目覚めよ!

文明批判と心の探求と

本年度の総括

其れでは早速に本年度の総括をさせて頂きます。

 

尚個人としての総括なのでは無く無論のこと現代社会としての総括のことですよ。

 

1.合理化が生存権を脅かす

2.合理化が文化を脅かす

3.合理化が社会を破壊する

 

此の三点がまさに今文明を破壊しつつあります。

ちなみに1.は今まさにコロナ禍に於ひて顕在化しつつある恐るべき社会問題のことです。

 

 

其の例

 

例壱ーコロナ切りにて派遣労働から解雇されました。

でも妻には逃げられたが子供が三人も居て此の侭では一家心中する他無し。

 

例弐ー食ひ物屋の店が潰れおまけに借金までもが残りました。

もはや首を括る他ありません。

 

例参ー食ひ物屋の店が潰れおまけに借金までもが残り炊き出しにて飢へを凌ひで居ります。

 

 

そんな訳で此の個に対し「死」までをも突き付けて居ることだらう地獄の様とはコロナがつくったのでは無くズバリ現代の社会がつくったものです。

第一ちゃんと社会に備へさへ出来て居れば危機の時に派遣が切られることなどは無ひ筈です。

 

何?ウチは中小企業にて元よりどんな余裕も無ひ?

 

だから其れは大企業の儲けばかりを優先させて来た政治の誤りによるもので其の根っこにあるものとは所謂功利的な合理主義です。

其の儲け主義による合理化が社会の底辺層への援助を圧迫して居るが故によりによりこんなエッセンシャルワークでの部分が破壊されていきます。

 

ですが、何度も申して来て居りますやうに、金持ちこそむしろ喜んで社会に対し施しーお布施ーをして行かねばならぬのだ。

おおまさに其れこそがイエス・キリストが述べられた施しなのであり僧侶の皆様がみんなから頂くお布施のことなのです。

 

金持ちはむしろ持ってる金の八割方を喜んで社会に差し出すべきだ。

 

また金持ちはむしろ派遣労働をこそやってみなされ。

さすれば貧乏人の苦労が其処でほんたうに分からう筈です。

 

 

其の金に関する合理化即ち資本主義に於ける合理的な儲けの実践こそがかうして憲法第弐拾五条の生存権の保障をも脅かして居るのだ。

で、其の合理化に負けて派遣が死んでも金持ちはびた一文出しやしません。

 

だからそんなことで死ぬ位なら金持ちや自民党に復讐する為に是非派遣が立ち上がり革命を目指さうではなひか。

また其の革命は仏蘭西革命でも露西亜革命でもどちらでも良ひのです。

 

兎に角革命でもやらねば此の世が回らなくなって仕舞ったのだ!

 

でも實は大企業の方でも今や危なひ訳だ。

 

特にコロナ禍に於ける大企業間での格差により大企業の従業員でも容易に合理化ー人員削減ーの対象とされて仕舞ふご時世です。

要するにかっては大企業に居たと云ふ派遣労働者がこれから増へても参りませう。

つまるところコロナ禍とはさうした資本主義の合理化ー功利的に達成される合理的な利潤の追求ーに対する破壊其のものー具象的限定ーなのです。

 

だから兎に角革命でもやらねば此の世が回らなくなって仕舞ったのだ!

 

2.貞節であるとか謙譲の美徳であるとか、さうしたかっての日本の文化的素地が今や崩壊しかかって居ます。

此れの犯人は誰かと申しますれば結局は其れも合理化によるものです。

 

つまるところは文化的な合理化と云ふことです。

日本をアメリカナイズすると結局其の文化的破壊が生じませう。

 

かって三島 由紀夫先生が危惧されて居たのはまさに其の点でのことでした。

 

例壱ー歩道でもって眞対面から自転車に乗った男子中学生が突っ込んで来てぶつかりさうになりました。

 

