目覚めよ!

文明批判と心の探求と

老いても怒りを燃やせ 終わりゆく日に


個人的に人間の本性をまさに顕わにするのがSF作品の本質だと思って居る。
SF作品にもかねてより色々とあり其の内容の種別としては楽観的なものから悲観的なものまで様々にある。


然し最近のSF作品に限れば以前の如くに楽観的なものは創れなくなって来て居ることだらう。
事実21世紀に於けるフィクショナルな現実の方がSF作品以上にSF的なのでもある。


ところで科学的虚構としての現実とは一体何処まで暴走していくものなのだらうか?
けだし科学以前の現実もあくまで虚構としての現実なのだ。
人間の営為は其の全てが虚構としての現実なのだ。


もしや虚構ではない現実を生きるのであれば其れは自然を生きることだけでこと足りやう筈。
其れが出来ないので人間として今其の虚構としての現実を生きて居ざるを得ない。


科学的虚構とは其の本質的虚構の加速だとも考へられやう。
虚構性の加速であり限定性の破棄であり虚構としての現実=虚構としての価値に寄りかかることで何か大事なものを失っていく過程のことだ。


何故科学は其のやうに冷たくさうして暗ひのか?
科学は輝ける未来を齎す魔法の杖ではなかったのか。


鉄腕アトムは人間の為に悪と闘ふ善なるロボで其の最後は人類の為に自決するのではなかったか。
ロボはさうしてアンドロイドは皆イイやつばかりで役に立ち早くなんでも出来素晴らしいものばかりだ。


ですが東洋思想から言へばまさに其こそが根本的に間違っておる。


まず役に立つか役に立たないかと云う視点で価値判断することは間違っておる。


それから速いとかそんなものも実は何の役にも立って居やしなひ。


計算が速ひと余計にシンポが速くなり其れに圧迫され人間の心が狂ふ。


早う目的地に着くと余った時間を不倫等に費やし修羅場を余計に増やすことともならう。


即ちロボもアンドロイドも不要。

電車も飛行機も自動車も不要。


宇宙計画などは余計に不要。


また遺伝子をかまうなどもってのほかじゃ。


さうして遺伝子を切り刻みしかも薬浸けにして其れで一体何を、一体どんな怪物を生み出そうとして居なさるのか。



左様な合理思想に頭をやられ皆気が狂ひ滅びる、と云うのがまさに其処から導き出される結論だ。



だから魔法と云うのは、無い。


魔法は無いが悪魔は居る。


悪魔は外に居るのではなく心の内側に巣食っておる。



其の悪魔の手先こそが合理思想であり近代と云うことじゃ。


虚構としての現実は加速しありとあらゆるものを現実から遊離させていく。


さうして理想としての生のあり方からはかけ離れたものにして仕舞ふ。



一番目出度ひのがそんな様をむしろ喜び浮かれ騒いでおる大衆としての心の中身だ。


全くバカバカしい、いや、目出度ひ。


楽しひ、いや、哀しひ。




人間の持つ本質的虚構は近代以降加速されやがて暴発していくこととならう。
本質的虚構の暴発と時を同じくして出て来るのが自然の破壊である。


自然の破壊は人間の持つ本質的虚構性の必然的帰結だ。
然し前近代に於いて其れは緩やかなものであった。


欲望と其れを実現する為の労働による成果はある種の循環系を形作って居た。


其の循環系を破壊したのが科学的な方法論である。



其の破壊により今後様々な圧迫が人間の社会に齎されやう。


其の科学的な方法論による矛盾の様が現実化して我我に様々な不利益を齎すことであらう。



さて、


インターステラー


ではまず食料危機が深刻に進んでいく。


砂漠化が進み文明自体が弱体化した未来に於いて必要なのは文明の価値観ではなく要するに食料や水だ。


然し地球環境自体が死に体なのでもはや其れを復活させることなど出来はしなひ。


だとすれば宇宙へ移住するほかないので其の候補を探しにいくが其処には高次元の生命体の叡智が絡んで居たのだった。


高次元の生命体の叡智ー神にも近いものかーの導きにより結局最後は楽観的な結末を迎えるが其の代わりに地球は滅び其処に人類は死に絶へる。


要するに他の惑星や宇宙空間でのコロニーで新たな人類の歴史が始まると云う類でのお話。



だが其れはあくまでSF作品なのだ。


ちなみにわたくしが問題として捉へかつ論じて来て居るのはSF作品としての人類の課題では無くあくまで現実として人類の抱える課題のことだ。


宇宙移住の計画は事実NASAに於いても立案されて居るものと思われる。


だが其れは誤りだ。


そんな計画を立てること自体が誤りだと言うておるのだ。



では何がいけないんだ。


かうして日々より良い明日に向かい生きていかうとして居るだけだ。


より速くより高くより快適にと。


だから其れが×だ。



其の考へ=観念そのものが間違ひだ。


正しくはより役立たずでより目立たずさらにより不便で体力を使わねば生きられぬ。


と云う風でなくてはならぬ。


また無論のこと女には學など要らぬ。



かように西洋近代自体が誤りだ。


するとかの福音主義のやうに生きるのですか。


進化論も否定し他宗教は悪魔で中世の生活に戻るとでも仰いますのか?



