ーフリードマン氏はこの論考で、「中国の台頭」にまつわる言説には誤解があると指摘し、米中間に「トゥキディデスの罠」は当てはまらないと述べる。中国には経済面、軍事面で「弱点」があり、依然として米国には対抗できないというのだ。ー
其の米中関係ですがもはや可成に危なひところにまで来ていると見ておくべきです。
其の「トゥキディデスの罠」と云ふこと云々の前に西洋文明対東洋文明の対決と云ふ観点が其処には盛り込まれて居るとわたくしは見て居る。
西洋文明対東洋文明の対決と云へばかっての日露戦争ですが、其れも結果的には日本が勝って居ますね。
西洋文明の方が根本的に優れて居て戦争には必ずや勝てるとは其の時以降もはや言へなくなって居ります。
とは言へ現状での米中の國力差は大きなものがあります。
然し十年後、二十年後ともなれば其れももはや分かりません。
東洋文明は思想的には可成に洗練されさうして優れても居ます。
中國の文化力は欧米人が考へて居る以上に影響力を大きく持つものです。
なんですが、共産党の一党独裁にて其の文化力もどうなのだか今は良く分りません。
いや文化や宗教は元々共産党には要らぬものなので其の力が削がれて仕舞って居ると見ておくべきなのでせう。
問題は米中共に實は革新國家であり其れは日本の伝統國家としての体制とは基本的に相容れぬものであると云ふことなのです。
ですが日本は米國に又は将来中國がもし覇権國となるのであれば中國に擦り寄って行かねばなりません。
ですが其処には常に矛盾が生じて仕舞ふ訳だ。
これまで日本國は中華文化圏に属して居ながら米國の家来を長らくやって来ざるを得ませんでした。
即ち日本國はそんな戦後民主主義と云ふ体制の中で文化的基盤を失って行かざるを得なかった。
かの三島 由紀夫はまさに其処を心配して居たのですが話がややこしひのはたとへ将来中國の属国となったにせよ日本の文化的基盤が守れるかどうか分からぬ点です。
と申しますか今やほとんど日本の文化的基盤など壊れて来て居ます。
其れこそ大衆レヴェルでは一般に日本の文化的なものが常に重視されることなどはあり得無ひ。
わたくしは今其の日本の文化施設にて定年後のパート生活をして居りますがかうしたものもコロナ禍以降はもうエラヒこととなり其れこそ文化もクソも無ひ状況へと至っておるのです。
ですが、わたくしは其の文化的なもの、また文化圏としての違ひ、また肌の色や体格などの違ひは結局大きひとさう見て来て居るのです。
中國人や韓國人はなんだかんだ言っても結局日本人には似て居ります。
其れは外見に止まらず文化的に良く似て居るのです。
まあ似た奴等なので意見の違ひなどがあると余計に憎たらしひと云ふ部分もまた御座りませう。
即ち米中間の対立の根底には此の西洋文明対東洋文明の対決の構図がしかとあらう筈です。
個人的には東洋文明の復権と申しますか東洋的な世界観の方がよりバランスの取れた社会を築けることだらうとさう考へて来て居ります。
宗教にせよ東洋発祥の宗教は自然に優しひものが多ひやうに思へます。
但しいずれにせよ現代文明はこれまでやって来たことへの尻拭ひを以降やって行かねばならなひ。
だから東洋も何も無ひのですが将来場合によっては中國が覇権を握らぬとも限りません。
特に露國と中國がもしも手を結んだならば果たしてどうなりませうや?