例弐ーバカみたひな若ひ男女のグループが歩道一杯に拡がり歩ひて居て「バカヤロウ、ちゃんと小さくなって歩け!」と注意しましたところ其の中に居た兄ちゃんが怒って走りながら追っかけてきました。

例参ー兎に角不倫などに勤しむふしだらな👩が多くなりました。

 

實際自転車に乗って方々へ買ひ物へ出向きますとかうして恐ろしひ光景に屡遭遇するのであります。

 

例四ー歩行者の信号無視が恐ろしひ程に増へても居ます。

 

つまりは其れも利己主義化であり其れ即ち自己にとっての合理化其のものなのです。

 

尚其の兄ちゃんに対しては何せこちらは自転車なので余裕にて逃げ切れました。

 

 

3.元より其の「合理化」とは何かをより良くする為の方策である筈です。

 

ですが實際には合理化にてバランスが取れることは小さひ領域のことに限られて居ます。

故に合理主義とはデカひ領域で行ふやうなもののことではありません。

 

以前わたくしはかうした合理化の範囲のことばかりに拘って居たものでした。

 

たとへば大掃除などは小さひ領域での合理化のことです。

 

ですが労働の合理化は其れこそ生存権の破壊をも齎しませう。

 

 

合理化すると一見社会は良くなるやうに思はれませうがどうも社会と合理化とは相性が悪ひもののやうで特に資本主義に於ける合理化などはロクなことにはならぬやうです。

 

ですが、人文理性による合理化はまさに今やらねばならぬことなのでせう。

 

尤も人文理性による合理化が仏蘭西革命の方なのか其れとも露西亜革命の方なのか又は鎖国主義のことなのか今のわたくしにもまるでもって分かりませんのですが。

 

人文理性による合理化⇔科学主義による合理化

 

の筈ですので、其の科学主義による合理化が現代社会にとり益を齎すばかりでのものでは無ひことだけはもはや明らかでせう。

コロナ禍もまた其の科学主義による合理化が齎したものである可能性がまた高くあらう。

 

科学主義の履行の場合其の効果は絶大ですが結局其れでもって壊すべきでは無ひところまで影響を及ぼし破壊して仕舞ふと云ふ危険性を常に孕んで居るのだ。

 

 

対して人文理性による合理化の部分をこそわたくしは以前より大きく評価して来て居る訳だ。

 

人文理性による合理化は全体論的なもので要するに其れはぜんたひの幸福ーかの宮澤 賢治の言葉ーとしての全体のバランスを重視するものです。

 

さうして賢治もまたジョン・ラスキンの信奉者として社会主義に歩み寄って居た訳です。

彼は何より法華経への信仰者でしたが同時に革新的な思想への傾倒者でもまたあった訳だ。

 

とは言へ彼はまたキリスト教への理解も深かった訳なのです。

 

いずれにせよ文人と云ふものは昔からかうして社会のあり方に対し深く悩んで来ざるを得なかった訳だ。

 

何故なら社会が悪ひと結局個としての幸福も何も無くなっちゃふからなのだ。

 

兎に角社会が悪ひと全部が悪くもなるのでお願ひします、どうかどうか社会よ良くなって下され。

 

 

とどんなに祈っても實際良くはならぬものなのですね、其れも此の社会だけがね。

 

なんでわたくしはむしろ隠遁文人気質の者なんです。

 

もうどうにもならぬ此の社会に対し何かを考へて居ること自体が時間の無駄だらう。

 

つまりは此の「ぜんたひの幸ひ」の實現こそが人類にとっての最難関課題なのだ。

 

 

五木寛之「コロナ後は三散の時代がやってくる」

 

いや、然しこちらでは五木先生が興味深ひお話をされて居ます。

 

然し「三散」とはまた面白ひ社会関係での言葉です。

 

若ひ頃よりほぼ完全なる夜行性であった筈の五木先生がかうして朝型の人におなりだったことなど此れ迄まるで知りませんでした。

 

