2.夜のサイクリングでの春の目覚め
さて昨日は昼以降暖かく其れでもって久方振りに夜のサイクリングに繰り出してみた。
昨晩は何故か街灯や建物の看板などの光が異様に美しかった。
わたくしには其の光への感度が高くあり日により其れは光り方が異なることを熟知して居る。
まずわたくしは其のやうな根本でのものの美に接することで喜びを感ずる。
また其れは金が儲かったとかまた美味いものを食ったと云うことよりも我に取りより上位での實存的価値なのだ。
だからかうした密かな實感をこそ常に大事にして居る。
正直申せばむしろソチラの価値の方がウクライナ情勢などよりも余程に大事である。
其れに元来わたくしには所謂社會性が欠けて居る。
まさに其れがかの養老先生並なのだ。
尤も養老先生程頭が良くは無いのだが其の分感覚的に何ぞ持って居る部分がある。
其の社會性が欠けて居る割に社會を論ずることが多いのはまた皮肉な話である。
さて其の我がサイクリング・コースこそが素晴らしい。
山崎川と云う名古屋の桜の名所の川に沿い設けられた道路ー🚙は走れないーを走る。
此処には名市大の薬学部などもまた名市大の馬術部の厩舎などもあり所謂上等の部類での環境のところである。
かってわたくしのかかりつけ医ー中学の先輩ーであるK先生はまさに此処を走り体重を落としたのださうだ。
元より神経質な我はかうして孤独の體にて實存的価値と向き合うことを好んで居る。
所謂ショーペンハウアーが言うところでの「精神ー感度ーが優れた孤独者」と云うこととならう。
よって我に取り苦になるのは其の「精神ー感度ーが優れた孤独者」であることなのでは無く常に騒音と下らぬ欲望とに満ちた世間のことだけなのだ。
ところがいざかうして我の心を癒して呉れるのも畢竟其の世間的な価値である。
心地良いサイクリング・コースもまた美味いものもまた物質にせよ何でも結局は自己の外側に拡がる世界の出来事だ。
最終的には其の社會的要素を限定して自らの心の樂園ーアタラクシアでありアパティアであるーを築き上げることこそが我が生の目的である。
なんとなれば其れを限定せずば其の社會性の齎す「全体主義」に必ずやられて仕舞うからなのだ。
養老先生が其の社會を蚊帳の外から眺められて居るのもまさに其の限定なのだらう。
こんな小夜の下春を感じながらさうして自転車にて山崎川を走り抜ける我が心はすでに宇宙的感覚に充たされて居る。
観念的に世界の矛盾を排斥しつつ歩む其の足取りの何と軽やかでしかも豊かなことか。
おや、今何かとても良い香りがしたぞ。
少し道を戻りいま壱度香りを嗅ぐと其れが沈丁花の🌸の香りであった。ジンチョウゲ - Wikipedia
あれ、こんなところに水仙の🌸が咲いて居るぞ。スイセン属 - Wikipedia
また少し道を戻り自転車を降り鼻を近づけて何度も其の花の香りを嗅ぐ。ー其れも夜なので余り恥ずかしくは無いー
尚僕は昼間でも道端の🌸の香りを道端にて嗅いで居る事があり屡其の様を人に目撃されて居るが其の時は矢張りと言うべきか可成に恥ずかしい。
さてそも観念とはそんな實存的な直感、或は直観的體験よりもむしろあやふやでつまりは不確かで信用ならないものである。
ところが世間では認識の方がそも曇って居るのでむしろ其の観念的価値の方にばかり振り回されて居る。
しかしながら其処でどうせ観念的価値の方を選び取るのであれば努めて藝術的価値の方をこそ選んで置くべきことだらう。
藝術的価値も所詮は観念的価値即ち文化力なのだが其れは半分論理を離れた価値でもまたあるのでより直接的體験となるのである。
家だの財産だの所有だのまた金だの名声だの何だのそんなむしろ不確かでしかも下賤なる価値に踊らされ嗚呼、まさに可愛さうだなあ、みんなは。
とさう思いつつサイクリングする程我は性格がネジ曲がっては居ないのだが其れもイザかうして机の前に座るとさう思ったりもする。
僕と養老先生が似て居るとすれば常にさうして自己流にて哲學をして世界を捉えて居るところなのだらう。
其処がまた五木 寛之先生などとは違うところなのやもしれぬ。
正直今僕は現代社會が抱える大問題に対しもはや関わりたくは無い。
何故なら其れこそ其の問題の故に己の生自體、實存的展開が逆に制限されて仕舞うからなのだ。
まさに其れは我が望むところのものには非ず。
むしろ現代社會はすでに霞む程に遠く隔てて置きたく間違っても身近に置いて置きたくは無いものだ。
されど何故か其れが決まって擦り寄って来やうとする。
ええい、寄るな!触るな!
