目覚めよ!

文明批判と美の探求と

賢治は何故結婚しなかったのか

さて其のコスモポリタン的な世界観ー価値観ーを追求していったのがかの宮澤 賢治である。

廿台の終わりから四十歳位まで、わたくしは宮澤 賢治につき全集ー新修全集ーを丹念に読み込み解読を行って居た。

 

だが所謂有名な作品を具に読み込んで居た訳では無ひ。

實は文語詩の方を専門的に読み込んで居たのだった。

 

何せ宮澤 賢治は元々歌人なので定型的な文語詩の方により彼の持つ思想乃至は世界観が投影されて居るものと見做したのだった。

 

が、彼の描く童話作品の方なども矢張り素晴らしひ。

其れに絢爛たる彼自身の宇宙の様を描く『春と修羅』の方も矢張り素晴らしひ。

 

素晴らしひのだが、賢治に限りわたくしは文學的な要素を其処に余り感じては居なかった。

 

文學的な要素とは虚構としての構成力のことだと思ふのだが賢治の場合は其の内面に拡がる小宇宙を其の侭に記しただけのことだから其れは所謂虚構性とは違ふ。

 

謂わば原生的な感覚世界を教師としての彼の理性のフィルターを通しはするがむしろ其の侭に表白したものなので其れはまさに心象としてのスケッチなのだ。

 

 

即ち宮澤 賢治が述べて居ることとは全てが彼にとっての「ほんたうのこと」なのだ。

 

かと言って他の詩人や作家が書ひて居ることが「まるでウソ」のことだとはとても言ひ切れないのではあるが。

 

兎に角わたくしはさうしたストレートなものが好きなので宮澤 賢治はまさにわたくしにとっての研究課題にうってつけであった訳だ。

 

 

其れに宮澤 賢治の作品には宗教的要素が色濃く感じられる。

 

事実彼は法華経の世界観を世に知らしめる為に作品を書き続けていくのだった。

だから其の宗教観を抜きにして彼の文學を論ずることなど出来ぬ。

 

法華経乃至は大乗仏教としての世界観こそが宮澤文學に通底するものでありまた彼の心の核にあったものだ。

 

かように詩人としてまた仏教徒としての宮澤 賢治には常に宇宙が見へて居るが哀しひかな其の美の様を其の侭に世人に伝へる訳にはいかぬ。

 

何故なら宇宙の見へて居なひ人々に対して其の宇宙をあへて伝へねばならぬのだから決まって藝術家は苦労せざるを得なひ。

 

ところが幸ひにも其処には詩と云ふ文學の上での表現の形式があった。

 

また童話と云ふジャンルもまた存して居たのだ。

 

 

かくして賢治は其の内面の宇宙を語り始める。

 

だが様々なことが起こり過ぎて居た。

 

教師としての仕事や改宗の問題、また最愛の妹の病気と死。

 

故郷岩手の農民を救ふ為の奔走や自らの病との闘ひ。

 

 

何せ詩人は皆詩人肌でもって兎に角繊細なのだ。

 

繊細なのに多くの農業に関する相談を受けたり営業マンをやってみたりと、しかもさらに作品を書き続けて居るのだからそんなんではもう壊れちゃうぞ。

 

 

事実彼の身体は壊れた。

 

個人的には壊れるべくして壊れたとも思ふのだが賢治の一番偉ひところはさうした中でも作品を生み出し続けて居たことだった。

 

当時彼は無名の詩人でもって今でこそ我が国を代表する近代詩人となっては居るが当時は以下でのやうな有様だった。

 

 

1924年大正13年)4月20日、『心象スケッチ 春と修羅』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという[58][59]。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月にダダイスト辻潤が『読売新聞』に連載していたエッセイで紹介。詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた[60]中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている[61]。同年12月1日、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行(定価1円60銭)。盛岡高農の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷・製本した。出版社「光原社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った[62][63]。本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主宰の鈴木三重吉に『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された[64]。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。三重吉の厚意で無料だった[61]。7月、詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加する。11月23日、花巻の北上川小船渡に東北帝国大学地質古生物教室の早坂一郎教授を案内、賢治が採集したバタグルミ(クルミの古種)化石の学術調査に協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた[65]。』詩集と童話出版より

 

然しアノ中原 中也が『春と修羅』をすでに評価して居たことは流石だった。

 

おそらくは中原の鋭ひ詩人としての嗅覚が類稀なる才能を其処に発掘して居たのであらう。

 

 

さて、問題は宮澤 賢治に女への興味があったか否かと云ふ部分にこそある。

 

何故か?

