目覚めよ!

文明批判と心の探求と

むしろ我我は過去を生きるべきではないのかー今を頑張らず上手く過去と向き合う生き方こそが大事ー

【タモリ】頑張れって世の中言い過ぎ。薄っぺらい人生でもいい。 - YouTube

全く仰る通りで。

 

タモリさんの腕時計|ヴァシュロンコンスタンタン多めです。 (1016watch-style.com)

いずれにせよタモリ氏は知性的な人であり所謂趣味が良い人のやうだ。

 

腕時計の蒐集家とのことだがヴァシュロンコンスタンタンは中でも最上位ブランドであり庶民には手の出ぬ高嶺ー高値ーの花だ。

ですがこと万年筆に限れば私はほとんどの人にはまず負けない。

 

いやむしろ独り勝ちにてずっとかうして独走しておる。

其の価値観を詳しく語りたいところながら其の時間が無いのである。

趣味とは結局浪漫の追求なので畢竟私は此の世で其の浪漫其れ自体を達成した数少ない人間の壱人なのだと言えやう。

 

 

さて其の浪漫の追求に関しては哲學的に深く考えてみるべきなのだと個人的には思う。

「浪漫は個の範囲にて其れを追及し愉しむべき」

だと云うのが結局私の結論なのだ。

 

逆に申せば「社會的に浪漫を追及する」ことはむしろしてはならぬことである。

だが近代とはまさに其の「社會的に浪漫を追及する」為の世紀であった。

 

帝國主義しかり宇宙開発しかりまた革命思想しかり。

伝染病の根絶しかり食料の大量生産しかり性の自由化しかり。

 

だが少しだけ哲學的に考えてみればすぐに分かることながらむしろ其の部分から世界が破滅に至ることへのまさに第壱歩が踏み出されて行くのだ。

 

 

マンモス再生は、どこまで現実に近づいているのか? 研究者が解説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)

絶滅したマンモスを復活させることはできるのか? 生物学の進化が世界を変える日 - ログミーBiz (logmi.jp)

 

さて過去とは我我人類にとっての遺産である。

さうして過去はむしろ「浪漫」の温床であり蓄積である。

 

我はむしろ此れ迄「過去」に拘り生きて来たのだと言える。

たとえば参拾代の頃は生物種の絶滅の問題に就き調べ且つ考え続け、さらに五十代になるとアンティーク・ペンのコレクターをして来た訳だ。

 

だから過去はさうして経験される形での浪漫を内包するものだ。

かって未来がまた浪漫を内包して居たことと同じやうに其れは未知の価値領域への精神にとっての突入である。

 

要するにかように過去は面白い。

未来よりもむしろより面白いのが過去の出来事なのだ。

 

されど過去派の私にとり過去はまた同時に危険なものなのでもある。

何故なら「過去の理想」は決して追い切れぬものだからなのだ。

 

 

つまりは過去を高い再現度でもって再構築することは出来ない。

故に其れは過去の壱部を垣間見るだけのこととなり本質として其れを體感し得るものには決してならぬものだ。

 

だが今私はむしろ過去を愛し其の中にのみ耽溺して居る。

 

何故ならさうして過去を生きるリスクの方が未来を信じて生きるリスクよりもより小さくなるからなのだ。

 

おそらくは其れを「後ろ向き」の考え方だと皆は思いそんなのはバカのやることだとさう決め付けるのやもしれぬ。

ですが私が今現實として生きて居る場とはむしろ八割方が其の過去との出逢いに導かれたものなのだ。

 

 

後の弐割は仕方が無いから其れに付き合うだけのことでよって好んで其れに対し向き合って居る訳では無い。

 

但しだからと言って無論のことマンモスを復活させろと言って居るのでは無い。

逆にマンモスの再生は個としての観念の範囲で愉しむべきものであり現在と交差させてはならぬ問題だとさう述べて居るのである。

 

さうして最終的には其れは個としてのみ規定されるべき問題であり人間の社會が其れを目指すことでは無いとさう述べて居るのだ。

 

潔癖なことを申せば其の近代的な価値其のものが全て社會として目指すべき価値では無い訳だ。

要するに全てが個の範囲に留めて置くべき抽象的な価値だった訳だ。

 

 

其の抽象的な価値が発現したことには理由があり一言で申せば其れは「子宮が抽象化」されたと云うことである。

元より抽象化されるべきでは無い子宮力=本能力=獣性が抽象的に形作られ其れが科学技術となったが故に其の科学技術がまさに「子宮の抽象化」を推し進めて行くのである。

 