汚れるわ、此の馬鹿者等めが!
とさう怒るのであるが其れでも何故か近寄って来る。
仕方がない。
其れでは今日壱日だけ、まさに本日だけ社會の先生に戻るから其処にておあずけ、だよ。
昨日Eテレで日本の食料自給率の低さに就き論じた番組を視たので其れに就き述べてみたい。
低すぎる日本の食料自給率の現状と今私たちにできること - Gryllus Magazine - グリラスマガジン -
其れもほぼ絶望的な現状なのだと言えやう。
では何でこんなんなったかと云うことを考えてみたい。
さても壱體何だ、こりゃあ。
いや、其れは政府や官僚が悪いと云うことがまずはあらうと思うのだが其ればかりでは無く組織のあり方に依存しつまりは其れを盲信し突き進む日本人の精神構造自體が生んだ悲劇なのだとも言えやう。
つまるところ日本人の精神には體制を疑ってかかると云う理性的な側面が何より欠けて居らう。
まずは其の食い物の確保のことは、デジタル社會の構築だのまた世界情勢だのそんなことよりも第壱義的に取り組まねばならぬ大問題だ。
何故なら社會の危機の時にそんなデジタル社會がどうして必要なのか?
其れに危機の時に他國のことを思いやったりして居る余裕があるのか?
そんなもんある訳無い。
だからまずは食わなきゃ死んじまうわな。
壱體何でそんなことが分からぬのだ?
食料自給率のお話(連載):農林水産省 (maff.go.jp)
そも僕は中学参年の折に世界の食料危機と人口爆発に関するレポートを纏め上げ其れを恩師である京大出の社會の先生ー担任ーに認められたことから其の後塾にて社會科を教えることとなった。
其の世界の食料危機と人口爆発に関しては正直申して将来的にはほぼ絶望的な状況にあるとさえ言えることだらう。
ですが今論じて居るのは其の文明規模での自己矛盾の様では無く日本國としての社會的矛盾の様である。
まず其の食い物と云うことこそが生命が生きる上での基本的要件だ。
其れもかうして自然破壊をして食い物が減れば多くの生物種が絶滅に追い込まれるのは必定である。
ところがみんなには其の危機感が欠けて御座る。
其れも日本人の場合は特に酷い訳だ。
そんな壱番危ない奴等だと云うのに何で君等はそんなに威張り腐りどーでも良いやうなことばかりに罹り切りなのだ。
僕にはまずはソコが分からぬ。
だからウクライナがどーのかうのよりもまずは自分等の飯を確保することに邁進すべきだらう?
第壱飯が食えぬと藝術も哲學もクソも無いぞよ。
馬鹿者!まずは飯だ、さうだお前を殺して食うぞ。
だからさうならぬやうにそんな地獄界が現出せぬうちに本気になって飯の確保に頑張らずしてどうする?
眞面目な話日本はかうして近代化を成し遂げた訳だが其れとは裏腹に第一次産業 - Wikipediaを破壊して来ざるを得なかったのだと言える。
何より其れが戦後民主主義に於ける価値ヒエラルキーの序列化に於ける誤り其のものだった。
つまりは進歩主義による工業的且つ情報的合理化による価値が食料生産の分野の価値よりも上に位置されて居たことによる誤りだ。
だが進歩主義による工業的且つ情報的合理化による価値つまりは経済的繁栄や物質的、精神的豊かさを齎す価値は人間と云う實存に取り本質的な価値なのでは無い。
本質的な価値とは逆に食って生きることでありしかもなるべく快適な環境の中で生きて行かれることだ。
なのでそも其の人間に取り本質的価値とは何かと云う問いに対し間違った答えを出して来て居る。
つまりは哲學のテストが零点である。
逆に現代社會科のテストでは八拾点位を取れたのではあるが…。
其処からすれば日本と云う國家はまさに分裂國家なのではなからうか。
だって壱番大事なものを反故にして経済的繁栄や物質的豊かさだけを追い求めて来たのだから。
