目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「雨の街を」に見る70年代の感性



同ひ年ながら何やらこんなに汚ならしく見える女も居ない。


顔も汚いが兎に角心が醜ひ。


幼い頃より神童だったさうだが利口かどうかは別としてどうも嫌みのある女だ。



女はまず清く正しく美しくあらねばならず其れは齢を重ねたにせよ常にさうあらねばなるまひ。







どうだ、確かに皆ババアですがまさに清く正しく美しひです。


たとへババアでも清く正しく美しひ女こそが永遠に女なのです。


真面目な話是非スレンダースのCDが欲しいです。


さうして荒井 由実もまた大好きです。



昔を思い出します。


かの70年代のことをです。


70年代は何故かとても詩的な時代でした。


常に荒井 由実や井上 陽水の曲が流行って居た。


其の頃はますむら ひろしのマンガにも凝って居ました。


いや、其れは80年代のことだったか。




頭がおかしくなった親友は当時山崎 ハコに嵌って居り彼の家へ行くと其の山崎 ハコばかりを聴かされました。






何やらこう酷く恨み節で今聴くと妙にしっとりとして心に沁み込んで来る。


それにしても何と呪いだぞよ、呪ひ。



当時はまだ社会が合理化されてはいなかった。


因習がそして暗さや切なさが社会の何処かに潜み其れがふとした折に顔を覗かせて居たのだ。


まさに恨みがあったのだ、其の恨みこそが。



さうして何処かアナーキーでもあった。


全共闘運動は終焉を迎へ経済的にも豊かにはなって居たがまだまだ心理的には何かを恨んで居た。



不条理でもってしてどうにもならない世界への其の闇の感情を山崎 ハコは歌ひ込んで居た。




わたくしはと云えば中学時代には兎に角井上 陽水だった。



アノ井上 陽水にしても古い曲には何処かそんな時代としての影が差して居る。



70年代はそんなに明るい時代ではなかったと今は思って居る。


でも至極まともな時代であった。


悩みがそして影の部分がまだ社会に残って居た。


其れが何処かにしっとりとした風情を、感情的に揺さぶられる何かを生んで居たのだ。



今よりは遥かに繊細な或は鋭敏な時代だったと言えるのではないか。


社会の合理化は人間から悩みをそしてしっとりとしたもの、恨みをそして呪いを須らく奪い去っていく。



社会の合理化と云うよりも其れはもはや人間の合理化なのだ。


悩みがそして恨みが悪いのではなくあくまで其れは人間としての自然な感情の発露なのだ。



さうした部分を全て拭い去り今若い子たちは集団で跳ねたり跳んだりしているがそんなのが果たして音楽だと呼べるのだらうか。


アノ秋元某と云うバカがいつの間にかそんなことを広めたので今や集団で跳ねたり跳んだりすることだけが持て囃されて居るやうだが其はまるで理解出来ぬ。






当時立教女学院のピアノの置かれた小部屋でつくられたと云う曲だ。


個人的には最も好きな曲であり、松任谷 由実自身も一番好きな曲なのだそうだ。


わたくしにとっては此れこそが70年台を象徴する曲である。



尚荒井 由実は感性豊かな謂わば変人である。


元々かのランボーの愛読者で或は女流詩人なのかもしれない。


ところが出身としてはあくまで美術系の人だ。



美術系の人の感性は鋭い。


わたくしなども一番興味のあるのは絵画の方でほんたうは絵を描いて暮らして居たかったほどだ。


まあ描けるものであるならばさうして居たいと今も思ふ。


少しく文の枠には止まらぬやうな感性乃至は感情の発露のある方なので元々可成にブッ飛んで御座る。



なので宗教なんてそんな抹香臭いことを常に述べて居るやうなそんなタイプではないのだ。




此処からは感性の処女性若しくは意識の高い方での少女趣味が其処にふんだんに感じ取れたまらぬ。


何やらわたくしも十代の頃にこんな感じを抱いて居たやうな気がしてならぬ。



が、誰ぞ男が優しく肩を抱いて呉れたら何処までも歩いていけさうよ、などとは正直まるで思わなかった。


さういうのこそが女性と男性の違ひなのである。



だが当時は明らかにもっと浪漫チックでありまさに雨の街の中に詩を感じ生即浪漫、浪漫即生でもってしてまさに全ては夢の中、詩のさ中にあった。


まさにこんな感度の高ひ少女の感性と云うか詩を日常から切り取りストレートに曲にしたと云う奇跡に思わず唸って仕舞ふ往時の名曲だ。