 

たとへば中也は女には物凄く興味があったのである。

 

女に興味が物凄くあると云ふことは俗物だと云ふことでもある。

 

だが真の藝術家こそが其の俗物にならうとするものなのだ。

 

かようにほんたうにイって仕舞って居る藝術家はむしろ俗物にこそなりたひものだ。

 

 

何故なら其の宇宙こそは孤独だからなのだ。

 

其のひとつきりの宇宙程寂しくて何処までも深くて辛ひものはなひ。

 

其れは余人には理解し難ひことだらうひとつの壮絶なる闘ひの時空なのだから。

 

 

『新鮮な野の食卓にだな、露のようにおりてきて、あいさつをとりかわし、一椀の給仕をしてくれ、すっと消え去り、またあくる朝やってくるといったような女性なら、ぼくは結婚してもいいな。時にはおれのセロの調子はずれをなおしてくれたり、童話や詩をきいてくれたり、レコードの全楽章を辛抱強くかけてくれたりするんなら申し分がない。— (『宮沢賢治の肖像』)

 

でもそんなドレイ女は何処にも居りませぬ。

女はたとへウソでも触らぬと言ふことを聞かぬ故まことに厄介ですぞ。

 

 『の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって明るくニコニコ笑って話しました。(『宮沢賢治の肖像』)

晩年、森荘已池を訪ねた時は禁欲主義については「何にもなりませんでしたよ」「まるっきりムダでした」と話し、さらに「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」と語って、変節したことを認めた。

実際生徒に「猥談は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという。』 宮沢 賢治 恋愛・性愛観より

 

 

宮澤 賢治は浮世絵を蒐集して居て其の中には多くの春画も含まれて居たとされて居る。

 

つまるところ性や女を全否定して居た訳ではなかった。

 

なのではあるが仏教徒としてより純粋に生きるのであれば少なくとも性や女に惑わされて居るよりは其れが無ひ方がより望ましひことであらう筈。

 

第一自然が性を否定することなど有り得なひ。

 

其のやうに性はむしろ自然を直接に規定して居るものだ。

 

但し其処には観念的な意味での色恋沙汰は無ひ。

 

即ち其の観念的な意味での色恋沙汰を仏法は否定して居るのである。

 

 

しっかし何と「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」などとも賢治自身がかって述べて居たのですね。

全く其のものズバリにエロだなんてまあ何て下品な表現なのだらう。

 

然し其のエロにこそ生の秘密が隠されておる。

エロこそが生を開闢させエロこそが我我を形作っておる。

 

此のエロ、エロ野郎共、エロ事師達の群れの中にこそ生の秘密が眠って居るよ。

 

 

 

宮沢 賢治の恋

 

「性欲、労働、頭脳(思案)のこの3つは両立しない。だからいずれかを犠牲にしなくてはならない」ー以上より引用ーと学生達に述べた賢治は性欲をまずは捨てて居る訳です。

 

何故なら性欲を抑へることは出来ませうが食欲を抑へることなどは出来なひ。

また労働と頭脳もまた実際には両立しません。

労働とはやれと言われたことをやるだけのことで、対して頭脳とは自ら学び自ら考へることですのでまるで正反対のことだからです。

 

但し賢治が目指した労働とはそんな灰色の労働では無くして謂わば楽しひ労働だった。

 

楽しひつまりは何処からも疎外されてなど居なひ労働とでも言ふべきか。

 

家業の古着商としての搾取の様に我慢がならなかった賢治もまた理想と現実との間で板挟みとなり要するに大きな現実上の矛盾に直面せざるを得なかった。

 

だから其処でもって社会主義への方向性が生じて来るのもまた必然である。

 

が、賢治の考へる社会主義とはあくまで自主的に纏め上げられたところでの労働を基盤とする実践的藝術なのだ。

 

だから革命をしやうと云ふ訳では無ひ。

 

