我我の社会は今合理化の極を迎へて居ると言っても過言ではない。
事実自然科学の方では遺伝子のスイッチが云々などと言い始めた。
いざ其の新たな遺伝子のスイッチが入れば宇宙での生活に適応していけるなどとも言い始めた。
つまりは人間の可能性は∞だと云うことがそも言いたいものらしい。
だがわたくしはさうした思想的展開に対して否を突き付けて来た。
わたくしは真っ向から其の思想に対し反対する。
わたくしは人類の叡智など認めて居ないし逆に人間程バカな存在はないとさう考へて来て居る。
人類は都合の良いことだけを観念的に望むさうした低級な段階にしかないとさう断じて来ても居る。
かうしてもう長く人間其のものと対峙して来たのであるし其処に於いて人間の過去と未来につき考へ続けて来た。
其の結論として言へば人間の繁栄はもう長くは続かぬことであらう。
都合の良いことだけを観念的に望む低級な精神の段階の例
1.無限の可能性の追求
2.唯物論としての歴史的展開
すでに何度も申して来て居りますが科学的思考=合理的思考には基本的に欲望の抑制がなされて居りませぬ。
合理化の一番の問題点は此の限定の解除にこそある。
其処で限定の解除を理性的になす訳ですが其の理性が実は矛盾化して居り逆に本能領域へと流れ込んでいく訳だ。
だから理性の権化である筈の科学的な営為は逆に本能的=欲望の追求のレヴェルへと落ち込んでいく訳だ。
なので其処で戦車や戦闘機が出来さらに原爆が出来おまけに原発が出来宇宙開発が行われもしやう。
其れ等は皆諸刃の剣としての悪魔の所業である。
欲望の解放過程としての悪魔の所業である。
生と云う二面化の牢獄を産む女は最終的にさうしたより罪深き人間社会を創出せしめる。
女はバカだから其処から生まれし科学も腐って居り揚句の果てには「人間も宇宙人に是非なろう」などとも言い始める。
君の遺伝子には実は入って居ないスイッチがあり其れさへ入れば実際何だって出来るのだ。
どんなことでも出来る。
人間の可能性は無限だ。
人間はたゆまぬ努力と希望への信心でもって神に匹敵する力を持つことさへ可能だ。
其処ではどんな女でさへをも手籠めに出来やうぞ。
どんな大金も手に入る。
どんな宇宙へも飛んでいけどんなゼータクな生活でも出来る。
宇宙で繰り広げられやう其の酒池肉林の暮らしにこそ乾杯!
などと云う妄想の世界に住して、果たして其れでもオマヘらは人間か?
ほんたうに人間なのか。
わたくしにはまるで人間には見えぬ。
まるで其処いらの野良動物と変わりなし。
サア人類の進歩と調和だ!
一体何を言っておるのか。
言って居ることの意味が全的に不明だよ。
第一これまでに君等は何をして来て居るのか。
して来たのはただ欲望の勝利だけではないか。
其れはまるでレイプと同じことだ。
さうして自然を蹂躙し、妄想に満ちし危ない文明をつくり上げる。
其の何処が偉いんだ。
挙句の果てに可能性は∞だとのこと。
何でも出来宇宙人になるのが或は神人間になるのが夢なんだとのこと。
此の大馬鹿者めが!
さうじゃなく人間とは所詮限定だ。
事実おまへらは左様な安月給にしがみつきさうして社会のドレイになりせいぜい七、八十年も生きればオッ死ぬのだ。
まさに其れが限定だと言うておる。
さうしてクソ社会のドレイになりさうして檻の中に閉じ込められ不細工な配偶者を押し付けられ出来の悪い子の為に身を粉にしつつ働きすぐに死んでいくのさ。
そんな風に我我をドレイ化して居るのは明らかに社会だ。
しかも其の社会は妄想に憑りつかれておる。
どんな妄想かと言うに、ひとへに其れは欲望の成就の為の妄想だ。
其の妄想とは自身の罪を認めず逆に其の罪に値する行為を正当化する為のものだ。
即ち魔道だ、魔道。
人類は魔道へと堕ちた。
汝等はこれまで何をなして来たのか。
自然を壊して来ました。
何故自然を壊した?
つひ自然を欲望の対象となして参りました。
こんな生活がしたかったのでさうして来たまでのことだ。
かうして空を飛び女と交わり仕事と称して岩を削り地面を掘り込み都会と云う変な物をつくりおまけに病気をなくし寿命さへ延ばして参ったが其れのドコがいけないんですか?
