな、所謂良識ある現代人は其の廿萬の給料の為にココロを鬼と化し會社の為、また社會の為と思い歯を食いしばりつつ都會で頑張って来た。

なんだけれども其れって實はタダ社會の行う悪行の手先となり地球を壊し続けて来ただけのことだった。

 

つまりは其れが所謂「近代全体主義」と云うみんなでもって徹底的に地球を破壊する為の御遊戯なのであった。

 

 

ー日本中のトイレがすっかり水洗になったでしょう。赤痢が多かったとか衛生的な理由が大きいんでしょうが、理由っていうのは基本的に後付けですから。最初は感覚でしょうね。僕、何かで読んだことがありますよ。「臭いがどうしても耐えられない」っていう文章。まあ、身体性ですよね。「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

其の昔のとても汚くてしかも物凄く臭い汲み取り便所のことをかってわたくしも何度か此処にて語って居ります。

其れが臭いばかりか文字通りに其処に蛆が涌くのですよ。

 

また薪で焚いた風呂へも我は中学生の頃まで入って居ました。

其れは其れは風流な風呂で其の風呂の窓から我が家の門の横にある松の木が見える。

 

つまりは銭湯の絵さながらに情緒的な世界が当時は都會でもさうして展開されて居たのである。

また家から出たゴミは道路に出したドラム缶型焼却炉でもって全部燃やして居りましたものです。

 

さうした光景が全て合理化されるに及びよって身の回りの世界は清潔で整頓されたものとなったがいざ其の頃を知って居る身としましてはむしろ其れ等が無性に懐かしい訳だ。

左様に合理化は情緒的な価値又は感性的に訴えて来る価値を次第次第に消し去って行くものだ。

 

 

ーその始まりは、服ですね。社会が脳化されていない自然状態で過ごす人は、服を着ないんですよ。自分の身体と自然を同じものと見なしているから。でもそこから独立したとたんに服を着るんですね。服の中は自然だから、それを出すのは野蛮なんです。

たとえば戦前は、裸で労働する人がたくさんいました。危険だとか怪我をするからとかいろんな理由をつけて、戦後それをやめさせたんですね。でも、夏の暑いときに服を着ているほうがよほど危険でしょう。要するにこれもあとづけ、裸は見たくないってことなんです。身体性が抑圧されているんですね。「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

個人的には其の服に拘る人の気が知れないのである。

我は至って服装には無頓着で例えば今着て居るのは廿代の頃に買った黑い皮のハーフコートですでに其れが剝げ剝げでありボロボロである。ー本日は何故か寒いので着て居るー

 

其の服とは結局體裁を整えると云うことであり謂わば人の目を気にすると云うことだ。

だが人の目なんぞどうでも良いと思って居る人に限り服装なんぞはもうどうでも良いこととなるのである。

ー昔の哲學者は何となくむさ苦しいなりをして居たやうに思われる。特にショーペンハウアーなどは人の目なんぞどうでも良いと思って居た筈である。ー

 

さうして裸は本能だから特に都會ではモロダシにしてはならぬ。

また👩の體は概ね本能だから特に都會ではモロダシにしてはならぬ。

 

其れは壱応分かる。

人間は理性を生きる動物であり其処で本能を生きては其れでは尻の赤い🐵とまるで同じこととなって仕舞う。

 

だが其の黑い皮のハーフコートの下は常にモロダシだぞ。

其のやうに常に人間は理性其のものを生きることなどは出来ぬものだ。

 

 

ーそう。要するに、頭の中で暮らすようになったんですね。すると、意識は身体が気に入らないんですよ。自分のほうがえらいと思っているのに、必ず身体に復讐されるから。

だって、朝目が覚めるのもひとりでに覚めるのであって、意識的に覚めてるわけじゃないでしょう。意識的に覚めようとすると、目覚まし時計をかけないといけない。意識は自分が出てくることも引っ込むこともコントロールできないのに、起きてる間はコントロールしていると思っている、そこがそもそも間違いなんです。

たとえばコップで水を飲むときも、意識は飲みたいから飲んだと思っている。でも脳を測定すると、手のほうがコップへ向かって先に動き出して、0.5秒くらい経ってから「水が飲みたい」という意識が発生しているんです。だからさっき「理屈はあと追い」と言いましたが、根本的にそうなんですよ。でも意識が動かしていると思ったほうが有効に動けるので、誤解しているだけで。それが文明化であり進歩だと言っているんですね。「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

其の進歩と云うことはそも何なのか?

