「レオナルド・ディカプリオと共に、オバマ大統領、 ローマ法王フランシスコ、Sunita Narain、ジョン・ケリー、イーロン・マスク、地球環境学者ヨハン・ロックストローム、宇宙飛行士・生物気候学者ピアーズ・セラーズがドキュメンタリー番組に出演」以上より引用
有名俳優であるかのレオナルド・ディカプリオ氏は少年の頃から絶滅種に興味があったさうである。
そして其の頃から生態系を破壊して生物を絶滅させて仕舞う人間の営為に怒りを感じて居たさうである。
そんな彼であるから、まさに当然のやうに地球温暖化の問題にも深く関心を寄せこんなドキュメンタリー映画にまで参加して居るのである。
結論から言えば素晴らしい内容の環境問題の啓蒙番組であり同時に環境問題番組の決定版に仕上がって居るので此処に紹介させて頂いた次第である。
米国は確かに中国と並んで化石燃料による炭素大気汚染の推進国であるがそんな米国人の中にも環境問題への意識の持ち方が高い一握りの人々が居られこのやうな映画が屡製作されても居る。
謂わば自分達が最も汚染を進めて来て居るのであるから何処かで其の罪の内容に薄々気付いて居る部分もあるのだらう。
対して日本人はむしろ一番ダメなのじゃないかとわたくしは常に感じて来て居る。
日本人は世界を見る其の構図が小さいと云うか常に狭いので地球温暖化により近く人類が滅ぶだなどと誰も本気でさう思ったりなどして居ない。
日本人にとって大事なことはたとへばまず会社であり即ち生活を成り立たせる為の社会的な地歩であり生活資金であり其れから女房であり子供であり人の眼であり自分を含めた知己が健康でもってして長生きすることだけだ。
そんな生活教信者の日本人には俯瞰視したところでの知性が云うて居ることなどまるで嘘のやうにしか聞こえないことだらうがあくまで我とすればまさにほんたうのことだけをそのままに真面目に述べて居るだけのことなのだ。
だからそんな体裁と云うか生活と云うかそんなことに全ての価値観を置いて居ること自体器が小さい。
無論さうではなくまず全体的に世のありのままを見詰めなければならぬ。
ちなみに真理と云うのはまさに其の全体の直視のことだがただし其処で真理が事実の集積を見詰めて居るか否かと云へば必ずしもさうではない。
真理と云うのは心的領域に於ける正答を見詰める作業なので其れが客観的事実のみにもし傾くやうであればむしろ真理とは呼べなくなる。
真理と云うのはさうした多分に主観的領域、主観的判断を内包する領域のことだ。
どだい客観的事実と云うもの自体が厳密には規定し得ない。
客観的事実とは内的バイアスに基づいた「指向を持った考えのひとつ」であるに過ぎず謂わば半分は主観による解釈であり現実なのだ。
ただしさういうのは認識に於ける相対論なので今此処で我我が考えるべき問題ではなくさらに其のことが生活上何か重大な齟齬を来たすだらう問題なのでもない。
要するに温暖化の事実はどう規定され得るのかと云う問題だが温暖化は事実として進んで居り現在では九割以上の科学者が其れを事実として規定するに至って来て居る。
だからあくまで事実として暑く事実としてカブトムシが大量死して御座る。
そして我我の感覚は其れを直視して来て居る。
此のクソ暑いのに暑くないと云うて居る馬鹿が一体何処に居ると云うのか?