空は飛ぶな女と交わるな仕事するな病気でいろ寿命を延ばすな宇宙へ行くな今此処、此処だけを見よ、此処だけに固着せよ此の町内としての範囲だけが人間としての限定そのものだ。
もう其れ以外には何も無い。
元よりおまへらの低級な心性では何も見えてはおらぬ、即ち盲目じゃ。
ですが遺伝子のスイッチが入れば…。
遺伝子のスイッチなど無い。
遺伝子すら無い。
遺伝子があると云うのは大嘘で人間には遺伝子など無く其れはあくまで自然界でのお話のことだ。
では人間には何が有るかと云うと、妄想即ちカン違い、其れも分不相応でのカン違い、其れも持ってないのに持って居ると云うまさに其の危険な期待、其の欲望の暴走、もうまるでマッドサイエンティストのやうなキチガヒ前向き思想、其れだけしか実は有しては居らぬ。
即ち気が狂ってる。
まるでお狂ひである。
其のお狂ひの様がもう長い。
しかも其処に大衆性の問題が絡み合っておる。
大衆即ちみな同じ考へでもって同じことをする人々の群れ。
詩人即ち唯我独尊でもって唯一のことをする人々。
嗚呼、今わたくしには見える。
大衆の欲望が今まさに科学と結び付き悪魔化への流れを生じさせて居ることが。
つまりは其処で其の欲望同士が結託するに及んだのだ。
其の下卑た欲望の流れ。
大衆の願ひはいつも同じでしかも下品だ。
さうして大挙して伊勢神宮や他の神宮へ出掛け願をかけて居るのだが其の行為の根本がすでに間違ひ=無知だ。
言うまでもなく大きな神社では個人的な願ひをするべきではない。
個人的な願ひならば氏神様にこそなしておくべき。
人間とはさうした限定の生命である。
生まれ住んでおる土地、風土、風習などにより深く規定されて居やう。
其のやうな限定に於いてのみ人は人たり得、自然は自然たり得、また社会は社会たり得る。
其の枠を違へるべきではない。
さうして大挙してデズニ―ランドなどに押し寄せるのがまさに大衆の典型的行動パターンだ。
さうして大挙して東名や名神、または中央道などであへて渋滞し便所へ行けずにえらいことになって居るのが大衆としての価値観だ。
其の大衆の価値観と近代科学の価値観が今まさにピタリと組み合わさりかような合理化の流れを生んでおる。
然しながら美に目覚めさらにかの蓮の台座の上に心が乗った詩人はさういうところが大嫌ひで其れでは何処へ行くかと云ふに石拾ひばかりに行っておる。
遺伝子など意味はなさない人間の妄想に対して其れに対抗し得る静けさに満ちた美の追求とはまさに其の石拾ひばかりのことだ。
おおー、それにつけても混んどるなあ。
若ひバカ共がああして子を連れて動植物園へ来て居るんだなあ。
すでに駐車場が無いのでこんな山の中にまで臨時駐車場をつくり全くウルサイことこの上ない。
其れにしてもギャーギャーギャーギャーとガキ共が兎に角ウルサイわなー。
其の喧騒から逃れるやうにして詩人は独り山の中へと入っていく。
其の山の中を三時間程探索する。
あれ、結構採れたな。
其れも珍しひタイプの石英が採れた。
赤い奴、白い奴、藤色、一番多い黄系などと結構バリエーションが豊富だ。
勿論透明度のある石でないとダメだ。
光りを通す石でなければ意味はないと云うことだ。
ただし藤色の場合はチャート系だらうから光は通さぬ。
相生山と東山動植物園脇の自然歩道の地盤は陸続きでよって採れる石も似たり寄ったりだ。
勿論自然歩道からも拾えぬ訳ではない。
然し人の目につくところにすでに美しい石は落ちて居ない。
余り人の通らぬ分け入った道ならば美しい石を拾ふ可能性もまた高くならう。
美とは左様に人の目につかぬところにこそ落ちて居るものだ。
大衆的な価値観や科学的な妄想の中にはそんな美など潜んでいやしない。
わたくしは其れ等に背を向けた上でずっと石を拾い続けて来た。
騒がしいのを、また大仰なスローガンや目標などを離れた部分にこそ美は存在するのだとさう信じるままに石を拾ひ続けて来た。
さうして美しひものは、其の心の信心のままに存在しているのだと云う事も知った。
美しいものは矢張りココロから生じて居るのやもしれぬ。
逆に言へば美しひものはなかなか得難い。でも得難いものだからこそ其れは美しひ。
ただわたくしにとっての美しひものとは人為的なものではない。
どんなレジャー施設もまたどんな百貨店や高級料理店ももはやわたくしには美しひものでも何でもない。
むしろ汚れたものでありつくり過ぎて居るものなのだ。
わたくしにとっては此の石を指向するわたくしの心そのものが美そのものなのさ。
自分と美が一体になること、それほど幸福な瞬間はなくかつ人生に於いて望ましきこともない。