勿論理窟の上では「緒矛盾の止揚過程」なのだらうが我は近頃進歩が我我をして善なる方向へ導くのでは無くして逆に悪の道へと導いて来て居るのではないかとさう思えてならぬのだ。

 

つまりはあくまで其れは倫理的には悪の航路を歩む👿ー又は悪夢ーの所業なのであらう。

なんだけれども其処では頗る人間に取り快適な生を営むことが可能となる。

 

だから例えば山奥のポツンと壱軒家などに生まれし人は自然には恵まれて居るにせよ金が無くしかも不便な其の壱軒家を捨て都會へ出て来たくもなる訳だ。

 

だがな、其の都會はな、其れも東京や大阪や名古屋はな、其れこそ生易しいところでは無いぞよ。

其れはな、基本的に人間の肉體が健全に生きられるやうなところには非ず、だ。

 

都會とはさうして諸価値を合理化することで人間の内外の自然を壊すと云う👿の所業を實行に移す場のことである。

 

 

ー僕は「対人対物」と言っているんですが、どっちにもほどほど時間をかけるのがいいと思う。人と人との関係では絶対にうまくいかない部分が出てくるから、対人だけだと不幸になるんですよ。だから逃げ場がないといけない。たとえばいじめなんか、僕の子どもの頃にもあったけれど、山や川や海など人がいない逃げ場がありましたからね。でも、今は世界が半分になっちゃった。人間の世界だけになったから、いじめが厳しいんです。「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

養老先生は時折こんな風に「物に向き合うこと」の良さを述べて居られる。

其の物とは人間以外のもののことであらう。

 

人間だけの絆だけだと確かに世界がさうして半分位に狭まって仕舞う訳だ。

其の世界を半分に狭めて仕舞ったのが人為による世界の合理的改変である。

 

 

ーうん。その人が現実をどう捉えているかは、自分がどういうことに時間をとっているかに影響されると思いますよ。脳が浸っている時間が長いものほど現実化するんです。だから、テレビばかり観ている人はテレビが現実になるし、お金ばかり扱っている人はお金が現実になる。そのことばかり考えていると、現実もそうなるんですね。現実が、自分の脳みその大きさまで縮小してしまうんです。ー「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

さうして人間の認識は其の多くが社會的に齎される洗脳によるものだ。

TVもお金もまた其の社會的洗脳に近いものだらう。

 

ネットの場合ソーシャル・メディアの場合は明らかに社會的洗脳で、対して我の如きに検索と作文にのみ利用するのは自己催眠的洗脳の態であり其の外部からの洗脳とはまた違う。

人間の認識は其の外部との関係性の質により其処に大きく幅が生じて来る。

 

 

ーそうですね。情報処理ばかりするのではなく、五感で自然を感じて、情報化するところへ戻ってほしいですね。ー「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

其の五感でもって自然を感じ情報化するのはあくまで己である。

己と云うのは周りから洗脳されては居ない、また身體性をも含む理性としての己自身である。

 

だから其れはあくまで本能では無い。

さうして情報化するのはあくまで己が理性でありまさか🐵や🐻や🐕や🐈がそんなことをする筈が無いではないか。

 

 

ー私もそう思っています。みんなが変わらないことには、世界は変わらないですから。自分ひとりが何したところで全体に関係ないと思いがちだけど、一人ひとりがちゃんと感覚としてわかっていて、自動的にブレーキがかかるようになってないといけないですね。ー「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届けるより

 

わたくしに言わせれば世間の尺度ー文明の価値観ーに合わせて生きて居るやうでは其の身體性としての内なる自然は回復出来ないです。

世間の尺度ー文明の価値観ーはまるで自分の価値観とは別物だとする位に自己としての価値観を築き上げて置かぬと洗脳を解くのは逆に危険でせう。

 

さて其の「ブレーキ」の話ですがとても分かり易い例えなのだと思う。

ズバリ言って文明は其の「ブレーキ」の無い難破船のやうなものでせう。

 

或は今まさにダッチロールして居るジャンボジェット機です。

文明はさうして今要するに自分でもって自分を止められない訳だ。

 

 

其れ、實は故障であり事故でありとんでも無い暴走状態のことだ。

なんですが例え識者の方方でもソコまで言う人はまず居られない。

 

何故なら「文明は偉大」だと人間は誰しもさう思いたいからだ。

でもほんたうの姿は、其のほんたうのなりはうわあーもうダメだぞ!

 

うわっ危ない、其れも何処へ行ってる、おいソッチには今まさに靑信号で渡って居る小学生が居るぞ!

馬鹿者!其れを轢き殺す御積もりか!

 

 

ドドーン…。

○月✖日、交差点にて信号無視の🚙が突っ込み弥富小学校の児童弐名が跳ね飛ばされうち女子児童壱名が死亡しました。

 

 

つまるところ其の文明の奉ずる妄想的意識ー妄想的価値認識ーをまずは断じて行かねばなりません。

まさに其れは個にしか出来ぬ大事業のことです。

 

即ち其の暴走する🚢又は✈又は🚙のブレーキとなり得るものが皆様方独り独りの認識力にこそかかって居る訳だ。