目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

いのちの声 中原中也 より



 



                 もろもろの 業わざ 、太陽のもとにては 蒼あを ざめたるかな。
                                             ―ソロモン



※(ローマ数字2、1-13-22)

否 何いづ れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに 拘かかは らず、そのことを希望してをり、
勝敗に心 覚さと き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併し幸福といふものが、このやうに無私の 境さかひ のものであり、
かの 慧敏けいびん なる商人の、称して 阿呆あはう といふでもあらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ 現身うつしみ の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。

だが、それが此の世といふものなんで、
其処そこ に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに 因よつ て我等自身も構成されたる原理であれば、
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。

※(ローマ数字3、1-13-23)

されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
が最後なる目標の前にであれ、
この 言こと ゆめゆめおろそかにする 勿なか れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて 熄 むなるに、
その社会的効果は存続し、
が次なる行為への転調の 障さまた げとなるなれば。


ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。









「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。」



三十歳位の頃より、此の一行が特に気になって居たのです。

何故ならわたくしの場合も何故か夕方身一点に感じられて仕舞ふ人間だったからなのです。






何故でせうか、黄昏の時は非日常の今を確かに生きて居る実感を持つことが出来る。

其れも特別な景色や出来事でなくとも良ひのです。


ありふれた日常の一コマ一コマが其のままで詩になって仕舞ふのです。


表で遊ぶ子供の声や夕陽、また近くの街のネオンサインや遠くの夜景。

飛んでいく✈のライトの点滅や街灯の光が何処か郷愁を誘ひます。



郷愁?郷愁ではなく何かの哀しみなのでせうか。


哀しひのですが、元より嫌ひでない。


明日は来るので、寂しくはない。


いや寂しひ。


寂しひがとても素敵だ。




昔、小学生の頃の国語の教科書に獅子文六の少年少女向けの作品があり其処に面白ひことが書いてあったものだった。

其処に曰く、沈む夕日と昇る朝日のどちらが好きか?


詩心のある少年は確か沈む夕日の方が好きだと答へる。

そして実はわたくしもさうであった。

どう考へても沈む夕日の方により趣があるとしか思へなかった。


対する昇る朝日はまるで旭日旗なので其れは詩ではなく軍国主義だ、即ち体制迎合主義そのものだ。


尤も詩人は美を大事にするゆえ常に反社会的でなくてはならぬ。


何故なら社会迎合的だと其処では美を損ふ虞が多分にあらう。



事実経済至上主義とかやらで戦後日本国は美しい夕焼けを失った。

いや美しい夕焼けはまだそのままにある。

其れを見詰める純粋な心の方を見失ったのだ。




かくして黄昏時には詩がある。

其の詩は都会にもある。

いや都会にこそより一層あらう。


黄昏時は魔とも連なる時間のことだ。


だが其れはいつも輝いて居らう。


まさしく其れが死への歩みではないからだ。


明日へ連なる休息の時なのだから。



さうだ昔は夕方に焼き芋屋が焼き芋を売りに来たりもしたものだった。

夜になればラーメンの屋台が登場し死んだ前の家のオジサンは兎に角其れが大好きで夜鳴きそばばかりを食ひ胃癌で死んだのだった。


勿論物凄く良ひ死に方のひとつだ。


さうか昔は夏にワラビ餅を売りに来て居たぞ!


兎に角色んな物を売りに来て其れ等が全て風物詩であった。


嗚呼、夜鳴きそばを是非食ひたい。


其れも家の前で食ひたい。





「汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
が最後なる目標の前にであれ、
この 言こと ゆめゆめおろそかにする 勿なか れ。」



ところで詩人は何故怒るのか。

結局感度が鋭ひからだ。



心に受けるものと心より吐き出すものとの振幅が決まって大きひ。


なので何怒ってるの?まるで怒るやうなことではないのに何でまたそんな?


と一般の方々に言われてもどうにもならぬ。


そも感度が違ふのでより幅広くそして激しく人生の上での諸と対峙して来ざるを得なひ。




かように詩人の生は苦しひ。

苦しひから大抵は早死にする。




さて君は沈む夕日と昇る朝日のどちらが好きか?

