目覚めよ!

文明批判と心の探求と

実質的な人間の値打ちとは?



いまやわたくしにとり行きつけの書店である七五書店でもって何ぞマニアックな本は出て居ないものかと探して居りましたところたまたまこんな物が出て参りました。   天皇陛下にささぐる言葉 単行本  坂口 安吾



何せペラペラの小冊子ですのでもしや配っておるのかと思ひましたがちゃんと値段が付ひて居りました。

本屋の兄ちゃんー店長七五書店/熊谷隆章さんーにこんな本は他にはないだらう、或はオタクだけのものか?

と聞くと他にもあります。

とのことでアマゾンで探すと確かに売っていたのだ。


いやー、然しええ本が手に入ったぞ。
でも文字がちっちゃいので読む時にはルーペを使ふ。

其れもメガネに付けられる類のものでなくてはならぬ。
世人とは異なり常に学究の道を歩む我は元々目が悪くもはや本の活字が読めぬ。




つまりはコレです。
コレも七五書店で買ひましたがすでに二つめです。

一つ目は付け方が良く分からず無理にメガネに付けて居たゆえすぐに壊れました。

然しアマゾンでも売って居るのでもうこれからはアマゾンで買えます。

もはやアマゾンで売って居ないのは人間だけです。



本マニア御用達の店七五書店はいつも閑古鳥が鳴いて居り正直いつまで持つものか分かりませぬ。

其は人文科学の鬼の如き街の本屋で特に思想関係の本の品揃えが充実しておる。

さうして一言二言変なことを言い残して来ることも出来やう。

そんなコミニケーションが出来るので嗚呼まさに昔気質の街の本屋だ。



やがて本は合理化され最終的には知識としての断片と化していくことであらう。

本と云う文化が解体され細切れの情報と化していくことであらう。

然し昭和を生きた我我は昔の本や本屋の良さを何より知って居る。

昔の本や本屋は単なる情報の寄せ集めなのではなく一種の文化領域を形成して居た。

さうした文化としての全体論にて知の世界が構築されて居たのだった。


其のやうな文化のあり方こそが正しく人文の知恵を継承するものである。
故にネット上の知識の展開は人文の知恵を継承するものには非ず。

無論のこと最終的には合理化が人文の知恵を破壊するに至ることであらう。

だからこそ逆に滅びゆく真面目な本屋さんを心より応援したひ。
人文の知恵が詰まった本屋さんほど良いところはない。


今のバカな若い親共はデズニ―ランドなどと云ふバカなところに子を連れていくのではなくかように気骨ある書店にこそ子を連れていき其処でもってして思想を徹底的に叩き込まずしてどうする。

他にも仏教に対して作家連中が意見をして居る本を立ち読みして参りました。

其処でかの姜 尚中氏はキリスト教徒であることを知りました。
キリスト教徒である姜 尚中が仏教に対して今後も是非頑張って頂きたい、などとも述べております。
何故ならキリスト教の教へには他の宗教に対する寛容性が説かれて居るのだそうです。



此処にはかの弘法大師に彼女が居たことが赤裸々にしかもこと細かく描かれて居た。

矢張りと云うべきか密教は元々そんなものなのである。

密教は性行為を否定しなひので無論のこと純粋な仏教の教へなどではない。







「人間の値打というものは、実質的なものだ。」

「つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。」

「こんな気品は、何にもならない。対人態度だけのことで、実質とは関係がない。」

「男は女に対して威張っているが、男に実質的なものがなくて、女の流儀に依存しているのが実状であった。」

「日本式の御婦人流儀のやり方であると、実質はどうでもいい、なんでもかでも、亭主を偉くし、偉く見せねばならぬ。」

「これを人気という。人気とは流行である。」

「このように、実質によらず、天皇という昔ながらの架空な威厳によって支持せられるということが、日本のために、最も悲しむべきことであるということを、天皇はさとることが出来ないのであろうか。」

「人間が受ける敬愛、人気は、もっと実質的でなければならぬ。」

天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。」

「本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。」

「陛下よ。まことに、つゝましやかな、人間の敬愛を受けようとは思われぬか。」

ー以上より引用ー




戦後安吾の言説には此の実質と云う言葉が屡出て参ります。

さて此の実質とは何なのでせうか。

正直其れは合理性と云うことではないかと思ふ。

当時知の巨人としての安吾は合理性をこそ求めて居た。


其の合理性こそが新たな時代の核心部を担ふべきものでした。

なので時代の要請としての安吾の言説には正当性がある。


ただ、現在のわたくしの立場に限れば其の安吾の述べるところでの実質の意味を捉へかねて仕舞ふ。

其の合理的である筈の実質は安吾の望み通りに戦後世界を貫く基本テーゼとして機能して来た。

其の結果として「天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにな」ったが必ずしも「日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われ」て来た訳ではない。


つまるところ此処での安吾の思想は明らかに左翼的です。

「本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。」ので日本共産党は軍備など要らないとさう述べて居りますが果たして其れで国が維持されるのでせうか。

