目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

愛は人間を救ふのかーⅤ 愛無き世界への一つの愛の形としての文學 弐ー

無常の車
 

 

   57


君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
つかの上には一もとずつのかわらが立とう。
そしてまたわれらの骨がちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。

  (58)

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日のおも、星のひたいであったろう。
そでの上のほこりを払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女おとめの変え姿よ。

 

 

かように我我人間存在の抱へる業と云ふか罪の深さは元々如何ともし難ひものがある。

 

其の生命として抱へる分離性、心身としての疎外、こそがまさに如何ともし難ひ矛盾として理性にはさう捉へられやう。

其の理性はしかもかうして文明の構築すらをもするのである。

さうして骨は朽ち砕けやうともまた一握の土と化さうとも求めて止まぬ生に対する恋情に突き動かされまた新しひ瓦ー人間ーが再生されるのだ。

 

かくして地の骨は天の輝きに連なり乙女の命は花花に連なる。

あらゆる事象のうちに創造と破壊の、其の生と死の軌跡は折り畳まれ時の記憶の彼方でせめぎ合ふのだ。

 

さう日の面も星の額も所詮は其の時の腕に抱かれし幻像なのだ。

さう其れはかって我であり同時に我では無かった全てのものを指してさう呼ばれるもののことだ。

 

 

 

  60


朝風に薔薇ばらつぼみはほころび、
うぐいすも花の色香に心地ごこち
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。

  61

雲は垂れて草の葉末に涙ふる、
花の酒がなくてどうして生きておれる?
今日わが目をなぐさめるあの若草が
明日はまたわが身に生えて誰が見る?

 

 

薔薇はさうして鶯は何故かくも美しひのか?

畢竟其れは欲が無ひからではなひのか。

土から咲き土へと還るものに余分な欲など元より無からう筈。

 

ところが其の自然に我などは無ひ。

我を分別する者は人間様のみ。

かくして人もまた土へと還らうが、只土に帰するのでは無く未練を残す。

 

其の未練の醜さを忘るるが為に詩人はさうして酒を飲むのだ。

 

 

 

  63

川の岸べに生えでたあの草の葉は
美女のくちびるから芽を吹いたいきか。
一茎ひとくきの草でもさげすんで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

  64

酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上にすわって耀かがよう酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!

 

 

 

女体には色濃く其の自然が宿って居やう。

だから誰も其の自然を非難することなど出来ぬ。

其れが半分は自然其のものであることは確か。

だがあと半分は欲深き夜叉としての欲望の別名のこと。

 

生を育むもの其れ自体がそんな悪魔の眷属のことだ。

しかも陽は其の様を輝かしく日々照らし続ける。

 

ご丁寧にもさうしてシラフでは見るに耐へぬ形でもって其れを照らし出す。

だが命にとって其れは常に美しひ。

まるで神々しひばかりにまるで自然其のものであるかの如くに。

 

 

 

ままよ、どうあろうと

 

 75

わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁*に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。

 

 

尤も正信と邪教の区別ですらなかなかつかぬものだ。

何故なら信ずることはいつも正しく信じぬことが常に邪なのだから。

 

現代文明は邪教である可能性が大だが多くの人々が其れを信じて御座る。

他方で自然は文明とは異なり欲の持ち方が具象的だ。

具象的なので悩みが無くしかも其れ自体が美しひ。

 

植物➡動物➡人間となる其の過程でおそらく抽象性が拍車をかけ欲を増大させた筈。

欲深い人間の心は醜く其処に自然のやうな具象的な美しさを保ち得よう筈も無ひ。

 

酒飲んで其の抽象性ー理性ーを麻痺させ自ら壊れていくことにも一理はあり。

其の悲観を酒にて麻痺させ壊して仕舞ふ、或は其の抽象的な欲望其のものを麻痺させ壊して仕舞へ。

 

ちなみにイスラームの価値観は飲酒其のものを否定して居る。

詩人ハイヤームはまさに其れとは真逆の価値をかうしてかって述べたのだった。

 

 

 

  (84)


あのしかつめらしい分別ふんべつのとりことなった
人たちは、あるなしの嘆きの中にむなしく去った。
気をつけて早く、はやく葡萄の古酒をめ、
愚か者らはまだれぬまに房を摘まれた。

 

(90)

エデンのそのが天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓たいこはすべて音がよいのだ。

  91

なにびとも楽土や煉獄れんごくを見ていない、
あの世から帰ってきたという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命――消えて名前しかとどめない!

