其の地獄の反対を見ますと浪漫なるものが見えて参ります。ロマン主義
浪漫と云うのは重層的な生への賛歌または余裕のやうなもののことでせう。
浪漫と云うのはさうした生の厚みがある訳です。
「それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇など様々な芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。」以上より引用
別に恋愛など賛美致したくはない訳ですが、然しかうまで世の中が窮屈ですと其の理性偏重主義や合理主義に対する反動としての浪漫的展開と云うものに必然としていたく興味が御座います。
そしてどうも今科学技術礼賛主義に文明は陥って居るのではなかろうか。
要するに合理主義が深く潜行した形で進んで居り文明のやることは全て良いことだとさう思われて居るのではないか。
いや、さうではなくむしろもはや無意識的に文明=善だと刷り込まれて居り誰も疑いなど差し挟めない訳です。
ですが其れこそが真にヤバい状態にあるのではないでせうか。
だから逆に浪漫主義を復活させるべきだ。
おお浪漫。
嗚呼、大空へのそして星空への浪漫の追求を。
あくまで女ではない。
女は現実的でしかも金次第のものだ。
そして押しの一手次第のものでもある。
だがさうした現実的な極めて現実的な力の論理こそが往往にして醜い。
さうではなく夏休みに於ける浪漫、むしろコレこそが大事だ。
たとへば海や山へ行くと決まってお星様の囁きが聞こえる。
もっとも夜にならないと出て来ないが。
其の星々に直に接吻をするのだ。
さうだチューをして見給え。
するとあらゆる現実性が失せ星々のさ中に君は浮かぶことが出来やう。
さうだ、君自身がすでにプラネタリウムと化して居るのだ。
其のやうに大衆性を暫し離れやう。
そして異界へとトリップしやう。
だから其れが浪漫だ。
あー、浪漫。
あくまでロマンスではなく男のロマンのことだ。
其のやうな金のかかる趣味ではなくもっとかう藝術家が好むやうな金のかからぬ方での浪漫を探し求めていくべきだ。
たとへば読書、コレもひとつの男のロマンである。
そして虫取り、秘湯探査、秘境探検、お化けスポットの巡礼なども皆其の男のロマンである。
男のロマンは自然との深き交感であり探検であり遮断のことである。
其のやうに遮断することでのみ浪漫化する。
すると自然が君にだけ微笑んで呉れやう。
おー、此の崖が、千丈の崖が我の往く手を阻んで居る。
臆せず其処を降りよ。
ロープ一本にて降りてみよ。
ああ、あんなところにカモシカが居るぞ。
おお、こんなところにエーデルワイスが一輪咲いて御座る。
まさに其のやうに自然との濃密な関係を築くことこそが反文明の実践である。
其の重層的な生への賛歌または余裕のやうなもののが其処に初めて見えて来やう。
然し此のエアコンの効いた都会の中に居ては其のキラキラの生の瞬間など決して得ることは出来ない。
しかも母ちゃんの尻に敷かれて小遣い毎月二万円だとかでいやーまさにみみっちい話だな。
たまには百万を浪費してみよ。
左様に女の尻に敷かれて、しかも海へも山へもいかずで、さうしていつもエアコンの効いた文明世界で消臭ーとか、生理用品、とかそんな女々しいことばかりをおままごとばかりを繰り返す御積もりか。
さうではなくまずは女を全部締め出せ。
君の中の大衆を全部締め出していくのだ。
さすれば大自然と対峙した君は独りきりだ。
其の独り者の身でもう何でもやっちまえ。
会社だの、子供だの、社会だの、技術文明だのもう全部がクソくらえだ。
さうではなくあくまで夏休みは浪漫に生きるのが男としての甲斐性である。
かの藤岡 弘のやうに今すぐに探検に出掛けやう。
そして居合をば決め込んでみる。
其のやうに胸毛の世界?こそが実に眩しい。
其処では自然界と同じ位に解放されて御座る。
第一こんな牢屋のやうな、其れもマッドな科学者共が拵えし訳の分からぬ管理社会で一年中飼育されて居るだけで君は満足なのであるか。
しかもそんな不細工な女共に囲まれておまけに金ばかり毟り取られて其れでもって君はほんたうにほんたうに幸せなのか。
いやじゃー、我はもう嫌だ。
ですので自然界へと逃げていくことに致しました。
ちなみにプラネタリウムの穴場はココです。
尚此処の凄さは実際に訪れてみないと分からない。
つまりは夜になるとプラネタリウムは閉館になろうが、其の代わりに現実の星空が拡がると云うまさに二重の楽しみに満ちたところであった。
ちなみに此の辺りに家の土地があるが無論のこと電気も水道も何もないところで其の代わりに矢張りと云うべきか現実の星空が拡がるところである。
また周りに女っ気が一切無い。
そして一般人の天体観測も可能な大學の天文台なども各地にあるゆえ其処を訪れたりもしてみる。
勿論浪漫は何も自然ばかりのことではない。
たとへば物欲の方、または食欲の方でも浪漫が存する。
たとへば作家物のカスタムナイフを次々と集めてみる。
或いはマタギの使う鉈を専門に集めてみる。
ただし日本刀の収集は難しいので手を出すべきではない。
カレーライスの専門店を東京の神田まで出向き全店制覇してみる。
そうか、実は都会にも浪漫が存して居た!
だが都会ではくれぐれも女には触れぬやうお願ひ申し上げます。
さらにお化けとの邂逅、夏祭りへの参加、ああそればかりではなく花火だ、其の花火こそが夏休みだ。
さう花火こそは男の華よ。
実際花火を見ずして他に何を観る。
花火を、其の花火を山奥で観て来るのだ。
何故なら花火は山で観るのが一番だ。
特に駒ケ根市で観た花火、二十年位前に駒ケ根市で観て来た花火はこれぞ宇宙の華だ、かの大宇宙の大花火大会そのものであった。
コレはもう、兎に角真っ暗暗の山の中で、ポンポンポンと打ち上がり、パッパッパーと花開く、其の光の藝術、各元素の炎色反応が、ああーもう、赤やら靑やら黄やら緑やら紫やら、そんな彩り豊かな夏の孤独が、まるでかの駒ケ根名物のソースかつ丼の如くに味覚としても花開くかの如しだ。
ちなみに弟の話では諏訪湖の花火大会がこれまでで最高であったとのことです。
尚お化けや妖怪の類は確かに昔は居たのである。
ではあるが今はもう居ない。
何故なら合理主義がお化けや妖怪を自然界から全部追い出してしもうた。
事実墓はいまやマンション化され永代供養付きのものとなり其処にはお化けも出ない。
だからお化けや妖怪の類はいまや人間の心の中に巣食うばかりで御座らう。
うわー、怖い。
何だ我が知り合いであったか。
其のやうに兎に角怖い。
何がと言って人間程怖いものも御座らぬ。
人間程地獄を見るものもまたなくはたまた人間程醜いものもまた御座らぬ。
だが浪漫、此の浪漫にてかの地獄の責め苦を去りかつ其処であらゆる縛りから逃れ完全なる自由の境地へ、おお自由とはまさにこのことであったか。
女と云う大衆と決別し都市と決別し自然界の懐に抱かれもはや憶することなく人目を気にすることなく小便を思い切り其処でして来い!
海の中へして来い、山の頂上からして来い。
どうだ、ザマアミロ、合理主義文明めが。
まさにロマン主義による合理主義批判がこれにて完遂されやう。
浪漫、其れは人類に残された最後の桃源郷である。