経済的繁栄や物質的豊かさは元より其の時時のもので所謂エッセンシャルな価値なのでは無い。
何故ならかの羅馬帝國はすでに弐千年も前に其のことを成し遂げて居たのだがにも関わらず文明としては滅ぶに及んだ。
其のエッセンシャルな価値への精神的親和性に欠けるのがむしろ戦後の先進各國が思い描く成長神話の内容であり特徴だらう。
要するに極論を言えば戦後は特に其の余分な価値に対し血道を上げるつまり邁進して来たのが先進國としての価値観だった。
其の価値観はされど誤って居た。
だからこそ自然からのしっぺ返しを受け文明の今がある。
此処日本國は特に海外から資源を輸入し其れを工業製品化することで膨大な利益を上げることが出来た訳だ。
要するに其の工業力と技術力にて國を富ませることに成功したのであった。
しかしながら今は其の儲けの為の図式が崩れ去るに至った。
日本の製品の質は良いが其の価格は概して高く今や新興國にて造られるより安価な製品に対し競争力を軒並み失って居る。
つまりは其の経済成長路線に胡坐をかき続けることで逆に追い込まれて仕舞った訳だ。
其れも長らく成長しない経済や低賃金にむしろ今悩まされて来て居る。
但したとえ金が無くとも飯位は此れ迄何とか食えて来られた。
だが其処へ世界的な物価の高騰が拍車をかけつまりは今後も所謂エンゲル係数を押し上げて行くのである。
でも其れは僕等の責任では無い。
悪いのはまさに哲學の無い政府や官僚組織の方だよ。
そりゃ御尤もな御意見です。
ですが問題は政府や官僚組織は責任など誰も取らぬと云うことですな。
要するにエンゲル係数の高い家庭だけが此の先ずっと経済的に苦しんで行かざるを得なくなる。
エエッ?
其れではまるで拷問ではありませんか?
じゃあどうするんですか?
まあどうにもなりませんね。
だが其処で絶望する程に眞面目に現實を捉え無い方がむしろ良いのだと思う。
要するに文明世界が五拾年後に存続して居る確率はおそらく五割位でせう。
2099年頃にはもう文明としては機能して居ない可能性の方が高くある。
だから2049年頃まではなるべく充實した食生活をこそ心がけて行くべきだ。
充實した食生活とは豪勢な食生活をする訳では無く食の愉しみを大事にする食生活のことだ。
おそらく2030年以降は大きく食生活が変わって来る可能性が高くある。
其処では次第に代替肉 - Wikipediaや昆虫食 - Wikipediaがより壱般化されて来ることだらう。
其れでも気候変動や高温化などを鑑みるに世界的飢餓がおそらくは2050年以降多発して引き起こされることだらう。
要するに現代文明には食料供給としての限界があります。
まずはみんなー大衆の方方ーにはかうした面への危機意識が欠けて居ます。
ー我をも含むー意識の高い方方や識者の方方は其れなりに危機意識を持って居ますのですがそんな大問題を解決出来るだけの力が誰にもありません。
文明の齎す矛盾とはまさにさうしたことなのだ。
要するに正しい方向を向くにせよ世の思惑はなかなか変えられず其れでもって其の組織上の自己矛盾により文明は崩壊して行かざるを得ぬ。
むしろお役所はかうして分かって居るのです。
其れはさうです、其れも東大出のお利口な官僚の面面が日日考えて居るのですから其の何時訪れるとも知れぬ危機のことが分からぬ筈もありません。
其れでもお役所は結局雁字搦めなのでせう。
政治家もまた無論のこと雁字搦めなのだ。
其の雁字搦めなのが所謂組織上の問題です。
つまりは其れが社會の問題であり同時に文明の問題です。
よって逆に個としてはそんなデカい問題に対し努めて距離を取ることを考えやう。
其れは逃げるのでは無くあくまで避難することだ。
避難して置いて例えば酒池肉林をやるの?
