其れにしても暑ひ。
我が家では二階のわたくしの部屋ー八畳+六畳の二部屋ーが最も暑く夕方で32度もあり先ほどから炭酸水を飲み氷菓を食って居たのだが其れでも尚暑ひ。
でも風は気持ちが良ひ、あいにく今日は余り風が無ひのだが。
昨今の異常な暑さからすると矢張りと言ふべきか人類はパラダイムシフトをしていかないとズバリ2050年辺りから全てが崩れ始めおそらくは十年位で滅亡して仕舞ふことでせう。
文明は自然の力を借りてかうした観念的進歩を成し遂げて居るのですが其処で肉体が破壊されるに及べば勿論シンポもクソもなくなる訳です。
夏場の気温が40度を超える可能性も大きくあり、いざさうなると様々に社会的な生活に影響が出て人間の社会性への限定が否応なく突き付けられていく筈だ。
即ち繁栄し過ぎて居る人類を間引くのはあくまで自然の側の論理と云ふか物理です。
物理的に肉体を維持することの出来ぬ環境となって仕舞へば言ふまでもなく人類はすでに其処でもってアウトです。
言わば豊かな社会、豊かな生活をただひたすらに追求して来たことの結果がコレです。
コレラが複雑に複雑に入り組んでは居るが体制の如何に関わらず全的に解放されて来たのは矢張りと云ふべきか欲望でした。
人類は矢張りと云ふべきかより慎重により注意深く生きねばならなかった。
いずれにせよ自然の破壊による自然との絶縁こそが肉体として生きる人間の死を意味して居るのだとすれば観念的進歩に於ける価値観の成就などもはや何の意味をも持ち得ぬ訳だ。
此処からしても人間の社会は生のバランスを取り戻さねばならぬ。
観念的妄想を脱して真に均衡された価値観を生きねばならぬ。
何がどう妄想なのかと云ふことに就き今後わたくしは是非具体的に述べていきたひところだ。
わたくしの場合むしろ滅亡は必至だとさう考へております。
が、其れは画定された未来なのではない。
人類の心乃至は価値観の持ちようが変わればおそらくはソフトランディングすることさへもが可能であらう。