第一仏教徒は革命などには生きぬ。

 

真の仏教徒はタダ捨て去るべきところを捨て去りつつ社会体制云々と云ふよりも仏法の保持をのみ願ふ。

 

 

 

 

 

春光呪咀

 
いつたいそいつはなんのざまだ
 どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
 しんとくちをつぐむ
 ただそれつきりのことだ
  春は草穂に呆ぼうけ
  うつくしさは消えるぞ
    (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
 頬がうすあかく瞳の茶いろ
 ただそれつきりのことだ
       (おおこのにがさ青さつめたさ)

 

                                                                                                      (一九二二、四、一〇)

 

春光を呪詛するとは、法華経信徒としての賢治の内面の葛藤をむしろ其の侭に述べたものだ。

春は命の輝きに満ち溢れ其の輝きは👩達が此の世に産み落とす。

 

だからこそ恋はどんな輝きにも増して輝かしひものともなる。

女の心を射止めた👨の心の中は常に晴れやかなのだ。

 

だが黒く艶やかな髪も薄赤き頬もまた美しひ茶の瞳も当然のことながらいつかは失われて仕舞ふ。

美とは所詮そんな風に消へ去るものなのだ。

 

だから此処はむしろ青黑くてがらんとしている。

 

所謂仏法で言ふ空であり虚なのだ。

 

それっきりのことである愛としての蠱惑に心乱されるしかなかった己の心の未熟を謳ひ込んだのが此の詩の内容だ。

 

つまりは其の己の心こそが苦くて青くてさうして冷たひのだ。

 

重要なことは、詩人としての賢治には生の両極面がしかと見へて居たことではなかったか。

 

其の春の輝き、または夏の燃焼、秋の実り、冬の休止と云った自然の様はさうして人生の様はあくまで賢治にとり美しひものであった。

 

矛盾を孕みつつも美しひ何かとして存在して居るべきものであった。

 

感覚的な退行によりより原初的にまた現生的に其の生のエネルギーが直に感ぜられた賢治には生は美其のものである。

 

また其れはわたくしをも含め多くの詩的な魂の望むところでもあった。

 

 

かくして感度の高ひ詩人は常に自らの内側に拡がる小宇宙を生きて居る。

愛であり浪漫であり完全なものとしての其の少宇宙を生きて居る。

 

だがよりにより仏法は其の愛を浪漫をさうして美しさをも否定する。

事実どんなに美しひものも其の美しさは保存することが出来ぬ。

 

だから昔僧侶はたとへば女の死体などを観察する場合さへもがあった。

即ち美しひ女が屍となり横たわり其の腐っていく過程を具に観察するのだ。

 

まさに其処までして煩悩を、煩悩の親玉としての性欲の滅却を図ったのだ。

然し詩人であることはむしろ其の春の喜びをさうして夏の燃焼を賛美することにこそある。

 

元より生への恋情無くば詩など生まれやうもなく女を語れやう筈も無ひ。

其の意味で詩人とはまさに生に恋する者の異名なのだ。

 

 

ところが、其の恋は全てが幻ぞ。

全てが無常にして幻として失われゆくものであるに過ぎぬ。

 

嗚呼、其の君の思ひ、熱き柔肌に触れもせでと歌ひしかの歌人の熱き思ひに触れもせで。

 

何故ならおまへの正体は単なる青黒くてキタナイがらんどうだったからだ。

 

ええひ、寄るな、修行の妨げになるわ。

降魔退散!

 

女は皆悪魔だぞよ。

 

 

と其処まで行くともはや詩は成立しません。

 

ですから、詩とは要するにエロースです。

 

アガペーでは無く、また仏教でもありません。

 

詩とは最大限の生の倒錯なのです。

 

第一そんな腐った👩のことを君は美しひなどとよくもウソこひて述べますね。

 

 

かうして実際には不細工ですが、さうして実物を美化して書くと云ふのが詩の本質です。

 

ですから何故か👩は結構詩が好き♡なものです。

 

詩位ならたとへば百篇位書ひて贈ってもよろしゅう御座りますがいまだに誰にも詩を書いて呉れなどとは言われて居りません。

 

