目覚めよ!

文明批判と心の探求と

第弐次世界大戦中のアインスタイン博士のスピーチより學ぶこと

37.第弐次世界大戦中のアインスタイン博士のスピーチより學ぶこと

 

 

 

 

さうして社會のことは常に個に取り分からない。

何故なら個は常に狭い認識の範囲で生きて御座る。

 

其れも大抵はまるでケモノの如くに本能的な認識をなしつつ今を生きて居る。

だから食欲物欲性欲観念欲ともう本能モロダシの態にて生きて御座る。

 

だが文人ともなれば、またひとかどの科学者ともなればおそらくは其の本能モロダシの態を恥じる筈なのだ。

つまりは其の本能モロダシの態を恥じる心の持ち主こそが文人であり科学者なのだ。

 

おっと其ればかりでは無く宗教家であり藝術家なのでもまたあらう。

でも大衆はソコまでの疑念乃至は心の深さを持って居ない。

 

おお彼はさうして彼女はそんな心をまるで持ち合わせては居らぬ。

さうか可哀想だな。

でも「苦悩」するよりはまだしもマシと云うものだな。

 

 

嗚呼、我は何故こんなに毎日苦しまねばならぬのか?

でも其の「苦悩」其のものに慣れたことでせう?

 

はい、仰る通りに確かに慣れております。

いやむしろ其の「苦悩の生」其のものを樂しんで来ても居る。

 

ああー、其れもとっても樂しい。

 

さうか、かうして悩んで居ること自體が我に取り愉しい、つまりは其れこそが天國だったのだ。

 

 

うわあー、樂しい。

もう愉し過ぎてスキップをして仕舞いさうな位だな。

 

たまたま今日はまた御日柄も良くつまりは太陽が壱杯の日だ。

ならば早速にでも表へ出て其処でスキップでもして来い!

 

いや、イザさう強制されると其れには決して従わないのがわたくしの性格です。

さて昨夜は「映像の世紀」の方でかのアインスタイン博士を中心とする廿世紀の科学者の苦悩を描く番組を視て其処から感銘を受けました。「アインシュタイン 科学者たちの罪と勇気」 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

 

 

此の種の番組を視れば「科学とは何か」と云うことが壱般の方方にも伝わることかと思う。

科学とは左様にむしろ其の「合理性」により社會的な存在としての人間に対するリスクを飛躍的に高めて行く装置のことだ。

 

さて我は其の科学の申し子、科学の殿堂としての技術開発研究所に拾参年に亘りかって勤めて居ました。

とは言え我は科学者でも何でも無く其処では只下っ端での管理業務をして居たばかりでのことでした。

 

が、其れでも壱般の方方よりはより身近に科学技術の力を其処に感じて居たこともまた確かなことです。

 

研究所には図書館までもがあり、其の図書館で屡わたくしは植物図鑑や鉱物図鑑などを読み込んで居たものでした。

其ればかりでは無く「無限大」と云う科学の専門誌まで時折読んで居たものだった。ー日本IBMの広報誌ー

 

日本IBMの広報誌「無限大」が「mugendai」としてデジタル化リニューアル:塞翁が厩火事:オルタナティブ・ブログ (itmedia.co.jp)

Mugendai(無限大) Archives | THINK Blog Japan (ibm.com)

 

 

尚我は今でも研究所だのまた図書館だのさうした如何にも静かでもって御勉強がし易い環境に我が身を置くことを常に望んで居ります。

世間の皆様のやうにそんなケモノの如くに本能モロダシの態で生きることなどことわたくしにはとても無理なことですので…。

 

但し我が勉強とは数式やら科学反応式を弄ることでは無く文學的に今を捉え且つ哲學的にトコトン過去と未来を考えることだ。

だから科学とはまた別物です。

 

科学的な分析思考では無くしてむしろ統合的思考を主になして来て居ります。

かく言う我は今概ね現代の文明世界に対し批判的で且つ否定的なことを述べて居る訳ですが實は其処でもってやり過ぎない科学の力を否定して居るのでは無い。

 