其の「子宮の抽象化」のリスクこそが即現代文明に於けるリスク其のものなのだ。

だが普通人間は此処までは考えぬものなので其の思考の中には子宮の抽象化もクソも無くまた現世利益の抽象化もクソも無く只現在がさうしてドロドロと流れて行くだけのことだ。

 

だからむしろ清流は過去にある。

だから過去の清流は汚れては居ない。

 

そんな清流を然し人々ー大衆ーは見詰めて居ない。

さうして大衆は「今」と云う壱瞬の価値に酔い痴れ其処に最大の愉しみを求めやうとする。

 

 

だが其の瞬時の享楽は眞の意味での理性にとっての愉しみなのでは無い。

故にまず理性は過去を見詰める。

 

すると現在と比較されし価値が其処に見出される。

概ね其れはより純粋でありより思弁的なもの、より含蓄に富み示唆に満ちたものとなる。

 

其れは過去に捉われるのでは無くむしろ過去から學ぶ姿勢を形作るものだ。

 

 

まずは現代人には此の意味での基本姿勢がまるで成り立って居ない。

其れは現代社會が其のやうに価値の洗脳を行って来たからのことだ。

 

即ち現代的に規定され得る価値こそが最上のものであるとの嫌らしい幻想に基づく価値の倒錯が根本にはある。

 

でももはや過去には決して戻れませんが…。

 

いや戻れなどとは言って居ない。

イヤでも過去を見よとさう言って居るだけのことだ。

 

 

だからかうして過去を見てマンモスを復活させる訳でせう。

バカ、其れは過去を見て居るのでは無く現在だけを見て居る行為だぞよ。

 

現代人の馬鹿がさうして地球をグルグル巻きにして何やら不穏なる今だけを創り上げて居る事が我にとっては至極不快であり且つ理解し難いことだ。

 

まあアンタはさうして特異体質者でもってしかもみんなとは御遊戯の出来ない偏屈者であり変態者なのですからさうして何でも言えることだらうが兎に角其の種の意見には屈せぬものこそが世間なのですぜ。

 

だからこそ僕の毎日はかうして世間知との闘争の日々其のものなのだ。

故に毎日只疲れる訳ですね…。

 

 

でもアンタまた昨日から何やらおかしなモノを拵え其れを弄り愉しんで居るではないか。

何でまた其れを知って居るのだ?

 

しかも其れを今言うべきことでは無いと云うのに。

 

アンタのことは其れこそ秒単位で全てお見通しだ!

何故ならコレを書いて居る我自体が分裂したアンタ其のものだからなのだ。

 

だからアンタが過去に生きるとさう言うのであれば我は今に生きるのだ。

 

さても困った野郎がまた出て来たぞ。

世間とは反対のことを言う詩人の頭の中とはさらに反対のことを言う君は悪魔か、其れとも天使か?

 

まあアンタが悪魔であれば我が天使でありアンタが天使であれば我は👿だ。

アンタが菩薩であれば我はマーラでありアンタがマーラであれば我は菩薩だ。

 

 

 

科学技術の社会的影響、中でもリスクをめぐる動きが活発になっている | 特集記事 | Nature Careers | Nature Portfolio (natureasia.com)

 

今後科学技術が我我にどんなリスクを齎すかと云うことは誰にも分かって居りません。

 

自称文人の立場からズバリ申せば科学技術はむしろ要らなかった訳です。

科学者もまた要らなかった可能性が高いですね。

 

まあこんなことを言うと文明世界から総スカンを食らうことでせうが…。

さらに言えば自然科学者の代わりに哲學者をもっと増やして置くべきでした。

 

哲學者の考えは元々暗めですので逆に間違いの無いものと私には捉えられる。

要するに用心深いのは明らかに人文知の方でせう。

 

人文知は主にマイナスの価値の方を見詰めることが多いので用心深く且つ壱種気難しい訳です。

だから作家だの詩人だのが特に昔の文豪連中が威張ったのにはちゃんと訳があった訳です。

 

さらに自決だの特攻だの心中だのクスリ中毒だのと滅茶苦茶して居た訳でしたが其のことにもちゃんと意味があった訳です。

 

 

ですが普通は其れが全くキチ外沙汰にしか見えぬのでもうアレラはアカン、さうして文學をやる奴は皆キチ外なのでそんなものを読んではイケナイ。

 

そんなことする位なら科学技術の方へ行き世の中の役に立つ仕事をして行きなさい。

ところがまさに其れをやって居たら今度は地球を壊しちゃった訳だ。

 

全くどんな馬鹿でせうか。

 

馬鹿と云うのは結局其のやうに理性を壱義的にしか使えぬ者のことを言うのではなからうか。

 

