目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

資本主義の矛盾としての今

其の大問題と云ふものは、普通庶民には論じ切れぬものだ。
さて大問題の中でも大問題なのが此の人間の生存のあり方=自己認識である。

さうして人は普通じぶんに都合の良ひ価値ヒエラルキーに基づき世界の価値観を決めて居やう。
其処には社会的自我なるものが多分に入って居やうから生きた時代即ち年代によって価値観の相違を生み出すこととならう。

よって昔から年寄りには若者の価値尺度が理解出来ず、また男性にとって女性の価値観はまるで理解出来ぬことが多ひ。
また右翼には左翼思想など理解出来ず、金持ちにとっては貧乏人の金の苦労など決して理解は出来ぬ。

左様に本質的に立場の相違を理解し難ひ世界であることこそが此の世の基本構造であるが、さりとて年寄りにとっては若者が居なひと未来は無く、また男性ばかりでは如何にもむさくるしく従って女共を傍に置き子孫をつくらねば矢張りと云ふべきか未来は無ひ。
右翼ばかりだとやがて最終的には帝国主義者となりかの大日本帝国の復活を目論むこととならうから元より其れは危険で、しかしながら左翼ばかりだと平等と人権の蔓延にて世界中の実質的な権利関係の枠が破綻しやがては其処で権利と平等の奪ひ合ひが生じ近代主義そのものが破綻を迎へることとならう。
即ち違ふのだけれども他方がなひとじぶんが存続していけない。
違ふから認められぬのだけれども認めぬとじぶんさへ存続していけぬ。

其のやうに思想的次元では人間=社会の自己矛盾を根本的に解決に至らしめることなどかなわずで、ではどうしたら良いのですか?と其処で問われたならば、とりあへずわたくしの場合は「反省せよ」、まずはとりあへずじぶんを反省せよ。
自己を見詰め其れを徹底的に自己批判してみよ。
などと考へる。

尚其のことは宗教には非ず。
宗教以前の段階での理性的な営為のことだ。

また其れは科学浪漫でも無ひ。
其は原始退行する理性=科学浪漫などとは異なり欲望を根本から根絶せしめることだらう真の理性的営為のこと。

即ち欲望を統御せよ。

還暦にもなって、さらに七十歳にもなって、何故其の自己批判がならぬのか。
 五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。

かの孔子曰く五十にして天命を知る。六十にして耳順がふ。七十にして心の欲する所に従って矩を踰へず。

其の「心の欲する所に従って矩を踰へず」と云ふ部分はまるでカントのやうな理性による欲望の制御がなった境地のことだ。即ち精神に於けるレヴェルが極めて高ひ!
尚、コレは理性の発達段階につきかって孔子が述べたところのものであらうから元々女のことなどココには含まれて居らず、無論のこと女の場合にはまた別の価値観=子宮思考でもって価値ヒエラルキーの世界が形作られておる。

ところが、長生きが可能となりし現代では大体コレに廿歳を足してから論語を学んでおくべきだ。

つまり還暦にても耳はとても順わず。
七十にしてようやくのこと其の天命を知るのじゃ。

現代人は其の自己認識が何より出来て居なひ。
勿論わたくしも出来ては居らぬ。
だが疑問だけはある。

まさに其の疑問があるかないかと云ふことこそが、ー精神的にー闘って居るか居ないかと云ふことの境界線なのだ。

ただし人間は世代に関わらずまた時代に限らず闘って居る人は闘って居やう。

さうだ、還暦にて惑わず。
まずはコレを目指すべし。

ところでひとつ酷ひ記事があり、即ち七十にして心の欲する所に従ひまくり諸の犯罪に走る老人のことが出て居たが何しろ此処のメイン読者が六十代の方々なので其処は是非遠慮させて頂き其処はこれ以上はほじくらぬやうにしておかう。

が、若ひ人は若ひ人なりに此の生の矛盾と闘っておる。

其れは確かだ。

ではどう闘って居るか?

日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと

其のオッサンもより上の団塊の世代が経済成長を引っ張って来たのだとして、我我還暦世代はそんなモーレツではなく社会から甘やかされゴルフやら物欲やらに走って来た訳ですので若い世代の方々にどう言われてもまるで責任など取れない訳です。
尚わたくしは中国には最初から負けて居たのが日本だと思って居り、つまるところ日本の文化的伝統、即ち食文化及び精神的土壌は元々中華文化に大きく規定されて居ります。

アノラーメンのやうに確かに其れは日本のものだと云へば日本のものでせうが其れも元は中国物であることは明らかで第一コノ漢字や仮名も皆中華文明の産物であるのに何故日本人は中国を尊敬しなひのでせうか。
其れと中華料理は死ぬ程美味ひです。
コレに比べれば欧米圏の料理は総じてマズイですね。
とりあへず高級店以外のものはマズイと云ふことですが。