即ち科学が問題なのは常にやり過ぎであることでやり過ぎと云うことは其れ即ち加減が出来ないと云うことだ。

何で加減が出来ぬのかと言えば其れこそ植物図鑑や鉱物図鑑を眺めて喜ぶやうなそんな純粋な心を失って行くからなのだ。

 

逆に純粋に成果を求めて仕舞うので往々にして常にやり過ぎとなる訳だ。

 

 

「科学は人間の生活を豊かにし且つ人間を幸福にする」

 

此のスローガンこそが廿世紀に於ける文明の根本的な命題だった。

 

確かに科学は我我の生活をより豊かに彩って行く。

でもどうでせう?

 

皆様ももうお気付きのことかとは思うのだが、其処でもってどう考えてももう此れ以上色んなものは要らないですね。

つまりは廿壱世紀に於いて我我人間、我我の文明社會に対し突き付けられしものとは逆に、

 

「科学など無い方がむしろよりマシではないのか?」

 

との科学や科学技術に対する根本での批判であり疑惑の部分です。

 

要するに我我の生活の全てがすでに飽和状態にあります。

確かに以前より選択肢が増えより多様な暮らしが可能となりつつあるにせよ、むしろ家の中と心の中をゴミだらけにして居るのが資本主義と結託した科学技術による商品開発力であったりする訳だ。

 

 

さうか、むしろ地球上をゴミだらけにしてより本質的な価値を見失わせて居るのが科学及び科学技術のまさに至らぬところなのだらう。-其れもあえて其れが科学の罪だとは申しませんのですが-

 

また薬、其の薬なども我はかうして毎日薬浸けの人間ーとニコチン浸けーなのですがもういい加減に兎に角薬が多過ぎませんでせうか?

本日も今我に必要な抗生物質のことを調べて居りましたのですが其れもまた訳の分からぬ「セフカペン ヒボキシル」と云う薬だがそも其れって壱體何か?

 

尚歯が痛む場合には生薬の方でも充分になんとかなるものです。

生薬と云うのはむしろ人類による経験的な知恵の方で選択されて来たものであり壱般に其れ等は充分に効力を有して居ます。

 

 

さて我が文明論の根幹をなすものとは其の余分なものつまりはやり過ぎの合理化への批判其のもののことです。

つまるところ文明は其の合理化の対象物=合理化の範囲を違えて仕舞って居る。

 

或はむしろ逆をやって居るのだとも申せませう。

即ち宇宙を見るのでは無く今此の地球上のゴミだらけの惨状を見よ。

 

また女子供の人権の確立ばかりを声高に叫ばずむしろ動植物達の生育環境位は守ってみよ。

またそんなクソみたいな金融経済の儲けに関わって居る暇があるならもっと何か他のことに時間を費やしなさい。

 

 

アインスタイン博士はかって物理的に此の世の成り立ちのことを解明された訳だったが皮肉なことに其の知識から生まれたものがまさに原水爆であった。

知恵ー智慧ー⇔知識

 

其の知識が増すと云うことは逆に所謂知恵との対立を深めて行くことともなる。

などとかうして文人気取りである我が申したとしても現代社會には其の論理はまるで通用しないことであらう。

 

されど何度でも言うたります。

知恵と知識との関係とはさうして常に相剋し且つ相即することです。

 

逆に申せば知識の方ばかりを増したにせよ其の眞理としての関係バランスを壊して仕舞うこととなる。

原水爆の存在に対し晩年のアインスタイン博士は其れを深く憂慮され従って晩年は平和運動や宗教への接近が見られたともまたされて居る。

 

 

  • ー「科学技術の進歩というのは、病的犯罪者の手の中にある斧のようなものだ」(Technological progress is like an axe in the hands of a pathological criminal.)[24]

 

 

  • 死去する前年の1954年に、「もしヒロシマナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式は破棄していただろう」と語った[26]

 

 