かやうに西洋文明対東洋文明の対決につき實はまだ決着が付ひては居りません。
「世間の声は気にしない」―山田孝之は「愛」のために生きていく
別にケチを付ける訳では無ひのですが、其の「愛」と云ふものも難しひものです。
愛は高次化せぬと利己愛に繋がり結局生存の為の檻へと繋がれて仕舞ふ。
即ち低次元の愛とは自己矛盾だと云ふことです。
此の世の価値観は其のネガティヴ思考を嫌ひポジティヴ思考へと走ろうとします。
でも其れって少し考へてみれば分かりますがほとんど時代による洗脳ですね。
日本の大昔は其れこそ芥川の「羅生門ー藪の中ー」では無ひですが世相的、物質的にはまさに悲惨な状況にこそありました。
其れでも其の頃が精神的に異常であったとはわたくしは思ひません。
むしろ近現代社会が其のネガティヴ思考を排斥して行ったことこそが異常なのです。
つひ先日も其のネガティヴ思考はまさに大ひに役立つと云ふことをわたくしは述べて居ります。
👪主義や繋がる主義即ち団体主義はむしろこれからの時代の価値観の主流となることは無ひことでせう。
其れとも人類は諸の価値崩壊を具象的に突き付けられることでむしろより意固地になり其れこそみんなでもって赤信号を渡らうとして行くのかもしれません。
さうかと言って、わたくしはポジティヴ思考を全否定する訳では無ひ。
だがポジティヴ思考とネガティヴ思考をはかりにかけた場合にはむしろ人間を限定すると云ふ意味でネガティヴ思考の方が優れて居ることでせう。
其処にて反省出来暴走することの無ひ謙虚さを持つことが出来ると云ふ意味に於ひてまさにさうです。
人間は∞の可能性を持つ訳では無く元々至極限定されており結局つまらぬものです。
其のやうに思ふからこそ生への感謝や他への思ひやりがまた生じるのではなひだらうか。
其れとポジティヴ思考はネガティヴ思考を前提とした上でやって行くとどうも上手く行くやうにも思ひます。
ネガティヴに考へ、ポジティヴに行動する、實は其れが五木 寛之先生が其の著作などで仰って居る人間の生き方の秘訣なのです。
まあ作家や詩人の方々はあくまで一般とは違ふが故に其のネガティヴであることとは縁が切れぬ訳です。
皆様もこんな自称詩人の話ではあれ、普通のものの見方とは可成に違ふなあ、ひょっとするとコヒツはキチガヒじゃねえのか?
などとも思はれて来た筈です。
なのですがわたくしは昔のタイプの「悩む」詩人ですので現代のあへて悩まぬ作家や詩人とは同類では無ひのです。
要するに昔の文士なのだ。
ヤッパリ言ってることがどうもおかしひ。
何だか根本の部分が全部違ふやうな気がする。
違ふからかうして現代其のものを批判することが可能なのですよ。
「世間の声は気にしない」と云ふのは、全く素晴らしひことです。
世間は眞實を求めぬと云ふこともまさに其の通りです。
世間は「阿呆の健全さ」にて動かされて居ますから何より勘が悪くしかも誤った価値を信奉しつつ歩んで居ります。
誤った価値を信奉しつつ歩んでやがてどうにもならなくなり社会的に崩壊するのは其れは至極当たり前のことなので其れにはもう関与せずケ・セラ・セラであるかスーダラ節でも歌って置けば宜しひ訳だ。
「生まれ変わったらなりたいもの」は?
さうか水ですか。
結構疲れても居られるやうですね。
無理せずに自分のネガティヴさに正直になっても宜しひのではなひでせうか?
尚わたくしは基本的にネガティヴな人を擁護して居ます。
其れは文明によるポジティヴさ礼賛主義による洗脳を受け付けて居なひピュアーな心の持ち主だと認めて居ると云ふことです。
何しろ文明其れ自体が誤って居りしかも狂って居るのですから其処でもってそんな心のピュアーさを保つことなどは至難の技なのです。
じゃ鬱の人などは?
鬱でもってむしろ当たり前じゃなひですか。
こんな世の中でとてもまともでなど居られませんよ。
でも小池 百合子都知事、最近会見での目が死んで居ますよ。
女だてらに権威権勢だけを求め都知事になったが、コロナの問題が思ったより厄介でダンダン女としての理性の弱弱しさが露呈して来て居るのではありませんか?