さて今日本の若者は「疲れ果て、そして飢えている。」とのこと。

おそらくは団塊の世代もさうして飢へて居たことでせうが、其の戦後の貧しさからの脱却をタダひたすらに目指すことでの「飢え」と今のアナタ方の「飢え」は質的に違ふものであるやうに思ふ。
幸か不幸か我我還暦世代は其の飢へを経験して居ないので其の部分はまさに推測に頼る他無ひが「疲れ果て」て居たのは我我の世代でも結局同じことだったのではないか。

つまるところ甘やかされて居た分、実は心が疲れ果てて居たんです。
かのバブルの頃など各地で踊り台に半分裸の女共が踊りまくってまるでバカじゃないのかと思って居りましたがまさにさういふ意味で我我も実は疲れ切って居たのだらう。
アイドルとかジャニーズとかなんか変なものが沢山出て来たのも我我の認識を曇らせ次第次第に其の大衆的おバカ感覚へと誘導されて来ざるを得なかった。

そんな訳で我我は一見幸福なようで居て実は精神、即ち其の批判力ならびに精神の自立性を破壊されたまま大人になっていくより他になかった。
逆に言へば不足に苛まれ戦後を克服しやうとする強烈な意志に導かれ時代と闘った団塊の世代と、日本が経済的に凋落ししかも合理化やグローバル経済の波を受け最も基礎的に確保されて居るべき若者の労働条件や労働意欲をグズグズに壊した米国追随の小泉政権から阿部政権への流れ、まさにコレこそが糾弾され潔く戦犯として罪に服すべきものであり、だから其の「飢え」こそが訳の分からぬ自民党主導のまさにポピュリズムから生じたものである。
どだい自民党が其処で何故左翼政策を推進していったのでせうや?
規制緩和グローバル化も何もかも小泉政権ー竹中の思想ーから阿部政権への理性無き流れが生み出したことでした。
ただし鍵は米国追随と云ふ其の一点に集約されて来ませう。

其れ即ち寄らば大樹の蔭と云ふことかと思われますが、でもそも極左思想国家の米国に寄らば天皇制をしく伝統国としての日本がグズグズになって仕舞ふこと位元首相小泉は何故分からなかったのでせう。
さうした観点からすればかの尻尾振りの阿部政権、コレもまた厄介なことこの上なくタダ阿部さんはゴルフが好きだと云ふ点でのみかのトランプ氏と同じく最終的には救われて居りませう。

従って「日本文化の中国市場開拓と斡旋」と云ふアイディアはまさに体制の壁を越へるもので確かに未来の日本の行く末を視野に収めたものなのではないか。
中国との協調路線は他方でこれまでのやうな米国追随の流れをスポイルしなひとも限らぬ訳ですが、其処は日本の政府ももう少し狡賢くしておくべきであり即ち軍事的にはもう兎に角米国に頼っておく他なし。
されど他方では中国へ文化的侵略を開始し日本のアニメ、ゲーム文化を徹底的に広め中国人の若者の心を日本に縛り付けて仕舞へ!

ただ今のアニメやゲームはもうまるで分かりません。
とりあへず70年代でもってさういふのは卒業したので今のアニメやゲームは身心に多大なる悪影響を与へることだらうまるで要らないものとしか捉へられぬ。

90年代以降の日本の政治状況はまさしく其の矛盾的推進の只中にこそあった訳です。
だからアノ小泉左翼改革を黙認した大衆の中の大衆であったアナタ、アナタの其の理性の無さにこそ全ての責任があり同時に小泉純一郎本人のブチ壊しの罪、其の深い深い罪業がプレスリーごっこなどしてアホな国民をだまくらかしていた其の永遠の罪が今の自民党政権へも其のままに受け継がれ純粋無垢なる我が国の若者達の希望や意欲を根こそぎ奪って居るのです。

小泉政権の精神的支柱であった竹中 平蔵には特に理性が欠けて居り、其れは何でかと云ふと小泉左翼改革を断行すれば日本の大企業の多くの競争力がダメになること位其の時点で政策の素人にも見通せて居た訳です。
其処をあへてやっちまった竹中 平蔵の頭の中の空っぽさ、さうして未来を見通せぬ勘の悪さと其の責任無き様。

そんな訳でこんな日本に誰がした?
ああまさに戦犯がした、其の小泉左翼改革によりいつの間にかこんなんなっちまった。



ところで、今世界はほんたうに様変わりしつつある。永遠の輝きに陰り ダイヤモンド業界が衰退している

どう変わって居るかと云ふに、さらなる合理化があらゆる常識即ち伝統的な価値観を圧迫し変わらざるを得ぬ状況をつくり出して居るのだ。
其の合理化は然し若ひ世代が自ら望んだものである可能性は低ひ。

確かに若ひ世代の思考法自体が合理化され謂わば数的還元の域に近づいて居ることさへもが否めぬ。
然し基本的に若者はカネと女と車があれば其れで満足し切って仕舞ふものだ。

団塊の世代に其れは無かったが故に我我還暦世代は逆に其れを与へられて来たのだった。
然し我我の子の世代、即ち七十過ぎの爺ちゃんの孫の世代にとり其れはもはや夢物語であるに過ぎぬ。