さうさな、其れもまた悪くはなひ。


だが我我東洋人は東洋の価値観を生きねばなるまひ。



そもより速くより高くより快適にと望むことが何でいけない?


そりゃいけないに決まっとる。


では逆に訊くが、より早く着いてまたは何かを為し遂げて其れが何の為になる?


より高く山に登り空を飛びまさに神の如くに理性を磨いたところで其れが何になる?


其れにより快適に生きたいと望むことは逆に生の快適さを本質的に損ふことだ。



だから須らくが逆だ、逆。


より確実に移動したいのであればむしろよりユックリと歩んでみるべき。


より高い境地へ登りたいのであればむしろ無知の知、理性を離れたところでの情動としての知恵をこそ汲み取るべき。


其の快適ではない生き様にこそ生の意味を見出すことが出来やう。



で、映画の方の話はどうなったのですか?


いいや映画は確かに面白かった。


だが所詮映画は真実を語らぬ。


いや真実を語る場合もある。


が、其れは実物そのものではない。


此の世としての実物のどうしようもなさは実際に体験してみないとまるで分からぬ。



全くどうしやうもない組織、どうしやうもない文明、どうしやうもない人間、どうしやうもない愛ー女ー。


また愛無き様。


此の世には愛無き愛の様がひとつだけあり其れが釈迦の価値観だ。


かって釈迦は愛を捨て去ることで真理を得た。


よって永遠の価値は愛の否定による自己の存続の否定の中にしかない。


対する救済としての神の愛は神の秩序のうちに愛を限定する。



其は究極としての神+自己の成就としての永遠の愛の形のことか。


または自己消去としての永遠の無化ー愛無き愛-のことか。



ただし我我近代人は其のいずれをも歩んでは居なひ。


我我が歩むのはタダひたすらに自己成就としての永遠の貪りだ。



だから映画の方はどうなったのです?


映画なんぞはデーブイデーを見りゃあ分かるだらうが。


映画なんぞは何処にでもあり実際どんなようにも創られるものだ。



一番問題なのは映画は映画だとさうタカをくくり現実は大丈夫だとさう思ひ込んで居る君等大衆の頭の中身のお粗末さにあり。


確かに映画は映画だからインターステラ―の結末も一種のハッピーエンドになっておる。


だが結局地球は滅ぶ。


宇宙コロニーや他の惑星で新たな人類の歴史を創り出していくこととなる。


其処はまあ良くあるパターンでの人類の延命策であり希望、だとか愛、だとかそんな一種臭ひ部類での希望的観測のお話しなのだ。


だが事実上其れは無ひぞ。



実際其れどころではないぞ。


事実気候がおかしひ。


第一春も盛りだと言うのにこんなに寒くて一体どうするのだ?


つまるところコレは全部が神の怒りだ。



或いは仏が御怒りだらう。



アレ、確か仏は怒らない筈では?


いいや仏は怒らんでも修羅は怒る。


さうして其の修羅もまた佛の眷属じゃ。





”穏やかな夜に身を任せるな。
老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。
怒れ、怒れ、消えゆく光に。"



Do Not Go Gentle Into That Good Night
                          Dylan Thomas
Do not go gentle into that good night,
Old age should burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.

Though wise men at their end know dark is right,
Because their words have forked no lightning they
Do not go gentle into that good night.

Good men, the last wave by, crying how bright
Their frail deeds might have danced in a green bay,
Rage, rage against the dying of the light.

Wild men who caught and sang the sun in flight,
And learn, too late, they grieved it on its way,
Do not go gentle into that good night.

Grave men, near death, who see with blinding sight
Blind eyes could blaze like meteors and be gay,
Rage, rage against the dying of the light.

And you, my father, there on that sad height,
Curse, bless me now with your fierce tears, I pray.
Do not go gentle into that good night.
Rage, rage against the dying of the light.




「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」
                          ディラン・トマス


あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない
老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

賢人は死に臨んで 闇こそ正当であると知りながら
彼らの言葉が稲妻を 二分することはなかったから 彼らは
あの快い夜のなかへおとなしく流されていきはしない

彼らのはかない行いが緑なす入江で どれほど明るく踊ったかも知れぬと
最後の波ぎわで 叫んでいる善人たちよ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

天翔ける太陽をとらえて歌い
その巡る途中の太陽を悲しませただけだと 遅すぎて悟る 気性の荒い人たちよ
あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない

盲目の目が流星のように燃え立ち明るくあり得たことを
見えなくなりつつある目でみる いまわのきわの まじめな人たちよ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

そしてあなた ぼくの父よ その悲しみの絶頂で
どうかいま あなたの激しい涙で ぼくを呪い祝福してください
あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ!