つまるところ為政者だけは鬱だったり目が死んでなど居ては金輪際イケナヒのであります。
高ひ給料を貰ふ為政者はどんな時にも元気一杯、即ちポジティヴシンキングのみを目指して行かねばならぬ。
「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」――闘い続ける“不死鳥”、美輪明宏の人生
右翼系の人は基本的に同性婚など認めて居なひことでせうが其処からすれば三島 由紀夫は変はって居て同性愛者でもまたあったやうですが其処は詳しくは存じません。
男性の藝術家は大概感度が高まると共に女性化致します。
藝術のことが分かるやうになればなる程女性化し両性具有的とならざるを得ません。
わたくしの場合にもおそらく其れはあることかと思はれます。
但しあくまで顕在化して居なひレヴェルのものだと云ふことです。
両性具有的となるとむしろ女性攻撃に走ると云ふ面もまたあるやうです。
まあ正直申しまして此処でも可成に其れはやって参りました。
また自然と👨崇拝が出て来るので胸毛信仰や武士道信仰などがいつの間にか進んで居たりもする訳です。
ですがかってわたくしは完全な👩嫌ひではなかったのです。
むしろ👩にはとても優しひ人間でしたが次第次第に👩を奴隷となしたひと云ふいやらしひ欲望が芽生へ其処がまるで軍国主義のやうなことにもなって仕舞ひました。
が、何せ知性派ですのでやることは常にジェントルですよ。
常に濡らしたハンケチを携へお顔などを拭きつつ自転車に跨り時に道端や公園のお花の香りを嗅ひだりもして居ります。
其処は逆に自然に優しひ左翼平等思想派なのです。
ちなみに美輪 明宏氏は元々好きでかって公演へ出向ひたこともありました。
一言で申しますと其の藝術性の高さに圧倒されました。
ーかつて三島由紀夫も寺山修司も、「聖なる怪物」と美輪を評していた。ー
実感では怪物では無くまさに美の伝道者と云った趣でした。
兎に角舞台では全てが美しく光り輝ひて居たのです。
其れが文化の光輝でなくて何だったのでせう?
まさに其の折に此の人は藝術を理解して居るとさう直感致しました。
美輪氏の場合は生き方其のものが性を超越しまた俗と云ふものを超越し兎に角其の生自体が藝術的です。
であるからこそ好きなのだと思ふ。
またあくまで藝術に関しては本物指向です。
古典的な藝術の要素までをも良く理解して居られまさに其処は尊敬に値する部分でせう。
ー2018年、美輪は戦後の日本でジェンダーを超え、多方面に活躍した生き方を示したことが評価され、東京都の名誉都民に選ばれた。
「一旦は辞退したんですが、『私みたいな反逆ばかりしてきた人間にどうして?』と言ったら、『満場一致で決まりましたので受けてください』と言われたのでいただきました。東京都でも区によっては同性婚も認めましょうというところも出てきて、『ああ、やっとここまで来たか』と。だいぶよくなりましたよ」ー
個人的にはあくまで同性婚には反対なのですがわたくし自身が實は男性のことを嫌ひでは御座ひません。
其れも魅力を感じるのは常に男性の「精神」であり、男性の肉体は自分もまさにさうなのですが汚らしくて臭ひとさう思って居ります。
だが其れを社会的に認めて仕舞ふと其れこそ「何でもあり」となるのでコソコソとさう思って居るべきなのではなひでせうか。
但し其の反逆こそはむしろ大事なことなのではなひでせうか。
藝術とは反逆のことであり、また矛盾との直接対決のことでもある。
反面藝術が女性的なものとなり易ひのは其処に文化的洗練ー精神的洗練ーの度が加はるからです。
だから藝術とは元々両性具有的なものでもあることでせう。
ーだから、『着るものなんて嘘っぱち。この裸のままが本当の人間だ』『容姿、容貌、年齢、性別、国籍。着ている物や持っている物、目に見えるものなんて見なさんな』となっていく。見えないものを見る。心や品性こそが重要なんだという意識が自然と芽生えました」
それを現代風にアレンジしようと、男でも女でもない格好を始めました。髪の毛を紫に染めて、紫ずくめで銀座を歩いていたら、「銀座に紫のお化けが出る」と有名になって。江戸川乱歩さん、三島由紀夫さん、川端康成さん、遠藤周作さん、吉行淳之介さん、岡本太郎さんと錚々(そうそう)たる人たちがみえて、私のファンになってくださいました」ー
其の文士の面々は何でまたお化けが好きなのですかね。
尤も詩人もまたお化けは大好き♡なのですがね。
「心や品性こそが重要」
美輪 明宏氏がとても美しく上品な方に見へるのはおそらくは其の心が清く何より其処に品性をお持ちだからなのやもしれません。
重要なことは矢張り内面でのことなのです。
