目覚めよ!

文明批判と心の探求と

五木 寛之 「人間の覚悟」より ー壱ー


わたくしは現代社会の抱える問題が須らく合理化の問題であるとさう捉へて来て居るのです。

まさに全部がさうです。
合理化それも数的還元による現実の構築が現代社会の基本的価値観です。

だから生活の全てがまさに数的還元ですね。
つまりは数学だ。

数学は自然科学に於ける基礎認識です。

でも数学が出来ないでも人間は生きていけます。

たとへば女は往往にして数学が出来ない訳ですがそれでもどっこい生きて居ります。

またわたくしなども数学が出来ない訳ですがそれでもどっこい生きて居ります。


ところでナゼわたくしは数学が出来ないんでせうか?

其れは分かりませぬ。

小学生の頃まではまだ普通に出来ていたんですがね。

其の頃確かにわたくしは優等生でしたし。


アノaとかbとか云う記号、コレが理解し難かったのかもしれません。

ああ其れにしても数学が出来ない我は何だか女っぽくてイヤだ。

世間様からバカだと思われて居るのだとすると其れは我慢のならぬことだ。


では君は抽象的思考能力に欠けるのか?

いいえ、むしろ抽象的思考は得意で事実いつも世間離れしたやうな観念的な問題ばかりを考へて来て居ります。

或いは其の抽象的思考が人文の範囲に限られて居るのではないかと思われる。

其のやうに限定されて居る。



だから女とは違ふ。

女のやうに子宮では考えぬ。

むしろ可成に理窟っぽく其れが女には生理的に嫌われて居るやうだ。

もうまるでかっての旧制高校生のやうに純粋でしかも常に考へ込んで居やうからさういうスタイルが軽薄短小な時代の精神とはそぐわないのさ。

兎に角全部が其の合理化による問題なのですか?

さうじゃ、畢竟人間は其の合理化により滅びる。

滅びるまでには大体五十年~百年位はかかる。



作家の人などで他にもそんなことを言って居る人は居ますか?

知らぬ。

他人のことなどどうでもよい。


作家は皆それぞれに言ひたいことを言うておる。

でも社会科のことを良く知らないので合理主義社会の恐ろしさに気付く者は居なひ。


何故そんなに暗いんですか?