ちなみに映画インターステラ―の中では此のディラン・トマスの詩が頻りに引用され出て参ります。ディラン・トマス


彼は39歳で没した英国の高名な詩人である。



「死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ」

死に絶えゆく光に向かって瞋り諍ふのが理性と云うか文化と云うか其れとも文明と云うのか其れの特質なのだらう。

近代的自我または近代的歴史過程の特質なのだらう。

さう其れこそが強烈な自我意識でもって時代を切り拓き未来を人間の欲望そのものと結託させるであらう近代の精神そのものなのだ。


で、わたくしは此の瞋りを否定するものではない。

むしろさう怒らざるを得ないのが近代だと捉へるが故に。

社会の矛盾性やどうしやうもない理不尽な様、また不条理かつ冷たきこと。


心情として生きることを止めシンポと云う唯物的な価値ー欲望ーに寄りかかることを決めた時点で其の非情さや合理性さうして瞋りを近代人は抱え込まざるを得なくなった。

心情もクソもなくまた他者もクソもない。

宗教もクソも無く大事なのは現ナマだけだ。

さういう心の貧しさにもはや誰も気付くことが出来ぬ。


さうして誰もが価値ヒエラルキーを堅固に組み上げておる。

自分の大事なものを其処に抱え込みもはや放さうとはしなひ。

でもだからこそ現ナマ主義なのさ。


其の瞋りとは生の否定に対する抗ひのことだ。

だが今わたくしの怒りは須らく社会へ向けられておる。



生の否定に抗ふのは魂なのか其れとも藝術なのか。

「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」

どんなに快く見える夜の中にも本質としての破壊は確かに仕込まれて居る。

快き夜の果てに快き世界が待ち受けて居るのではなくー精神としてのー闘いの果てにのみ快き場が用意されて居やう。



此処からしても我我が向かうべきところとは安楽な世界の構築などではない。

ましてや大人しく流されつつ快き夜の感触を味わひ続けることでもない。



「死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ!」

西洋近代は不条理な生に怒り続けただひたすらに「今」を形作って来た。

ただひたすらに快適な今を、其の愛にさし貫かれ合理的でしかも快適な「今」だけを目指し続けて来た。


其の瞋りとは最終的に生の不完全に対する怒りである。

近代社会は人間を諸の抑圧から解放し続けて来た。

搾取や病気からの解放をさうして人間をして牢獄に閉じ込めることだらう諸の軛からの解放を。

其の社会的な怒りは確かに其の通りでの正当なものである。

近代と云う対決の世界観の上からは。


しかしながら近代が用意する其の快適な夜とは元より偽善である。
我我の幸せとは魂を悪魔に売った上での偽善的な幸福のことだ。

組織及び大衆は事実上今自分のことだけしか考へて居ない。
ではあるが怒ることを忘れたら近代と云う時代を生き抜いていくことなど出来ぬ。

確かに決まって宗教は瞋りを捨て去れと仰る。


だが近代とは個と社会による対決の時代なのだ。

個が死に向かう時、其の老ひたタマシイは何処までも其の消滅と抗ふべき。

人間が死に向かう時、其の敗れしタマシイは何処までも其の消滅と抗ふべき。



何と闘ふのか?

運命と闘ふのだ。


詩人は若くして生命の危機と闘ひ、さうして社会は欲望の実現の為の困難と闘ふ。

誰しもがさうして闘ふ。

たとへ弱き者でもさうして闘ひ続けていかねばならぬ。



”穏やかな夜に身を任せるな。
老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。
怒れ、怒れ、消えゆく光に。"



近代の基本テーゼとはまさに此の言葉通りでのもの。

たとへ老ひても怒り個の運命とまた社会の運命と抗ひ続けていかねばならぬ。

死がさうして滅亡が眼前に迫ろうとも抗ふことを止めぬ。

社会に理不尽がある限りまた個としての不条理な生が重なる限り其処で修羅として闘ふほかはなし。



勿論他の惑星では生きられぬ、また地球の破壊を食い止める手立てなど今のところない。

其れでも近代はかうして毎日快適な夜を我我に用意し続けて来た。

其の偽善としての夜を、倒錯としての愛を我我に強ひて止まぬ近代社会。


だが其れに対するわたくしの返答はかうだ。

馬鹿者!見ろ!すでに気候がおかしひぞよ。


早う現代文明を止めよ。

社会の仕組みを直せ。

今すぐに滅亡物の映画を視て勉強せよ。


詩人の書いた詩を読め。

怒れ、怒れ、女共、男共に対して、さうして怒れかの文明に対して。


ただし少しだけ休ませて下され。

運命と和解などしないと誓った我なれど近頃ちと疲れておる。


暫くは食ひたいものを食わせてお呉れ。
山へも行きたひ。
美術館へも行きたひ。

だが基本的に全ては闘ひだ。
闘った挙句に宇宙へ移住出来るかと云えば其れは出来ぬ。

だからあくまでココで闘ふ。
君の其の現在とのみ格闘すべきだ。