男子プロゴルフトーナメント中日クラウンズでの宮本プロの優勝どうもお目出たう御座ひます。
其れも46歳の高齢優勝まことにお目出たう御座ひます。
勿論46歳ともなればプロスポーツの世界ではもう爺さんだ。
其の爺さんが優勝出来たのは若手男子プロが不甲斐ないからだ。
廿代のかの石川 遼は腰が痛くて棄権。
こんな爺さんでも優勝出来るゴルフと云うスポーツはでも素晴らしい!
が、存外にゴルフは嫌われておるのか、特に妻子持ちの人でもってゴルフに打ち込んで居る人をこれまでに見たことがない。
要するに金のかかるお遊びなので普通妻子持ちには嫌われておる。
元々ゴルフは遊び人ーヤクザな奴ーかまたは金持ちの御遊びかなので貧乏サラリーマンには手の届かぬものの筈。
其れに今は新自由主義経済の実行で兎に角賃金の方が抑へられているゆえそんな遊興費など一銭も出ぬ若ひ人々が多くとてもゴルフどころではない。
事実練習場へ行くともういつも年寄りばかりが来て御座る。
此のジジイ共が決まってヘナヘナ球を打って居るのだがよーく見ると彼等は病院長であったりどこぞの企業の社長であったりしてまさにベーエムベーセヴンシリーズやらおベンツなどに乗り此の練習場におでましの面々だ。
然しもっと良く見るとポルシェなどもまた多い。
ああ、ポルシェは恰好良いなあ。
おお、あんなポルシェもあるのか、あれなどどうも乗り易さうだな。
対して我はいつも自転車置き場にブリジストン製ボロ自転車を置いておる。
コレに跨りおまけにゴルフ用携帯ケース二つも背負いしかも雨の日などはカサさへさしまさにまさにヒイコラ言いつつ三キロもの道を登り続けて来るのである。ー練習場は相生山にあるー
ここはどうも金持ちを生徒にして金を毟り取ることを考へた方が良ひのではないか。
おお、あんなとところにはマセラティが一台あるぞ。
マセラティなど乗ってる奴は何処でもなかなか居やしないぞ。
我はこのところスウィングの上での病にかかりいや、其れももう二年近くにならうが実は絶不調である。
元々女には縁が無いがゴルフとの縁は深くしかも35年もやっておるので上手の部類であった♡。
しかしながら突然崩れた。
或いはトシか、もう歳なのか。
もはや役立たずなのか。
アノ豪打は一体何処へいったのだ、何処へ消え失せたのだアノ300Yショットは。
おまへなんかもうゴルフを止めちまえ。
そんなネットー250Y先のーにも届かぬ球では情けなくて男が立たぬ。
じゃから其れはもう筋肉そのものが落ちたのじゃ。
いやかうして腹が出過ぎて体が回らんのじゃ。
もう何処にも精力がない、ああまさに精力減退じゃ。
さうだしばらくはそっとしておいてお呉れよ。
馬鹿者!
其のやうな弱音など吐くな。
ではたった今より480球の打ち込みの特訓を行う。
確かに480球位今でも打てますが、其の後に自転車で家まで帰るのがとてもシンドイです。
そんな訳でまた戻すにはちと時間がかかります。
正直なところ現状では幾ら叩いてもネットには届きませぬ。
いつの間にやら精神及び肉体が還暦爺さん化しておる可能性すらありますのでもうこれからはゴルフや嫁捜しは止め石と万年筆の世界に戻ろうかとも思ふのです。
今回予選通過がならなかった伊藤プロですが勿論一番応援して居る地元のプロです。ー愛知CC所属ー
数年前は屡練習場の二階で見かけたものでした。
勿論打球はプロ球です。
アイアンショットはきっちり上がりきっちり下へ落ちてから止まります。-バックスピンでー
3Wでネットの中段まで球を運びます。
コレがまたとんでもないホームランボールです。
が、残念ながらドライヴァーショットは見られず仕舞ひだった。
兎に角玄人の球です、まるで玄人球だ。
ハアー、わあくしも三年前位ならばプロ級ドライヴァーショットを放って居りましたのですがジジイの体質が何処かに忍び寄りかうして社会の馬鹿を叫ぶ変な詩人に落ちぶれ実は其れを言うておることだけが楽しみとなりまこと怨念老人となり果てておる。
