目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

中京TV制作の番組「潜入!絶滅動物研究所」を視て思う事

29.中京TV制作の番組「潜入!絶滅動物研究所」を視て思う事

 

 

 

 

元より文明が今引き起こして居る問題とは須らく社會的な領域のことだ。

其処でわたくしは文明論として「まさに社會の責任を問う社會性悪説」を展開し今此処に至りました。

 

其れはおそらく此処日本でも最右翼での文明否定説になることかと存ずる。

壱般に批判精神の弱い日本の文明論の中ではおそらく非常にしつこく組織の悪を突くものになって居た筈だ。

 

此の種のことをやらせればわたくしは何処までもやります。

其れは何ぞ社會に対し恨みでもあるのでせうか?

 

まあ少少の怨みもまた御座りますが其れだけでは無く現實的に現代文明は行き詰まって居り此れでは人類の未来も希望もクソも無いと云うのにみんなは意外とノホホンとしつつまたかうして春になればチャッカリとサカリなども付いて来るのでまるで其の様やケモノの如くです。

 

 

さて其の文明の価値観ですがつまりは其れが社會の価値観であり同時に個の価値観でもある。

最終的に我我は其のやうに社會の価値観を否定しては生きて行けぬ社會的な現象です。

 

ですので否応無く其の社會の欲する価値観には染められて仕舞います。

最終的にわたくしはまさにソコが問題なのだとハタと気付きました。

 

要するに今大問題化して居る環境問題や生物種の絶滅の問題とは其の社會的、また組織的に齎されたであらう問題です。

故に其れを個の責任に帰して仕舞うことには元元無理が生ずる。

 

また企業や科学者の責任に帰して仕舞うことにも元元無理が生ずる。

要するにそんな個別の問題即ち部分の問題では無く種としてのホモ・サピエンスが抱え込むであらう大問題です。

 

 

まずはそんな視点さえもが抱けて居ない人が事實上人類の大部分です。

逆にズバリとホモ・サピエンスが悪い、文明其れ自體が悪いと言って居る人は常に少なく其れはわたくしをも含めておそらく世界でも百人位のものでせう。

 

何故ならデカいものには普通逆らえず且つ逆らったにせよまるで益が無いからなのだ。

なんですが個人的には文學がやった諸の反抗の系譜に就き壱応知っても居るわたくしはとりあえずはやったらうかとさう思いこんな文明批判のブログを続けて来た訳だった。

 

 

さて其の右の思想即ち保守派の思想では少なからず環境問題に関心が薄い訳です。

何故なら環境問題だの動植物のことだの、そんなある種外側の問題などに関わるうちに他の國に侵略されたり國が弱くなって仕舞うので逆に内向きに國を眺めやれ殖産興業だ、またやれ富國強兵だと兎に角國力の増強を其処に図る訳だ。

 

其処に曰く、「國力の増強こそが最大の防衛なり」

まあ確かに其のことは正しくもある。

ですが其ればかりでは今や「右翼馬鹿」と言われても仕方が無い訳だ。

 

其れも今や文明の持続可能性こそが問われて来て居る。

そんな折に其の力の論理を振り翳すのでは馬鹿=理性無き様に見られても仕方が無いことでせう。

ーかのプーチン氏などはまさに其の種の「右翼馬鹿」でせう。其れも露國にとっての。ー

 

ですが眞の意味での保守者とは極論を言えばたとえ「革命」されたにせよ國を残す位の捨て身の覚悟でもって挑む者のことだらう。

ところが今日本にはかの三島 由紀夫先生の如き命懸けでの闘いを挑む気概などもはや何処にも無い。

 

対する左翼思想にせよ其処に展開される理性的分別の部分はむしろ保守派が是非學んで置くべきものだらう。

要するに僕は保守は其の馬鹿を治せとさう申して参りました。

 

 

また左翼は是非現實を知らねばなりません。

現實は理窟通りに進まずまるで👩共の股の間のやうに何やら矛盾的で且つ淫靡なものだ。

 

つまりは理性的に全てを割り切ることなどは出来ず且つ穢れたものでもある。

また自然其れ自體を合理化し認識することなどはおそらく出来はしない。

 

自然は必ずしも合理的に展開されるものでは無く其処に常に無駄や無理を含んで居るものだから。

 

 

さて本日わたくしが論ずることとはまさに其の自然のことです。

では何で今其の自然の営みのことに注目が集まって居るのか?