擬人的な神を据え置くというレベルの宗教を超えた場合には第三の宗教体験が存在し、それをアインシュタインは「宇宙的宗教感覚」と名付けた[28]。この感覚の中では≪擬人的な神≫の概念はまったくないし、体験したことのない者にこの感覚を説明するのは難しい、ということである[28]。また「宗教のない科学はかたわ、科学のない宗教は盲目」と例え、「理性における成功を強く体験した者は誰しも万物にあらわれている合理性に畏敬の念を持っている」とし、「科学、宗教、芸術など様々な活動を動機づけているのは、崇高さの神秘に対する驚きだ」としていた[28]。ーアルベルト・アインシュタイン - Wikipediaより

 

合理性⇔非合理性

 

さうして万物に合理性は現れて居るが他面では常に其の合理性は非合理性の部分に制約を受けておりつまりは現象とは合理的な理論通りにはまさか進まぬものなのだ。

現象とは其の種のいかがわしさ、非論理性を常に内包するもので其れはむしろ全體論的にさう規定され得るものなのではなからうか。

 

部分的には確かに其れは論理であり総じて合理化されて居るのだけれど全體的には其れが意味するものとは其の合理化されし部分の総和よりも大きく且つかけ離れたものとなるのではないか。

ー壱本の木を合理的に理解することは可能ながら、其の木木の総和以上に林や森が果たす現象としての役目を自然科学は規定し得ぬ。ー

 

さて、其の科学による要素還元性への批判こそがむしろ現代社會が仕出かして来て居る人為による大問題への解決への糸口となるやうな気がしてならぬ。

さうしてジャングルの木を伐って耕作地となし其処に人間に取っての有用な植物を植える→畑化する=金のなる木にする→でもついに森が壊れて仕舞った。

 

其の森と云うのは言うまでも無く生態系を形作って居る。

でも其の生態系の實相は都會に居ては見えては来ない。

特別な感覚の持ち主か又は藝術家や宗教家のやうな人でないと其れは見えて来ない。

 

だから現代人の其れもほとんどの人人は其の要素還元主義ー合理化ーによる壱面的な価値世界に浸され且つ其れに踊らされて居る訳だ。

でも實相からすればあくまで「儲けと引き替えにする形でもって森と云う生態系を壊してはならない」のである。

 

 

さて其の「儲け」を最大限に追求したのが米國で生まれた金融経済の流れである。

ところが其の金融経済の流れこそが何とアインスタイン博士による「ブラウン運動 - Wikipedia」の理論の応用でもまたあったさうなのだ。幾何ブラウン運動 - Wikipedia

 

ところで其の金融経済に於ける「儲け」の追求の流れが巡り巡ってアマゾンでの森林破壊を進めて居るものともされて居る。

勿論かうして都會化されて居る以上都會人は金が無いと生きてはいけない。

 

だが何処までも必要以上にしかも執拗に数百億もまた何兆円ものの大金を得やうとする心の動きこそが罪で無くて壱體何なのだらうか?

 

其の強欲こそが罪でありつまりは儲け至上主義こそが大煩悩其のものである。

でもって其れをむしろ嬉嬉として仕出かして居るのが金融資本主義なる社會の側の経済システムなのだ。

 

アインスタイン博士による其の「眞理への探究」と云うある種理系的に潔癖な理性の働きは實はさうして後に悪用されるに至ったのだった。

 

 

さうして科学化即ち合理化された世界の価値観はやがては究極的に合理化されるに及び人間の動物としての側面をも圧迫するに及ぶことだらう。

其れも気付いた時には時すでに遅く結果何時の間にかさうなって仕舞うのだから普通は其れに対しどうかう言うことなどとても出来ぬのである。

 

人間と云うものはさうして常に社會が寄って立つ価値観の上で洗脳されて来て居るものなのだ。

教育とはつまりは其の人間の洗脳のことであり法とは其の抽象的秩序を成り立たせる為の謂わば飼育過程のやうなものなのだ。

 

 

其の社會の価値観に反旗を翻すことつまりは其れに対し何ぞもの申すことは常に困難である。

つまりはさうしてみんなが信じて居ることに対しケチを付けること其れ自體が極めて難しい訳だ。

 

 

でもソコをあえて言うたりますわ。

世の中の進歩を認めず是非自分を取り戻さう。

 

でないとみんなはみんなでもってもう特攻する他は無い。

第壱今日の天気は壱體何だ?