五十歳位のことだったかと思うが昇る朝日の方を好きになるべきだったのかなとさう思ったことがある。


さうであれば諸の概念上の悪夢とは縁が切れもっと楽に生きられたことであらうに何とも惜しひことよ。


今頃は孫の二、三人に囲まれて赤いちゃんちゃんことか着たりして幸せ一杯だったのやもしれぬ。



いやでも我は幸せだ。

何故幸せなのか。

勿論言いたひことを言って生きて来られたからだ。


仏教のことも少しは述べたことですしね。


其れだけではない。


今、かうして身一点の寂しさのさ中に埋没することさへ出来る。



誰も奪へないのが此のわたくしの内なる黄昏時なのさ。




「併し幸福といふものが、このやうに無私の 境さかひ のものであり、
かの 慧敏けいびん なる商人の、称して 阿呆あはう といふでもあらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ 現身うつしみ の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。

だが、それが此の世といふものなんで、
其処そこ に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに 因よつ て我等自身も構成されたる原理であれば、
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。」




飯を食わねば生きられぬ此の世は確かに不公平だ。

任意の不公平ではないのであれ何やら納得出来ぬ。


所詮人間の不公平は社会の不公平だ。

社会の中には詩がなく、さらに社会人は皆詩を解さぬ。


詩を解さぬ社会が要らぬものばかりをつくり夜鳴きそばの屋台やワラビ餅売りを廃業に追ひやった。


其れでもまだ黄昏はある。


其れが詩としての黄昏だ。


誰そ彼。



昔トモダチであった君はまだ此の世に居るのか。

もう居ないのか。



あらゆるものが合理化されし此の黄昏時。

でも夜景は綺麗だらう?


ですからかってわたくしは夜景フェチだったのですぜ。


鉄道ヲタクとかさういうのは分からんが浪漫、コレに限ればわたくしは其の道の達人だ。



ちなみに夜景は函館か神戸だと思い込まぬ方が良ひ。

身近な夜景こそが其のありふれた夜景こそが実は最高の夜景なんだ。


尚夜景は女と一緒に観てはならぬ。


夜景は独り寂しく観てこそ光輝くものだ。



夜景=美は女と一緒には鑑賞出来ぬ性質のものじゃ。


なんとなれば美とは女には絶対に分からぬものだ。


元より女には美を解する能力など無ひ。


女が夜景の場にて決まって君にしなだれて来るのは単なる生殖本能の発散であり美の鑑賞とはまるで関係のないタダの家と墓の維持、さうして種族の保存、タダコレばかりでのことだ。



だから今すぐに女とは別れよ。


そんなものとイチャイチャして居ると脳が腐るぞ、脳が。


いやつひ言ひ過ぎた。


君の詩心が鈍るぞ、心の感度が落ちる。




だがわたくしは女と夜景を観に行く。


いや観に行きたひ。


ただしもはや面倒臭ひのやもしれぬ。



ならば夜景の見えるタワーで夜鳴きそばを食ふ。


と云うのが実は願望だが夜景の見えるタワーの中には高級料理店しかなく夜鳴きそばや立ち食ひうどんの店などは無ひ。




まあ夜景はもういい。


どう考へても夜景よりも黄昏の制覇の方が先だ。



黄昏は詩の時、夜景は女といちゃつく時。


どちらが安全安心かと云えば黄昏の方がまだ可愛ひぞ。




「されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!」


此の世には怒らねばらないこともある。


怒るに値するだけの正義や熱情が無くば其の怒りも成り立たぬ。


洋の東西を問わず詩人が怒るのは詩人にはしかと其の正義や熱情が迸って居るからなのだ。



そんな子供臭ひ黄昏時よりも女といちゃつく夜景の方がずっと情熱的ではないのか?

まあさうだ。


ズバリ夜景は女を口説く為の最高の場だ。


キミの瞳は此の夜景よりもずっと美しひ。


などと言ってみればもうすぐに其のメスはオチやうぞ。



いや、でも本心を言えば女と夜の寺巡りをしたひ。

女は年寄りよりも若ひ方が良ひ。

でも余り若ひと話が合わぬので四十代位がベストだ。



夜景は確かに浪漫だが其れではちと俗過ぎる浪漫だ。

くらーい中でのカップルのお寺巡りは互ひに良く顔が見えぬのでまことに宜しひ。

いつの間にか彼氏が化け物と入れ替わっておったりしてまことに楽しくもあらう。


誰そ彼。


ほんたうに其れは彼氏か。

化け物ではないことをよーく確かめておくがいい。