尚わたくしは五木 寛之先生が書かれた作品の愛読者であり同時に五木先生のファンでもあります。

 

作家の講演会でもって此れ迄に唯一出向ひたのが五木 寛之先生によるものでした。

 

其れもかって👪三人でもって其のお話を伺っても来ました。

 

わたくしは五木先生がお持ちである其の視点の「暗さ」が何より好きです。

 

何故なら暗ひ見方こそが明るひものを見詰めることでもまたあるからです。

 

 

つまるところ、

 

暗ひのがほんたうは明るく、

 

やさしさはほんたうの愛では無ひ、

 

と云ふやうなことです。

 

 

文學とはまずは何よりもさうした見方をしなくてはならぬものだとわたくしは信じて居る。

何故なら文學とは合理主義による産物では無ひからだ。

 

生の暗ひ側面をあへてさうして見詰め其の暗部を回りくどく述べ、また役にも立たぬことばかりを述べ立てて、其れでも猶希望と申しますか人間にとっての光の方向性を見失はぬものが文學としての眞の力であり作業なのだらう。

 

対して合理化は生の明るひ側面ばかりを追ひ求めて行きます。

でも其れでは人間其のものを明るくすることなど出来ぬ筈だ。

 

人間の本質はもっともっと屈折して居て暗く毒々しひ程のものであり一種臭ひものですらある。

 

臭ひ?

さう臭ひ。

 

人間こそがとっても臭ひ生き物なのだ。

嗚呼だが文學は其の臭気にこそ敏感なのだ。

 

 

尚、五木先生の著作で是非御勧めなのが杁中の三洋堂書店で売って居る中古本の百円コーナーに置かれて居る新書版のものです。

以前わたくしは此処から五冊程買って来其れを貪り読んだ覚へが御座ります。

 

但し其の百円コーナーが今もあるのかどうかは分かりません。

 

兎に角文學や哲學の中古本などを書店にて買って来て此の年末年始にでも是非熟読してみることでせう。

さうして文學や哲學の本を眞面目に読むことこそが個としての思考力の錬磨に必ずや繋がることでせう。

 

まさに其れはみんなで歩道に拡がって歩くこととは正反対での行ひなのだ。

 

現代文明に今求められて居るものとはまさに其の沈思黙考した形での文學の上での熟読のことなのだ。

 

かくてみんなは文明に飼育されるところでのバカになって居ては金輪際イケなひのです。

みんなはまず自分の頭にて考へられる人にならねばなりません。

 

其の為には兎に角本を読んで下され。

もう兎に角死ぬほど本を読んでみて下され。

 

アア本を読み過ぎてすでに頭が半壊した。

と云ふほどに兎に角本を読めよみんなは。

 

 

1.権力の「分散」

2.「三散」の2つ目は「拡散」

3.逃散

 

ー一般的な逃散は労働力のサボタージュです。しかし、宗教的な逃散は違う。そこがすごいところです。だから内密に何年もかけて逃亡計画を立てる。その間は、子どもも産まないようにする。そうやって周到な用意をして、ある日一夜にしてこつぜんと村全体が他藩に逃げていく。これは逃げられる側からすると、生産力が一気に低下するわけだから大打撃です。

計画段階で、藩とずっと交渉しているんです。人手が足りないという藩は、労働力が欲しい。だから来てくれるんだったら念仏を許すと。そういう条件交渉をして、逃散する。ー五木寛之「コロナ後は三散の時代がやってくる」より

 

此の三散と云ふ社会への読みはまさに鋭ひものです。

改めて五木先生の読みの深さに感服致します。

 

其の逃散と云ふのは、ある意味では市民革命や社会主義革命もまた其の逃散の一形態だと考へられなくもなひ。

人民に逃散されればいや社会其れ自体が根本から変革されれば以前からあった体制は人民に逃散されたのと同じことでせう。

 

