目覚めよ!

文明批判と心の探求と

ヒメボタルと人間を観察する夜

 

闇夜彩るヒメボタル、黄金色の求愛 名古屋・天白(毎日新聞) - goo ニュース

 

さて此のヒメボタルを昨夜見て参りました。

其れは結果として満足出来る成果でした。

 

昨年は色々とあり出向くのが遅くなり結局ヒメボタルを見られなかったので喜びもまたひとしおです。

 

ちなみに私は弐拾年程前から此のホタル観賞会へと出向いて居ます。

其れも最初に出向いた時が矢張りと云うべきかまさに感動的な思い出となって居る。

 

 

以降様々なことがありましたが弐度程奇妙な目にも遭って居ます。

 

1.ヒメボタルが乱舞する様を梅園横の野原でデジカメにて撮影したら其処に所謂白いオーブが沢山写り込んで居り矢張り山には霊が沢山居るのだなとさう思った。

 

オーブの正体をプロカメラマンが説明する。光の玉は心霊写真? (photo-yatra.tokyo)

オーブ・玉響現象とは?心霊写真なのか?青や赤等の色別意味も解説! | 占いガール (uranai-girl.com)

 

オーブの正体はかうして科学的にも解明されることでせうがあくまで私の直感ではー私は所謂共感覚者でもっておそらくは並外れた感度を持って居ますー其れは半分位は危ないものでした。

但し危険だと云うことでは無く霊的な現象である可能性もまたあると云う意味に於いてです。

 

2.あれは拾弐、参年程前でしたか、真夜中にヒメボタルを見に行き山の中か又は帰り途にて意識が飛んだ即ち記憶が無くなり家に帰ると左の鎖骨の上に大きな痣が出来て居た。

しかも其の後一月程至極体調が悪くほとんど一日中寝て居たりも致しました。

 

其のやうな経験は後にも先にも其の時ばかりでひょっとしたら山の化け物か又は宇宙人にやられたのではないかと其の頃は考えて居りました。

さうして何せ記憶がありませんのでどうやって家へ帰ったのかも定かでは無い。

交通事故なども疑われますが結局自転車は無傷でした。

 

 

勿論其れ以外は至極平和なヒメボタルの観賞會となって居ります。

 

昨夜は日曜でしたので結構カップルや👪連れが来て居りました。

其れも23時過ぎですが其のやうにしてみんなでヒメボタルを観賞しに来るのです。

 

私は23時30分まで粘り結構良い乱舞に出くわし其れが兎に角素晴らしかったので實は本日もまた出向こうかとさう思って居るところです。

 

 

ホタルの光の明滅は何処か霊的な趣さえもがするものです。

 

勿論其れは求愛行動と云う生物にとっての前向きな行為ーグオーギャオーのやうなものーなのですが其れは🐈共のやうに至極ウルサイものでは無く兎に角全てが沈黙の中で行われるものだ。

さうして音も無く真っ暗な山の中を飛び交うホタルの様はまさに打算無き自然的営為其のものであり其の明滅は光として美しいばかりでは無く私は其の静けさにこそ圧倒されたものでした。

 

尚私は其の種の光、音、また匂い、温度などに就き非常に敏感です。

かっては其の敏感さを人に話すことが憚られ其れは何故かと申しますと結局は恥ずかしいからなのです。

 

自らにさうした感度があること自体が兎に角恥ずかしかった。

いやむしろそうして感じて居るにも関わらず其れを余り意識しては来ませんでした。

 

例えば自閉症の人の中には天才的な感度を持ち其れを藝術として昇華して居る人々などが居られるのだが確かに私にもさうした部分が何処かにあるやうだ。

でも他面では至極論理的でもある人間なのでまあ其れも半分位はさうだと云うことなのだらう。

 

 

で、私は場合により前者の側にシフトしてみたりまた逆に後者の側にシフトしてみたりすると云う調節が實は可能なのです。

ですが、上の2.でのケースは全く不可思議なこと其のもので論理的には全く説明することなど出来ません。

 

其れにつけてもホタルの其の閑けさ、其の部分が兎に角気になります。

かうして人間は至極ウルサイ訳ですが何故ホタルは其のやうに音も無く且つ光を明滅させつつ飛んで居られるのだらうか。

 

其れも結局は欲望の持ち方が異なると云うことに尽きるのだと思う。

 

人間が其の欲まみれ、欲深い罪まみれ、煩悩まみれなのはさても一体何がさうさせて居るのだらう。

私は其れをまずは自然と交感する能力の減退であるとさう考えて来て居ます。

 

さうして我我は文明の産物であるより他は無い心を選択するに及び持って居る。

ですが其れは文明に適合する心なのであり自然と交感する為の心ではおそらくは無いことだらう。

 

 

でも皆さん楽しそうにホタルの乱舞を見詰められて行きます。

尤も其れは一時的に其の文明による洗脳を解いて居る訳だ。

 

其のやうに自然の懐に抱かれますと文明はむしろまるで役には立たぬので所謂童心に帰る、文明以前での心の段階へと戻り其の様と戯れる訳だ。

ですがおそらくは其の童心即ち文明以前での心の段階即ち価値観こそが人間にとってはむしろ最も大事なものでもあらう筈だ。

 

との理由から私は自然とはいつも真剣勝負をして居る訳です。

逆に文明と接する時は常にしかめっ面をしつつ其れではもはやダメだダメだとさう批判ばかりしてまともに相手にして居さえせぬ訳だ。

 

そんな私はすでに原始人か何かなのでせうか?