 

 

 

さうして分別の虜といざなれば人生其れ自体が其の分別の為に終はって仕舞ふ。

だが分別を去れば無明の曠野が拡がることもまた確かなことだ。

 

たとへば自然は所謂無知の知に満ちて御座るが結局其れは人の為の幸せの姿とは程遠ひものだ。

其処で文明は宗教を発明することで人間其のものを助けやうとする。

 

其れは人間が救われぬ存在であるが故にどうしても其れが必要となるのである。

だが其れも酒飲んで忘れて仕舞ふ手が無ひ訳では無ひ。

まさに其れが宗教とは異なるいまひとつの道を歩むと云ふことなのだ。

 

 

愛無き世界に愛を築くか、其れとも其の愛無き世界を酒飲んで忘れるかと云ふ其の二元的選択のことである。

別に酒を飲まずとも悲嘆し絶望を撒き散らす文學であるにせよ其の目的は達せられやうが。

 

文學は宗教とは異なりあへて建設しなひ。

さうして嘆き悲しみ悩んで居ることの過程を述べるもので其処に救ひを齎すものでは本質的に無ひ。

むしろそんな人間のどうしやうも無ひ愚かさに寄り添ひ寄り添ふことで其の苦しみ其のものをありの侭に述べるのみ。

 

宗教は教義としての大伽藍を建設するが基本的に其れは死を見詰めたものなので其処に現實的に何か御利益が生じると云ふものには非ず。

但し其れを信ずればおそらく救はれやう。

心だけはさうして救はれるのだ。

 

だがペルシアの詩人は其れにも懐疑的だ。

かくして命は全て消え去り何も残らぬとの仰せである。

 

尚個人的には何せ命其のものに対し懐疑的なので快楽主義にもまた懐疑的なのだが兎に角文學として悲嘆か又は呪詛を書き連ねることには大きな意義を認めて置きたひ。

 

 


  (92)

おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。

  93

この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
いとしい人や美酒うまざけをとり上げるとは罪だぞ。
いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!

  94

はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫サーキイよ、さあ、早く起きて仕度をなさい、
この世の憂いをの酒で洗いなさい。

 

 

 

確かに此処が天國なのか其れとも地獄なのか分からぬ。

おそらくは天國でもありまた同時に地獄でもあるところなのであらう。

 

其の現物があれば天國など要らんと云ふ話でならば矢張りと言ふべきか此れは徹底的に現世を嘆ひて居るやうで居て現世利益を、其の「草の上の盃と花の乙女と長琴」としての現實への愛を詠ひし詩なのではある。

只其の愛をあの世に持って行きたくは無ひ、いやあの世なんて不確かなものは信じられやせぬから兎に角今を楽しむことで沢山だとさう述べて居るのである。

 

しかも自ら望んで此処へ来たのでは無ひ。

やがて消え去る運命なのも自分の意志では無ひ。

だから其処には常に憂ひが生ずる。

 

其の憂ひを宗教は逆に信念へと変へて行かう。

だが勉學をやり過ぎたペルシアの詩人はもはや其れを信ずることが出来ぬ。

 

何故なら宗教は科学的に解明若しくは証明することなど適はぬものだ。

でもってして此の世の憂さは酒で洗ひ流せとの仰せである。

 

 

 

  (98)


一壺のあけの酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐかてさえあれば、
君とともにたとえ荒屋あばらやに住まおうとも、
心は王侯スルタンの栄華にまさるたのしさ!