ただ、不細工でも何でも大事な人は大事な人です。

日頃の家事労働に感謝し奥さんを大事にしなひと罰が当たりませうぞ。

 

 

 

問題は何故賢治が詩人であることをあへて捨て仏法に走ったかと云ふこと其れだけのことなのです。

ー後年賢治はわたくしの書いたものは全てが迷ひの跡だったなどとも述べて居ります。-

 

まあ確かにわたくしも仏法に走って居ります。

 

仏法に走ると、ものの見方は大きく変化します。

 

と云ふよりもわたくしの場合は最初からものの見方が変ですので其処は余り気にしなひ方が良ひ。

 

個人的には賢治にはもっと楽に暮らして貰ひエロの詩でも是非書ひて頂きたかったところです。

 

つまり押しかけ👩教師と結婚するべきだったとさう思ひます。

 

何故ならアノ極度に内面が偏向して居りしルドンにしてからもが結婚したからです。

 

 

『この頃、小学校教員の高瀬露という女性が協会にしばしば通ってくるようになる。高瀬は賢治の身の回りの世話をしようとしたが、賢治は居留守を使ったり、顔に灰を塗って出てきたりするなどして彼女の厚意を避けようとした。協会に人が集まった時、高瀬はカレーライスを作ってもてなしたが、賢治は「私には食べる資格がありません」と拒否。怒った高瀬はオルガンを激しく引き鳴らした[74]。その後、彼女は賢治の悪口を言って回るようになったが、父の政次郎は「はじめて女のひとにあったとき、おまえは甘い言葉をかけ白い歯を出して笑ったろう」と賢治の態度を叱った[75]。』 宮沢 賢治 羅須地人協会より

 

まさに此の👩教師などは凄ひでせう。

おそらく賢治のことをほんたうに好き♡だったのでせう。

 

だから其処でもって折角カレーライスなどと云ふ超ハイカラな食事を作って呉れたのですぞ。

其れも大正時代にそんな岩手の山の中でもって。

 

其処で其れを食っておかねばならなかったのです。

もう詩よりも何よりも食ひ気です、タダの食ひ気。

 

特にカレーライスははるばるお釈迦様の國から来たものでせう。

其のカレーライスと同時に高瀬何某もつひでに食っておくべきでした。

さすれば賢治は五十歳位までは生きられたのかもしれなひ。

 

然し賢治は結局其のやうに生きやうとはしなかった。

其れは何事にも両面があると云ふことです。

 

賢治の場合は結局理想としての生き方を選びました。

 

仏法への帰依にせよ、教師を辞めてから後はさうして東北の農民の為に奔走していったのも其の理想としての生き方の具現化でした。

事実幸福になればむしろ詩は書けなくなることでせう。

女に触ってももはや詩が書けなくなる可能性は高ひ。

 

かようにどんなものにでも人間には選択が突き付けられて居る。

故に其の空虚であり幻であるものを美として捉へていくのもつまりは倒錯としての藝術の選択なのです。

 

WOWOW 宮沢 賢治の食卓

さて現在アマゾン プライム・ヴィデオの方で視聴出来るのが此の作品です。

此処で賢治を演じた鈴木亮平は少々はしゃぎ過ぎかと思われますが作品自体は史実の部分をも大事に取り入れたもので充分に見られるものです。宮沢 賢治の食卓

 

尚歴史上の人物の評価や解釈は時代により移り変わりむしろ時間が経つにつれより正確に其の人物像が組み上がって来る傾向があるやうです。

但し此処での其の👩教師との恋愛の内容はほぼ脚色かと思われますが事実として此の時期に賢治が多くの問題を抱へて居たこともまた確かなことです。

 

此の作品での本質的内容は賢治の恋と最愛の妹であるトシの死です。

 

恋つまり生に於ける最大の肯定である現象と死、其れも愛する者の死と云ふ最大の否定である現象とを組み合わせて居るものです。

さうして事実として賢治も若い頃には其の両者を相次ひで経験して居た訳です。

 

常に詩人は生と死を見詰めるものですが、賢治が体験し得た其の生と死の振幅はより鮮明な経験として常に我我に迫って来ます。

其の鮮明な対比を生む生と死のドラマに就ひてはまた続編にて論じさせて頂きます。