 

我が部屋などは参拾度位に気温が上がりなかなか快適であった。

アレッ?

其の暑いのが気にならないので?

 

だから僕は夏に強いタイプで其れも物凄い汗かきです。

逆に體が冷えると生命力が枯渇して参る。

 

 

しっかし此の時期の此の暑さは明らかに異常であった。

即ちまさに此れが我我文明人に突き付けられて居る「地球温暖化」と云う現實の様なのだ。

 

 

アインシュタイン「30の名言」。神は絶対にサイコロを振らない | TABI LABO (tabi-labo.com)

 

「眞理と知識を探求することは人間性の中で最も価値あるものの壱つです。然し私達は知性を神格化しないやう拾分に注意しなければなりません。知性は勿論強大な力を持っては居ますが人格を持って居る訳ではありません。知性は人間を導くことは出来ずあくまで人間に仕えるものなのです。人間が存在する為に最も重要なこととは破滅的な本能を遠ざけるやうたゆまぬ努力を続けることです。」ー第弐次世界大戦中のアインスタイン博士のスピーチよりー

 

わたくしは其の知性の本能化の過程としての「理性の原始退行」と云う概念を生み出した訳だ。

即ち知性はむしろ容易に本能化する、其れも破滅的な本能として振る舞うのである。

 

今ならさしずめかのプーチン氏やゼレンスキー氏の頭の中身が破滅的に本能化されて行って居る訳だ。

さらに其の訳の分からぬ金融資産の総額は拾年前の倍程にも膨れ上がって居るさうである。

 

其れも人間が其の利益を生み出すのでは無くまさにAIが其れを担い行って居るのだ。

 

知性は逆に人間の本能を呼び覚まししかも其れを狂暴化させる。

まさに其れがわたくしが考えに考えた末に得た結論なのだ。

 

 

「科学など無い方がむしろよりマシではないのか?」

 

まあマシです。

出来れば無い方がより望ましい。

ですが其の科学を前提とするものこそが現代文明なのだ。

 

ですので基本的に現代社會は科学と道連れにて未来を歩み其処でもって最終的には滅びもしませう。

ですがもしも科学技術の力にて其れを回避することが出来たならば其れは人類の歴史上最も偉大な現實となることだらう。

 

但し其の可能性は大體今弐割行くか行かぬかと云う位でのものだ。

或は壱割位なのかもしれない。

 

 

「破滅的な本能を遠ざけるやうたゆまぬ努力を続けることです」

 

今我我に出来ることとは此れのみです。

個に於ける其の努力とは認識を正さんが為に御勉強を欠かさず続けることだ。

 

其れも壱日拾時間程は御勉強を致しませう。

そんな本能モロダシの動物にはならずに是非御勉強を致しませう。

 

第壱我等はモロダシのケモノじゃあ無い。

我等はお尻の赤い🐒などよりもずっと高等な動物の筈だ。

 

サアー、今日も勉強するぞー、こりゃあ早速もって徹夜だな。

そんな徹夜の弐、参日でへこたれて居てどうするか!

 

 

では早速に原爆を開発した科学者オッペンハイマーの苦悩と葛藤に就き今夜は調べてみます。

 

NHKオンデマンド | フランケンシュタインの誘惑E+ #2「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」 (nhk-ondemand.jp)

 

ちなみにこちらの番組なども至極面白さうだ。

つまりは此の種の番組が我は大好きです。

かうして人類と言いますか文明の仕出かした悪を暴くことだけに心より愉しみを感じて居るので御座ります。