  99

おれは有と無の現象あらわれを知った。
またかぎりない変転の本質もとを知った。
しかもそのさかしさのすべてをさげすむ、
酔いの彼方かなたにはそれ以上の境地があった。

 

 

 

學問をやり尽くしある意味で達観せしペルシアの詩人も矢張りと云ふべきか小欲である。

わたくしなども屡こんな風に思って居たりもする。

 

只酒は要らず菓子でもあればと言ったところか。

其れに出来得れば廃屋でも良ひから山の中に住みたひ。

 

有と無のことは科学者に限らず人文の徒には必ずや突き付けられて来る大問題なのだ。

其れを「知った」と言ひ切れるのはまた凄ひな。

また変転の本質も知ったとのことだから其処もまた凄ひな。

でも酔ひの彼方の境地が其れ以上だなどとはほとんど思へなひのだが。

 

 

 

むなしさよ

 

  101

九重の空のひろがりは虚無だ!
地の上の形もすべて虚無だ!
たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ、
ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!

  102

時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄むだなこと。
野に出でて地平のきわみをけめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

  103

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
さらに百年を生きていたとてなんになろう?

 

 

 

其の虚無と云ふのはまず相当に學び且つ感覚を磨ひて行かねばまず見へては来ぬことだ。

普通大衆は其の虚無を感じて生きてなどは居らぬ。

 

其れは動物と同じなので悪くは無ひやうに見へて實は悪ひことだ。

何故なら其処で欲が抽象的に肥大化し過ぎて居りヤバひこと此の上無ひ。

 

何でさうなるかと言へば社会に尻尾を振り従ふだけだからさうなる。

つまり最終的には此の世は其の大衆としての価値観が赤信号をみんなで渡ることにより崩壊することだらう。

ー大衆の具象的な欲の持ち方其れ自体が悪ひのでは無く社会の抽象欲に尻尾を振る🐕共が悪ひー

 

 

まあ其れも含めて確かに此の世は虚無なのだ。

但し其の無駄かどうかはわたくしの場合自分でもって判断しなひことにして居る。

其れでも結局無駄なのだが其の無駄の中での有為又は有意を信仰の形でもって形作らねばならんと個人的には思ふ。

 

但し其れもあくまで選択の問題であり「無神論」と云ふ不信心の形を否定するものでは無ひ。

尤も其の場合には頼るものが又は救って呉れるものが無くなるのだから精神的には余計に大変だなともさう思ったりもして来て居る。

 

何百年生きても人間の抱へし本質は変はらずたとへ其れが世代をまたぎ千年、万年となっても変へやうが無く従って虚無が人間の心から滅せられる訳では無ひ。

かくして人間は本質的に何かを抱へる問題のある生命なので是非其処でもって何とかせねばならず其の何とかするのは社会の側からは如何ともし難ひことだと云ふことをのみわたくしは今述べて置きたひ。

 

 

 

  106


ないものにもの中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

  107

世に生れて来た効果しるしに何があるか?
生きた生命の結果として何が残るか?
饗宴のともしびとなってもやがて消えはて、
ジャムの酒盃*となってもやがては砕ける。

 

 

 

流石は当時の一級の知性の言葉だ。

わたくしも此れ迄に何度も述べて来たのだったが、つまりは有ると云ふことは無ひと云ふことに対する負債であり瑕疵である。

従って無ひものの中には逆に全てがあり同時に有るものの中には全てが無ひ。

 

有ると在るは違ひ有るものは無く在るものはしかと在る。

 

 

で、人間は有るだけの者なので、本来ならば其処に全ては無ひ。

なんだけれども抽象的に幻想して居るので無ひものを在ると大きくカン違ひをして御座る。

 

在るのは神佛だけなのに在るのは自分であり👪であり親戚であり会社であり共同体であり國家であるとさう幻想のヒエラルキーを形作って居る訳で其の価値観を創ったのはあくまで人間の社会である。

其の社会に宗教ー釈迦やキリストーや詩人は反抗しかうしてペルシアの詩人の場合には酔生夢死しやうとさう時を越へて我我に訴へかけて居るのだ。

 

だから人文の力とは其の反抗の力のことなのだ。

対して大衆は只尻尾を振り続けるだけのことだ、社会だの権力に対してさうしていつまでも🐶であり続けるのだ。

 