 

其れは文明の価値観がすでに限界に突き当たり其れこそ近代文明と云う巨大なる進歩の為の🚢ー豪華客船ーが今まさに暗礁に乗り上げて居るからなのだ。

ところがカンの悪いみんなには其の事がピンと来ない訳です。

 

其れにみんなはSNSだのゲームなどで半分位は頭がやられて居りませう?

だからみんなは此の御遊戯こそが「偉大なる御遊戯」だとさう信じ込んでも居りませう?

 

でも僕はそんなものは金輪際認めて居ない訳ですね。

なのでほんたうに自らの愚かさを自覚するには事の眞相を、まさに此の世の實相に対し気付いて行かねばなりません。

 

 

ブラザーpresents 潜入!絶滅動物研究所~守ろう、地球のたからもの~:中京テレビ (ctv.co.jp)

brother presents 潜入!絶滅動物研究所 | 中京テレビ (ctv.co.jp)

さて日曜日にたまたま此の番組を視ました。

 

丁度TVを視続けて居ると其れこそ洗脳されるから止めやうと思い自分の部屋に行くところでしたがそんな時にも何故か感が働きかうして視なければならぬ番組を視るのが我が強みです。

尤も此の「絶滅動物研究所」は途中から視ましたので其れに就き全てを語ることなどは出来ない。

 

動物の危機と私たちの生活から未来を考える ブラザー presents 潜入!..(中京テレビ放送株式会社 プレスリリース) (zaikei.co.jp)

然し其の内容としては如何にも素晴らしい番組でした。

まさにインパクトのある環境問題を論じた番組だった。

 

問題は此の番組が愛知、岐阜、三重県の限定放送であったと云うことだ。

むしろ日曜昼間の民放の凡なる番組を流すのを止め此れを全國に流した方がもうどんだけ役に立つか分かりませんのでせうが…。

 

まず中川 翔子氏はまさに相変らずヲタク人間ですが頻りに「知らないと云うことは怖いことです。」と云うやうなことを番組中で述べて居られた。

さらに村尾 信尚氏は社會的道義、社會的責任のやうなことを結構強めに述べられても居た。

 

其処で穿った見方をあえてするならばかうして放送エリアが限定されたあくまで地方局の番組ですので両名共に本音の部分で語られて居たやうに思う。

逆に申せばまさに其処が此の地方局制作番組の強みの部分なのやもしれません。

 

 

■見どころ
<ゴリラの減少とスマートフォンが関係している?>
イケメンゴリラとして有名なシャバーニなど話題になることも多いゴリラですが、その一方で現在個体数は非常に少なく、絶滅の危機に瀕しています。その大きな原因の一つに私たちが毎日使うスマートフォンが関係していました。スマートフォンの部品に使われるあるレアメタルはゴリラの生息地であるアフリカで産出します。そのためレアメタルを採掘するためにゴリラたちの住む森の木が伐採されていくというのです。今や私たちの生活にはなくてはならなくなったスマートフォン。動物を守るためには便利な生活を犠牲にしなくてはならないのか?未来を考えるカギは「リサイクル」にありました―――。動物の危機と私たちの生活から未来を考える ブラザー presents 潜入!より

 

其のスマートフォンを目の敵にして居るわたくしは「其れみたことか、スマフォ馬鹿共等めが!」と心中にて拍手喝采して居りました。

尤も中川 翔子氏が「スマートフォン森林伐採の関係性など此れ迄考えてみたことなど無かった。」と番組中で述べられて居たところより番組を視始めましたので話の筋は以上にて初めて分かりました。

 

確かタンタルだったか、そんなレアメタルの採掘の為に森林が伐採されゴリラが絶滅の危機に瀕して居ります。

其のレアメタルのリサイクルの部分も残念ながら視られては居らずされどおそらくはネット上には其のリサイクル法に就いての情報が出て居ることでせう。

 

 