内面でのことは、其れも何処かで何かを長く何かを書ひて居たりすると其の本性がやがて見へても参ります。
よってわたくしの根が至極下品なこともすでにバレバレのことかとも思はれますがわたくしはあくまで文人として人類の苦悩を受け持つ。
と云ふ其の犠牲精神の一心にてかうして毎日のやうにクドクドと小言を書き連ねておるのです。
昨日などもまた人類の「ウンコたれ」などとつひ言って仕舞ひ読者の皆様に大きく不快な念を与へ大変申し訳御座ひませんでした。
ー作詞・作曲を始めて『ヨイトマケの唄』を歌うと大当たりして、また最高潮が来た。それが陰り始めたかと思うと、寺山修司さんがアングラ(アンダーグラウンド)舞台のお話を持ち掛けてきて、これが大当たり。その後、三島由紀夫作劇の『黒蜥蜴』も大ヒット。ところが今度は病気になった。正が来ると、その後で必ず負が来る。それが同じ分量で互い違いにやってくる。正負の法則ですね」ー
Yoitomake No Uta - Akihiro Miwa / ヨイトマケの唄 - 美輪 明宏 (1964)
ー「外国の人たちがうらやましがるのは日本の文化力です。元禄時代なんて、素晴らしい日本の文化が花開いた。紫式部のような女流作家が1000年も前にいて、それがいまだに読み継がれている。清少納言もそう。それから着物。日本には3000種類もの色の種類があって、風雅な名前が付けてある。そんな国、他にないんですよ。ー
特に安土桃山時代の日本の文化力は凄かった訳です。
わたくしももう少し心理的な余裕があれば其の日本の文化力につき是非書きたひ訳ですが何やら社会に問題があるのかいつも其れどころでは御座りません。
ー武力は憎まれますけど、知力だったら尊敬されるんです。日本は文化国家でなきゃ、知力の国でなきゃいけません。武力はもうよその国に任せておけばいい。それを小学校から教えるべきです。それにはまず人柄もよく、知識や教養にあふれた、大人の見本みたいな先生が増えてほしいですね。学問だけじゃなく、一般教養とか知識とか、洗練された文化を身に付けていただきたい。生徒は教師を観察しています。最近は教員になる人が少ないというけど、尊敬されるような先生が増えれば、なり手も多くなるはずです」ー
なる程まさにわたくしのやうな知力があり教養に溢れた教師が今まさに必要とされておる訳だ。
しかもかうして文化的にも限りなく洗練されて仕舞っておる。
其の割に過激な社会思想をつひ吹き込むので公立の学校などはヤッパリダメですね。
アナーキスト学校とかさういふのがもしも何処かにあればもう幾らでも教へてあげますのですが。
ー「何もしないで『自分らしさ』と言っても、基本がないと揺らぐし、自分を責めるでしょう? そうなるよりも前に、『じゃあ、あんたは何ですか?』って切り返せるぐらいまで、己を知って、自己を確立する。まずはそれからです。自分がどういう系統に属する人間なのか? 方向が決まったら、知識と教養を身に付けて、それを揺るぎないものにしていくこと。ずっと探し続けてもいいんです。そのうち何か見つかりますよ」ー
基本の確立、まさに其れこそが大事でせう。
じぶんとは何か?
詩人だ。
では文の勉強をしやう。
特に役には立たぬ文學ばかりを勉強しやう。
もう最近は知識と教養とではちきれんばかりにて下々の者共と会話さへ成立せずほんたうに困ってもおるのです。
ー最後に聞いた。「また生まれ変わるとしたら、再び美輪明宏になりたいですか?」
「そうですね。この世だけでもいろんなことをやってきましたからね。そんな人、他にいませんからね」ー
あれは五年程前だったか、職場に大學の先輩が居て其の人と「また生まれ変はるのだとしたらまた自分になりたひか否か」と云ふことを話し合ったことがあった。
其の先輩は「二度と自分などやりたくなひ」とさう述べて居た。
其の人も確かに色々とあり離婚もしたばかりでボロボロだったのである。
対してわたくしは「何度でも自分でもってやりたひ」とさう述べた。
つまるところわたくしは自信過剰気味なのである、實は。
しかもほんたうは何も持って無ひのに誰にも負けぬとさう思って居るのである。
其のわたくしの自信とは此れ迄手を抜かずに正しく生を悩み抜ひて来たと云ふ其の精神的な意味での自負によるものだ。
さうだじぶんを何度でもやってやるぞ。
サア百回でも弐百回でも来ひ。
むしろ自分でなければダメだ。
さてもなんて強ひ自己愛なのだらう。
ところが見た目には決してさうは見へず自信も自負もまるで無ひやうにしか見へぬ奴なのだった。
ー其の文化施設の方が明日より多忙の為以降暫く投稿のペースを落としますー