だから今の若者はカネも無く女も居らずしかも車も持ってなひ。

じゃどうしておるのかと言へばとんでもないものを借りたりして暮らしておる。
勿論車も必要な場合のみ借りるのであらうが、其ればかりか服を借りたり他の何でも借りたりで基本的に所有せずおお其はまるで聖人のやうな暮らしぶりじゃ。

然し其の借りてヨシ、と云ふ感覚は我我還暦世代にはとんと分からぬ。
特にわたくしの場合は生活の構成が極めて古風だから本も借りずDVDも借りずー全て買ふのでー、携帯は無し、タブレットも無し、パソコンだけ立派なデスクトップ型が机上に置ひてあり其れでもってオンデマンドでも何でも其れで視て居る訳だ。
特に哲學書や文學書は実体本に限る。何より如何にもお勉強して居ると云ふ雰囲気が味わへまことに宜しひ。

だから其の借りて万事が済み、で、其のうちに女も借りてレンタルすることで済み、まさにただ其のひと時の楽しみだけになって仕舞ひ家族もクソも無く爺ちゃんも婆ちゃんもなく、子や女房も家族の団欒も何も無ひ。

そんな無味乾燥な社会にして置ひて一体何処が正しひ世の中なんだ。
確かにわたくしも其の家族の団欒だの子だの女房だのには背を向けてこれまで歩んで来た。
其処は同ひ年のかの春風亭 昇太ーマニアックな真打のーとまるで同じなのだ。

然し、矢張り家族は大事だ。
いや、家族こそが大事だぞ。

つまるところ女房が大事だ。
尤もわたくしの場合女房は居なひが。


兎に角其のやうに所有しなひ。

所有しなひと云ふことはほとんど究極的な合理化であらう。

ところで、其のダイヤモンドに就ひて💎マニアとしてのわたくしからも是非一言述べさせて頂きたひ。

あくまで感覚としてはどうもダイヤモンドは必要以上に割高だ。
ダイヤモンドは永遠の輝き、永遠の愛の象徴などとも屡言われるがどうも其れはウソ臭ひ。
何故ならダイヤモンドは劈開があり其処から結構割れ易ひのであるから。

其れに色も無ひ。
対するカラーダイヤモンドはとんでもなく高価だ。

ダイヤモンドの輝きはタダのカットの輝きであり其処に石としての固有な色、美しひ自然界の色が刻まれて居る訳ではなひ。

よってエメラルドやサファイア、其れにルビーなどの色石の方がより美しく稀少価値もあらう。

ただこれ等も良いものは極めて高価なので思ひ切ってパスする。

もっと安価なもので多彩な色を愉しみたひ。

そんな場合にはプレシャスオパールがまさにピッタリだ。
プレシャスオパールの原石は見て居て実は一番美しひ。
其れも安ひものでもなかなか美しひものだ。

さらにヒスイ。
東洋人であるのならばいつかはココへ行き着く筈。

ところがコレも暫く前に中国市場で高騰ししかもミャンマーでは良いものが出なくなって居るらしひ。

ヒスイは岩石でしかも極めて堅牢な石なので永遠性の象徴とは東洋に限り此の翡翠が担って来たのだ。

つまるところ其の硬玉ヒスイの指輪こそが東洋人の花嫁にはまさに似つかわしいものだ。

其れとヒスイは感触が良く温雅なところがあり一種冷たひダイヤモンドの輝きよりも東洋人にとってはより好ましひ。

兎に角こちらも安ひものでも味わひがありダイヤモンドよりもずっと価値ある宝石だとわたくしの場合はさう思ふのだ。


要するに社会の合理化がダイヤモンドのやうな権威的付加価値の付ひた購買を不可能としつつあるのだ。
権威的付加価値どころか、あらゆる購買をより合理的に見直さざるを得ぬことだらう社会的な不安定感、閉塞感が旧来の常識を転覆させるに至って居る。

消費のあり方其のものが今後より合理化され尚且つ二極分化されていくことだらう。

事実IT関連業界での成功者など少数派の勝ち組はより高級なモノがたとへ若くても何でも買へるやうにならうが圧倒的多数の若者は将来に備へ若いうちから消費支出を抑へる、そんなまことに頭が下がる苦労をしつつ生きていかねばならぬ。

此のやうな社会的不平等ー格差の固定化ーは矢張りと云ふべきか成熟の度を深めし資本主義社会の最大の矛盾点であらう。

然し逆にさうした状況により消費自体が冷え込み尚且つ如何にも資本主義的な権威的付加価値の付ひた購買ーブランド品などもさうーをも不可能となし結局次第次第に資本主義は自分で自分の首を絞めつつあるとも言へるのではないだらうか。

一説には資本主義は其れが成功することにより破綻するとも言われて居り、つまるところモノが溢れしかもモノが良くなるにつれかようにモノを買わずに暮らすある意味では賢ひ消費者ばかりとなり次第に企業の利益が圧迫されて来やう。

資本主義はかように本質として不安定な経済システムなのでやがては大きく矛盾を生じ崩壊に至る可能性が高ひことだらう。


資本主義や民主主義は謂わば自爆型の社会システムなのでやがては矛盾を最大化し自滅に至らしめる可能性が高ひ。