目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

藝術家が受け持つべき戦闘はランボーに於ける戦闘とまるで変わらぬ

シルベスター・スタローン絵を愛するスーパースター

 

元々内向的だったかのシルヴェスター・スタローンはかように絵なども好きで自分でも絵を描き小説なども書ひて居たのだと云ふ。

 

内向的なこと、たとへば絵を描ひたり詩や小説を書くことはとても静かな行為のやうに思われがちですが其処に一極としての膨大なエネルギーが込められて居ると云ふことだけは確かです。

 

逆に言へば創造にはまさに負のエネルギーが込められて居り其れが正のエネルギーである破壊と呼応し対概念としてむしろ親和的に存在して居る。

 

即ち表現者とは暴力をまた破壊を深く憎むが故にむしろ其れを分かって居る=一種肯定して居るものなのです。

 

 

藝術による創造の世界とはそんな二元的な心理的屈折により齎されて居るものであり謂わば其れはより幅広ひものの見方を示すものだ。

かように透徹した藝術家の眼差しは二極を同時に見詰めることでこそ醸成され得る。

 

二極が其処に見へて仕舞ふからこそより大きく心理的な葛藤を抱へ其処でのそんな戦闘に晒されて居る訳だ。

 

だからと言って其れが何か偉ひものであるなどと価値化して居る訳では無ひ。

 

むしろよりデカひもの、より高級なものを目指す価値ヒエラルキーに対するアンチテーゼこそが藝術的な価値なのであり感性のあり方なのだとさう規定されるべきものだ。

 

 

 

「人生の96%は失敗だったよ」――シルベスター・スタローン独占インタビュー

 

其の内向度即ち屈折は根本から人間の価値観を変へますので必ずしも彼は自分が大成功者だとは思って居なひやうだ。

 

或は表現者であること自体が彼にとっての最大で且つ唯一の価値であるのやもしれぬ。

 

絵とは詩とはまた創造とは暴力だの生臭ひ欲だのさうした生きる為の下賤なる闘ひとは無関係では無くむしろ其れとはくっきりとした対比を成しつつ常に寄り添ふものでもあらう。

 

 

かようにより大きな対立からこそ創造は為され生命は生み出され此の世は継続していきます。

 

藝術は決して其の範囲を逸脱するものではなくむしろ下品に其の対立に身を委ねていくことの別名でもまたある。

 

かように藝術とは両極を同時に見詰め続けることですのである意味では其れは時を超へる概念ですらあらう。

 

 

神仏もまた時間を超越する概念ですが創造と破壊を客体視ー歴史化ーすると云ふ意味で自己完結としての表現の世界とは其れは違ふ。

創造と破壊を繰り返す自己其のものが宇宙-内在的にーなのと自己が宇宙と繋がることで創造と破壊を追体験するのとでは異なり宗教と云ふのは其の過程を外在的にしていくもののことだ。

 

 

内向性は外向性と対義的に構築され穏やかなものーたとへば植物型生命の生のやうにーと激しく闘ふものとの対比、換言すれば平和と暴力の対比もまた対義的に構築される他無きもの。

 

故にこそ静かなるもの、穏やかなるもの、平和なもの、を一義的に欲することはそも此の世の成り立ちの上で不可能なのだ。

 

其れと同じ原理にて豊かなもの、強きもの、永続するもの、を一義的に欲することはそも此の世の成り立ちの上で不可能なのだ。

 

かように文明が指向する諸要素を一義的に欲することはそも此の世の成り立ちの上で不可能なのだ。

 

 

豊かなものを求め続けることでむしろ其の豊かさ自体が劣化し続けていく=貧しくなる。

 

穏やかさ又は平和を求め続けることでむしろ其の穏やかさや平和自体が劣化し続けていく=闘争状態が続く。

 

長生きのみを求め続けることでむしろ其の永続への夢が打ち砕かれる=文明災にて死ぬる確率が高くなる。

 

 

であるからこそ両極を見詰めることでこそむしろ両極を離れる。

文明と内面を見詰めることでこそむしろ文明と内面の双方を離れる。

 

 

もしもあへて其れを欲するのであれば其れは諸価値を神に丸投げした上で其れを行ふより他は無し。

 

或は諸価値の隠滅=佛の価値の実現、を行ふより他は無し。

 

 

男性が女性であることを離れて男性であることなどそも存立し得ず。

女性は男性であることを離れて女性であることなどそも存立し得ず。

 

より深く内向的なこととは即外交的でもあること。

 

相当な利口であればむしろ其れは相当な馬鹿だと云ふこと。

さうしてホモ・サピエンスは集団生活を営むのが上手ひ故にむしろ孤独者ばかりだ。

 

かように諸価値は二元化する故単独の価値を設定-構築ーすること、むしろ其れこそが観念上の癖であり謂わば認識上の誤りなのだ。

 

 

相対的分別は何処までも価値を二元化し其れを分離したままで単独にて構築しやうとする。

無論のこと文明の設定する価値もまた単独の価値を設定-構築ーすることに他ならず。

 

元より生死、創造と破壊、維持と変化、明暗、虚実、肯定と否定、永遠と限定、等の諸価値は対立しませう。

 

対立であるが故に其処に矛盾的推進力を得世界を成り立たせていくのだ。

 

さても此の世にはどうしやうもなひ矛盾やどうしやうもなひ腐敗やどうしやうもなひ誤りがまさに渦巻ひて居らう。

 

どうしやうもなひことばかりの世の中にどうしやうもなきじぶんをぶつけていくにせよ其れは其れでひとつの表現であり愛なのだ。

 

だから其の愛の中にも否定があり侮蔑があり破壊がある。

 

 

むしろ愛があるが故に其処に破壊があり死がある。

 

其処に単独の愛があるなどとゆめゆめ考へること勿れ。

 

此の世の全てはさうした聖なる悪夢のさ中にある。

 

 

嗚呼、此の下らなき素晴らしき世界。

 

こんな馬鹿野郎の巣窟でもってして同時に真に尊敬すべき何かを湛へた世界。

 

 

死んで花実が咲くものか。

 

いや、死んでもって初めて咲く花もまた何処かにあるのであらう。

 

価値を其の価値観を固定化せず常に流動化させておくこと。

 

生死にさへ拘らず其の価値を設定せよ。

 

固定的観念的に死んだ価値と成さず対極へも擦り寄れるものと常にしておくこと。