有るものは不完全なので其処には本質的に崩壊と不足が拡がるばかりだ。

其の崩壊と不足を罪又は煩悩として捉へ心のあり方其のものを変へて行かうと云ふのが宗教の意義だ。

 

されど文學は宗教では無ひのでかうして別のことを言ひ嘆き悲しんだり呪ったり絶望したりもして行くのである。

で、どれが正しひと云ふ訳でも無ひのだが以上の説明より大衆と云ふのはむしろ一番ヤバひ心理状態にあることがお分かり頂けたことかと思ふ。

 

尤もみんなを馬鹿にして居るのでは無く實はわたくし自身も半分位はまず大衆であることからは免れて居らぬ。

だからわたくしもまた半分は共に沈没する。

尤もかのペルシアの詩人の精神が死んでから救はれたかどうかはもはや誰にも分からぬことなのだが。

 

 

 

 

一瞬をいかせ

 

 

  112

あすの日が誰にいったい保証出来よう?
哀れな胸を今この時こそたのしくしよう。
月の君*よ、さあ、月の下で酒をのもう、
われらは行くし、月はかぎりなくめぐって来よう!

 


  113

あわれ、人の世の旅隊キャラヴァンは過ぎて行くよ。
この一瞬ひとときをわがものとしてたのしもうよ。
あしたのことなんか何を心配するのか? 酒姫サーキイよ!
さあ、早く酒盃を持て、今宵こよいも過ぎて行くよ!

 

 

 124

さあ、起きて、嘆くなよ、君、行く世の悲しみを。
たのしみのうちにすごそう、一瞬ひとときを。
世にたとえ信義というものがあろうとも、
君の番が来るのはいつかわからぬぞ。

  125

大空のきわみはどこにあるのか見えない。
酒をのめ、そらのめぐりは心につらい。
嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、
星のもと誰にも一度はめぐるそのはい

 

 

 

其の「一瞬」の価値はバカらしひものだから酒飲んで全て忘れよとさう仰せである。

尤も宗教は其の「一瞬」をむしろ有意義に構築して行く訳だ。

 

其れも正しひ価値へと持って行きたひ訳なので御坊様方も神父様もまた神職の方々も其処でもって酒飲んで諦めたりなどは金輪際して居りません。

或は現代文明は科学技術と云ふ価値に全てを賭け其れにて自分達が神になるのだとさう思ひ日々邁進して来ても居ります。

 

だから實はどちらも酔生夢死などでは無ひのだ。

實はどちらも信仰の世界のことだ。

 

只信ずる対象が変わっただけのこと。

ところが科学技術は抽象的思考を具体化するものだ。

 

 

酔生夢死は物理的に価値の構築を止めることなので精神的に価値の構築を止める佛教に対する対概念のやうなものだ。

つまるところ其は必ずしも悪ひものには非ず。

 

抽象的思考を具体化することは何より危険であり無謀であり神佛への謀反である。

 

抽象的思考を具体化する大欲に捉へられし時点ですでに人類の破滅は決せられて居た。

其の抽象的思考を具体化する大欲とは智慧の實を食ったことによる欲望の抽象化のことだ。

 

古のペルシアの詩人は其の欲望の抽象化をも酒飲んで忘れよとさう仰るのだ。

なんと素晴らしひことなのだらう。

 

其れは宗教には反することだがある意味では宗教以上に潔癖な欲望の放棄でさへある。

 

 

 

  126

学問のことはすっかりあきらめ、
ひたすらに愛する者の捲毛まきげにすがれ。
日のめぐりがお前の血汐を流さぬまに
お前ははい葡萄ぶどうの血汐を流せ。

  127

人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!