少なくとも文學だの哲學だの宗教だのは多義的に現実を規定して行く筈だがまさに其れこそが人文知性の心の広さであり懐の広さである。

 

 

兎に角還元知は現象としての我我に取りひとつの脅威だと考えて置く位の方が良いことだらう。

其れも悪く言えば文明社會を破壊するのはむしろ科学技術としての力の方です。

 

科学技術を今すぐに止めた方が人間にとってもまた自然にとってもより良い選択となることだらう。

尤も其れはあくまで「理想論」としての御話です。

 

 

現實にはかうして日々膨大なエネルギー消費に付き合わされて居る我我現代人が其処から逃れる手段など望み得ぬ訳だ。

其れも「逃げ」ぬ限りは。

 

もう文明社會からは逃げておまえらは馬鹿だから自滅しろとさう述べることに対し腹を括ったのであればまた其れは話が別となります。

だから文人とはまさにさうした類での人間なのだとさう思います。

 

さて科学技術が非常に危険なものであると云う認識がまず壱般的には見受けられません。

然し誰でも少し考えてみればすぐに其れは分かることです。

 

例えば戦争で使用された毒ガス兵器だのミサイル兵器だの。

また原水爆だの農薬だのプラスチックによる環境の汚染だの。

 

 

かうしてむしろ悪いことばかりではないですか。

 

つまり其の悪いことを少しばかりの便利さやスピードアップされた生活の為に我我は是認し続けて来た訳だ。

で、其れをやったところむしろ人間の肉體は弱りおまけに馬鹿となりつつもあります。

 

其のことを誰も言いませんがさうなって来て居ることはもはや明らかなことでせう。

みんなも薄々其のことには気付いて居りますが其れを言うと仲間外れにされるので其れが怖くてほんたうの気持ちが言えないだけのことだらう。

 

全くに情けない奴等ばかりだな。

 

 

封印された科学実験 本当は怖い科学の話

以前こんな本も何冊か読みましたが大変怖かったやうに覚えて居ます。

ですが三流週刊誌並に面白い本ですので暇潰しにはなかなか良いです。

 

 

ーiPS細胞も遺伝子を導入して作りますが、そのときエピゲノムに大きな変化が起こって細胞の運命が変わります。ですから、最先端の生命科学研究のひとつひとつを詳しくフォローできないまでも、その研究の持つ意味については、僕もよく理解していたつもりです。

もちろん理解できることは大切ですが、それだけでは十分ではありません。すでにゲノムを変えうるところまで技術が進んでいるからです。

宇宙が生まれて百数十億年、あるいは地球が生まれて46億年、生命が生まれて38億年、その中で僕たち人類の歴史はほんの一瞬にすぎません。しかしそんな僕たちが地球を変え、生命も変えようとしている。

長い時間をかけてできあがったものを僕たち人類は、今までになかった方法で変えつつある。よい方向に進むことを祈っていますが、一歩間違えるととんでもない方向に行ってしまう。そういう恐怖を感じます。番組に参加して、研究がすさまじい速度で進展することのすばらしさと同時に、恐ろしさも再認識しました。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(2/6) (ismedia.jp)より

 

山中博士はコロナ禍以前にすでに其の文明が内包する大きなリスクに就いてかうして論じられて居た訳だ。

文明が持つ最大のリスクとは「やり過ぎ」であり其の「やり過ぎ」はむしろ社會的に規定されることだからむしろ自然科学が扱う領域のことでは無い訳だ。

 

さて自然科学もまた妄想する訳なのだが本質的には其れは科学浪漫の範囲でのことであるに過ぎぬ。

但し其れが科学技術として社會化されるに及ぶと其の妄想ー壱科学者としての観念的妄想ーが暴走へと変わって仕舞う訳だ。

故に結論を述べれば科学による社會的成果を崇拝することを是非止めた方が良いのである。

 

逆に科学は地球環境及び人間の精神を回復させる意味で其れこそ限定的にさうして倫理的にこそ扱われるべきものだ。

 

 

尚過去をあえて見詰めると世界が膨大なる時の体積の上に築かれたものであることが壱目瞭然となる。

現象とはさうした経験則としての「今」と云う時間を生きるものであり決してかうありたいなどと云う「未来」を見詰めるものには非ず。

 

むしろさうして過去としての堆積物こそが我我の血肉を形作って居る。

さうした意味ではむしろ「過去」だけが大事でしかも全てなのだ。

 

 

自然界に流れる時間とはむしろさうした意味での過去としての堆積物である。

其れは丁度地層の如くに何億年分もの厚みでもって降り積もって居る。

 