<トラの減少とお菓子の意外な関係とは?>
100年前には10万頭いたといわれる野生のトラは現在ではたった3,000頭に。その原因には私たちの「食」が大きく関わっていました。私たちが普段口にするお菓子の多くには「パーム油」という食材が含まれています。パーム油はアブラヤシという木から採取されるのですが、トラの生息地である東南アジアではそのアブラヤシ農園をつくるために大規模な森林伐採が行われ、トラの生息地が急速に減少しているのです。私たちがこのままパーム油の含まれる食品を消費し続ければ、その分だけトラが絶滅に近づくといっても過言ではないのです。トラを守るために普段の生活からできることを探ります。動物の危機と私たちの生活から未来を考える ブラザー presents 潜入!より

 

個人的に大きく衝撃を受けたのはこちらでのエピソードです。

其の日本で販売される菓子の多くの成分表示には「植物性油脂」が含まれると印刷されて居る。

また其の「植物性油脂」の多くが「パーム油」なのです。

 

其の「パーム油」を作る為にもかうして大規模な森林伐採が行われて居る訳だ。

 

例えば我はポテトチップスだのチョコレートだのを屡食する訳だ。

チョコレートはいざ知らずポテトチップスに使われて居るのがまさに其の「パーム油」なのだ。

 

「パーム油」の採取の為に森林伐採が行われて居る事は個人的に知っては居た。

またゴリラや🐅が今や絶滅危惧種となってなって居ることなどもすでに存じて居りました。

 

されど今日本で販売されて居る菓子の多くに「パーム油」が含まれて居る事を我は知らなかった。

また中川 翔子氏も其のことを知らなかったさうだ。

 

「私達が知らないうちに私達の行動が自然破壊と結び付けられて行くのはとても怖いことです。」

と云うやうなことを番組中で彼女は述べられて居たがまさに其の通りでのことでせう。

 

 

個人的に我が大問題の核として捉えて居ることこそが其のみんなが知らないうちに進んで行く「悪の全体主義」のことだ。

 

其れを今皆はプーチン氏だけが世界の悪であり自分の側はむしろ善の促進者だなどと完全に勘違いの現状認識をして居る。

だがな、ほんたうの悪とはむしろ其の勘違いとは違うものなのだ。

 

ほんたうの悪とはむしろ知らないうちにみんなでもってやって居る悪のことなのだ。

其のことを社會科では「全体主義」と云う。

 

 

例えばかってハンナ・アーレント - Wikipediaと云う女性哲學者がナチズムの行った全体主義を哲學的に規定したものだった。

彼女は其処で非道な行いに及んだナチスの将校達がむしろ命令に対し忠実に動く愛國者であり「善なる人人」であったことを明らかにした。

 

では太平洋戦争の時の日本の臣民や教師や藝術家などは果たしてどうであったのだらう?

無論のこと其れは天皇に対し忠実に動く愛國者であり「善なる人人」であった訳だ。

 

つまりは其れがデカい組織が本質的に持って居る社會としての問題なのだ。

だから其れは誰が悪いなどともまた言えやしないものだ。

 

勿論ヒトラーや日本の軍部の責任だと言って仕舞えば其れ迄なのだがむしろほんたうの責任はさうして社會の求めー欲望ーに応じて動いた國民全体にこそ存して居る。

要するに洗脳状態からは抜け出せない空気を何より國家と云う最大級の社會組織が生じさせて居たのである。

 

だからほんたうのほんたうに悪い奴はむしろ誰でも無く社會其のものでの風潮にあるのだと言えやう。

 

其の全体主義は今も行われて居る。

 

事實として今は誰しもがスマフォを持ち🚗や✈にも乗るのである。

また我の如き文明に批判的な者でも毎日電気や瓦斯を消費しまた「パーム油」入りの菓子を食う。

 

つい、其れもついやってまうたのだ。


ついやってまうた。

かうして腹が減るのでつい。

 

 

其の悪の所業はむしろ誰もが贖えぬ種類でのものだ。

つまりは組織的、社會的な犯行なのだ、其の文明と云う全体主義が生み出した罪深き所業其のものなのだ。

 

故にわたくしが批判して来て居るのは壱貫して個では無く社會としてのあり方だ。

此の社會のあり方こそが生物圏の死を招く。

 

でもって僕は「菓子を食う事を止めたい」と今日初めて思った。

菓子を食うと気分的にも樂になるのだが🐅が絶滅するやうでは其れもあくまで利己主義にしかならない。

 

いや此の際菓子を和菓子化などしてはどうだ?