  (128)

春が来て、冬がすぎては、いつのまにか
人生の絵巻はむなしくとじてしまった。
酒をのみ、悲しむな。悲しみは心の毒、
それを解く薬は酒と、古人も説いた。

 

 

酒飲んでもう學問のことなど忘れるがヨヒ。

かうして嘆くのだが嘆きに一瞬を費やすなとさう仰せである。

 

また死んだとて悲しむなとさうも仰る。

其の酒こそが生の空しさを永遠に消し去るのだ。

 

其のアナーキーな諦めの境地にも一理がある。

酒飲めぬなら薬の方もまたあらう。

事實かの坂口 安吾などは重度の薬物中毒者だった。

 

其のアナーキーな諦めの境地には建設的な諸価値の構築を暗に否定する向きさへもがある。

 

 

 

 

  135

あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱ゆううつなだけ。
気がたしかならこの一瞬ひととき無駄むだにするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少い。

 

 (136)

時のめぐりも酒や酒姫サーキイがなくては無だ、
イラク*の笛もふしがなくては無だ。
つくずく世のありさまをながめると、
生れたとくはたのしみだけ、そのほかは無だ!

  137

いつまで有る無しのわずらいになやんでおれよう?
短い命をたのしむに何をためらう?
酒盃に酒をつげ、この胸に吸い込む息が
出て来るものかどうか、誰に判ろう?

 

 

其の愉しみは本質としての愉しみには非ずとして宗教は其れを決まって否定する。

勿論其れは眞理だ。

 

眞理だが其の宗教の本質主義に対置される虚無の価値こそが文學なのだ。

 

考へることの全部をやり終へて詩人が出したかの結論こそが其の虚無主義への反発だった。

虚無主義への反発はかくして成立し實は其れは刹那主義には非ず。

 

此の下らなくも短ひ命は其の虚無主義への反発としてのアナーキーな諦めの境地即ち酔生夢死の世界でこそ成就されやう。

 

 

 

  138

仰向あおむけにねて胸に両手を合わさぬうち*、
はこぶなよ、たのしみの足を悲しみへ。
夜のあけぬまに起きてこの世の息を吸え、
夜はくりかえしあけても、息はつづくまい。

  139

永遠の命ほしさにむさぼるごとく
冷い土器かわらけくち触れてみる。
土器かわらけくちかえし、なぞの言葉で――
 酒をのめ、二度とかえらぬ世の中だと。

 

 

 

かように夜と昼は永遠に繰り返されて行かう。

だが其の夜と昼は永遠に我のものには非ず。

 

夜と昼は永遠に繰り返されやうが息はさうして唇は其れに対し絶望的に無力だ。

其の絶望的な無力感を癒すのは酒ばかりなり。

 

では何故女では無ひのか?

酒は死で女は生なのだから。

 

たとへ女に溺れても其の絶望的な無力感は世代を超へて語り継がれるばかり。

そんなことする位ならばまだしも酔生夢死の方が余程に正解なのだ。

 

 

 

  141


もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十のよわいつき
今この瞬間ときでなくいつの日にたのしみ得よう?

  142

めぐる宇宙は廃物となったわれらの体躯からだ
ジェイホンの流れ*は人々の涙の跡、
地獄というのは甲斐かいもない悩みの火で、
極楽はこころよく過ごした一瞬ひととき

  143

いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!

 

ルバイヤートより

 

 

 

學問はしなひと分からぬが、イザ學問が分かるともはやどうでも良くなるものだ。

ハイヤームにとり地獄とは悩みの渦中ー火中ーにあることで、対して極楽とは酒飲んで全てを忘れる状態にあることだった。

 

其れは生殖でも學問でも其の他あらゆる価値の構築でも無くまさに酒飲んで全てを忘れる状態にあること。

さうか、彼は此処に至り一切の価値の構築を放棄したのだった。

 

何故か悲しみの多ひ人生に対し一切の価値の構築を放棄したのだった。

 

そんなバカバカしひものは眠るか酔ふかして置ひた方が遥かに有意義なのだとさう仰る。

今わたくしは其んな詩人の価値観を強く支持したひ。

 

何故なら事實として此の世はバカバカしひところであり其れ以外のなにものでも無ひ。

 

但し結果的にわたくしは酒を飲まぬのでかうして宗教へと走るのである。

其れも構築しなひ宗教である佛教へと走る。

 

其れは選択の違ひであるだけのことで生に対する根のところでの絶望と諦めの思ひは古のペルシアの詩人とまるで同じである。