目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ゲージツかワイセツか






さて此処にはどんな問題が生じて居るのでせう?

1.マンガチック
2.藝術離れ
3.仏教離れ

個人的には此の三点に問題が絞られると思ふ。

1.につひて
正直わたくしには此の『イケメン官能絵巻』が文化財としての寺に相応しひ藝術作品にはとても見えぬ。
コレぞまさにむしろ世の風潮に迎合したものであり、つまるところTVCMやらアニメやら何やらの延長線上にあるもので極めて「下品」なものだ。

2.につひて
問題は然し大衆が藝術の何たるかと云ふことを解さぬ点にこそあらう。
大衆感覚は確かにかねてより如何にも其の下品でもってして藝術の根底に横たわる精神をば解さうとはせぬ。

しかれども、昔の人々は下品と上品の差、其の違ひ位は分かったのだ。
ところが現代大衆、特に女は其の下品とは何かと云ふことにつきまるで分かっては居らぬ。
元より男性には心理的屈折があらうが女には其れが無ひ。

だから女は精神的な存在ではなくまさしく子宮の権化、欲望の化身なのだとも云へやう。
で、こんな下品なものを女共がよりによって好き好んで観に行くのだそうな。


然しわたくしはこんなものは男性を描ひた作品ではなひとさう思ふ。

男性の本質とは外面の形ではなく内面の雄々しさであり懐の深さであり何かを護る為には命を賭しても其れをやり遂げる不屈の精神のことぞ。

ところがこんなCMっぽい、しかもマンガチックなイケメン絵巻なぞ嗚呼うざっぽい、さう如何にもレヴェルが低ひ。

此処には左様な男子の本懐としての精神の内容がまるで刻まれて居らずあるのはタダ肉欲のみ。

其れもどうせならもっと激しく男性の肉欲が描かれて居るならばまだしも藝術として認められやうがまるで表面的なイケメン度のみを軽薄描写するのみ。

其れも女の肉欲の側から描かれし表面的な男の皮に色を塗っただけのものなのでまるでホストクラブでの一時のお遊びのやうだ。

かようなものが藝術である筈はなく寺としての史跡にふさわしひものである筈もなからう。


現代人が極めて下品なのは其処に心理的屈折が無く全くストレートに欲望を肯定する方へと走り易ひからだ。

尚此れは科学技術文明の齎すところでの「精神の破壊」に直結するところでのものだ。

即ち現代人の精神性はむしろ其のままに壊れていかう。

下品とは何かと云ふことでさへもはや彼等には分からぬのだ。


3.につひて

如何に寺離れ、仏教離れが進むにせよあくまで仏教の側は世間に迎合などしてはならぬ。

仏法が滅びるなら其処に滅びるもよし、されど煩悩其のものに迎合し大衆の肉欲を擽り続けるだけのものともなれば其こそがまさに法滅の様、謗法として根本のところを踏み違へることぞ。

さても寺が滅びるならば滅びるでヨシ。

かように寺の存続ばかりを乞ひ願ふことは醜き煩悩の継続をば仏に祈るが如き謗法の様ぞ。

特に女共の、其のしつこき肉欲にだけはくれぐれも気を付けよ!

まさに其処にのみ気を払ひ後は適当でも何でも良ひ、其の部分にのみとくと気を付けていきなされ。




かように藝術か其れとも似非藝術かと云ふ問題は常に生じて居らう。

結論から言へば此の藝大出の方の作品は全部が全部猥褻なものでもなく作品によっては節度が保たれなかなかに美しひではないか。

だが場合により個性的な肉欲が噴出しておる作品もまたあり、おそらくは其なる個性的肉欲への志向がたまさかイケメン絵巻へと乗り移って仕舞ったのだ。

よって出来得れば是非描き直して頂きたひところだ。



他方で藝術とは果たして何かと云ふ問題もまたあらう。

復元されしかの本丸御殿を彩る障壁画や彫刻が果たして藝術と呼べるものなのかどうか。

結局其れは藝術作品では無ひが極めて完成度の高ひ工藝美術の極に位置するものなのだらう。

重要なことはさうした本物の美術作品の持つ品格其のものに触れて居るか否かと云ふことだ。

また其れは藝術であれ工藝であれ一流のものは其れなりの完成度なり品格なりを悉く有して居ると云ふことでもまたあらう。

ただし本丸御殿には莫大な費用が掛かって居やう。

かのトヨタ自動車が金を出したのかどうかは知らぬが兎に角京より職人を呼ぶなどしてとんでもなく金をかけ造られても居やう。

左様にカネさへかければ工藝美術は最高のものともならう。


でも藝術はカネだけでもなくまた外見だけなのでも無ひ。

其の外見にのみ捉われれば藝術は容易に堕しまるでホストクラブでの乱痴気騒ぎのやうなものにもならう。

藝術とは個性を表現する試みだが其の表現が好みになど偏ってはならぬ。

藝術でもってまず大事なのは何より外見としての品格ぞ。

表現者の内面が如何に下卑たものであれまさに表現の仕方ひとつで其れが上品ともなり或は下品に堕するものでもあらうがゆえに。