いずれにせよ其の「パーム油」採取の為の森林伐採はあってはならない自然破壊其のものである。

 

 

潜入!絶滅動物研究所~守ろう、地球のたからもの~ | トピックス | ブラザーグループSDGsスペシャルサイト”ブラザーSDGsストーリー” (brotherearth.com)

尚此の「潜入!絶滅動物研究所」なる番組は以前にも今回とは違う番組が制作され放送されて居たものである。

我は其の折にも番組を視て其の感想を述べて居た筈である。

 

では何故名古屋のTV局が此の種の環境問題に対し所謂意識が高い番組を制作して居るのであらうか?

其れは所謂環境万博であった2005年日本国際博覧会 - Wikipedia愛・地球博」が大きく関係して居るものと見受けられる。

 

此の時以来愛知県は環境問題に対し所謂意識が高い県となったのだと個人的には見て居る。

但しわたくしが環境問題に対し意識が高いのはむしろ生まれついてのものであり要するに元元意識が高くあるー自然に対する感度が高くあるー人間だった訳だ。

 

 

尤も其の環境問題に対し意識が高い筈の愛知県民の環境問題に対する意識はさう大したものでは無いこともまた確かなことだ。

要するに其れが中川 翔子氏並に意識が高いかと言えば無論の事まるで其れには及ばないのである。

 

尚其の中川 翔子氏であるが我から見れば娘位の年齢ながら個人的には結婚しても良い位に魅力のある女性である。

即ち頭の中身=精神のあり方が普通の人とはチョット違うのでソコがわたくしの頭の中身とむしろピッタリと合うのである。

 

尚彼女は、「結婚」するのであれば別居が前提で其れが無理ならば寝室を別別にしたいなどと述べられて居るさうだが其処などは完全にわたくしの考えと同じである。

逆に申せばかうした考え方の人は生涯結婚生活などは出来ぬことでもあらうが…。

 

 

いずれにせよ眞の意味で「自然」を理解出来る人と云うのはある意味では社會性に欠ける傾向を持ちむしろ其れを内側から體感出来る人に限られて居やう。

其れを逆に申せば人間社會中心の価値観にて生きて居る人には自然と云うものの直観的理解と云うものはほぼ無理なことである。

 

価値観としてむしろ其処を離れて居る位で無いと自然が今被って居るであらう危機に就きより正確に判断することなど出来る筈が無い訳だ。

人間が持ち得る認識、其の認識による価値観と云うものは元来多様であるべきものだ。

 

だが其の多様な認識、多様な価値観の醸成を實は文明の価値観其れ自體が排斥し且つ疎外して来て居る。

其の問題も畢竟人間に取っての認識の課題である訳だ。

 

其の人間の認識其れ自體が全体主義化され画壱化されるから我我は文明の誤りであり其の誤った文明のあり方が齎す被害ー破壊ーの大きさに思いを巡らせることが極めて難しい。

 

要するにむしろ其処から思い切り切り離されて居る位の認識でもって初めて其の文明の所業の全体像が把握されても来る訳だ。

だが其れでも猶中川 翔子氏もまた我も環境破壊に関してはむしろ知らぬことばかりなのだ。

 

 

よって眞に恐ろしいのはむしろ其の無知の方なのだ。

無知とは意識の高さや頭の良さとはまた無関係にさうして生じて仕舞うものなのだから。

 

ましてや意識の低い人人の無知な様はまさに推して知るべきであらう。

 

現代文明が社會的に成り立たせて居る全体主義と云う価値認識上の洗脳はまさに見過ごすことの出来ぬ「社會の悪」其のものだ。

さても我我は其れにどう立ち向かえば良いのか?