ところがだ、居るのである。
其の鈍感と云うか異常と云うか悪魔と云うか兎に角そんな変な感覚の人々が確かに居る。
1.利権絡みでの非温暖化説
2.発展途上国の側での温暖化促進への事情
3.情緒的非温暖化説
4.アホ
と云う分類がまず其処に成立しやう。
1.は根深い問題を孕んで居り其はまさに地球規模での欲望の追求に関する諸の問題である。
ごく大雑把に言えば化石燃料消費を推進することで大幅な利潤を生み出したい企業側の論理と温暖化そのものが真っ向から対立して居るのである。
言うまでもなく化石燃料消費が増えれば温暖化のみならず環境汚染が進み同時に生態系の破壊が齎されやう。
ところが其れは分かって居るのに往々にして人は大金持ちになり酒池肉林の生活を繰り広げていきたひ。
酒池肉林の生活とはまずは広大な庭の木々に高級ローストチキンだの高級生ハムだの神戸牛ステーキだのをそれぞれに一杯ぶら下げておく。
そして庭の真ん中の噴水に酒を注ぎ込みつまるところは酒でもって噴水にして仕舞ふ。
さらに其の噴水の周りに美女を侍らせ其れが皆薄着でもって乳房の形やら陰毛やらがスケスケに見えて御座る。
しかも其の美女が何と十人も居るので其の相手をするのはいかにも大変だ。
其のやうに食ひまくり触りまくりまさにまさに酒池肉林での大名遊びのことだ。
もうゲップが出る程に肉を喰らひ美女をビジョビジョと舐めまさにまさに飲めやうたへの乱痴気騒ぎだ。
左様な悪夢の欲望の園、そんな酒に脳髄を浸してしかも女は選り取り見取りである。
だからそも金が無いと其れが出来なひ。
金があるから高級食材もそして高級ブランデーも美女軍団も自然と其処に集まって来やう。
逆に金が無いとそんなもんひとつも無いぞ。
ただし金が無いと不思議と動物とは仲良くなれる。
または植物とも仲良くなれるが其は全くもって不思議なことだ。
金が無いと人は純真な心となり自然と近しい存在となっていくのだ。
だから金と女と肉食は堕落の第一歩だ、いや悪魔の仕業だとあれほどイエス・キリスト様は仰って居た筈だ。
無論のこと間違ひだ、そんなものは!
どだい石炭を露天掘りするのでもう山はグズグズになるわ、石油を地下深くから吸いあげたり石油を含んだ土の層をグズグズに掘りまくるわで地球の表面自体がもはやボロボロだ。
尚2.もまた根深い問題を孕んで居やう。
どだい近代に於ける人類の進歩思想にはそも限りがない、即ち人類は皆進歩し豊かになり偉い近代人として世に立たなければならない。
ゆえに文明の発展段階を底上げしてゆき最終的には地球上の国家が皆先進国化する義務がある。
さう近代国家とは此の義務化された経済や社会制度上の発展即ち進歩の過程である。
だから必然として先進国以外の国々は其の近代化により先進国の仲間入りすることを果たそうとする。
ところが印度ではいまだ平均的な近代化が達成されて居らずそれどころか家に便所も無くまた異常気象による洪水で田畑が全部水浸しになり現金収入が絶たれるわでまさにスマフォやゲームどころではない。
何せ人口がバカみたひに多ひのでそれどころではない。
また中国でも何せ人口がバカみたひに多ひのでたとへ少々金持ちになったとしてもまだそれどころではない。
さらにブラジルでも印度でも性犯罪率は高くあり日本のバカ女が安心しきって一人旅などしやうものなら必ずや居る外国人犯罪者の毒牙にかかりどこぞの山奥や川にて全裸死体で発見されるのがオチだ。
だから日本の常識は世界では通用しなひ。
日本人などサルだ、サルのメスだ、位に思われて居るので日本のバカ女が海外へ遊びに出ることをこの際全的に禁止し日本の女は家庭から一歩も出なひ、でもスーパーまでの買い物だけはOKとでも是非しておくべきだらう。
さらに北海道への旅行も禁止すべきだ。
北海道にはヒグマなるものが居てコレが女の柔らかい肉を好むことが現地では良く知られて居る。
其の近代化途上の国々に対して一体誰が今すぐに近代化を止め石炭をそして石油を燃やすことを止めよと言ひ得るのだらう。
だからそんなことは誰も言えない。
近代の問題とはあくまで文明の指導者層の頭の悪さの問題であり謂わば其れは哲學的な其れも極めて哲學的でかつ宗教的な問題のことだ。