いや、確かに究極的には共産党一党独裁よりももっと望ましいのが無政府主義、非国家主義であることは明らかなことだ。

あくまで理性的な結論としては国民国家を解体し共同体レヴェルでの体制の再構築をなしていかねばなりません。


国家分割による世界は自然と闘争の形式を帯びあらゆるものを極端化するので理想とはほど遠ひ世界秩序を形成していかざるを得なひ。

現在はさうした極端な時代だとも捉へられる。


ところがあくまで平和です。

偽善的な平和の中に安住して居りもはや誰も怒らぬ。

ただ自然ばかりが怒り狂ひつつあるのだと申せませう。



矛盾的でかつ欺瞞としての平和が我我の精神を蝕みつつ進んでいって居るとしかわたくしには見えません。



戦争は確かにいけません。

でも人類は戦争があって初めてかうして繁栄してこれたのです。

元より多くの作家は戦争を嫌ひます。

なんですが、戦争の否定は人間の否定でもまたある。

即ち欲望の否定だと云う事なんです。

しかしながら現実上左様ないいとこ取りなんてまるで出来ませぬ。



人間を生きると云う事は即矛盾を生きると云うことだ。

だから人間を嫌ひになれば戦争を全否定することだって可能です。

即ち世を捨てて藝術的または宗教的に生きるのであれば。


ですが俺は作家だとか威張りながら戦争を否定する作家ほどバカな者もまたない。

でもわたくしはまた違ふ詩人ですから何を言っていても良ひ訳です。

わたくしが最近鬱陶しく思ふのはインテリの持つ基本的左翼構造みたいなもの、其の理性的指向と云うか癖と云うかそんなものにもう嫌気がさして居る訳だ。


ですから確かに理性は戦争を望まず合理的秩序を尊ぶ訳です。

無論かの阿部 公房なんかもかっては共産党員だったのですし、つまりは医師とか弁護士、または学者と云ったインテリの面々は皆同じことばかり言ってる訳です。

でもわたくしは其れとはまた違ふことを言って来て居る。



わたくしは合理的秩序でもって人間が幸せになるなどとは考へて居りません。

其れどころか合理的である社会構造を止めよと述べて来て居る訳だ。

でも其れは何故かと云う事を一度でも皆様は考へてみられただらうか。


もしそんなことをしたら人間は根本からダメになります。

合理性の罠とは實はさういふことなのだ。



「人間の値打というものは、実質的なものだ。」

確かにさうですがならば作家や詩人も非実質的な価値にしかならなひ筈。


「男は女に対して威張っているが、男に実質的なものがなくて、女の流儀に依存しているのが実状であった。」

其の実質ではない威張りこそがむしろ大事なんじゃないでせうか。
安吾先生の死後世界は根本から変わりむしろ女が威張るやうになり男性の権威が失墜しても居ります。

ただし天皇の権威はむしろ維持されて来て居ります。
何故なら天皇は食ふには困らぬからです。

新自由主義だの金融経済だの消費税増税だの庶民から金を毟り取るいやらしい資本主義が横行し庶民はもうまともにご飯も食べられません。

いや食っては居るが高級レストランにはとても行けません。
いつもは変なものばかりを食って居るに過ぎぬ。


其の実質の追求が戦後世界を根本的に合理化し今我我の首を絞めつつあるのだ。

だから安吾先生の仰ることも分からぬ訳ではないが其処はどうも違ふのではないか。

先生の仰ることで視点に欠けて居るものがあるとすればまさしく其れが合理化の問題だ。



「日本式の御婦人流儀のやり方であると、実質はどうでもいい、なんでもかでも、亭主を偉くし、偉く見せねばならぬ。」

「これを人気という。人気とは流行である。」


此処でのご指摘などは確かに鋭ひです。

確かにオンナはバカです。

オンナはバカだからあくまで体裁に拘ります。

だから家の維持とか墓の維持とか子の成績とかせいぜい其の位のことにしか頭の中身が回りません。


女は人気があるとホイホイと摺り寄り人気が無ひとどんなに真心を込めた愛でも其れにはソッポを向くのです。

人気かまたは金。

決まってコレに擦り寄ります。

ああ女程口説く意味の無いものはなく女程愚かなものはまた無ひ。


おおまさにキャーキャーと叫びつつかのカレー王子ヒデキに摺り寄る馬鹿共の群れが即ち女なのです。

また女は権威には頗る弱ひです。

権威が命令したのならばもはや何でもやります。


いざ國が戦争をしたならば何処までも腹を痛めて産んだ子供達を戦地に送り出しませう。

なので実質的に女が威張るとすると虚的に男が威張ることよりも余程にタチが悪くそればかりかまさしく危険だ、まさしく生命の危機だ。


おおいつの間にやらパンドーラ―の箱がカパッと割れて女共、汝等タマシヒの穢れた者共のおそろしひ欲望が。

其の無限の増殖欲が、其の無限の体裁欲が世界中に撒き散らされやう!


だから実質的に女を威張らせてはいけない。

すぐさま女の欲望を封印せよ、さもなくば世界は滅びるぞよ。



さて戦後に於いて安吾先生は一体何を求められて居たのでせうか。

或いは自由や平等を求められて居たのでせうか。

ですが自由や平等は、其処に求めれば求める程に矛盾化致します。

其れはかってわたくしが歴史から学んだ唯一のことです。


なので其の矛盾を逆にインテリ層に突き付け問うて来て居る訳です。

もしもアナタが利口であるならば何故そんなキレイごとばかりを言うておるのか。

キレイごとばかり言うて自分は利口だとさう言うて居る奴などまるで日本共産党と同じではないか。


ーではアナタは何党の支持者なのですか?

ですから何度も言うて来て居りますがわたくしは無政府主義者で或は日本共産党以上に理想論者です。

なので選挙にも政治家にも基本的に興味は無し。



「陛下よ。まことに、つゝましやかな、人間の敬愛を受けようとは思われぬか。」


戦後民主主義の実現によりまさに此の通りに天皇は人間として敬愛されるに及んだ。

自由にせよ、平等にせよ、或いは合理性にせよ、戦後世界は戦前の負荷を解放する形で新たな領域を開拓していく。

だが其の自由がさうして平等がまたは合理主義がまさに本質的な破壊を人間に齎さうとして居るのだ。

其の大矛盾だけは流石の安吾先生もお見通しではなかったのだ。