問題はまさに其の部分が生存権の存立の部分にまで下がって来て居ることです。

まともに生きられぬやうな社会にするのならもう死んでやらう、位のところにまで實際生存権の確保のレヴェルが下がって来て居りつまりは弱ひ立場に居る人々程もはや滅茶苦茶です。

 

 

ーコロナ以前の先進国は、低賃金な労働力が必要だということで、移民・難民を受け入れてきました。しかしコロナによって経済が縮小し、失業率も高止まりになると、彼らへの風当たりや排外主義は今まで以上に強くなる可能性があります。そうすると、自国から逃散してフランスやイギリスに来た移民・難民がさらにまた逃散を重ねるような状況が出てきてもおかしくありません。

一方で、これまでと同じように、中東やアフリカで生活に行き詰まった人や、政治的な迫害を受けている人は、自国を捨ててどこかへ逃散していくでしょう。さらに今、ブラジルでコロナの被害が非常に大きくなっていますが、今後、南米やアフリカ、インドのように、貧しくて人々が密集して暮らしているような国や地域で、第2波、第3波が猛威を振るうことになるでしょう。ー五木寛之「コロナ後は三散の時代がやってくる」より

 

移民・難民もまた國家からの逃散者でありさらには文明圏からの逃散者となることだらう可能性もまた今後は多分にあると云ふことだ。

 

でも素朴な疑問なのですがほんたうに一体何故人間社会は自國民のみんなを幸せには出来なひのでせうか?

自國民のみんなを幸せにしてこその政治体制であり社会制度の意義である筈なのに何で其れを人間の社会はいつまで経っても成し遂げられぬのでせうか。

 

また此のことは若ひ頃にも確かにさう感じて居りましたが最近余計に酷くさし迫った形でわたくしに感じられるやうになった問ひであり疑問なのです。

 

だから社会って一体何の為にあるものなのだらうか。

もしや個としての人間を抑圧し苦しませる為にこそ存在しているものではなかったか。

 

正直申しましてわたくしは五木先生のやうな優れた感度なら信用しても宜しひのですが政治家だの社会体制だのに対してはまるで信用することなどは出来ません。

要するにズバリ申しまして社会を信頼することなど出来ません。

 

 

ーその後に起こった応仁の乱や戦国時代の天下大乱は、新しい時代へのアプローチでもありました。中世ヨーロッパでは、ペストがルネッサンスを準備したというのはよく言われる話です。おそらく今度のコロナウイルスも、大きく時代を動かすことになるでしょう。

分散・拡散・逃散という「三散」は、これまでも少しずつ問題になってきていたものです。今まで、変わろう変わろうとしていて、なかなかふんぎれなかったもの、膨張していて崩れる寸前になっていたけれど、かろうじて維持していたものもたくさんあります。

 

 でも、コロナによって対症療法ではどうにもならなくなってしまった。コロナを契機に、それらが一斉に雪崩をうって崩れています。ー五木寛之「コロナ後は三散の時代がやってくる」より

 

 五木 寛之先生はもう随分前からー二十年程前からかー文明の危機を予見され様々な見解をお示しになって来て居ました。

また此処でも仰って居られるやうに文明にはすでに今世紀の初頭の時点でまさにギリギリであった下部構造が大きく拡がって居たのだらうと思ふ。

 

今まさに破壊されて居るのはさうしたからうじて維持されて居た部分での崩壊でもあることだらう。

「それらが一斉に雪崩をうって崩れ」て行くのであれば其れはもはや文明規模での崩壊であることは明らかです。

 

其の崩壊はかくして具象的にコロナウヒルスが齎したものですが其の引き金を引ひたのはむしろ抽象的に推進されし文明社会の過分なる欲望其のものでせう。

謂はば人間社会としての大き過ぎる欲望が其の引き金を引ひたのですから、其の責は全て社会に問うて行くべきでもはや個としての欲望が云々と云ふ次元のものではありますまひ。