まさに其れは否定しやうの無い過去なのだ。

故に現在に気付くとは其の否定しやうの無い過去の価値の堆積に気付くことなのだ。

 

すると墓や御先祖様もまた大事にしやうとさう云うことなのですね。

 

いや其れとは直接関係無い話だと思いますのですね。

そんな人間の創った価値はひとまず脇に置いておき地層即ち土や石の成分をしかと調べて行きませうと云う御話です。

 

さうですか、地學ですね、まさに其れが。

さうです、アノタモリさんがお詳しい分野のことですよ。

 

 

ー遺伝情報に基づいて外見的、生理的に現れた性質を「表現型」と呼びますが、病気を含め、いろいろな表現型をゲノム編集によって実際に変えられることが示されています。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(3/6) (ismedia.jp)より

 

さうしてとどのつまりは人間を思う通りに発現させて行く技術がすでに實用化段階へと差し掛かって居る訳だ。

だが当然のことながらソコまでやるからには大きくリスクを伴う結果をも受け容れねばならぬ。

 

ところが我我は科学技術でもってさらに豊かにさうして思った通りに生きやうとして居る訳であり正直そんなマイナスの結果が出やうとはまるで誰も思っては居ない訳だ。

むしろさう思って居るのは藝術家や宗教家、また社會學者や哲學者などの極壱部の人だけなのだ。

 

だから私は科学技術が悪いと述べて居るのでは無く其れが危険なものであることに何故大衆が気付けぬかと云う其の点だけを問題として居る。

人間はさうして集団主義でもって歩むと事の良し悪し、また価値の善悪に就いてさえ見失いがちである。

 

 

ー人類のために良かれと思ってしたことが、災いをもたらす可能性もあります。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(4/6) (ismedia.jp)より

 

さうした可能性が事實上高いものと思われる。

恐ろしいことだが良いことが悪いことに転じ善の価値が悪の価値へといつの間にか転換して仕舞う訳だ。

 

また其れは「理性の原始退行」と云う現象にて説明することが出来る。

理性が原始退行すれば其の理性は虚の理性となりーバランスを欠く理性ー其れを基に創られる文明世界は次第に狂的、破滅的なものとなって行かざるを得ない。

 

「理性の原始退行」とは本来理性としてあるべき文と理、社會と個のバランスが崩れ虚としての理性、社會にとって表面的に有益な理性ー進歩することに全価値を置く文明の理性ーを推進させることにより實存的な眞理としての選択を見誤って仕舞うと云う其の原理のことである。

 

アンタでも自分でもって我は原始退行者だとさう述べて居たではないか。

あくまで其れは感覚としての原始退行ー壱種の先祖返りーのことであり我の理性がそんなグズグズに壊れて居る様なのでは無い。

僕の理性はむしろ常に理路整然として居り従って孤高の精神の貴族でもってしてひんやりと冷たいものだよ。

 

 

ー今、人類はその岐路に立っていると思います。ゲノムを変えることだけではありません。大きな電力を作り出すことができる原発ですが、ひとたび事故が起きると甚大な被害が発生します。

暮らしの中のあらゆる場面で活躍するプラスチックですが、海を漂流するゴミとなり生態系に影響を及ぼしています。科学技術の進歩が、人間の生活を豊かにするのと同時に、地球、生命に対して脅威も与えているのです。

山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(4/6) (ismedia.jp)より

 

尚山中博士は人格者の科学者である。

科学者でも人格者ほど科学の齎す負の側面のことを眞剣に見詰めるやうになるものだ。

 

さて此処で再び哲學的な思考をしてみやう。

 

近代的価値=改変の価値=加工の価値

 

である。

さう近代と云う時代の流れとしての価値観が其の進歩思想にこそ価値を与えた訳だ。

 

即ち其の地層を穿り返し其処から資源を得其れを基に諸の工業製品を造る。

まさに其れが偉いことであり且つ高尚な価値であり必要不可欠な価値であると我我はさう信じ込まされて来た。

 

だがどうだ、コロナ禍でもって其の文明の価値観も壱度は止まった訳だ。

其れでも我等は全然困らなんだ。

 

何故なら飯が食え排泄して居る限り我我は生きられるからなのだ。

即ちコロナ禍でもってやられたのはむしろ文明側の抽象的な価値の方であった訳だ。

 

 

だからむしろコロナにやられて良かったと是非さう思うべきところなのだらう。

何故ならやられぬと飛行機の移動や豪華客船での世界旅行などが必要の無いものであると云うことが決して分からぬからなのだ。

 

尤もコロナ禍でもって多くの人々が命を落とした。

其れはまさに文明がバカだからそんな犬死にをしたのである。

 