然しドラコン全国大会で優勝したこともある伊藤プロの打球こそはまさに藝術品です。
いや、調子が出て居る時の男子プロが放つロングディスタンスでのショットこそは皆藝術作品なのです。
其れは極めて美しひものだ。
スウィングつまり体の使い方と打球の両方がまさに藝術の域に達するだらう肉体の仕事です。
なので肉体による藝術表現は何もトーナメント上位者の専売特許と云う訳では無くプロであればトーナメントプロであれレッスンプロであれ皆持ち合わせて居ることだらう美としての肉体の究極の運動そのものだ。
わたくしは其の美としての運動だけに興味があり順位だの獲得賞金額などにはさして興味など御座らぬ。
其の肉体による藝術表現のみを鑑賞するべくプロの放つ打球を追ふのだ。
中日クラウンズはかって十度程観戦しております。
ノーマンの優勝やバレステロスの優勝の折にも其処に居合わせました。
彼等の打球は完成度がより高いのかまさに一級品としての美しさがあった。
全盛時の尾崎 将司の活躍、特に三連覇した頃のショットは素晴らしかった。
其れも練習場から観て居りました。
其処で観たジャンボ尾崎のドライヴァーショットこそがまさに藝術作品でした。
当時わたくしは中嶋派でしたがどうもショットの美しさに限れば尾崎の方がより美しかった。
当時ジャンボ尾崎はグリーン上などでも目つきが悪く余り好きではなかったのです。
が、ジャンボ尾崎は藝術としての肉体ー運動ーと打球の為に常に闘ひ続けて居たのです。
ゴルフに打ち込む姿勢そのものは至極真面目なものだったのだと思ふ。
ジャンボ尾崎にせよ中嶋 常幸にせよ超一流のプロゴルファーでも突如スウィングが崩れスランプに陥るのがゴルフなんです。
ただ其れは下手なアナタ方が元々球の芯を捉へられぬのとはまた訳が違ふ。
だからわたくしが今ダメなのはあくまでさうした意味でのことで球の芯を捉へられぬのとはまた訳が違ふ。
尚、中日クラウンズ観戦で感動したことがひとつだけあり其れは石川 遼の優勝でもなくまた他のどんな優勝でもなく尾崎 直道其の人が醸し出すところでの勝利への執念でありガッツでした。
練習場で観て居てこれほどまでにやる気満々でまさに前向きな精神を見たことなどなかった。
彼尾崎 直道は事実其の頃連覇を果たして居ます。
其の目的に対してひたむきに努力を重ねる姿にこそ純粋に心を打たれた。
いざ嵌って仕舞へばゴルフはとても止められぬ。
後は借金してでもやり遂げたい肉体としての藝術なのだ。
が、我我のレヴェルではなかなか其の域にまで届かぬゆえ或は肉体の屁、または肉体の便所程の醜さしか持っておらぬが其れではとても我慢がならぬ。
どうだ、コレならプロ級だらう、まさにまさにプロ級の打球、まさに藝術としての運動の所産であらう。
あー、とっても美しひ。
まるで富士山のやうな?打球ではないか!
何て美しひ。
女の裸などよりずっと綺麗だ。
此の美しひ打球を我がものとする為、また出た腹を引っ込める為何時間でも其処で球を打ち続けよ。
手の皮が剥け血が迸り出やうとも決して止めてはならぬ。
思わず皆が振り返り眺めるやうなそんな打球を打たずしてどうする。
おまへは持ってる、必ずや持ってる、だからまた治る。
女は振り向かぬが必ずや打球で皆を振り向かせてみせやうぞ。
パッコーン。
うーむ、どうも音が悪ひな、
カキ―ンと云う音の方が多分良ひ。
ほーりゃー、ドッカーン。
ドッカーンはカキ―ンよりももっと飛んだ音だ。
そんなことをアナタ五時間もやってるのですぜ。
其れはとても理解出来んことでせう。
元より我我はどんなに努力したにせよ所詮プロにはなれぬ。
そればかりかシングルにもなれぬ。
ただシングル級の或はプロ級の球を打てるやうにスウィングを磨くことだけは可能だ。
わたくしは其の目的に向かい尾崎 直道のやうな不屈の闘志でもって其れを為していかねばならぬ。
以上のやうなことをまさにゴルファー一家としての尾崎家から学んだのだった。