酒池肉林からは遠ざかり個として出来る範囲で食の愉しみを追及しやう。
まさに其れが生きることの喜びなのだから。
本来ならば僧侶の方方のやうに食事はなるべく質素にして置いた方が良い訳ですが我我は別に解脱する為に生きて居るのでは無い。
其の食の愉しみを追及し得るのはおそらく此処拾年程なのではなからうか。
其の後は物理的に至極限定されて来ざるを得ない。
だからなるべく無駄ーゴミーを出さずに今の食生活に満足し尚且つ感謝して置くべきだ。
尚わたくしが述べて居るところでの生の喜びとはそんな小さな、さうして理性的に分別された上での欲望の成就のことです。
今の我には観念的欲望よりもむしろそちらの方こそがエッセンシャルな實存としての大事な価値です。
其処から言ってもまさにグローバリズムなどはむしろ其のエッセンシャルな實存としての価値を破壊し尽くすものだ。
具體的に言えば地産地消での共同體型の食料自給をむしろ大いに阻害してさえ居るものだ。
戦後民主主義に於ける工業力、技術力主導での経済成長神話、即ち進歩主義はある面では其のグローバリズムの推進でもまたあった訳だがふと気付くとむしろ其のことによりエッセンシャルな實存としての価値を我が國は失って行った訳だ。
逆に今は其のグローバリズムの逆襲を受け経済成長は止まるわ、逆に原料費は上がるわでますます日本人の貧乏な懐に拍車が掛かって居るのです。
おや、こんなところに蟹屋が。
其のサイクリングでのコースには此の蟹料理店の前の道が含まれて居る。
「甲羅蟹🍱があります」とか何とか幟に書かれて居ます。
此処は以前家も👪会議やら祝い事やらで屡利用していたものでしたが此処五年程は行けて居りません。
其の蟹🍱が食いたいのでネットにて昨夜調べてみたところ此処は何と此の参月で閉店するのだそうだ。かに料理 瑞穂甲羅本店 |瑞穂区でのご宴会,慶事,法事から歓送迎会,各種ご宴会,ご家族のお集まりに (kora-honten.jp)
勿論蟹🍱よりは精進料理の方がより食の選択としては望ましい訳ですが此処での最後の食事と云うことでこれから蟹のちらし寿司でも頼んで置き明日にでも取りに行きたいと思うのです。
戦後日本は主に自由民主党の政策により高度な経済成長を達成したが、九十年代以降は其の政策はむしろグローバリズムに迎合するばかりでのものとなり實質的には雇用の破壊や労働の低賃金化を齎しかうした美味いものを食うだけの庶民の財布の余裕を奪い去って行きました。
しかも自由民主党は其の責任を取るどころかむしろアノアベ政権のやうに威張り散らかしてやりたい放題をやっておったのです。
だからこそ早稲田の哲學科を出た作家の適菜氏を始めわたくしもまた其れを「馬鹿野郎!」とさうなじって居たのでしたがどうもこれからは余り馬鹿、馬鹿とは言えなくなるやうなのだ。ーネット上の罵詈雑言の類は今後法的に規制されるらしいー
ちなみにわたくしが今凝って居る食い物があり其れはズバリバナナです。
其れも急に「干しバナナ」が食いたくなりアマゾンにて探して居たら或はタイムセールなのか何故か急に値段が下がり即其れを注文した。
大阪から送って来た其の「干しバナナ」は何とも懐かしい味のする實に美味いものでした。ー昔家では良く干しバナナを食って居たー
其れでもって歯医者の帰りに矢張り自転車にて走って居りますと何と「バナナジュース」の屋台が出て居るではないか!
其れも接骨院が何故か「バナナジュース」を売って居るのだ。MENU | まがりDEバナナ (magari-de-banana.com)
無論のこと五百円のものにして置きました。
味は濃くて大変美味かった。
さて其のバナナ - Wikipediaですが近年病害に晒されて居り絶滅の虞のある品種などもまたあるやうです。
またバナナは栄養素が多く含まれて居り特に免疫機能の活性化には良いやうです。バナナの栄養・栄養素まとめ|バナナはスミフル (sumifru.co.jp)
現在は値上がりして居るともされて居ますが其れでも比較的求め易い果物です。
いずれにせよ果物はある種贅沢な食物です。
さて今大幅に値上がりして居るのが小麦を使った食べ物です。
逆に今米は需要が減り安くなったともされて居る。
ならば米を中心に食うか。
ところが我我還暦世代はむしろ学校給食でパン食をして来て居り従って案外パン派が多い訳だ。
だけれども我我の親の世代即ち八拾代はほとんどパン食をしません。
其のやうに食事とは世代や地域などで可成に限定される要素なのでもまたある。
ですがむしろ他の何よりも基本的に大事なものです。
仕事にせよ遊びにせよ其のエネルギーの補給が滞れば即其れが出来なくもなる。
其の食の大切さに就き政治家や官僚、さらに我我庶民レヴェルでもより意識を高め其れこそ無駄をこそ排して行くべきだ。
ー文明はやらずとも良いところをむしろ合理化し合理化せねばならぬところをむしろ切り捨てて居たりもするものだー
いずれにせよ矢張り春は生きる喜びに満ちて居る季節である。
むしろ其の春を我が物とせずして何とするか。
だから戦争のことばかりを論じて居る必要などは無くむしろ自己本位に自分にとっての喜びをこそ追及してみて下され。