だから其の意味では大衆にはバカとしての罪はないが放っておくとすぐに数を増やすと云う意味での大きな罪障があらう。
そしてもう一つの大問題が森林伐採による自然破壊である。
森林を伐採し其処を畑に変え有用な植物を植える。
海外ではパーム油を採ったり或は日本でのやうにかっては山を丸裸にして其処へ杉の木を多く植林した訳だ。
だから其れは確かに有用なのではあるが本来の自然としての生態系の姿ではない。
其の植林された地域は自然では無く全てが人間の為の畑、自然の営為を離れたところでの人工環境としての場所であるに過ぎぬ。
其のやうに大規模に森、または山の木々を根こそぎ伐れば酸素の供給量が減りまた山火事なども起こり易くなるから結果的に二酸化炭素の増大にも大幅に繋がらう。
だから実は温暖化の真犯人の一人こそが此の森林伐採による自然破壊なのである。
3.の情緒的非温暖化説と云うのはたとへば子宮思考のことである。
子宮思考は其の愛の範囲が狭く未来を規定することが出来ずしかも過去から学ぶことも出来ない。
歴史マニアにせよSFマニアにせよ矢張りどう考えても男性の方が多く女は基本的に見て居る範囲が限られて居て狭いのである。
即ち子宮の対象としての愛の世界だけを女は見詰めそして其れを常に美化しておきたひ。
生自体を美化し其処で自らが産み育てる生命を盤石のものとしておきたひ。
されど其処には大きな落とし穴が存して居る。
生自体の本質は安定ではなく破壊なので其の生の美化そのものがそも成り立たぬ。
何とか其処でバランスを取り其の願望ー欲望ーを成り立たせるには男性に於ける観念性が必須である。
ところが近代自体が即ち時代自体が女性化するに及び其の男性の破壊力ー一種の抑制力ーが成り立たなくなって来た。
父ちゃんは観念性にて屡癇癪を起ししかも社会化され近代化されることから兎に角逃げたひ。
然し子宮思考が其れを無理やりに現実へと此の近代化の様へと即ち現金思考、現ナマ主義へとしかと縛り付けていく。
すると何処にも逃げられなくなった父ちゃんはもはやオウム教にでも入るしかなくなる。
だがちゃぶ台、コレを是非一家にひとつは用意しておくべきであらう。
其のちゃぶ台に女共が丹精を込めてつくりし飯を乗っける。
そして其れを急にひっくり返す。
馬鹿者ー!、とか叫びつつ全部ひっくり返せば良い。
其のちゃぶ台返しでの怒りこそが子宮思考を変化させるに足る男性の観念的破壊力そのものである。
此の観念的破壊力を構造的に如何ともし難ひ近代的価値ヒエラルキーにぶつけてみる。
さすれば或は森林破壊を押し止めることさへもが可能とならう。
子宮思考により全体主義化した近代的価値ヒエラルキーは過去と未来を認識することが出来ずあくまで現在の諸価値にしがみつくので脳内ではバイアスが強くかかりととへば温暖化などして居ない、などとも思い込み易い。
4.のアホと云うのはつまりはアホのことだ。
アホと云うのはまず何も考えて居ない。
そして尻尾を常に振り続けて居やう。
でもってして、実は自分のことがアホだとはまるで考えては居ない。
其処では思考力がゼロだ。
だからまず飲む、そして食う、さらに女に飛びつく。
これだけのことしか実は出来なひ。
ましてや本など読まない、読んだことなどない。
こんなアホには温暖化の危機に関することなど伝えられぬ。
が、アホこそが実は数も多い。
アホにはちゃぶ台をひっくり返すだけの精神力もない。
だが存外に生命力だけは強くその辺で普通に家庭を持って暮らしたりもして御座る。
アホとは或いは大衆的価値観の別名のことなのではないか。
アホは屡スマフォを与えられるとすぐに其れに飛びつき新製品が出るとすぐさま其れに群がる。
宗教や哲學、また藝術などには興味がなく其のスマフォで視て居るのは下品なものばかりである。
そんなアホの群れが環境破壊や温暖化を加速させつつあるのだと言えなくも無い。
即ち環境破壊や温暖化と我我の心性のあり方とは無関係ではない。
そればかりか密接に結び付いて居る。
つまりは人類のアホが温暖化を生じさせ今まさに自滅しやうとして居るのである。