 

 

我我の其の倒錯した認識を転換する為には社會ー文明ーを客観視する必要がまずはある。

だからなるべく社會的事象とは距離を取りまさに自らの思考にて考えることこそが其の洗脳を解く唯壱の契機である。

 

僕はまさに文人と云う立場からかうした強い表現でもって物を言うが但し其処で絶望したり自暴自棄になったりする必要などは同時にまた何処にも無いのである。

さう希望も幸福も常に我我の心の中にこそ存して居る。

 

但し其れは文明社會が我我に対し用意して呉れるものでは無い。

其れはある程度は文明社會が欲する価値観を遮断しむしろ己が心の中でこそ創り上げて行くものだらう。

 

 

他方で文明の内部にも自然環境に配慮し来たるべき破滅的な未来を変えて行こうとする動きが確かにある。

 

アップサイクルとは? リサイクルとの違いやアイデアを紹介! | ひなたおたより (hinatao.co.jp)

アップサイクルとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

 

其のアップサイクルなる概念の把握も結構難しいのではあるが要するに大量生産、大量消費、大量廃棄と云う20世紀型の唯物主義への反省として生み出された新たな概念のことである。

アップサイクルは次次に新製品を造り其れを消費させることで利益を生み出すと云う資本主義とはまた違う観点から齎される物に関する価値観のことなのだらう。

 

尚物だの食い物だのが全て観念に対して低級だと言うことは元より出来ない。

逆に我の考えでは観念は社會的に規定されるものとなればなる程に低級化する。-全体主義化する-

 

故に物だの食い物だのにせよ個による選択の如何により其れが高級なものともなり得る訳だ。

但し壱般的には其の選択が如何にもお粗末である訳だ。

 

 

所謂意識が高くある生活者の方方などはむしろ五拾年、百年前、或は其れ以前よりおそらく其の選択を自律的に行いある意味では「人間の生活と環境に優しい」暮らしを重ねて来たのではなかったか。

例としては所謂民藝運動家の方方や京都大原のヴェニシアさんやまた米國の故ターシャ・チューダー氏など其れこそ枚挙にいとまが無いことであらう。

 

アップサイクルはまた其れとは異なる所謂社會的に見識の高い人間の生活への試みである。

 

ごみを宝物に変える、アップサイクルアイデア10選【2020年まとめ】 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

かうした試みからはむしろ廃棄品を魅力に溢れた新たな物に作り変えると言う気概がヒシヒシと伝わって来思わず拍手したくもなるものだ。

 

時を刻むガラクタ。英国発、電子廃棄物をアップサイクルした「ごみ時計」 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

特にこちらなどは凄い。

でもおそらく此れもまた案外高価なのだらうがかうしたものであれば誰しも欲しくなる。

 

兎に角今や個が所有する物を選ぶことの其の選択の幅はかってよりも確實に多様化されて来て居るやうだ。

 

 

buøy | 海洋プラから生まれた工芸品buoy(ブイ) (techno-labo.com)

buøy|海洋プラ材料のインテリア雑貨buoy(ブイ) (stores.jp)

 

個人的に今是非欲しいのが此の海洋プラゴミから生まれたと云う皿である。

其れもまるで印象派の絵画の如き色彩豊かな皿で極めて美しいものである。

 

尚此の皿の製作工程をTVにて視たが販売者はわざと値段を高めに設定して居るとのことであった。

要するに捨てずに長く使う皿にして貰いたいからなのだそうだ。

 

 

さて其の廿世紀の資本主義が行って来た所謂使い捨てでの唯物主義に就き是非最後に述べて置きたい。

其の使い捨てでの唯物主義をやればやるだけむしろ人間の精神其のものが貧しくなって行かざるを得ぬことだらう。

 

左様に物とは人間の生活を彩るものでありむしろ精神の壱部を成すものなのだから。

例えば縄文人はモノを大切に扱い同時に自然の中の命をもまた大切に感じて居た訳だ。

 

だがイザ使い捨ての暮らしを推進すればむしろ心の方もまさに使い捨てでのものへと化して行くのである。

 

まさに其のことがまずは資本主義の最大の汚点であり矛盾である。

かのイエス・キリストがかって否定されし市場原理による儲け主義が物の価値ばかりか人間の心までをも壊す訳だ。

 

 

其の強欲で且つ利己的な資本主義には未来は無いとさう思った途端に壱方でまたこんな可能性までもが出て来た。

されど其れは市場原理其のものとは相性の悪いものなのでもまたある。

 

だが細細とではあれかうしたモノが世界に満ちて来ればかうして腐り切った飽物社會も今後はまた違う展開を見せて行って呉れるのやもしれぬ。

だから今後我我に出来ることとは身の回りからなるべくゴミを減らした上で此の種の製品を努めて選んで行くこととなるのである。