全然暗くなど無ひ。

五木先生の書いてることの方が余程に暗ひ。



いや作家は皆凄ひぞよ。

ほんたうに驚きです。

作家の問題意識は我と同じレヴェルにある。

まずは其れが驚きであった。



本屋の三洋堂へ、十年振り位に行きましたところ、其処には何と古本コーナーが設けられて居たのです。

アノ三洋堂が古本を売るなどかっては考へられなかったことです。

然しコレもまた合理化の問題としてカタがつきます。


其の本、即ち知識自体がすでに合理化されて居ります。

だから書店よりもアマゾンで買う方がより合理的です。

其れも電子書籍の形で買う方がかさばらずより合理的です。

もう此の辺になると段々数的還元の世界に近づいて参りませう。



其の古本コーナーに感動したわたくしは結局四冊も買って参りました、其れも新書版ばかりを四冊。

五木 寛之 「人間の覚悟」
石原 慎太郎 「新・堕落論
姜 尚中 「続・悩む力」
水野 和夫 「資本主義の終焉と歴史の危機」

ソノ全部が百円ー税別ーです。


アー、何だか嬉しいな。
読みたい本が四冊も買えたぞ。


「人間の覚悟」は十年前の本なので少し古ひ。
昔-1980年代にー五木先生の本を屡読んだのは五木先生が露西亜文學に詳しひ方だったからです。

其の頃わたくしはソルジェニーツィンばかりを読んで居ました。アレクサンドル・ソルジェニーツィン
ソルジェニーツィンから学んだのは不屈の反体制者としての精神です。

ソヴィエト強制収容所に於ける一日が淡々と描かれた『イワン・デニーソヴィチの一日』は当時のわたくしにとってまさに衝撃的な内容の作品でした。

映画もあったようですが今のところDVDにはなって居ないやうです。


アレクサンドル・ソルジェニーツィン
 1970年 ノーベル文学賞を受賞

「作家にとっては自分のことを書くのが一番やさしいことを私は承知しています。
 しかし、私にはロシアの運命を描くことが一番重要であり、
 一番興味があるように思われました。
 ロシアが体験したドラマ全体の中で最も深刻なものが
 イワン・デニーソヴィッチたちの悲劇です。
 私はラーゲルのことで世間一般に広まっている
 間違った噂と対決してみたいと思いました。
 私はもうラーゲルにいた時分から、
 その生活の一日を描くことを心に決めていたのです。
 トルストイはかつて、
 まる一世紀にわたるヨーロッパ全体の生活は長編の対象になりうるが、
 ひとりの百姓(ムジーク)の一日の生活もまたなりうる、と言っています。」

            (ソルジェニーツィン




ソルジェニーツィンは反体制作家→体制作家→また反体制作家→国外追放→また体制作家、と云う複雑な作家としての運命を歩んで居ります。


フルシチョフの在任中、『イワン・デニーソヴィチの一日』は他のソルジェニーツィンの短編3本と共にソ連の学校で教材として使用された。」

「1973年3月、ロシア正教会ピーメン総主教に公開状を送り、無神論者に支配された正教会の体質を批判した。8月中旬には「ル・モンド」紙、「AP通信」記者との会見で「私が急死したと聞いたら、国家保安委員会の仕業だ」と衝撃的な発言を行う。」

「翌1983年5月、過酷な運命を耐え抜いた正教徒としてのへの信仰宗教界のノーベル賞とも言える1983年テンプルトン賞を受賞する。ロンドンでの授賞式では「現代の悲劇の原因はすべて我々が神を忘れたことにある」とキリスト者の立場で現代文明を鋭く批判した。」


   

確かに現代の悲劇の原因はすべて我々が神または佛を忘れたところにこそあるのではないか。

今我我の社会は行き過ぎた合理化の只中にある。

其の合理化は人間をして幸福へは導けぬ。

かようにわたくしは現代文明に対して反体制の立場を貫くこととした。

其れと云うのも、文學を志す者の反骨精神、其の不屈の批判精神をたとへ其れが反体制となってまでをも貫き通すソルジェニーツィン自身から学んだからなのだ。


他方で五木先生は「人間の覚悟」の中でドフトエフスキーやマルクスを引き合いにして現代文明の抱える諸問題に対し論じて居られる。
マルクスは社会構造に対する問題提起として人間を考へ、ドフトエフスキーは人間の魂の問題として其れを追求して居るのだと。


五木先生のご意見は確かにわたくしにも参考になります。

勿論五木先生が信奉して居られる親鸞の仏教に就ひても大ひに参考になります。


ですが現代の悲劇の原因はすべて行き過ぎた唯物論、つまり行き過ぎた数的還元としての合理化にこそある。

元より合理化はして良い部分とさうではない部分とがある。

合理化せざるを得ない部分とあへて合理化していかない部分を明確に立て分けておく必要がある。


自然を人間の論理で合理化すれば必然として自然の破壊やひいては自然環境の破壊さらに地球の破壊にまで及んでいって仕舞ふ。
労働自体を合理化すれば逆に格差が極限まで進み社会の底辺層をして生かさず殺さずの状態へと閉じ込めて仕舞ふ。
資本主義はマルクスの予言通りに論理的帰結を迎へ格差を拡大させつつある。

此のことはまた合理的資本主義=金融経済やグローバリズムが齎すところでの必然的帰結です。

平たく言えば合理化すればするほど大金を手にする人間がほんの一握りの人々となる。

つまるところ我我が体験する可能性もある貧困は進歩と云う名の元に構築された合理化より生み出されて居やう。


其のやうな構造的に推進される社会構造上の欠陥に批判を加へないでただ黙って見て居るのですか、貴方方は。


勿論わたくしはおまへが悪い、合理主義よおまへが元凶なのだからもう引退せよ。

引退して是非田舎に住みリヤカーでも引いておくべきだ。

さうだわたくしも引退するつもりである。

引退して詩ばかり書いていくつもりだ。

いや散文ばかりを書いていく。

此の野郎!、とか馬鹿野郎!、とか女は怖ひぞ、などといつも述べて居たひので散文ばかりを書いていくのだ。