 

 

私は都市部には自然が必要だと常にさう論じて来た筈です。

対して田舎の人は周りが全部自然なのでむしろ文明の方が欲しく且つ金も欲しいのです。

 

高度成長の頃は確かに都会にのみ其の金がありましたが今は逆にコロナにて経済の方がやられ都会にて金の無い人が多い位です。

イザさうなると其の金の無い都会にはもは如何なる魅力も無いこととなりませう。

 

なのですが私はまだまだやりたい放題やって来れた方です。

 

かうして自分の家に住み都会なのに田舎でもあるかの如き都市に生きやりたい放題にやって来れた。

第一普通都会人はそんな自転車にて15分位で行けるところでもってホタルの観賞会などはまさか出来ぬ訳だ。

 

さうした意味では私は其処に大いなる幸せを感じて居りだが其れは都会の便利さや物の豊かさが齎したものなのではおそらく無い。

あくまで其の周辺の自然の様が樂しいばかりでのことでせう。

 

無論のこと都市部の自然は全い形での自然の本来の姿では無い。

多かれ少なかれ其処には人の手が入り其処に本来の意味での自然環境が保全されて居るとは元より言い難い。

 

其れでも猶私が其処に拘るのは、おそらくは自然環境の充實を抜きにして人間の心としての健全なあり方は望み得ぬものでもあるからなのだ。

まさに其れは人間の心としてのあり方が其のやうに洗脳されて仕舞うと云うことを意味するものです。

 

 

其のやうにー感度の悪いー現代人はすでに其の眞の意味での自然の重要さにまるで気付けぬ状態にこそあることだらう。

 

ですが實際には皆さん自然が結構好きです。

何故ならさうして真っ暗闇の相生山に23時に来る位ですから自然が好きな人々もまた居る訳だ。

 

ですがとても23時30分までは粘れぬ訳だ。

何故なら皆さん明日は会社へ行くか其れとも家事育児に奮闘せねばならぬので其の23時30分にはむしろ家に帰っていなければならぬ。

 

だからさうして23時30分まで粘って居るのは結局私独りなのでした。

エエッ?真夜中近くの真っ暗な山の中でさうして独り山を歩いて居るの?

 

 

ああさうだよ、其の位のことが出来ねば自分は自然に対し特別製だとはなかなか言えぬものなのだ。

アンタそんなことやってるから霊だの化け物だののかどわかしに逢い挙句に一箇月も寝込んだりもするのではないか?

 

いや其れ位のことはまるで普通だ。

でも夜中の山の中の闇は實に濃く怖いのだよ。

 

余りにも怖くてほんたうにもう倒れ込んで仕舞いさうなのだ。

 

さうかさうして石の多い林道に倒れ込みかって怪我をしたのではなかったのか?

まあさうだらう、まずお化けなどは出て来ないのだからな。

 

其のお化けとはな、逆に人間のことだ。

其の人間こそがほんたうはお化けなのだ。

 

でもね、其の真っ暗な相生山の林道で人間に会うと其れがまた何故か決まって嬉しくなるものだ。

 

 

林道の向こう側から来た初老のカップルに向かい、

「向こうでホタルは出ましたか、ホタルは?」

 

「ああ、居ましたよ、もう少し行けば居る筈です。でも其の携帯のライトは消さないと…。」

 

「携帯って此れは携帯では無く懐中電灯ですが…。ー第一私は携帯なんて持って無いのにー」

 

と言いつつすれ違い五米程進んだところ、

 

「あ、ソコに居ました、光って居ます。」

 

ー其れ位は分かっとるわ、オバハンー

 

其の光の明滅を熱心に観察する🚹が余程に珍しいのか、むしろ其のカップルにじっと観察されて居たのは私自身だったのでした。

 

 

【相生山緑地ホタル】2021年見頃や鑑賞の時間帯は?駐車場や鑑賞ルールについても紹介

 

さて私の場合は其の「いのちの谷の奥」と云う上級者向けポイントへはこれまでに出向いたことが無い。

ですが私は相生山の散策道をすでに知り尽くして居るので一度是非行ってみたいところである。

ですが真っ暗闇の山の中は街灯に照らし出された文明の世界とはまさに正反対の場所なのでもある。

 

要するに幾ら私でも其処まで暗闇を歩いて行くのはなかなかに難儀なことであらう。

 

 

かうして夜の山の中は必ずや真っ暗闇となりまさに我我の感覚に対し一種の闘いを挑んで来る訳だ。

どんなに自然が好きな人でもむしろ其のことは怖くよって其処でもって何かに縋り付きたくもなる。

 

恐怖、さうか、恐怖、其れがむしろあるのが当たり前なのではないか。

何故なら恐怖があるからこそ安堵がありバランスが取れて居る訳なのでせう。

 

其処を反故にして御座る電気ギラギラでの文明程滑稽なものもまた無い訳だ。

 

さうして真っ暗闇だからこそホタルは美しい光としての輝きを放つ。

でも弱い人間は結局其の暗闇が怖くなりさうして誰かに頼りたくもなる訳だ。

 

其れもそんな恐怖と闇から逃れて。

また其の対立概念としての安堵と光とを求めて。

 

でもヤッパリ共に大事にすべきなのだらう、何故なら其の美しく明滅するヒメボタルをそんな電気ギラギラの都会に放ったにせよ其れは美しいものでも何でも無くなるのであらうから。

 

サアではこれからまた出掛けて参ります。

其れもかうして毎度ワクワクするのは一体何故なのだらう。