 

ー適応力は、多様性をどれだけ保てるかにかかっています。ところが今、人間はその多様性を否定しつつあるのではないか。僕たちの判断で、僕たちがいいと思う方向へ生物を作りかえつつあると感じています。

生物が多様性を失い、均一化が進むと、ちょっと環境が変わったとき、たちどころに弱さを露呈してしまいます。日進月歩で技術が進む現代社会は、深刻な危うさを孕んでいると思います。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(5/6) (ismedia.jp)より

 

 

人類が近代以降得た其の「進歩」なる価値には重大な落とし穴がある。

其れは自然と切り離した形で只ひたすらに「今」を追い求めて来たことだ。

 

だが私の見方では自然界に厳密な意味での「現在」などは無くあるのはむしろ過去の堆積としての「現在」なのだ。

其の過去の堆積が細胞レヴェル、分子レヴェルでさう形作られて居る。

 

だから過去を否定して自然を生きることなど不可能だ。

 

逆に人間は未来を希望する生き物であり、故に人間にとっての「現在」とは常に未来をも含む「現在」である。

さうした認識の形式を取るが故につい明日の食い扶持のことや蓄財のことを常に考えて仕舞う。

 

だが其れは過去を見詰めず未来へと軸足を置いた悪い考え方のことだ。

 

 

さうして本来自然は過去の遺産に生かされて「今」を生きて居る訳だ。

だが人間は其の過去の遺産を反故にして常に新たな明日を生きやうとして居る。

 

しかしながら其の生き方は即ち一か八かのまさに博打的なものだ。

まさに創造か破壊か、自ら神となるか地獄へ堕ちるかと云うやうなもので要するに非常にリスキーなものなのだ。

 

 

ーそれでも、教師役を務めた被験者の半分以上が、生徒役が失神するまで電気ショックを与えた。教師役の被験者がひとりで電気ショックのボタンを押すのなら、そこまで強いショックを与えられなかったでしょう。

ところが、白衣を着て、いかにも権威のありそうな監督役の実験者から「続行してください」とか「あなたに責任はない」と堂々と言われ、教師役はボタンを押すのをためらいながらも、どんどんエスカレートして、実験を継続したんです。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(5/6) (ismedia.jp)より

 

社會科の方で言えばまさにかうしたことが社會的には全体主義として当たり前に起きる現象なのだ。

全体主義とは人間の集団生活を根本から規定する原理であり要するにバイアスを与えられること即ち洗脳され其の価値観には逆らえず結果として盲目的に其れに従って仕舞うことだ。

 

其れはナチスドイツにせよ大日本帝國にせよ見受けられたことだが其ればかりでは無く天皇制にせよまた其の逆に共産制にせよまた近代進歩主義にせよ全てが其の全体主義の傾向を帯びるものである。

さうして思想ー観念ーを社會化すると云うことには限界がありであるからしてむしろ浪漫としての観念的営為は個としての範囲に是非止めて置かねばならぬ。

 

即ち壱見良いと判断される営為に限り全体主義化し易いものなのだ。

 

 

ーところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。

科学を正しく使えば、すばらしい結果をもたらします。しかし今、科学の力が強すぎるように思います。現在ではチームを組んで研究するのが一般的です。そのため責任が分散され、倫理観が弱まって、危険な領域へ侵入する誘惑に歯止めが利きにくくなっているのではないかと心配しています。ー山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」(山中 伸弥,浅井 健博) | マネー現代 | 講談社(6/6) (ismedia.jp)より

 

所謂社會科学的な意味での集団心理の罠と云うことである。

かやうに人間は集団になると決まって意思決定を誤って仕舞うものだ。

 

つまりは其れが社會が抱える問題であり謂わば社會學の問題であり且つ哲學としての論考対象なのだ。

あくまで自然科学其のものが抱える問題では無く人間の集団としての心理上の問題点のことである。

 

従って文明世界が抱え込む問題には其の文系と理系双方が入り組んで引き起こして居ることだらう厄介さが常に存在する。

また心理的要素と論理的要素もまた複雑に入り組み問題を引き起こして居ることが常である。

 

尚個人的に屡思うことは目覚ましい成果には常に破壊的なリスクが伴って居ると云う事實である。

かうして資本主義の爛熟にもまた科学技術の目覚ましい進展にも常に破壊的なリスクが伴って居るのである。

 

ちなみに私は其の種の危機を悟る力こそが理性の力であり明知のなせる技なのだとさう信じてやまぬところがある。

また文明論とは其の種のリスクを常に社會に語り掛けることにより其れに待ったをかけるものなのだらう。